軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七章94 『誰がための決心』

――遠雷のような轟音が、瞼を閉じるベアトリスの意識を揺すぶっている。

「……嫌な音かしら」

ぽつりと呟く少女の脳裏、似た音を何度も聞いた記憶が蘇る。

今は遠き四百年前、戦乱の絶えない『魔女』の時代には、各国がせめぎ合い、大勢の人間が武器を打ち合い、命を奪い合うことが珍しくなかった。

ベアトリスは戦場を深くは知らない。

生まれ、育ったのは母であるエキドナの館であり、それは人間たちの諍いと無縁の地にあった。それでも、はるか眼下の戦いはうるさく感じられたものだ。

時が過ぎて、託された書を抱えながら四百年を消費し、その間、外の世界は騒がしくなることはあれど、あの頃の狂騒からは遠ざかっていた。

その、当時は遠巻きにしていた狂騒に近しいものが、すぐ間近にある。

――それが、帝都を取り囲んだ無数の命のせめぎ合いだ。

「う~、心配であります。不安であります」

「シューの気持ちわかル。やっぱリ、ウーたちも出ル?」

「あう! うあう! あー、う!」

「そ、それはダメであります! 僕たちのお仕事は待機! 待機であります!」

目を閉じ、省エネに努めるベアトリスの耳に、そんなやり取りが飛び込んでくる。

聞こえるのは、ここ数日ですっかり聞き慣れた子どもの声――シュルトとウタカタ、それにルイ・アルネブのものだった。

ベアトリス共々、本陣の後方に張られた陣幕で待機する幼童たち――小高い丘から戦場を俯瞰する本陣、その後背を守ると言えば聞こえはいいが、それが期待されていない建前に過ぎないと、少なくともベアトリスは弁えている。

本来なら子どもは非戦闘員らしく、城郭都市に置き去りにするのが賢明だ。

実際、ヨルナ・ミシグレと共に魔都から移り住んできた住民たちも、戦に耐えられない非戦闘員は前線を離れ、兵站に重きを置く形で協力している。

子どもらがそうならなかった理由は、それらの保護者の方に理由があった。

『小競り合いならまだしも、大舞台となれば遠ざける方が不憫であろう。戦場の端で構わぬ。どこであろうと、妾の輝きは見逃せぬであろうからな』

『ウタカタも我らシュドラクの一人ダ。戦場、狩り場に背を向ける臆病者ハ、シュドラクの民に相応しくなイ。当然、戦場には連れていク』

とは、それぞれシュルトとウタカタの保護者の発言であり、当のシュルトとウタカタもやる気十分だったため、退けられなかった意見だ。

どちらも異なる倫理観や信念からの発言だろうが、ひとまず当事者が納得している以上はベアトリスも口出しする権利がない。

正直、大精霊であるベアトリス的には、この子どもたちと自分がワンセットで扱われている状況をよく思ってはいない。とはいえ、陣営の全員にそれぞれ役割があるため、行動制限の大きいベアトリスがここを任されるのも道理だ。

その、任された役割というのが――、

「うー、あう」

シュルトたちと同じく、陣幕での待機を命じられているルイだ。

「――――」

彼女の扱いだけは、明確に他の幼童たちと違っている。

シュルトたちと違い、わかりやすい保護者がいないのもそうだが、最大の焦点は『目を離しておけない』というところにあった。

当然だろう、大罪司教だ。たとえ、帝国で彼女と知り合ったものたちが口々に何を言ったところで、その危険性が薄れることは決してない。

だから、他の子どもたちと違い、ルイだけは置き去りにする選択肢がなかった。

『現状、一番動きの見えない爆弾が彼女です。ベアトリスちゃん、あまり負担はかけたくありませんが、目を光らせていてください。このことはエミリア様やガーフィールには話せませんから、僕たちだけでも冷静でいましょう』

