軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第九章19 『裏の掻き合い』

「――愛してる」

その、上辺だけでない愛の言霊に、世界が塗り替えられる音がする。

「――――」

実際に、『音』が鳴っているわけではない。

何かがひび割れる音、何かが叩き壊される音、何かが千切られる音、何かが破られる音、何かが切り開かれる音、何かが押し潰される音、何かが打ち砕かれる音、何かがかち割られる音、何かが穿ち削られる音、何かが投げ落とされる音、何かが――。

「――愛してる愛してる愛してる」

実際に、『音』が鳴っているわけではない。

ただ、あらゆるものが失われていく『音』が聞こえると錯覚するぐらい、その黒い影から差し出される愛情は、この世界の真ん中にある魂への侵略行為だった。

何もかもが、呑まれていく世界。

全てが、得体も底も知れない闇の中に落ち、落ち続けていく世界。

そこに、その無限に思えるぐらい深い深い闇の中に、大事なものもそうでないものも、何もかもが溶けていってしまったのだと、魂が思い知らされる。

それでも――、

認めたくないのは弱いからか。――違う、優しいからだ。

諦められないのは弱いからか。――違う、優しいからだ。

愛を拒めないのは弱いからか。――違う、優しいからだ。

「――愛してる愛してる愛してる愛してる」

囁かれ続ける愛に、力一杯の拒絶の声を上げる。

でも、わかる。わかってしまう。その力一杯の拒絶さえ、拒み切れていないのを。

「愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる」

そこに可能性を垣間見てしまう。

その人の心の、一番と二番、三番までもが埋まっていても、垣間見てしまう。

それに乗じようとする、卑怯で浅ましい恋心に、共感したくない。

そうした独りよがりの行き着く先は、決まって――、

「愛してる。愛してる。――愛して」

――ほら、そうなった。

「愛して。愛して。愛して。愛して。愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して――愛して」

そうなるのが、わかっていた。

手に取るようだった。火を見るより明らかだった。赤ん坊の手をひねるみたいだ。トメトを潰したり、閉じた瞼を開けるより、息を吸って吐くより、簡単だった。

そうなるのが、わかっていた。

だってそれは、相手のためじゃないから。だってそれは、自分のためだから。

相手を顧みなくていいなら、自分のことで頭も心もいっぱいにできたら、そうなる。

それが一番、顔から火が出るくらい恥ずかしいことなのに。

「――俺は、お前が嫌いだ」

――心の臓が、凍り付くかと思った。

「お前を愛してなんか、絶対にやらない」

――それが他の誰でもなく、自分に言われたみたいで、死んでしまうかと思った。

だけど、そんな死んでしまいそうな怖さすら、この後ろに待っていたことと比べれば、ずっとずっとずっと、ずっとずっとずっと、甘かった。

だって――、

「ペトラの、ハンカチ……?」

――その時がきたのだと、首に縄をかけられるように確信したのだから。

△▼△▼△▼△

――ざっと五百人の一団によるお出迎え。

それがアルデバランを迎え撃つべく、フェルトが用意した厄介な布陣だ。

当然、フラムを生かしておいた時点で、アルデバランの造反がラインハルトに伝わり、彼が駆け付けるのは想定通り。その流れで、フェルトや賢人会に同じ情報が共有されることもわかり切っていたことだった。

