軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八章2  『遺恨』

――ルイと呼ばれる少女をどう扱っていいか、ベアトリスは考えあぐねている。

水晶宮から放たれた魔晶砲、それを空間を隔てた彼方へ飛ばすのに協力させた間柄。

ルイの得体の知れない転移の能力がなければ、あの場に届くことはできなかった。そうなれば、戦場にはズィクルを始めとした大勢の死者が生まれただろう。

その行い一個で、ルイの背負った『暴食』の大罪司教という咎は払拭できない。

それでも――、

「あーう!」

「お前がベティーやスバルたちに敵意がないのは、信じてやっていいかしら」

揺れる鞍を尻に敷いて不格好に跨り、子どもサイズとはいえ騎乗者以外に三人も余計なものを乗せて赤い疾風馬が走る。

その疾風馬の背中で、スバルを間に挟んで座るベアトリスとルイ。スバルの腕に抱かれるベアトリスと違い、背中側のルイは馬上で器用に立ち上がり、スバルの肩を叩きながら一心不乱に一方向を指差している。

――ベアトリスの目から見ても、帝都ルプガナの状況は混沌の坩堝だった。

正規軍と反乱軍の激突に始まり、統率のない飛竜とある飛竜とが空を奪い合い、見渡せば白い世界と赤い世界が平常な世界を冒し、巨人と龍が暴れ回り、ついには死者たちが次々と起き上がり、都市を内側から破壊していく。

排他的で、どこにも肩入れしなかったベアトリスが直接関わったケースは少ないが、四百年前の混迷期を思わせる非常識で、不整合な世界の在り方――。

「――『魔女』」

古い時代を思い返せば、ベアトリスは自然とその単語を口にしてしまう。

あの四百年前の時代を象徴するものと言えば、それは紛れもなく『魔女』だった。

ベアトリスの造物主でもあり、母と慕うエキドナも『魔女』と呼ばれた一人。

それ以外にも大罪を冠する『魔女』が複数いたあの時代は、誰もが生きることに必死でいたあの時代は、子どもの見た悪夢が現実化したような暗黒期だった。

今の帝都はその再来だ。――いったい、何がそれを誘引したのか、胸が逸る。

そんな焦燥を、ベアトリスが己の胸に抱える傍らで――、

「――待ってろ、レム!」

すぐ真後ろ、息を弾ませながら意気込むスバルの声が聞こえる。

唸るように声を発するルイ、彼女の指差す方へと疾風馬を急がせるスバルは、その先に待ち人、探し人の少女がいることを疑っていない。

ベアトリスと離れ離れの間、スバルがルイとどんな時間を過ごした結果なのか、まともに考え始めると胸がモヤモヤしてたまらないが、その信用は理解できた。

ベアトリスも、ルイの指差す方にレムがいることを疑っていない。

思えば、ルイは魔晶砲を消すのに大量のマナを使い、消えかけたベアトリスを救おうとスバルの下へ直行した。彼女には、探し人の位置を特定する力がある。

それが誰でもいいのか、見知った相手しかできないのか、それは不明だが。

「でけぇ屋敷!」

「どうする、シュバルツ! 壁が高い! 正面まで回り込んで……」

「いや、その時間がもったいねぇ! タンザ!」

正面、通りを何本も横切り、目的の建物へと近付いたところでのやり取りだ。

建物の数々で見えなかったそれは、帝都の北部に堂々と広く敷地を取った邸宅で、周囲の様子からも帝都の地位の高い人物の屋敷とわかる。

当然、相応の警備を保証するために屋敷を囲った塀は高い。

だが――、

「誤解していただきたくないのですが」

そう、顔の無表情と同じぐらい声の感情を抑えた鹿人の少女が、ほんのわずかな不服を横顔と呟きに滲ませて地面を蹴る。

真っ直ぐ、目の前の塀へと突っ込んでいく少女、タンザが続ける。

「私はシュバルツ様の、壁を壊すための道具ではありません」

宣言の直後、タンザの厚底が邸宅の壁へと直撃し、おそらくは地属性の加護を刻まれ、その防護性能を底上げしたはずの塀を陥没、貫通、崩壊させる。

爆音と爆風をたなびかせ、少女の小柄な影が塀の向こうへと抜けた。その噴煙へと頭から突っ込むように、ベアトリスたちを乗せた疾風馬が敷地内へ飛び込む。

そして――、

「うあう!」

「――スバル、あそこなのよ!」

広い邸宅の敷地内、母屋と離れといった複数の建物が並んでおり、一瞬、どこへ向かうべきなのかの指針を見失いかける。が、視線を巡らせるスバルと同じように、丸い目を見開いて目標を探したベアトリスが、その人の集まりに気付いた。

