軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八章終幕 『プリシラ・バーリエル』

――『大災』は退けられ、神聖ヴォラキア帝国はついに滅びの危機を免れた。

帝都を中心に、帝国各地に展開していた屍人の軍勢は統率を失って瓦解し、散り散りに遁走する形で戦闘は終局へ向かう。だが、統率者だったスピンクスがいなくなろうと、『不死王の秘蹟』を維持するマナの供給が『石塊』から絶たれようと、すでに蘇った屍人たちは再び死を与えられるまで、新たな生の限りに足掻こうとしていた。

こうして『大災』との戦いが決着しても、それが残した爪痕は決して消えない。

おそらく、ヴォラキア帝国では今後も、逃げ延びた屍人が引き起こすトラブルというものが頻発することになるだろう。それを抜きにしても、戦というものはそれ自体が終わっても、それと関わる全てが綺麗さっぱり片付くことなどないのだ。

当然だが、戦地となった街や土地、犠牲になった人や物といった多くを確認し、それらを戦の前か、それ以上の状態にするための処理が必要になる。

そして悲しいかな、そうした戦後処理に『英雄幻想』なんて看板は役に立たないのだ。

「だから、意外と手持ち無沙汰でいるってのは事実なんだけども……」

「――なんじゃ。貴様、何か妾に文句でもあるのか?」

「文句ってわけじゃねぇけども、なんかこう、不思議な感じ?」

そうこぼし、スバルは隣を歩く美女――プリシラの横顔に言葉を選んで答えた。そのスバルの答えに、彼女は手にした扇で口元を隠し、「ふん」と小さく鼻を鳴らす。

もはや見慣れた彼女の反応に、連れ立って歩くスバルは不思議がって首を傾げた。

――現在、スバルとプリシラが一緒に歩いているのは、城塞都市ガークラの壁内だ。

帝国最大の要塞を筆頭に、屍人の群れと押し合いへし合いのあった城壁はかなりの被害が出ており、兵士も市民も問わない復旧作業が夜を徹して進められている。そんな街並みをプリシラと並んで歩いているのだから、妙な巡り合わせもあったものだ。

スバルもプリシラも、参加していたのは『大災』スピンクスとの決戦の地となった帝都ルプガナでの戦いだったが、城塞都市に残していた面々の安否も気掛かりだったのと、帝都の惨状が落ち着くのに不向きだったのが移動の原因として大きい。

「世界で最も美しいと称えられた水晶宮も灰になり、貯水池の水もいつまた溢れ出して都市を水浸しにするかわからぬ。あの調子では帝都の復興は百年がかりであろうな」

「スケールのでけぇこと……つか、城を灰にした張本人がそういうこと言う?」

「人型になって暴れ出した時点で、妾が手を下さずとも城としての取り返しはつくまい。ならば『大災』の役目を全うしたあれを送る焔として、盛大に使ったまでよ」

「――スピンクスの送り火、か」

悪びれずに答えるプリシラに、スバルは敵だったスピンクスを思い、目を伏せる。

これは『大災』との戦いに臨んだものたちの誰にも言えないことだが、最後の最後、スピカの『星食』の効果を発揮するため、スバルはスピンクスと真っ向から対峙した。

あの瞬間、スバルはスピンクスと互いに『魂』まで剥き出しに見せ合ったと言える。

だからなのだろう。スバルはスピンクスを、心の底からの邪悪と思って憎めない。少なくとも、大罪司教のような許されざる敵とは違うと、そう感じてしまった。

そしてそれに近いものを、プリシラも感じていたのではと思っていて――。

「あれは盛大でよい火柱であった。やはり、何かが燃えるのは心が昂るな」

「いや、ただ物燃やすのが好きなだけだったりする!?」

「なんじゃ、騒がしい。いきなり声を大にするな。アルのようではないか」

一見、それは悪口のように聞こえたが、そう話すプリシラの唇は笑んでいる。わかりづらい関係性だが、彼女は彼女なりに従者のアルを大事にしているのだ。

そのことは、帝都でのプリシラとアルの再会を思えば疑うまでもなかった。

「で、あの調子だとアルはお前から離れたがらないだろうに、今どこいってんの?」

「貴様の言う通り、妾から離れたがらぬから小間使いを命じた。今頃は妾に褒められようと涎を垂らして励んでいようよ。半魔に首ったけの貴様と同じじゃな」

「否定できねぇし否定しねぇけども、振り回されてアルが可哀想……」

「――プリシラ様!」

「お」と聞こえた声にスバルが眉を上げると、小走りに道の向こうからやってくる幼い少年――シュルトの姿が目に飛び込んできた。息を弾ませる短パン姿の少年執事は、傍らのプリシラの前で慌てて急停止すると、

