軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七章72 『馬鹿馬鹿しい噂』

――執務室の窓の外にシーツを垂らしておいたのは、最悪の事態に備えた保険だった。

執務室でのグスタフと、使者であるアラキアとトッドの会談――ほぼ、トッドとグスタフの二人で進められるそれの最中、盗み聞きするスバルとヒアインの二人が、トッドたちが島を訪れた核心へ辿り着くのには、かなりの試行錯誤を要した。

必要なのは、起きる出来事と放たれる言葉、隠れておくべき死角とヒアインの落ち着かせ方、そして逃げ道の確保だ。

あの周到なトッドと、『九神将』の一人であるアラキアを欺かなければならない。

気配を読むなんて漫画のキャラみたいな真似を平気でしてくる相手だ。それらを誤魔化すために、できるだけの手をひたすら打った。

ヴァイツに時間稼ぎを、タンザに執務室までの道のりで臭いの強い香草を、イドラには高台に人を集めてもらって少しでも相手の気が散るようにと。

そうやって、トッドたちの警戒ラインに抵触するギリギリまで不審を積み立てた。

それら、薄氷の上に築き上げた砦が、相手の城壁を乗り越させてくれたのだ。

だけど――、

「シュバルツ! このあとどうすんだ!?」

「考えてる!」

ヒアインの体にしがみついて、かろうじて転落死しないで済んだスバルが吠える。

蜥蜴人である彼の手足は、実際のトカゲなどと同じように壁に張り付ける。とはいえ、トカゲと比べたら体が大きいし、スバルという重りも抱えた状態だ。

吊るしたシーツの助けも借りて、怪我をしないように駆け下りたというのが正しい。

その彼の腕から中庭に下ろされ、スバルは手の中の呪具の感触を確かめる。

まだべったりと血で濡れた黒い球は、グスタフの体の中――どこに入れていたのかはわからないが、とにかく彼の中から引きずり出されたものだ。

「ぐ」

と、込み上げる吐き気に耐えながら、スバルは次の動きを必死に練る。

トッドが呪具を手放した瞬間、ここしかないととっさにスバルは動いてしまった。こうして呪具を手に取れたのだから、間違った考えではなかった。

でも、ここから先の考えなしな行動だったことは間違いない。

「とにかく、茂みで擬態だ!」

「に、逃げなくていいのか?」

「闇雲に逃げてもすぐ見つかる! 早く!」

頭に浮かんだ『逃げる』と『隠れる』の選択肢で、すぐに隠れるを選ぶ。

すでにトッドたちと敵対したのだから、どっちを選んでも『死』と隣り合わせなのは間違いない。ならせめて、その先の展望が見えやすい方を選んだ。

逃げても、逃げっ放しでなくちゃならない。

でも隠れれば、息を潜めている間は次を考え続けることができる。

「――――」

目を白黒させるヒアインの腕を引いて、スバルは中庭の隅にある植木の裏に飛び込む。そこでヒアインが擬態し、スバルに覆い被さって周りから姿を隠した。

圧し掛かるヒアインの体、心臓がものすごい勢いで跳ねているのを背中に感じる。

怯えて、竦んでいる。でも、耐えてもらわなくちゃいけない。

さもないと――、

「いない」

とん、と軽い音を立てて、スバルたちが必死で下りた高さを少女が突破する。

素足で中庭に降り立ったのは、細い木の枝を手にしたアラキアだ。その片目を眼帯で覆った彼女は、眠たげな目つきでくるっと中庭を見渡す。

果たして、探し物をする彼女の目を、ヒアインの擬態は欺けるのか。

存在を疑わないときはその意識の裏側に隠れられても、存在していると知られた状況では死角に潜り込めない。少し注意深く探されるだけで、見つかる不安が膨れ上がる。

スバルから何ができるわけじゃない。でも、見つかるわけにはいかない。

島の全員を殺しも救いもする呪具、それを手に入れたからじゃない。

もっと切実な、ナツキ・スバルの在り方に直結する理由で、見つかるわけには、死ぬわけにはいかなかった。

「ん――」

背中を向けて、見当違いな方を探して歩き出してほしい。

そんなスバルの願いも空しく、小さく唸るアラキアが眉間に皺を寄せて、スバルたちの隠れている植木の方にやってくる。

気配、臭い、息遣い、心臓の音、どれが切っ掛けになったかわからない。

もしくは、スバルたちにはわからない、強者だけが感じられるオーラみたいなものか。そんなものを感じているなら反則もいいところだ。対策のしようがないものを使って追い詰めてくるのは、ルール違反というものだろう。

