軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八章9  『愛すると決めて』

――帝都ルプガナからの撤退戦。

必要な決断だと判断したとはいえ、それは帝国始まって以来の大事変だ。

皇帝の膝元である帝都、水晶宮まで『敵』の進軍を許したどころか、皇帝が城も都も捨てて逃げ出さなくてはならないなどと、権威の失墜を免れ得ない。

もっとも――、

「あの不気味な奴輩めの出方がわからぬ以上、閣下の御判断が上策でしょう」

「かかかっか! 城捨てて皇帝が逃げよるとか前代未聞じゃね? 少なくとも、ワシはこの歳まで聞いたことねえのよな」

「笑うな、オルバルト一将! 閣下の御気持ちを思えば……思えば、私はぁ! おのれ! 必ずや、閣下の指揮の下、城も帝都も奪還してくれる!!」

「わあわーあ、逃げ出しますか、判断がお早いでーすね! ぼかぁ、玉砕万歳って考えじゃないのでその方向でいいと思いますよ」

と、その場でヴィンセントの決断に否やと唱えるものは皆無だった。

この点は忠誠心云々よりも、実務的な能力の高さで役職を割り振った甲斐がある。それが理由で考えの違いから謀反も起こされたが、究極的には一番の腹心が裏切ってきていたのだから、多少の忠誠心の差は誤差に過ぎない。

ともあれ、撤退戦の開始だ。

「オルバルト・ダンクルケン、時間を稼いでこい。放置しておけば、モグロ・ハガネが早々に討たれる。――まだ、貯水池を破られるわけにはゆかん」

「やれやれ、年寄りを酷使してくれるもんじゃぜ。ゴズでもよくね?」

「身軽さと俊敏さはシノビの本領であろう。手向かわず、役目を果たせ」

「……言っとくけど、空飛ぶのに集中されっとワシでも捉え切れんからな?」

頭上、帝都の空を切り裂きながら飛行する死したバルロイ・テメグリフ。生前、ヴォラキア帝国最高の飛竜乗りだった技量は健在と、暗にオルバルトが相手の厄介さを伝えてくるのを聞きながら、ヴィンセントはそれでも怪老に役目を任せる。

オルバルトの言う通り、向き不向きはあれど、ゴズでも同じ役割は果たせよう。

ただし、向き不向きの話をするなら、ゴズにはやってもらわなければならない役割がある。この声が大きく、暑苦しい『将』は将兵からの信頼が異常に厚い。

だからこそ、

「ゴズ・ラルフォン、貴様の非常識な声量を活かせ。これより、帝都から撤退するために必要なのは人手だ。周辺に散った将兵を従える」

「は! お任せください、閣下! 今すぐにでも!!」

一も二もなく頷くと、上半身裸のゴズが手近な瓦礫の山の上に飛び乗る。そこで大きく息を吸うと、ゴズは巨大なモグロの戦いで轟音が響き渡る世界に声を発した。

とんでもなく巨大な声が、揺れる帝都の空気に異議を唱える。

「――聞けい、ヴォラキアの剣狼たちよ!! 我ら剣狼が頂、ヴィンセント・ヴォラキア閣下の御命令だ! 我が声に従えい! 従えい!!」

魔石砲の砲撃音のような大音量、そのゴズの号令が発されると、耳を塞いだヴィンセントは試すようにオルバルトの方を見た。同じく耳を塞いでいたオルバルトは、ゆるゆると首を横に振ると、

「ありゃワシにはできねえわ。適材適所っちゅーやつじゃな」

そうとだけ言い残して、オルバルトの姿が影を残して天へ昇る。

怪老は戦いの余波でひび割れていく水晶宮の壁を足場に駆け上がり、途中でモグロの巨体へと飛び移ると、そのまま『雲龍』と『魔弾の射手』が連携する戦場へ介入、『悪辣翁』の力量を発揮し、それらの翻弄へかかる。