とは、本格的に大乱に介入する前のオットーの発言だ。

省エネを理由に待機するしかなく、役割のない無力感にベアトリスが凹まないように注意したのかもしれないが、自分の足下の見えていなくて不安な発言でもあった。

あの面構えで冷静のつもりでいるのが不安だ。――同じ懸念はペトラやフレデリカも抱いていたので、たぶん、彼女たちがどうにかしてくれたと思うが。

ともあれ――、

「あんまりソワソワするんじゃないのよ。落ち着いているかしら」

「ベー、起きタ?」

「ずっと起きてはいたのよ。……あと、その呼ばれ方は不愉快かしら。なんだか、あっかんべーってされてる気分になるのよ」

陣幕の中には寝そべるベッドも、借りるエミリアやペトラの膝もない。なので、簡易の椅子に座って目をつむっていたベアトリスに、ウタカタが唇を尖らせた。

その反応に薄目を開け、陣内で落ち着きのない三者の様子を眺める。

シュルトは不安げで、ウタカタは戦意を持て余し、ルイは何を考えているのか、もどかしそうに足踏みして戦いの音にいちいち肩を跳ねさせていた。

「――――」

その仕草だけ見れば、ルイの様子に不審な点は見当たらない。

単純に、周囲の変化に過敏に反応しているだけの子ども――他の、『暴食』の脅威を知らない呑気な連中と同じように、うっかり普通の子どもとみなしてしまいそうになる。

でも、ベアトリスはそういうわけにはいかなかった。

「エミリアたちが、スバルたちのために頑張っているかしら」

介入する義理のなかった大乱に介入し、命懸けの戦いにエミリアたちが挑むのは、そこにスバルとレムという仲間がいる可能性が高いから。

そして、彼女たちと並んで一緒に戦えないなら、せめてベアトリスは後顧の憂いを、ルイを監視しておくことで、気が逸れる余地を削っておかなくては。

と、そうベアトリスが浅い呼吸の中、気を引き締めていると――、

「うー?」

「……お前、何のつもりなのよ」

きゅっと唇を結んだベアトリス、その頭を小さな手が撫でる。ちらと見れば、それをしているのは眉尻を下げ、こちらを窺っているルイだった。

一瞬、ルイの手に触れられることの危険性に身を硬くするが、当のルイからは危うい雰囲気は感じられず、ベアトリスの『名前』を剥ぎ取る素振りもない。

ベアトリスの知る限り、『暴食』が権能を振るうには相手の『名前』を呼び、食べる必要があるはずだが、そもそもルイの口から意味の正しい音が発話されたことはなかった。

もちろん、ルイがそう認識していれば権能が発動する可能性はありえるため、ベアトリスは自分の頭に触れた手を、ルイが口元に運ばないか神経を尖らせていた。

もしも、ルイがベアトリスの『名前』を食べる素振りを見せたらそのときは――。

「ベー、顔怖イ。ルーのこト、まだ嫌ってル?」

「ベティーの愛くるしい顔になんて言い草かしら。それに、ベティーはこの娘のことを嫌ってるんじゃないのよ。……憎たらしく思ってるかしら」

ルイを睨むベアトリスの様子に、ウタカタが自分の両目を指でつり上げる。そんな可愛げのない顔つきはしていないと言いつつ、最後にベアトリスの本音が出た。

そう、自分はルイのことを憎たらしく思っている。

ルイだけでなく、『暴食』の大罪司教を。――スバルたちを苦しめる、何もかもを。

「痛恨なのよ」

エミリア陣営にとって、何よりもスバルにとって、『暴食』の最大の被害者は他ならぬレムだ。あの、ずっと眠り続ける少女のことで苦しむスバルを見ながら、ベアトリスは自分が彼と契約する前の、周りに無関心だった頃をずっと悔いている。

もしも、と思うのだ。

もしもベアトリスがもっと早く胸襟を開いて、スバルたちと協力する姿勢を見せていたなら結果は違ったと。白鯨だの魔女教だの、ああした連中に好き放題させず、眠り続けるレムの傍で、スバルが悲しい顔をし続けることにならずに済んだのだと。

