軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十章18 『夢を見た』

――その存在が街路に降り立った瞬間、呼吸が止まった。

誰の、ではない。止まったのは、世界の呼吸だ。

機会があって話したヴォラキア帝国の最強は、その埒外の強さを支える信念を知りたがるガーフィールに、こう語った。

『すなわち世界とは舞台! 日の光も風の音も大地の香りも緑の芳醇も全ては役者を輝かせるための演出装置に過ぎません。では何故世界はそうまでして役者たちを華やかに彩り豊かに飾り立てるのか? それは他ならぬ世界こそが最も役者たちの立ち回りに演技に名台詞に名シーンに期待を昂らせる超・大・ファンだからなんですよ!』

その思想はかなり常識を割っていて、正直相当に理解に苦しむところがあった。

が、今この瞬間だけは、あの『青き雷光』が声高に語った理屈の一端を理解できるような気がする。――世界が、観劇を楽しむように人々を見ているということを。

だからこそ今、世界が呼吸を止めたのがありありとわかったのではないか。

「――――」

背後、貴族街と平民街とを隔てる高い防壁を背負ったガーフィールたち、その正面に伸びた道の先に立ちはだかるのは、燃えるような赤毛と空色の双眸を持った一人の男だ。

立つ、ではなく、立ちはだかる。――そう、男は立ちはだかっていた。

「ラインハルトさん、ですか。……思いつく限り、最悪の追っ手ですね」

「僕もそう思うよ、オットー。こんなことになって残念だ」

驚愕の衝撃、そこから最初に自我を取り戻したのは、さすが陣営でトップクラスの肝の太さを持つオットーだった。

そのオットーでさえ感情を押し殺し切れない呟きに、応じた男――『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアは、追っ手という形容を否定しなかった。

彼は腰に下げた『龍剣』の柄に手を置いたまま、その双眸をわずかに細め、

「王城より、君たちの捕縛命令が下った。投降するよう求める」

「断ったら、力ずくですか?」

「そうなるね。本意では……いや、僕の気持ちは関係ない」

「ですね。問われるのは心の在処じゃなく、行動の結果だ」

言いながら、オットーは徐々にその全身の緊張感を高めていく。一方、ラインハルトの方は現れた瞬間から、纏っている空気に一切の変化は起きない。

すでに、自分がどう行動するかは決め切っている。そして、一度そうすると決めたなら、その意志を貫徹するし、できてしまうのが『剣聖』というものだ。

「――ラインハルトさん、でしたね。王城から命令を受けたというお話でしたが、姉様やエミリアさんがどうなっているか、ご存知ですか?」

そこへ、ガーフィールの斜め後ろからレムがそう声を発した。

前に出たガーフィールとオットー、その後ろに立つレムは、とっさに肩を寄せ合ったペトラとメィリィを腕で庇いながら、気丈にラインハルトを見据えている。

そのレムの問いの答えは、ガーフィールも知りたいところだ。――すぐに王侯館を離れる決断をしたオットーは、この事態を予想していたのだと思うが。

「残念ながら、城内では二人とお会いしていない。ただ、城に呼び出された経緯はわかっている。おそらく、身柄を拘禁されているだろう」

「乱暴なことをされては……」

「いない。少なくとも、王国兵の側からそうした振る舞いはしないと断言できる。エミリア様もラムさんも、不用意に騒ぎを広げる判断はされないはず」

「――そう、ですか。お答えいただけたことには、感謝します」

チクリと、ガーフィールたち的には安心する情報をもらった最後にも、そうした毒を付け加えることを忘れないレムに、ラインハルトは片目をつむる。

だが、真理はオットーの言ったことにある。重要なのは心情より、行動だ。

「ラインハルトさん、この状況は明らかに仕組まれています。ナツキさんとクルシュ様への嫌疑、僕たちエミリア様の陣営の封じ込め……フェルト様も、安全圏ではありません。それでも――」

「――僕は『剣聖』だ」

「――――」

「王国の、剣としての役目を帯び、課された役割を果たす。重ねて警告する。投降してほしい。王城へ連行されても悪いようにはしない。僕もできるだけのことを――」

「今、ここに立つあなたの言葉に、どれほど説得力があると?」

表情と声の調子を一定にしたまま、投降を呼びかけるラインハルトにオットーの断固たる答えが突き刺さる。

それはオットーだけでなく、ガーフィールも含めた五人の総意だ。

ラインハルトがどれだけ言葉を弄そうと、彼はこちらの道を塞ぐよう立っている。

「――。どうやら、君と友人にはなれなそうだ」

「そうですね。そうなる気がしていましたよ」

それが、オットーとラインハルトとの、相手の考えを曲げるための話し合いの決着。

これ以上言葉を尽くしても無意味だと、奇しくも両者は息の合った結論を出した。

事実、オットーの判断は的確だ。

ラインハルトが追いついてきた以上、ガーフィールたちがこの場にいることは王城側にも知られている。追跡者が増えれば逃げ道はなくなるし、あのマーコスまで動くようなことがあれば、ますますその可能性は狭まるだろう。

