作品タイトル不明
13.準備はできた
この屋敷に来てから侍女に髪をさわらせたことはない。
私の髪にふれることができるのは兄様だけだった。
兄様なら大丈夫だと思えるけれど、それでも髪を切られるのは怖い。
「安心して?ジュリアンヌが怖くないようにするから」
「どうやって?」
「絶対に大丈夫だから。ジュリアンヌは俺のことだけ見ていて」
兄様は髪を切る用意をし始めたけれど、ハサミは見当たらない。
私の服の上から布をかぶせたと思えば、兄様は私の真正面に座る。
「髪を切るんじゃないの?」
「切るよ。ジュリアンヌは俺のことを見ていればいい」
「見ていればって……」
兄様は私を閉じ込めるかのように両腕を伸ばした。
こんな体勢で髪を切るの?
聞こうとしたけれど真剣な顔……視線は髪に向かっているから耐えられるけど、
こんな近くで兄様の顔を見続けるなんて。
最初に見た時は中性的な顔立ちがあまりにも綺麗すぎて、
神の使いなんじゃないのかと思った。
今は成長して男性的な顔立ちに変わっている。
あごやのどぼとけを間近で見て、兄様が大人の男性になっているのに気づく。
もう兄様は子どもじゃないんだ……。
パサリ。
少しもハサミの音はしないのに、切られた髪が床に落ちる。
パサリ……パサリ。
「……ねぇ、どうやって切っているの?」
「内緒。これなら怖くないだろう?」
「……うん」
本当にどうやって切っているのかわからないから、
怖いというよりも不思議で仕方ない。
それに兄様の顔をずっと見ているから、
次第に恥ずかしくなって顔が熱くなっていく。
恥かしがっているのを知られたら嫌だな……。
私が怖がるからこんな体勢で切ってくれているのに、
兄様を意識してしまっているのに気がつかれたらどうしよう。
「うん、終わったよ」
「え?終わり?」
「ああ。綺麗になった」
「……本当?」
「もちろん。俺は嘘をつかない」
「うん……ありがとう」
兄様はいつでも本気だ。
私とおそろいにするためだけに髪を切ってしまうくらいに。
じっと見つめられて綺麗になったと言われ、
その言葉が髪だけでなければいいのにと思ってしまう。
……好きになってはいけないのに。
それに気がついた時にはもう兄様しか見えていなかった。
兄様が私に優しいのは従妹でこの境遇に同情してくれているからなのに。
勘違いしてしまいそうになって、何度も自分に言い聞かせる。
好きになってはいけないんだって。
それから半年して、レイモン兄様とアドルフ様は卒業した。
それと同時にアドルフ様が王太子になることも発表された。
伝統派から反発があると予想していたが、
意外にもイフリア公爵家や側妃の生家からも異論はでなかったらしい。
第二王子の性格では王太子になるのは無理だとあきらめたのだろうか。
そうして私が高等部に入学する日が来た。
馬車に乗る私とジェラルド兄様を伯父様と伯母様が見送ってくれる。
「ジュリアンヌ、何かあったら迷わずジェラルドに言うんだよ?」
「そうよ。すぐに言いなさいね?」
「わかっているわ。伯父様も伯母様もそんなに心配しないで」
「心配もするよ……ああ、第二王子に何か言われも言い返してかまわない。
陛下から関わらなくていいと書面で確約してもらってある」
「え?そうなの?」
「ああ、だから安心して避けていいから。
ジェラルドの話を聞く限り、話してわかるような性格ではないだろうから」
「父上、大丈夫。俺が近づけないから」
「そうだな。ジェラルドに任せれば大丈夫だな。
それじゃあ、二人とも気をつけて行っておいで」
「はい。行ってきます」
馬車に乗った後も二人は手をふって見送ってくれる。
なんだか大げさだなと思ったけれど、あの事件以来、初めて馬車に乗るのを思い出した。
「大丈夫か?少し顔色が悪い」
「……うん、久しぶりに馬車に乗るから少し緊張して」
「嫌なら休んでもいいんだ」
「いえ……いつまでも隠れているわけにはいかないわ」
「そうだが……無理はさせたくない」
「大丈夫よ。ジェラルド兄様がいてくれるのでしょう?」
「ああ。それでも不安だよ。ジュリアンヌを外に出すのは」
「仕方ないわ。学園には通わなくてはいけないのだから」
心配する兄様を安心させるように言うけれど、
不安を抱えたままの私の言葉では安心させることは難しい。
学園の門をくぐり、馬車着き場に止まる。
「行けるか?」
「……行くわ」
先に降りた兄様の手を借りて馬車から降りる。
周りにいた学生たちの視線が集まるのがわかった。
「あれ、ジェラルド様が令嬢と来ているぞ」
「本当だ。婚約したとは聞いていないぞ」
「……金色の髪?まさか……」
「あの令嬢って、イフリア公爵家の?」
「幻の姫君って……生きていたのか」
兄様と一緒にいるのが私だと気がついた学生たちが興奮している。
あまりのことに声を抑えられないのかすべて聞こえている。
「気にするな」
「……仕方ないわよね。騒がれるのはわかっていたわ」
「教室まで一緒に行こう」
「ええ」
一学年の教室まで知らない学生に案内を頼む気にはなれない。
教室は爵位順に三つにわけられているそうだ。
私の教室は一番上の教室。
この学年に王族はいない。
レドアル公爵家の私とイフリア公爵家のシュゼット様。
侯爵家はいないので、伯爵家の中でも上位の貴族家と一緒になる。
教室にはまだシュゼット様は来ていないようだ。
黒髪の令嬢がいないことにほっとする。
「授業が始まるまで一緒にいようか?」
「大丈夫よ。そんなことをしたら兄様が遅刻になるわ」
「そんなことは平気だ」
「いいから。これから毎日通うのよ。心配しないで」
「……わかった。昼には迎えにくるから」
「ええ」
心配そうな顔をして兄様は教室から出て行った。
もうすぐ授業が始まる。
それなのに教室の席は半分もうまっていない。
初日なのに遅刻する人が多いのかしら。
そう思っていたら、集団が教室に入って来た。
その中心には黒髪の令嬢。
その色を見て、身体が硬直しそうになる。
……大丈夫、おちついて。
シュゼット様に何かされるわけじゃないわ。
ゆっくり呼吸をして気持ちを落ち着かせようとする。
「あら。見かけない人がいるのね」