軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八章36 『屍都ルプガナ』

――屍人に占拠された帝都ルプガナ。

今や帝都と呼ぶよりも屍都と呼んだ方が適切な地となったルプガナで、アルは行方の分からなくなったプリシラを探し、孤軍奮闘を続けていた。

とはいえ、主人の捜索は順調だったとは言い難い。

なにせ、人探しの基本と言えば目撃証言の聞き込みだが、決定的な証言どころか、役に立たないホラ話の類すらも、ここでは聞き出せる相手がいない。

いるのはいずれも、生者と見れば物騒な目的で迫ってくる屍人か、あるいは頭を抱えて息を潜め、何のアクションも起こさないことで生き延びた生存者のみ。

どちらであっても、アルの目的に役立たない相手だった。

もっとも――、

「生きた相手に会えたからといってそれでアルさんの目的が前向きに進むかと言えばそういうわけでもないのが世の中の不条理ですよねえ」

などと、世の中の不条理そのものであるセシルスがそういけしゃあしゃあとのたまう。

その意見には全くの同感だが、彼の言いようにあれこれと議論を重ねる余地は今のアルにはない。――五階建ての建物、その屋上の縁にぶら下がっているアルには。

「――クソ」

鉄兜の中、悪態をこぼすアルはセシルスのにやけ面から視線を外した。

この状況でセシルスに何を言おうと無駄だ。そもそも、こうしてアルがぶら下がることになった原因は、他ならぬ彼に屋上から蹴り出されたからだ。しかも、わざわざ屋上の端に呼び寄せ、遠くに何かあると思わせて後ろからの蹴りである。

それが害意の表れでなくてなんだというのか。

「テストというかチェックというかいずれにしても目的は見極めです。真っ逆さまに落ちなかったあたり反応はボスよりよさげではありますね」

「そう、かい。意味がわからねぇ」

「わからずとも結構! 僕の考えと願いは僕が把握していますからね。それとお伝えしておきますが僕がアルさんの引き上げを手伝うことはないです」

こちらの疑問に望まぬ答えを返し、あっけらかんとしたセシルスが手を叩く。

聞くまでわからなかった凶行の原因だが、答えを聞いてもわからない理由だった。そもそも敵意や殺意の話をするなら、アルはセシルスと大した話をしていない。

屍人の強敵から助けられ、軽くお互いの自己紹介を交わし、ここまでの動きと今後の目的をアルが語って、そしたら屋上から蹴り落とされたのである。

まさしく、出くわしたのが運の尽きとしか言いようのない存在だが、しかし彼の答えにアルが殊更に落胆することはない。

だって――、

「――何べんも聞いたから期待してねぇよ」

そう応じて、アルは自分から縁に掴まる手を放し、自由落下に身を委ねた。

「およ」

と意外そうなセシルスの声が遠くなり、浮遊感の中でアルは思考を走らせる。

地上までの距離は約十五メートル、超人たちなら難なく着地できる高さだが、なんとアルは凡人なので普通に死ねる。潰れたトメトの完成だ。

迫ってくる地面は濡れた石畳、落下の衝撃が和らぐほど水の量はないし、ぬかるんだ土がクッションにもなってくれないシビアすぎる仕様。

故に助かるには、落ちる以外のアクションがここで必要だった。

「おおあぁ!」

喉の奥から声を出し、アルは畳んだ膝を伸ばして思い切り壁を蹴る。

真下に落ちるはずのアルの体が斜めの推進力を得て、掴まっていた建物の向かい、同じ高さの建物への距離を縮めた。蹴るタイミングは落ち始めてから一秒と二秒の間、早くても遅くても壁にぶつかり、首を痛めて潰れたトメトは避けられない。