「他の兵はこない。包囲は命じてあるが、ここには僕だけだ」

「……それは、どうしてかお聞きしても?」

「無駄な負傷者を出したくない。兵たちの練度を見くびるつもりはないけれど、君たちを侮るつもりもない。僕がこの任を引き受けた理由もそこにある」

「私たちが、兵士の方たちを傷付けないために、ですか」

「それと、君たちが傷付けられる事態も防ぐためだ。僕ならば、それができる」

窓口を閉じたオットーに代わり、やり取りを続けたレムにラインハルトが答える。その答えが発された瞬間、ビリビリと世界が粟立つ感覚が王都を駆け抜けた。

ラインハルトの意思は、信念は、痛いほどに伝わってきた。

しかし、だが、全くもって、それは、お話にならない。

「――散ッ々よォ、オットー兄ィとレムの話を黙って聞いてッたんだが、てめェの言ってることにゃ頷けねェことがあんぜ、オイ」

「頷けない?」

バキバキと拳の骨を鳴らし、ガーフィールは両腕に銀の籠手を装着する。そのガーフィールの姿勢に目を細める『剣聖』に、「あァ」と牙を噛み鳴らした。

ラインハルトが単独で、ガーフィールたちを押さえにきたことの意図はわかった。

余計な怪我人を出したくないという考えは、ガーフィールも同意見だ。

だとしても、気に入らない。

何故なら――、

「侮らねェってわりにァ、一個考えが抜けてんじゃァねェのか? ――ここでッ! てめェが! 俺様に! ぶっちめられるって考えがよォ!」

瞬間、咆哮するガーフィールが街路を踏み切り、ラインハルトへ飛びかかる。

その踏み出すガーフィールを見て、ラインハルトの双眸を過ったのは、驚きや警戒の色ではなかった。

「――――」

過ったのは、ガーフィールの決断を受け止める苦渋の色だ。

明らかに間違った選択をした相手、花瓶を割った子どもが親に謝るのではなく、花瓶の破片を土の下に埋めるのを見てしまったような、そんな憐憫の眼差し。

その、悲痛な色を瞳に宿したラインハルトに、ガーフィールが拳を叩き付ける。

それはかつて、ガーフィールが初めてラインハルトと遭遇したとき、その存在に圧されて、条件反射的に飛びかかったプリステラでの一合と同じ形だ。

打ち下ろされるガーフィールの一撃に、ラインハルトが右腕を掲げる。その広がった五指に剛拳が掴み取られ、軽々と受け流しが――、

「――っ!?」

――発生しない。

「おおォォォォ――ッ!!」

吠えるガーフィールが全身を躍動させ、力が外に流されるのを無理やりに拒否。受けたラインハルトの腕で衝撃が炸裂し、その『剣聖』の白い服の袖が弾け、受け流せなかったエネルギーが彼の足下を蜘蛛の巣状にひび割れさせる。

そして、自分の想像を超えた一撃に瞠目するラインハルトに、ガーフィールは「ハッ!」と剥いた牙を見せつけるように笑い、

「いつまでも、自分以外がとぼッとぼ歩いてると思ってんじゃァねェ!!」

畳んだ両膝を伸ばしたドロップキックが、両腕を交差したラインハルトの中央にぶち込まれ、発生する衝撃波が猛然と王都の一角を荒れ狂う。

――その開戦を、世界が手を叩いて快哉するのを聞いた気がした。

△▼△▼△▼△

始まってしまった戦いを、ペトラは小さな手を握りしめて見据え続ける。

咆哮するガーフィールの怒涛の猛攻、それはまさに獣の荒々しさそのもので、腕も足も爪も牙も、あらゆる部位を武器に相手の喉笛に喰らいつく猛々しさがあった。

その、ほとんど目で追い切れないガーフィールの圧倒的な手数を、しかし相対するラインハルトは掲げた腕で、身躱しで、大部分を受け流していた。――だが、受け流せているのはあくまで大部分であり、逸らし切れない余波はその外側に届き得る。

「ガーフさん、すごい……戦えてる……っ」

思わず、ペトラの唇からこぼれるのは、奮戦するガーフィールへの称賛だ。

ペトラも王国民の一人であり、『剣聖』ラインハルトの規格外さは一介の村娘だった頃からその耳に届いていた。それこそ王国では、国王の名前は知らなくても、『剣聖』ラインハルトの名前は知っているとされるほど高名な存在だ。

かつて、今のペトラよりも幼い年齢の『剣聖』が、ルグニカ以外の三大国が同時に王国への浸透を狙った事件の折、この野望を単独で打ち砕いた功績は多くの王国民の心を希望で打ち、今代の『剣聖』の凄まじさを民草に叩き込んだ。

ペトラの故郷であるアーラム村でも、そんな『剣聖』は少年たちの憧れの的であり、ペトラも夢見る少女の一人として、ロマンティックなシンデレラストーリーを思い描いたことがないわけではない。――もっとも、ペトラにとっての王子様は、数々の美辞麗句で噂される『剣聖』と全く違う、最高に素敵なだけの少年だったのだが。

ともあれ、そうした生ける伝説とされた『剣聖』ラインハルトと、王選の対立陣営という形で縁の繋がったペトラにとって、かの人物の埒外さは想像以上、噂で聞いた内容など本物を前には子どもの拙い妄想の産物でしかない。――プレアデス監視塔からの帰路、実物を目にしたペトラはそれを肌で味わった。

