軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七章56B 『飛竜災害』

――噴煙の中に立つ少女の姿を見た瞬間、フロップの頭の中で警鐘が鳴った。

グァラル中に響き渡る本物の警鐘ではなく、自身の生き物としての生存本能が打ち鳴らした警鐘だ。それがやかましく、頭が痛むほどに鳴り響く。

はっきり言って、フロップはミディアムと違って戦える人間ではない。

ちょっと体を鍛えようとしても挫折したし、兄の傷を撫でて実は痛い思いをさせていたと悟った妹の、妹なりに考えて選んだ役割を奪おうとも思わなかった。

なので、戦士の勘や武人としての眼力なんてものは全く持ち合わせていない。

それでも――、

「あの子はマズい」

と、落下の衝撃で開いた穴から足を抜く少女に、苦い唾を呑み込んだ。

「――――」

金色の瞳の瞳孔を細め、フロップたちを睥睨する背丈の低い少女。

シュルトやウタカタより二つか三つ上ぐらいの年齢に見える彼女だが、纏っている雰囲気がミディアムやミゼルダ――否、もっと危険なそれと遜色がない。

それこそ、ミゼルダの足を奪った『九神将』の脅威に近いと感じられるほどに。

「……赤毛さん、何とか隙を作れるだろうか。どうにか、執事くんとウタカタ嬢の二人だけでも逃がしたい」

フロップが小声で提案した相手は、唯一、この場で戦力となり得るハインケルだ。

飛竜を斬り殺し、その剣力を示した彼であれば、フロップが肉の盾になるよりよっぽどウタカタたちを守る手助けになれるだろう。

理想を言えば、ハインケルがあの少女を倒せるぐらい強いと最高なのだが。

「――っ」

「赤毛さん?」

少女への警戒を残したまま、フロップは返事のないハインケルを訝しむ。

目の前の脅威から視線を外すのは躊躇われたが、ハインケルとの連携は最優先すべき問題だ。意を決し、フロップはちらとハインケルの様子を窺った。

――ハインケルは目を見張り、その青ざめた顔におびただしい脂汗を浮かべていた。

「は、ハインケル様? 大丈夫でありますか?」

「ぅ、あ……」

ハインケルの異変にフロップが気付くのと、シュルトが気付いたのはほぼ同時だ。

はっきりと声に出してハインケルを案じるシュルト、その幼子の言葉に赤毛の剣士は頬を強張らせ、声にならない声を喉から漏らした。

少女の素性を知っている、という反応なのかは横からではわからない。ただ、その是非に拘らず、明々白々な事実が一つある。

それは――、

「なんだ、お前。怯えているのか」

目を細めた少女の視線、それが立ち尽くすハインケルの足下を見ていた。その、立っていることさえ不安を覚えるほど、両膝を震わせている彼の足を。

そこにあるのは、誰の目にも明らかなぐらいの怯えと恐怖、すなわち絶望だ。

「やあやあ! 初めて見かけるお嬢さん、少しだけ話を聞いてもらえるだろうか!」

そのハインケルの絶望を一目見て、フロップは即座にそう声を張り上げた。

途端、ハインケルとシュルトの肩が跳ね、正面の少女の胡乱げな目がこちらへ向く。視線で殺されるわけではないが、それができても不思議のない圧迫感。

しかし、フロップは心を奮い立たせて頬を緩め、両手を広げて笑みを作った。

「僕はフロップ・オコーネル、しがない行商人の身の上でね。なかなか大変な事態に呑まれて困惑しているんだ。君は、僕より事情に詳しそうだね?」

「――。巻き添えか? なら、運がないぞ」

「ほう、運がないというのは言われ慣れない言葉だね。足りないものはたくさんあるが、運だけはあるというのが僕の自負なんだ。そんな僕がどうして不運だと?」

「この都市の人間は全員殺していい。そう、老いぼれに言われてる」

「都市の、全員を」

小さな顎をしゃくり、周囲を示しながら答える少女にフロップは苦笑する。もっとも、内心は苦笑どころではなく、大いに慌てふためいていた。

都市の住民を全滅させるのが目的となると、交渉の余地はどこにあるのか。

彼女に何かを命令した『老いぼれ』と、話ができればいいのだが。

「僕の聞いた限りだと、その老いぼれさんは都市の全滅は間違いだったと言っていたみたいだよ。改めて、一緒にきている友人や仲間に聞いてみたらどうだろう」

「友人も仲間もいない。竜にいるのは同胞と、敵だけだ。――お前、竜をからかっているな。恐れを知らないと見える」

「からかうなんてとんでもない! 仲良くなりたいと思っているとも。手始めに、君の名前を聞きたいと思っているぐらいだ。そうだろう?」

「そ、そうであります! お名前、知りたいであります! 僕はシュルトであります!」

機嫌が悪くなりかける少女に、手を叩いたフロップが味方に同意を求める。すると、シュルトがそれに乗っかり、手を挙げながら自分の名前を名乗った。

これでフロップとシュルト、二人の自己紹介を受けたことになる少女は、その可憐な顔の眉間に皺を寄せ、

「――マデリン・エッシャルト。竜は、『九神将』だ」

「きゅ……っ」

淡々と、名乗り返した少女――マデリンの肩書きにハインケルが絶句した。

ただ相対しただけでも震えていた膝は、彼女の実力を裏付ける肩書きを聞いてさらに悪化の一途を辿る。尻餅をつかなかったのが奇跡に思えるぐらい。

フロップの方も、そんなハインケルを笑えない。『九神将』くらい危険な相手と考えた相手が、そのまま『九神将』だったのだから。

しかも――、

「――ウタカタ嬢」

静かに、フロップが状況の変化を見て、その変化を起こした相手の名前を呼ぶ。

フロップに呼ばれた少女、ウタカタは正面のマデリンを見据え、動いていた。彼女は背負った弓を下ろし、矢をつがえてマデリンに狙いを定めている。

彼我の距離は七、八メートル、彼女の腕でも外さない距離である。

とはいえ、ならば有利に立てているかというと、全くそんなことはない。

「あの敵、飛んでる竜の群れのてっぺン。前のミーと同じデ、今のターと同ジ。あの敵倒せバ、戦うの終わル」

「そ、そうなんでありますか!?」

「おそらく、ウタカタ嬢の考えは正しい。彼女の他にも『九神将』がきていなければの話ではあるけれど」

