軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二章38 『勇気の意味』

部屋を飛び出し、廊下を駆け抜け、階段を跳び下りる。

三段抜かしで踊り場へ着地、そのまま身を回して即座に跳躍、一階の地面を踏みしめると、そのまま顔を上に向け――、

「――ラム! レム! 話がある!」

屋敷中に聞こえるような声で言いながら、スバルの足は玄関ホールへ。

そのまま駆ける勢いで外へ飛び出しそうなスバル。その足を止めたのは、先に玄関の前に到達していたラムの姿だ。

先回り、というよりはただ単にこの場に近いところにいたというだけの話だろう。厨房で食事の準備をしているレムより暇を持て余していた、という意味でもある。

血気逸る、そんなスバルの表情になにを見たのか、ラムはその端正な表情にわずかな驚きを差し挟みつつ、

「どうしたの、バルス。そんなに焦って……」

「悪いがこれから村に行く。止めても無駄だし、止められても行くが、伝えないで行くのも混乱させると思ったんでな」

「村へ……? なにをしに……いえ、それ以前に、ロズワール様の言いつけを聞いていなかったの? 今夜、ラムたちは屋敷を任されているわ。その意味がわかっていないというの?」

スバルへ反論するラムの視線が鋭さを増す。

なにより、ロズワールの意思を優先させるのが彼女のスタンスだ。主の命令を蔑にするようなスバルの態度、それが琴線に触れたのだろう。

だが、スバルの方もそれで引き下がれるような心情ではない。

「押し問答してる時間も惜しいから、単刀直入に言うぜ。――あの村に悪い魔法使いがいる。そいつの正体がわかったから、行かなきゃいけねぇ」

「……その子どもの言い訳みたいな理由で認めろと?」

「他に言い方ねぇんだからしょうがねぇだろ。それが事実だってのはベア子にでも聞いてくれりゃ証言してくれる。あとは……」

「姉様――」

いっそう疑惑を深めるラムに抗弁する間に、背後の大扉を開けてレムが姿を見せる。彼女は玄関で言い合う二人の姿を見ると、滑るような動きで姉に並び、

「姉様、これは……」

「村にいる悪い魔法使いを退治するから、外へ出してくれと仰せよ。――どうしたものかしらね、レム」

端的に現状をまとめる姉に、妹は目を白黒とさせる。

それから内容を噛み砕き切ったのか、胡乱な瞳をスバルに向けて、

「姉様、姉様。スバルくんてばずいぶんとつまらない冗談を言いますわ」

「レム、レム。バルスったらピエロとしての才能は一流なことを言うわ」

「ラム、レム。俺はいつもふざけちゃいるが本気で話すときもあるんだ」

ユニゾンする二人に被せるスバルの台詞に、二人が同時に口ごもる。

そんな彼女らの反応に畳みかけるように前に踏み出し、

「信じ難い話なのは認めるし、現状で急に動き出す俺を信じろって言われても難しいってのもわかってる。だから無条件で見送れたぁ言わない」

ここからが、スバルにとっても重要な分かれ道になる。

唇を舌で湿らせて、押し黙る二人に対して提案する。指を突きつけ、

「俺はこれから村に行く。怪しむってんならついてきて構わない。俺を見極めろ。ただし、エミリアたんをひとり残しては行けねぇ。ついてくるなら片方だけだ」

「勝手な仕切りを……そもそも、ロズワール様のご命令を守るなら、スバルくんにレムや姉様がついていく理由は……」

「ああ、ないとも。夕方のロズっちの命令を守るってだけならな。けど、ロズっちから出てる俺への命令はそれだけか?」

「――――」

痛いところを突かれたように、言葉を見失うレム。

ハッタリに過ぎなかった今の発言が的を射ていたということだろう。

二人がロズワールから、スバルの立ち位置に関して監視するよう命令を受けている。というのは今までのループの断片的な情報からも想像がついていた話だ。