だから、その尋常でない存在と、真っ向から勝負に持ち込んでいるガーフィールのすごさに、ペトラは場違いな感動と、誇らしさすら覚えるのだ。

「く、誰も耳を貸してくれない……っ」

ギリ、とそう歯を食い縛るのは、意識を周囲に満遍なく散らすオットーだ。

ガーフィールとラインハルトの戦いにも意識を割きながら、オットーは『言霊の加護』を用い、状況を打開する手立てを探ろうと必死になっている。

しかし、彼の呟きが示すのは、頼れる生き物の不在――基本、どの土地でも抜け目なく協力者ならぬ協力存在を作っている彼の、その根回しが不発に終わった事実。

そもそも、この場所でラインハルトに追いつかれたのも、彼曰く「虫に騙された」ことが原因だ。だが、虫が悪意を持ってオットーを騙し、罠にかけたとは考えにくい。

すなわち、あるのだ。――相手方に、オットーと同じく、あるいはオットー以上の強制力を持って、虫たちを従える方法が。

それこそ――、

「――メィリィちゃんの、加護みたいに」

ピタリと、肩が触れるほど身を寄せ合ったメィリィを視界の端に、ペトラはオットーを謀った相手の手口をそう予想する。

オットーの『言霊の加護』は多岐にわたった活躍をしているが、それは加護の性能というより、使いこなすオットーの有能さの比重が大きい。

『言霊の加護』はあくまであらゆる生き物と話せるようになるだけで、相手に協力を取り付けられるかどうかは、オットー自身の交渉力・調整力の賜物なのだ。

これまで、ペトラたちはその部分を完全にオットー個人の能力に依存していた。

もしも相手に、メィリィが魔獣を操れるように、問答無用で生き物を従えるような手段を持つものがいたなら、その優位性は容易く失われるものであったのに。

「ペトラちゃん、いざとなったらあ……」

「――絶対にダメ」

すぐ傍ら、メィリィが囁きかけた言葉をペトラは強く遮った。

彼女が提案しようとしたのは、『言霊の加護』に頼れない現状で、ペトラたちが状況を動かせる手立ての用意――つまるところ、メィリィの加護を頼ること。しかし、それは確かに状況を動かせる一手であると同時に、あまりに鋭い諸刃の剣。

「メィリィちゃんが魔獣を呼んじゃったら、もう引っ込みがつかない。魔女教で悪者のスバルが、『魔獣使い』のメィリィちゃんを仲間にしてた。エミリア姉様も『魔女』……『嫉妬の魔女』と関係してるって、そう思われちゃう」

「でもお、『剣聖』のお兄さんまできてるのよお? とっくにお城の人たちは……」

「ううん、違うの。そう思われちゃいけないのはお城の人たちじゃなくて、王都の……王国の人たちなんだよ」

「――――」

「わたしたちがスバルを信じてるのとおんなじ風に、スバルとエミリア姉様に助けられた人たちは、こんなのおかしいって思ってくれるはずだもん。わたしたちは、その可能性をちゃんと残せるようにしなくちゃいけないの」

今、この瞬間が危機的状況にあるのは確かだが、この場をしのぐことだけを優先して手段を選ばなくなれば、それだけ相手に手札を渡すことになる。

それがあるから王侯館から脱出するときにも、ガーフィールやレムの力を当てにした力業での突破をしなかったのだ。

ペトラたちが――否、エミリア陣営の危険性を示せば示すほどに、追われるスバルの、城にいるエミリアの立場が悪くなる。

それは、避けなくてはならない。

「……歯痒いわあ」

ペトラの言葉の意味を噛みしめて、メィリィが悔しげに唇を噛む。そのメィリィの頭の上では、小紅蠍もその心情に同調するようにシャキシャキ鋏を鳴らしていた。

力があるのに、振るうことを止められる。それはペトラとは違う意味での無力感で、噛みしめた歯痒さの味も違うものだろうけど。

「見てなくちゃ」

メィリィやオットーのような、加護者であるが故の懊悩は自分にはない。だからこそ、浮かびたがる余計な選択を削除して、ペトラはただ一個の答えに集中できる。

何ができるか、まではわからない。でも、その『何か』があったとき、それを見過ごす自分でいないために、ひたすらに意識を集約する。

それがペトラ・レイテの、『剣聖』と戦う覚悟の表れなのだから。

△▼△▼△▼△

視界は狭く、音は遠く、匂いは鋭く、痛みは高く、血の味はおぼろげに、ガーフィールという一個の命は無我夢中で白熱する。

相手の予想を上回り、およそ完璧なスタートダッシュを決めて始まった衝突。

ガーフィールの剛腕が、猛脚が、獣爪が縦横無尽に荒れ狂い、正面に立つラインハルトを防戦一方、その場に釘付けにすることに成功している。

それは、プリステラでの小手調べや手合わせの機会に手も足も出ず、文字通りの赤ん坊扱いされて負けたときとは比較にならない戦果だった。

「あんときゃァ、庭に敷いた砂利の上ッから動かすこともできなかったが……」

「――っ」

「今度ァ、そォはいッかねェ!!」

真後ろに引き絞った両腕を同時に突き出し、渾身の一撃がラインハルトの胸部へ迫る。それをラインハルトは腰の『龍剣』を引き上げ、その強固な鞘で受け止めた。だが、衝撃の全てを散らし切ることはできず、足が浮き上がり、大きく一歩、下がる。