そうした、わかり切っていた難敵を排除するべく、アルデバランは一番の主力である『アルデバラン』を見せ札に使ってまで、自分の道を整理したつもりだ。

それが、見くびっていた少女の思いがけない行動力で、ご破算にされる。

「ったく、世の中、オレじゃお話にならねぇスタープレイヤーが多すぎんだよ」

「冗談抜かしてる場合じゃねえって言ってんだよ!」

肩をすくめたアルデバランがそうぼやくと、ハインケルに怒鳴りつけられる――否、ハインケルが怒鳴ったのは、こちらではなく、ヤエに対してだった。

ヤエの提案した人身御供作戦への怒声が、奇跡的にぼやきと重なっただけ。

ともあれ――、

「親父さんの言う通り、冗談抜かしてる場合じゃねぇ。対処するぞ」

兜の中で頬を引き締め、アルデバランは不条理な世の中への嘆きを押しやると、連れの二人に声をかけ、作戦会議を始める。

青い顔をしたハインケルと、内心の読めない薄笑いを浮かべたヤエ、この二人と無才のアルデバランが、主力を見せ札に使った自分たちの手札だ。

「ちょいと貧弱だが、向こうもベストメンバーじゃねぇ」

「対処ったって、どうする気だ? そもそも、相手は……」

「相手の数はざっくり五百、騎士やら衛士って感じじゃねぇが、荒事慣れした連中だ。それと、相手はフェルト嬢ちゃんで間違いねぇよ」

「五百人ですか~、それはなかなか」

唇に指を当てたヤエの感心は、この短時間でよく人数を集めたというものだろう。

それにはアルデバランも全く同意見で、ほぼ最善手、ほぼ最善策を取らなければ、ここまでの状況を組み立てることはできなかったはずだ。

「待て待て待て! 五百!? しかも兵士じゃない? どうなってやがる。大体、お前はその情報をどうやって」

「ストップだ、親父さん。オレが相手の人数を知ってることなんかどうでもいい。大事なのは、これが本当の話って部分だ。それに、最初に約束しただろ? ――『龍の血』が欲しいなら、オレの方針には逆らわない、だ」

「ぐ……っ」

「約束を守れない男は嫌われるぜ?」

念押しされたハインケルが、わかりやすく不満を溜め込みながらも押し黙る。

ハインケルの状態は、顔の前にニンジンをぶら下げられて走る馬と同じだ。馬と違っているのは、ハインケルの渇望はそのニンジンでなければ満たされない。

だから、ハインケルはニンジンを吊るしたアルデバランに逆らえないのだ。

「ハインケル様が黙られたところで、どうします? 五百人はなかなか厳しいですよ?」

「お前、ヴォラキア製のシノビの最高傑作だろ。何とかならねぇのか」

「最高傑作って言っても、暗殺失敗しましたし~? それに、戦場で百人も千人もずんばらりするのはシノビの仕事じゃないです。『青き雷光』じゃないんだから」

「まぁ、そうだな」

唇を尖らせたヤエの話題に挙がった『青き雷光』――セシルスとは、アルデバランも短い時間だが行動を共にした。

その実力はヤエが笑い話やたとえ話の延長線上のように話した通り、ラインハルトと同じ領域のわけのわからない規格外の一員だ。

彼のような力があれば、それこそ相手が千人いようと正面突破できるのだろうが、生憎とそんな高望みはティーンエイジャー時代に手放している。

故に――、

「現実的に考えて、五百人が待ち構えてるところにのこのこと出てくのは馬鹿のやることだ。こっちはせっかく林の中……見つからねぇように迂回する」

投げかけられた声の調子からして、居留守を決め込むのは無理筋だろう。が、アルデバランたちの位置をピッタリ押さえているなら、グラシスで奇襲を仕掛けたはずだ。

そうでなかった以上、林の中にいることまではわかっても、それ以上ではない。

ならば、立ち回り次第で五百人の敵をさらに分けることも――、

「あ~、アル様、ちょっとマズいかもです」

方針を立て、その場から動こうとする寸前、ちょんちょんとヤエに袖を引かれる。

何事かと振り返るアルデバランに、彼女はフェルトたちが待ち構える方角を見据えながら、その瞳に警戒色を宿して、告げる。

それは――、

「向こうの動きがだいぶ早いっぽいですね」

そう告げるヤエの視線の先、アルデバランも同じものを見た。――林の中へ、白煙をたなびかせる薪が次々と投げ込まれてきたのを。

△▼△▼△▼△

「まぁ、出てくるなんて期待しちゃーいなかったけどよ」

と、平野に展開した一団の真ん中で、敵の潜む林を睨みながらフェルトがぼやく。

敵、と兜ヤローのことを明言していいものか、今でも多少の迷いはあった。が、アルは暴走した友人や仲間でもなく、関係性の深い知人というわけでもない。

何より、集めたメンツの士気を盛り上げるには、敵と呼んだ方が都合がいい。

なので、兜ヤロー――アルを、フェルトははっきり敵と言ってのける。

そしてその敵は、フェルトたちが取り囲んだ林の中にいる。

「で、間違いねーんだよな? じゃなきゃ、アタシは空っぽの林にでけー声で挨拶してる恥ずかしいヤツってことになっちまう」

「ハハハ、堂々と構えなヨ、『金獅子』。確かに、片目分しか効力はないサ。それでも、これだけ範囲を絞ってもらえれば、見たくなくとも見えてくル」

やや特徴的な訛りを交えながら、フェルトに応じたのは『天秤』の長であるマンフレッド・マディソンという男だ。

『天秤』は体のどこかに、組織への忠誠の証である天秤の刺青を入れる習わしがあるらしいが、マンフレッドは忠誠心の証を過剰に立てすぎている。剃った頭に顔や首、果ては眼球にまで刺青を入れていて、たぶん服の下も全部そうなっているだろう人物。