ちらとフロップが視線を向けると、その話にマデリンは口を挟まない。

ここまでの態度だと、こちらの言葉にはそれなりに反応を見せる子だ。明らかに間違ったことを言えば、何かしらの反応を見せる方が自然のはず。

つまり、この城郭都市への攻撃はマデリンが主導している。彼女を倒せば、飛竜を引かせることができるというウタカタの見立ては正しいだろう。

問題は、それが可能とはとても思えないことだけ。

「お前は戦士、お前も戦士、お前も……逃げない。戦士だ」

「え……僕のこと、でありますか?」

「そう。お前も戦士だ」

唐突に指差され、そう評価されたことにシュルトが目を丸くする。

シュルトを驚かせたマデリンは、その小さな手でウタカタとフロップ、そしてシュルトの三人を指差し、『戦士』とそう評した。

そのまま、マデリンの指が最後の一人、ハインケルへと向けられ――、

「お前は戦士じゃない。竜を殺したくせに、臆病だ」

「ぐ……っ」

「剣を抜け。竜が叩いてやる。流した血の重さの分だけ」

言いながら、ゆっくりとマデリンがこちらへ一歩、足を進めた。

そうしてずんずんと、ウタカタの矢に狙われていることも意に介さず、マデリンの足が距離を詰め、飛竜を殺したハインケルへと向かう。

「――当たレ!」

意気込みと同時、ウタカタの矢が放たれ、それがマデリンの胸を狙った。が、真っ直ぐ飛んだそれは、マデリンの持ち上げた手の指二本で挟み取られる。

マデリンはウタカタの方を見もしなかった。視線は、ハインケル一直線だ。

「赤毛さん!」

「ハインケル様!」

危険を悟ったフロップが叫び、シュルトがハインケルの腕を引こうとした。が、シュルトの非力ではハインケルはびくともしない。

むしろ、ハインケルは近付いてくるマデリンに喉を鳴らし、自分を引っ張るシュルトの腕を振りほどいて遠ざけた。

シュルトが尻餅をつき、ハインケルが奥歯を噛む。

「お、おおおぁ……ッ!」

ハインケルの、剣を握っている手に強い強い力がこもる。歯を食い縛る頬が赤くなり、己を鼓舞する血流が足を震わせる怯懦を正面からひねり潰そうとした。

なおも、マデリンは足を止めず、ハインケルへの距離を詰めていく。

飛竜と比べれば、大きさでは比較にならないほど小さな少女。

その近付いてくる少女に対し、ハインケルは己の剣力に懸けた一撃を――。

「――ぉ」

高い音を立てて、震えるハインケルの手から、その剣が転がり落ちた。

渾身の剣技が放たれる瞬間、彼の腕は上がらず、剣を取り落としていた。

そして――、

「やはり、お前は戦士じゃない」

軽蔑し切ったマデリンの言葉が、ハインケルの横っ面に拳と共に叩き込まれる。

一撃はハインケルのたくましい長身を打ち据え、凄まじい勢いで赤毛の剣士は横合いへ吹き飛ばされる。全身で石造りの建物に激突し、石壁が彼の人型にひび割れた。

豪風を纏った殴打、それが一発でハインケルに白目を剥かせる。

都市へ繰り返される飛竜の投石、それがもたらす衝撃と轟音に劣らぬ一撃を拳で放り込み、しかし、マデリンの怒りは収まらなかった。

「か」

前のめりに倒れるハインケルの鼻面を、マデリンの反対の拳がぶち抜く。後頭部から壁に叩き付けられ、反動で跳ね返るその胴を少女の蹴りが穿った。

衝撃が貫通し、ハインケルの背後で破壊に晒される家屋が音を立てて倒壊する。そのまま噴煙に呑まれるハインケルの足を掴み、マデリンは力ずくで反対へ投げた。

通りの地面に背中から落ちて、ハインケルの体がゴロゴロと勢いよく転がる。今しがた倒壊した家屋と通りを挟んだ反対の建物、それが今度は彼を硬く受け止めた。

衝撃に窓が粉々に砕け、飛び散るそれが雨のようにハインケルへ降り注ぐ。全身に細かな切り傷を生みながら、倒れたハインケルはピクリとも動かない。

「――――」

フロップなら、死ぬような攻撃だった。

フロップ以外にも、大抵の人間は死んでしまう攻撃だ。ミディアムだって耐え切れるかわからない攻撃を連打され、ハインケルの生死は不明となる。

だが、戦いを生業とするマデリンが、そんな半端な決着を許すことはない。

「すくたれ者め」

侮蔑を隠さない声で呟いて、マデリンの手が自身の背中に伸びる。そこに背負われた鞄のボタンが外され、直後、収まっていた物品が音を立てて開いた。

それは折り畳まれた鋭い刃であり、鋏を大きく開いたような形状をした長大な武器だ。広く、雄大な草原を行く遊牧民族の狩猟で、似たものを見た記憶がフロップにはある。

『飛翼刃』と呼ばれるそれは、上手いものが投げれば何十メートルもの距離を旋回し、回転しながら手元に戻ってくる投擲具だ。

ただし、マデリンの背負ったそれは小柄な彼女の身長ほども大きく、投げる以外の用途に用いるための取っ手も付いた、先鋭的な武器だった。

彼女はそれを、地べたに転がったハインケルへと容赦なく向ける。素手の殴打であの状態だ。武器を持って殴られれば、きっと原型も残らない。

「やめないか、マデリン嬢。君の怒りはわかる。仲間を殺され、さぞや怒りに燃えているだろう。でも、襲われたなら反撃もやむなしと、襲われた側は言わざるを得ない」

ぎゅっと唇を噛んで気を引き締め、フロップはマデリンの背中にそう言った。飛翼刃を手にした彼女は背を向けたまま、「勘違いするな」とフロップに応え、

「竜は、この世で最も偉大な生き物だ。その竜にお前たちが噛みつくなら、お前たちが駆除されるのは当然だ。それも」

「それも?」

「こんなすくたれ者の仕業なんて、許せるものか」

マデリンの金色の瞳が怒りに揺れ、フロップは彼女の苛立ちの理由を悟る。

当然、味方の飛竜を殺されたことにも怒っているが、もっと大きいのはそれをしたハインケルが、剣を取り落として戦えなかった事実。

仲間を、取るに足らない相手に殺されたことに、彼女は腹を立てている。

それはハインケルのみならず、彼が殺した飛竜の命への侮辱なのだと――、

「うあ!」

「ウ!」

刹那、マデリンの行動を止めようと、フロップが動くより早くマデリンが地べたの小石をこちらへ蹴った。それは動きかけたフロップと、次の矢をつがえようとしたウタカタの足と腕をそれぞれ打って、行動を阻害する。

