軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七章53 『十一秒のその先』

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

何度も聞いた声がする。

しゃがれた老人の声と、怒りを湛えた女の人の声。そうして――、

「は、あああぁぁぁ!!」

強く屋根瓦が踏まれる衝撃が足を伝って、猛然と振り抜かれる煙管と紫煙。それが横薙ぎにカオスフレームの空を薙ぎ払い、薙ぎ払い、薙ぎ払い――、

――また、連続する爆音が鳴り響いて、あの赤い激痛が訪れる。

「ぎ、があああ――ッ!!」

「うあう! うああう!」

弾けた目玉と飛び出した目玉、両方の痛みと衝撃に顔を押さえてその場に倒れる。飛びつき、圧し掛かってくる軽い体重、それも知っている。

知っているのに、対処できない。あまりにも、時間が足りなすぎて。

「ぐいぃぃ! あが、ぐ、うぎぎぎいい!」

真っ赤な視界、頭が割れるみたいな痛み、「どうして」と泣き叫ぶ魂。

その全部が、何度も何度も訪れる絶望の十秒間を、スバルに無駄に過ごさせる。

痛いのが考えるのを邪魔して、世界を赤くする喪失が周りを見るのを邪魔する。急に全部が遠ざかって戻っても、ほんの三秒でまた同じ痛みを新鮮に味わわされる。

痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死――その、延々とした繰り返しだ。

頭が、おかしくなる。

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。痛みも赤いのも、一瞬だけ途切れて。

でもまた、同じ痛いのを味わうことになるから、それが魂が千切れるほど怖くて。

「あああぁぁぁぁ――ッ!!」

何も聞きたくない。痛い思いもしたくない。怖い怖い怖い怖い。

大きく口を開けて絶叫して、喉が張り裂けんばかりに声を上げる。何も見たくないから目をつぶって、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