そして、彼が異様なのは見かけだけではない。――その、在り方もだ。

「――『遠見の加護』」

ぎょろりとマンフレッドの左目――唯一、見える範囲で刺青の入っていない眼球が回転し、じっと林を睨みつける。

そうするマンフレッドの左目には、ちょっと前まで刺青の入った眼球が収まっていた。それが今、入っていない理由は簡単――入っている眼球が違うのだ。

今、マンフレッドが入れている眼球は、以前は彼の部下だった男の左目――、

「やはり、他人の加護はなかなか馴染まないネ。でも、見えたヨ」

「それ、便利だけど超気持ちわりーな。どーやってんだ?」

「率直な言い方は嫌いじゃないサ。――ただし、加護の盗み方は『天秤』の秘密だヨ」

そのやり方そのものには触れず、マンフレッドが林の中の敵の存在を肯定する。

以前、その『遠見の加護』に苦しめられた経験のあるフェルトとしては、それがもたらした情報を信じるのに疑問の余地はない。

「出てこねーってんなら……」

「出たくなるように仕向けるしかあるまい」

太い首を鳴らし、フェルトの言葉にロム爺がそう続ける。

マンフレッドの不完全な『遠見の加護』、その効果を最大限に用いる策を組み立てた大参謀は、林にこもった相手に対しても次なる手を用意していた。

それが――、

「パイロ樹の生木は燃え尽きにくい上に、よく煙を出す。水をかけても簡単には煙を吐くのをやめんからな。この策にはもってこいじゃろう」

そう口にするロム爺の献策は単純明快、アルを煙で燻すというものだった。

腕力自慢のガストンや荒くれ者たちが中心となって、火を付けたパイロ樹の薪が林へと次々と投じられる。ロム爺の言う通り、薪は煙を出すばかりで周囲に燃え広がらず、ただただモクモクと白い煙を大いに引き起こしていた。

