軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七章87 『頂点決戦』

反乱軍による帝都ルプガナ包囲戦、それは各地から集まった叛徒が協調し、皇帝ヴィンセント・ヴォラキアを討つべく、一丸となって始まった――わけではない。

確かに現在、帝都ルプガナの周囲には多数の叛徒が集結している。

帝国各地から集まった彼らは、ヴォラキア帝国の中心であるルプガナを包囲し、帝都の有する帝国兵の数を圧倒する兵力を用意した。

大抵の場合において、戦いとは数で決まる。

その法則は戦いの規模が大きくなればなるほど決定的になり、単純な兵力比で倍以上の兵数を集められた反乱軍は、帝都攻撃において圧倒的な優位を獲得したと言える。

しかし――、

「――それも、集った兵力がまともな集団として機能すればの話だ」

帝都ルプガナの最奥、水晶宮の謁見の間で玉座に腰掛け、始まった叛徒との全面衝突の報告を受けながらヴィンセントが黒瞳を細める。

都を反乱軍に包囲され、圧倒的な兵力差で攻め込まれる状況。帝国史においても類を見ない苦境に置かれながら、その冷たい魔貌に恐れや焦りの色はない。

それというのも、今しがた自身が口にした分析の要素が大きい。

「集まった叛徒らの目的は余の首で一致していようが、それを得るための手法に妥協の余地がない。元より、事が起こってから我先にと立ったもの共だ」

「出し抜かれまいと懸命になればなるほど、余所と歩みを合わせる発想に至りづらい。思い出しますな、『選帝の儀』を」

「――――」

「次代の皇帝を決めるため、ヴォラキア皇族のご兄弟で帝位を奪い合う血の儀式……やはりあの折にも、他を拒む方々から盤上を除かれることになった。もっとも」

と、玉座の傍らに控えるベルステツが言葉を切り、一拍を溜める。その糸のように細い目の奥、老翁の感情は読み取れなかったが、おおよそ察しはつく。

ベルステツもまた、『選帝の儀』の血腥さを経験した一人なのだから。

「あのとき、最大の派閥を作られたバルトロイ閣下はその人柄を警戒され、やはり早々に取り除かれることになりましたが」

そんなヴィンセントの心中を余所に、ベルステツは鼻下にたくわえた髭に触れながら溜めた言葉の先を口にする。

その他人事のような語り口が、何とも空々しい。

「よくも語る。その兄上を除いたのは、他ならぬ貴様とラミアであったろう」

「お恥ずかしながら、私奴などはラミア閣下の御判断に従ったまで。加えて、バルトロイ閣下の真の思惑を察せず、今も生き恥を晒している次第です」

「バルトロイ兄上の思惑、か」

「ええ。他ならぬ、ヴィンセント閣下とバルトロイ閣下とが結ばれた策謀です」

深く顎を引いて、そう答えるベルステツの表情は変わらない。

出来事を考えれば恨み言の一つでも交えそうなものだが、そうした人間らしい雑多な感情と無縁の男だ。まして、ヴィンセントには言うだけ無駄と道理を弁えている。

その行いは、ヴィンセント・ヴォラキア――否、まだ皇帝となる前の、ヴィンセント・アベルクスが動いた結果であり、

「本物の閣下は今頃は壁の外なんですから、嫌味の矛先に迷ってしまう宰相閣下のお気持ち、ぼかぁわかるなぁ」

「――――」

「んん? お二人で揃って険しい目……ぼかぁ、余計なことを言ってしまいましたか?」

そう言って、ヴィンセントとベルステツという帝国の最上位の視線を向けられ、飄々とした様子で肩をすくめる優男、それは位階と無関係に水晶宮への出入りを許された異端の存在――『星詠み』のウビルクだ。

へらへらしているウビルクは、突然会話に割って入ってきたわけではない。ヴィンセントたちの話す場に最初からいたが、口を挟まなかっただけだ。

とはいえ――、

「他に誰もいないとしても、気安く話すべき内容ではないかと」

「ああ、本物のって冠は余計でしたね。皇帝閣下と宰相閣下がお怒りになるのも無理はない。ただ、たまに発散しておかないとうっかり暴発してしまいそうで。――今まさに、帝都守護のために命懸けの兵たちに申し訳がないじゃありませんか」