ルールなんて、とアラキアからすれば鼻で笑いたくなるようなことでも――。

「おいおい、なんだこれ? 総督の部屋が吹っ飛んでやがる!」

「この知らねえ美人は客か?」

「どうしたぁ、何があったぁ?」

恨み言が頭の中を埋め尽くす直前、それはアラキアが植木に辿り着く直前でもあったのだが、そこに複数の男たちのだみ声が中庭の空気を割った。

見れば、のしのしと中庭に現れたのは五人の剣奴で、たぶん、アラキアがグスタフの部屋を吹き飛ばした音を聞きつけた『合』が野次馬しにきたのだろう。

彼らの注意は壁の吹き飛んだグスタフの部屋と、中庭に立っている見慣れない美少女であるアラキアに向いている。

アラキアも、現れた彼らに振り向いて、その細い首を傾けて思案顔だ。

彼女的には、新しく現れた彼らが、追っているスバルたちの仲間なのかどうかを疑っているといったところか。ここはぜひ、疑ってもらって構わない。

こうして現れた彼らは完全にスバルの予想外、偶然が招いた乱入者だ。

彼らを問い詰めても、スバルたちの情報は何も手に入らない。むしろ、彼らに話を聞いている間に、スバルとヒアインは抜け出すチャンスを窺える。

自分たちが用意したのとは別の、天から垂らされる蜘蛛の糸が彼ら――、

「――聞け!!」

「――っ」

その、降って湧いたチャンスを逃してたまるかと、アラキアの動きに目を凝らしたスバルたちの頭上、まさに壁の壊れた部屋から声が放たれる。

声の主は、あの部屋に残った最後の一人であるトッドだ。

トッドへの恐れと、目の前のアラキアに集中する大義名分が彼の存在を一瞬でも意識から除外していたと、スバルは震えながら自分に活を入れる。

トッドが何を言い出しても、対処できるように竦む心を引き締めて。

「グスタフ・モレロ総督が殺された! やったのは黒い髪の子どもと、灰色の蜥蜴人の二人だ! 見つけ次第、殺せ!!」

「――――」

「繰り返す! グスタフ・モレロ総督が殺された! 総督の役目はアラキア一将が引き継ぐ! 呪則で死にたくなければ、二人を殺せ!!」

荒々しい声ではなく、感情的に殴りつけるのでもなく、それは大勢の人間に聞かせて、動かすための必要な感情整理がされた、よく通る声だった。

聞いた相手の理解が遅れても、何を言ったのかを忘れさせない鼓膜に残る声。

そして、それを言われた瞬間、スバルは「やられた」と目を見開いた。

グスタフの死が、スバルとヒアインの二人に擦り付けられた。冤罪だなんだと訴えたところで、この島でまともな捜査も裁判も望めない。

そもそも、誰かに一度でも捕まった時点で、スバルたちは終わりだ。

つまり――、

「――さあ、『スパルカ』の開始だ!!」

剣奴孤島ギヌンハイブの悪しき習慣、『血命の儀』が島全体を舞台に始まるのだ。

「アラキア!」

残酷な儀式の始まりを宣言して、それを聞いたものたちがまだ動き出せない中、さっきほど張っていない声でトッドがアラキアを呼んだ。

見上げる彼女と目が合うと、トッドが無言で眼下の中庭を指差す。一瞬、ドキッとしたが、トッドが指差したのはスバルたちではない。

遅れて中庭に現れた、あの天の糸である剣奴たちだった。

トッドは、その剣奴たちを指差したあと、同じ指を自分の首元に持っていって、

『――やれ』

と、聞こえない声でも、唇がそう動いたのがスバルにもわかった。

首に当てた指を横に振るのは、相手の首を切れという冷酷な合図だ。スバルと同じものを目にしたアラキアが、その視線をゆっくりと剣奴たちに向ける。

アラキアの、眼帯で隠れていない方の赤い目で見つめられ、剣奴たちは戸惑った。

彼らはさっきの、トッドの言葉の意味がまだ消化し切れていない。

「嬢ちゃん、何か知ってんのか? グスタフが死んだってのは……」

「ごめん。言われてる」

「あ……? 何が?」

突然の命令と、知らない相手の組み合わせに首を傾げる剣奴たち。その剣奴たちに応えたアラキアが、枝を持った右手を大きく横に振った。

彼女がしたことはそれだけだった。それだけで、十分だった。

「ぶが」

次の瞬間、アラキアと向かい合った五人の剣奴、その全員の頭が内側から爆ぜた。

正しくは、内側から弾けたものと、顔の中身が目や鼻から押し出されて死んだもの、異様に頭が膨れ上がって死んだものと、影響は分かれた。

結果が同じだから、彼らにとって大きな違いはなかったはずだけれど。

「死ぬ人と話すなって」

頭を壊されて、剣奴たちが力なく倒れていく。

その倒れていく剣奴たちを見ながらの呟き、それがさっきの質問の答えなのだと、スバルはしばらくしてから気付いた。頭が忙しくて、それどころじゃなかった。

アラキアという怪物がしでかしたことの処理に、頭が忙しかった。

――たぶん、水だ。

グスタフが殺されたとき、トッドがアラキアにしていた助言。相手の頭の中に水を出してやれと、たぶんそれをやったのだ。

それが理由で、剣奴たちの頭が内側から、現れた水が原因で吹っ飛んだ。