「煙の効力は視界を奪うだけに留まらん。心理的な負担もあるが、最もしんどくなるのは吸い込んだときの苦しみじゃ」

「咳き込んですげー辛いよな」

「そうじゃな、地獄の苦しみじゃろう。それに――」

言いながら、ロム爺が目を細める。

すると、その視線の先ではカンバリーと、その彼女である『華獄園』の女主人トトが部下たちに指示し、一斉に起こした魔法の風を林に送り込むところだった。

作り出された風は木々を薙ぎ払うのではなく、それらの隙間を柔らかく撫でて、風の通り道――すなわち、煙の通り道を作り、白煙が林中に蔓延する。

「儂の知る限り、毒や深手を無視できるものは少なからずいる。じゃが、煙に燻される苦しみを平然と耐えたものは、無駄に長い人生で一度も知らん」

自分の献策の狙いと進捗を目にし、ロム爺が低い声で言い放つ。

それをフェルトは心地よく聞きながら、一方で自分の育て親がとんでもなく危険な知識に秀でていることを改めて実感する。

ロム爺が昔、何をしていたのかをフェルトは知らない。

ただ、それが胸を張って誇らしく語れることでないことも、その過去をロム爺自身が苦々しく思っていることもわかっている。

だから、ロム爺が自分から話そうとするまで、フェルトはそれを聞かない。

聞かない上で、こう言ってのけるだけだ。

「どーだ。――アタシのロム爺は手強いだろーが」

△▼△▼△▼△

「――煙」

投げ込まれる薪――白い煙を立てるそれが、林の中をゆっくりと侵食していくのを目の当たりにしながら、アルデバランは相手の嫌な対応力に舌を巻いた。

大人数で取り囲まれるのも最悪だったが、これはさらに立て続いた最悪だ。

「や、奴ら、火を付けやがった! 俺たちを焼き殺すつもりだ!」

「落ち着いてください。火攻めは死体の確認ができなくなりますし、自分たちも巻き添えになりかねません。くだらないと策を合わせて下策ですよ」

「相手がその下策を打ったかもしれねえだろ! 貧民街出のガキだぞ!? あそこの連中は後先なんて考えねえんだ!」

「も~、アル様!」

「わかってる! 親父さん、ちょっと黙ってくれ!」

立ち込める煙に残量の少ない冷静さを燻され、慌てふためくハインケルをアルデバランは無理やりに叱咤して黙らせた。

『龍の血』欲しさにハインケルはアルデバランに逆らえない。とはいえ、絶体絶命のピンチで混乱するのを、文句や反論と同じ扱いにはできないだろう。

「――ヤエと同意見で、これは火攻めじゃなく煙攻めが目的のはずだ。ただ、悪いことに煙攻めには耐えようがねぇ。ヤエ、お前は?」

「煙に耐えられるか、ですか? 無理無理、耐毒訓練とか拷問対策はしてますけど、煙を吸ったら涙目になって咳き込むのって訓練じゃどうにもならないですよ?」

「ですよねー。ってわけで、煙から逃げるしかねぇ」

煙に燻し殺されるのを避ける以上、それ以外の結論が出せない。

ただ、問題はそれが相手の狙い通りであること。――当たり前だが、火攻めだろうと煙攻めだろうと、目前の危難から逃げるのが人間の本能だ。

そして、煙に合わせて殴り込んできた不自然な風は、アルデバランたちを煙で追い立てるための、触れることのできない狩人――、

「五百でも、林全部は囲えねぇとタカをくくってたんだが……!」

燻すための煙と、その煙を誘導する風。

それだけあれば、アルデバランたちぐらいの小勢でも、ある程度の軍勢でも、狙った位置へと追いやることができる。

フェルトはそうやって、五百人でも包囲し切れない林の包囲網を完成させたのだ。

「ってより、問題のブレーンがか。クソったれ、やってくれやがる」

憎々しさにそう舌打ちして、アルデバランは頭の中に世界図を思い描く。

目的地はここからさらにずっとずっと西の先――すでに、休息と移動のために一日使っていて、リミットは七日から六日まで減っている。

ここでフェルトに必要以上に足を取られ、長期戦に臨むわけにはいかない。

「アル様!」

「――っ、ヤエ、風の流れを指示しろ! 親父さん、ヤエの指示に従って、先頭を突っ走ってくれ! 邪魔な木は斬り倒してくれていい!」

「わ、わかった」

「返事が小さいで~す!」

「わかった!!」

鋭いアルデバランの指示に、気圧されたハインケルがヤケクソ気味に叫んだ。

そのまま、ヤエの指示に従い、ハインケルが抜き放った剣で文字通りに道を切り開く。そのたくましい背中を追いながら、アルデバランは思考する。

大きく動く以上、領域の再設定が必要となるが、マトリクスを更新するということは、この煙作戦が実行される前に戻る道を失うということだ。

少なくとも、アルデバランが自分から林を出たとき、フェルトは煙で燻す作戦は実行しなかった。無論、その場合は五百人と正面衝突になるが。

「どっちの方がマシだ?」

――最終的に、アルデバランの勝利は約束されている。

『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアすらも封殺し、ナツキ・スバルをも無力化したアルデバランに勝てるものなど、この地上のどこにもいない。

ならば、アルデバランの勝利は絶対だ。――あとは、勝利以外の何を求めるか。

その、勝利以外の目的を果たすには、どちらの方が可能性が高いのか。

「アル様、一人でいかせたらハインケル様が死にますよ?」

「――。だな。いくぞ!」

思案の時間は一瞬、アルデバランはヤエの呼びかけに頷き、走り出した。

同時に、その瞬間にマトリクスを更新し、再定義――次の始点を規定すると、直前までの可能性への未練をあっさりと放り捨てた。

人生は選択の連続だ。それはアルデバランでなくとも、誰でもそうだ。

そして、多くの選択は一瞬で行われ、選ばれなかった方の選択肢は顧みられることもない。だが、それでいい。アルデバランも、可能な限り、そうする。

明日の朝食は何にするか。靴下は右と左のどちらから履くか。

そんな何気ない選択と、自分の命が懸かった戦いの中の選択を同列に扱う。選ばなかった選択肢、選ばれなかった選択肢に、固執しても意味がない。

アルデバランも、ナツキ・スバルも、たまたま選択肢に縋り付くチャンスが人より多いだけ。――それだけと割り切らなければ、永遠に足踏みし続けることになる。

「ハインケル様、足下悪くなってますので右に。その大木もお願いします」

「簡単に言ってくれるな! このっ!」

「おお~、すごい! さすが、生き物以外にはお強い!」

指示通りに大木を斬り倒したのに、何故か煽られるハインケルが歯噛みする。その横顔を追いかけながら、アルデバランは徐々に煙の密度が濃くなるのを目視――風による、煙の囲い込みが始まったのだ。