その間、マデリンが飛翼刃を振り上げ、眼下のハインケルを叩き潰そうとした。

だが――、

「だ、ダメであります――っ!」

小石に打たれた二人と違い、警戒の外側にいたシュルトが破れかぶれで突っ込む。幼い少年は両手を広げ、マデリンとハインケルの間に割って入った。

シュルトの小さな体がハインケルに覆いかぶさり、儚すぎる庇となって嵐に抗う。

しかし、その少年の無謀を見て、手を止めるほどマデリンは優しくなかった。

「どのみち誰も、生かしはしない」

マデリンの瞳が細められ、飛翼刃がシュルトの頭部へと打ち下ろされた。

△▼△▼△▼△

「――レム! 無事でいるカ!?」

大扉を開いて、屋敷に飛び込んだ細身の女性が声を上げる。

その聞き慣れた声に顔を上げ、ホールを奔走していたレムは「はい!」と返事をした。

「クーナさん! ホーリィさんも!」

「無事でよかったノー! もう、街の中はあちこち大騒ぎで大変なノー!」

目を見開いたレムの正面、軽いものと重いものと二つの足音を立てて駆け寄ってくるのは、都市に駐留する『シュドラクの民』の二人組、クーナとホーリィだ。

その二人の声を聞いて、レムはわずかな安堵に目尻を緩め、

「お二人も、無事でよかったです。怪我はされていませんか?」

「アタイらは何ともねーヨ、今のとこはナ。たダ……」

「……みんナ、ボロボロになっちゃってるノー」

声の調子を落とした二人が、レムの駆け回っていたホールの中を見渡してこぼす。

三人の周りには、始まった都市への混乱で被害を受け、負傷した住民が次々に運び込まれており、有志がそれらの手当てを手伝っている治療院の様相だ。

負った傷が浅ければ、縫合や包帯で対処もできる。しかし、命に関わるような大きな傷を負っていた場合には――、

「私が、答えなくてはいけませんから……」

ぎゅっと唇を噛み、レムが自分の手を握りしめる。

杖を握るのと反対の右手には、すでにレム自身のモノではない血がこびりついている。拭っても拭っても、拭い去れないほどに塗り固められる血が。

レムとプリシラが湯殿の露台から飛竜の群れを観測してすぐ、遠方から迫る黒点はあっという間に脅威となり、都市への攻撃を開始した。

一部の飛竜は大岩を空から投げ落とし、一部の飛竜は逃げ惑う人々を地上からさらい、やはり高所から放り落とすという残酷な狩りを行っている。

どちらの攻撃に対しても、戦う力を持たない市民は格好の餌食でしかない。

そうした被害に晒された人々が、避難所兼治療院として駆け込んできているのが、この屋敷の現時点の惨状の理由である。

こんな状態になれば、さぞかしプリシラは腹を立てると思ったが――、

『もとより、貴重な治癒術師の居所を明確に、堅牢に置くために屋敷を接収した。傷を負ったものを送るよう、ズィクルらにも命じてある』

『そ、そうだったんですか……!?』

『なんじゃ、貴様、まさか妾が本気で湯殿目当てに屋敷を奪ったと思っていたのか? 正しくは湯殿と、屋敷の広さが目当てである』

と、そんなやり取りがあったことを付け加えておく。

ともかく、プリシラは屋敷に負傷者を入れることを許容している。どうやら、ズィクルやミゼルダたち、都市の主要な関係者にも伝えてあったようだ。

「それでどうして、肝心の私に話してくれないのかわかりませんが……!」

碌な答えが返ってくる気がしないので、レムはそれは追及しなかった。

何より、プリシラの稚気や悪戯心に構っている暇はレムにはない。なにせ、次から次へとひっきりなしに、レムの手を必要とする怪我人が担ぎ込まれてくる。

「クーナさんとホーリィさんのお二人は……」

「族長……あ! もう違ったノー! 元族長ノ、ミゼルダに言われてきたノー!」

「死人が増えると士気が下がル。戦える奴が減るのも困るかラ、アタイらがレムのお守役ってこっタ。それよリ……」

そこで一度言葉を切り、クーナが切れ長な瞳を細める。その鋭い気配にレムがわずかに身を硬くすると、クーナは負傷者だらけの屋敷を顎でしゃくって、

「お前の世話してるお姫様ハ? まさカ、こんだけの騒ぎが起きてるってのニ、部屋でくつろいでるんじゃねーだろーナ」

「もしそうだったラ、すっごくお寝坊さんなノー。私だっテ、これだけうるさくしてたらお腹いっぱいで寝てても起きちゃうノー」

微妙に切迫さの異なる基準で問われ、レムは二人の疑問に首を横に振った。

確かに、プリシラは傲岸不遜、自分本位を地で行くような性格の持ち主で、二人がその気紛れを心配する気持ちはわかるが。

「あれで意外と、プリシラさんは頼りになる人です」

そう、レムが姿の見えないプリシラのことを評した直後だ。

「――ッッ!!」

建物の間を強風が抜けるような高い音が、屋敷の前庭へと真っ逆さまに落ちる。

凄まじい土煙を立てて芝生を削ったそれは、上空からの着地に失敗した翼を持つ竜の巨体だった。翼を広げればざっと四メートルばかりの飛竜は、まるで初めて空を飛んだばかりのようなみっともなさで着地をしくじる。