「コップ、一個分……」

言いながら、アラキアが手にした枝の先端を反対の手で弄っている。

反芻する彼女の口調は感情が乏しいが、スバルにはそれが、何となく不満を口にしているように聞こえた。――うまくいかなかった、という感じの不満。

人を殺しておいて、そのぐらいの感覚しか持っていないのは、おかしい。

だから、怪物なのだ。アラキアも、当然トッドも。

「誰かいるか! 聞いたか、さっきのでかい声!」

人間と思えないアラキアの所業、それがスバルの心を黒く染め、ヒアインが呼吸も忘れて凍り付く最中、またしても別の声が中庭にやってきてしまう。

また別の剣奴だ。声が聞こえた総督の執務室を見上げられて、一番人が集まりやすい場所だとわかっているから、次々と剣奴が駆け上がってくる。

そしてそれは――、

「おい、お前、どっからきた!? 総督が……」

「言われてる。――死ぬ人と話すなって」

振り向いたアラキアの、『精霊喰らい』の犠牲者が拡大することを意味する。

そうして、始まってしまった。

――『呪則』の発動とは異なる理由の、剣奴孤島の大虐殺が。

△▼△▼△▼△

トッドの用意した状況は、突発的に閃いたと思えないぐらい最悪なものだった。

次々と、手当たり次第に剣奴を殺していくアラキア。

当然だが、『九神将』である彼女と相対して、一矢報いれるものも一人もいない。彼女の視界に入ることは、即座に死を意味するぐらいの災厄だった。

確か、アラキアは竜巻や爆炎を操ったりもできたはずだが、そういう島全体を巻き込むような大技は使ってこないのがせめてもの、本当にわずかな救いだ。

たぶん、死体を確かめられなくなるのを嫌って、トッドが命じているんだろう。

そしてアラキア以外にも厄介なのが、島の看守たちだ。

看守たちはどうやら、グスタフが死んだあと、その役目をアラキアが引き継いだというトッドの言葉を信じているらしい。実際、役職がどんな風に引き継がれるのかスバルはわからないが、自分を殺した相手が引き継ぐなんてグスタフは望まないと思う。

その部分は、スバルたちがグスタフを殺したことになっているので、看守たちにとっては疑問に思う理由がないところなのだろう。

そうやって看守たちに誤解されるのも嫌だが、一番の問題は――、

「クソ! やりやがった! 看守共が剣闘獣を島に放った! 襲ってくるぞ! 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろぉ!!」

混乱に陥った島のあちこちで、そんな怒号と悲鳴が上がり続けている。

放たれた剣闘獣――『スパルカ』の敵として使われる剣闘獣は、スバルの見た限り、その全部が角を折られ、看守たちに従っている魔獣だった。

剣闘獣は、トッドに従う看守の命令を聞いて、島の中にいるスバルとヒアインの二人を探している。――ただし、剣闘獣に剣奴それぞれの区別なんてつかない。

だから、剣闘獣も手当たり次第に、次から次へと剣奴を襲い始めていた。

「どこにいる! とっとと出てこい、シュバルツ! 薄気味悪いガキめ!」

敵意にぎらついた目をした看守が怒鳴り、自分の隣に頭の二つある大きな犬を連れながら通路を歩き回っている。

看守たちは剣奴と積極的にコミュニケーションを取ろうとしないので、あんな風に感情を剥き出しにしている様子を見るのは初めてだ。普段から、あんな風に敵意を持たれていたのだと思うと、これもスバルは悲しい気持ちになる。

ただ、悲しいだけでなく、気付いたこともあった。

スバルたちの姿を探している看守、その様子には焦りと苛立ち、それに恐怖がある。それはたぶん、呪則が発動すると看守たちも死んでいたことと無関係じゃない。

看守も、自分たちが死なないためにあれこれと考えて従っているのだ。

アラキアと看守たち、スバルたちにとっての危険な敵が島の中を徘徊している。

それらを手駒にしているトッドは、自分で動いているのか、指示に徹しているのか。彼の所在がわからないことで、スバルの考える力はかなり減る。

ずっと、トッドを警戒し続けているせいで、張り詰めた心がひび割れる寸前だ。

そんなスバルに追い打ちをかけるのが――、

「おい、シュバルツは!? いたか!?」

「見てねえよ! それより、看守共がやべえ! 見つかったら殺される!」

「だから、シュバルツを差し出せば……」

「バカ言え! 奴ら手当たり次第だ! 区別なんか付けちゃいねえよ!」

「じゃあ、どうすんだ!? ただ黙って死ねってのかよ!?」

「で、でもよ、シュバルツの、あの噂が本物なら……ッ」

必死で、生き残るために全力で足掻き続ける剣奴たちの声。

アラキアや看守の脅威に晒されながら、必死な剣奴たちの間で意見が割れている。

彼らの横暴に立ち向かうか、言いなりになってスバルを差し出すか、それをしても無駄だと諦めているものがいて、理不尽な状況を嘆く誰かがいて、何の根拠もないハリボテの希望に縋ろうとしているものもいて、色んなものがいて。