その、次の瞬間だ。

「――――」

ドン、と爆音が響き渡って、スバルの小さな体が弾かれ、転がった。キンと音が遠くなって、またあの痛いのと赤いのがやってくると、魂が竦み上がる。

しかし――、

「――ぇ」

あの痛みが、こない。

目玉の片方が破裂し、片方が飛び出す痛みがやってこない。耳は、キンと壊れてしまっているけれど、世界が赤くない。一番痛いのも、大声で叫んだ喉だけで。

「なん、で……」

「うあう!」

呆然とした声が漏れたすぐあと、小さな体が飛びついてくる。

ルイだ。ルイが腕を引っ張って、スバルを立ち上がらせようとする。でも、膝に力が入らなくて、「どうして」の答えも出ていないスバルは立てない。

ただ喉が引きつって、一瞬でも、あの赤い痛みと遠ざけられたのが嬉しくて、涙が込み上げてくる。堪え切れなくて、蹲って泣いてしまう。

「わら――」

「おいおい、そりゃ悪手じゃぜ」

「――ッ」

蹲り、泣きじゃくるスバルの遠くで、スバルとは別次元の戦いが続いている。――否、その形勢が大きく傾いて、女の人が膝をつくのがぼやけた視界に見えた。

膝を折ったヨルナと、その後ろに立っているオルバルト。

オルバルトは血で赤く染まった右手を振って、口の端から血を流しているヨルナを見下ろしながら驚いたように眉を上げる。

「ぐ……っ」

「かーっ、本気かよ、狐娘。今ので死なねえって、どんな体しとんじゃ。まさか、セシルスが首斬れんかったって言っとったのもそれかよ」

「……子どもを手にかける匹夫に、乙女の秘密を明かすはずもありんせん」

ぐっと奥歯を噛みしめて、ヨルナが覇気の衰えない声でオルバルトに答える。それを聞いたオルバルトは「かかかっか!」と声を高くして笑った。

笑ってから、血に濡れた袖を振って、

「おかしなこと言いよるもんよ。子どもを手にかけるっちゅうんは、こういうことじゃぜ」

「待ちなんし――!」

その袖から抜き出した黒い玉――爆弾が投じられ、スバルたちの方へ飛んでくる。

ルイがとっさにスバルの前に割って入って、それを弾こうとしたが、遅い。

赤い光が、またしてもスバルの眼前で炸裂して、前に飛び出したルイの体ごと、スバルの体もまた光に呑まれてバラバラに――。

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。

△▼△▼△▼△

――赤と痛みが消えた瞬間、目をつぶって大声を上げる。

それが、あれからも赤い痛みを何度も何度も繰り返して、ほんの何回かだけその痛みから逃れる機会があったスバルが手に入れた、絶対の法則だった。

とにかく、あの赤いのと痛いのとがいっぺんにやってきたら、スバルはもうどうにもならない。泣き叫んで、喚き散らして、そして死ぬ。

そして死んだと思ったら、またあの声を聞いて、爆発で赤い痛みを受けるのだ。

それはもう嫌だ。嫌だ。嫌だから、お願いだから、怖いから。

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。

その瞬間、痛いのも赤いのも全部が引っ込んで、一瞬の安心で体中から力が抜けそうになる。それをぐっと堪えて、やらなきゃいけないことをやる。

「ああぁぁぁぁ――ッ!!」

大口を開けて吠えながら、ぎゅっと自分の目をつぶった。

自分の大声で聞こえない間、たぶん、ヨルナが煙管を振りかぶって、振り抜いて、そしてオルバルトの投げた爆弾を爆発させようとしている。

だから、それからすぐあとに――、

「――っ」

爆音と爆風に全身を押されて、スバルの体が屋根の上に尻餅をついた。瓦の角の部分がお尻に食い込んで、泣きそうなぐらい鋭い痛みがあった。

でも、泣かない。泣いて、視界をぼやかせたくない。だって――、

「見える……っ」

恐る恐る開けた目は、弾けても飛び出してもいなくて、ちゃんと見えていた。

相変わらず、耳はキンと鳴るばかりで壊れてしまっているし、喉も焼け付くみたいに痛いけれど、あの赤い痛みはない。合ってた。よかった。