だから、もう二度と、あんな風にスバルが苦しむことがないようにしようと決めて、ずっと傍にい続けると決めたのに、これだ。

スバルと離れ離れになった挙句、省エネを強いられるせいでエミリアたちに満足に力を貸すこともできない。――存在意義は、ボロボロだった。

「べ、ベアトリスちゃん、そんな言い方はルイ様が……」

「可哀想、なんてベティーは思わないかしら。大体、お前も気安いのよ。なんで他の奴は様付けなのに、ベティーのことはちゃん付けかしら。敬いが足らんのよ」

「うぅ……ごめんなさいであります、ベアトリスちゃん」

剣呑な空気を察して、口を挟んだシュルトをじろっと睨みつける。

怯えながらも態度の変わらないシュルトには、ベアトリスがどう見えているのか。まさか、ずっとお眠なせいで幼女とでも思われているのか。

「とにかく、ベティーを疲れさすんじゃないかしら。ここに残されてること自体、ベティーたちに余計なことをさせない目的なのよ。その通りにするのは癪でも……」

「うー」

「お前を野放しにするより、ずっとマシかしら」

頭に置かれたままのルイの手、それをベアトリスは自分の手で掴むと、目を丸くする少女をすぐ横の椅子に座らせる。

いっそこのままと、ルイの手を離さないまま掴んでおいて、

「お前たちもなのよ。シュルトはうろちょろしない。ウタカタも、することがないなら弓の手入れでもしておくかしら。それで……」

「――どうやら、私が口を挟むまでもなかったようですな」

「む……」

落ち着きのない子どもたちを相手していると、ふと陣幕に落ち着いた声。見れば、陣内を覗いているのは丸々とした癖毛の男、ズィクル・オスマンだった。

本陣でアベルと共に指揮を執っているはずの彼の登場に、ベアトリスは眉を顰める。

「ズー! 忙しいのにここにきタ! ウーたちの出番ダ!」

「そんなわけないのよ! ……でも、何用かしら」

「ウタカタ嬢には申し訳ありませんが、あなた方の出番というわけでは。ただ、然るのちに陣を動かす可能性がありますので、事前にお伝えしておこうかと」

「陣を動かす、でありますか?」

理知的な丸い目をしたズィクルの言葉に、シュルトがくりくり眼で首を傾げる。その反応に「ええ」と頷いて、ズィクルは己の後ろの戦場を手で示し、

「現在、我々は城壁の突破に戦力を割いていますが、頂点が開けば帝都の水晶宮へ乗り込むことになる。その際、指揮官も前線へ出なくてはなりません」

「アベルは戦えるように見えんのよ。後ろで指示に集中している方が安泰かしら」

「仰る通り……ですが、それでは兵がついてきません。仮に皇帝閣下をどかせられても、玉座に座ることを誰も認めない」

「――。厄介なお国柄なのよ」

帝国民は精強たれ、というのがヴォラキア帝国の基本原則だ。

しかしそれは、どうやら国盗りにおいては指導者にすら適用されるらしい。てっぺんが強さを見せておかなくては、すぐに下克上されるのがオチというわけだ。

「ええ、厄介です。ですが、それが我らの祖国です故に」

ゆるゆると首を振り、ズィクルの口元に微苦笑が浮かんだ。

そこに交えられた感情が何なのか、ベアトリスには判別つきづらい。快く受け入れているわけではないだろうが、一方でそれに否定的というようでもない。

「ズィクル様、もしかして出陣されるでありますか?」

「ズー?」

不意に、ズィクルの口元を眺めていたベアトリスの傍ら、シュルトがそう問いかけ、ウタカタが静かな声で彼のことを呼ぶ。

その子どもたちの眼差しに、ズィクルはわずかに眉を上げたあとで、

「お察しの通り、私も出ます。こちらが数で圧倒しているとはいえ、二将以下の『将』の数では不利ですから、状況を動かさなくては」

「……どうして、かしら」

「――? なんです?」

「どうして、わざわざお前がきたのよ。お前の立場なら部下に命じればいいかしら。ベティーたちのところに顔を出す意味が読めないのよ」

「ああ、そのことですか」

出陣の直前となれば、なおさらに集中力を高めたいタイミングのはずだ。

にも拘らず、ズィクルは戦力にもならない、この戦場では捨て置かれている立場の子どもたちの陣幕に顔を出した。

その理由を問われ、ズィクルは照れ臭げに笑い、

「本陣は男所帯で、シュドラクの女性たちも前線におりますから。出陣前の声援をいただくなら、やはり女性の方が心が躍りますので」

「……は?」

「なるほどであります! 確かに、ここにはウタカタ様もルイ様も、ベアトリスちゃんもいるでありますから!」