瞬間、同時にルイもベアトリスと同じ方を見て声を上げ、それが確信を後押しする。

視線の先、離れというべき建物の入口に複数の人影がある。

固く閉ざされた扉の前で、見えるのはボロボロの帝国兵の装備を身に着けた背中と、それと向き合っている二つの人影、片方をベアトリスは知らないが。

――もう片方は、ベアトリスも見覚えのある少女だった。

「――エル!」

「ミーニャ!!」

少女と連れを狙い、鈍色の剣が振り上げられる。

それを目に留めた直後、手を繋いだベアトリスとスバルは反対の手をかざし、魔法を詠唱――生み出される紫紺の矢が、青白い顔の男たちの背を捉え、結晶へ変える。

「か」

漏れる苦鳴、しかしそれ以上の行動を男たちに許さない。

甲高い、氷のひび割れる音と共に砕け散り、男たちの姿が崩れ去った。

そして、間一髪のところで命拾いし、驚きに目を丸くする少女の前へ疾風馬が到達、手を引かれ、ベアトリスはスバルと共に地面に降り立った。

そこで――、

「――待たせたな、レム! 真打登場だ!」

片目をつむり、歯を光らせるスバルの威風堂々とした宣言。

幼い見た目になろうとも、誰かを助けるために奔走する彼の変わらない勇ましさを誇らしく思いながら、ベアトリスもその腕の中で相手を見る。

そのベアトリスとスバルの視線を浴び、命を救われた少女が目を丸くした。

そのまま、感動と感激に喉を震わせ――、

「――誰ですか?」

とは、あまりいかない雰囲気の怪訝な声で問うてきたのだった。

△▼△▼△▼△

「いや、俺だよ、俺! ちょっと縮んでるけど、俺だってば! わかるだろ?」

「……助けてもらったことには感謝しますが、思い当たりません」

「そんな馬鹿な!」

思いがけないレムからの塩対応に、スバルは短い腕を振り回して嘆く。

てっきり、心細い思いを味わい、命も危うくなる窮地を助けられ、さぞや感動的な対面を迎えるかと思っていただけに、この反応にはガッカリだ。

もちろん、スバルもスバルでレムの知らないところで勝手に縮んでいるので、手放しに喜んでくれというのも無茶な話だと思うが。

「そういう意味だと、この状態の俺を知ってたルイはともかく、ベアトリスはよくすぐに受け入れてくれたもんだな……」

「別に、何とも思ってないわけじゃないかしら。ただ、縮んでいよういまいと、ベティーのパートナーに変わりはないってだけなのよ。それよりも」

「それより?」

抱いた腕から地面に下ろされ、スバルとレムをベアトリスが見比べる。そのまま、彼女はその特徴的な紋様の浮かんだ瞳を細めて、

「あの態度、ベティーがスバルから聞いてたのと全然違うかしら。あの娘……レムは、スバルに優しかったって話だったはずなのよ。嘘だったかしら?」

「違う、嘘じゃねぇ! ただ、今はちょっと色々忘れられてるだけだ!」

「忘れられてる……」

レムの塩対応から派生して、ベアトリスにいらない疑惑を持たれている。

おそらく、『眠り姫』状態のレムのことを覚えていないみんなに、スバルが事実と違っている話をあれこれ吹き込んだ疑惑だ。

とんでもない誤解だし、そもそも眠っているレムの性格を事実と偽って教えているなんてこと、冒涜すぎるし、あとスバルが悲しすぎる。

そんなスバルの弁明に、ベアトリスは黙ってレムへと振り返ると、

「お前、ベティーのことは覚えてないのよ?」

「……いいえ、初めてお会いすると思います」

「――。なるほどかしら。合点がいったのよ」

「そちらは納得されているようですが、結局、あなたたちは? 助けてもらったことには感謝していますが……」

レムの受け答えから、スバルが適当を言っているわけではないとベアトリスは受け取ってくれた顔だ。一方、レムの方の疑問は解かれていない。

勝手にスバルとベアトリスに納得されても、レムの方の疑問は積み立てされるばかり。

わりと自分の中では違和感がなくなりつつあるが、やはり、大きいスバルと小さいスバルはまるで違うと、そうレムの態度からもはっきり伝わってくる。

「とはいえ、俺は俺なんだ! レム、とにかく話を……」

「ややっ!? どこの誰が助けてくれたのかと思ったが、旦那くん! 旦那くんじゃないか! よくぞ、駆け付けてくれたね!」

「ああ、ほら、フロップさんはわかってくれて……あれ!? フロップさん!?」

と、レムの無理解を何とか紐解こうとしたとき、その後ろからひょっこりと姿を現した金髪の青年、フロップの姿にスバルは度肝を抜かれた。

レムを助けにきて、まさかフロップまで一緒にいるとは思いもしなかったのだ。

「なんでここに? レムと一緒にさらわれてたってことか?」

「おやおや、何も知らないで奥さんを助けにくるなんて盲目的じゃないか! でも、大体その認識で間違いないよ。もっと言えば、僕が致命傷を負ったせいで、奥さんが治療に同行してくれたというのが正しいね!」