目をつぶって大声を出せば、あの赤い痛みにひどい目に遭わされなくて済む。

「うあう!」

感激で泣きそうなスバルに、ルイが慌てて飛びついてくる。ようやくルイの顔が見れたが、彼女は青い瞳を見開いてスバルを心配しているようだった。

思わず、そのルイの体を抱き返して、「大丈夫だ!」と叫んでしまう。

「う」

「大丈夫だ! 痛くて、赤くて……ああ、もう、でも、大丈夫……っ」

とにかく、赤いのと痛いのとが消えたら、目をつぶって大声を出す。

その法則さえ、ちゃんと覚えておけば苦しいことはない。そう、スバルはルイの細い体を抱きしめながら確信して――、

「いやあ、全然大丈夫じゃねえんじゃわ、これ。こっからこっから」

直後、ゾッとする声が聞こえて、スバルは反射的に顔を上げた。

そのスバルの見開かれた視界、にんまりと笑ったオルバルトが投じた手裏剣、それが不規則な軌道を描きながらスバルたちの方へと押し寄せてくる。

ギラと、鈍く輝いているシノビの暗器は、いずれも的確に急所を狙っていて。

「ひ」

「かような乱行、許しんせん」

喉を引きつらせるスバル、その正面に現れるヨルナの背中。彼女は迫りくる手裏剣の軌道に煙管を割り入れ、飛来するそれをことごとく弾き落とした。

同時、オルバルトの左右で屋根瓦がめくれ上がり、それがネズミ捕りかハエ叩きのような勢いで怪老に叩き付けられる。

しかし――、

「かかかっか! 派手で見栄えして、面白ぇ技じゃぜ!」

打ち付ける屋根瓦の一撃を、オルバルトは小柄な体をひねって悠々と躱した。

戦う仕事をする人間は、体が大きい方が力も強いし、攻撃が届く範囲も広くて得だと思っていた。が、オルバルトの俊敏さはその印象を覆す。

「じゃが、この派手さはワシにゃいらねえなぁ。究極、人間なんてでこに深く針が刺さるだけで死んじまうんじゃからよぅ」

「ご高説、わっちの狐耳がこそばゆくてたまりんせん。――では、これならどうでありんしょう」

「お」

派手な攻撃を避けたオルバルト、その前でヨルナが踵で屋根を叩いた。すると、屋根瓦が次々とめくれて浮かび上がり、回転しながら宙を舞い始める。

それは大きく螺旋を描いて、屋根全体を、オルバルトを中心に次第と輪を狭めながら渦を巻く。――まるで、竜巻のように。

そして――、

「隙間のない場所からどう逃れるか、シノビの技を見せてくりゃれ?」

言い終える前に、ヨルナの伸ばした手がぎゅっと握られる。

直後、渦巻く瓦の竜巻がオルバルトを取り巻いたまま、一気に中心に圧縮される。瓦同士が容赦なくぶつかり合い、猛然と全てを押し潰す撃音が鳴り響いた。

壮絶な破壊、その中心にいれば人体など、多少頑丈であっても圧力に耐え切れずに押し潰され、命など拾いようもない。

「あう……」

同じものを目にして、ルイもその派手な破壊力に息を呑んでいた。

そのルイの反応を受け、ヨルナは「驚かせたでありんしょう」と静かに応じ、

「勝手に始めてしまいんした。主さんらにはひどい姿を……」

「おいおい、勝手に終わった気になっとんじゃねえぜ。言っとくけどよ、ジジイになるまで生きてるってことは、それぐれえしぶといって話なんじゃぜ?」

「――っ」

振り向きかけたヨルナが、その言葉を聞いて狐の耳をピンと立てる。見れば、声がしたのは寄り集まり、中心を押し潰した屋根瓦の渦――その裏側だ。

ガラガラと、音を立てて崩れる瓦の残骸、その山の向こうからひょいっと顔を覗かせるのは、あの破壊の渦の中心にいながら無傷のオルバルトだ。

怪老はひらひらと手を振って、悪意しかない顔で「よお」と笑い、

「隙間のねえとこから逃げちまう、シノビの技じゃぜ。満足かよぅ」

「――。老いても腐っても、『九神将』でござりんすか」

「かかかっか! ひでえ言われようじゃぜ! そもそも、『九神将』に選ばれたときからワシなんて元々ジジイじゃからな? 老いて腐っても、そこらの奴よりよっぽど強ぇから選ばれてんのよ。しかし、もったいねえ娘っ子じゃな」