つまり――、

「――待ち伏せが近い」

△▼△▼△▼△

――待ち伏せ部隊を率い、林からの出口に布陣するラチンス。

正直、荷が勝ちすぎた役割を与えられたと叫び出したい気持ちでいっぱいだ。

そもそも、『剣聖』だの『神龍』だの『嫉妬の魔女』だのと、そんなものと自分の人生が交わる機会がきたというのも、ラチンス的には悪夢の気分だった。

「クソったれ……オレの人生、どこでこんなひん曲がっちまったんだ?」

ガシガシと頭を掻き毟り、際限なく溢れ出てくる弱音に足下まで浸らせながら、ラチンスは苛立たしげに靴裏で雑草を踏み躙る。

腹いせの八つ当たりだった。が、腹の立つことにこの雑草、ラチンスにぐりぐりと踏まれながらも、茎が柔らかく折れ曲がるばかりで潰れも千切れもしない。それどころかぐいぐいとラチンスの靴底を押し返し、生命力を主張してくるほどだ。

まさしく、雑草らしいとしか言いようのない図々しい在り方――そこに、見慣れた顔がいくつも並べられる気がして、ラチンスはため息をつく。

気付けば、いつの間にか遠いところまで歩いてきた。

しかし、風に吹かれて種を舞わせ、どこへ根を張ろうとも雑草は雑草。多少なり、葉の色合いや茎の太さは変わっても、雑草が樹木や花々に化けることはない。

「んだよ、別にどこだろうと、オレはオレの生き方しかできねえってかぁ?」

誰に言われたわけでもなく、誰しもに言われたような気分でラチンスは舌打ちした。ただし、その舌打ちには直前までの、陰気でへそ曲がりな色はない。

あるのは、押し付けられた相当な厄介事と、それをやってのけようという気概だけ。

そうして、ある種の開き直りが済んだところで――、

「――おい、動きがあったぞ」

そう声を上げたのは、ラチンスと共に平野に布陣した荒くれ者の一人だ。

フランダースの黒社会の人間であり、ガストンやカンバリー、そしてラチンスと同類の――否、悪党としての純度はむしろ上の、そういう連中。

肩を並べているのが不思議な相手だが、暴力に慣れ親しんだ彼らがここでは頼もしい。

そんな彼らの反応に、ラチンスもつられ、林に目をやった。

作戦通りにいけば、煙に追い立てられた兜野郎と仲間がそこから飛び出す。それを、数に任せて押し潰すのがラチンスたちの――、

「――ぉ」

次の瞬間、林から飛び出してきたのは兜野郎ではなかった。――砲弾だ。

――否、それも正しくない。正しくは、砲弾のような勢いで遠投され、ぐんぐんと縦回転しながらラチンスたちの陣に迫る、一本の大木だった。

「――――」

幹の太さはガストンの胴体よりも太く、長さは十メートル以上――そんな、可愛げのない大木の砲弾が真っ直ぐ、陣のど真ん中へと突き刺さろうとしてくる。

それを目の当たりにし、荒くれ者たちが声を上げ、慌てて逃げ出そうとした。

しかし――、

「――エル・ゴーア!」

ドン、と爆発音が空に響き渡り、青空に真っ赤な火の花が咲いた。

それは飛んでくる大木を粉々に砕き切り、本来なら陣に大穴を開けるはずだったはずの砲弾の威力を、散らばる破片が当たって痛いくらいのものに作り変える。

そしてそれをしたのは、空に向かって指を向けたラチンスだ。

「テメエら、ビビってんじゃねえ! こういうときはビビった方が負けなんだよ! テメエらもしょっちゅう言われてんだろうが!」