だが、無理もない。

普段なら経験則や本能で判断しただろう着地の基本も、その頭が叩き潰された状態では満足に力を発揮できなかっただろう。

そうして、墜落した飛竜の死体のすぐ横に、天空からの人影が着地した。赤いドレスの裾をはためかせ、その手に真紅の宝剣を下げた美女――プリシラだ。

「露払いに妾を使うとはな。この貸しは高くつくぞ、レム」

「ありがとうございました。心から感謝を込めて、髪を洗います」

「それで済まそうとは何たる豪胆よ。許す。気に入った」

開いた扉越しに鷹揚に応じて、プリシラがレムの答えを受け入れる。

先ほどからああして、プリシラはその常識外れの身体能力を駆使し、屋敷を狙って飛来する飛竜を斬り落とし、返り討ちにしている。

その一端を目の当たりにして、さすがのクーナたちも驚愕を隠し切れない。

二人の反応に、何故か少しだけ誇らしい気分を覚えるレム。しかし、飛竜を相対するプリシラに、全くの不安点がないわけではない。

その最大の要因が、彼女の手にしている美しい赤い宝剣――、

「プリシラさん、陽剣の調子は……」

「見ての通り、日輪は陰った。今しばらく、これは剣とは呼べぬナマクラよ。もっとも」

『陽剣』の何らかの不調を明かし、そこでプリシラが後ろへ振り向く。

刹那、羽ばたく飛竜がプリシラの背を狙い、猛然と牙を突き立てんと口を開いていた。その地竜の口腔に、プリシラは容赦なく切れ味をなくした陽剣を突き込む。

牙がへし折れ、陽剣の先端が飛竜の喉奥を貫通、勢いのままに竜は絶命する。

「妾にかかれば、斬れぬナマクラであろうと翼竜など物の数ではない」

剣を振り、殺した飛竜の巨体を庭の端へと放り捨てるプリシラ。あっさりと脅威を退けた彼女は、それからレムの傍らに立つクーナたちの存在に気付く。

「シュドラクか。レムを守りにきたので相違ないな」

「プリシラさん、お二人は怪我人を助けに……」

「綺麗事で本質を見誤るな。傷を負ったものが戦場で何の役に立つ。ここで最も価値あるものが誰か。妾でなければ貴様だ」

「――っ」

ぴしゃりと、反論を切り返されてレムは喉を詰まらせる。だが、そのプリシラの冷酷な見立てを肯定するように、クーナが「そーだナ」と頷いた。

「レムを守るのがアタイらの役目ダ。デ、レムの役目ガ……」

「死んじゃう人ヲ、できるだけ少なくしちゃうことなノー!」

静かなクーナの言葉を、朗らかなホーリィの言葉が後押しする。

二人の言葉、それとプリシラの視線に焼かれ、レムは自分を深く戒めた。そこまで重要な立場ではないと、自分を哀れんでいられたのは昨日までのこと。

もう、自分の立場に甘えられない。何より、レム自身がそれを望んだのだ。

「私は、私の戦いをします。クーナさん、ホーリィさん、よろしくお願いします!」

「おウ」

「お任されなノー!」

決意を込めたレムの答えに、クーナたちが頼もしい笑みで頷く。

そんな二人に気持ちを救われながら、レムはプリシラの方を見た。レムを守れる護衛が駆け付けるまで、屋敷を防衛していたプリシラだが――、

「いかれるんですね」

「どうやら、妾なしでは立ち行かぬ局面が多いと見える。ズィクルであれば、足らぬ戦力の吐き出し方は弁えていようが、敵の主力と抗するには不足だ」

「敵の主力というのは……」

「――無論、『九神将』であろう」

片目をつむったプリシラの答えに、レムはごくりと喉を鳴らした。

『九神将』の存在は、この帝国の戦況を左右する重大な要素。一人でも多くのそれを確保するため、スバルやアベルたちはカオスフレームへ旅立った。

にも拘らず、この都市を『九神将』の一人が襲うというのは。

「当然、これも相手方に与した一人であろうな。ますます、アベルの置かれた状況は劣勢と見える。よくもまあ、緩い地盤を築いたものじゃ」

「その点に関して、アベルさんの仕事ぶりをよく知らないので何も言えません。あんな調子で過ごしていたなら、周りは大変だったと思いますが……」

色々とスバルに思うところのあるレムだが、アベルの態度だって褒められたものとは思っていない。賢さと先見の明、あとは事情に通じていることを理由に横暴な振る舞いの目立つアベルは、拠って立つ記憶のないレムの苦手な相手だ。