「なんでありんすと?」

振った腕を袖に仕舞って、首をひねったオルバルトにヨルナが眉を顰める。

そのヨルナの問いかけに、オルバルトは「じゃってよ」と続け、

「街の連中といい、後ろの子どもらといい、守るもんが多すぎなきゃ、もっとワシともちゃんとやれんじゃろうによ」

「――っ」

「守りてえから戦うのに、守りてえせいで弱くなってるってのは本末転倒よ。だから、何べんやっても閣下に届かねえんじゃぜ、お前さん」

そう告げたオルバルトの黄色の瞳が、ヨルナ越しにスバルとルイに突き刺さる。

瞬間、スバルはまた自分たちが狙われると気付いた。気付いて、すぐにルイの手をぎゅっと握りしめて、

「ヨルナさん、俺とルイは消える! 頑張って!」

自分から巻き込んで、ヨルナを置いて逃げるなんて最低だ。

でも、この場にスバルたちがいたら、ヨルナはスバルたちを守るために戦い、オルバルトに隙を突かれ、やっぱり死んでしまうことになる。

それはダメだ。何とかして、それは避けなくては。

「ルイ!」

そう叫んで、スバルは自分の足下を指差しながらルイの手を強く握った。

その感触と指示を繋ぎ合わせ、ルイが「う!」と応じ、転移が発生する。

スバルとルイの体が真下、城の内部に転移し、板張りの床の上に足がついた。

それを確かめ、スバルは奥歯を噛む。

「う……っ」

ぐるりと、お腹の中身がひっくり返る感覚があり、頭が揺れた。一瞬、赤い視界と痛みがちらつくが、あれとは比べようのないレベルの支障だ。

あとは、スバルたちがいなくなったあと、ヨルナが存分に戦えることを――、

「――っ、なんだ!?」

直後、頭上で起こったのは、スバルの出来立てのトラウマを刺激する爆音だ。

凄まじい爆音が連鎖し、衝撃が屋根を伝って城全体に響き、スバルたちにも届く。思わず膝が竦みそうになり、それを必死に堪え、スバルは天井を見上げた。

見えないが、おそらくオルバルトだ。

あれだけの爆弾をばら撒いたにも拘らず、まだ他にも爆弾を持ち歩いて。

「――お。おったおった」

「え?」

その、見上げたスバルの視界、天井をすり抜けて皺くちゃの顔が階下を覗いた。

突然のことに息を詰めるスバル、そこへ真っ直ぐ、顔だけでなく体も天井をすり抜けるオルバルトが落ちてくる。

にやりと、天井から落ちてくる怪老が嗤い、

「さっきのはビビったんじゃぜ。ただの子どもと侮ったワシ、失敗失敗」

「うーっ!」

瞬間、近付く笑顔にルイが細い足を蹴り上げる。が、それを怪老は「よ」と短い声で応じて腕を振るい、脛のところで切り飛ばした。

くるくると、ルイの白い足が血を撒きながら飛んで、悲鳴が上がる。

「あ、うううう――っ!」

そうして、絶叫するルイの姿に目を見開いて、スバルは彼女を引き寄せようとする。

それが飛ぶためなのか、足を失った痛みに泣き叫ぶ少女を案じたのか、わからない。

だがどちらにせよ、そのとっさの行動さえもちゃんとやり切れなかった。

「ごぶ」

シュッと音がしたと思った瞬間、スバルの喉が叫んだ以上の熱で焼け付く。ごぼごぼと湧き上がってくる血が喉を塞いで、声も出せない、息もできない。

「このまま逃げられっと面倒じゃからよ。ま、首だけでも狐娘にゃ十分通じるじゃろ」

そう言って、オルバルトの指がとんとスバルの額を押した。途端、ぐらっと傾いた首が前のめりに落ちて、崩れ落ちるスバルの膝に頭が収まる。

首の皮一枚、繋がっているから、落っこちずに、膝の上に。

「抱き首、なんつってじゃぜ」

そんな、笑えもしない、悪い冗談が聞こえて、聞こえなくなって。

そして――、

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。

とっさに、何をしなければいけないのか、ルイを引き寄せて、それで。

それで、と考えているうちに、爆音が響いた。

――視界が真っ赤に爆ぜて、あの痛みがまたしても、ナツキ・スバルを呑み込んだ。

△▼△▼△▼△

――同じ声が聞こえた瞬間、耳を塞いで目をつむり、大声を出す。

それが、絶望の十秒間を何十回も繰り返して、スバルが見つけた生存の法則。

ただし、その先の方程式は、まだ何も見つかっていない。

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

オルバルトが爆弾を投げて、ヨルナがそれを打ち落とすために煙管を振るう。深々と踏み込んだ衝撃が足裏に伝わって、スバルは自分が戻ってきたことと、何をしなくちゃいけないのかを思い出し、刷り込んだ本能のままにそれに従った。

耳を塞いで、目を閉じて、大きく声を出して、爆発を受け止める。

耳を塞いでおけば鼓膜が、目を閉じておけば目玉が、大きく声を出すのが何に役立つのかわからないが、痛くも赤くもないときは必ず声を出していたから、声を出さないなんてことはもう考えられない。

ちょっと違うことをして、また同じ痛い思いをするなんて耐えられない。

一回、タイミングがズレてしまうと、もう一度同じチャンスを掴むために、十回以上も絶望の十秒間を繰り返すことになる。

もう、嫌だった。痛いのも怖いのも、嫌だった。

全然楽にならない。痛いのはいつも痛い。怖いのはいつも怖い。死ぬのは、いつも痛いのと怖いのとの先にある。

だから――、

「うあう!」

耳も、目も大丈夫な状態で、飛びついてくるルイの体を受け止める。

また、何回目かの無傷状態で最初の爆発をしのぐことができた。あとは連鎖的に、このあと起こることを思い出して、そう最初は――、

「手裏剣が」

「しのいで終わりと思っちゃいけねえんじゃぜ!」

思い出すのと、オルバルトの声が聞こえたのは同時だった。

次の瞬間、四方八方から飛んでくるのは、一個も同じ軌道を描いていない手裏剣の嵐、それがスバルとルイを取り囲むように降り注いでくる。

十本以上の手裏剣、どれか一つでも喰らったら動けなくなる。

それを止めるべく、ヨルナが飛び出そうとするのを――、

「かような乱行――」

「ヨルナさん! 大丈夫!」

飛び込んでこようとしたヨルナを掌で制止し、スバルは突き出した掌を指差しへ変更。そして、ルイと繋いでいた手にぎゅっと力を込めて、

「――なんじゃぜ!?」

刹那、発生した転移で視界が切り替わり、スバルたちがいた場所に手裏剣が突き刺さる。

何が起こったのか、ルイの転移の兆しのなさにオルバルトが目を見開いて驚いた。そう、オルバルトも知らない、スバルたちのとっておきだ。

何回も前にも、これで城の中に逃げ込んだ。それも、追ってきたオルバルトに呆気なく殺されてしまったのだが――、

「一回だけなら……」

オルバルトの意表を突ける。

そして、オルバルトの驚きを買ったその隙に、

「余所見厳禁にござりんす――!」

「ちぃ――ごぁ」

飛んだヨルナの猛烈な踵落としが、真上からオルバルトへと突き刺さる。

とっさの反応が遅れ、迎撃に跳ね上げた足が間に合わず、オルバルトの体が衝撃をまともに受けて背中側に折れる。そのまま、後頭部から屋根に激突し、轟音と共にオルバルトの姿が紅瑠璃城の中へと消えた。