予想の外側の答えを聞いて、ベアトリスは目を丸くする。が、固まるベアトリスと対照的にシュルトは納得の顔をし、ウタカタも短い腕を組んで頷く。

それから、呆気に取られるベアトリスの方を振り向いて、

「諦めル。ズー、最初からこんな感ジ」

「ゆ、唯一まともな奴だと思ったのが大間違いだったかしら……」

兆候はあった。何故か『臆病者』と呼ばれ、ちっとも言い返そうとしないどころか誇らしげにしていたりと。ただ、深く関わる理由がなかったので口を出さなかっただけで。

その結果、この土壇場でズィクルの変人的なところを見せつけられる羽目に――。

「それに、自分の背後に何があるか心得ておけば、迷わずに済むだろうという目算も」

「――。お前、家族はいるのよ?」

「母や多数の姉妹が。もっとも、私がこうしてこちら側に与した時点で、立場に相当に悪くなっているものと。とんだ家族不幸者です」

元々、二将として帝国側の『将』だったズィクルだ。それが離反した以上、家族にも咎があるのは当然の流れと言える。

ズィクルはそのことを覚悟で、こちら側につく意義を見出した。それが、あのアベルでいいのかとベアトリスは思うが、理由は余人にはわからないことだ。

ただ、気になった。

「お前は、何のために戦うのかしら」

「――――」

「戦うために戦うような、そんな奴らとは違うはずなのよ。どうしてかしら」

一兵士ならそれでいいかもしれないし、戦士の多くがそうした思想であるのがヴォラキア帝国の恐ろしいところだが、『将』は、ましてズィクルは違うだろう。

そんなベアトリスの認識に、ズィクルはわずかに思案げに太い眉を寄せ、

「無論、私が信を置き、忠を捧げるヴォラキア帝国の明日のために」

そう意思の強い声で答えて、それから彼は「もっとも」と言葉を継ぎ、

「所詮は『臆病者』ですから、どこまで抗せたものか怪しいものです。ですから、いただけませんか、ベアトリス嬢」

「……何をなのよ」

「決まっています。――麗しの乙女の祝福を」

言いながら、ズィクルが自らの腰の剣を抜いて、それをベアトリスへ渡してくる。

目を細め、差し出されたそれを見下ろしたあと、ベアトリスはため息をついて、

「言っておくけど、作法なんてよく知らないかしら」

「こういうものは気持ちが大事なのですよ。与える側と受け取る側と、その心が通じていれば作法は重要ではありません」

「いつ心が通じたのよ。……まったく」

呟いて、ベアトリスは剣を受け取った。そのベアトリスの前で、ズィクルが恭しく頭を垂れて膝をつく。

その真剣な彼の様子に、ベアトリスはいつかの式典――スバルが、エミリアの手で騎士叙勲を受けたときのことを思い出し、それに倣った。

受け取った剣で、屈んでいるズィクルの左右の肩を、それぞれ一度ずつ叩いて、

「しっかりやってくるかしら。他ならぬ、お前自身の願いのために」

「御意に」

ベアトリスの祝福を受け、ズィクルが厳かに応じて顔を上げる。彼はベアトリスから返された剣を鞘に納めると、傍らのウタカタたちの方を見た。

その視線にウタカタは「ズー」と彼を呼び、

「ウーはシュドラクの戦士、だからベーみたいなことはしなイ。戦士の流儀で送ル」

言いながら、ウタカタは自分の腰のナイフを抜いた。獣の牙で作られたナイフ、それを彼女は自分の掌に宛がい、薄く肌を切って血を流す。

シュルトが痛そうな顔をする横で、ウタカタは血で濡れた掌を、そっとズィクルの着ている鎧に押し当て、手形を付けた。

「シュドラクの血、強い戦士の血ダ。ズーも強くあレ」

「ありがたく」

「え、ええと、僕はベアトリスちゃんやウタカタ様みたいなものが思いつかないので、応援するであります! ふれー! ふれー! ズィクル様! であります!」

ウタカタの行動を受け、シュルトもズィクルへと声を大にしてエールを送る。それを微笑で受け止め、ズィクルはその場に立ち上がった。

すると――、

「おっと」

「あう、うーう」

立ち上がったズィクルの腰に、するりとベアトリスの手を抜け、ルイが抱きつく。少女の抱擁にズィクルは驚き、それから眉尻を下げ、その肩を叩いた。

ベアトリスの目にも、ルイの行動はズィクルへのポジティブな感情の表れだ。とっさに彼女を制せなかったのも、不穏な気配がなかったから。

「ズィクル・オスマン、出陣してまいります。――どうぞ、達者で」

「ご武運を! であります!」

ルイの抱擁を解いて、晴れ晴れしい顔でズィクルが陣幕を出ていく。その背中にシュルトが大きく手を振り、ウタカタも目を細め、見送る。