だが、このタイミングならば――刹那、アルの体が建物の窓をぶち破った。

「ぐおお!」

割れた窓ガラスを巻き添えに、アルの体が背中から荒れた室内に転がり込む。肩や背中をガラスで切って、床で打って甚大なダメージ。

「けど、生き残ったぜ……ッ」

滑り込んだ室内で後方回転し、跳ね起きたアルは自分の生存を確認。次いで致命的な傷や手足の骨折がないかを確かめ、それをパスして初めて生き残った宣言を認められる。

この時点で取り返しのつかない負傷があれば、取り返さなくてはならない。

「うおわ、左手がねぇ!? って、そりゃ二十年近く前からだが……」

お約束の小ボケを挟んで一拍置くと、アルはすぐさま廊下に面した扉の脇に隠れ、腰の裏の青龍刀を素早く抜いた。

転落死は免れた。だが、そのために派手な音を立てて建物に飛び込んでしまった。

当然、その音は周囲の注意を引いて――、

「ここか!」

「そうだよ!!」

慌ただしい駆け足と共に、扉を破って屍人が部屋に突入してくる。

勢いのある屍人の吶喊だが、その青白い横顔が目の前を通過するのに合わせ、アルは青龍刀を振り抜き、相手の首を刎ね飛ばした。

先鋒を即死させ、その首なしの体を盾に駆け付けた敵の数を確認。破られた扉の向こうに二人と、階段を上がってくる足音が一つで合計三人――最初の一人の死体の向こうで、驚き顔から立ち直る二番手が手にした短槍を突き込んでくる。

立ち直りが早い。嫌になる。

そう思いながら、相手の槍の軌道に首なし死体を割り込ませ――、

「やらかした」

致命傷を喰らった屍人の体は、すぐにやる気のなくなった陶器みたいに砕け散る。

だから、使い慣れた死体を盾にする戦法は通じないのだったと、アルは自分の胸に敵の短槍が致命的に食い込むのを味わってから思い出した。

× × ×

「ここか!」

「そうだよ!!」

慌ただしい駆け足と共に、扉を蹴破った屍人の首を刎ね飛ばす。

そのまま邪魔な首なし死体を横へ蹴飛ばし、アルは飛びずさって部屋の奥へ。それを追いかけ、次鋒が手にした短槍を突き出しながら乗り込んでくる。

「ドーナ!」

その短槍が、床から突き上がる土壁に先端を呑まれ、無理やり捕獲される。

それが相手の注意を引いたと見るや、アルはその土壁に足裏を付けて、

「ドーナ! ドーナ! ドーナ!」

足を当てた土壁、そこから横向きに土の柱が飛び出し、向こう側にいた屍人を正面から打ち据え、背後に吹っ飛ばした。

次鋒と、その後ろに続こうとしていた中堅をまとめて土の柱が押し戻し、その柱の先端から次の土の柱が、さらにその先端から次の土柱が発射され、多段式のロケットのような勢いで二人の屍人をまとめてスタンプ、通路の壁と圧殺する。

「あと一人……!」

柱と壁の間で大きめの陶器の割れる音が聞こえ、三人までを一息で片付けたと、土壁に足を付けたまま敵の動向をアルは警戒。

先鋒を奇襲で、次鋒と中堅を小技で倒した。あとは副将だか大将だかが、形勢悪しと引き返えしてくれればアルとしては安泰だが――、

「まぁ、そううまくはいかねぇわな!!」

入口を塞いだ土の柱が壁ごと粉砕され、最後の屍人が強引な手段で部屋に侵入する。

それは巨大な戦斧を手にし、顔の中央に金色の巨眼を宿した単眼族の屍人だった。一目でそれが、それまでの三人と実力が違いすぎるヤバさと判断、アルは背を向けて無我夢中で部屋の窓に向かい――、

「間に合うかぁ!!」

間に合ったところでな勢いで、叫ぶ背中ごと、横薙ぎにされた戦斧の破壊力をまともに喰らい、アルはぶちまけた内臓で建物の内装をグロテスクに模様替えする羽目になった。

× × ×

「ここか!」

「そうだよ!!」

慌ただしい駆け足と共に、扉を蹴破った屍人の先鋒の首を刎ね飛ばす。

次いで、通路に二人と、階段を上がってくる最悪の敵が一人いるとわかっている。その上でアルは大きく後ろに飛びずさり――、

「ドーナ!」

目の前の次鋒と中堅に対処し、最後の化け物の攻略法の血路を開かなくてはならないのだった。

△▼△▼△▼△

「わあ、すごいすごい! 最後に飛び込んでった単眼族の方はアルさんじゃ絶対に勝てない相手だと思ったのにやるもんですねえ」

「超クソ野郎……」

「おやおや、大変な難敵だったのはそうでしょうが激戦を繰り広げた相手をそう腐すのは好まれる態度とは言えませんよ。もちろん汚い言葉や罵詈雑言は印象的にはなりがちですが悪名も無名に勝るなんて考え方は僕は好みませんね!」