「致命傷って……うわ、本当だ! ひでぇ怪我!」

相変わらず快活な様子のフロップだが、その馬鹿に明るい性格を余所に、服の隙間から見える肌は包帯でぐるぐる巻きで、顔色もやや血の気が引いているようだ。

剣奴孤島の経験則からすると、立っているのがやっとというレベルの重傷具合。

致命傷を負った、というのも大げさな話ではなさそうだった。

「でも、それでレムが一緒に……ったく、度胸がありすぎだぜ、お前は」

「待ってください。すんなりと話を進めようとしていますが……フロップさん、この男の子をそう呼んでいるのは」

「ああ、こういうことは第三者の方がかえって気付きやすかったりするのかな? 奥さんの考えている通り、旦那くんだよ。多少、童顔さが増しているけれどね!」

「――――」

フロップに言われ、レムが改めてまじまじとスバルの方を見る。

彼女の薄青の瞳に浮かんだ疑念に対し、スバルは自分の顔がよく見えるように角度を調整し、歯を光らせた。疑問の色が呆れに変わり、すぐに驚きに変じる。

「おかしな人、おかしな人とは思っていましたが……女装するだけではなく、子どもに化けることまでできるんですか?」

「違う! この状態は不可抗力なんだよ! そうだろ、ベアトリス」

「スバル、ベティーたちの知らんところでまた女装してたのかしら……?」

「今、そこに引っかかるのはやめてくれ!」

レムとベアトリス、両方から疑いの眼差しを向けられ、スバルはたじたじ。そんなやり取りの傍ら、フロップが整った自分の顔に指を立てながら、

「まぁ、女性に扮したのは旦那くんだけでなく、僕や村長くんもだったけれどね。我らながらよく似合っていたし、その姿も可愛らしいよ」

「愛嬌に全振りしてる時代の俺だからね。ともかく! 合流できてよかった」

ホッと胸を撫で下ろして、スバルはレムとフロップの二人に笑いかける。その笑みにフロップは忌憚なく頷き、レムはしばし黙考したあとで、

「……わざわざ、私を探しに?」

「そりゃもちろん。いや、途中までさらわれてたの知らなかったけど、知った瞬間に私情が迸った。いる確信が持てたのは……」

「うー!」

と、レムの問いに答えながら、ちょうどそこへ確信の理由が飛び込んでくる。

スバルとレムの間に割り込むようにし、レムに飛びついたのはルイだ。金色の髪を躍らせて抱き着いてくるルイに、レムは「わ」と驚きつつも、少女を受け止める。

その顔を間近にし、レムの瞳に安堵が浮かんだ。

「ルイちゃん、無事だったんですね。勝手にあの人についていってしまうから、冷たく当たられていないか不安で」

「あーう!」

「いくら何でも、そんな不安がられるほど冷たく当たっては……いたか。いたな。いたかもしんない。反省は、今はしてるけども」

抱き着いているルイの頭を撫で、そう口にするレムにスバルは唇を尖らせる。

実際、レムとルイの別れが、スバルたちがカオスフレームへ向かったのが最後だとしたら、あの時点のスバルとルイの関係は最悪だ。

途中でこれ幸いにと、スバルがルイを野原に捨ててこないとも限らなかった。レムが心配するのもやむなしと言えよう。

もっとも――、

「今は、ルイをどうこうしようって考えはないよ。仲直りしたんだ」

「……本当ですか? ルイちゃん」

「う!」

満面の笑みで頷くルイ、その反応にレムの疑問符もようやく解きほぐれる。

体が縮んで以来、最大のピンチだったかもしれない状況が穏当に進んで、スバルもホッと一安心だ。と、そのスバルの手を握りながら、

「……受け入れたつもりでも、違和感の強い光景なのよ。あの娘とレムが、ああして和やかにしてるなんて、妙な気分かしら」

ベアトリスがそう呟くのに、スバルも内心で苦笑する。

ヴォラキア帝国へ飛ばされた当初、目覚めたばかりのレムに敵視され、その狙いがまるでわからないルイが一緒だった状況を思えば、スバルも彼女に完全同意だ。