遠ざかる小さな背中を眺めながら、ベアトリスはズィクルが強い、そして決死の覚悟で戦場へ赴くのだと理解した。――それこそ、四百年前のことだ。

戦争は遠い場所の出来事だった。

しかし、母の館にはたびたび来客があり、彼らは一様に『魔女』の知識を、協力を求めてきた。いずれも、悪い状況をよくするための強い願いを抱いて。

だが、識者からどんな助言を受けようと、それを実現するのは自分自身だ。

母の助言に未来を見て、多くのものが館に背を向け、自分の未来へ向かった。――ズィクルの背は、そのときの彼らと同じに思えた。

「お前」

「う?」

出ていくズィクルを見送って、ベアトリスはルイに声をかける。

振り向いたルイはその幼い顔立ちの中、丸い目をもっと丸くしてベアトリスをじっと見返した。何も考えていない――否、それは間違いだ。

ただ、何も企んでいないように見える顔を見ながら、問いかける。

「お前は、本当にどっちの立場なのよ」と。

△▼△▼△▼△

「――ッ!?」

振り抜いた氷の双剣に胸を打たれ、目を見開いたマデリンが大きく後ろに飛ぶ。

それを追いかけて走りながら、エミリアはマデリンの動きを止めてくれた存在――氷でできたナツキ・スバルの氷像に「ありがと!」と声をかけた。

――七体の氷の兵隊と一緒に戦うのは、エミリアがプレアデス監視塔でボルカニカの『試験』を受けたとき、苦肉の策で生み出した戦法だった。

一人だと手が足りないかもしれない。

そんな漠然とした不安と時間のなさ、そして「スバルのことならよく見てる!」という自信が結び付いた結果が、この氷の兵隊さんだ。

正式な名前は、ちゃんとスバルに披露したときに付けてもらうつもりだ。

「だから、今はただの兵隊さんで頑張りましょう!」

エミリアの言葉に返事はないが、七体の氷兵は代わる代わる拳を突き上げ、こちらの声援に応えてくれる。

それを心強く思いながら、エミリアと氷兵が吹っ飛んだマデリンに迫る。まるで、八人がかりで小さな女の子をイジメているような絵に見えるかもしれないが――。

「がぁぁぁ!!」

吠えるマデリンの腕が振られ、二体の氷兵の上半身が吹き飛ぶのを見れば、そんな悠長な感想も飛び出してこないだろう。

飛翼刃でなしでも、マデリンの竜爪と怪力はとても怖い。

しっかり固めたエミリアの氷は、鉄ほどでなくても頑丈な大石くらいの硬度はある。迂闊に素手で叩いたら、手の方が壊れかねない硬さなのだ。

それを簡単に、マデリンは指を引っかけただけで簡単に壊してしまう。

「ごめんね」

スバルに似せた兵隊が壊され、エミリアの頭の中でベアトリスの悲鳴が聞こえる。

その頭の中のベアトリスに謝って、エミリアはマデリンの反撃を警戒。警戒しつつ、下がるのではなく、なおも前に踏み込むことを選んだ。

「えい! やや! てりゃぁ!」

氷の双剣を閃かせ、初撃の勢いを殺せていないマデリンに追い打ちをかける。が、腕を開いたマデリンの両肩を打った双剣の方が砕ける。

強靭な竜人の皮膚は、氷の剣撃にびくともしない。もっと、重たい攻撃でなきゃ。

「これで!」

砕けた双剣が氷片となり、代わりに作られるのが氷の大槌だ。

振りかぶるエミリアの目の前、跪いた二体の氷兵が腕を組んで足場を作り、それを踏んだエミリアを上に跳ね上げる。そのまま加速を得て、エミリアは自分の体が縦回転するほどの勢いで、その氷槌をマデリンへと叩き込んだ。

「――ッ」

防御姿勢になかったマデリンが、エミリアの一撃を頭で受ける。衝撃に下を向いたマデリンの前に着地し、エミリアは反動を乗せた二撃目を放とうと力を込め――、

「え」

強く握った途端、氷槌の柄が砕ける。――違う、柄だけでなく、全体が壊れた。

マデリンの頭を叩いた氷槌、こっちの方が相手の硬さに耐えられなかった。そのことにエミリアが目を見張るのと、眼下の爪先が跳ね上がるのは同時だ。

視界の端、爪先が動いた刹那、小さな氷の盾を軌道に割り込ませる。

「あうっ!」

が、氷の盾は刹那ももたずに砕かれ、苦鳴が上がる。

稼いだ刹那で傾けた体、その頭の横を爪先が通過し、微かに銀髪を掠めた衝撃がエミリアの視界を大きく、激しく揺すぶった。

しかも、攻撃はそれで終わらない。

「竜を、舐めるなぁ!!」

吠えるマデリンが爪を振り上げる。生じる破壊の風、それが地面をめくり上げた。

とっさに後ろに飛んで爪を避けたが、遅れて起こった風を浴びて、エミリアの体がお返しとばかりに大きく弾かれる。めくり上がる大地の波動に呑まれ、エミリアの体が地面を弾んで、弾んで、吹き飛ばされた。