ラインハルトを、豪打の連続によってその場から動かした。――それはあの日に力の差を思い知らされたガーフィールにとって、何よりの勲章。

それをラインハルトも痛感したのか、微かに頬を硬くした『剣聖』が顔を上げ、

「腕を――」

「上げたッとでも言いてェかよォ!?」

「まさに、それを言おうとしたよ」

称賛は言葉ではなく、他ならぬ勝利でもぎ取らんとガーフィールは踏み込む。

一撃に相手が下がったということは、ガーフィールの攻撃力は、ラインハルトに微風以上のものとなって届くということだ。――無論、ガーフィールはこの善戦を、自分がラインハルトを実力で上回った証などと勘違いしない。

「――腹のッ立つ話だがよォ」

追っ手として立ちはだかったラインハルト、しかし彼がガーフィールたちを、さらに言えばスバルやエミリアと敵対するのを快く思っていないのは明らかだ。

ラインハルトは『剣聖』として、王城の命令に従っているに過ぎない。その上、負傷者を出さないよう、他の兵たちも連れてこない徹底ぶり――その破滅的な戦闘力を自ら封印して、今もガーフィールと相対している。

言うなれば、ガーフィールは気力・体力共に充実した最強状態で、ラインハルトはモチベーションも低ければ、周りの被害も考慮して自分を縛った最弱状態。

だからこそ、この攻防に奇跡的な拮抗が生じていると言えるのだ。

「――本ッ当に、腹のッ立つ話だがよォ」

勝ちたい。ガーフィールは勝ちたい。

相手に言い訳の余地を一切許さずに、前は手も足も出なかった強い相手に、めちゃくちゃな成長線を描いて伸びまくって勝ちたい。

『さすが、ガーフィール。勝ってくれると思ってたぜ!』とスバルに言われたいし、『今回は助かりましたよ、ガーフィール』とオットーに感心されたい。『驚きましたわ、ガーフ。もう、すっかり大人ですのね』とフレデリカに認めさせたいし、『やはー! ガーフ、すごー! めっちゃつよー!!』とミミが騒ぐのは快いだろうし、『ハッ、やるじゃない、ガーフ』とラムに褒められたい。みんなに、笑ってもらいたい。

――その、自分の中にある勝利を求める貪欲な心を噛み砕いて、この瞬間の、何一つフェアじゃない『剣聖』とのリベンジマッチに魂を燃やす。

「――がおおぉぉッ!!」

上に、下に、右に、左に、前に、後ろに、表に、裏に、天に、地に、躍動するガーフィールが跳ね回り、踏みとどまるラインハルトを四方八方で足らず、十六方三十二方から鼠の通り抜ける隙間もないほどに猛襲を叩き込む。

轟き渡る打撃音は連打される太鼓よりもなお速く、重く、大きく、途切れることなく王都の平穏を打ちのめし、断ち割り、噛み砕かんとする。

だが、それは当然だ。必然だ。宿然だ。

ここにある王都の平穏は、嘘なのだ。偽りなのだ。ハリボテなのだ。

この下ではスバルが、裏ではエミリアが、陰では自分たちが、脅かされている。

その形ある理不尽な脅威として立ちはだかったラインハルトを――、

「ぶっ潰れろやァァ――ッ!!」

放たれた渾身の右、それを持ち上げた鞘でラインハルトが受けた瞬間、ガーフィールは軽く上げた左足の膝を回し――強く、地面を踏みしめた。

刹那、ガーフィールがここまでの猛攻の中、一度として表出させなかった大地の力――『地霊の加護』の効果で溜め込んだエネルギーが、一気に膨れ上がる。

――ここまで、ガーフィールは全力の攻撃を延々叩き込みながら、決して『地霊の加護』を攻撃に転用し、ラインハルトの足場を揺るがすことをしなかった。

あくまで、加護の効果は自身の肉体の強壮にのみ用いり、切り札を温存した。

この瞬間、ラインハルトを足場から浮かせる、その一手のためだけに。

さしものラインハルトであろうと、その体を宙に打ち上げられれば、落ちてくるのは自由落下に任せる以外にない。踏ん張りも利かない空にあるなら、ガーフィールの追撃でダメージを与えることも、あるいは逃げに徹することも可能のはずだ。

故に――、

「こォこォでェ――」

「――本当に、腕を上げたね」

その、膨れ上がる真下からのエネルギーを、ラインハルトが真上から踏み潰す。

「――――」

瞬間、噴出寸前だった力が行き場を失い、ラインハルトの靴裏を中心に八方へ広がった。街路がひび割れ、めくれ上がり、王都の一角を破断させながら威力が逃げ、戦場の周囲にある建物が、次々とその爆発的なエネルギーを浴び、崩壊する。