「あの、プリシラ様、ご無事で何よりであります! 僕は、僕はとても……わぶっ」

「童がくだらぬ気遣いなどするでない。妾を案じたのであれば堂々とせよ」

そう言って、プリシラが足を止めたシュルトを抱きすくめ、少年の頭が胸に埋まる。比喩表現抜きに本当に胸に埋もれたので、性別より生物感の違いを見た気分だ。

アルと同じく、プリシラの従者であるシュルトは、帝都から戻らない彼女を心底心配していた一人で、その触れ合いに蕩けんばかりに顔を赤くしている。

実際、帝都組――『ヴォラキア帝国を滅亡から救い隊』の面々が戻ったことをこれだけ喜んでもらえるのだから、竜車を急がせて戻った甲斐もあるというものだ。

「俺もこの姿で再会早々、パトラッシュに引っ叩かれた甲斐があったぜ……」

「ナツキ様からも、エミリー様にお礼を伝えてほしいのであります! あと、僕ももっとプリシラ様のお役に立ちたいので、急成長の秘訣をお聞きしたいのであります!」

「感謝されてドヤ顔するエミリアたんは何度でも見たいけど、俺の急成長は反則技だからなぁ。正規ルートからこの勢いで成長したら、成長痛で死ぬと思う」

「そも、貴様は無闇に背丈など伸ばす必要はない。今しばらくそのままでいよ」

「うー、板挟みであります……」

自分の望みと主の望み、二つに挟まれたシュルトが苦悩の表情。スバルも、彼がプリシラに抱く親愛とも憧れともつかない心情はわかるので、苦悩にも共感する。

「まぁ、共感したところでためになるアドバイスは何もできないけどな!」

「くだらぬというより、憐れな男じゃな。シュルト、一人で出歩いておるのか?」

「いえ、違うであります! ウタカタ様がシュドラクの皆様と一緒なので、僕は……」

プリシラの胸の中、埋もれたシュルトがちらと顔を背後に向ける。その仕草につられて通りを見ると、そこに見知った仏頂面を発見――ハインケルだ。

スバルも、彼が帝国にきていて、『大災』の撃退に協力したのは知っているが。

「シュルト、あのオッサンにイジメられたりしてないの?」

「そんなことないであります! ハインケル様はお優しい方であります!」

「それは絶対に嘘」

たとえ身内であろうと、誤った認識を広めるのはよくない。ハインケルが優しいという話は、ロズワールをお人好しの正直者と表現するようなものだ。

実際、ハインケルもそのシュルトの評価を苦々しく思っているようで。

「チビ、余計なこと言ってんじゃねえ。捨ててくぞ」

「たわけたことを言うでない、凡俗。シュルトをどう扱うかは妾の決めること。むしろ、貴様の方が帝国に捨て置かれることを恐れるがいい」

「ぐ……! 俺は今回、それなりに……それなり、に……」

「役立った、と自らを誇るならばせめてはっきり告げることじゃな」

顔をしかめて口ごもったハインケルに、プリシラが退屈そうな目つきで告げる。それから彼女は胸の内のシュルトを振り向かせ、ハインケルへ押し出した。

「シュルト、妾は巡らねばならぬ相手が多い。こんな時間じゃ。夜更かしせずにおけ」

「わ、わかりましたであります……! なんだか目が冴えてしまっているでありますが、頑張っておやすみするであります!」

さすがに興奮状態の醒めないシュルトに、プリシラは「それでいい」と頷いた。それから、シュルトに寄り添われ、何も言えなくなっているハインケルを見ると、

「大儀であった、ハインケル・アストレア」

「あ?」

「貴様の生き方は無様で見るに堪えんが、鍛えた剣筋だけは見るべき点がある。努々、報われぬとあっても精進を忘れるな」

「……俺が報われるかどうかはあんた次第なんだがな、プリシラ嬢」

そう言って、ハインケルは顔を背けると、自分の赤髪を乱暴に掻いて歩き出す。

その遠ざかる背中に、スバルも「オッサン」と声をかけて、

「ガーフィールが助かったってよ。――うちの弟分が世話になった」

「――けっ」

態度悪く、ハインケルは足も止めずに歩き去る。深々と頭を下げたシュルトが、その背中を慌てて追いかけていくのを見送り、スバルはプリシラに肩をすくめた。

「前はまともに答えてもらえなかったけど、なんでラインハルトの親父と一緒に?」

「誰かの父親などという人間はおらぬぞ。答える気にもならぬ問いかけじゃな」

「う……お前に真っ当なこと言われると、胸が辛くなる」

そう自分の胸をスバルが押さえると、「たわけ」とプリシラに扇で頭を小突かれた。その小突かれた部分を撫でるスバルに、プリシラは軽く顎をしゃくると、

「そら、妾を退屈させるつもりか? 道化の務めを果たすがいいぞ、ナツキ・スバル」

そう改めて名前を呼んでくる彼女に、何故か逆らう気が起きないのだった。

△▼△▼△▼△

「貴様たちは揃って、忙しい俺の眉間に皺を刻みに現れたのか?」

と、顔を出したスバルとプリシラを迎え、アベルは言葉通りに眉間に皺を刻んだ。

大要塞の一室、執務室というほど立派な部屋ではないが、早急に見通しを立てる必要のある戦後対応のため、アベルは夜を徹した仕事に追われているらしい。

プリシラ同様、彼も『陽剣』を振り回して、動く城と戦った一人のはずだが。

「やっぱりタフなお前って違和感すげぇな。もう俺とキャットファイトできないじゃん」

「元より、貴様とそのような怪しい儀式に興じるつもりはない。くだらぬ用件で邪魔をするのなら、疾く出ていけ」

「邪魔するなら出てけとは言うけども……」

突き放してくる皇帝の言葉に、スバルは彼が作業する机の傍らにあるソファを見る。そこには肩を寄せ合い、仲良く眠っているフロップとミディアムの二人がいた。