「――――」

「皆さんが懸命にお守りしているヴィンセント皇帝閣下が、実は偽物だなんて不用意にばらしてしまうことになったら」

口元に手を当てて、窘められたばかりの内容をいけしゃあしゃあと口にするウビルク。

その能力故に重宝された男だが、振る舞いはまさしく道化そのものの軽薄さだ。ただ、道化という職務が単なる悪ふざけの許可証と思われては困る。

たとえ、その『星詠み』としての能力が優秀であろうと、

「貴様の重ねてきた無礼が帳消しになるわけではない。これまでのことが実を結べば、貴様は余が手ずから首を刎ねてやろう」

「もちろん、承知しております。でも、閣下……いえ、あなたは慎重な方だ。本当の本当に寸前まで、ぼかぁ、命を取られないものと思っていますよ」

玉座から視線で射抜いても、ウビルクはその眼差しを微笑で受け止める。そのまま、彼は「それよりも」と言葉を継いでベルステツの方を見やり、

「ぼかぁ、宰相閣下の方が怖いなぁ。その内に、地獄を秘めていらっしゃいそうで」

「私奴のようなものを恐れるなどと、『星詠み』らしくもない。それこそ、私奴など恐るるに足らぬことを星に伺ってみてはいかがです」

「申し訳ありません、宰相閣下。星は高い空から地上を見下ろすもので、眩く己を主張するものでないと見てもらえないのですよ」

取るに足らないものは、『星詠み』の見る未来に映り込まない。

それが建前なのか本音なのか、ウビルクの言動から読み取ることは不可能。だが、平時の戯言はともかく、『星詠み』の役割に従うときのウビルクの言葉は無視できない。

ウビルクが『星詠み』として、このヴォラキア帝国に仕えるようになって九年――あるいはその実績は、このときのために積み上げられてきたと言える。

「――おっと」

ふと、沈黙が落ちた謁見の間に、遠い空からの轟音が届いた。

わずかに足下を震動が伝い、水晶宮の奥にいても激闘の空気が察せられる。とはいえ、この轟音が引き起こした現象、その大部分は帝都側の代物だろう。

「人数では帝都を囲んだ反乱軍の方が多いはずなのに……」

「所詮は寄せ集めの烏合の衆……いえ、まとまってすらおらず、場合によっては互いの足さえ引っ張り合いかねない無法者揃い。それでは到底、鉄血の掟で律される剣狼の群れには太刀打ちできません」