その光景に、ガーフィールは翠の目を見開き――、

「一帯の住民は避難済みだ。――心配はいらない」

一閃、視界の端から端へと奔った光と衝撃、それがガーフィールの体を斜めに穿ち、その上体を頭から地面に打ち落とした。

「か」と苦鳴が漏れ、今しがた隆起する大地を踏み潰したときの亀裂をなぞるように、さらに大きく太いひび割れが街路に生じ、半円状のクレーターがそこに生じる。

帝国で、ガーフィールは『雲龍』の一撃にさえ真っ向から抗った。無論、無事では済まなかったが、それでも耐えた。――そのタフネスが、耐えられない。

「――ァ」

全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、内臓が沈黙を選んだのがわかる。

あまりの威力に体がパニックを起こして、視覚が味を、聴覚が痛みを、嗅覚が色を、味覚が音を、触覚が匂いを伝えようとして、何一つ理解と繋がらない。

痛いのか、苦いのか、錆臭いのか、うるさいのか、何が起きたのか、わからない。

その全部がわからなくなるほど致命的な一発を浴びた。浴びた。浴びた浴びた浴びた浴び浴び浴び浴び浴び浴びあびあびあびびびびび――。

「――っ」

ぐるぐると、意識が掻き混ぜられ、引き裂かれ、散り散りになりかける。しかし、そんな中にあっても、すぐ傍で誰かが息を呑んだ感覚はわかった。

息を呑み、目を見張ったのは赤い男だ。青い目の男だ。止めるべき相手だ。――その相手の、手刀を放った右腕を、両腕で抱え込んで離さない。

これだけは、やると、決めていた、ことを、やる。やった。やらねば。

「ァおォおおおォ……ッ」

「ガーフィール、君は――」

心臓の中の空気を絞り出され――心臓? 胃? 空気の容れ物はどれだ? どれでもいい。とにかく、空気袋の中身が空っぽになっていても、吠える。吠えた方が力が入る。力が入れば、この腕を逃がさないで済む。

逃がさないで済めば、それを――、

「うああああ――!!」

――見逃さずに、自分の信頼する緑色の『何か』がちゃんと動いてくれる。

「――――」

腕を掻き抱かれたまま、声に気付いた赤い男が前を向く。そこに形振り構わず突っ込んでくる緑色の『何か』に、赤い男の双眸を警戒が満たした。

何をするのか読めない。何を仕掛けてくるのかわからない。何をしでかすつもりか察せない。その間にも、緑色と赤色との距離が迫り、迫り、迫り、迫って――何も起こらないままに、緑色と赤色との距離がゼロになる。

「まさか、何もない?」

「それが一番、あなたの油断が誘えるでしょう……?」

片腕を封じられたまま、もう片方の腕が振るわれ、それが緑色の顎先を掠める。

何も持たずに、真っ直ぐ突っ込んできた緑色はその一撃を浴び、為す術なく行動力を奪われ、倒れ込む以外にない。その倒れ際に、呟く。

「――いま」

唇が、音にならない音を発したと思われるような思われないような。

理解の外側にあるあらゆる現象が、ただ右から左に流れていくのを情報として受け取りながら、ガーフィール――そう、ガーフィールだ。自分はガーフィールだと自認する脳がそれを受け取って、情報を処理する。