「オレはお前に言ったんだよ……」

おびただしい傷を全身に負い、肩で息をしながら建物を出たところを迎えられ、アルはずるずると壁に体を預けてその場にへたり込む。

すると、出迎えと同時にアルに詰られたセシルスは目を丸くしていた。

「なんで、そんな風に言われるなんてビックリ的な顔ができるのか本気でわからねぇ。二重の意味で殺しかけた相手だぞ。サイコパス野郎でも恨まれることの身に覚えぐらいはあるもんだろ……」

「ほう、さすがに短期間でボスの言葉の全部を学べたわけではありませんから僕の知らない単語もあるものですね。ちなみにその『サイコパス』というのは?」

「異常者って意味とほぼ一緒だよ。他人を殺しかけても平然としてやがる」

「へえ。でもだとしたら僕はそのサイコパスには当たらないと思いますよ。――だって、アルさんはどういうわけか死なないじゃありませんか」

へらへらと笑い、方向性のねじ曲がった自己弁護を口にするセシルス。

そのセシルスの答えに、その場にしゃがみ込んだままアルは呼吸を整えるのに集中。その間黙っているアルに、セシルスは指を一本立てて続ける。

「先ほどの単眼族の彼はなかなかの腕前でしたよ。生憎と僕には遠く及びませんがアルさんであれば百回やって百回負けます。これは僕の目で見た真実です!」

「……でも、オレが生きてるぜ? それとも死んでるってか?」

「いえいえ生きているんでしょう。もしかしたら屍人が生者を装っているのかななんて疑いもあったんですがそういうわけでもないご様子。となると考えられるのは一個。――アルさんは百一回目を引いたんですよ」

指を立てた手と、反対の手の指を一本立てて、二本の指を見せてくるセシルス。

その二本を足しても二にしかならないし、好意的に見ても十一でしかないが、その意図を反映しない仕草よりも、アルはその言動に息を呑んだ。

「百一という数字には拘りません。百二でも百三でも二百でも結構! アルさんは百回やって百回あの単眼族に負けます。ですが千回万回十万回やったら? 文字通りの万一を引き起こせるかも。それを最初に引いた。違いますか?」