剣奴たちの中にも、スバルと敵と、敵になり得る人が大勢いる。

ある意味、全部敵だと割り切れる看守やアラキアより、ずっと手強いかもしれない。

誰が敵で、味方なのかわからないから、迂闊に頼りにもできなくて。

アラキアと、看守と剣闘獣、敵味方のわからない剣奴――そして、トッド。

それらがスバルたちを追い始めたことで、剣奴孤島は滅びへ向かう。

起きてしまったのだ。大虐殺が。阻止しようと、必死で足掻いても。

「ヌル爺さん!」

大惨事になった島の中を駆け抜けて、スバルは目の前の部屋に飛び込んだ。

島の下層にある治癒室は、スバルが何度も世話になったヌル爺さんの仕事場。その入口が盛大に壊されていて、嫌な予感を覚えながら駆け込んだ。

そして、嫌な予感は現実のものになった。

「シュバルツ様……」

治癒室に駆け込んだスバルを迎えたのは、掠れた女の子の呼び声。それは部屋の奥に座り込んだタンザで、小さい彼女の隣には翼の生えた鼠の死体が転がっている。

たぶん、タンザが一人で倒した魔獣だ。それは、とてもすごいと思う。

でも、タンザがくる前に、その魔獣は治癒室を荒らして、人を殺した。

しゃがみ込んだタンザの足下に、首を食い千切られた死体が、骨と皮だけのよぼよぼのお爺さんの死体が、倒れていたから。

「し、シュバルツ……」

スバルと一緒に治癒室に飛び込んだヒアインが、同じものを見て声を震わせた。

あの中庭でのアラキアの凶行、次々と現れる剣奴を殺していく彼女が立ち去るまで、あそこで隠れていられたのはヒアインのおかげだった。

彼がいなければ、スバルがここまで戻ってくることも絶対に無理だっただろう。

だけど、逃げ隠れを繰り返しても、どうしても、勝てない。

「シュバルツ、戻ったのか!」

「ふん、お前も死ななかったか、トカゲ野郎……」

ヌル爺さんの死体の前、項垂れるスバルたちのところにイドラとヴァイツも駆け付ける。執務室に忍び込むのに協力してもらった、『合』の面々勢揃いだ。

この島の状況で、誰も死なないで合流できたのは奇跡みたいに思える。

だけど、奇跡ならもっと、もっといい成果を引き寄せてくれるべきじゃないのか。

「シュバルツ様、飛び交う話は本当なのですか? グスタフ総督のお命を?」

「俺とヒアインで? できるわけないだろ。グスタフさんを殺したのは、帝都からきた使者……アラキアだよ。いや、アラキアを使ったトッドだ」

「トッド……? 何者だ、それは……」

「大罪司教より怖い奴だよ」

少なくとも、今のスバルの認識だとそうだ。

記憶にある大罪司教たちも碌な人間じゃないが、トッドと比べたら、それでも可愛げがあるように思えてくる。思えてこない。何と比べてもクズはクズだった。

でも、スバルの言い方で、タンザたちにもトッドの危険性は伝わったようだ。

「滅多なたとえをしないでくれ。大罪司教などと、違うとわかっていても心臓に悪い」

「ああ、悪い、身近だったんだよ。よく出くわしたもんだから」

「大罪司教とよく出くわす、ですか? それは、やはり……」

「やはり、なんだよ。俺の何を知ってる?」

「――――」

イラついているのもあって、タンザを責めるみたいな言い方をしてしまった。

そのことをスバルは悔やむも、目を伏せたタンザの反応は責められたことじゃなく、その手前のスバルの発言自体を気にかけているみたいだった。

それがスバルにはちょっと不思議だ。

まさか、この中にスバルの体質――『死に戻り』をするたびに、どうやら『魔女』と関係のある瘴気が強まることを知っている人はいないはずだが。

「それで、どうするべきだ? グスタフ総督が死んだのなら、私たちを縛っている呪則も消えたはず。跳ね橋を上げて、島の外へ向かうか?」

「ば、バカ言え! その鍵がねえだろ! それに、跳ね橋なんて動かしたら、すぐに狙い撃ちにされちまう!」

「なら、島の全員を敵に回して戦い続けるか……? 敵に『九神将』がいるなら、遅かれ早かれ……オレたちに退路はない……」

イドラたちが状況の打開策を話し合っていて、スバルの意識もそっちにいく。

イドラの提案、跳ね橋からの脱出は一つの妙案ではあった。色々と条件は変わったものの、呪具がスバルの手元にあるのだから、呪則のない今、島を出られる。

ただし、ヒアインの言う通り、跳ね橋を使って逃げるなら、跳ね橋を操作するための制御塔と、渡っている最中の跳ね橋と、二ヶ所で待ち伏せされる可能性があった。

かといって、島を出ないなんてジリ貧な考え、ヴァイツの言う通り、選べない。

それに――、

「――グスタフさんを」

ヌル爺さんも、そしてアラキアの犠牲になり、今も島の中で次々と命を落としていく剣奴たちも、このままでは死んだままの世界を生きることになる。

それは、スバルには耐え難いことだ。

たとえ呪具の回収に成功して、呪則の恐れがなくなった状況だとしても、これを『最善』だと決めて進むのは、ナツキ・スバルの本懐じゃない。

――そんなの、菜月・賢一の息子の選ぶべき道じゃない。

「せめて、相手をする方の数が減らせれば……」

ぎゅっと目をつむって、思考の迷路に囚われるスバル。

その傍らでタンザが薄い唇を噛みながら呟く。確かに、島の全部が敵の状況、それが少しでもマシになれば、また違った選択も浮かびそうなものだが――、

「……な、なぁ、だったら、もう隠すのやめていいんじゃねえか?」

「――――」

「おい、シュバルツ、お前だよ。お前に言ってんだ、俺ぁ」

「……え?」

ふと、恐る恐るという感じで言い出したヒアインに、スバルは目を丸くする。

考え込んでいたのもあるが、それ以上に心当たりのない呼びかけだったから、反応するのが遅れてしまった。

隠すのをやめろと、そうヒアインはスバルに言った。

言ったが――、

「隠すのやめろって……何を?」

「い、いい加減にしろや! この状況で、伏せてていい手札じゃねえぞ!」

「おい、やめろ、トカゲ野郎……!」

心当たりのないスバルに、ヒアインが強い勢いで噛みついてくる。それを間に入ったヴァイツが止めてくれたが、スバルは驚いて礼も言えない。

ただ、そのスバルに「シュバルツ」とイドラも真剣な顔をして、

「言い方はともかく、ヒアインの気持ちはわかる。そろそろ、話してくれまいか」

「いや、だから、何の話をしてるのかさっぱり……」

「――君の、御父上の話だ」

「……俺の、父さん?」

真剣に、信じられないぐらい真剣に、イドラがスバルにそう言ってくる。

でも、そんな風に真剣に言われても、スバルの混乱は勢いを増す一方だ。何故、ここでスバルの父親の話が必要になるのかさっぱりわからない。

スバルの父親は、それはそれは息子の目から、妻の目から見て立派で、尊敬すべき人物で、スバルの憧れそのものであるが――、

「でも、普通のサラリーマンだぜ……?」

「誤魔化すんじゃねえ! もうわかってんだ! お前、皇帝閣下の隠し子だろ!?」

「――――」

この場で役立つ情報ではないと、そう説明しようとしたスバルの声を、ヴァイツに羽交い絞めにされるヒアインの声が塗り潰した。

塗り潰したが、塗り潰すのに使った絵具の色が濃すぎて、出来上がった絵が何なのかがスバルの頭では理解できない。

今、ヒアインはなんて言ったのか。

「……俺が、皇帝閣下の、子ども?」

「ああ、そうだ! 島の外じゃ、その話で持ち切りだってよ! 黒髪に黒目、あのヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下の落とし胤が、国のどっかにいるって! それが……」