「――るるるぅ!!」

そこに、竜や蛇とそっくりな目をしたマデリンが追いつき、飛翼刃を振り上げる。落ちてくるそれが、エミリアの腰のあたりを狙って加速。

一瞬、エミリアは頑張って耐えようとお腹に力を入れるが、すぐに当たってはいけないものだと判断――手を伸ばし、冷たくて硬い感触を握りしめた。

「――――」

ぐいと、力強く腕を引かれ、引き上げられるエミリアの体が飛翼刃の途上を逃れる。

それをしたのは吹き飛ばされるエミリアに全力疾走で追いついて、飛び込み前転しながら腕を引っ張ってくれた氷兵だ。

強引にエミリアを引き上げ、そのまま放り投げる氷兵。体が反転して飛ばされるエミリアの視界、躱した飛翼刃の攻撃に呑まれ、氷兵が砕かれる――。

「スバル――!!」

スバルではないが、スバルがやられた気持ちでエミリアが叫ぶ。

さらにその飛ばされたままのエミリアを、砕かれた一体とは別の氷兵が追いついて、そのまま次の氷兵へと投げ渡し、受け取り、投げ渡し、竜人から逃がす。

「いい加減! ふざけるんじゃないっちゃ!!」

怒号一閃、顔を赤くしたマデリンが踏み込んだ大地が砕け、踏ん張る彼女の手から飛翼刃が豪快に、猛烈な勢いで投げ放たれた。

凄まじい速度で回転する飛翼刃は、あまりの回転速度に円盤にしか見えない。途上の何もかもを刈り尽くす死の円盤が、豪風を纏い、エミリアの下へ迫る。

「お願い!」

それが追いつく前に、エミリアの声を受けた氷兵たちが次々と飛び出す。

彼らはずらりと縦に並ぶと、飛んでくる円盤と飛んでいくエミリアとの間に割り込み、全員が手にした氷の武器で飛翼刃に立ち向かった。

――結果、高速で砕かれる氷の音が連鎖し、スバルの氷兵が全滅する。

しかし、どのスバルも砕かれる寸前、飛翼刃に可能な限りの一発を与えた。

常人には変化のわからない飛翼刃の危険さだが、その回転がほんのわずかに、気持ちだけ、ちょっぴり、弱まった。弱まった気がする。

「ううん! 弱まった!!」

大きい声で言い切ると、本当にそうなった風に見える。

氷のスバルたちが作ってくれた猶予を使い、エミリアはその両足に大きく厚底の氷のブーツを装備、飛んでいく体で両手を地面について、飛翼刃に両足を合わせる。

エミリアは知っている。――足の方が腕より少しだけ力持ちなのだと。

「えい、やぁ――っ!!」

強く強く歯を噛みしめ、エミリアは力一杯に曲げた膝を伸ばす。

直撃した飛翼刃から凄まじい衝撃が全身に伝わり、エミリアの体中の骨がミシミシと音を立てる。それにぐっと耐えて、耐えて、耐えて、耐え抜く。

弾かれかけた足が伸び切り、氷のブーツの全体に亀裂を生みながらも、エミリアの蹴りが飛翼刃を空へ打ち上げた。

「な!?」

止められるのは想定外だったのか、マデリンが驚きの声を上げる。それに合わせ、エミリアは起こした体で跳躍し、蹴り上げた飛翼刃に手を伸ばした。

ぎゅっと、飛翼刃の端を掴み、その腕にぐっと力を込める。

「今度は……お返し、に!」

飛翼刃は見た目よりもずっと重いが、エミリアも負けじと力持ちだ。

片腕では厳しいと、両腕に持ち替えて体をひねる。そこから渾身の力で、思いっ切りに飛翼刃を「えい!」と放り投げる。

「――ッ!」

放たれた飛翼刃を見て、マデリンが目を見張った。

ぐんぐんと、回転の勢いを受けて飛翼刃が飛ぶ。マデリンの投げたときと比べると見劣りするものの、それでも危険な武装は風を切りながら飛んだ。

飛んで、飛んで、飛んで――見当違いな方向に、すごい飛んでいってしまった。

「ええと」

「……お前は、何の、つもりだっちゃ」

「失敗しちゃった……」

やられたお返しをしようとしたが、全然うまく扱えなくて飛翼刃は飛んでいってしまった。それに怒ったマデリンの額に、見る見るうちに青筋が浮かぶ。

そのまま、マデリンは頬を引きつらせ、飛んでいった飛翼刃を追おうと踏み出した。

しかし――、

「それはダメ!」

と、手を伸ばしたエミリアが、マデリンの進もうとした先に氷の壁を作り出す。

地面から起き上がった氷の壁は分厚く、横にもずらりと長めに作った。回り込むのも飛び越えるのも、ちょっと簡単にはこなさせない。

飛翼刃はうまく使えなかったが、マデリンにブンブン振り回されては危ない。

狙ったわけではなかったが、遠ざけてある現状が一番いいと考えた。

「悪いけど、あの武器は取り戻させない。続けるなら、あれなしでやりましょう」

「――――」

「もしも降参するなら、それはちゃんと受け入れます。ううん、そうしてくれた方がすごーく助かる。どうする? 続ける?」

氷の壁と向き合い、俯いているマデリンの背中にエミリアが問う。

武器をなくしたマデリンが降参してくれるなら、それが最善だ。マデリンが、自分の方が分が悪いと思ってくれるように、エミリアは自分の周りに、一度全滅した氷のナツキ・スバルを再び作り出し、腕組みして立たせる。