赤色がいて、緑色が倒れて、ガーフィールがいる。

そこへ――、

「合わせてっ!」

「小紅蠍ちゃあん!」

空を、二条の白い光が奔り、それが緑色が倒れて開かれた射線上を通り、真っ直ぐに赤色へと突き進む。

音らしい音はなく、その二条の光は矢よりも速く赤色に――右腕を封じられ、左腕を振り切った姿勢の赤色に、迫った。

「驚いたよ」

だがそれを、赤色は緑色を打ち倒した左腕の肘を使い、腰に下げた白い鞘の剣を半回転させることで、ちょうどよく光を真横から打ち払う。

水飛沫のような音を立てて光が弾け、赤色のラインハルトに届くはずだった攻撃――ペトラとメィリィの合わせ技が防がれた。

ガーフィールの捨て身、オットーの挺身、ペトラとメィリィの不意打ち、そのいずれもラインハルトに届かぬまま――、

「――――」

――猛然と回転する棘付きの鉄球が、ラインハルトのど真ん中へぶち込まれた。

△▼△▼△▼△

息を殺し、全身全霊をたったの一瞬につぎ込むため、レムは己に一切の無駄を禁じた。

力を削ぐことになりかねない動揺や感情の揺れ、意気込みすぎることで目的をブレさせないよう様々な思考を割り切り、たったの一投に文字通りの全てを投入する。

ガーフィールが挑み、オットーが謀り、ペトラとメィリィが乗じる。

それでも突破することの叶わない、圧倒的な壁たるラインハルトを抜くには、自分が戦力外として扱われている屈辱さえ武器として利用しなくてはならない。

それらの心理的要素を全部呑み込んで、レムはその一投に全力を注いだ。

「はああぁぁ――っ!」

真っ直ぐ、伸びていく鎖の音色を奏でながら、空気を殴り殺して空を奔った棘付きの鉄球――モーニングスターが、ラインハルトの胴体へと迫る。

当たり前だが、この重量と硬度の凶器が直撃すれば、人体などただでは済まない。それでもレムが一切の躊躇を切り捨てたのは、相手の規格外さへの信頼だ。

たとえ、万全の状態で後ろからこれを頭に喰らわせたとしても、ラインハルトが命を落とすようなことはないだろうという、ステージの違う相手への畏敬と信頼。

それを込めた黒い鉄球が、ラインハルトの胸の中央に吸い込まれ――、

「――っ!?」

当たる、と思った直後、レムは自分の右肩に脱臼しかけるほどの衝撃を浴びる。

「なにが――」

あったのか、と目を剥くレムの視界、鉄球を直撃されるはずだったラインハルトがその場で、高々と長い足を振り上げていた。――否、違う。蹴り上げた足だ。

その、天に伸びた足の先を辿れば、レムの放ったモーニングスターは一蹴され、目にも留まらぬ速度で空に吹っ飛ばされていた。その鎖が伸び切った衝撃が、レムの体にまで伝い、危うく肩を破壊するところだったのだ。

「――ぁ」

痛みが肉体を引き裂く前に、事実を理解した心が引き裂かれそうになる。

失敗した。ガーフィールが死力を尽くし、オットーがあえて無策を装い、ペトラとメィリィが目眩ましとなって、本命のレムのために道を整えてくれたのに。

この場にいる五人が一丸となった、ただ一度のチャンス、それは――、

「届かな――」

「――いいえ、届かせます」

――刹那、嘆きを塗り潰したのは、レムの耳が知らない男の声だった。

「――――」

その場の全員が息を呑み、不意打ちのように届いた声の方を振り向く。――その声の主は両手に銀光煌めく双剣を握った、白髪の執事服の男で。

全身から、おびただしい剣気を溢れさせながら、男は言った。

「我が主をお救いする一手がため、『剣鬼』ヴィルヘルム・トリアス――助太刀いたす」と。

△▼△▼△▼△

口上のあった直後、始まった刹那の攻防が全てだった。

「――お祖父様」

驚きと沈痛、それを交えた呟きが漏れた瞬間、ラインハルトの揺れる双眸の中で、身を前に傾けた『剣鬼』――ヴィルヘルムが弾丸疾駆する。

砕かれ、めくれ上がった街路を蹴り、ヴィルヘルムは瞬く間に自分とラインハルトとの距離を消滅させると、双剣を腰溜めに銀閃を構えた。

それが放たれる前の、届かせる前の、ほんの些細な間隙に、乗じる。

「どッこ見てんだァ、オイ」

目を血走らせ、右腕を全力で抱え込んだままのガーフィールが、べったりと半身をくっつけたままの地面を膨らませ、隆起する街路がラインハルトに襲いかかる。

練りが甘く、照準もぼやけたそれは、やたら滅多に数と範囲だけを多く広く取って、何とか当たれとばかりにぶっ放された闇雲な攻撃だ。だがそれを、ラインハルトは引き戻した左腕を振るい、半円状に薙ぎ払う。衝撃波が生まれ、破片が散った。

そこに、踏み込むヴィルヘルムの斬撃が――、

「あああぁ――!!」

それより速く、高い声を上げたレムが右腕を力一杯に振り下ろしていた。――その額から淡い光を纏った角を生やし、肉体の限界を超えた駆動を可能とした鬼の娘が、一度は蹴り上げられた鉄球を引き止め、もう一度真上から打ち落としたのだ。

注目が隆起した大地に、間近に迫る『剣鬼』に、奪われていたラインハルトにとって、一度しのいだはずの中天からの攻撃は極まった不意打ちであったはず。

しかし――、

「ここまでできるのか、君たちは」

そう呟いたラインハルトが、落ちてきた鉄球を『龍剣』の鞘で受け止めている。

ペトラたちの攻撃を防いだときに腰から外れた剣、それをガーフィールの大地の隆起を防いだ左手に握らせるように蹴り上げ、鉄球に合わせたのだ。

ここまでの攻撃を全て、ただ超人的な反射神経で防ぎ切る異常な戦闘力。

だが、それでも、ようやく、

「りあぁぁぁぁ――ッ!!」

地を割るような裂帛の気合いと共に、『剣鬼』の双剣が銀光となって奔る。

ここまでの、不意打ち狙いの数々の攻撃とは比較にならない、ひたすらに剣に打ち込んできたものだけが至れる境地、それが宿った剣撃が『剣聖』へと迫る。

『龍剣』を握った左腕は鉄球を受け、右腕はガーフィールに封じられている。――今度こそ、その剣閃を防ぐ手立てはないと、そう思われた。

――ゆっくりと、ガーフィールの体ごと右腕が構えられなければ。

「――ァ」

腕にガーフィールをしがみつかせたまま、ラインハルトはヴィルヘルムを薙ぐ気だ。かといって、ガーフィールにそれを止める手立てはなく、ここで腕を解放したところで、自由になった手刀がヴィルヘルムを正面から迎え撃つだけ。まだ、ガーフィールがラインハルトの鈍器になっている方が不自由ではある。