なおもレムは反論の言葉を探すように視線をさまよわせるが、それより先に吐息で話の流れを割ったのはラムの方だった。

彼女は小さく手を上げ、

「わかったわ、バルス。あなたの独断行動を認める」

「姉様――!?」

あっさりと白旗を上げてみせる姉の態度にレムは愕然。が、そんな妹の方にも上げた掌を向けて、ラムは「ただし」と言葉を続ける。

「バルスもわかっている通り、ひとりで行かせるわけにはいかない。ここでバルスの単独行動を許すと、ロズワール様の命令に背くことになるから」

「そうだな。んで、妥協点は?」

「――癪な話だけど、さっきのバルスの申し出に乗るしかない。ラムが屋敷に残る。レムがバルスについていく。怪しい真似をすれば……それが条件」

「願ったりかなったりだ」

拳を突き上げ、ラムの出した条件での合意を示す。

小さくため息をこぼすラムは、やや話に置いていかれ気味の妹に振り返り、

「レム、そういうことだからお願い。ベアトリス様への確認と、エミリア様の方はラムが守るわ。――そっちのことも、ちゃんと視てるから」

「姉様、あまりその目は……」

「言っている場合でもない。必要なら使う。レムもそうしなさい」

姉の淡々とした物言いに、レムはそれ以上の言葉を差し挟めない。

二人にしかわからないやり取りを経た上で、レムは言葉をいくつも飲み込むと、決して友好的ではない視線をスバルに向け、

「スバルくん、詳しい話が聞きたいところです」

「道中でな。ひょっとすると、かなりマズイ事態が進行してるかもしれねぇ」

スバルの最悪の想像が正しかったとすれば、決して大げさと笑っていられないだけの被害が出かねない。それはスバル個人にとってだけでなく、もっと大きな視点から見た上での被害だ。

軽く肩を叩き、通してくれるラムへの謝意を示す。

それからまだ納得していない風なレムを引き連れ、スバルの足は玄関へ。

と、

「――スバル、どこか行くの?」

玄関ホールの大階段、その上から銀鈴の音が舞い降りた。

思わず振り返ってしまう頭上、銀髪を揺らして佇むエミリアがそこにいる。彼女にもさっきのスバルの大声が届いていたのだろう。

やや息を弾ませ、玄関で固まる三人を見やりながら彼女は、

「大きい声が聞こえたから降りてきてみたら……なにかあったの?」

「なにかあるかも、なんだよ、エミリアたん。まぁ、心配しないでくれていい。あ、でもちょっとは心配してくれてると嬉しい」

エミリアに余計な気苦労をさせないため、スバルはわざとそう振舞ってみせる。

変わらぬ軽薄なスバルの姿勢、しかしそれにエミリアはなにを見たのか、

「また、危ないことしそうな顔してるわよ」

即座に見破って、エミリアは物言いたげな顔を作る。そんな彼女の洞察眼に頭を掻きつつ、スバルはどうしたものかと首をひねり、

「そのあたりの言い合いは今しがた、ようやっと終わったとこで……」

「止めても無駄なんでしょう?」

「まぁ、そうなるかな。むしろ、止められると色々な場面に支障が……」

「はいはい、わかりました。止めたりしないわよ」

階段を下り、スバルたちの前まで降りてきて腰に手を当てるエミリア。

彼女の紫紺の瞳に真っ直ぐ見つめられ、ふとその輝きに吸い込まれるように目を離せなくなる。

彼女はその動けないスバルの方に手を伸ばし、こちらの胸に軽く触れると、

「無茶も無理もしないでって言っても、それも無駄そうよね」

「場合によっちゃ……な。いや、俺もしたくないんだよ、それ全部」

努力・頑張る・必死なんて種類の言葉は全部やりたくない類。

それでも、状況を変えられるのが自分しかいない場合、スバルは動かざるを得ない。どうしてこんな面倒な性質になったのか――目の前の少女の影響が大きいのだろうと、そう思って苦笑が出る。