その強烈な一発に、さすがのオルバルトもダメージを受けたと――、

「かかかっか! 痛ぇ痛ぇ!」

「嘘だろ!?」

会心の一撃が入ったと、そう快哉を叫んだ直後にオルバルトが復帰する。

自分が落とされたのと別の穴を屋根に開け、飛び出してきたオルバルトは歯を剥き、その右腕を血で真っ赤に染めていた。

ヨルナの踵を腕で受けて、枯れ枝のようなそれがグシャグシャに潰れたのだ。

一目で目を背けたくなるような腕の惨状、それをオルバルトはものともしない。残った左腕で手裏剣を投じ、前後にいるスバルたちとヨルナを同時に狙う。

当然、スバルは反応もできない。ヨルナは自分に迫る攻撃を煙管で弾いて、とっさに指を振り、瓦を跳ね上げてスバルたちを守った。

そこへ――、

「ほれ、九十年物じゃぜ」

言いながら、オルバルトが突然の凶行に及んだ。

彼は血塗れの自分の右腕を伸ばすと、それを左手のクナイで二の腕あたりで切断、くるくると血を撒きながら腕がヨルナ目掛けて飛んでいく。

「――――」

それを前に、ヨルナは一瞬の決断を迫られた。

すなわち、飛んでくる腕を払うか、それとも躱すかのどちらかを。

しかし――、

「残念、どっちも外れよ」

「ぐっ……!?」

飛んでくる腕への選択、その答えを実行に移すより前に、ヨルナの足下から爆風が起こる。それは、先の一撃でオルバルトを叩き落とした階下に通じる穴だ。

そこから文字通り、凄まじい暴風が噴き出し、ヨルナのキモノを切り裂いた。

「シノビの基本じゃぜ。右か左か、迷わせたら上なのよ」

「小癪な、翁にありんす……!」

全身に風の刃を浴びて、キモノを裂かれるヨルナが頬を歪める。そのまま、彼女は踏み込み、飛んでくるブラフの腕を無視し、オルバルトへ突っ込もうとした。

そのヨルナの前進に合わせ、オルバルトは「ああ」と息をついて、

「さっきの外れってのも嘘なんじゃぜ」

――次の瞬間、飛んでいったオルバルトの腕が内側から膨れ上がり、爆発する。

「――ッ」

「ヨルナさん!!」

真横で発生した爆風に呑まれ、ヨルナの体が吹っ飛んだ。そのまま、屋根の上をゴロゴロと転がる彼女の姿に、スバルは目を見開いて嗄れた喉で叫ぶ。

自分が落ちた穴も、切り捨てた腕も、全部に罠を仕込んで使う。

シノビ=忍者の印象を受けたときから、とんでもなく厄介な相手だとは思っていた。思ってはいたが、ここまで『悪辣』とは思ってもみなかった。

そう、スバルが戦慄するのと、オルバルトが振り向くのはほとんど同時だ。

「――ルイ!」

振り向いたオルバルトの瞳が、獰猛に光るのを見た瞬間にスバルは叫んだ。

ルイの手を強く握って、ほとんど連続使用同然のタイミングで二回目の転移を望む。ただオルバルトから距離を取るために、できるだけ離れたところを指差して――、

「あうあう」

ルイの転移が起こり、スバルと二人の体が瞬く間に移動する。

オルバルトの視線の直線上を外れ、大きく距離を取った位置へ。城の中に逃げ込んでも助からない以上、距離を取って、時間を稼いで、ヨルナがオルバルトを止めてくれるのを祈るしか、最初の爆発を逃れたスバルにできることはない。