だがしかし、ガーフィールが武器扱いでヴィルヘルムと衝突すれば、頼もしい援軍が入ったことによる千載一遇の好機が失われ――、

「――――」

刹那、ガーフィールとヴィルヘルムの視線が交錯し、本能が悟る。

そしてそのヴィルヘルムの決断を、ガーフィールはよしこいと受け入れた。

『剣鬼』の断固たる覚悟、その答えは――、

「――まさか」

答えが目に見える形で出され、ラインハルトの双眸が驚愕に染まる。

「あなたの……お前の悪癖だ。他者の覚悟の程を、見誤る」

その驚愕を、湖面のように静かなヴィルヘルムの青い目が見据え、告げる。

放たれた剣光、それが半円を描いて繰り出され――振り上げられたガーフィールの脇腹を切り裂き、通り抜けた刃に足を深く斬られたラインハルトへと。

「よォやッく、届いたぜ……ッ」

まさに、肉を斬らせて骨を断つ――プリステラで背中を合わせた経験が、ここでガーフィールとヴィルヘルムの、言葉のない連携に役立った。

ラインハルトの感覚では、剣の軌道にガーフィールが割り込めば、ヴィルヘルムは攻撃の手を止めるはずだったのだろう。しかし、『剣鬼』はそうせずに、ガーフィールたちがしなければならない目的を汲んだ。

故に、ガーフィールの回復力を信じ、ガーフィールごとラインハルトを斬ったのだ。

「――っ」

足に深手を負い、息を詰めたラインハルトの腕からガーフィールがすっぽ抜ける。

脇腹の傷に手を当てて、飛びそうになる意識のまま治癒魔法を発動。その発動に微妙な不自由さを覚えながらも、応急手当てに全力を注ぐ。

「お見事でした」

そこで、すっぽ抜けたガーフィールが地べたに落ちる前に、伸びてくるヴィルヘルムの腕がその体を掴んだ。見れば、ヴィルヘルムはすでに両腕の双剣を鞘に収め、ガーフィールを抱えるのと反対の腕に、倒れていたオットーを抱えている。

そのまま、二人を抱きかかえたヴィルヘルムはラインハルトを見やり、

「いかにお前でも、その傷は一瞬で治るものではあるまい」

「お祖父様、待ってください! 彼らは、クルシュ様は――」

「今の王国に、私は剣を預けられん」

「――っ!」

引き止める声にそう応じ、ヴィルヘルムは大きく後ろに飛びずさった。

そのまま、取り残されるラインハルトは目を見開くが、ヴィルヘルムの指摘通り、深々と切り裂かれた足の傷は深く、彼であってもすぐには動き出せない。

「お目覚めになられたレム殿! 彼女たちを!」

「はい! 知らないお爺さん!」

その間、ヴィルヘルムの呼びかけに、素早く身を翻したレムがペトラとメィリィに駆け寄って、「きゃっ」と驚く彼女たちの体を抱え上げる。

それを横目に、ヴィルヘルムに担がれたオットーが微かに身じろぎし、

「壁伝いに、西にいってください……っ」

「オットーさん! 生きて――」

「生きてますよ……! 西側に、虫たちの声も気配もない。――騙されようがない」

「――承知しました」

『言霊の加護』を逆手に取られたのを前提に、あえて生き物の声が聞こえない方に逃げることで騙し討ちを回避する手を打つオットー。

その指示に従い、ヴィルヘルムはレムと頷き合い、その場から一気に走り出し、戦場にラインハルトを残して逃走を図る。

「――――」

『剣鬼』の腕の中で激しく揺られながら、ガーフィールは何とか首を動かし、ほんの短時間で見る影もなくなった王都の一角、そこに取り残されるラインハルトを見る。

思うところは、ある。ラインハルトが憎いわけでも、ない。

ただそれでも、この場の選択として相容れない障害になった彼を、どうにかしのぎ切ったことには安堵と達成感が――、

「――それでも僕は、王国の剣だ」

そのときガーフィールは、世界が息を呑んだのを感じた。

呼吸を止めたのではなく、息を呑んだ。――大気の静かな鳴動と共に、その伝説の刀身を晒した『龍剣』レイドが、冷たく青白い輝きを放ったからだ。

△▼△▼△▼△

――『龍剣』レイド。

世界に十本しかない魔剣・聖剣に含まれた一振りであり、親竜王国ルグニカの『剣聖』にのみ扱うことを許され、代々引き継がれてきた伝説の剣だ。

その秘めたる絶大な力を噂される一方、抜くべき時を剣が選ぶという性質から、実際の活躍の機会をほとんど知られることのない、曰く付きの剣とされる。

特に、当代の『剣聖』であるラインハルト・ヴァン・アストレアの手に渡ってからは、さらに『龍剣』が使用される機会は激減し、確実に抜剣されたという話は片手の指で十分に数えられるほど少ない。

それはとりもなおさず、所有者であるラインハルトの隔絶した実力が、相対した敵を『龍剣』を抜くまでもない相手と貶めてしまうことが原因にある。

実際、ラインハルトが『剣聖』としての働きを求められた多くの場面で、『龍剣』レイドの絶大な力が必要とされることはなかった。

それ故に、『龍剣』レイドはナツキ・スバルに「絶対ぶっ壊れない鈍器と思って振り回してる方が強くね?」と評され、ラインハルトに苦笑を刻むことになったのだ。

しかし――、

「――――」

ひとたび、その『龍剣』の刀身が露わになるだけで、世界はこれを一大事と認める。

『龍剣』レイドが抜かれる条件、それは古くからルグニカの歴史を知るものにも、代々所有する『剣聖』一族にも謎が多い。敵の強さか、背負ったものの大きさか、直面した危難の荒々しさか、いずれも答えに該当しない。