「――あなたに、精霊の祝福がありますように」

「なんだって?」

こちらの胸に触れたままの呟きに、スバルが首を傾げる。と、エミリアはそんなスバルに含み笑いを向け、

「お見送りの言葉よ。無事に戻ってきてねって、そんな意味」

「ああ、火打石で見送る感じか。なら、俺も答えにゃならんね。エミリアたん、勝利の栄光を君に――」

「はいはい」

敬礼してみせるスバルを流して、エミリアはレムにも視線を向ける。黙って二人のやり取りを見ていた彼女はその視線に背筋を正した。

「レムも気をつけて。それと、スバルが無茶しないように見張っててね」

「はい、エミリア様。承りました」

「信用ねぇな、俺」

「なに言ってるの。スバルの人となりを信用してるから、こんな話になるんじゃない」

「なにその信頼。いい意味にも悪い意味にも取れて鬼がかってんな」

腰に手を当ててお説教モードのエミリア。

言い足りない気持ちはいくつもあるのだろうが、それでも彼女が話を引っ張ったのはそこまでだ。急ぐスバルの心情を酌み取り、彼女はこちらの背を押すと、

「いってらっしゃい」

「うぃ、行ってきます!」

背を押され、拳を振り上げるポーズで応じ、エミリアとラムを置いて屋敷を飛び出す。お辞儀して屋敷を後にするレムが後ろに続き、駆け出すスバルの隣へ悠々と並んでくるのがわかった。

「それで、詳しい話が聞きたいんですが……」

「呪術師が村にいる。ベアトリスに解呪してもらったけど、俺も呪いをかけられてたぐらいだ。――下手すると、村が壊滅するかもわからねぇ」

「――本気、ですか?」

走りながら息を呑み、レムが目を見開いて聞いてくる。

それに無言の頷きで応じながら、スバルはひたすらに村を目指す。

呪術師が理性ある人間ならば、そんな手段は想像する必要もなかった。だが、スバルの推測が肯定された場合、最悪の事態は起こり得る。

故に、スバルは駆け抜ける。並走するレムもまた、事の重大さを知って無言の疾走。

遠く、木々の向こうにある村を目指し、二人の姿は夜闇を切り裂いていった。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

「――スバルくん、あれは」

レムが幾許かの緊張感をみなぎらせ、そう叫ぶのをスバルは聞いていた。

声を上げるレムの姿は、スバルの視線のだいぶ先にある。彼女が指差す方向にあるのは輪郭のはっきりしてきた村であり、その表情が示すのは、

「ずいぶんと、村が明るいな……」

同じ感想に思い至り、スバルもまた異変の気配を察知する。

その足取りは重たく、走るというには遅く、歩くというには早い、そんなペースにまで疾走はダウンしていた。

逸る気を抑えられないレムはもどかしげにスバルを見るが、そんな風にせっつかれても横っ腹が痛くて大声も出せない。

「先行け、先……っ」

手振りで先行するように指示するが、レムは首を横に振る。

そもそも、彼女のスバルへの同行の理由が理由だ。スバルの監視の意味もあるのに、ここで別れては本末転倒ということだろう。

イマイチ締まらないスバルの姿勢に業を煮やしたのか、

「もう、仕方ありません。舌を噛まないでください」

「え、ちょ、レムりんてばなにを――ッ!?」

スバルの隣へ駆け戻ってきたレムが腕を伸ばし、へろへろ状態のスバルの首根っこを掴むと軽々持ち上げる。

酒樽のときにも見せつけられた、圧倒的な膂力の差だ。

そのままレムの肩に担がれたまま、スバルの体は逆さの状態で風に乗る。

レムの本気の疾走の速度を体感し、スバルは彼女の身体能力の高さに絶句。その一方で、彼女を伴ってこれた自分の判断に間違いがなかったと確信もする。

無力で無能なスバルがひとりで渦中に飛び込んだところで、いったいどれほどのことができるというのか。玄関でのハッタリのやり取りも含めて、レムという戦力を確保できたのは正解だったろう。