「なるほど。しかし、いくら血の気の多い帝国民でも、勝算なしに帝都に攻め込んではこないでしょう。それこそ各部族、自分のところの英雄を投入してくるのでは?」

「貴様、先ほど余の前でなんと言ったか忘れたか?」

揺れから外の戦いに意識が向き、首を傾げたウビルクにヴィンセントは言った。その言葉にウビルクが片目をつむると、ヴィンセントは片手で頬杖をついて、

「星は地上の眩い光であれば目に留めると。ならば、この戦況を動かし得る綺羅星について、事前に貴様に詠み聞かせてもおかしくなかろう」

「あ~」

「それがあったか? 『星詠み』」

黒瞳を細め、ヴィンセントが静かに問いかける。その問いかけにウビルクは苦笑いしながら指で頬を掻き、

「残念ながら、ぼかぁそうした話は聞いていませんね」

「ならば、あなた自身の役割にも合わせ、そういうことなのでしょう」

ウビルクの苦笑いを、ベルステツがそう締めくくる。

バツの悪い顔で閉口するウビルクだが、やり込めてやった感覚などない。第一、ウビルクの『星詠み』の有無に拘らず、そんなことはわかり切った話だ。

確かに叛徒たちはいずれも、この玉座に座るヴィンセントの首を落としにくる。そのために各部族、各々の最強の戦士を送り出し、覇を唱えんとするだろう。

だが、その考えがそもそもの間違いであり、出だしから大勢が考え違いをしている。

当然だろう。――いったい、『九神将』をなんだと思っているのか。

「各部族の英雄などと、小さな物差しで測れば誤りもしよう。元より、余が如何なる基準で一将を、『九神将』を選び出したと思っている」

ヴィンセント・ヴォラキアが集めたのは、ヴォラキア帝国で最強の存在だ。

帝国各地の、在野の英雄など比べ物にならない。もしもそうした地に眠れる獅子がいようものなら、ヴィンセントは決して見逃さなかった。

どうあろうと手元に置いて、その実力に相応しい地位を与え、未来に備えた。

そのヴィンセントの目に適わなかった時点で、英雄は怪物に劣るのだ。

――神聖ヴォラキア帝国の皇帝は、英雄では太刀打ちできない『怪物』を揃えた。

不落の都市たる帝都ルプガナ、帝国の建国以来、一度として外敵の侵入を許したことのない地を守る星型の城壁、その五つの頂点には『怪物』が控えている。

いずれ劣らぬその超越者たちは、集まった驕れる英雄たちを容赦なく打ち砕くだろう。その惨状を目にすることで、頭に血が上ったものたちも気付くはずだ。

自分たちが現実から目を背け、狂奔という夢を見ていたことを。

「しかし、叛徒の全てに行儀の良さを求めることも難しくありましょう」

「であろうな。ならばどうする」

「すでに主立った『将』が戦場を選んでいる最中、私奴のようなものが出る幕はないと承知していますが……ただ待つというのも堪え難く」

「ほへえ、それは何とも、宰相閣下ともあろう御方が血の気の多い」

腰を折り、ヴィンセントに一礼するベルステツをウビルクがチクリと刺す。が、老宰相はその指摘を平然と受け止め、

「所詮、私奴もヴォラキアの人間ということです」

そう、笑みも見せずに言い残し、ベルステツが謁見の間から歩み出ていく。その背を引き止めることをせず、老将が離れるのをヴィンセントは黙って見送った。

扉が閉まり、ベルステツが立ち去ると「いいんですか?」とウビルクが肩をすくめ、

「ご自分でも言っていた通り、宰相閣下がこの戦況に影響できることなんてないと、そうぼかぁ思いますけれど」

「あれも存外、辛抱強く耐えた。元より、理想のためにと己を封じ込めてきた手合いだ。貴様の言い方に合わせれば、暴発は避けたい」

「なるほど。……時に、宰相閣下はご存知なんですか?」

自分の服の胸元に親指を引っかけ、残りの指をひらひらとさせながらウビルクが問う。その不親切な問いかけの意、それを解するヴィンセントは片目をつむった。

その沈黙を受けて、ウビルクは「やっぱり」と頷くと、

「そんな予感がしたので、危うく迂闊な発言は慎みましたが……予感が当たって嬉しいやら悲しいやら、ぼかぁ複雑な気持ちですよ」

「悲しい? 貴様に、そんな人間らしい感情が理解できるのか?」

「ひどい言われようじゃありませんか。まるで、ぼかぁ人間じゃないと言われたみたいで傷付きますよ。それこそ、『壱』や『弐』と比べてよほどまともだと思いますよ?」