「――っ」

黙って息を整えるのに集中、と誤魔化すのは限界だった。

アルは鉄兜の中、相手には見えない表情を歪めて、心の底からセシルスに恐れを抱く。その眼力と言動、いったい何なのかアルにすら理解できない。

今のセシルスの言いようは、アルが持っている権能をほとんど言い当てている。それも理屈ではない、言うなれば当てずっぽうな捉え方でだ。

セシルス・セグムントと名乗った少年は、このヴォラキア帝国最強の『青き雷光』と同じ名を持つだけでなく、明らかに世界の異物だった。

「背丈は、オレや兄弟と同じ理由かもしれねぇが……」

自分やスバルがオルバルトの手で『幼児化』させられたように、セシルスがオルバルトに縮められた可能性は十分考えられる。

当人は『九神将』の『壱』と自分を同一視していないが、『幼児化』が深刻になると意識まで外見に引っ張られる感覚はあった。セシルスも同じ可能性が高い。

アルの場合は強引に精神を最適化させたが、その荒療治はアルとスバルしかできない。そのため、セシルスは為す術なく精神が縮んだと考えられる。

それが、セシルスを幼い怪物にしたのなら、オルバルトのしでかしの影響は深刻だ。

「答えがないのは答えられないからか答えたくないからか……どちらです?」

静かなセシルスの問いかけに、アルはもたれていた壁を頼りに腰を上げた。

静けさの中に剣呑な色を宿したセシルスのそれは、彼の中で振り子が大きく左右に振れている証だ。それは、自分がアルの敵と味方のどちらに立つか決める振り子。

この、未曽有の災いに見舞われた屍都であっても関係のない、些事への拘りだ。

「思うのです。思うのですよ僕は。仮にアルさんが万一の一を最初に引き当てるような何かをお持ちなら……僕を相手にもそれを引き当てられるのだろうかと」

その場合は万一どころか、億一や兆一なんて可能性も十分にありえそうだ。

しかし、ゼロでないなら。

「言っとくが……オレの魅力を掘り下げるのはそこまでにしときな。さもねぇと、いらない相手に睨まれてめちゃくちゃ後悔することになるぜ」

「なんと! 僕を相手にその言いよう。嫌いじゃないです、むしろ好き」

ますます、面白いとでも思われたようなセシルスの反応にアルは嘆息する。

何とかセシルスの興を削ぐ言葉を探したいところだが、見た感じ、時間がない。ようやく、転落死からの屍人ラッシュをしのいだのだ。

負担は大きいが、ステージを進める必要がある。

「――領域解除、然るのちの再展開、思考実験再動」

セシルスが余計な動きをする前に、アルは一度設定したマトリクスの再定義を行う。

頻度と規模が理由で反動が大きすぎるが、少なくともヴォラキア帝国を出るまでアルは代償を無視し続けると決めている。――プリシラを取り戻すのが、最優先だ。

「そのためなら、オレは何度でも――どぅわぁ!?」

そう、決意を込めた言葉を発そうとした瞬間だった。

言い切るよりも早く、正面のセシルスの姿が霞み、直後にアルはゾーリの靴裏を脇に受けて、真横にひっくり返されたのだ。

そのあまりの暴挙に、地べたを滑りながらアルは絶叫する。

「お、かしいだろ! あれだけ舞台映えがどうとか言っといて、人が話してる途中で攻撃仕掛けてくんのかよ!」

「いやいやいや違いますって! 僕がそんな無粋をするなんてとんでもない! それはもはや割腹ものの行いですよ。そうではなくて、ほら」

「ほらって何が……」

滑り終えたアルが体を起こすと、弁明するセシルスが壁を手で示した。見れば、アルが直前まで立っていた位置、その胸のあたりの高さに拳大の穴が開いている。

さっきまではなかった。しかし、唐突に生じた穴だ。

それはつまり――、

「狙撃……ぎょうっ!」

「ちょっとご無礼!」

目を見開いた刹那、再びセシルスの姿がブレ、直後にアルは全身に加速のGを味わい、真後ろへと体が突き進むのを感じた。

猛然と走るセシルス、彼がアルの腰に手を引っかけ、そのまま一緒に疾走を開始したのだ。そして、風になった二人に追い縋るように――、

「おいおいおいおいおい、なんだなんだなんなんだ!?」

後ろに飛ばされる錯覚の中、アルの視界で次々と街路や建物の壁が穿たれ、凄まじい何かが乱舞しながら追いかけてくる。

最初の印象通りならそれは狙撃だ。狙撃が、アルとセシルスを追いかけてくる。

「狙撃なら、スナイパーは動けねぇのが鉄則だろうが!」

じっと待ち構え、相手を照準が捉えたら一撃必殺を叩き込む。

それが狙撃の基本であり、鉄則のはずだ。それなのにこの狙撃は、逃げるアルたちを的確に追いかけ、遮蔽物に隠れようと先回りして狙ってきさえする。

百人の狙撃手に囲まれたか、自由自在に高速移動できる狙撃手に狙われたとしか。

「おっと! おっとと! おっとっとぉ!」

「ぶわっ! おぐっ! 舌噛んだぁ!」

その恐ろしい精度と自由度の狙撃に狙われながら、アルを連れて逃げるセシルスは右へ左へ、上へ下へと身を動かし、その攻撃を回避し続ける。

しかし、彼は一切周りを見ていない。アルは気付く。――山勘だ。セシルスは山勘で、超級の狙撃をよけ続けているのだ。

「さすがにそこまでじゃありませんよ。ただ相手がここぞと思う瞬間はこっちもピリッとくる感じがしませんか? それですよ」

「オレの疑問は放っておいていい! それよりも集中してくれ!」

「いいですよ。でもこのお相手は凄腕でして。――これまで何度か出くわしてるんですが一回も届かせてもらえてないんですよねえ」

ゾーリで蹴られたとは思えない爆発音を立てる地面、それで推進力を得ながら加速するセシルス。彼に追い縋る見えない射手と狙撃を間近に味わいながら、アルはセシルスの発言に二重の衝撃を受ける。