今のあれで及び腰になった連中にそう吠えて、ラチンスは腰のナイフを引き抜く。その刃先を林に向けながら、「いいか?」と周囲に首を巡らせた。

正直、懊悩していたせいもあり、場の仕切りを任されているラチンスに対する荒くれ者たちの態度は舐められたものだった。ここで、それを払拭する。

「今のを見りゃわかるだろうが、当たりを引いたのはオレたちだ! 今に、兜野郎はそっから出てきやがる。気ぃ抜いてる暇は――」

ない、と言い切る寸前だ。

「おい!!」と声が上がり、荒くれ者たちの視線が再び自分を外れる。それを腹立たしく思いながら、ラチンスは四白眼を怒らせ、前を向いた。

次々と、さっきと同じか、それ以上の大木の砲弾が飛んでくるところだった。

「クソったれがぁ!!」

罵声の直後に空に火の花がいくつも咲き――取りこぼしが、陣を吹き飛ばした。

衝撃に揉まれ、幾人もの荒くれ者が吹っ飛ばされるのを横目に、ラチンスは「ちっ」と舌打ちし、再びナイフを林に向ける。

状況はめまぐるしく変わった。この調子で砲弾を現地調達されては、やりたい放題にされるのはラチンスたちの方だ。

「――いくぞ、遅れんじゃねえ!!」

声がひっくり返りそうな勢いで吠えて、ラチンスが雄叫びを上げながら突っ込む。

そうすることで戦意を鼓舞する。――自分のものではなく、周囲の戦意を。

よくある話だが、どんな荒くれ者のケンカでも先に殴られるのはマズい。

不思議なことに、殴られた途端にどんな暴力的なやつでも強さが下がる。傷付けば傷付くほど、血を流せば血を流すほど強くなるなんてのは印象の話で、実際には攻撃を喰らった数だけ弱くなるのが人間だ。

それは気持ちの上でも同じこと。今、ラチンスたちは思いがけない方法で先に殴られてしまった。その殴られた弱さを、勢いで上書きしなければならない。

そして――、

「「うおおおお!! 続けええええ!!」」

血の気の多い連中は単純なので、ラチンスの感情的な声にすぐ触発されてくれる。

そのまま猛然と、先頭を走るラチンスを追いかけ、武器を手に林へ迫る、迫る、迫る。それを背中に感じながら、ラチンスはそれをさらに演出で援護――、

「――アル・ゴーア!!」

手を天に向けて、ラチンスが血を吐くような声でそう詠唱する。

瞬間、ラチンスの頭上に生まれたのは巨大な、巨大な火の玉――火属性の魔法であるゴーア系、その威力は無印から、エル、ウルと上昇し、最高峰がアルだ。

魔法に多少なり詳しければ、誰でも知っているような知識だが、それだけにラチンスがそれを詠唱し、巨大な火を生み出した功績は大きい。

わっと荒くれ者たちの士気がわかりやすく上昇し、ラチンスはそれを勢いづけるように頭上の火球を空に浮かべ、あえて高々と飛ばせてみせた。

当然だが、それを狙い、林中からは次なる倒木の群れが、その火球を狙う。

たとえ何本の木が焼き尽くされようと、その火球を妨害するのだと――、

「バーカ」

べ、と先端を彩環で飾った舌を出し、ラチンスは逸った相手を嘲弄する。

何発でも、という勢いで大木の砲弾が林から射出されたが、その多くは空振りに終わった。何故なら最初の一発で、アル・ゴーア――ゴーアを平たく伸ばし、それっぽく見せただけのハリボテは粉砕され、残弾は空しく平野を抉っただけだったからだ。