何の因果か、レムを『眠り姫』にした元凶である『暴食』の大罪司教が、こうやって同じ場所で友好的に過ごしているのだから。

「――。そこの答えは、まだちゃんと出てねぇけど」

レムの記憶はまだ戻っていない。ルイの素性も、わからないままだ。

しかし、こうしてレムと生きて再会できたし、ルイも手の届く場所でこちらに友好的な態度を示している。ならば、解決策は探れるはずだ。

故に――、

「――シュバルツ様、あまり和やかにしている暇はないかと思います」

その再会の空気に、いい意味とタイミングで水を差す少女が現れる。

空気の読めるキモノの幼女、タンザの介入にスバルは「だな」と振り返り、馬上から周囲の警戒をしてくれているイドラも視界に入れつつ、

「探し人は見つけた。ちなみに、もう他に連れ去られてる人いないよな?」

「ベティーの聞いた限りではいないはずなのよ」

「私も、見かけていません。フロップさんは……」

「僕も、他に連れてこられた知人の心当たりはないな。うっかり、ミディアムがさらわれでもしていない限りはね! どうだい、旦那くん!」

「俺と別れたタイミングではさらわれてなかった。……縮んでたけど」

「え? なんだい? 何か言ったかい?」

妹の安否を気にするフロップに、スバルはミディアムも縮んでいる事実を伏せた。

外見が縮んだ以外は健康そのものだったし、きっとミディアムも無事にカオスフレームを離れ、グァラル組と合流したはずだ。

ここで細かい事情をすり合わせ、ああだこうだと揉める時間が惜しい。

そういう、賑やかでやかましい時間を確保するためにも、動くのだ。

「ってわけで、レムとフロップさん含めて、できるだけ大勢連れて逃げたいんだけど、他にこの屋敷の人たちは?」

「ここで知り合った、カチュアさんという女性がいます。それから、この離れに……」

「ここ?」

頷いたレムの視線が、そのすぐ傍らにある固く閉じた扉へと向いた。

とっさに敵を倒さなければならなかったのでちゃんと確かめていなかったが、そう言えばレムたちはこの建物を開放しようとしていたらしく、

「中にいるのは、各地から集められた『黒髪の皇太子』だそうだよ」

「『黒髪の皇太子』……シュバルツの偽物たちか」

スバルの内心の疑問にフロップが答え、その内容にイドラが渋い顔をする。

彼が口にしたシュバルツの偽物という認識は、概ね、『プレアデス戦団』の全員に共有されているもので、スバルが彼らについている大きな嘘の一個だ。

帝国で話題にされる『黒髪の皇太子』とは、皇帝であるヴィンセント・ヴォラキアの隠し子であり、各地で名を上げたそれはいずれも偽物に過ぎない。

本物の『黒髪の皇太子』は他ならぬ、ナツキ・シュバルツであると――。

「反乱を起こすため、あちこちで大義名分として担ぎ上げられた連中か。はっきり言って、私はそういうなりふり構わないやり方は好かないな」

「ベティーもその髭男に同感かしら。発案者も気に入らんのよ」

「ひ、髭男……」

離れの中、囚われていると思しき偽の皇太子たちに、イドラがはっきり不快感を表明すると、それに追従するようにベアトリスも頷いた。

はっきり言って、イドラの言葉はスバルも耳に痛い。ベアトリスが付け加えた一言も、これが誰の企みだったかというスバルの推測を裏付けていそうだ。

正直、偽の皇太子たちが善人か悪人か、区別のつきづらい部分はあるが――。

「シュバルツ様、どうされますか?」

「いや、どうもこうもなくない? ここに取り残されたら、遅かれ早かれ絶対にゾンビたちにやられるんだから、助けない選択肢はないだろ」

「――――」

声を潜めて、スバルの判断を尋ねるタンザにそう答える。

その答えにタンザが目を見張ったのは、『黒髪の皇太子』――スバルが名乗っている皇帝の後継ぎ、それが撹乱のためにばら撒かれた嘘であると、他ならぬ彼女だけは剣奴孤島の時点から聞かされているためだ。