国の頂点にいたのなら、きっと大勢の人間が彼の周囲にはいたのだろう。その全員がアベルの考えを理解し、すんなり従えていたとはとても思えない。

だから、謀反も起こされた。しかし――、

「それを理由に、こんなひどいことがまかり通るなんて……!」

あってはならないと、脆い基礎の上に自分を積み立てるレムの視線が訴えている。

そのレムの絞り出した一声に、プリシラは何を思ったのか「ふ」と笑った。その反応にレムが目を見張ると、プリシラはその笑みがなかったように背を向け、

「この飛竜の群れ、『飛竜繰り』では説明がつかん。おおよそ、妾のおらぬうちに生えた一将で違いあるまい。セリーナめの話なら、『飛竜将』なる輩であろうよ」

「確か、『玖』の……その人も、この街のどこかに……」

「――都市庁舎」

「――――」

「敵が愚かでなければそこを狙う。なにせ、空を突っ切れば一直線に向かえる場所じゃ。わざわざ指揮所を見逃す理由がない」

当然のこととばかりに言われ、レムは一瞬、意識に空白が紛れ込んだ。

だが、その空白に情報が流れ込むと、すぐに事態の切迫さに胸を突かれる。その上でレムが慌てふためくのは、そのプリシラの悠然とした態度だ。

「し、指揮所が襲われるって、大変じゃないですか! プリシラさん!」

「たわけ。ああもふくよかではあるが、ズィクルもあれで帝国の『将』じゃ。むざむざ無為に死にもせぬ。戦えぬものばかり傍に置くほど愚かでもない」

「それは……ぁ。た、戦えないと言えば、シュルトさんが!」

プリシラと湯浴みを始める前、屋敷を離れた少年の存在がレムを焦らせる。

一生懸命だが不器用なシュルトは、レムの助けを必要とするものたち以上に力を持たないか弱い存在だ。

そのシュルトが、この混迷極まる都市に放り出されてしまっている。

誰か、頼れる大人と合流していればいいが、そうでなかったなら。

「プリシラさん! 早く、早くいってください!」

「せめて、妾の無事を健気に祈るのが務めであろうに。そも、そう焦らずとも、シュルトはそう簡単には死なぬ」

「え……?」

慌てて手を振ったレムに鼻を鳴らし、プリシラが何気ない素振りでそう答える。

そのプリシラの言葉の意味がわからず、レムは眉を寄せた。当然、クーナやホーリィも心当たりのない顔で、同じ幼子の姿を浮かべて困惑している。

あの、可愛らしさと懸命さが武器のシュルトの、何を以て無事とのたまうのか。

そんなレムたちの疑問の視線を浴びて、プリシラは屋敷の扉に手をかけ、飛竜の襲来からこちらを遠ざけようとしながら、

「――あれはその愛くるしさと健気さで妾の寵愛を勝ち取ったが故に、な」

と、そう答えて屋敷の扉が閉められた。

△▼△▼△▼△

激しく鈍い音が鳴り響いて、フロップは自分の無力に魂を砕かれる感覚を味わった。

小石の痛みに足が止まり、手を伸ばすことさえ叶わなかった悲劇。

いっそ目をつぶり、顔を背けて遠ざけたい結末を、しかしフロップはそうしない。そうすることは、何もできない無力からの責任逃れだと思った。

せめて、自分が何をして、何ができなかったのか、その結果は見届けなくては。

そんなささやかな覚悟があったから、フロップは目を背けなかった。

そして――、

「……なんだ、お前?」

手にした飛翼刃を振り下ろし、その鋭い刃で獲物を両断しようとしたマデリン。

間違いなく、彼女は軽蔑するハインケルと、それを庇おうとしたシュルトをまとめて真っ二つにしようとした。途中で手を止めたなんてこともない。

それなのに――、

「うう、ううう……!」

ぎゅっと、倒れるハインケルに覆いかぶさるシュルトが、歯を噛みしめて唸っている。

その体は引き裂かれても、押し潰されてもいない。だが、マデリンの一撃は確かにシュルトの後頭部を捉え、打ち砕くはずだったのだ。

事実、直撃するのをフロップも見て、当たった鈍い音も耳で聞いた。

ただし、あくまで響いたのは鈍い音だったのだ。

「――?」

不思議そうに自分の武器とシュルトの後頭部を見比べ、マデリンが首を傾げる。そして傾げたまま、マデリンは飛翼刃を再びシュルトに打ち下ろした。

一度、二度、三度四度と、何度も立て続けに――、

「や、やめないか! 痛がってるじゃないか!」

「それがおかしい! 竜は殺すつもりでやった。なんで死なない?」

「それは……もしかしたら、君の人を殺したくないという気持ちが、武器が当たる直前で手の力を緩めているのかも……ぐあっ」

「竜をからかうな!」

わけがわからないと、そう訴えるマデリンの怒りがフロップに向いた。

彼女は先ほどの、フロップの動きを止めたものよりも大きな石を蹴り飛ばし、それをフロップの胸に当てて後ろへ弾き飛ばす。

胸骨の軋む感覚があって、フロップはまともに呼吸ができなくなった。

しかし――、

「い、痛い、痛いであります……っ」

事実として、鋭い刃で何度も殴られるシュルトは、痛みに呻きながらも命を落としていない。その異様な出来事は、ついにマデリンの癇癪に火を付けた。

マデリンが歯を鳴らし、その手がシュルトの桃色の髪を掴んで体を引き起こす。

そして、

「お前、いったい何を隠して……っ」

「~~っ」

力ずくで引き起こされ、シュルトの喉が悲痛な声を上げる。だが、怒りに燃えた目をシュルトに向けたマデリンの反応は、それを上回るものだった。

マデリンが金色の瞳を見開いて、わなわなと唇を震わせる。彼女がそんな反応をした理由を、痛みで涙目になるフロップも目の当たりにした。

引き起こされたシュルト、その姿に劇的な変化が生じていた。

その変化とは――、

「――シュー、目が燃えてル」

同じものを見たウタカタが、端的に述べた表現が正解だ。

一見、意味のわからないウタカタの指摘だが、他の表現が思い浮かばない。フロップの目から見ても、言葉通りの状態だった。

あろうことか、シュルトの赤い瞳が両目とも、揺らめく炎を灯していたのだ。

「え、え、え……」

ただし、そう指摘されたシュルト自身は自覚がないらしく、周囲の反応が理解できない顔で目をぱちくりさせる。そのままシュルトは視線を巡らせ、皆が注目する自分の顔を確かめようと、突き付けられた飛翼刃の刃を覗き見た。