「セシルスめを例に挙げれば、大抵の話題で彼奴の分が悪い。アラキアも、人より獣の理屈で生きる娘だが、飼い主を定めている分、始末はつく。だが」

そこで言葉を切り、ヴィンセントはその黒瞳でウビルクを射抜く。その、如何なる残酷な眼差しにも小揺るぎもしない存在、自分の命に頓着しない在り方を。

「貴様は人の形をし、人の肉で作られているだけの 人形(ひとがた) だ」

「……傷付きますねえ」

ヴィンセントの言葉に、ウビルクが眉尻を下げ、苦い笑みを浮かべる。

そうすれば、悲しんだり辛がったりしているように見える。まるで、そう誰かに教わったような感情の真似事、少なくともヴィンセントの目にはそう映る。

その印象を違えない表情のまま、ウビルクは自分の胸に手を当て、

「あなたの理屈で言ったら、ぼくとおんなじ役割の……それこそ、天命に耳を貸した『星詠み』たちは全員、人形という扱いですか?」

「貴様以外の『星詠み』を知らぬ。答えようがない」

「またまた、そんな嘘をつかずとも。ぼかぁ、そこまで自分が信用されてるだなんて思いませんよ。当然、国中の『星詠み』を探し出して拷問にかけたはずです」

「――――」

「ぼくだけを見て、『星詠み』が何たるか決めつけるなんて、そんな思慮不足なことはなさらないと、ぼかぁ信じてますよ」

ウビルクからの鎌かけに、ヴィンセントは表情を動かさない。

彼の指摘が事実とも間違いとも言わなかった。ただ、天命を授かる『星詠み』は一人残らず、その精神に異常を抱えているという確信だけは得ている。

それをどうやって得たか、わざわざ口にするつもりもないが。

「そうでなくば、自らの魔眼を潰すような蛮行、己の身の証を立てるためだけに起こせるものではあるまい」

「ああ、あれは痛かった。喪失感も尋常じゃありませんでした。ですが、おかげで話を聞いてくださる気にはなったでしょう?」

言いながら、ウビルクが胸元にかけた手をさらに引っ張り、自分の素肌を晒した。その薄い胸の真ん中には、痛々しく刻まれた大きな火傷の痕がある。

かつて、ウビルクが自ら胸に焼き鏝を当て、その胸にあった魔眼を焼き潰した痕だ。

魔眼族でありながら、自分の存在意義でもある魔眼を焼き潰す。――自分に危険はないと証明するための行いであり、止めなければ四肢さえ潰したかもしれない。

故に――、

「真っ当な受け答えなど貴様に求めぬ。ただ、心して答えよ」

「何なりと」

「貴様の耳に、新たな天命の囁きはない。相違ないな」

「――ええ。ぼかぁ、嘘は言いません。新たな天命は下っておりませんよ。元より、下った天命の時を迎えずして、次の天命が下った試しはありませんが……」

ゆるゆると首を横に振り、ウビルクは微笑んだ。

喜びもへりくだりもない、実に無機質な笑みを湛えながら彼は続ける。

「あなたの作った盤面を、天の差配が崩すようなことはありません。――およそ、帝国のあらゆる人間はあなたの掌の上だ」

「――――」

「どうされました?」

断定的な言葉に望んだ効果が見込めず、ウビルクが不思議そうにする。その疑問に、ヴィンセントは「いや」と首を横に振った。

今のウビルクの発言に嘘があったとは思わない。皇帝への臣従よりも、得体の知れない星の囁きとやらを重視する男だが、その私心のなさは本物だった。

だから、その発言にもウビルク自身の思惑はないのだろう。

ただ――、

「――帝国の人間は余の掌、か」

その、あえて言わずともな装飾が、皇帝に扮するものの胸に引っかかりを残していた。

△▼△▼△▼△

――そして、その玉座の引っかかりは的中する。

「お、おおぉぉぉォォォ――ッ!!」

星型の城塞、その頂点の一つで雄叫びが上がり、猛然と一頭の虎が走る。

その両腕を銀色に輝く手甲で覆い、稲妻もかくやという速度で踏み込むは敵の懐、恐ろしいほどの手数で人馬人の群れを撃砕した相手へ手を届かせるために。

一歩、二歩と、目にも止まらぬ速度でガーフィール・ティンゼルが吶喊する。

だが――、

「確かに、多対一は自分の得意とするところだが――」

「――ッ」

「たとえ一騎打ちであろうと、技の冴えに陰りはない!!」