無事に再会したオコーネル兄妹は微笑ましいが、隣の皇帝とのコントラストが強い。

「こっちの二人は追い出さないのな」

「……起こせば、その方が面倒が増えるとわかっているだけだ」

「何とも兄上らしい物言いよ。相変わらず、大事なものにはすこぶる甘い。妾が国外へ逃れるのを良しとしたのも、兄上の愛ゆえであったからな」

パタパタと扇で顔を扇ぎながら、平然とそう口にするプリシラにアベルが黙る。

それは何を言ってもという沈黙とも、図星を突かれた沈黙ともどちらとも取れて。

「シスコン皇帝……」

「意味はわからぬが、貴様のそれが不敬の極みであることは察しがつくぞ」

「できぬ脅しなどやめよやめよ。此度の『大災』を理由に、帝国は王国と都市国家に借りを作りすぎた。ナツキ・スバルらの陣営には特に、な」

「プリシラ……俺の陣営じゃなくて、エミリアたんの陣営だから」

珍しすぎるプリシラのフォローだが、大事なところはしっかりと訂正。それにプリシラは「よく躾けられておるな」と呆れ顔だが、アベルは静かに指で眉間を揉んだ。

そうするアベルが両目をつむったのを見て、スバルは「おや」と思う。

「――なんだ、ナツキ・スバル。まだ俺への不敬を重ねるつもりか?」

「そういうわけじゃねぇよ。ケンカしたいわけでもなし、忙しいならもういくし」

唇を尖らせ、スバルは気付いた事実を指摘しなかった。アベルが無自覚にそうしているとも思わない。変化の理由と切っ掛けは、確かな形としてあったはずだから。

そしてその変化を快く思ったのは、どうやらスバルだけではなかったらしい。

「プリシラ、貴様もだ。俺には為さねばならぬことが多い」

「妹よりも帝国か。十年かけて、ようやく兄上の中でも天秤が定まったか。ならば」

「なんだ?」

言葉を区切ったプリシラに、アベルが微かに眉を寄せる。そのアベルの前で、プリシラはドレスの裾を摘まむと、その場で深々と一礼してみせた。

そして――、

「――神聖ヴォラキア帝国、第七十七代皇帝、ヴィンセント・ヴォラキア閣下。御身が帝位に就かれたこと、心よりお祝い申し上げる」

「――――」

「せいぜい、剣狼の群れの統率にあくせくと勤しむことじゃ。今しばらくは気の休まらぬ日々が続くことであろうよ」

真剣な表情で祝いの言葉を、その後の忠告を不敵な笑みで、プリシラは兄に告げる。その緩急自在の妹の態度に、アベル――ヴィンセント・ヴォラキアは嘆息した。

それから彼はちらと、ソファの上で肩を寄せ合って眠るオコーネル兄妹を見やり、

「プリシラ。――貴様はこの世で唯一、俺が気を許せた妹だ」

「全く以て、我が兄上らしい迂遠な愛の告白じゃな」

挑発的な笑みを音を立てて開いた扇で隠しながら、プリシラが今のアベルの発言をそう解釈した。それについては、この場に居合わせたスバルも全くの同意見。

ただ、それに一言、第三者として付け加えることがあるとするなら――、

「俺からしたら、お前らは嫌になるぐらい似た者兄妹だよ」

なんて言ったスバルを、似た者兄妹はよく似た目つきで不機嫌に睨みつけてきた。

△▼△▼△▼△

「ヴィンセント閣下と話していたでありんすか、プリシラ」

「む、母上か」

チーム皇族とチーム行商人の、帝国の二種類の兄妹仲を堪能したところで、スバルとプリシラは要塞の通路でヨルナと、彼女と連れ立ったユーガルドに遭遇した。

二人の行く先はアベルの部屋らしく、こちらと入れ違いに彼に用があるようだ。

そのヨルナは切れ長な瞳を細め、しげしげとスバルたちを眺めてくる。この取り合わせがさぞや珍しいのだろうと、そうスバルは思ったのだが、違った。

「初めて目にしんしたが、こうして手足の伸びた童はなかなか見慣れぬでありんすな」

「……あ! そう言えば俺、ヨルナさんに女装とショタ状態しか見せてない!?」

衝撃的な事実が浮上し、スバルは帝国でバリエーションに富み過ぎた自分に驚く。そのスバルの驚きにヨルナは口元に手の甲を当てて笑い、

「閣下、こちら様は王国の騎士様でありんす。つい先ごろまでは童の姿に縮んでおりんしたが、わっちと初めて会ったときは見目麗しい女人の姿でありんした」

「ふむ。我が星が見目麗しいとまで評するとは、余も興味を抱かぬではないな」

「いやいやいや、そんなやめてくれよ。そりゃ、ナツミ・シュバルツは誰にお見せしても恥ずかしくない高潔な淑女だけどさ……」

「凡愚にしては称賛に値する技術じゃが、貴様の自己評価は歪んでおるな」

冷静と情熱の間をゆくスバルの答えに、プリシラが呆れた風にコメント。その後、彼女はアベルの部屋の方を軽く気にして、

「母上と『茨の王』は何ゆえに兄上を訪ねる」

「余の残された時間もわずかであろうからな。それが尽きる前に、我が子の子らと、我が星の願いについて話しておきたい」

「残り時間……」

ユーガルドの答えに、スバルは目尻を下げてヨルナの方を見た。

――こうして、自然体でヨルナといるユーガルドだが、彼もまた屍人だ。スピンクスと同じように、生者と遜色ない見た目をしているが、そこは揺るがない。

「おそらく、自身の生への充足が外見に影響しているのだろう。余としても、熱の通わぬ体で我が星を抱擁するより、こちらの方がいい」

「血ではなく魂の繋がりとはいえ、娘の前で母上への愛を堂々と嘯くものよ。それでこそ『茨の王』といったところじゃが……母上の願いとは?」

「――。わっちの、転生し続ける魂の束縛のことでありんす」

静かなヨルナの言葉、その概要をスバルは触りの部分しか知らない。