『プレアデス戦団』の仲間たちがスバルを信用し、この帝都攻防戦にも堂々と参戦するのを良しとした背景には、スバルが『黒髪の皇太子』と信じているのが大きい。

もしも囚われの偽皇太子たちを出せば、その嘘が暴かれる可能性も高まるだろう。

「でも、それはそれ、これはこれだ」

タンザの懸念は承知の上で、スバルは嘘を守るために人の命を犠牲にはしない。

もちろん、この思いやりが通じて、偽皇太子たちがスバルたちに対して大人しく感謝の気持ちを持ってくれるのを期待したいところだ。

「それでこそ、ベティーのスバルかしら」

きゅっとスバルの手を握りながら、そう自慢げにベアトリスがタンザを見る。一瞬、またしても二人の間にピリッとしたものが流れたが、スバルはそれをさておく。

その上で、離れの扉に向かい合い、

「レムたちは入口の鍵持ってる?」

「い、いえ、鍵の在処がわからなかったので、力ずくでこじ開けようかと」

「奥さんの腕力を当てにしてね。知っての通り、僕の腕は見たまま貧弱だから」

腰にルイを引っ付けたままのレムと、弱々しい力こぶを見せるフロップ。二人の答えにスバルは頬を掻くと、情けなくもタンザの方を振り向いて、

「またマスターキーしてもらっていい?」

「……『ますたあきい』が何かわかりませんが、言いたいことはわかります。シュバルツ様、改めてお伝えしておきますが」

「タンザは壁をこじ開ける道具じゃない、だよな。ごめん」

スバルが神妙に頭を下げると、タンザが深い深いため息をつく。

だが、ため息だけでなく、情け深いタンザは「どいてください」とスバルやレムを扉の前からどけると、扉にかかった大きな南京錠を両手で掴んだ。

そのまま、ぐいっとタンザの細い両手に力がこもり、錠前がねじ切られる。

かなり衝撃的な光景だが、スバルやイドラは見慣れたものだ。

タンザの信じられない怪力ぶりに、レムとフロップが目を丸くするのを横目に、スバルは軽く息を整えてから、ゆっくりと離れの扉を開け放った。

そして――、

「みんな色んな事情があるとは思うんだが、いったん、色んな遺恨は後回しにして、一緒にここから逃げ出すために協力し合わないか?」

そう、相手を警戒させないように注意しながら、スバルは離れの中――そこに並んだ狭い牢に入れられ、囚われの立場にある偽皇太子たちに声をかけた。

「――――」

そのスバルの呼びかけに、こちらを向いたのは十四、五人の男児の顔だった。

『黒髪の皇太子』と呼ばれた以上、それが皇帝のヴィンセント=アベルの年齢から逆算して、現在のスバルと同年代に集中するのは当然のこと。

とはいえ、子どもが人目から隔離され、牢に入れられている姿は胸が悪い。

「ですが、それぞれの牢の間隔は広く、清掃も行き届いていますので、劣悪な環境というほどではないと感じますね」

横から離れの中を覗いたタンザが、スバルの感想にそう自分の意見を付け足す。

彼女の言う通り、最低限以上の清潔感はある空間だ。偽皇太子たちにはちゃんと食事も出されていたようで、極端に衰弱している風なものも見当たらない。

「一応、本物の皇太子がいた場合に備えてはいたのでしょうね」

「わざわざ子どもをいたぶる趣味もなかったってことかもしれんのよ」

「……家主の方の気質からすると、どちらもありえそうです」

タンザからベアトリス、そしてレムへと離れの中の印象が引き継がれ、その説明にスバルはこの広い邸宅の所有者――おそらく、帝都の有力者だろう相手を思う。

状況から考えれば、こうやって『黒髪の皇太子』の候補をたくさん捕まえているのも、偽皇太子なんていないとわかっている偽皇帝に対する叛意の表れだ。

「息子が偽物だってこと、本人が一番よくわかって……待てよ? 偽皇帝の方は知らない可能性があるか? アベルが女関係だらしない奴なら……」

「私が言うのもなんですが、アベルさんのそういう一面はあまり想像つきませんね」

「俺もそう思う。あいつ、女装した自分が一番美人だと思ってんじゃねぇかな」

スバルがナツミ・シュバルツを名乗り、アベルがビアンカを名乗り、ついでにフロップがフローラだったときのことを振り返り、スバルはそう述懐する。

ともあれ――、