勇ましい声を迎撃に、相対するカフマ・イルルクスが両腕を構える。

その刺青に覆われた褐色の肌が内側から膨れ上がり、直後、莫大な量の茨が射出され、正面へ突っ込むガーフィールの視界を埋め尽くした。

無数の棘を生やした茨の速度は、獲物に飛びかかる肉食獣を思わせる。すなわち、相手の命を刈り取るための最速の攻撃だ。

「しゃァらくせェッ!!」

城壁の上、都市を守るための分厚い壁は足場としてはかなり広いが、それでも野戦と比べれば首を絞められたような不自由を強いられる。

横に広がり、大波のように押し寄せる茨に逃げ道を塞がれ、ガーフィールは下手な回避よりも、その茨へと手甲を掲げて飛び込むことを選択した。

手甲の強度と脚力を信用し、一直線に茨の嵐へ――、

「その覚悟は見事だが、判断は過ちだ」

そうカフマが呟くのと、押し寄せる茨の先端にガーフィールが接触したのは同時、しかし次の瞬間、ガーフィールは手甲が受け止める想定以上の衝撃に奥歯を噛む。

「――ぐ」

異様な放たれ方をしようと茨は茨と、蔦と棘の大きさからある程度の威力は覚悟した。だが、実際の茨の威力は想定をはるか上回り、ガーフィールの前進の速度が鈍る。

それはまるで、誇張なしに森が丸ごとぶつかってくるような圧力だ。

一人の人間が生み出す森、茨生い茂る大自然をぶつけられたと認識を改める。

「だったら、こォだ!!」

「なに!?」

軋るほどに歯を噛みしめ、茨の波濤を受けるガーフィールが強く足を振り下ろす。その叩き付けた靴裏を通じ、足場となる城壁の一部が隆起、茨の向こうでカフマの足場が傾いて、目を剥く『将』の体勢が崩れる。

ガーフィールの『地霊の加護』の効果だ。本来は大地からの力の供与、逆に干渉することを可能とする加護だが、大地の範囲は加護者の解釈が大きく寄与する。

ガーフィールの場合は、自分の足がどっしりついている足場であれば、大地だ。

「空ッさえ飛んでなきゃァなァ!」

ヴォラキア帝国に名にし負う、飛竜に運ばせる竜船などでは話が違うだろうが、そうでなければガーフィールはそこを大地と思い込める。

カフマの足下の傾きは一度に留まらず、二度、三度と隆起する足場が彼を追い、飛びずさりながら虫籠族の雄はそれに対処する。その間、攻勢の正確さが乱れる茨を捌いて、ガーフィールは前進、受け損なった頬や肩を茨に裂かれながら、突き進む。

真っ赤な血が散り、鋭い痛みが全身を切り刻むが、距離が縮む、縮む。

そうして彼我の距離があと数メートルへ迫ったところで、

「ならば切り込む!」

茨による中距離攻撃を捨て、下がりかけたカフマがこちらへ攻め返す。

一瞬、人馬人を薙ぎ払った衝撃波が放たれるのを警戒するも、カフマは己の胸部を開かず、振るう両腕から茨を切り離し、背の翅を鳴動させた。

刹那、その翅が視認が困難なほどの速度ではためくと同時に、城壁を蹴ったカフマの姿がガーフィールの真横に出現する。速さではなく、緩急だ。

その使い方で、ガーフィールの意識の後ろ側に回り込んだ。

だが――、

「させッかよォ!」

回り込まれた意識の方角に無理やり振り返り、ガーフィールが吠える。

放たれる裏拳が唸りを上げ、横に現れたカフマの顔面へ叩き込まれる。それを、カフマは跳ね上げた自らの両腕で防御――その両腕を、黒い甲殻が覆っていた。

ガーフィールの手甲と同じく、自らを守る防護だ。だが、茨に翅に肋骨、そして甲殻とすでに四種類目の異能。いったい、何体の『虫』を入れているのか。

「し――っ!」

一撃を受けられ、しかし両者の攻防はそこで止まらない。

超至近距離はガーフィールの間合いだ。裏拳を止められた位置から振り返る勢いで左の拳を振り抜き、受け流そうとする相手に頭突きを叩き込む。

衝撃と苦鳴が両者の間で破裂し、そこから急所を狙った猛烈な拳打が応酬される。

「――ッ」

手甲と甲殻、双方が固めた拳を交換し合う。だが、直前の自負に嘘はない。手の届く距離はガーフィールの間合い、ここで押し負けては話にならない。

「が、あああぁぁァァァ!!」

打ち込まれる拳を回し受けし、代わりに相手の胸と胴に拳をぶち込む。たまらず下がる顎を下から反対の拳が打ち上げ、のけ反った胴体に膝を叩き込んだ。苦鳴、カフマが翅を羽ばたかせ、大きく下がる。