ヨルナはかつてアイリスと呼ばれた少女で、彼女の魂は死ぬたびにオド・ラグナの洗礼を受けずに地上へ戻り、次の体に転生する形で蘇り続けているのだと。

だから、ヨルナが今回の内乱と『大災』への貢献でアベルに望むのは――、

「――撤回を願うでありんす。狼人と土鼠人に対する、帝国の出した種絶の命令を」

「え……」

「元より、それがわっちの望み……『九神将』になったときは、わっちの愛し子たちを迎える魔都を頂戴するのを優先したでありんすが」

「――なるほどな。母上の魂を縛るのに用いられているのは、古の時代より積み上げられた狼人と土鼠人、その二つの種族の血肉と命、その供給を断てばおのずと呪いは消える」

「そして当時、その命令を下したのは他ならぬ余だ。余の口から今代の皇帝へ撤回を求めれば、我が星にも我が子の子らの名にも傷を付けずに済もう」

そう言って、ユーガルドは自分の腕を抱いたヨルナに優しい目を向ける。

その瞬間、スバルは表情の変わらない『茨の王』の瞳の奥に、長年にわたって後悔や慙愧の念が燻り続けていたのだと理解した。

『アイリスと茨の王』――この世界で古くから語られる物語の中で、いったいどんなドラマが彼と彼女の間にあったかはわからない。

だけど、仮にそれが悲劇に終わったなら、これはその後日談だ。

「だったらせめて、少しでも後味がいいようなエピローグがあっても俺はいいと思う」

「見解の相違じゃな。後世の余計な行いが蛇足になることも十分にある」

「お・ま・え・な……!」

当事者の、複雑な関係ながら娘であるはずのプリシラが波風を立たせようとしたので、スバルは空気を読めと叱ろうとした。が、先に「じゃが」と彼女は言葉を継ぎ、

「母上と『茨の王』であれば無粋な真似もすまいよ」

「――。やはり、テリオラの面影があるな。そうは思わぬか、我が星」

「言われてみれば確かに……道理で、より愛おしく思えるはずでありんした」

「妾を妾以外と並べてそのような話をするでない。母上たちでなければ許さぬところよ」

ぴしゃりとプリシラに言われ、ヨルナとユーガルドがその唇を綻ばせる。

不思議な間柄で、実際にそうというわけではないのに、傍からは三人が仲のいい親子のように見えて、スバルは何となくこそばゆい気持ちで頬を掻いた。

そのスバルの仕草に、「退屈させたでありんすな」とヨルナが微笑み、

「わっちと閣下はゆくでありんす。プリシラ、童とケンカしてはいかんでありんすよ」

「子ども扱いするでない。第一、この凡愚が妾を怒らせるなら首を刎ねるだけじゃ」

「恐ろしいことを言うな! じゃあ、ヨルナさん、ユーガルドさん、また」

くすくすと、母子らしいやり取りをするヨルナとプリシラの傍ら、スバルはユーガルドにそう声をかけた。――またと、そう言ったが、これが最後な気がした。

同じことを相手も思ったのだろう。かつての皇帝はスバルを真っ直ぐ見て、言った。

「善き日々を愛するものと過ごすがいい。そなたと、そなたの星に幸いあらんことを」

△▼△▼△▼△

「わ、スバルとプリシラが一緒にいるなんて、すごーくビックリしちゃった」

「ホントやねえ。まだやらなならんことたくさんあるのに、明日雨やと困るわぁ」

そう言って窓の外、夜空を眺めるアナスタシアにプリシラが「ふん」と鼻を鳴らす。

思いがけず、人と話す機会が多いと水を飲みに休憩室に立ち寄ったところで、テーブルで顔を突き合わせているエミリアとアナスタシアに遭遇した。

プレアデス監視塔への冒険以来、珍しい取り合わせというわけでもない。エミリアの驚いた通り、スバルとプリシラの方がよっぽど驚きだろう。

ともあれ、肉体労働と頭脳労働、役割の違う二人はこの場で何をしていたのか。

「ええと、実は今日はもう働いちゃダメってオットーくんに叱られちゃって……」

「そもそもの話、帝国の戦後処理にまでウチたちが口を挟みすぎるんもよくないやん? それで、休む前にちょっと話そか~ってなったんやけど……エミリアさんの、ナツキくんの自慢話がちっとも終わらんの」

「え、俺の話? エミリアたんが? 聞きたい聞きたい」

興味津々なガールズトークがあったと聞いて、スバルが前のめりになる。が、そのスバルの襟首が後ろから掴まれ、「ぐええ!」と悲鳴がこぼれた。

それをしたのは当然、スバルの首を絞めるどころか刎ねかねないプリシラだ。彼女はスバルの襟首を離すと、エミリアとアナスタシアを牽制するように見据え、

「半魔と女狐、仮にも王選の候補者同士が顔を合わせ、話題が凡愚の活躍じゃと? くだらぬ時間の使い方をするでない。星でも数えていた方が幾分かマシじゃ」

「あ、わかる。私も森で一人だったとき、たまにそうやって時間を潰してて……」

「ウチはそれより、貯めたお金数えてる時間の方が長かったかなぁ」

「おいおい、今のプリシラの暴言で話題広がるのよくないよ」

星でも数えていろなんて、何もかも投げ出して寝ていろレベルの暴言だ。もちろん、スバルも星なら星座探しで無限に時間を潰せるが、主旨はそこじゃない。

その夜空に広がりかねない話の拡大を防ぐと、ふとエミリアが「ふふっ」と笑った。

「でも、なんだかすごーくへんてこね。私もアナスタシアさんもプリシラも、みんな王国の王様候補なのに、こうやって帝国にいるんだもの」

「ナツキくんが迂闊に塔から飛ばされんかったらこうならんかったのに」

「あれは不可抗力だし、俺が飛ばされてなかったら帝国滅んでておかしくないし」

それで発端の出来事を帳消しにできるわけではないが、『大災』の規模を考えるとあながち間違いではあるまい。飛ばされてよかったとは言わないが、意味はあったというか作った。