オルバルトは飛んでいる相手に手も足も出ないようなことを言っていたが、シノビの武具に知られざる秘術と、おそらく対抗手段は無数に持つはずだ。

怪老が戦線に参加したなら、モグロの劣勢も多少は覆るだろう。

「閣下、ぼくたちにしてほしいこととかあーりますかね?」

「――。貴様たち『星詠み』は、周囲にどれだけいる?」

ゴズが人を集める最中、手持ち無沙汰なウビルクへとヴィンセントが問いかける。その問いにウビルクは「そーですね」と自分の頬に両手の指を立てながら、

「ひとまず、声をかけられる範囲だと二十七人でーすね」

「想定より多いな。ならば、片端から住居の戸を開けて回れ。皇帝と兵は帝都を放棄する。都市に残っても、あたら命を捨てるだけだと」

「承知しました! これですよ、こーれ。総力戦……ヴォラキア帝国全部で『大災』に抗う姿勢、これがやりたかったんです」

「疾く、やれ」

『星詠み』としての本懐が果たされると、興奮を抑え切れないウビルクを忌々しくも追い払い、ヴィンセントは吐息した。

それから、こちらの思考・思案を邪魔しないよう沈黙するベルステツを見やる。

内乱の首謀者――チシャ・ゴールドの片棒を担ぎ、ヴィンセントを玉座から追放することで帝国に混乱をもたらした人物だが。

「ずいぶんと大人しいな」

「現状において、指示を下す頭が二つあることは混乱の種子にしかなりません。仮に剣狼が双頭の形で生まれたならば……」

「片方の首を落とすのが貴様の役目か」

「必要とならば、喜んでこの老いた首を差し出しましょう」

後ろ手を組んだまま、ベルステツが淡々と自らの覚悟を口にする。

戦うための武力こそ縁遠い男だが、その内側に燃え盛るのは帝国の人間の矜持だ。ヴィンセントはベルステツが権力欲から謀反を起こしたとは思わないし、彼が今しがた口にした言葉がその場しのぎの言い逃れとも思わない。

ひたすら単純明快な、帝国への篤い信奉こそがベルステツの原動力だ。

だからこそ、帝国の危難とみなせば、即座にそれまでの方針や計画を手放し、こうしてヴィンセントと同じ側に立つことも躊躇わない。

「ゴズ・ラルフォンと『星詠み』らの準備が整えば、早々に撤退を開始する。ベルステツ・フォンダルフォン、意見せよ。長くはかけるな」

「――畏れながら閣下、撤退されるならば御自身の思考をお辿りください」

「――――」

短く、意見の具申を求めたヴィンセントに、ベルステツがそう答える。

謎かけめいた言葉だが、ベルステツはヴィンセントを惑わせたいわけではない。一瞬の思案ののち、ヴィンセントにも彼の言葉の真意がわかった。

自分の思考を辿るというのは、ヴィンセント・ヴォラキアの思考ということだ。

――それはつまり、先刻までチシャ・ゴールドの辿った思考でもある。

「チシャ一将が思惑あって閣下に成り代わり、私奴と玉座の簒奪に協力したならば……」

「――あれは、『大災』が如何なるものか推測し、備えていたはずか」

「左様です。そしてそれは、皇帝閣下であれば気付くことができ、皇帝閣下でなければ気付くことのできぬものと」

ベルステツの言葉に片目をつむり、ヴィンセントは思案する。

宰相の述べた意見は理解できる。――否、道理だ。ベルステツの助言がなくとも、時間をかければヴィンセントも至った発想だが、そこを短縮した。

チシャは自らの命を賭し、ヴィンセントの姿で玉座に残った。そして、ヴィンセントに途切れるはずだった『先』を残した以上のモノを残したとしたら。

それは――、

「――閣下!! 将兵、いずれもことごとく兵の顔で戻りましてございます! いかがされますか!!」

ちょうど、ヴィンセントの思考がそこへ辿り着いたのと、瓦礫の山からゴズが荒々しく飛び降りたのは同時だった。

見れば、周囲に続々と集まってくるのは、装備した剣や鎧を鳴らしてくる帝国兵――剣狼の群れだ。彼らはこの未曾有の事態に際して、混乱や不安もあっただろう。しかし、『獅子騎士』ゴズ・ラルフォンの呼びかけに従って集まり、その先でヴォラキア皇帝が待っていると知り、その表情を、在り方を引き締めて立つ。