八対一、今度は武器もない状態で、マデリンの方がずっと不利なはず。

これならばと、エミリアがそう意気込む。

だが――、

「――どうして、竜がやめると思うっちゃ」

呟いて、マデリンの手がそっと、目の前の氷の壁に当てられる。

その仕草を眺めるエミリアは、思わず「あ」と息を呑んだ。――ぴしりと、甲高い音が鳴り響いた瞬間、巨大な氷の壁の全体に蜘蛛の巣状の罅が入ったのだ。

発生源はもちろん、マデリンの掌で、罅割れは彼女を中心に氷の壁全体に及ぶ。

エミリアは、本気で氷の壁を作った。

氷の硬さや密度は前述の通りで、簡単に壊せるものじゃないのに。

「マデリン、あなた……」

「お前らニンゲンと話してると、竜の頭がおかしくなるっちゃ。お前も、あの癒者も、老いぼれも竜の邪魔ばかり……ッ」

「――――」

背を向けたマデリン、俯いたままの彼女の顔は見えず、その震える声には複雑な感情が入り交じっている。怒りと、悲しみと、それ以外にも色々。

まるでマデリン自身、自分の感情の一番強いものがわからないでいるみたいに。

彼女が口にした、彼女の邪魔をしているモノ。

エミリアは、もちろん自分が彼女と対立する位置にいるのはわかっている。それ以外の癒者や老いぼれというのも、彼女の敵のことなのか。

竜人であり、帝国の味方であり、エミリアたちと敵対して大暴れするマデリン。

「マデリン、あなたは何のために戦うの?」

「――――」

問いかけに、ゆらりとマデリンが頭を傾けた。

黒い二本の角を斜めにして、マデリンの肩口から金色の瞳がエミリアを見やる。ぞくりと、血の気の引くような感覚を覚えながら、エミリアは顔を背けない。

背けたくなる本能に抗い、エミリアはマデリンを見つめた。

思えばもっと早く、最初からこうして話すべきだった。

前回も今回も、立ちはだかるマデリンがものすごく戦う気満々だったのにつられて、いきなり攻撃を仕掛けてしまったが――、

「話し合えるなら、話し合えるのが一番いいと思ってるのはホントなの。マデリン、あなたはなんで戦うの? 誰のために?」

「……お前に、なんで」

「――――」

話さなくてはならないのか、とマデリンは続けようとしたのだと思う。

そう言い返されたら、エミリアはとても苦しい。マデリンがエミリアに話さなくてはいけない理由を、エミリアは悲しいことに用意できない。

彼女が対話を拒否するなら、そして拒否した結果として爪を振るうなら、エミリアもやっぱり氷の武器を持って、マデリンと向き合わなくてはならない。

そんな風に、エミリアが頬を硬くしたところで、

「お前こそ、なんで逆らう。竜に逆らって、勝ち目なんてないっちゃ」

「――ぁ」

「なんで、お前は、お前たちは抗うっちゃ」

それは、マデリン側からの問いかけ。

こちらの事情など知らないと、そう撥ね除けられたはずの言葉への応答。

逆にそう問い返され、エミリアは自分の頭の悪さを戒めた。

何も言い返せないと思った。だが、そうではなかった。マデリンの言う通り、マデリンに語らせられないなら、自分の方が先に胸襟を開くべきだった。

この戦場でだって散々、エミリアは自分のやりたいことを、言いたいことを優先した。それなのに、どうしてこの瞬間だけ、お行儀よくしようなんて思ったのか。

何故、戦うのか。どうして、ここにいるのか。

その全部の答えは――、