もっとも、そんな話をプリシラは鼻で笑うかもしれないが――、

「――そうじゃな。貴様ら抜きでは、帝国の歴史は昨日今日で終わっていたろうよ」

「わ」「へえ」「お?」

「揃いも揃って間抜けな声を出すでない。歴然とした事実を述べただけよ」

それだけ、とプリシラは言うが、それだけを口にしたことがスバルたちには驚きだ。

思いがけないプリシラの言葉に、アナスタシアが「なになに?」と含み笑いし、

「意外やったわ。そないに素直にウチたちに助けられたて言うやなんて」

「思い違いをするな。帝国はプリスカ・ベネディクトの故国であって、すでに妾の故国ではない。帝国の存亡に責任があるのは皇帝と付き従う兵じゃ」

「と思ったらこれやもん。そうそう、お姫さんはこうやないと張り合いないわ」

「もう、プリシラはへそ曲がりなんだから、アナスタシアさんはからかわないの」

「へそ曲がりってきょうび聞かねぇな……」

そのエミリアらしい物差しに、スバルは呆れと感心を等分しながら苦笑した。

ただ、エミリアやアナスタシアの気持ちもわからないではない。以前、スバルにとってプリシラはあまりに未知の存在すぎて、理解できない別の生き物みたいだった。

彼女の洞察力や強さは認められても、その人間性は言葉の通じない肉食獣のようで。

そんなプリシラへの印象が、この帝国での日々でずいぶんと変わった気がする。

「今ならプリシラも、エミリアたんとアナスタシアさん、それにクルシュさんやフェルトとおんなじ、王選候補者って認められるぜ」

「何故、妾が貴様に認められる必要がある。口の利き方に気を付けよ、凡愚が」

「またそうやって悪い言い方して……でも、ちょっとその話もしてたのよ。ね?」

胸の前で手を合わせたエミリア、彼女の呼びかけにアナスタシアがはんなりと微笑む。

「ほら、プリステラのことがあったやん? あのとき、呼びつける理由がないからてお姫さんだけ声かけへんかったんやけど……」

「次はプリシラも誘いましょうって。せっかく、同じ王選候補者なんだもの」

「凡愚、貴様の主は王選が何たる催しか知らぬようじゃぞ」

「可愛いでしょ。これ、俺の天使」

プリステラでの候補者同士の会合も、バカンスが目的ではなかったはずなのだが、エミリア的にはプリシラを仲間外れにしたようで気が咎めていたのだろう。

とはいえ、魔女教が暴れるような事態になるくらいなら、バカンスの方がずっといい。

「どうせなら、次は水着バカンスできるところにしようぜ」

「ナツキくんは欲望に素直な子ぉやねえ。ま、考えとかんでもないわ。もちろん、お姫さんが誘わんでええって言うんなら誘わんけど?」

「プリシラ……どう?」

挑発的なアナスタシアと、おずおずと小動物的なエミリア。二人の美少女かつ王選候補者からの誘いに、果たしてプリシラは肩をすくめた。

「好きにせよ。興が乗れば善し、乗らねば悪し。特段、妾に無下する理由はない」

「――! ええ、そうしましょう。私たちみんな大変な立場だし、悩み事だってうんとたくさんあるけど……仲良くしちゃいけない理由はないと思うから」

「エミリアさんにかかると、何でも柔らかぁくされてまうから困りもんやなぁ」

乗り気と受け取らせないプリシラの答えが、エミリアにかかると前のめりに食いついてくれた風に聞こえて、スバルもアナスタシアの感想に頷く。

プリシラも、それをわざわざ訂正しようとは思わなかった様子で夜空を見上げ――、

「――貧民街の小娘と公爵、それに都市国家の女狐と銀髪紫紺の瞳の半魔」

「――? プリシラ?」

「何のことはない。ただ、そのように並べ立てて見れば、殊更に出来の悪い物語の登場人物のようだと思っただけじゃ」

「出来の悪いは余計だろ。第一、お前だって人のこと言えない立場だと思うぜ」

浸っている風なプリシラも、帝国の死んだはずのお姫様なんてポジションなのだ。物語を賑やかす肩書きとしては、十分すぎるぐらい派手なものだろう。

それを言ってから、スバルはさすがにプリシラを怒らせる発言だったかもしれないと心臓がキュッとなる。しかし、それは杞憂――否、杞憂どころではなかった。

「――違いない」

そう言って、プリシラが扇の先を唇に当てて笑った。

それこそまるで、友人との談笑の最中の少女のように、自然体で笑ったのだ。

△▼△▼△▼△

何となく離れる切っ掛けを見失い、スバルはプリシラと城塞都市を歩き続ける。

自分で言うのもなんだが、今日のスバルは働きすぎだ。そしてそれはプリシラにも、都市内で精力的に動き続ける大勢の人間にも同じことが言えた。

無論、スバルがそうであるように、気が昂って眠れないものがほとんどだろうが。

「まさか、全員疲れを知らない屍人だなんてことは……」

「――何を馬鹿なことを言っているんですか、あなたは」

「うひょわい!?」

ぼんやりと、石造りの渡り廊下から眼下の街並みを眺め、そこで右へ左へ行き交う人々の姿へのコメントをまんまと聞かれた。

しかも聞かれたくない相手――じと目でスバルを睨むのは、レムだ。

その手に水の入った桶を持ったレムも、どうやら眠らない人々の一人のようだが。

「それ、まだケガ人の手当てとか手伝ってるのか? 張り切る気持ちはわかるけど、働きすぎはよくないぜ。疲れたらすぐ休む姉様を見習えって」

「そっくりそのままあなたにお返しします。いえ、むしろ仕事がないなら、部屋に戻って大人しく休むのがあなたの仕事なのでは?」

「鋭い正論! ……仕事っていうか、やらなきゃなことがないじゃないんだけども」

つんつんと、胸の前で指を突き合わせ、ぼそぼそとスバルはレムに答える。その態度にレムの薄青の瞳が険しくなり、ますますスバルの勇気が萎んだ。

すると、スバルに助け船――否、単純に見苦しいと言いたげにプリシラが嘆息し、

「大したことではない。見ての通り、童の姿より多少手足が伸びたであろう。そのことで、童のときより関わりのあったものたちと顔を合わせづらいだけじゃ」

「大きくなっても足が短いは余計だよ! どっちもその通りですけどね!」

淡々と心中をプリシラに言い当てられ、スバルは「き~っ」と服の袖を噛む。

スバルに控えている大仕事――それがプリシラの言う通り、元の姿に戻った事実を『プレアデス戦団』のみんなに伝えるというものだ。

剣奴孤島以来、ずっと一緒にやってきた仲間たちだが、彼らには一度もスバルが縮んでいた事実を打ち明けていない。何なら、皇帝であるアベルの隠し子設定についても事実を明かしていないので、嘘をつきっ放しということになる。

「打ち明けて、みんなに軽蔑されたら立ち直れねぇ……いっそ、ナツキ・シュバルツは名誉の戦死を遂げたって方がマシに思えてくる……!」

「そんな嘘をつくなら、私があなたを軽蔑します。いいんですか、私に軽蔑されて」

「それも嫌だぁ。レムに嫌われたら生きていけない……!」

前門のレムと後門の戦団に挟まれ、心をボコボコにされるスバルが泣き言。その様子にため息をついたレムが、ふと自分を見るプリシラの視線に気付く。

胸を強調するように腕を組んだプリシラは、「レム」と彼女に呼びかけ、

「しばし離れた間に顔つきが変わったな。懊悩の種であった治癒魔法も役立てていよう」

「はい、プリシラさんの言いつけを実践する機会が多かったもので。……それと、ありがとうございました。星が撃ち落とされたあと、私たちみんなに力を分けてくれたあの優しい火……あれはプリシラさんがくれたものですよね?」