「今から牢を開ける。外はかなり賑やかなことになってるのは、騒音とか揺れとかでわかってるはずだ。遺恨は捨てて、みんなで逃げよう!」

「……逃げるって、牢には鍵がかかってるのに」

中にいる、種族や肌の色も異なっている偽皇太子たち、その中の一人が自分の呼びかけに反応したのを、スバルは「お」と受け止める。

全員が黒髪黒瞳、あまりこの異世界では多くない、スバルと同じ身体的特徴を持った彼らに勝手な親近感を抱きつつ、

「鍵なら心配するな。この通りだ」

「この通りです」

スバルが親指で横のタンザを示すと、彼女は一礼し、自分の手の中のねじ切られた錠前を偽皇太子たちに見せた。

全員がぎょっとした顔になり、半信半疑の表情が消える。代わりに、大なり小なりの畏怖の念がタンザに向けられているが、

「邪魔は入らなそうだ。こっちはタンザが外に出してくれるとして……レム!」

「は、はい」

「さっき話してた、ここで知り合った友達はどこに?」

「――、カチュアさんでしたら」

ルイの頭に手を置いていたレムが、その表情を引き締めて離れの外へ振り向く。レムのその反応からして、カチュアという人物は母屋にいるのだろう。

同じ敷地内、離れの前にいた三体のゾンビの撃破には成功したが、おそらく他にも入り込んだものたちがいるはずだ。それが件の女性を見つけてしまう前に、何とか助け出さなくてはいけない。

「そのカチュアって人、特徴は?」

「茶色の癖毛と、深みのある瞳の持ち主です。それから……」

「それから?」

「カチュア嬢は足が悪いんだ。だから、僕や奥さんが離れに向かう間、向こうの建物に隠れてもらっていてね」

「足が……」

レムに代わり、フロップが答えてくれた内容にスバルは顎に手をやった。

幸い、スバルたちが乗ってきた疾風馬があるので、足の悪い相手を運ぶのにはちょうどいい状況と言える。偽皇太子たちを連れていく分、全体の移動力は格段に落ちるので、そこが問題になることはないだろう。

「まともな戦闘員がタンザしかいないのが気掛かりだけども」

「今のベティーとスバルなら、その鹿人の娘に後れは取らないかしら」

「私も、ヴァイツやグスタフ殿ほどではないが、戦えるつもりだ」

戦力を不安視するスバルに、ベアトリスとイドラから頼もしい答えがあった。

無論、イドラには疾風馬の手綱を持ってもらわなくてはならないので、過信できるものではないが、手札を駆使して状況を整えるのがスバルの手腕だ。

「偽皇太子なんて立場やらされてるなら、馬に乗れるのが一人くらいいるだろうし……」

「あの、カチュアさんが心配で、できれば」

「――、悪い、そうだよな」

頭を働かせようとしたスバルに、焦れた顔のレムがそう訴える。

彼女の不安の原因を早く取り除かなくてはと、スバルも頷き返した。ひとまず、スバルとベアトリスがいれば、ゾンビ相手にも手立てがある。

「念のため、タンザもきてくれ。そのカチュアって人を安心させるために、レムかフロップさんもきてくれると――」

無用な混乱を生まずに済むと、そうスバルが言いかけたときだった。

「――その心配ならいらんさ。カチュアなら、無事に助け出したからな」

「――――」

そう、離れの外から声が聞こえて、スバルの言葉が遮られた。――否、ただ割り込まれたから遮られたわけではない。

その聞こえてきた声に、スバルの心臓が冷たいもので突き刺されたからだ。

「――スバル?」

ぎゅっと、思わず全身に力が入り、スバルの手を握るベアトリスが異変に気付く。

しかし、スバルはそのベアトリスの言葉に応じられず、素早く離れの入口へ向かい、そこに立つレムとフロップが振り返るより早く、前に出た。

相手を確かめるために。――そして、レムの傍に近寄らせないために。

そこに、立っていた声の主は――、

「それにしても、奇縁ってのはあるもんだ。ただ、こんな状況だろ?」

「――――」

「お互い、色んな事情はあるだろうが……いったん、厄介な遺恨は後回しにして、一緒にここから逃げ出すために協力し合おうじゃないか」

そう、直前のスバルの発言を揶揄するように繰り返し、男が肩をすくめた。

――帝国で芽生えた最も厄介な因縁の相手、トッド・ファングが。