と――、

「え?」

こつんと、吐き気を堪えようとしたスバルの爪先に何かが当たった。

思わず目を剥いて、何が当たったのかを確かめる。それは黒くて丸い、玉だ。

もう何度も目にして、スバルを絶望の淵へ叩き落とす、黒い玉が。

「いっぺん見てんじゃぜ。指差した方に飛ぶんじゃろ。どうやってんのか知らんけど」

だから、指差した方へ玉を放ったのだと、なんとなしにオルバルトが肩をすくめた。

片腕を失った状態で、バランスの悪い怪老が、肩を。

「うあう」

またしても、ルイがスバルをそう呼んだ。

直後、足下で炸裂した黒い玉から光が溢れ、中から飛び出した無数のガラス片のようなものが飛び散り、スバルとルイをズタズタに引き裂く、引き裂く、引き裂いた。

血が真っ赤に散って、目や口の中まで飛び込んだ破片に体の中も切り刻まれ、鋭い痛みに全身を呑み込まれ、手足が千切れ飛ぶ。

「何が詰まってるか、喰らってからのお楽しみよ。面白ぇじゃろ?」

痛みが、また赤くて、そんなの、正気を疑うだけ、で。

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。

「――っ」

聞こえた瞬間、スバルは耳を塞いで、目を閉じて、口を大きく開けた。大声は出ない。掠れた声が出ただけだ。それでも、爆音と爆風は襲いかかってくる。

全身を叩かれ、屋根に尻餅をついた。ルールを守れなかった。大声を出せなかった。痛みと赤いのがくるのが怖い。ただ――、

「うあう!」

軽い感触に飛びつかれ、スバルは「は」と息を吐いた。

そして、目と耳、他のところも大丈夫なことを確かめる。大声を出さなくても、目玉も鼓膜も大丈夫だった。声は、関係ない。口は、関係あるかもしれない。

わからない。わからないけれど――、

「ぐううう……ッ」

ルイを抱きしめて、奥歯を軋らせて泣きじゃくるスバルには、爆発のあとを生き延びる方法がどうしても、どうしても見つからない。

見つからなくて、泣いて、蹲って、また動けずにいるから。

「ぴいぴいと、子どもの泣き声は聞くに堪えんのじゃぜ。――うっせぇわ」

またしても、避けられない『死』がナツキ・スバルを呑み込んでいく。

△▼△▼△▼△

何度も、赤と痛みを繰り返して、その先の無力感を味わって、また痛いのと辛いのと、苦しいのと怖いのと、それを重ねて、それでも届かなくて。

「――わっちを愛しなんし。今すぐに」

ボロボロの状態で、何回そうやって助けてもらえそうになっただろう。

それを言われるたびに、言う通りにしてあげられなくて、悲しい。

「うあう! うああう!」

必死にスバルの腕を引いて、何とかしてスバルを生かそうと、死なせまいとしてくれる。

だからいつも、スバルより先に死んでしまって、とても辛い。

何回も、何回も、死と絶望の十秒間を繰り返して。

赤い世界と、痛みだけが支配する感覚と、どれだけやっても届かない無力感、それを何度も何度も、終わりがないと思えるぐらい繰り返して。

頭が、壊れそうになる。心が、死んでしまいそうになる。

これは、『死に戻り』じゃない。

ナツキ・スバルを取り巻いてきた、『死に戻り』ではないモノ。

『死に戻り』が慈悲深いなんて、ちっとも考えたくなかった。

だけど、この十秒間と、延々と重ね続ける喪失と比べたら、それはあまりにも。

――『死に戻り』に愛があると思えるぐらい、これは愛のない所業だった。

△▼△▼△▼△

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。

オルバルトの飄々とした声と、切羽詰まったヨルナの声。

直前の痛みと喪失感が消えて、スバルは一瞬だけ、ほんの数秒だけ、青く見える空と、痛みのない体に戻ってくる。

脳は痺れていて、喉は死ぬ前の絶叫の続きを張り上げて、膝の力は抜けていく。

それでも、もう魂に刻み込まれた条件反射が、目を閉じ、耳を塞いで、叫び続けている口を開けっ放しにすることをスバルにやらせた。

「は、あああぁぁぁ!!」

吠えるヨルナが煙管を振るい、カオスフレームの空にいくつもの爆炎が生まれる。

熱風と衝撃波、そして爆音がスバルたちにも押し寄せるが、このとき、尻餅をつくのが何回やっても耐えられない。

「うあう!」

尻餅をついたスバルに、軽いルイの体が飛び込んでくる。

それを受け止めて、強く抱きしめた。もう、これも条件反射だ。ただただ、死ぬのを何度も繰り返しているせいで、人の温もりが恋しい。それだけだ。