「いかッせるかァ!」

「――ぐっ」

その飛びのく足を掴み、強引に城壁へと背中から叩き落とす。そのままカフマの体を地面に押し付け、背の翅をもぎ取ってやらんと猛然と走り出す。

壁上、噴煙を上げながらガーフィールが走り、カフマの背が血を噴いて翅が一枚、二枚と千切れた。その勢いのまま、一気に――、

――刹那、背中の翅を強引に羽ばたかせ、体を浮かせたカフマの胸部が開く。突き出した肋骨の向こう、胸の内にある黄金色の『虫』と目が合った。

「――――」

全身の生存本能の訴えに従い、カフマの体を放棄して真横へ飛ぶ。それで正解だった。直前までガーフィールのいた位置、黄金虫の射線上が丸ごと抉れ、城壁の上部が丸く抉られる。ガーフィールも産毛を持っていかれ、背筋が凍った。

「――自分の見識不足を認めよう」

「あァ?」

血の気が引く感覚を味わった直後、ガーフィールはその声に引き戻される。

見れば、背の破れた翅に触れながら、壁上に膝をつくカフマが感嘆と、敬意を込めた目をガーフィールに向けていた。

彼は口の端を伝う血を手で拭うと、その場に立ち上がり、

「貴公のような勇士の存在を知らずにいた。自分の不明を恥じるほどだ」

「はんッ、知らねェのを責めやッしねェ。知られてッ方がおっかねェかんなァ」

「――? どういうことだ?」

凛々しい眉を寄せ、カフマがガーフィールの言葉の真意を疑問視する。

彼からすれば、この帝国の一大事に他国の人間、それも王国の人間が関わっているなんて考えもしていないだろう。

『僕たちがどこの何者なのか、それがわかると大変な外交問題に発展しかねません。ですから、迂闊に相手の挑発に乗って余計なことを言わないように』

とは、こうして戦場へ飛び込む前のガーフィールに、本陣に残るオットーが口を酸っぱくして言っていたことだった。

カフマに名乗られたこともあり、すでに名乗り返してしまったが、これ以上の情報を出せば賢そうなカフマには全部察される可能性がある。

まさかここで、帝国の内乱を王国も交えた大乱へ変えるわけにもいかない。

「悪ィが、名前ッ以外は話すつもりァねェ。それもギリッギリだかんなァ。『見違えたクルルキアック』って話だぜ」

「――。口を噤もうと、貴公が優れた技量の持ち主である点に疑いはない。それだけに自分も残念だ」

「……残念?」

ゆるゆると首を振り、声の調子を落としたカフマにガーフィールが眉を顰める。カフマの声音に嘘はなく、挑発の意図もない無念が滲んでいた。

しかしその無念は、カフマ自身に起因するものではなく――、

「このような状況下でなければ、貴公とは真っ向から渡り合い、語らいたかった」

「何を――ォ」

言っているのかと、その言葉の意味を問い質そうとした瞬間だった。

一歩、踏み出そうとした膝の力が抜け、ガーフィールがその場に膝をつく。「あ?」と掠れた息が漏れ、自分の胸を押さえながらガーフィールは目を血走らせた。

ドクドクと脈打つ心臓、その鼓動が大きく、危機的で。――凄まじい本能の警鐘、命の危うさを訴えるそれを聞いて、ガーフィールは気付く。

――何かが、自分の体の中を這い回っている。

「がぐ……ッ」

「自分と至近で打ち合うなら、被弾は避けるべきだった」

歯の根を震わせ、血涙を流すガーフィールに言って、カフマが自分の手を突き出す。そのカフマの曲げた五指の先端、見えるのは白く蠢く『虫』の管だ。

茨で負った傷、そこに『虫』が管から卵を植え付けた。それがガーフィールの体内で孵化し、その内側を這い回っているのだ。

「ぐ、あおおォォ……」