「――――」

ひどくおぞましく、憎々しく思われる帝国の人間の在り方だ。

だがしかし、いずれ来たる厄災と戦うために、剣狼は飢えを忘れてはいけなかった。そのための年月、月日だったと顧みて、ヴィンセントは頭上を仰ぐ。

国力を蓄え、練兵と士気の維持に腐心し、厄災に抗する帝国を残すため。――その目算は狂ったが、外れてそのままにしておくつもりはない。

「モグロ・ハガネ! 不逞の輩に魔晶砲を使わせるな! それさえ守れば、貴様の望みは余が叶える!!」

『――――』

可能な限りの発声、それが今まさにこの世界で最強の生物である『龍』と戦っている最中のモグロに届いたかは窺い知れない。

だが、あの健気な『ミーティア』は人間の言葉に真摯に耳を傾ける。耳がどこにあるのかもわからぬような見てくれだが、そこは信頼できた。

そうして、集った『将』への指示を飛ばしたヴィンセントは視線を下ろし、自身を中心に集まっている将兵らの顔を見渡した。

その、戦意の衰えない剣狼たちを見据えながら、続ける。

――チシャ・ゴールドが、ヴィンセント・ヴォラキアを全うしたなら。

「帝都を離脱する! 向かうは北西、城塞都市ガークラだ!!」

『大災』と抗うための方策を、かの地に残しているはずだと、声高に言い放った。

△▼△▼△▼△

――ヴォラキア帝国の趨勢を巡る戦いが形を変えたことに、その戦場を構成する帝国兵と叛徒、いずれもが気付き始めていた。

各地で広がった混乱の度合い、その色合いの変化は顕著なもので、戦いに魅入られているが故に、その味に敏感な剣狼たちは無粋な意思の介入を察した。

そこへ、血相を変えた指揮官からの命令が飛び交えば、わずかに冷静さを取り戻した頭と勝負勘が、素直に矛を交える同士だったものたちの考えを変えさせる。

それにより、ほんの数瞬前まで鎬を削り合っていた同士は敵対をやめ、帝国兵と叛徒という肩書きを『帝国人』に塗り替えて、狼の群れとなった。

折しも、帝都の中ではヴィンセント・ヴォラキアが、都市の包囲網ではセリーナ・ドラクロイが、それぞれの総司令として声を上げたところだった。

ただ、帝国の誰もが察した変化、動かなければならない事情。そうしたものの一切と無関係に赤々と燃え上がり、余人を焼き尽くす戦場がいまだある。

――『精霊喰らい』アラキア、彼女の守る第一頂点であり、相対するはプリシラ・バーリエルとヨルナ・ミシグレの、豪奢で妖艶な女傑たちであった。

「――愛しなんし」

紅の赫炎が世界を支配する中、自らの片目に火を灯したヨルナが颯爽と地を蹴る。

キモノの裾を艶やかに翻し、女性にしては長身のヨルナの長い足が地面につくと、次の瞬間には大地が隆起し、そのヨルナの疾走を速度も勢いも助力した。

ここは魔都カオスフレームではなく、あくまでヴォラキア皇帝の膝元である帝都を取り囲んだ大地に過ぎない。

遠く、ヨルナ・ミシグレとしてもサンドラ・ベネディクトとしても遠くなってしまった過去の記憶の向こう、はるか遠くに思える帝都を望んだことがあった。

決して自分の手の届かぬ場所にあるものと、愛しいと囁くことが憚られるほど高貴で、身分差のある男と手を繋ぎながら、あの帝都を。

ヨルナの『魂婚術』は、自分の愛するものにしか付与できない。

――ならば、いついつなりとも色褪せぬあの人への愛情と、他ならぬあの人が愛したこの大地のことを、どうしてヨルナが愛さずおれようか。

「――奪われもしたでありんす」

『茨の王』と呼ばれた当時のヴォラキア皇帝と、恋に落ちた少女アイリス。

玉座を追われた皇帝のため、彼を匿い、支え、共に道を往くと決めた少女の勇敢さと聡明さと健気さに、多くのものが『茨の王』を称え、二人の未来を祝福した。