「私の、大事な騎士様を迎えにきたの。……ううん、みんなの大事な騎士様」

そう言って、エミリアはすぐ傍らの氷兵――スバルに似せた、その一体の肩に触れる。うまくできていると思う。髪型や『じゃあじ』もかなり上手に再現できた。

でも、どれだけうまく似せても、スバルの頼もしさは再現できない。

前向きな言葉も、頼もしい態度も、楽しませてくれる優しさも、何もかも。

思い浮かべるだけで、エミリアの胸をポカポカと温かくしてくれるナツキ・スバルのナツキ・スバルらしさは、本人しか持ち得ないから。

「すごーく大事な人なの。その人と、その人と一緒にいるはずの子と、たくさんの人が帰りを待ってるから、私はここにいる。そのために、うんと頑張れるの」

「――――」

「私が戦うのは、それが理由。マデリン、あなたの方は?」

誰か、守りたい人や、守りたいものがあるのかもしれない。

だとしたら、それを大事にするから、傷付けたりしないから、そういう約束をお互いに交わして、戦うのをやめられるんじゃないだろうか。

スバルとレム、連れ戻したい二人のところに辿り着くための道が開けるんじゃ。

そんな、エミリアの抱いた期待と願いは――、

「――バルロイ・テメグリフ」

「……その、名前は?」

「竜の、良人になるはずだった男の名前。――竜の戦う理由の、全部だっちゃ」

――すでに失われたもののために戦うマデリンに、裏切られる。

「――――」

その、感情の死んでしまった声を聞いて、エミリアは息を呑んだ。

とっさに言ってあげられる言葉が見つからなくて、とっさに手を伸ばせる距離でもなかったせいで、エミリアは間に合わない。

だから――、

「――バルロイを殺した男を殺す。それが、竜の宿願」

激しい音を立てて、マデリンが氷の壁を握り潰した。

文字通り、握り潰したとしか言いようがない。壁に当てた手が握りしめられ、そこから発生した破砕が氷壁全体に行き渡って、それが一挙に砕け散る。

その向こうにある飛翼刃を取り、マデリンが再び向かってくる姿を幻視して、エミリアは苦い気持ちを噛みしめながらも、氷兵と一緒にマデリンへ。

大切な誰かを失い、その胸に空いた穴を埋めようと必死な竜人の少女へ追い縋ろうと踏み出して、その刹那だ。

「メゾレイアぁぁぁぁ――!!」

空を仰いだマデリンが、砕け散る氷の壁の破片を浴びながらそう叫んだ。

キラキラと煌めきながら舞い散る氷片を切り裂くように、高い声が空に空に木霊するのを聞いて、エミリアは目を見張り、空を見た。

そのマデリンの響きには、聞き覚えがあった。

前にも彼女の唇がその音を紡いで、それが紡がれたとき、あのときは。

「あのときは、すごーく大きな攻撃が」

降り注いだ白い光が、ほんの一息で城郭都市を薙ぎ払い、地形を変えてしまった。

あのときはプリシラが一緒にいたから、エミリアと彼女とでどうにか防げた。もしも同じことが起こったら、エミリアが一人で太刀打ちできるだろうか。

それはとても難しい。そう焦るエミリアの頭上、同じことは起こらなかった。

でも、同じことが起こらなかったことを、大喜びすることもできなかった。

だって――、

『――我、メゾレイア。我が愛し子の声に従い、天空よりの風とならん』

白い両翼を羽ばたかせ、その大きな体に雲を纏った巨体――『雲龍』メゾレイアが、マデリン・エッシャルトに呼ばれ、帝都の空へ舞い降りたのだから。