「――シュバルツ、君なんだろう」

ヒアインの言葉を引き継いで、イドラが静かな声と目で、スバルに言った。

その、縋るようなヒアインの目と、信じ切ったイドラの目、この状況で笑えない冗談を言ったわけじゃない二人の様子に、スバルはヴァイツを見た。

ヴァイツは、その刺青で覆われた顔を歪めて、

「言ったはずだ……お前が何者なのかはわかっている……。だが、どうだろうと、オレはお前に力を貸す、と……」

神妙な、この状況じゃなかったら、もっと胸を打っていた言葉だった。

あのときの、下層でスバルにそう言ってくれたとき、ヴァイツがどのぐらいの覚悟でそれを言ってくれていたのか、その重みが今になってはっきりわかる。

それが、全く見当違いの考えからきていたことも。

「ま、待て、待ってくれ……俺が、皇帝の子どもなんて、なんで」

「その幼さから想像のつかない判断力、指揮能力、生存力。『スパルカ』で私たちを、そしてヒアインの仲間を助けたのは君だ、シュバルツ」

「それは……」

スバルが、自分の持てる能力を駆使して運命に抗ったのは本当のことだ。

でも、まさかそれがイドラたちに、そんなとんでもない誤解をさせることになるなんてちっとも考えていなかった。

そもそも、彼らがそんな風に勘違いしていたのなら。

「タンザ、お前はなんで違うって……」

「――シュバルツ様、私はこの目で見ています」

「――ぁ」

「シュバルツ様が、皇帝閣下とご一緒されていたところを」

静かに、キモノの裾を押さえながら言い切ったタンザに、スバルは絶句した。

彼女が言っているのは、カオスフレームでのことだ。確かにスバルは、小さくなった状態で、馬鹿みたいな仮面を付けたアベルと一緒にいた。

タンザはヨルナの従者なのだから、事実を知っていてもおかしなことはない。

アベルが本物の皇帝で、縮んだスバルと一緒にいたところを見ている。

それを、イドラたちの勘違いと結び付けたのか。

「でも、タンザはオルバルトさんと組んでて……いや」

タンザはオルバルトと共謀して、あれこれと動いていたというのがスバルの推測だ。

たぶん、ヨルナを守るための行動だったと思うから、それを責める気はあまりない。そしてオルバルトは、たとえ共犯相手でも自分の手の内は明かさないだろう。

タンザは、スバルが『ナツミ・シュバルツ』が縮んだ姿と、知らないのだ。

なら――、

「タンザは、俺をなんだと……?」

「――。あの、黒髪の女性と、皇帝閣下との間の」

「――――」

絶句する。

それ以上をタンザは言わなかったが、彼女が何を考えたのかはわかった。わかった上でスバルは絶句し、そして、弁明が難しいことも理解した。

何も証拠を提示できない。今ここで、スバルが急にでかくなる以外の方法がない。

「……皇帝の隠し子って話は、なんで話題なんだ?」

「――。今、島の外では皇帝閣下への反乱軍が起こっているそうだ。その反乱軍の、旗頭とされているのが……」

「皇帝の隠し子?」

スバルの疑問に、イドラが頷いた。

それで、スバルの中でもたどたどしくも理屈が繋がる。皇帝と、その子の権力争い。島の外で、アベルたちの始めた戦いはそういう話になっているのだ。

真実は、本物の皇帝と偽皇帝の戦い。

でも、知られているのは本物の皇帝と、皇帝の息子をトップにした反乱軍の戦い。

誰がどうやって、そういう形式にしたのか、想像もついた。

「あの野郎……!」

すぐに、アベルが用意した状況、広めた風聞だとスバルは理解する。

そしてそれが、アベルの嫌がらせではなく、この内紛自体の大義名分にしたり、カオスフレームからいなくなったスバルを探す意味もあるのだろうと。

スバルが死んでいないと、そう考えているからの状況とは思う。口が裂けても、スバルが死んでいないと『信じている』とは言わないが。

「――――」

口に手を当てて、黙り込んだスバルをタンザたちが見ている。

大人しくなったヒアインをヴァイツが解放して、四人の注目がスバルに集まった。

こうしている間も、治癒室の外――島内のあちこちで戦いが起こり、剣奴たちが危険な状態に陥って、あるいは命を落としていくのがわかる。

黙って、落ち着いて、時間をかけて、考えている余裕なんて、どこにもない。