「ふむ。何ゆえ、そう思った?」

「――。直感です。短い間でも、プリシラさんと一緒に過ごしたからでしょうか」

水桶を胸に引き寄せ、レムはプリシラにそう答える。

言葉と裏腹に確信に満ちたレムの微笑、それを見たプリシラもまた「ふ」と笑った。

「よいぞ。金剛石の芯が通ったようじゃな。褒めて遣わす」

「あのあの、レム、実は街が危なかったときの星のあれ、撃ち落としたの俺とベア子なんだけど、それについてはどう? どう?」

「は?」

「出しゃばってすみませんごめんなさいあとでベア子を褒めてあげてください」

プリシラに負けじと褒められたい気持ちが出て、レムに軽蔑手前の目で睨まれた。すごすごと引き下がるスバルだが、プリシラの言うことにも一理ある。

金剛石の芯という表現が似合うくらい、今のレムは堂々としていた。そこにはラムやペトラたちとの再会、それに友人のカチュアの存在が大きいのだと思う。

「あとは、俺が不在の間、プリシラと何してたのかあとで詳しく教えてくれ」

「……一通り、全部が片付いてからにしてください」

「あ、だったらケガ人の手当てとか手伝うよ。それも俺に持たせていいし」

戦団のみんなと話すのを先送りにしたいわけではないが、疲れもあるのに忙しくしているレムを放っておくなんてとんでもない。

そう申し出たスバルに、レムは「でしたら」と水桶を一度差し出そうとした。

しかし――、

「――いえ。やっぱり大丈夫です」

「え!? お、俺、なんか気に障ることした!? 気遣いすぎて気持ち悪い!?」

「そこまでではないです。そこまでではありませんが……あなたが私と一緒にくると、プリシラさんが一人になってしまいますから」

「いやいやいや、だったらプリシラもケガ人の手当て手伝わせればいいじゃん」

「正気ですか?」

「言いすぎだと思うけど俺も正気の発言ではなかった!」

信じ難いものを見る目を向けられ、スバルも反省。とはいえ、プリシラを理由にレムに手伝いを断られるのも変な話だ。

そもそも、今スバルがプリシラといるのも、たまたまそうなっているだけで、深い理由があるわけでもない。

ベアトリスやスピカが構ってくれるなら、こうはなっていなかったはずの夜だ。

「でも、ベア子もスピカも精霊とか権能関係で有識者に捕まっちゃったから……」

「それならやっぱり、プリシラさんのお傍に――」

「レム、くだらぬ気遣いは不要じゃ。大体、凡愚など連れ歩いてなんとなる」

「ほら見たことかって言うのも変だけど、最初に連れ歩き始めたのはお前だからね!」

道化の役目を果たせと連れ出され、こうして叫ぶ羽目になるのは確かにピエロ。

ただ、そのスバルの訴えを余所に、レムはプリシラをじっと正面から見つめた。そのままレムは、自分の中でも形にならない言葉をしばし探しあぐねていたが、

「私が、プリシラさんに一人になってほしくないんです」

「――。時間をおいて出てくる答えがそれか。貴様もわからぬ娘よな」

「でも、今はこの胸、痛まずに済んでくれています」

そのレムの答えは、スバルには意味のわからないものだった。

おそらく、スバルの知らない、レムとプリシラの間だけで交わされたやり取りの一部。それを受け取り、プリシラは一拍置いて、小さく鼻を鳴らすと、

「せいぜい、たくましく励め、レム。鬼の娘よ。――貴様にしか果たせぬ役目、叶えられぬ願い、達成できぬ未来が必ずあろう」

「――。プリシラさん?」

「ゆくぞ、凡愚。レムの頼みゆえ、特別に連れていってやろう」

「釈然としないけど、どこに?」

威風堂々とスバルの都合を無視して、プリシラが扇で渡り廊下の外を示す。それはスバルが眺めた眼下ではなく、星の見える夜天でもなく、その中間――城壁だ。

籠城戦で都市の城壁はどれも被害を受けていたが、幸い、その壁は原形を留めている。とはいえ、誰がいて、何があるというものでもなさそうな場所だが。

「レム、己の心に従え。貴様の心は波打っているが、その波紋は決して見苦しくはない」

「――ありがとうございます」

向かう先を示したあと、レムとプリシラがまたもスバルのわからない話をする。

ただ、穏やかなレムの表情が、スバルにそれ以上深入りする理由を与えなかった。

△▼△▼△▼△

人払いが済まされていたらしく、城壁の上には見張りの兵もいなかった。

『大災』との戦いを終えたばかりで、屍人も全てが退治されたわけではないことを考えれば、いささか以上に緊張感の足りない判断に思えるが――、

「じゃあ、どこの誰が姫さんの命令に逆らう勇気があんだって話よ」

と、スバルとプリシラを出迎えたアルが、空っぽの城壁の上に胡坐を掻いていた。その彼の傍らには高そうな酒の瓶と、グラスが二つ置いてあって。

「戦勝祝いに酔っ払ってんのか?」

「馬鹿言え、姫さんを差し置いて先に始めちゃいねぇよ。ってか、兄弟が一緒にいるとは思わなかった。超珍しい取り合わせじゃね?」

「会う人みんなに言われるし、当の俺もずっと尻がムズムズしてるよ」

酔っていないと自己申告するアルは、しかし、声の調子が弾んでいる。それは酒の力ではなく、勝利の余韻がもたらすほろ酔いなのかもしれない。

実際のところ、プリシラと街中をあちこち歩き回って、スバルもそれを痛感した。

「みんな、やることがあるとかだけじゃなくて、これを夢にしたくねぇんだな」

「詩人だねえ、兄弟。けど、わからねぇじゃねぇや。朝よ、まだこねぇでくれってな」

眠って目覚めて、勝利が夢になるのが怖いなんてネガティブな考えよりも、全員が一丸となって掴んだ勝利の一日を終わらせたくない気持ちだろう。

そう夜明け前の感傷を分け合うスバルとアル、その後頭部を不意に扇で小突かれる。「ぎゃん!」と揃いの悲鳴を上げて二人が振り向くと、プリシラの呆れ顔と目が合った。

「道化と凡愚が揃って、たわけたことばかり話しているでない。それよりも……アル、妾の言いつけ通りに受け取ってきたか?」

「お? おお、心配いらねぇよ。宰相の爺さんに頼んで城壁の見張りをどけて、別嬪の上級伯から酒ももらってきた。たぶん、目玉飛び出す値段だぜ、この酒」

「わかる。ラベルとか瓶の古さが値段を醸し出してる。俺、酒飲めないけど」

「わかる。仕舞ってた箱がいい仕事してたんだよ。オレもほぼ飲まねぇけど」

酒に無知な同士、スバルとアルが互いを指差してご愛嬌。その二人の態度にプリシラは肩をすくめると、代わりに手慣れた仕草で酒瓶を手にし、コルクを外す。

そして、甘い酒気を孕んだ酒が、二つのグラスにゆっくりと注がれた。

「酒杯が二つしかない。貴様らは一つの酒杯を分け合うがいい」

「あ、オレ、どうせなら姫さんと間接キスする方がすみませんごめんなさい黙ってます」

すごすごと引き下がるアルだが、茶々を入れたくなる気持ちがわかるのでスバルは彼を責められない。ともあれ、プリシラが自分のグラスに口を付ける横で、スバルは少し悩んでから、預けられたグラスに口を付けることにした。

「お、未成年飲酒」

「こっちの世界じゃ合法……げほがほっ!」

酒が舌の上を通過し、鼻と喉に香りが抜けた途端にスバルがむせる。それを「わはは」と笑い飛ばしたアルも、スバルからグラスを受け取って酒を飲む。

グラスを持った手で兜の顎を持ち上げ、隙間から酒が流し込まれると――、

「げほがほごぼべっ!」

「俺よりむせてんじゃねぇか! しっかりしろ、既成年飲酒!」

「揃ってやかましい。美酒の味わいもわからぬとは、敗れた『魔女』が嘆いていよう」

「謎に罪悪感湧くからやめてくれ……」

勝利の美酒も味わってもらえないなんて、要・謝罪ですとスピンクスが言い出すはずもないが、そんな気分でげんなりするスバル。

結局、スバルとアルがグラスの酒をちびちび分け合う間に、プリシラが一人で瓶の酒を半分ほどまで減らしてしまった。詳しい度数などはわからないが、結構強めに感じた酒をあれだけ飲んで、プリシラはけろっとした顔をしている。