気付いた瞬間、ガーフィールは自分の体を抱いて治癒魔法を発動する。

強烈な癒しの波動がガーフィールの体を淡い光で包み、負った傷を強引に癒す。それを目の当たりにして、カフマは軽く眉を上げ、驚きを露わにした。

「治癒魔法とは、癒し手でもあるのか。その多芸さには目を見張る。だが」

「――ッ、ァ、おあ」

「貴公の体内を巡る『虫』の目的は傷を負わせることではなく、貴公の体を己の苗床とすることだ。――傷は治せても、変化は治せない」

カフマの残酷な宣言、それが正しいことを癒えぬ不調が証明する。

ガーフィールは苦しみの喘ぎ声を上げながら、かえって体内の『虫』の逃げ道を塞いでしまったと、自分の胸を掻き毟る結果を呪った。

呼吸が苦しくなり、視界が真っ赤に染まる。その、ガーフィールの苦しみ悶える様を見ていられないと、カフマが沈痛な面持ちで進み出て、

「貴公の技と力量、このカフマ・イルルクスが確かに胸に刻もう。――勇ましく眠れ」

その右腕を再び黒い甲殻で覆い、身動きのできないガーフィールへと拳が突き刺さる。頭蓋を打ち砕く衝撃に血飛沫が舞い、激しくもんどりうって体が転がる。

転がり、転がり、そのまま城壁の端で弾んで、浮遊感に呑まれ、落ちる。

「――ァ」

断末魔には、あまりにもか細いそれが喉から漏れ、為す術なく、ガーフィールの体は城壁の下へ、無防備に落ちていった。

△▼△▼△▼△

『いいですか、ガーフィール、よく覚えておいてください』

『僕たちがどこの何者なのか、それがわかると大変な外交問題に発展しかねません。ですから、迂闊に相手の挑発に乗って余計なことを言わないように』

『とは言っても、あなたのことですから、辛抱強さはそこまで期待しません。売り言葉に買い言葉、商人として売買するなとは言えませんから。だから――』

『だから、これだけはしっかり覚えておくように』

『もしも、言葉の売り買いをしたなら――』

△▼△▼△▼△

――『虫籠族』との戦いにおいて、全ての初見殺しを避け切るのは不可能だ。

自分たちが体内に入れた『虫』という生き物は、おおよそ人間の想像の枠組みを超克した進化と生育を遂げており、発現する能力も千差万別と言える。

加えて、自らの体内で生育した『虫』と共鳴し合い、技を磨くことでさらなる変化を促すこともできるとなれば、虫籠族同士でも同じ戦士は二人と生まれない。

まして、カフマ・イルルクスは虫籠族で生まれた異才だった。

自らの信念と哲学が理由で、打診された『九神将』への昇格を拒否したカフマ、その力量はヴィンセント皇帝にも、一将と遜色ないと認められたもの。

ヴォラキアの戦士として、頂の一人に並ぶことを許された傑物であった。

当然、虫籠族に生まれついた以上、『虫』の力を借り、その能力を己の技として発揮することに躊躇いも罪悪感もありはしない。

『虫』の力も含めて、それがカフマ・イルルクスという戦士の強さだった。

それでも――、

「思うところがないではない」

必勝を期さなくてはならず、可能な限り、多くの敵の撃滅を求められるカフマは、たった一人の戦士と渡り合っている猶予などなかった。

故に、最速で相手を仕留めるための禁じ手を用い、敵を討った。

「――――」

体内に『虫』を入れる儀式は、虫籠族であっても入念な準備の果てに行うものだ。

生まれたばかりの赤子の頃から、将来『虫』を入れることを想定した肉体改造を行い、齢十二となるまで儀式は禁じられる。すなわち、『虫』を体内に入れるには最低でも十二年の年月を準備に要するということだ。