だが、その未来は巧みに甘言を操った奸臣に騙された土鼠人と、その功名心と驕りを利用された狼人の裏切りによって、完璧な結末を失った。

『茨の王』が築くはずだった楽園は、約束の世界の構築は見送られ、妄執に支配された皇帝は裏切者たちの血で、消えゆくはずだった少女の魂を帝国の土に繋いだ。

以来、幾度も幾度も、名前を変えて姿を変えて、アイリスは生まれ直し続けた。

誰かを愛し、誰かに愛され、生き続けた。

しかし同時にどうしても、このヴォラキア帝国を、帝国の大地だけは愛せなかった。思い描いた夢から遠ざかった分、それが憎らしく思えたのかもしれない。

でも、ただ、しかして、そんなものは真に大事なものと比べ、些末なものだった。

「――愛しなんし」

愛せるかではなく、愛すると決めるだけだ。

決して、幸福な思い出ばかりがある帝国ではない。アイリスであった頃も、そうでなくなってからの幾重もの生涯も、幸福と不幸は表裏一体でやってきた。

魔都で暮らす、ヨルナにとっての愛し子たちも同じこと――愛しさに胸が詰まることがあれば、小生意気さに腹を立てることもある。

「――全ては、同じ満ち足りでありんしょう」

そう、ヨルナの中で音を立てて『愛』が噛み合ったとき、燃える大地が喝采する。

どっしりと、踏みしめる足を受け止めるだけのはずの地面が上機嫌に暴れ出し、弾む大地がヨルナの足場の役目を果たし、高々と空へ放り投げる。

くるくると回りながら、ヨルナの厚底を履いた踵が空中のアラキアへ落ちる。

それを、周囲の大気と同化することでアラキアは透過しようとした。しかし、すり抜けるはずの褐色の肌を、ヨルナの蹴撃が炸裂する。

「――ぁ?」

蹴りを浴びた肩が爆ぜて、アラキアはありえない衝撃に小さく喘いだ。

炎か、あるいは風か影か、いずれかと同化したアラキアの体が衝撃で爆散し、滅多に見せない激情を宿していた表情が苦痛と驚きに彩られる。

その『精霊喰らい』の特性を最大限に活かし、あらゆる敵との戦いで優位を取り続けてきたアラキアには、まさしく青天の霹靂だったろう一撃。

しかし、それが当たった事実にヨルナは驚きも満足もしない。当てた踵を支点に上体を起こすと、その細い指で握った煙管を振るい、追撃を放つ。

「え、あ、わ」

硬いものが肉を打つ音が連続し、アラキアの表情が立て続けに歪む。

見舞われる事象が理解できないとばかりに、アラキアの喉からか細い声が漏れる。それは受ける痛苦そのものより、痛苦を受ける事実の方を拒否する態度だ。

何故と、見開かれるアラキアの両目、見えていない方の目までヨルナに問い質す。

「そこに愛があるなら、無粋な憚りは意味を果たしんせん」

「愛……?」

「わっちの、躾のなってない娘の乳姉妹でありんしょう?」

嫣然と微笑むヨルナの答えに、アラキアの表情が無理解で満たされた。

答えをもらっても、その答えが理解できないと頬を硬くして、アラキアは自在に飛行する空を高速で逃れ、天変地異のような自然現象の波状攻撃を起こす。

中空にあるヨルナは、その襲いくる木火土金水を避ける手立てがない。

「と、帝国と和解する前ならそうでありんした」

緩めた唇から言葉を紡いで、ヨルナが次々と隆起する大地を足場に空中を駆ける。

恨み骨髄、幸福な思い入れも多数、そんなヴォラキア帝国を丸ごと愛すると決めれば、ヨルナの情愛に応え、大地の熱烈な肩入れは続く。

炎の雨を、水の槍を、風の大波を、光の斬撃を、ことごとく躱して再びヨルナはアラキアへと肉薄していく。

ヨルナが踏み出したところへ届いてくれる大地、もはやアラキアが空中にあることの優位性は、同じ高さに必然的に届くヨルナには効果を発揮しなかった。

「――ぅあ」

大気中の精霊と同一化して、敵の攻撃を透過する。