ただ一つ、確実に言えることがあるとすれば、『龍剣』レイドが抜き放たれたとき、その目的が果たされなかったことは、ない。

「――――」

全身が冷たい波を浴びたように、剣気を中てられた心身が震え上がる。

ダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ。ダメだ。

あれは、絶対に、振るわせてはダメなものだ。

「――ッ」

ガチッと音が鳴り、割り込んだ老剣士に抱えられるガーフィールの歯が鳴った。抱えられている彼もまた、見なければいいのにラインハルトの方を見て、抜き放たれた『龍剣』を目の当たりにし、総毛立った感覚を覚えたのだ。

後ろを振り返る余裕のないレムと老剣士は、きっとその背中で、あるいは丸ごと通り抜けて、魂そのもので放たれる剣気の色濃さを察したかもしれない。

だが、それでも彼女たちは懸命に、怯え竦むのを拒み、すべきことをする。

それを、素直にすごいと思う。感心してしまう。

自分にはそんなの無理だ。手本もなしに、彼女たちはどうしてそれができるのか。

だから、それを手本に、すべきことをしよう。――きっと、怒られるだろうけれど。

すべきことを、しよう。

いつだって、全力でそうして生きている、彼女たち手本に並びたいから――。

「――出ておいでえ、砂蚯蚓ちゃあん!!」

次の瞬間、誇張抜きに大地が激震する感覚が、王都を揺るがした。

「メィリィちゃん!?」

レムの腕に抱えられ、『龍剣』に抗う何かを探そうとしていたペトラの目が見開かれ、忠告を破ったメィリィを愕然と見てくる。

そのペトラの眼差しに、メィリィは「ごめんねえ」と舌を出し、

「わたしがこれをしたら、スバルお兄さんにもエミリアお姉さんにも迷惑がかかるってわかってるけどお……ここで、終われないでしょお?」

「――っ、バカっ! バカバカっ! せっかく、許してもらえたのに……っ」

「ああ、それがペトラちゃんの……」

涙目になり、バカと何度も繰り返すペトラの言葉にメィリィは納得する。

『魔獣使い』であるメィリィが魔獣を呼ぶことで、エミリア陣営の危険性をより大きく知らしめる恐れがある、というのは理由の一端でしかなかった。ペトラが本気で止めたかったのは、プレアデス監視塔への案内人として、危険な殺し屋であった過去を許されたメィリィを、再び王国が危険視する事態を避けたかったからなのだ。

「いいのよお。……少しの間だけ、夢が見られたんだからあ」

もしかしたら、自分が罪を許されて、まともな道を歩けるかもしれないと思った。

実際、そんな未来を、自分によくしてくれる人たちと一緒に歩くことも考えた。

それで十分、この胸は、あの手のかかる姉といたときみたいに温まったから。

――そんな、夢を見られたから。

「『剣聖』のお兄さん、追ってこれるう? 砂蚯蚓ちゃんは四体、王都の東西南北の門ぜえんぶに出したから、今頃みーんな大パニックよお?」

アウグリア砂丘に生息する、他とは比較にならないほど巨大な砂蚯蚓だ。

こっそりとついてくるように命じ、王都の地底に潜ませていた切り札に、メィリィはあえて派手に恐怖を煽るよう『魔操の加護』を通じ、指示をする。

ラインハルトがいかなければ、犠牲者が出るかもしれない。――メィリィは、別にそうなったって心なんて痛まないのだ。

ここにいる人たちが、スバルが、ベアトリスが、エミリアが傷付かなければいい。

大事にしてくれて、大事にしたいと思える人たち以外、誰が死んだって、いい。

「――メィリィ」

遠く、『龍剣』を手にしたラインハルトの唇が、そう動いたのがわかった。

メィリィも、ラインハルトとフェルトと一緒に、プレアデス監視塔へ渡った立場だ。共に過ごした時間があり、気遣ってもらった覚えもある。

それでも、スバルたちには及ばない。

「わたし、悪い子だもおん」

そう、嘲るような笑みを浮かべ、メィリィはラインハルトに小さく手を振る。

その眦から熱を孕んだ雫がこぼれ落ち、頬を伝ったのを、当のメィリィは気付かない。気付いたのは、はるか遠ざかる距離だろうと鮮明に捉える目を持つ『剣聖』と、懸命に走るレムに抱えられながら、友人の決断に涙するペトラだけ。

「メィリィちゃんのバカ……っ。ごめん、ごめんね……っ」

涙する友人の大きな決断に、少女の涙声の謝罪が空しく落ちていく。

その、大きな大きな選択があった末に――、

「――――」

――『龍剣』レイドが『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアの手に渡ってから初めて、剣は抜き放たれた目的を果たすことなく、鞘に収められたのだった。