「姫さんが酒豪なの、イメージ通りだろ」

どこか自慢げなアルに、まさしくその通りとスバルは言い返せない。と、ようやくスバルとアルの担当したグラスが空になると、プリシラが見計らったように、

「夜明けが近い。少々興が乗った。――アル、妾に付き合え」

「けほっ……え? 付き合えったって、何を……うお!」

そう言って、空のグラスと中身の減った酒瓶を手すりの上にどけると、プリシラはアルの手を取って立たせ、そのまま壁上の真ん中へ彼を誘った。

戸惑うアルを引き寄せた彼女は、何事かと目を丸くするスバルに笑いかけ、

「ナツキ・スバル、歌え」

「無茶振りが過ぎる!」

「あれだけの美酒で舌は湿らせてあろう。そら、役に立たねばレムに言いつけるぞ」

「ぐぬぬ、卑怯な……! わかったよ!」

かなり無理やり流れに乗せられ、スバルは腕を組み、頭の中でセットリストを構築。そうする傍ら、アルはプリシラをまじまじと見返し、

「姫さん、オレ腕一本足りねぇのよ?」

「だからなんじゃ。足が二本と妾への忠誠心があろう。――始まるぞ」

それを合図にしたわけではなかったが、プリシラの言葉と歌い出しが重なる。

「――――」

そうしてスバルが選んだのは、元の世界由来のヒットソングではなく、この異世界に根付いている、スバルの好きな歌でもあった。

『剣鬼恋歌』はちょっと長すぎるし、歌っている最中に泣いてしまいそうだから。

スバルが選んだのは――、

「――朝焼けを追い越す空」

ゆっくりと、ヴォラキア帝国の夜が終わり、星のちりばめられていた昨日を押しのけ、新しい今日が騒々しくやってくる。

それを祝福するこの歌は、スバルが聞いたこの世界の歌の中で一等お気に入りだった。

「ふ」

楽器の演奏もなく、音を取っているのはあくまでスバルのアカペラの歌声だけ。

歌を生業にしている吟遊詩人のリリアナと比べられては形無しだが、それを受けて踊り始めるプリシラの舞こそが、歌うスバルへの最大の称賛に思えた。

「そら、踊れ踊れ、アル! 妾を退屈させるでない!」

「ええい、クソ! こうなりゃヤケだ! 兄弟! ビート上げてけ!」

――スバルの歌声を聞きながら、プリシラとアルが城壁の上でくるくると踊る。

プリシラの舞は華やかで、これを言ったらプリシラに怒られそうだが、グァラルでズィクルを誘惑したときのアベルの踊りと近しいものがあった。アルの不格好なダンスは盆踊りみたいに見えて、技術は拙いが、見ていて楽しい。