その回避が癖になっているアラキアは、迫るヨルナの危険性への対処が遅れ、そのすべらかな肌を露出した胴体への蹴りをまともに浴びた。

破壊力はアラキアの体の背中側を突き抜けて、彼女が同一化していた大風が巻き起こって赤く染まる炎の世界に揺らぎが生じる。

「――っ」

ついにアラキアの表情にも、驚きを乗り越えて痛苦の色が刻まれる。

確実にヨルナの攻撃がアラキアを追い込んでいる証。ここまで優勢と勝ち誇れる流れだが、ヨルナの方も楽観はなかった。

何故なら――、

「あなたなんか……っ!」

痛みと怒りに頬を歪め、アラキアが握った木の枝をヨルナに叩き付ける。

何の変哲もない、ただ拾っただけのそれは天変地異の中でも壊れることを知らず、名剣宝具の類のように『精霊喰らい』の手の内で真価を発揮する。

振るわれる木の枝、それを立てた腕に煙管を沿わせる形で受け止めるヨルナ。その口の端がほんのりと震え、至近で両者が睨み合い、拮抗する。

「く……」

受けた木の枝の威力、それが煙管越しにヨルナの喉を呻かせた。

痛みや傷を、ヨルナの『魂婚術』は自身が身に着けた愛用品へと移し替えられる。当然ながら相応の愛着と、その裏付けを必要とする秘術だ。

しかし、ヨルナの簪や耳飾り、帯留めに至るまで、魔都の住人という彼女の愛し子から献上された品々はなくなっていない。にも拘らず、ヨルナ自身が痛みを負った。

その答えは単純明快――愛とは決して、一方通行であってはならないからだ。

「――愛しなんし」

愛憎入り交じる帝国を愛すると決め、敵対関係に陥ったアラキアのことも躾けると決めたならば、一方的に愛を押し付けるのではなく、相思相愛を目指さなくては。

それが、ヨルナ・ミシグレの『魂婚術』の、本来と真逆の使い方だった。

△▼△▼△▼△

「――――」

空中で、ヨルナとアラキアが対峙し、激しい攻防が繰り広げられる。

片目に愛された証である炎を宿しながら、眩く輝く『陽剣』を手にしたプリシラは、母親と乳姉妹が障害なく激突する姿に眉を顰めていた。

同じ『魂婚術』の使い手として、ヨルナのしていることの理屈はわかる。

が、同じ『魂婚術』の使い手だからこそ、ヨルナのしていることの禁忌さもプリシラには理解できた。

「術の強みにのみ着目し、弱みを一切顧みぬか。母上も無謀なことをする」

『精霊喰らい』としてのアラキアの特性を無視し、ヨルナが自らの攻撃を通した仕組みは一目で解したが、それには秘術の精緻な扱いと、自らも傷を受ける覚悟がいる。

プリシラもヨルナも平然と扱っている『魂婚術』は、歴史的に継承者の現れないほど稀有な才能を要する秘術であり、実用には奇跡的な平衡感覚が必要となる。

早い話、ヨルナの試みはアラキアに攻撃が届かなくなるばかりか、彼女に贈り物をした愛し子たちとの繋がりさえ断ちかねない危険な賭けだった。

「――――」

その危険な賭けに出てまで、ヨルナがアラキアと向き合う理由がわからないと首をひねるほど、プリシラは愚かでも薄情でもない。

他ならぬ、プリシラのためにヨルナはああした禁忌へと挑んだ。

――プリシラが、アラキアを手にかける事態を防ぐために。

「妾の陽剣であれば、母上のような危機を冒さずとも済む」

斬りたいものを斬り、燃やしたいものを燃やすのが『陽剣』の特性の真骨頂だ。

その真価が発揮された際の白炎であれば、あらゆる自然現象を己の味方にするアラキアであろうと、特性を無視してプリシラの斬撃を届かせられる。

『魂婚術』の効果を保ったまま、相手へ攻撃を届かせることができるのだ。

まさしく、それをしたのがプリシラとアラキアとが十年近くぶりに再会した一幕でのことであり、この状況下でプリシラも同じ手心を加える発想はありえなかった。