だから――、

「――シュバルツ様」

時間がないと、わかり切ったことを、それでも教えるためにタンザが呼ぶ。

その呼びかけに、ほんの少しの畏れ多さみたいなものが込められているのを感じて、スバルは『合』の、みんなの顔を見回した。

見回して、決めた。――今の状況で、求められていることを果たすのだと。

△▼△▼△▼△

――風向きの変化を感じて、トッド・ファングは静かに自分の顎を撫でた。

「――嫌な感じだな」

執務室で聞き分けのない総督の頭を吹き飛ばし、文字通り、島の頭を挿げ替えてやった形だが、どうにもその後の動きが鈍い感じがある。

もちろん、島の関係者を全滅させるだけなら、アラキア一人で過剰戦力だ。

あの、自分で考える頭を持たない『九神将』は、頭の軽さと裏腹に絶大な力の持ち主であり、その気になれば島の全部を炎で包むこともできる。

それをされるとトッドが困るので、やらないように言ってあるが。

そもそも――、

「俺はこんなところ、くるのは御免だったってのに」

必要なことと、そう割り切った行動がことごとく裏目に出て、トッドは苦い気分だ。

城郭都市で囚われのアラキアを助けたのも、城郭都市を落とされた失点の回復と、彼女にくっついて帝都へ戻り、配置転換を叶えてもらうのが目的だった。

実際、配置転換自体は叶ったと言えるが、叶い方が期待と違う。

トッドは、部下を持たないアラキア一将の唯一の部下として登用された。

全てはアラキアを謀るためについた、一個の嘘が原因で。

「ジャマル、死んでも迷惑な奴め」

トッドの嘘が招いた事態だが、アラキアはトッドがジャマルの敵討ちを心の底から望んでいると、そう信じて疑っていない。

彼女を丸め込むのに必要だった嘘だから、今さらトッドもそれを否定できない。

正直、何が逆鱗になるかわからない女だ。逆鱗に触れた瞬間に消し炭になる可能性を考慮すると、迂闊に意見を引っ込めることもできない。

結果、トッドはアラキアの部下にされた。

アラキアに命令する帝国宰相、ベルステツ・フォンダルフォンの手先となって、こうして頭のおかしい人間の楽園、剣奴孤島へと送り込まれる有様である。

ベルステツの命令は、島の内患の処分。そのための手段は総督であるグスタフが持っているから、ただ実行を命じるだけの楽な仕事、という話だった。

それも全部嘘だった。

楽な仕事が楽に片付いた試しがない。予想はしていた。だから、準備もしていた。

大抵のことは事前の準備で対応できる。本当に不運な不慮の事故だけは避けられないが、不慮の事故が起こり得る場面を避ければ、その危険も最小限にできる。

なのに、不慮の事故が起こった。

あの場面で、死角から見えない子どもが飛び出してくるような、もらい事故だ。

「格上を殺す方法なら、いくらでも考えてあるんだがな……」

子どもの殺し方なんて、あんまり考えたことがない。

いい気分でもないし、使う機会もそう多くないだろう。だから、あまり候補が多くない中で、剣奴孤島用の殺し方と合わせて使った。

――看守と剣闘獣、それに剣奴の半分も巻き込めば、島の個人は狙い撃ちにできる。

そこにアラキアも混ぜ込めば、これで死なない方がおかしい。

もっとも――、

「――万全なんて、存在しないからな」

首をひねり、トッドは死体の散乱する通路を歩きながら呟く。

倒れている死体はことごとく、みすぼらしい格好をした島の剣奴たちだ。それが互いに争い合った結果なのか、アラキアの暴力か、剣闘獣の残虐さかは興味がない。

死体は死体、死んでいれば頭から消していい。

「ファング上等兵、ここまでやる必要が……」

「あるに決まってるだろ。グスタフ総督がやられたんだ。剣奴連中は組織立って準備をしてた。武装蜂起で島をひっくり返す目算だ。誰が抱き込まれてるのかはわからないが、お前さん、敵とそうでない奴の区別がつくのか?」

「う……」

トッドの問いかけに、後ろに続いている二人の看守の片割れが押し黙った。

執務室からアラキアを送り出し、トッドが『スパルカ』を宣言してすぐに駆け付けた看守のうちの二人だ。呪則による縛りをちらつかせて従えているが、言い訳できる状態なのだから、気持ちよく従えばいいのに妙な頑なさだ。