「到着です。スバルくん、平気ですか」

「早いな、さすが……あとは、村の状況を……おろろろろ」

塀に手を着き、揺られたことと疲労が原因での嘔吐感に苛まれるスバル。

そんなスバルの無様さを無視し、視線をめぐらせるレム。そんな二人の目立つ出で立ちに、ちょうど側を通りかかった村人のひとりが気付く。

「お屋敷のお二人じゃないですか。こんな時分に……」

「ちょうどいいところに。なにかあったんですか?」

駆け寄ってきた青年を捕まえ、レムが上から問いかける。彼はその強い語調に少しだけ驚いたように目を見開き、「え、ええ」と上擦りながら応じ、

「実は、村の子どもが何人か見当たらなくてですね。暗くなる前まで遊んでいたのはわかってるんですが、そのあとが……」

青年のはっきりしない物言いに、レムがさらに質問を重ねようと口を開く。

が、それよりも先に動いたのはスバルだ。荒い息をついたまま、スバルは青年の肩に手をかけて振り向かせると、

「いないってのは、リュカとかペトラとかミルドか?」

「そ、そうですが……どこに行ったのか心当たりが?」

不安を肯定される返事を受け、スバルはその場で舌打ちすると「クソ!」と地面を蹴飛ばす。それから村の外れ――森に通じる塀の方角を見据え、

「子どもたちを探してんのは、あんたと?」

「青年団が総勢でと、ムラオサが」

「子どもたちがいるのは森だ。村の中を探し回っても出てこねぇ」

スバルの断言に青年の表情が変わる。彼はなおもスバルに聞きたいことがある様子だったが、スバルはそんな彼の肩を叩くと走り出し、

「俺は先に森に入る。あんたはみんなに伝えてくれ。子どもたちは森だ!」

背後で青年が疑問の声を上げるが、それに取り合わず再び駆け出す。

慌て、ついてくるのはレムだ。彼女は確信めいたスバルの態度が腑に落ちず、

「どうして、そんなことが……」

「わかるんだよ。森の奥で、ひとりぼっちで鳴いてたのをみっけたって、俺は二回も聞いてたんだから――」

村の周囲を覆うのは、背の高い木製の柵だ。森に隣接する部分に立てられたその塀を乗り越え、土の上に着地する二人の身は森の中へ。

木々の隙間を縫いながら、枝やぬかるむ地面に気をつけて奥へ。

「森の中っていっても、範囲が広すぎます。スバルくん、心当たりが……」

「ガキ共の言葉が確かなら、こっちの方に……」

記憶を頼りに足を進めるが、あくまで聞いただけの話をなぞるでしかない足取りは重い。おまけに視界は真っ暗で、正しい方へ進んでいる確認のしようもないのだ。

だが、

「――結界が、切れてる」

驚きの声を漏らすレムに、スバルは自分の判断が正しかったと拳を固める。

眼前、レムが指摘したのは、大樹に埋め込まれた結晶だ。光を失って久しいといった感じのそれは、森の中で何度か見かける機会があった謎の物体。

森を指して、結界の話が出たことが何度かスバルの記憶に残っている。山の奥へ入ってはいけないと、そうラムに直接指摘されたのはいつだっただろうか。

「結界が切れてると、どうなる?」

「『魔獣』が境界線を踏み越えてきてしまいます。だからこそ、結界の維持の確認は村人の義務なのに……!」

「言っても仕方ねぇ、目の前のが事実だ。それより、魔獣ってのはなんだ?」

スバルの質問にレムはなおも動揺しつつも、

「魔獣は、魔力を持つ人類の外敵……です。人類に仇為すため、魔女が生み出した……と言い伝えられています」

「またここでも魔女か……」

聞き逃せない単語の頻出にスバルは顔をしかめたが、今のレムの言葉の前半で確信する。呪術師の正体と、今も村を襲う災厄の前兆を。

「――! スバルくん、なにを!?」

驚き、レムが制止の声を上げる。