だから、ヨルナはプリシラの頭を叩いて、ああやって前で戦っている。

「妾の頭を叩くなどと……」

母親のつもりか、と口答えしたくなるが、それはまさしくその通りなのだった。

そうして自分の心中を顧みれば、確かにヨルナに煙管で頭を小突かれる前、プリシラはらしくもなく熱が入っていたと自省する。

事ここに至り、アラキアには自ら手を下さねばならないと、そうも思っていた。

しかし――、

「――『精霊喰らい』の宿業、か」

アラキアのような作り出された種族が、特別に歪な特性を備えるのは必然だ。

強い力を扱うには、相応の対価を支払わなければならない。プリシラの有する『陽剣』や『魂婚術』は言うに及ばず、アラキアの『精霊喰らい』の力も同じこと。

無論、プリシラもアラキアを従えるにあたり、彼女がどのような存在として生まれ落ちたのかは聞かされた。自ら調べもした。だが、配慮が足りなかった。

寄る辺なくして立てないアラキアに、プリシラという柱を与えた結果について。

「妾の如き陽光が隠れれば、世界は闇に閉ざされたも同然であろうな」

十年、闇に閉ざされた世界をアラキアは生き続けた。

あるいは誰かが、プリシラの代わりの役目を果たすのは不可能でも、誰かしらがその翳りに一筋でも光を落とすことはなかったのか。

アラキアを連れてはいけないと決めたとき、ヴィンセントであればと思ったが。

「ありえぬことじゃな」

己の思案に眉をしかめ、プリシラはその考えを切り捨てた。

当時、まだ幼く聡明だったプリシラ――プリスカだった頃の自分は勘違いしていた。兄になら託せると思ったが、それは誤った考えだった。

帝都攻防戦がこれほど過激な方向へ舵切りされ、その兄であるヴィンセント・ヴォラキアが集めたアラキア以外の『九神将』たちの力量を知るたび、気付く。わかる。

ヴィンセントは、謀反とは全く異なる大いなるものと戦うつもりでいた。

そして、その戦いの果てに自分が生き残るつもりなどなかった。戦いが終わったとき、自らがいなくなった玉座を、いったい誰に委ねるつもりでいたのか。

その誰かのために、アラキアの忠誠心の方向性を変えるわけにはいかなかった。

「くだらぬ」

何もかも机上で盤面を作り上げ、事実としてその通りに世界を構築する。

それがヴィンセントの強みではあるが、どれだけ彼が優れた智謀の持ち主でも、その思い描いた完成形が誤ったものなら、構築された世界の歪さは否めなくなる。

その無自覚の報いを、彼はいつか受ける。あるいはこの戦いの中で、それを受けることになるかもしれないが――。

「十年、離れ離れであった。いい加減に、兄上は妹離れするがいい」

この場に不在の相手へと不名誉を擦り付け、プリシラが前に出る。

空は炎で赤く染まり、大地は『極彩色』の思うがままに荒れ狂う。まさに、天地は揃ってプリシラという太陽の介入を拒んでいるような有様だ。

だがしかし、そんな思い上がった世界に対し、プリシラ・バーリエル――否、プリスカ・ベネディクトであった娘が告げる言葉は一つだ。

「――世界は、妾にとって都合のよいようにできておる」

△▼△▼△▼△

そのとき、アラキアの感じるものを屈辱や恥辱と表現するのは間違っていた。

屈辱とは、悔しさで貶められる名前がなくてはならない。

恥辱とは、後れを取ることで辱められる誇りがなくてはならない。

アラキアには、名前にも誇りにも何ら一切の拘りがなかった。

帝国で最も誉れある一将の地位、『九神将』の中でも完全なる間違った存在と言われるセシルスを除いた最上位の『弐』であり、『精霊喰らい』という帝国どころか世界全土を見渡しても他に類を見ない特性を有した絶対の強者。