一つはセシルスがすでにこの敵と何度か出くわし、生き延び続けていること。

もう一つはこの敵がセシルスにすら討たれない、異常な難敵であること。

「空を飛んでるんだと思うんですけど速い以外の理由で見えないんですよ」

「見えねぇ、敵……っ」

危機感の足りないセシルスの言葉に、アルは不可視の敵というキーワードを得る。

そのカラクリを暴くか、あるいは暴けないまでも何かしらの対策が見つかれば。

「おっとこれは」

再びの危機感のないセシルスの声、それと合わせてとんでもない破砕音がアルの背後――すなわち、進行方向から聞こえてきて首を巡らせる。

するとアルの視界に、二人の進路に倒れ込んでくる三棟の建物が飛び込んできた。

通りの正面と左右、三方から押し寄せてくる建造物は、いずれも建物を支える土台となる地面を狙撃に抉られ、斜めに傾いて倒れ込んでくる。

叩き潰されれば圧殺は免れない。見て取った瞬間、アルは奥歯を噛みしめ、

「領域、再定義――っ!」

「正面に突っ込みますよ!」

領域の再設定を間に合わせた直後、地面を蹴ったセシルスがアルを抱えたまま、倒れ込んでくる正面の建物の窓をぶち破り、中へ突入。

斜めになり、壁のたわみに合わせて壊れていく窓ガラスの軽やかな連鎖を聞きながら、セシルスは倒れるビルの床を蹴り、天井を蹴り砕くと、そのまま下階から上階までの直通ルートを強引に作り、駆け上がっていく。

「ていていていていていていていてい!」

ビルが倒れていくのだから、街路と接触する圧壊が下階から始まるのは事実だ。

かといって、こんな形で押し潰されるのから逃れるなんて荒業、とてもではないが正気の沙汰とは言えない。言ってはならない。

しかし、その常軌を逸した判断により、アルとセシルスの二人はビルが倒れ切るよりも早く、最上階の天井を蹴り砕いて外へ逃れることに――、

「――いや、これじゃダメだ」

天井を突き破り、そのまま上空へと飛び出すアルとセシルス。

眼下、見れば倒れる三棟のビルが互いにぶつかり合い、巨大な質量が凄まじい地震を起こしながら崩壊へ向かう。倒れたビルのいずれかには燃えやすい酒か、魔鉱石でも貯蔵したものがあったのか、爆炎が街路に広がっていくのも見えた。