湾曲した刃に映るシュルトの顔は歪んでいただろうが、問題となっている双眸を燃やす炎ははっきりと見えたらしい。

「な、なんでありますか、これ!? あ、熱い! あ! 熱くないであります!」

自分の顔に手をやって、その炎の実感のなさをシュルトが訴える。

どうやらいきなり顔を焼かれたわけではないらしいが、その原因はあまりに不明。しかし、意味がわからないと困惑するのはフロップたちだけだ。

シュルトの顔を覗き込み、驚愕に頬を硬くしていたマデリンは、その幼子の双眸を燃やしている炎に心当たりがあった。

故に、その心当たりを叫ぶ。

「お前、まさかあの狐人の身内だっちゃ!?」

「きつね……」

「びと?」

「――?」

動揺したマデリン、彼女の叫びに心当たりのない三人は目を瞬かせる。

直前の、マデリンの口調が突然に崩れたことを気にする余裕もなく、彼女は激しい驚きと混乱に身を打たれ、シュルトを見つめていた。

その、シュルトを掴んだ手が離され、「わっ」と前のめりに少年が倒れる。またしてもハインケルに覆いかぶさる少年の前、マデリンが強く地面を蹴った。

「――――」

一息に、マデリンの姿が通りの上空へと跳び上がる。

その突然さと勢いに、フロップには彼女の姿が消えたようにすら見えた。だが、踏まれた地面が激しく陥没し、加速を得るために足場にされた建物が倒壊する。

そのまま空へ上がったマデリンが、その両腕で思い切りに飛翼刃を振りかぶった。

「また、竜の邪魔をするっちゃ……! 消えるっちゃ、邪魔者――!!」

拒絶の声が高々と響いて、振り下ろされる飛翼刃が猛然と地上へ迫る。

飛竜の投石、仕組みはそれと同じでも込められた力が桁違いに大きい。何より、狙いを定めず投げ込まれる大岩と違い、刃はシュルトの体の両断を狙っている。

如何なる原理でか、頑強になったシュルトの体。

しかし、何度も殴られたとき、シュルトは痛いと言っていた。その衝撃が全く通じない無敵の体になったわけではないのだ。

ましてや、たとえ体が頑丈だろうと、子どもが「痛い」と泣いたなら――、

「ゆかなくては、ミディアムに怒られてしまう!」

軋む胸の痛みを堪え、フロップはとっさにシュルトの方に駆け寄っていた。

自分の体があの攻撃に対して、どのぐらいの盾になるかわからない。が、ほんの少しでも勢いが弱まり、シュルトが助かれば御の字だ。

そこまで考える余裕もなく、フロップが飛翼刃の脅威に身を晒し、

「――大儀である」

何故か、大きいわけでもないその声がはっきり聞こえて、衝撃と衝撃が打ち合う激しい光がフロップの目を焼いた。

「――――」

それは、真上から高速で回転しながら落ちてくる飛翼刃に対し、その真横から衝突した真っ赤な宝剣が生み出した輝きだ。

紅の光が無音で炸裂し、フロップは全身に風を浴びたような錯覚をする。

それが済んだとき、続いて聞こえたのは肉が肉を打つ鈍い音だ。

「――ッ」

見上げれば、苦鳴と共に斜めに滑空し、地上の建物へと突っ込む人影。豪快に石造りの建物を体で倒壊させたそれがマデリンだと、フロップはかなり遅れて気付いた。

そしてそれをしたのが、息を呑んだフロップたちの前に着地する真っ赤な美女――、

「お姫くん!」

「プリシラ様!!」

「プー」

「わかっておるではないか。かようなとき、叫ぶべきは妾への称賛であると」

言いながら、悠然とドレスの裾を払ったのはプリシラだ。

都市を飛竜に襲われ、『九神将』まで出撃している状況下にありながら、その変わらぬ態度と在り方は、他の何にも代え難いほどに頼もしい。

事実、彼女はあのマデリンを一撃し、フロップたちを命の危機から救い出した。

「しかし、よもやこのような場所で足止めを食っているとは思わなんだ。当然、最初に庁舎を目指すものと思ったが」

「ああ、そうするか迷っていたところでね。お姫くんや奥さんのいるお屋敷か、毬頭くんのいる庁舎にいくべきか……」

「そうではない。あの、都市を襲った一将の狙いじゃ」

顎をしゃくり、フロップの言葉を遮ったプリシラがマデリンの墜落地点を示す。

それを受け、フロップは一瞬思考を迷わせたが、そこはこの瞬間に重要ではないとあっさり手放し、「お姫くん」とプリシラを呼んだ。

「助けてくれてありがとう。僕は執事くんやウタカタ嬢を連れて避難するが、どこへ向かうのがいいか教えてほしい。赤毛さんも連れていかなきゃならないんだ」

「ほう、相応に取捨選択できるか。ならば、屋敷を目指すがいい。攻撃を集中される庁舎より、そちらの方が安全であろうよ。それと」

ちらと、プリシラの視線がフロップを外れ、その背後の地面に倒れるハインケルを見る。紅の瞳が細められ、プリシラは小さく吐息をこぼし、

「それは捨て置いても構わぬぞ。役に立たぬならばそれまでの話じゃ」

「生憎、そうもいかないよ。赤毛さんは目が覚めたら戦力になるし、何より、君の大事な執事くんが痛い思いをしてまで守ったんだ」

「――――」

フロップがそう伝えると、プリシラの視線がついとシュルトに向いた。

ギリギリの土壇場で主人の登場に救われ、感極まるシュルトの目には涙がいっぱいに溜まっている。なおもその両目は燃え続けているのだから、濡れて燃えての大騒ぎだ。

しかし、シュルトは自分の身に起こった不可思議な事態の不安は言わず、代わりに倒れているハインケルの足をぎゅっと掴んで、

「は、ハインケル様は僕が連れていくであります……! プリシラ様は」

「やらねばならぬことがある。貴様もわかっていよう」

「はいで、あります。プリシラ様にしかできない、すごいことであります……!」

健気なシュルトの信頼は、プリシラにはどのように響いているのだろうか。

表情を変えないプリシラは、ただ静かに頷いてシュルトの言葉を受け止めた。そのまま彼女は路地の方に視線をやり、

「大通りを避け、高い建物の脇道を抜けよ。シュルト、道は覚えておるな」

「はいであります! ちゃんと、毎日お散歩してたであります!」

「褒めて遣わす」

短い言葉でシュルトの努力をねぎらい、プリシラがこちらに背を向けた。

これ以上、話している時間はないという明白な態度だ。フロップの本能も、長居するのは得策ではないと訴えている。

プリシラの傍にいれば、飛竜の脅威からは守られるだろうが。

「執事くん、案内してほしい。赤毛さんは何とか僕が担いでいこう。それと、ウタカタ嬢は道の警戒を。狩りで慣れているだろう、頼りにしたい!」