そうした、多くのものが喉から手が出るほど欲する地位や実力に恵まれながらも、それらはアラキアという個人を支える『柱』とはなり得なかった。

野を往く獣と同じだと、アラキアは自分をそう定義している。

他の生き物を狩ることで生きる獣は、己の牙や爪に誇りなど持たない。――否、アラキアがそう思っているだけで、獣には獣の誇りや流儀があるのだろうか。

だとしたら、アラキアの自己認識は獣からすらも遠ざかる。

火や、風や、水や、土や、光や、影や、触れられもしない現象。

そこに意思の介在しない、ただ望まれた物事を実現するだけの事象。

アラキアは、人でも獣でもない、現象でありたかった。

現象が、屈辱や恥辱を感じないのと同じように、そうでありたかった。

だとしたら――、

「わたしは――ッ」

繰り出される剣林弾雨のような攻撃に、アラキアは風となって対処しようとする。が、対処し切れない。風を捉えられ、打撃がアラキアの内側に痛みと重みを残した。

苦鳴が漏れ、アラキアの表情が悲痛に歪む。『精霊喰らい』としての戦いで、痛みを味わわされることは多くない。しかし、決して痛みに弱いわけではない。

アラキアは、ありとあらゆる痛苦をすでに幼子の頃から体験している。

この『精霊喰らい』としての特性を手に入れるため、周りの大人は考え得る限りの術式をアラキアに試し、刻み、それを繰り返した。

痛みは怖くない。過去を思い出して、足が竦むこともない。

ただ、届かれるという事実が、アラキアにとっては痛みよりも大きかった。

火は、水を浴びて消えても痛がらないし、死にもしないだろう。

アラキアは、水を浴びて消えるときに痛みを訴え、死んでしまう火でしかないのか。

現象ではありえないと、そう自分を否定されるのがアラキアは怖かった。

「わた――」

「――黙りなんし」

焦燥感に急き立てられ、声を上げようとした顔面を相手の平手が弾いた。

威力で炎と同化するアラキアの首から上が消し飛び、それはすぐに元の形を取り戻すものの痛みは健在、アラキアの精神が受ける傷も健在だった。

屈辱でも恥辱でもない、存在を否定されて思えるそれに抗わんと、アラキアは自分に追い縋るように大地を隆起させ、飛びついてくるヨルナへと掌を向ける。

仕組みはわからないが、プリスカもヨルナも、アラキアの攻撃をどこかに逃がしていた。その技をヨルナが封印した途端、相手の攻撃がアラキアに届くようになり、同時にアラキアの攻撃もヨルナに届き始めている。

「――っ」

一度、一発、一撃でいい。

ヨルナ自身は知らない技か術式か魔法か、いずれかの方法で身体能力を底上げしているが、被害を逃がす技を使わないならアラキアの攻撃は真っ当に通る。

それが当たりさえすれば――、

「姫様と……!」

邪魔なヨルナを排除できれば、自分とプリスカだけの空間になる。

そうなりさえすれば、きっとまた、全部、うまくいく。

『欲しいモノがあるなら、待つより取りにいった方が建設的だぞ?』

そう、トッドも言っていた。

トッドの言葉は、不思議とアラキアの心に強く響いた。

それは都合のいいことを言うからでも、人間的な好悪が理由でもないのだと思う。

トッドの言葉には、アラキアへの感情がなかった。それが心地よかったのだ。火や水を人が愛さないように、トッドはアラキアを何とも思わなかった。

そうして空虚に扱われることが、アラキアの救いだった。

だから――、

「――――」

手にした木の枝、それが尻の部分から先端まで一気に燃え上がり、黒い塵となる。

枝はただ拾ったもので、特別な力を持たない。ただ、アラキアが自分の力を使おうとするときの、力の向け先を定めるわかりやすい目印にしているだけだ。

その木の棒が燃え尽きたのは、矛先を定める必要のない火力を放った証だった。

『精霊喰らい』アラキア、帝国最強格と評される彼女の最大火力は、これまでの生涯でセシルス・セグムントとの小競り合いでしか放たれたことのない代物だった。

相手がセシルスだったために被害は出ず、しかし、帝都の北部を焼け野原にしたアラキアの暴挙は、皇帝であるヴィンセントから二度目は許されないと沙汰を受けた。のちにチシャの提言で焼け野原は貯水池として再利用されることになったが、まさしく、地図を塗り替えるほどの威力がその一撃には込められていた。