それもこれも、偽物のアル・ゴーアの迎撃に砲弾を費やさせ、ラチンスと荒くれ者たちへと降り注ぐ攻撃の被害を極限まで減らすため。

その目論見はうまくいき、ラチンスと荒くれ者たちは一気に林へ飛び込んだ。

「最初の乱れ撃ちで、多少減らされたが……!」

それでも、ラチンスの援護もあって、荒くれ者の五十人隊はほぼ無傷の突入だ。

そのまま――、

「――あ~、もう、ハインケル様が焦るから乗り込まれたじゃないですか~」

と、そんな甘く、緩い女の声が聞こえた瞬間、ラチンスの足が止まっていた。

嫌な予感に全身を支配され、その場に思わず立ち止まった――のではない。嫌な予感に全身を支配されたのは事実だが、自分の意思では立ち止まらなかった。

ただいきなり、全身の自由がなくなったのだ。それも、ラチンスだけではない。

ラチンスと一緒に林に殴り込んだ、五十人の荒くれ者たちもいっぺんに、だ。

そして、それをしたのは――、

「いくら私が多対一の方が得意でも、限度ってものがあるんですよ、ホント」

そう言って、立ち止まったラチンスたちを木々の隙間から見下ろす赤毛の女だ。

ややワフーの意匠でまとまったメイド服姿の細身の女が、身動きを封じられ、戸惑いと怒りの声を上げる男たちを眺めている。――空中で。

女の姿は木々の高みにある。だが、木の幹や枝を足場にしていない。何もない空間に堂々と直立し、動けなくなったラチンスたちを微笑しながら見ていた。

それを、かろうじて動く首と眼球を動かして確かめながら、ラチンスは察する。

「同時に括れるのは、ざ~っと百人くらいまでなんですから、ね?」

そのとんでもない戦技の腕は確かでも、それ以上に性格の悪い女が、自分たちの倒すべき兜野郎に付き添っているのだと。

△▼△▼△▼△

――ハインケルが斬り倒した木々を利用した、倒木砲とでもいうべき攻撃。

『神龍』の規格外のマナ抜きでそれを実現させるには、ありものでチャーハンを作るのとは比べ物にならない荒業を駆使する必要があった。

「ホント、アル様って私使いが荒いですよね。酷いと使うを合わせて酷使です」

などと、いちいち愚痴を挟まずにおれないヤエの協力で、ハインケルが斬り倒したいくつもの大木を宙に浮かべ、射出台を用意する。

そして実際の射出には、アルデバランの持つ科学的な知識を総動員し――、

「親父さん、オレの合図に合わせて思いっ切り腕を引いてくれ。思いっ切り」

「その女だけじゃなく、お前の態度にも思うところがあるぞ、アルデバラン……!」

「ほら、『龍の血』、『龍の血』」

「――ッ! とっとと合図を寄越せ!」

結局、科学的な知識の応用には設備投資が必要不可欠と、アルデバランは扱いの悪さに青筋を立てるハインケルの腕力に頼る。

煙に追い立てられ、相手の思惑に嵌められる形で林を移動してきた。――当然、外では精鋭が待ち伏せ、アルデバランたちと衝突する構えだろう。

それを、多少なり減らさなくてはならない。

「親父さん!」

合図に合わせ、ハインケルが奥歯を噛みしめて腕に力を込める。

その両腕の筋肉が盛り上がり、酒浸りで才能がないと嘆きながらも、アルデバランには至れない領域の力技を達し――猛然と、倒木砲が放たれる。

まずは最初のお試しの一本、次いで二本三本と叩き込み、これで相手が退いてくれれば御の字。そうでなければ――、

「しっかり引き付けて――」

その勇敢な男たちの鼻っ面を叩き潰す、予定だった。

しかし――、

「ハインケル様ったらあんな火の玉に怯えて……獣ですか~?」

林の外からでもわかるぐらい、大きな大きな火球が空に浮かんだ瞬間、激しく動揺したハインケルがアルデバランの合図を待たず、倒木砲を飛ばしてしまった。

結果、敵の大部分の撃滅に失敗し、林中に乗り込まれる結果になったのだ。

そのことで、ハインケルはチクチクとヤエにつつかれている。

それも仕方ないだろう。――なにせ、そのミスの尻拭いは全て彼女がしたのだ。

乗り込んできた五十人ばかりの敵勢は、ヤエ一人の技で足止めされている。――ヤエの両手の五指から伸びる、周囲一帯に張り巡らされた武器によって。

それは――、

「――糸、だとぉ?」

苦しげな息を吐きながら、自分の動きを封じたものの正体に気付いた男――見覚えのあるチンピラだ。確か、フェルトについているチンピラ上がりの一人、ラチンス。

そのラチンスの言葉に、「お~」と空中に浮いているヤエが感嘆する。

「ご明察です。もちろん、ただの機織り用の糸じゃ~ありませんよ? いわゆる、シノビの術技ってやつです。まぁ、私以外に使える人見たことないですけど」

そう告げるヤエは、空中の高い位置から男たちを見下ろしている。