やらせているのはトッドなのだから、トッドのせいにすればいいだろう。

気が咎めるみたいな顔をしてやることはやるのだから、何の意味もない逡巡だった。

「真人間ぶるのはやめろよ。第一、ここで看守なんてやらされてる時点で、お前さんもお隣さんも脛に傷がある立場だろう。制服以外、連中とほとんど変わらない」

「――っ」

「ただ、その制服が安全弁だ。ちゃんと、それを噛みしめておけばいい」

まだ苦い顔の消えない若い看守、その肩を叩いて笑いかけてやり、トッドは内心で嘆息する。――制服の着用未着用、本当にそれだけなのだから、彼らは感謝すべきだ。

剣奴孤島の看守は全員、ともすれば剣奴になっていておかしくない経歴の帝国兵だ。

命令無視や隊内での暴行、鉄の掟に従えなかった半端者が送られる流刑地。

呪則で命を縛られ、それでようやく従うことを知った物覚えの悪い連中。半端に人間ぶるところも含めて、実に滑稽と言わざるを得ない。

「まぁ、どうでもいいんだが」

必要なのは看守としての能力よりも、彼らに与えられた剣闘獣の存在だ。

頭一つ飛び越して、剣闘獣だけ手に入れば看守なんてまとめて処分してもいいのだが、そういうことが起こらないよう、間に看守を挟んでいるのだろう。

おそらくそれも、死んだグスタフの用意した安全弁か、そうでなければグスタフが頑なに従った皇帝閣下の判断か。

「進んで戦争したがる奴も、それを受けて立つ奴もどうかしてる。頼むから、俺とカチュアの平穏を乱さないでくれよ……」

城郭都市で起こった反乱の兆しも、その後の魔都カオスフレームの出来事も、いずれもトッドにとっては煩わしい騒音でしかない。

住みよくなるなら帝国のてっぺんが変わってもいいし、ならないなら今のままでいい。

何事も起こらず、愛しい女との日々が続けば、それで――。

「――嫌なこと思い出したな」

反乱を思い起こしたことで、トッドの脳裏を過ったのは恐ろしい存在だった。

戦争を愛し、戦争に愛されたとでもいうべき『戦争の申し子』。できれば激しい戦いの途上で死んでいてほしいが、実際のところはどうなるか。

立場上、反乱軍に与しているなら、その災禍が広がったとき、奴は現れる。

奴が暴れるというなら、そのときにはカチュアと共にそこから離れて――。

「――トッド・ファング!!」

「――――」

高い声に名前を呼ばれたとき、トッドが何故か、胸がざわつく感触を覚えた。

まるで、頭に浮かべた懸念が、これ幸いにと現実味を帯びたみたいに。

そして――、

「……何考えてんだ、お前さん」

振り向いたトッドの視線の先、通路の正面、突き当たりに姿を見せたのは、この剣奴孤島の全てを敵に回し、追われているはずの少年だった。

黒髪の、目つきの悪い子どもだ。あちこちを血や泥で汚しているが、手足は全部くっついているし、失ったものはないように見える。

つまり、アラキアも看守たちも、こぞって見逃したというわけだ。

「運がいい、なんて言葉じゃ言い表せない何かがあるのはわかる。けど、わざわざ何しにここに顔を見せた? 理屈に合わんだろ」

「――――」

「頼れる仲間がいるから無敵、ってわけでもなさそうだ」

言いながら、トッドはその少年の周囲、彼と一緒にやってきた四人の姿を見る。

灰色の蜥蜴人と、全身に刺青の入った男。二人と比べると目立った特徴のない中肉中背と、何故かキモノ姿の鹿人の小娘だ。

トッドの目から見ても、その四人が特別優れた力の持ち主とは思えない。雰囲気からして全員素人、刺青の目つきと、鹿人の立ち方だけ注意がいる。

刺青は躊躇いがないのと、鹿人は妙な自信があるようだった。

そして――、

「お前さんの目つきは判断がつきづらいな。自信があるのかないのか……」

「トッド、投降しろ。それで、あの女の人……アラキアにも、やめさせるんだ」

「――。とりあえず、理由を聞くが?」

無茶で、聞く意味のない要求を投げられ、トッドは眉を寄せた。

とりあえず、興味がある素振りで話の先を促してやり、その間にトッドは横に控える二人の看守に無言で手信号を送る。

二人の看守が連れているのは、それぞれ黒い大鷲と岩の塊のような蛙の剣闘獣だ。

こうして少年たちと対峙するトッドたちのすぐ横、通路の外では空を大鷲が、壁を蛙が這いながら、相手との距離をじりじりと埋めていく。

剣闘獣が奴らを仕留め、呪具を回収できればそれが最善。

もちろん、呪具をどこかに隠している可能性もあるので、面倒は残るだろう。ただ、ここで少年と蜥蜴人を片付ければ、ひとまず話は早い。

アラキアがいれば、もっと容易い話なのだが――、

「どこで引っかかってる……?」

まさか、アラキアに限って剣奴狩りが楽しくなっている、ということはないだろう。

兵士の中には殺しを楽しむ奴もいるが、アラキアはそういう類のものではない。アラキアは大事な相手に尽くすのが目的の兵士で、それ以上でも以下でもない。

肝心の仕事を果たせないということは、何かしらの邪魔にあっていると考えるべきだ。

しかし、もしそんなものがいるなら、事情が変わる。

「それで、何の話を聞かせる?」