その過程を省略して『虫』を植え付けられれば、対象の肉体は耐えられない。

故に――、

「貴公との決着、このような形で済ませるのは痛恨だ」

遺憾の意を表明し、カフマは目をつむると、打ち倒した相手に黙祷を捧げる。だが、感傷に浸る時間は短く、カフマはすぐさま振り返り、改めて城壁の外を望んだ。

人馬人の最初の攻撃を打ち払ったが、すぐに第二陣が攻めかけてくるだろう。何度でも飛び込んでくればいい。そのたびに全員打ち払って――そう、考えた直後だ。

「――ッ、なんだ!?」

仁王立ちし、体内を巡る茨の『虫』を呼び起こそうとしたカフマは、すぐ間近で発生した轟音――爆音めいた凄まじい衝撃に目を剥いた。

一瞬、反乱軍が城壁を崩すため、何らかの兵器を持ち出したかと疑ったが、それが思い違いであることをすぐにカフマは理解する。

しかし、その理解は安堵には繋がらなかった。

何故なら――、

「――ガーフィール・ティンゼル」

戦慄するカフマの視界、落ちた城壁を再び這い上がったガーフィールが立っている。

その肥大化した猛獣の姿と、全身を燃え盛る炎で包んだ狂戦士が。

△▼△▼△▼△

落ちた先が、野っ原の上だったのが不幸中の幸いだった。

背中をついたのが城壁の上だったら、立ち上がる力をもぎ取れなかったかもしれない。土の上に落ちたおかげで、大地はガーフィールに味方した。

それでも、肉体が受けた被害は深刻で、割れた頭と体内を掻き回される感覚は刻一刻とガーフィールの命を死へと誘っていた。

割れた頭は、治癒魔法で治せる。だが、治癒魔法を発動するには『虫』が邪魔で。その『虫』は攻撃ではないから、治癒魔法では取り除けなくて。そもそも治癒魔法を使うために時間がなくて『虫』が邪魔で頭が割れて血が血が血が血が。

「が、お」

奥歯を噛みしめ、危うい命を繋ぎ止めながら、頭を使うのをやめる。

元々割れた頭だ。頼りになるはずもない。必要なのは、生きるための本能、それに従って、強引に体を動かして、そして。

そして、壁上に用意された魔石砲、城壁の外から来たる敵の迎撃のために準備してあったそれを、その中に装填された魔石を呑み込んで、腹の中で砕いた。

瞬間、溜め込まれた灼熱のマナがガーフィールの内側で膨れ上がり、『虫』を焼く。『虫』が焼かれれば、ガーフィールに残るのは壮絶な傷だけ。

――否、傷と、敵だけ。

『いいですか、ガーフィール、よく覚えておいてください』

『僕たちがどこの何者なのか、それがわかると大変な外交問題に発展しかねません。ですから、迂闊に相手の挑発に乗って余計なことを言わないように』

『とは言っても、あなたのことですから、辛抱強さはそこまで期待しません。売り言葉に買い言葉、商人として売買するなとは言えませんから。だから――』

『だから、これだけはしっかり覚えておくように』

『もしも、言葉の売り買いをしたなら――』

「した、ならァ」

舌がもつれ、重傷を癒すための反射的な獣化で理性を薄れさせながら、ガーフィールの脳内に延々と聞こえるのは、どんな状況でも頼りになる兄貴分の言葉。

ゆらりと炎に焼かれながら振り向く先に、こちらと対峙する恐るべき敵がいる。

その、敵が必要だった。

兄貴分に言われたことを実行するためには、敵が。

だって、言っていた。――オットー・スーウェンは、ガーフィールに言った。

『――その相手は必ず、足腰が立たなくなるまでぶちのめすこと!』

「ぶっ潰してやらァ――ッ!!」

獣の咆哮が再び上がり、猛獣と化したガーフィールが城壁を踏み砕いて飛ぶ。その勢いを目の当たりにしながら、眼前の敵――カフマが目を見開き、笑った。

笑い、カフマも両腕を振り上げ、前に飛び出す。

「こい、ガーフィール・ティンゼル!!」

「ああああらぁぁぁぁァァァ――!!」

牙を剥き出して飛び込む金色の虎の猛撃と、視界を埋め尽くす波濤の如き紫の茨、それが真正面から激突し、星型の頂点がひび割れる。

それはまさしく、玉座の皇帝が抱いた引っかかりを、裏付けるかの如く――。

「――――」

――動かし難い天墜を、帝国史に刻む亀裂の一矢であった。