「――世界は、妾にとって都合のよいようにできておる」

――それが、凛と自信に満ち溢れた一声の放った斬撃に、掻き消される。

『陽剣』の瞬きが、世界を黒く焦がすはずだった炎を呑み込んだ。

ヨルナの傍らへ跳び上がったプリスカ、髪飾りを砕かれた彼女は長く美しい髪を熱風になびかせながら、炎を灯した目と、灯していない目と、双眸にアラキアを映す。

そして――、

「母上」

唇が動いた瞬間、プリスカの背後に回ったヨルナが猛烈な蹴りを放った。

その、放たれた蹴りの靴裏に自分の足を合わせ、その蹴りの勢いを自分の前進する力に変えたプリスカが射出、光と見紛う速度でアラキアへ迫る。

そのまま、プリスカは手にした『陽剣』を振り上げ、

「アラキア」

その一言でアラキアの身動きの全部を封じ、一閃。

反射的なアラキアの防衛行動、大気と同一化する回避も何もかもひねり潰し、プリスカの一閃がその全身を容赦なく穿った。

「――――」

アラキアの意識が、途絶える。

皮肉にも、帝都の北部を焼け野原にしたときと同じ、最大の火力を放った直後にセシルスの一閃を浴びたのと同じように、途絶える。

ただ、最後に、聞こえた。

「妾の陽剣は斬りたいものを斬り、燃やしたいものを燃やす。――そして、打ちたいものを打つ」

言いながら、プリスカが振り切った『陽剣』――その刃ではなく、柄を自分に向けていたのだと、落ちゆくアラキアが気付くことはなかった。

△▼△▼△▼△

――その少年は笑う。いつ如何なるときも、笑っている。

たとえ、空の色が変わり、大地が激しくひび割れて、その青い双眸で目にしたことのない天変地異が世界を襲い、未曽有の出来事が己に立ちはだかろうと、笑う。

狂っているのか。嗚呼、狂っている。

酔っているのか。嗚呼、酔っている。

戦いにではなく、酒にではなく、色にではなく、血にではなく。

狂い狂い狂い狂い、酔いどれ酔いどれ酔いどれ、その少年は笑い続ける。

そうでなければ――、

「――退屈な役者の舞台なんて、お忙しい方々の目にも留まらないでしょう?」

何もなくても涙がこぼれることはある。だが、何もなくて笑うことがあろうか。

であるならば、笑いは何かの始まりだ。笑いとは、物語の始まりを意味するのだ。

それがすでに始まった物語か、ここから始まる物語なのかはいざ知らず。

笑うということは、舞台に上がる覚悟が決まった証だと、そう少年は定義する。

故に――、

「どうぞぜひとも笑ってみてはいかがです? 準備万端せっかくここまで整えたんです。どうせなら高笑いされた方がやられた方も気分がいい!」

「――――」

「おやもしかして僕がここにいるのが不思議ですか? あなたがもしも自分のお仲間の誰かが背いたとか喋ったとか思ってらっしゃるのであればそれは杞憂です! 僕はただ何となく山勘でここまでやってきただけですからね!」

両手を叩いて晴れやかに笑い、ゾーリで地面を踏みしめて見栄を切る。

背後にはひび割れ、水がだくだくと流れ続けている貯水池の止水壁があり、そこに立ちはだかる少年――セシルス・セグムントの眼前には、敵役の姿があった。

それは――、

「あなたをどうすべきか、悩ましい。――要・熟考です」

――その背後に大勢の死者を連れた、背丈の低い『魔女』だった。