何の頼りもなく浮いて見える彼女だが、実際にはちゃんと足場がある。――それこそが林中に張り巡らせた糸、それを用いた鋼糸術がヤエの得意技だ。

「いわゆる『糸使い』……数あるロマン武器の中でも、オレが上位で好きなやつ」

「わ、珍し~。アル様が私をお褒めになりました? 明日は槍が降りますかね?」

「心配しなくても、最後に武器は好きだけど使い手がなぁって言うつもりだったよ」

その返事に舌を出すヤエ、彼女の態度に言及せず、アルデバランもまた眼下の敵――ヤエの糸の力を借り、登った木の上からそれらを見下ろす。

目を凝らしても、ほとんどその実体を捉えることのできないヤエの鋼糸。びっしりと張られたそれが蜘蛛の糸のようにラチンスたちを搦め捕り、完全に拘束している。

あらゆるものを自由に括り、器用に扱うのがヤエの真骨頂だ。

鋼糸の使い方はただ敵の動きを封じるだけではなく、先ほどの倒木砲のように、斬り倒された大木を括って浮かせ、糸を引けば回転して飛ばせるよう工夫もできる。

ハインケルの腕にたくさんの糸を巻き付け、馬車馬のように引かせたのも、そうした仕組みの一部としての仕事だ。

ともあれ、倒木砲は見た目のインパクトのわりに与えた被害が少なかった。結局、敵の大半が素通りする羽目になったが、実際のところ、あの数が自由に殴りかかってきたとしたら、ヤエ抜きだとアルデバラン的にはかなりしんどい流れだった。

「タイマンじゃねぇ戦いだと、途端に難易度爆上がりするからな、オレ」

プレアデス監視塔でそうしたように、単純戦闘でもガーフィールとエッゾのタッグを相手できるアルデバランだが、あの場にもう一人いたら話は全然変わっていた。

それでも勝利は揺るがないが、試行回数は桁が変わった可能性が容易にある。

あの戦いも、できるだけ二対一にならないよう、ガーフィールを挑発し、あの空間の中での一対一になるよう誘導した。

アルデバランは、一対一であればラインハルト相手でも勝ち筋を見つけられる。

しかし、相手の数が増えれば増えるほど、その勝ち筋の見つけ方は天文学的な数の挑戦を必要とするようになっていくのだ。

だから、アルデバランの代わりに多人数戦闘が得意なヤエの存在はありがたかった。

そして、ヤエの技のありがたさは他にもある。

「おい、こいつらどうすんだ。……全員、殺すのか?」

そのありがたみの説明の前に、そう疑問を口にしたのはハインケルだった。

糸を頼って宙に逃れたアルデバランとヤエと違い、地上に残っていたハインケルは、鋼糸に囚われたラチンスたちを見やり、苦い顔をしている。

実力者相手にはその剣が鈍るハインケルだが、ここで彼が苦い顔をしている理由は、そうした臆病さとはまた違った理由だろう。

その臆病さに対し、アルデバランは首を横に振ると、

「いや、殺す必要はねぇよ。むしろ、ケガで済ませた方が賢い。死んだ奴は何もされねぇけど、生きてる奴なら手当てがいる。その方が相手の手を割ける」

「そう、か。そうだな。そうだろうよ、俺もそう考えてたところだ」

「おやま、オジサン二人でわかり合っちゃって、ヤエちゃん疎外感です」

アルデバランの答えに、ハインケルが露骨に安堵したのがわかった。とはいえ、それに触れないでいたのは、ヤエなりの慈悲の心といったところか。

実際、相手の戦力を削ぐのはアルデバランたちの必須事項。そのためには、無闇に相手の命を奪うよりも賢い立ち回りをしなければならない。

だから――、

「へっ」

「あぁ? なんだ? 助かるって聞いて安心したか、チンピラ」

「安心したってのはどっちだよ、酔っ払い。……本当に、髪の毛とか目の感じとか、そういう部分以外もよく似てやがるぜ、あの野郎に」

「――――」

歯を見せて笑い、チンピラ――否、ラチンスがハインケルを睨みつける。その眼光の凄味というより、ラチンスの言葉の内容にハインケルは押し黙った。

その反応から、それ以上の会話を続けさせるべきではないとアルデバランは判断。口を挟んで邪魔しようと、木々に巻き付けた糸から身を乗り出し――、

「それと、テメエもだ、兜野郎!」

「お」

「この酔っ払いもテメエも、気ぃ抜けてんだよ。もっと辛酸舐めろや、バーカ」

そう悪態をつかれ、その内容の薄さと的外れさに思わず呆気に取られた。

だが、すぐに、ラチンスの目が無意味なことをする男の目ではないと気付く。気付いた瞬間、狙いがそのアルデバランの呆気にあると気付かされた。

そして、遅い。その遅さの代償は、すぐに支払われる。

「――なんだ、豚のように鈍いな」

そんな一声が届くのと、『豚王』のまさしく大砲めいた拳撃が叩き付けられ、意識の空白を突かれたアルデバランがひしゃげるのは同時だったのだから。