作品タイトル不明
フレアベル・ニーズベルト⑨
フレアさんが告げたのはイルネスさんがかつて魔界で救済者と呼ばれていたという話。この場合のかつてというのは、つまり六王や爵位級というものが広まる前ということだろう。
「 戦友(とも) やリリア公爵も多少は聞いたことがあるだろうが、昔の魔界……六王様や爵位級という制度が生まれ秩序がもたらされるまでは、弱肉強食と言っていい時代だった。戦闘力こそがすべてといっていいような、そんな時代だ」
「昔、王城にあった歴史書で少し読んだ覚えがあります」
「俺もそこまで詳しくは知りませんが、話に聞いたことぐらいは……」
リリウッドさんもアリスが魔界に秩序をもたらすまでは、力こそ全てと言っていいような時代で、あちこちで小さな小競り合いが発生していたと語っていた。
詳しくは聞いたことがないが、なんとなく殺伐としていた時代のように想像している。
「我は当時戦いに明け暮れていて、さほど情報通というわけでは無かった。しかし、そんな我の耳にも届くほど有名な魔族というのも存在していたのだ。例えば、現在の冥王であるクロムエイナ様。当時の魔界を知る者の中で、あの『魔界最強』と呼ばれていたあの方を知らぬ者は居ない」
確かそのころというと、クロが現在の六王の人たち……アイシスさんやメギドさんとかと一緒に暮らしていたころだったはずだ。
「当時の魔界の在り方もひとつの形と受け入れて見守るというスタンスではあったが、あのお方がその気になれば魔界の覇権など容易く掴みとれると皆が理解していた。故にクロムエイナ様が当時住んでいた魔界の中央、現在は禁忌の地と呼ばれる場所は、一種の不可侵領域のような扱いだった」
実際当時は助けを求められたり、抗争の仲介を頼まれたりすればそれを行っていたらしいが、それ以外に関してはクロは基本的に干渉せずに見守っていることが多かったみたいだ。
クロに直接聞いた話では、当時はクロはいまよりももう少し思考がシロさん寄りだったというか、基本的に自ら動いて変化をもたらそうという気にあまりならなかったらしい。
神界との戦い以降はいろいろと吹っ切れたみたいで、魔法具商会を作ったりといろいろなことをやり始めたとの話だ。また機会があれば、クロに当時のことを詳しく聞いてみるのも面白いかもしれない。
「他にも何名かよく噂される魔族は居て、救済者イルネスもそのひとりだった。魔界を旅しては弱者を救い、見返りも求めず聞かれぬ限り名乗ることすらなく去っていく。弱き者にとってはまさに救世主といえる存在ではあった」
「なんというか、イルネスさんらしいですね」
「たしかに、いまと変わらない感じですね」
フレアさんから聞いたイルネスさんの話が、本人のイメージと合っていたこともありリリアさんと顔を見合わせて苦笑した。
「……六王や爵位級が生まれ、魔界に秩序がもたらされていくにつれ噂は聞かなくなったが、まさか人界でメイドをしているとは予想していなかったのでな、率直に言って少々驚いた」
なんだろう? いまフレアさんは俺たちの方を見て一瞬悩むような表情を浮かべた気がしたが、本当に一瞬だけでフレアさんはすぐに表情を戻して微笑みながら話を締めくくった。
不思議な感じだ。話を聞く限りでは、優しいイルネスさんらしい行動に思えるはずなのに……なにか、少し、本当に少しだけ引っかかるような、そんな気がした。
快人とリリアの反応……ふたりがイルネスを非常に好意的に思っていることを察し、ニーズベルトはあえてとあることを口にしなかった。
(……実際の真意は本人にしか分からぬ以上、我が勝手な推測で不安を煽ることもないだろう)
ニーズベルトの頭には、かつての魔界で聞いたイルネスの噂が思い浮かんでいた。多く噂に聞いたのは救済者という呼び名だった。
だが少数ではあるが、別の呼び方も耳にしたことがある……その呼び名は、『傲慢なる虚無』。見返りを求めることなく、礼の言葉すら受け取らない……他者になにひとつ求めていないにもかかわらず、己の基準のみで弱者を判断して救済する。
(実際我も当時噂を聞いた時には、不気味に感じたものだ。どこで、誰かを救ったとそんな情報しかなく、それ以外はなにも伝わってこない。まるで弱者を救うという術式で動いているゴーレム如く、思惑も目的も不明な虚無のような存在……)
ある意味では己以外すべてを塵芥としか考えていないような、己自身の基準のみしか信じていないような、そんな傲慢ともいえる存在であり、一部の魔族がイルネスを不気味な存在だとも感じていた。
実際分からないのだ。イルネスがなぜ弱者を救っていたか、なんの目的で魔界を旅していたか……一部の者はそんな虚無といえるイルネスを不気味に感じていた。ニーズベルトもそのひとりである。
もっとも大多数は、彼女を心優しき救済者と認識していたのだが……。
っと、そこまで考えたところでふいにニーズベルトは小さな笑みを浮かべた。
(……だが、まぁ、それも所詮は噂でしかなかったというわけか……少なくとも先ほど会った彼女は、虚無と呼ぶには程遠い存在だった。そしてなにより……ずいぶんと『幸せそうに見えた』)