「わ、わかったであります! 頑張って案内するであります!」

「……ウーモ、わかっタ」

一瞬、逃げることに躊躇いを見せたウタカタも、役割を与えられて頷く。

これで役割分担は完了した。あとは――、

「お姫くん! 重ねてありがとう!」

「礼などいらぬ。ただ、妾を称える言葉のみでよい」

背を向けたまま、プリシラはフロップの礼にそう答えた。そのきっぱりした態度にフロップは苦笑し、倒れているハインケルの体を担ぎ起こす。

鍛えられた長身、彼の体はとても重いが、いざというときにミディアムを担いで逃げる練習をしていたのが功を奏した。両肩に荷物のように担いで、どうにか動ける。

「これも、忘れちゃダメであります」

と、シュルトがハインケルの落とした剣を拾い、細い手で強く握りしめる。

そうして顔を合わせて頷き合い、フロップたちは路地へ駆け込んで屋敷へ向かう。

そうして完全に遠ざかる前に――、

「プリシラ様! きっとこの火も……ありがとうございますであります!」

燃える両目を目一杯に見開いて、シュルトのお礼の声がプリシラへと投げられた。

△▼△▼△▼△

――そうして、シュルトたちが騒がしく慌ただしく去ったあと。

「シュルトと、あれはフロップといったか。使えるものと窮地に居合わせたのであれば、あれも相当に悪運の強い輩よな」

誰もいなくなった通りで、プリシラは静かにそう呟く。

それは双眸に火を灯したシュルトでも、非力を機転で補ったフロップでも、身の丈に合わない度量を持ったウタカタでもなく、最後の一人を評した言葉だ。

間違いなく死ぬような状況で生き残った。悪運以外の何物でもない。

もっとも――、

「死ぬべきときに死ねぬものが、運に恵まれたなどと言えるものかは怪しいものよ」

憐れみではなく、しかし憐れみに近いものが言の葉に込められる。

それが血の香りを孕んだ戦場の風に溶け、誰にも聞かれぬままに消える。

その瞬間――、

「――――」

音を立てて、プリシラの橙色の髪を飾る宝飾が砕け散った。

宝石をあしらった髪飾りは、脆い部分が壊れたなんてものではなく、その髪飾りの全体が一挙にひび割れ、粉々に砕け散る。

途端、プリシラのまとめた長い髪が広がり、波打つそれが背中を流れた。

そして――、

「――お前も死なないっちゃか」

ゆっくりと、瓦礫を蹴散らす音を立てながら、通りに影が現れる。

その全身を土埃に汚し、しかし、体自体はピンピンしている存在――その頭部に二本の黒い角を生やした姿に、プリシラは目を細めて、

「竜人とはな。そのような古物、いったいどこより引っ張り出した?」

「竜を侮るっちゃか? お前、ただで済むとは思わんことっちゃ」

プリシラの言葉に歯を見せて、瞳の瞳孔を竜のように少女――マデリンが細める。

その矮躯から放たれる鬼気を風のように感じながら、プリシラは自分の解けた髪をそっと手で撫で付け、

「妾が死なぬのが、そうも気に入らぬか?」

「その、膨らんだ乳を潰してやったはずっちゃ。心の臓が潰れても死なない奴なんて、何人もいたらたまったもんじゃないっちゃよ」

「――心の臓が潰れても、か」

マデリンの言いように吐息し、プリシラは指摘された自分の胸を見下ろす。

腰を絞るドレスの仕様上、プリシラの豊満な胸が通常より強調されるが、確かにマデリンの一撃はこの自慢の胸に届いた。

シュルトたちには見えなかっただろうが、空での交錯は痛み分けといったところだ。

プリシラの一撃がマデリンを弾き飛ばしたのと同様に、マデリンの反撃もまたプリシラの胸を強烈に打ち据えていた。

現時点で、プリシラが何事もないように見えているならそれは――、

「どうやら器物すら、妾がこの世から失われるのを惜しむらしい」

「――『魂婚術』っちゃな」

思いがけず、マデリンの口から飛び出した単語にプリシラが眉を動かす。

マデリンはプリシラを睨みつけたまま、通りの建物を――否、その先、ずっと先、はるかはるか彼方の、南東の方を指差しながら、

「あの狐人とおんなじっちゃ。知り合いっちゃか?」

「知らぬ。もしも妾のこれと通ずるものに心当たりがあるなら、そちらが妾の『ぱくり』であろう。妾こそが『おりじなる』である」

「――?」

「わからぬか?」

聞き覚えのない単語を投げられ、マデリンの顔に混乱が生まれる。故に、プリシラはその混乱を解いてやろうと、物事を簡単にしてやることにした。

すなわち――、

「苦手意識のある相手と同様に、貴様では妾に勝てぬということじゃ」

「――ッ、竜をコケにするっちゃか!?」

「たわけ。誰であろうと選ぶものか。――妾が上、それ以外が下である」

笑みを共にそう答えた瞬間、マデリンの怒りが臨界点を超える。

顔を赤くし、黄金の瞳を輝かせた竜人が咆哮し、その脅威が眼前へと迫ってくる。

それを正面にしながら、プリシラはちらと空を見た。

空を――否、その空を鞘とする、真紅の宝剣の柄を探して、

「日照が終わったか。少々、手こずることになろうな」

△▼△▼△▼△

――衝撃と破壊が、城郭都市の一角で始まり、一角で終わらない。

「――――」

最初、都市の南側で始まった激闘は、密集する建物の連鎖的な倒壊を招き、噴煙を巻き上げながら飛竜による災害の凄まじさを物語って思えた。

しかし、城郭都市の南方を壊滅状態へ陥らせたそれは、飛竜の災害ではない。

無論、大岩を上空より投げ落とし、地上を蹂躙する飛竜の狩猟は災厄そのものだ。

降り注ぐ岩を恐れて逃げ惑う人々が現れれば、滑空する飛竜の爪が牙が、それらを無惨に引き裂き、噛み砕き、路上に屍が量産される。

抵抗する人々もいる。飛竜に弓をかけ、地上へ落とす逆襲を果たすものも。

しかし、大半の人々は飛竜の一方的な攻撃に晒され、救いを求めるばかりだった。

それほどに、飛竜のもたらす被害は絶大で、途方もない。

だが、それらの飛竜さえも近寄ることを避けるほど、その激闘は破壊的だった。

「ぢ、ああああァァァァ――ッ!!」

吠えながら飛び跳ねる矮躯、それが両腕に握りしめるのは強大な飛翼刃。

屈折した刃は風や空気の抵抗を巧みに切り裂いて、投げれば回転しながら元の位置へと戻ってくる。達人は遠方の獲物の首を狩ることもやってのける投擲具だが、それが猛烈な勢いで投じられ、途上の全てを薙ぎ払いながら飛び交っていた。