彼女の前、結界と呼ばれた樹木を横切り、奥へ向かおうとするスバルの姿がある。それに驚く彼女に振り向き、スバルは自らの左手を差し出し、

「ガキ共は奥だ。助けにいかねぇと」

「確証があるんですか? 結界を踏み越えるには、ロズワール様の許可が……」

「俺の手の甲の傷跡が証拠だ」

指し示す左手の甲――そこには昼間、村を訪れた際に負った傷がある。

子どもたちが取り囲み、スバルにもまた洗礼を浴びせた犬歯の痕が。

――この傷を指し示し、ベアトリスは言ったのだ。

この傷跡を作った存在が、スバルに呪いをかけた張本人であると。

一度目、二度目、そして今回。

スバルの身を呪いが降りかかったケース、その全てに関わる存在。そして、四度目の世界でレムの身を襲う可能性も存在するソレ。

全てを包括する可能性を持つのは、もはやあの存在以外にあり得ない。

「ガキ共が可愛がってた犬だ。犬っぽいアレが犬じゃなくて、噛みつく相手を片っ端から呪ってたとすればどうだ」

人為的なものでなく、天災のようなものだ。

ネズミを媒介に広まった伝染病があったように、獣を通じて爆発的にそれが広まれば、こんな村ひとつどうなるか想像に容易い。

その犬を追いかけ、森に入った子どもたちの安否もまた、同様だ。

「時間をかければかけるほどヤバい。ガキ共が呪われてるかどうかはわからねぇが、とにかく全員連れて屋敷で解呪にかけないと」

「待ってください。そんな判断を勝手に――そもそも、状況が怪しすぎます」

「ああ?」

逸る気持ちのまま森へ入ろうとするスバルに、なおもレムは食い下がる。彼女は村の方角、ひいては屋敷の方を指差し、

「ロズワール様が不在のこの機に、狙ったようにこんな問題が起きますか? これがお屋敷を狙ったものでないなんて……」

「じゃあ、どうする。現在進行形でピンチなのは間違いないガキ共を見捨てて、屋敷に戻って防御固めるか。次の日に、村人全員が死んでてもいいってんなら、それも手だろうよ」

卑怯すぎる物言いだと、自分でもわかっていてスバルは言った。

レムはあくまでリスクを回避しようとしているに過ぎない。それは当然の感情であり、彼女が責められる筋合いなどまったくないのだ。

だが、押し黙っても蹲っても、決断を迫る時間は必ず訪れる。

どれほど選択肢が限られていようとも、目の前に提示されたいずれかのカードを選ばなくてはならないのだ。無論、選ばないという選択を選ぶこともできる。しかし、それをしたときの後悔がもっとも大きかったことは、今もスバルの心の奥に深く深く刻み込まれていた。

「レム、行こう。俺たちで、どうにかしてやるしかない」

「どうしてそこまで……スバルくんに、この村がどれほど関係が……」

いまだ判断に迷っているからか、レムが女々しくそう呟くのをスバルは初めて聞いた。いつでもどんなときでも、整然とした態度を崩さなかったレム。

だが、信頼する主と姉のいない場で決断を求められるとき、彼女はこんなにも脆い年相応の少女としての顔を取り戻す。

その人間としての弱さに、スバルは痛いほどの共感を覚える。だが、その傷口を舐め合っている余裕は今の二人にはない。

時間の余裕もそうだし、精神的な問題での余裕もそうだ。

こうしてレムの決起を促す傍らで、スバルの足は疲労以外の理由で震えるのを隠せない。当たり前だ。自分に二度、レムに一度、命を奪う原因となった存在が、この先に待ち構えているだろうとわかっているのだ。

ましてや最大戦力である同行者が、奥へ共に行くことに積極的でない。最悪、ひとりででも奥へ向かわなくてはならない可能性を考慮すれば、押し隠したはずの臆病が顔を覗かせるのを、どうして堪えられるだろうか。