何より、プリシラもアルも、主従揃って楽しんでいるのが見て取れて。

「――――」

気付けばスバルも嫌々やらされていたはずなのに、歌いながら笑っていた。

朝焼けを追い越す空――それは必ずやってくる夜明けを謳った歌、その眩しさに焼かれて生まれ変わる世界への祝福、ある意味、焔に支配されたヴォラキアに相応しい。

そして、炎のように生きるプリシラは、最もヴォラキアらしい女だった。

「――――」

終わり方がわからなくて、二回、三回とリピートしてしまう。そうしている間に二人の踊りの息が合い始め、また終わらせる切っ掛けを失う。その繰り返しだ。

そんな風にやっている間に、本格的な朝日が、城壁を緩やかに照らし始めた。

酒も入れてしまったし、今日――否、昨日は盛大に働きすぎた。きっと、今日は一度眠ったら目を覚ますことはできないだろう。

キラキラと、眩しい朝日の中、アルと踊るプリシラがやけに煌めいて見えて――。

「――姫さん?」

不意の、それは不意の、アルの呼びかけだった。

「――――」

直前までの、隠す気のない上機嫌と、隠し切れない慕情の滲んでいた呼びかけ。それと異なる響きを交えたそれに、スバルの歌声もぴたりと止まる。

そしてスバルは目を瞬かせ、何度も、何度も目を擦った。

目を擦ったのに――、

「――あの歌女、リリアナ・マスカレードほどではないが、悪くない歌であった」

そう、背後から抱かれるようにアルの胸の内に収まるプリシラが称賛を口にする。

――そのプリシラの体が朝日に透けて、うっすらと消えゆこうとしていた。

△▼△▼△▼△

「――――」

朝靄に包まれる城塞都市、その城壁で愕然と、スバルはプリシラを見つめていた。

血色のドレス、陽光を映した橙色の髪、炎のような紅の瞳――いずれも、プリシラ・バーリエルという存在を形作るもので、何も変わっていないのに。

「ぷり、しら……?」

「貴様も知っていよう。妾の敵、スピンクスは帝国の滅びを妾に見せつけるため、妾を異なる位相へ閉じ込めた。そこより外に出るには、あの場を焼き尽くす他にない」

「――ぁ」

プリシラは、賢い。だから、スバルの震える声だけで、スバルが何を考えて、スバルが何を聞きたがっているのか理解し、スバルの疑問の答えを差し出してくる。

その整然とした答えで、スバルもわかった。わかってしまった。

「――――」

ユーガルド・ヴォラキアと、ヨルナと共にいた古い時代の皇帝と同じだ。

プリシラ・バーリエルは、自らの命と引き換えに異空間から舞い戻った。

その姿が朝日に透け、霞み、儚く消えていこうとしている理由は明々白々だった。

――ここにいるプリシラ・バーリエルは、すでに屍人なのだから。

「そんな……そんな馬鹿な話があるかよ!!」

呆然と、立ち尽くすスバルが何も言えない代わりに、叫んだのはアルだった。

彼はプリシラを後ろから抱いたまま、兜の内の表情を歪めているとはっきりわかるほど声を震わせて、強く強く、右腕一本で彼女を強く抱きしめた。

なおも、ゆっくりと昇る朝日に殺されていくようなプリシラを、手放さないように。

「違う、違うんだ、姫さん、こんなのは……き、兄弟!」

「――! そうだ。そうだ、違う、間違ってる。待ってろ、プリシラ、俺が……」

裏返ったアルの呼びかけに、ハッと顔を上げたスバルは視線を手すりに向けた。

『大災』を終わらせ、奥歯に仕込んだ毒の薬包は吐き出してしまった。だから、今すぐにやり直す術を選ぶとしたら、城壁から飛び降りるのが一番――、

「やめよ」

「やめろってなんだ! やめる、理由がねぇ! 俺はこんなの……!」

「――やめよ、ナツキ・スバル」

手すりに飛びつき、そのまま身を投げ出そうとしたスバルを引き止める声。だが、それに構わず、スバルは今一度、『大災』に挑むつもりでいこうとした。

したのに――、

「貴様とアルの権能は運命の条理さえ変える力があろう。だが、覚えておくがいい。たとえ貴様たちの力や祈りを以てしても、変えられぬことを望むものもいる」

「なに、を……何を、言ってやがる。そんな、そんな場合じゃねぇ! 今すぐに――」

「ナツキ・スバル」

歯を食い縛ったスバル、その手すりに置いた両手の爪が割れ、血が滲む。

プリシラの言い分を全部、何もかも無視して飛ぶべきだ。そう、『大災』を相手に何度も何度も命を使い、帝国の勝利を勝ち取ったスバルの心は叫んでいる。

だが、その叫びを押しのけるぐらい強く、プリシラの話に耳を傾けるべきとも。

その相反する理性と感情の衝突に動きの止まったスバルに、「兄弟!」とアルが叫ぶ。絶対に手放さぬとプリシラを抱いたまま、彼は癇癪を起こした子どもみたいに震えて、

「兄弟! 頼む……頼む! 何も聞くな! 聞かなくていい! やってくれ! 姫さんを……プリシラを助けてくれ!!」

「アルデバラン」

「――っ、やめろ、やめろ、プリシラ! オレは聞かねぇぞ!」

悲痛に絶叫し、スバルに懇願するアルがプリシラに呼ばれ、嫌々と頭を振った。

プリシラはアルのことを、スバルにとっては耳馴染みのある、しかし彼に対して使われるのは初めて聞いた呼び方をして、そっとその首を撫でる。

後ろから抱きすくめられ、背後の男の首を撫でる姿は、まるで絵画の一枚――現実に留めておけないほど儚いという意味で、まさしくそう思わせた。

「貴様たち二人は、帝国を救った。無論、他のものの奮闘はあろう。だが、費やしたもので貴様たちに匹敵するものなど誰もいない。妾はそれを称えよう」

そうして、嫌になるほど美しく微笑みながら、プリシラは続ける。

スバルの訴えも、アルの悲鳴も、柔らかく語るプリシラの言葉を止められなかった。

その紅の唇が、これまでのプリシラへの印象を焼き尽くすように、元からそうだったと焼き払うように、都合のいい愛しさという焔で心を燃やしていく。

「これまでも多く、貴様たちがそうしてきたことはわかる。貴様たちは常に自身を他者より高くへ置かず、今日まで過ごしてきたのだろう。故に、一度として貴様たちは正当な報酬を受け取ったことがないやもしれん。それを、妾が与えてやる」

そう言って、一度目をつむったプリシラが、その紅の双眸にスバルを映した。

そして――、

「――大儀であった、ナツキ・スバル。そなたは、真の騎士である」

その一言を与えられた瞬間、スバルの膝から力が抜けた。

「――ぁ」

くたっと膝をついて、スバルはその場に立ち上がれない。わなわなと唇が震え、頭の中があらゆる感情でごちゃごちゃに掻き回され、理解が追いつかない。

それなのに足の力が抜けたのは、確信したからだ。――魂が、理解してしまった。

プリシラ・バーリエルを、ナツキ・スバルは救うことができないのだと。

「アルデバラン、そなたにも……」

「やめろって言ってんだろ! オレは諦めねぇ! 諦められるわけがねぇ! だって、だってそうだろ!? オレが、オレが諦めたら、お前は……姫、さんは……っ」

膝を落としたスバルから目を逸らし、アルがなおもプリシラに食い下がる。彼はスバルに頼ることをやめて、懸命に運命を変えようと声を張り上げた。

だが、その声は徐々に力と勢いを失い、弱々しく、鼻をすする音が何度も響く。その、言葉の続かないアルに、プリシラは微笑んだ。慈母のように。

皮肉にも、その微笑がヨルナのそれと重なり、二人の母子関係を証明する。そうしてプリシラは、泣きじゃくる我が子をあやすように、

「なんじゃ、図体の大きな男がぴいぴいと泣き喚くなどと始末に負えぬ」

「――っ」

「はっはっは、よいよい、聞こえるぞ。妾にお嫁さんになってほしいと泣いておねだりするそなたの声がな」

「……ああ」

笑ったプリシラの言葉に、アルがか細い声で応じ、頷く。頷きながら、彼はプリシラの体をさらに強く、手放し難いものを手放さないために抱きしめて、告白する。

それは、それは紛れもなく――、

「ああ、なってくれ、姫さん。オレの、姫さん……」

それは、誰がなんと言おうと覆せない愛の告白。

男がその体の全部に詰め込んだ愛おしさを、腕の中にいる女に丸ごと届けと伝える愛。それを受け、プリシラの紅の瞳が揺らめいて、

「――そら見よ、また妾の勝ちじゃ」

言わせてみせたと、プリシラの微笑みの質が変化し、見慣れたそれに変わる。

これぞプリシラ・バーリエルであると、勝ち誇ったその表情は強気で高慢、あらゆるものを自分のものと公言して憚らない、傲岸不遜を絵に描いた美女。

その眩しさに誰もが目を焼かれ、存在を意識せざるを得ない『太陽姫』――。

「覚えておくがいい、自ら『英雄幻想』を背負うと決め、定められた運命に抗う術を持つものたちよ」

「貴様たちはこれから先も多くのものの傷を引き受け、痛みを分かち、涙を啜ることになろう。しかし、貴様たちの出会う多くのものは善良ではない。高潔ですらない。――完璧でも、ない」

「己の行いを悔やみ、肯定できなくなる日があろう。己の決断を嘆き、膝を屈する夜があろう。己の願いに背き、面を上げていられぬ朝があろう」

「愛するものの愛せぬところを、愛せぬものの愛せるところを、貴様たちは幾度も目にしては同じ躓きを得ることになる。――そしてそのたびに思い出せ」

「妾という、プリシラ・バーリエルという、完璧な女が貴様たちを称えたことを」

――そう口にするプリシラから、スバルもアルも目を離せない。

誰もいない城壁の上で、『大災』と戦うために最も大きなものを差し出し、それに一片の悔いもないと微笑み、霞んでいく彼女から、目を離せない。

目を離せないから、見えてしまう。プリシラの存在が光に溶けていくのを。

そして――、

「かくも世界は美しい。故に――世界は妾にとって、都合の良いようにできておる」

その言葉に偽りなく、世界から愛され、それ以上に世界を愛した女の姿が消える。

『太陽姫』と謳われ、炎のように生きたプリシラ・バーリエル。――次代の王を決めるルグニカ王国の王選、その候補者の、最初の脱落者が彼女だった。