しかし――、

「これこれ難敵ですねえ!」

楽しげなセシルスの快哉と、アルの体が衝撃で震えたのは同時だった。

だが、その衝撃の当事者はアルではない。アルと一緒に空へ飛び出したセシルス――彼が狙撃を浴びて、その片足が吹っ飛んでいった衝撃だ。

小さな左足が膝下から吹っ飛び、血を空中にばら撒きながら少年が奥歯を噛む。アルも経験があるからわかる。痛みはすぐにやってきて、喉が絶叫を――、

「――そっちだ!」

絶叫の代わりにそう叫んで、セシルスが空の彼方におそらく敵を捉える。

そのまま、彼は掴んでいたアルの体に残った方の足を当てると、その体を足場に自分が見つけた何かの方へ迫ろうと飛んだ。

片足だけの推進力、その勢いは猛然としたもので、彼ならば敵に追いつくだろう。

その、片足をなくした状態で――。

「――そりゃダメだ」

片足をなくしても、おそらくセシルスはアルの百倍強かろう。

だがダメだ。彼には万全の状態でいてもらう必要がある。故に、アルは青龍刀を引き抜いて、それを自分の首に当てた。

そして躊躇なく、その刃を強引に振るって――。

× × ×

「正面に――」

「違う、右のビルだ!!」

三方から倒れ込んでくるビル、その正面へセシルスが踏み切ろうとした瞬間、アルは建物の倒壊音に負けない声量で怒鳴り、進路を変更させた。

そのアルの訴えを耳にした途端、セシルスが笑い、唇を舐めたのがわかる。

刹那、セシルスは踏み切る方角を強引に切り替え、アルを掴んだまま、倒れてくる右のビルへと突入した。

窓ガラスの砕けていく連鎖音を聞きながら、アルは飛び込んだ部屋の奥を指差し、

「そっちの部屋! 中の箱確保!」

「アイアイサー!」

確信めいたアルの指示に、セシルスは一切の疑問を差し挟まない。

隣の部屋への壁を強引に蹴り砕いて通過すると、置かれていた鉄製の箱――この建物の所有者が保管していた、いざというとき持ち出すための財産の一部だ。

生憎と、所有者は準備も空しくこれを持ち出すことができなかったようだが、おかげでアルとセシルスがこれを確保することができた。

「上だ!」

箱を確保した直後、斜めになったビルからの脱出はセシルスの常軌を逸した脚力と発想を採用したものへと路線を戻す。

箱を抱えたアルをさらに抱え、セシルスの疾走が下階の天井を、上階の床を貫通し、次々にそれを繰り返して、一気に最上階へと駆け上がっていく。

そして、最上階の天井を蹴り砕いて外へ飛び出した瞬間、アルはもはや何度目か数えることも忘れた景色を前に、手元の箱をその場に落とした。

そのまま、彼方からの狙撃がセシルスの四肢のどれかを吹き飛ばす直前に――、

「――ゴーア」

落とした箱の中、アルの発動した拙い魔法を火種に、帝国の誰かの財産だった高純度の魔石が引火、一挙に膨れ上がる爆炎が真下から二人を包み込んだ。

「――――」

灼熱に肌を焙られる感覚を味わいながら、しかし、生まれた炎の幕がアルとセシルスを周囲から押し隠す。もっとも、この瞬間だけ二人の身を炎が隠しても、この狙撃手であればアルたちを――否、セシルスを見失わずに撃ち抜いてくる。

だから、狙いは狙撃手の目を撹乱することではない。

「――そっちだ」

そう呟いたセシルスが歯を剥いて笑う。

そのセシルスの頬が血を噴き、狙撃に掠められて髪留めの爆ぜた青い長髪が広がる。しかし、セシルスの四肢はどれも健在だった。

炎の幕は敵からセシルスの姿を隠すのではなく、セシルスへ迫る弾丸を、届く前に彼に視認させるためのものだった。

セシルスへ届く前に、弾丸は炎の幕を破って到達する。

馬鹿げた話だが、セシルスであればその銃弾が自分に届く刹那の、炎の変化を見逃すまいと信じて賭けた。賭けには勝った。

――故に、炎の幕を挟んで、セシルスと狙撃手との視線は交錯する。

「――――」

刹那、セシルスの瞳の瞳孔が細くなり、アルの腰へとゾーリの足裏が当てられる。

これまで同様に、セシルスが居所を突き止めた射手の下へと飛んでいくつもりだ。これまでと違うのは、セシルスの手足の全部が小さい胴体にくっついていること。

ここからなら、あとは――、

「――油断はしねぇ」

そうこぼし、アルは次なる領域の再展開の用意を固める。

そのたびに頭の中で、何かが千切れるような喪失感を味わうが、セシルスの言う通りだ。万一というのは、万に一回しか訪れない機会のことを言う。

それを二度欲するなら、妥協の末であってはならない。

だから、アルは次のマトリクスの再設定を――。

「――雲切」

その寸前、アルの視界を奇妙な変化が襲った。

それは炎の幕の向こう、すなわちセシルスが狙撃手がいると判断した方角、アルには変わらず敵の姿の見えない空で、視界に異変があったのだ。

端的に言えば、雲が断たれていた。

屍都ルプガナの空を覆う、分厚い黒雲が不意に切り裂かれたのだ。それも、積雲が受ける切り傷は一ヶ所ではなく、二ヶ所三ヶ所と連続する。

まるで、空にいる不可視の敵を追いかけるように――否、まるでではない。

斬撃が敵を追いかけ、その余波が黒雲を切り裂いているのだ。

「ああーっ!! いっちゃういっちゃう! 逃げられる!!」

悲鳴のような声は、アルの背中に足を乗せたままのセシルスのものだ。

目を見開いた彼の悲鳴の理由は、雲を切り裂く斬撃から逃げていく狙撃手――それが戦闘を放棄し、離脱していくことに対するものだろう。

アルからすれば儲けものとしか言えない出来事だが、セシルスには違う。彼は悔しさを滲ませた目で、眼下の景色を睨みつけた。

そこに――、

「はっはっはっは! 逃げろ逃げろ、某の剣技に恐れを為して!」

アルとセシルスが飛び出した、倒壊する三棟のビルから離れた場所で、建物の屋上に見えるのは一人の人影だ。

それは刀を手にした人物で、遠のいていく敵を見送り、雲を切り裂いた刀を天に向けながら上機嫌に笑っている。

見知らぬ相手、何者かとアルは眉を顰めた。

そのアルの背後で、突然の闖入者を見ながらセシルスが「あれ」と声を上げ、

「なんかしばらく見ない間に老けましたね、父さん」

「親父さん?」

とぼけたセシルスの一声に、アルは唖然となってしまう。

遠目に見える、セシルスが父親と呼んだ人物、彼と合流するだろうことは良しとして問題は――、

「……さすがに、このあと死んだりしねぇよな?」

手強い狙撃手がいなくなったあと、なおも激しい倒壊の続いている三棟のビルを真下に見ながら、浮遊感を味わうアルはその先をセシルス任せで呟いた。