「簡単な話だ。――この島の呪則を支配する呪具は、俺の手元にある」

「な……!?」

肩をすくめたトッドに答える少年、その言葉に二人の看守が動揺する。

当然だろう。彼らがトッドに従っている最大の理由が、自分たちの命を握られているという逆らえない条件なのだから。

しかし、トッドは「ハッタリだ」と切り捨てて、

「くだらない駆け引きだ。第一、呪具だと? そんなものがあるなら……」

「――これだ」

「おいおい」

見せてみろ、と要求するまでもなく、少年が自分の懐から何かを取り出した。それは、血を拭き取られた黒い球体で、遠目にもはっきりとそれとわかる。

手にした時間は短かったが、見間違えなどしない。

あれは、グスタフが体内に仕込んでいた呪具、本物だ。

トッドなら、間違いなく島のどこかに隠して、その在処も含めて交渉材料にする。

そうしないで現物を持ってきたのは、いったい何が目的なのか。

「そんな汚い球がなんだ? まさか、それで呪則を発動できるとでも? だったら、試しにやってみろよ。邪魔な看守を減らしてみろ」

「な!? や、やめろ! そんなことされたら……」

「言ったろ、ハッタリだ。それとも、帝都の使いの言葉が信じられないのか?」

狼狽える看守に重ねて伝えてやると、看守が青い顔で押し黙った。

その反応が、少しだけトッドには引っかかる。呪具だと黒い球を見せられ、その真偽を疑って不安になる気持ちはわかるが、反応がおかしい。

まるで看守たちには、あの子どもたちの――否、子どもの言葉を、ただのハッタリだと切り捨てられない理由が、根拠があるかのような反応で。

「なんだ? あの子どもに問題が――」

「――神妙に、聞き入りなさい、無礼者」

「――――」

引っかかりの答えを求め、トッドが看守を問い詰めようとする。が、それよりも早く高い声が通路に響いて、こちらの注目を鹿人の少女が集めた。

彼女はキモノの袂をくるくると腕に巻くと、そっと傍らの少年を手で指し示し、

「あなたも島外からきたのであれば、すでに耳に入っておいででしょう。現在、この帝国全土を揺るがしている大乱、そこに流れる噂の数々を」

「――――」

凛と、勇壮さすら感じる少女の訴えに、トッドは片目をつむった。

島の中で情報を手に入れる手段をどう確保したかはともかく、少女の言う通り、あれやこれやと好き放題に世間は噂する。

反乱軍に関しても、すでに『九神将』の一人が与したなど様々な話があった。

中には、大いに馬鹿馬鹿しいものもあったが――。

「おい、まさか」

「――こちらにおわす御方こそ、帝国を揺るがす事態の中核。誤った帝国の在り方を正すために立ち上がられた、正統なる資格を有するやんごとなき御方」

一拍、そこで間を置いた少女が、こちらを見た。

その丸い瞳の奥に、トッドの心中に生じた懸念を膨れさせる思惑が垣間見えて――、

「――ヴィンセント・ヴォラキア皇帝閣下の御子息、ナツキ・シュバルツ様です」

呪具を手にした、皇帝閣下の落とし胤。

そんな馬鹿馬鹿しい話を、これ以上ないほど堂々と語って聞かせた鹿人の少女。まるで元々、こうした場面に居合わせる経験が豊富なような立ち振る舞いは、馬鹿馬鹿しい話を真実ではと疑わせる、そんな説得力を伴っていた。

確かに、馬鹿げた噂にはそんな話があった。

反乱軍の旗頭が、黒髪黒目の皇帝閣下の落とし胤だと、そういった風聞だ。もちろん、良識ある帝国兵は一笑に伏す話で、真面目に取り合うのも馬鹿らしいが。

もしいたなら、面倒なことになるとトッドも考えた。

だが、それがこの島に、たまたまいるなんて事態は、考えるだけ馬鹿らしい話だ。

しかし――、

「――っ」

息を呑み、顔色を変えた看守たちの反応をトッドは見過ごさなかった。

おそらく彼らは事前に、今トッドが聞かされた情報に近い話を知っていた。耳にするか何かして、疑惑の芽を胸の中で育てていたのだ。

だから、あの少年――ナツキ・シュバルツと呼ばれた子どもが呪具を持っていると宣言したとき、ハッタリだと笑い飛ばせなかった。

帝都からの使者であり、アラキアの部下であるトッドという立場よりも、あるいは信憑性の高いかもしれない幻想に憑りつかれていたのだ。

故に――、

「さあ、看守の皆様、速やかに――」

少女が、立て続けに何かを口走ろうとした。

その少女の要求が伝えられるよりも早く、トッドは自分の腰に手を回し、掴んだ柄を渾身の力で真横に薙ぎ払った。

「――ッ」

弧を描く斧の刃が、トッドの隣に立った二人の看守へ襲いかかる。右の看守の首が刎ね飛ばされ、左の看守は頭をかち割り、壁に叩き付けた。

どちらも即死、動揺したままの勢いで、あちらに与するのは防いだ。

そして――、

「――やれ!!」

刎ね飛ばした看守の首に飛びついて、トッドはその頭を思いっ切り正面へ蹴飛ばす。血を撒きながら飛んでいく頭が、目を見開いた少年たちの方へ飛ぶ。

その行いに何の意味があるのか、理解の及んでいない彼らへ目掛け――、

「――――ッッ!!」

次の瞬間、通路に真横から突っ込んだ黒い大鷲の巨体が、飛んでいった看守の頭ごと、その周囲にいた少年たちを破壊に呑み込んでいった。