その重量、切れ味、破壊力共に本来の小さな飛翼刃と比較にならない。

従来の飛翼刃が片手剣程度の大きさだとすれば、それは大剣二本を繋ぎ合わせたような大きさであり、その上、重量は大剣十本を鋳熔かすよりもなお重い。

かつて、この世界に生み出された特別な力を持った十本の聖剣、魔剣の類。

それらを打つのに用いられたとされる金属で作られたその武装は、見た目よりもはるかに凶悪な兵器として、遺憾なくその力を発揮した。

一投、放たれるたびに数十メートル範囲が平たく薙ぎ払われ、途上にあるものは建物も生き物も、なんであろうと手当たり次第に喰らい尽くす。

竜人の常軌を逸した膂力と、周囲の被害を顧みない精神性があって、初めて成立するような破滅的な戦術、それが城郭都市の南を壊滅させた理由だ。

都市の各所で飛竜に抗い、地上を見る余裕のないものたちはそれに気付けない。

無論、轟音と地震は彼らの下にも届いていたが、空を仰ぎ、傍らの誰かと言葉を交わすことに追われ、その被害には目もくれていなかった。

そして、それは不幸中の幸いだ。

もしも彼らがその圧倒的な破壊を目の当たりにしていたなら、生き延びるためのか細い糸に縋ることすら忘れ、膝を屈していたことだろう。

そのぐらい、暴れる竜人という存在は、飛竜のもたらす災害と別種の災いだった。

一つの都市で、二つの天変地異に同時に襲われることなど、悪夢でしかない。

ましてや、その天変地異の片方は、たった一人を滅ぼすために起こされているなどと。

「――――」

暴れ回るマデリンの攻撃を、プリシラは舞うように地を蹴り、躱し続ける。

竜人の身体能力は侮り難いが、マデリンの戦い方には繊細さがない。武術の類を一切学んでいないのだ。おそらく、人間を下等と侮るが故に。

「もっとも、妾も武術を学んだことなどないが」

プリシラに覚えがあるとすれば、剣を使うものの動きをしっかりと見たことがあることぐらいだ。あとは、自分の体がどうあり、どう動くのかを完璧に把握している。

達人の如く陽剣を扱えるのに理由があるなら、まさしくそれが理由と言えよう。

ただし、陽剣を抜けない現時点では、そのマデリンの一撃一撃が脅威ではあった。

「――――」

日照が終わり、日輪が陰る。

『陽剣』を扱うにも、それ相応の決まりがあった。太陽は常に輝き続けるわけではない。日の半分は月と役割を分け合い、力を蓄える時間もいる。

常に輝き続ける太陽があるなら、それはプリシラ自身に他ならない。

とはいえ――、

「長くかければ、それだけ傷は深くなるか」

マデリンの攻撃に対し、慎重に対応しているプリシラ。無論、陽剣という決め手がないことも押し切れない理由だが、竜人の生命力の高さも気掛かりだ。

一度で殺し切れなければ、マデリンの反撃がプリシラへ届く可能性が高い。

最初と同じ痛み分けは、何度も重ねられるものではなかった。

そうして決着を先延ばしにすれば、城郭都市の被害は広がる一方だ。

直接的なマデリンの破壊で都市の南方が壊滅したように、他の場所では飛竜による攻撃が次から次へと降り注ぎ、なおも死傷者は増え続けている。

その上――、

「――ッッ」

飛んで戻ってくる飛翼刃を受け止め、二本の足を地に着けたマデリンの戦意。高まる一方の竜の覇気、それが空気を伝わり、都市の空にいる飛竜たちを鼓舞する。

人間であれば士気を高めるという現象だが、野を生きる獰猛なる種族の本能を沸き立たせるそれは、狂奔と呼ぶべき効果を生んでいた。

飛竜の凶暴性が増し、攻撃の手が増えれば文字通り、手が付けられなくなる。

そうなる前に、事態を動かしたい。そのために――、

「あと一手、いる」

この状況を動かすための、何か大いなる一手が。

「――――」

マデリンの攻撃を躱して大きく飛びずさり、プリシラは崩壊した街並みに立つ。

城郭都市と謳われ、その堅固さこそが住民の誇りであり、安寧の柱であっただろう街が見る影もなく、この災厄を退けたあとでも復興は容易くはない。

ただ、それらの全ても、目の前の大災を退けてからの問題だ。

「次は、当てる……ッ」

大味な攻撃を繰り返し、まんまと回避を続けられるマデリンが獣のように唸る。

だが、彼女も当たらない攻撃を続けることで、徐々に戦術を修正している。学ぶ意思の乏しい敵であればいいが、そうでなければ戦いの最中に相手も伸びる。

これ以上の成長を避けたいプリシラの前で、マデリンが白い息を吐いた。

その全身に竜の血を巡らせ、体温の上昇が少女の矮躯から湯気を立たせる。

白い息と相まって、その姿はまるで白煙に包まれたようにすら見えて――、

「――いや」

おかしい、とプリシラは片目をつむり、マデリンを凝視した。

戦闘が長引き、竜の血が活性化しているのは頷ける。竜人であるマデリンの感情の萌芽が、飛竜たちの狂奔を招いていることも明らかだ。

しかし、このヴォラキア帝国の気候で、吐息が白く曇ることなど。

ましてや――、

「雪が降るなど、ありえぬことじゃ」

ちらちらと、プリシラは視界の端をゆるゆると落ちていく白い破片に言及する。

それは少しずつ、しかし確かに数を増やし、人々を守る庇の大半が失われつつある城郭都市へと降りゆく雪だ。

珍しい、などという言葉では足りない、ある種の天変地異と言えよう。

ヴォラキアでは、雪を見たことのない人間とて少なくはない。

一つの都市で、二つの天変地異に同時に襲われるなどと悪夢でしかないと述べた。

だが、そこに新たな天変地異、三つ目のそれが重なればどうか。

それは悪夢か、あるいは――、

「――そこまでよ」

天からの冷たい落とし物、それらがゆっくりと降り積もる地に、声が響いた。

銀の鈴が鳴ったような、美しくも芯の通った響きが。

――三つ目の天変地異、それが重なれば、それは悪夢か。

――はたまたそれは、大いなる一手となり得るか。

「とっても急いでるけど、見過ごせないわ。――私、すごーく怒ってるんだから」

何もかもが大災に見舞われたその場所に、銀髪の少女が靴音を鳴らす。

いなくなった自分の騎士を探し、雪を引き連れた『魔女』が城郭都市に参じていた。