しかし、スバルはそんな己の弱さを、頬を叩いて忘れさせる。

渇いた音の破裂に顔を上げるレム。その彼女の視線を受け、スバルは深呼吸しながら低い声で、

「――ペトラはな、大きくなったら都で服を作る仕事がしたいんだ」

「……え?」

「リュカは村一番の木こりの親父の跡を継ぐって言ってるし、ミルドは花畑で集めた花で冠作って母ちゃんにプレゼントしたいんだと」

「…………」

指折り、瞼の裏に思い浮かぶ顔をひとつひとつ数えながら、スバルは続ける。

「メイーナはもうすぐ弟か妹か生まれるって喜んでたし、ダインとカインの兄弟はどっちがペトラをお嫁さんにするかで張り合ってやがる」

小さな笑いが思わず漏れた。

それから、押し黙ってしまうレムに首を横に振り、

「関係ないなんてことあるかよ。俺はあいつらの顔も名前も、明日やりたいことも知ってんだ」

子どもなんてスバルは嫌いだ。

うるさいし、馴れ馴れしいし、タメ口を利くし、なにより礼義がなってない。

不作法で不躾で無鉄砲で無遠慮で、まるで誰かを鏡で見ているようだ。

スバルは根っからの善人なんて程遠い。

テレビのニュースで凄惨な事件の報道を見ても、字面の上での数字がどれほど大きくても、それが身近でないのならひと眠りしたあとにはすぐ忘れるほど薄情だ。

だから嫌いで、身近でない子どもなんてどうなったところで関係ない。

それこそ、レムの言う通り、エミリアたちを優先して屋敷にこもる方がずっとスバルらしいやり方だと自分でも思う。

でも、

「ラジオ体操、明日もやろうぜって約束しちまった」

召喚初日のループのときも、スバルは同じことを思ったはずだ。

見捨ててしまえば楽にできる。でも、それができないから走ったのだ。

レムを見る。

彼女は判断に迷っている。戸惑っている。

弱々しい姿だ。力足らずを嘆く姿だ。それはスバル自身の姿だ。

自分より今、弱い彼女の姿を見て、覚悟を決める自分に嫌気が差す。

ビビって怖気づいて仕方ないくせに、けっきょくまた誰かを利用して自分を保とうとする小人さが心底憎たらしい。

そんな自分の臆病さすら、利用できるのなら利用してしまえ。

「俺は約束は守るし、守らせる性質なんだ。――俺はあのガキ共と、またラジオ体操を必ずする。だから、奥へ向かうぜ」

――勇気がこんなに恐いものだとは知らなかった。

スバルは震える手を押さえるのに必死で、震える声に気付かないまま言い切る。

そんなスバルの背を見ながら、レムは静かに瞑目する。

彼女がついてこないというなら、それもまた仕方のないことだと思う。今から戻って村人たちを呼びにいくのは時間のロスが大きすぎる。せめて、レムにそれだけ言付けて行きたいところだが――。

「仕方、ないですね」

「レム?」

ふっと、唇をゆるめてレムがスバルを見上げる。

彼女は驚きを浮かべるスバルの方へ、初めてといっていいぐらい、はっきりとした感情をうかがわせる表情を浮かべ、

「レムの命じられている仕事は、スバルくんの監視ですから。ここでスバルくんをひとりで行かせてしまっては、それが果たせないでしょう?」

からかうような彼女の言葉に、しばしスバルは唖然とし、それから頭を振って、

「ああ、そうだな。俺が怪しい真似しないか、しっかり見張っててくれ」

「ええ、そうします。――だから、行きましょうか」

隣にレムが滑るように並び、スバルはついに彼女と本当の意味で並べたような気がして背筋を正す。

こそばゆいような気持ちを得ながら、彼女に礼を言おうとして、ふと気付いた。

――隣を歩くレムの手に、いつの間にか鉄球が握られている。鉄の柄と鎖で結ばれたそれは彼女の手の中で、その重量感に見合わぬ軽やかな金属音を立てていた。

「あの、レムさん、それって」

「護身用です」

「いやでもそれは」

「護身用です」

レムと二人、そんな会話をしながら、未踏の森へと足を進める。

せっかく絞り出せたはずの勇気が再びしぼみかけるのを、どうにかこうにか必死の覚悟で立て直しながら。