それ以外の理由なんてない。ないから、奥歯を強く噛む。

「ここから……」

安堵する暇もなく、次のスバルを殺す攻撃が飛んでくる。

「しのいで終わりと思っちゃいけねえんじゃぜ!」

その声と同時に、オルバルトがスバルとルイに手裏剣を投げる。四方八方から十本以上の刃、その鋭さが子どもの柔肌を易々と切り裂くことは、もう知っている。

手裏剣に殺されるのも、もう何回も味わった。でも、どれがその痛みだったか思い出せない。痛くない死が一個もないから、わからなくなって。

「かような乱行、許しんせん」

まごついている間に、スバルの目の前にヨルナの背中が割って入った。

彼女は手にした煙管で手裏剣をことごとく打ち払い、次いでオルバルトへの返礼に屋根瓦を波打たせ、左右から挟み込むように城の一撃をぶち込む。

「かかかっか! 派手で見栄えして、面白ぇ技じゃぜ!」

これを、オルバルトは俊敏さを活かして避け切ってしまう。

スバルの反応が遅れたせいで、同じ流れを辿っている。だが、もう何度も目にしたこのシーンで、スバルができることは何もない。

攻撃を受けそうになるヨルナを庇ったときも、城の中に逃げ込んだときも、頭の中がめちゃくちゃになってオルバルトに飛びかかったときも、全部死んだ。

全部の道が、行動が、死ぬのに繋がっていたら、どうしたらいいのか。

「じゃが、この派手さはワシにゃいらねえなぁ。究極、人間なんてでこに深く針が刺さるだけで死んじまうんじゃからよぅ」

「ご高説、わっちの狐耳がこそばゆくてたまりんせん。――では、これならどうでありんしょう」

「お」

いやらしいオルバルトの挑発に、ヨルナが踵で屋根を叩いて応える。

屋根瓦が次々とめくれて浮かび上がり、生じるのは城を渦巻く破壊の竜巻だ。それがすごい威力であることも、知ってる。でも、オルバルトは倒せない。

「どうしたら……」

いいんだろう。わからない。また、痛くて怖いのがくる予感が近い。

失敗する。どうすれば、あれを避けられるのか。赤い世界も、痛みの合唱も。

ヨルナを助けたくても、邪魔になってしまう。

ルイと逃げようとしても、追いつかれてしまう。

もっと前に戻れたら、そもそも、ヨルナと一緒に屋根の上にきてはいけなかった。ヨルナだけでいかせれば、ヨルナを置いてきていたら、アベルたちと別れなかったら、ルイのことを話さなかったら、アルを、ミディアムを、タリッタを、小さくなってなかったら、元のスバルだったら、ズィクルも、フロップも、ミゼルダも、クーナも、ホーリィも、ウタカタも、プリシラも、レムも、レム、レムを、レムが、レム――。

レムを、連れ帰らなきゃいけないのに、ここで死んでしまう。

死んじゃうのが避けられない世界に取り残されて、そのまま、ずっと、ずっと死に続けるしかないなら、スバルは、ナツキ・スバルにできることなんて。

何度も死が、痛みが、ナツキ・スバルに押し付けてくる無力感。

それに、ギューッと、心も体も押し潰されそうになって、そして――、

「うあう」

そっと、手を握る少女の温もりが伝わってきて、スバルは息を呑んだ。

温もりが、ふと、スバルに思わせた。

ナツキ・スバルでは、どうしようもないけど。

「――みんなだったら、どうするのかな」

△▼△▼△▼△

痛い、赤い、怖い、どうして、死。

痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。

痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。痛い、赤い、怖い、どうして、死。

それは、何度も何度も繰り返された絶望の十秒間。

痛みと無力感を重ねて、何度でもスバルの心を折ろうとする、終わりのない地獄。

でも、その絶望の十秒間を何度も重ねて、その先へと辿り着いた。

痛い、赤い、怖い、どうして、死。――それの先へ。

その代わり、絶望の十秒間の先はもっとたくさん、可能性が分岐していて、何をどうすれば痛いのから逃げられるなんて答えはどこにもなかった。

また、スバルは何度も死んだ。何回も、痛いのと苦しいのとを繰り返して、死んだ。

一個も、うまくいかなかった。

いつもヨルナを悲しませて、ルイを先に死なせて、スバルも死んでしまった。

――だけど、絶望の十秒間の先には、十秒以上の時間があった。

その時間を、全部使う。

全部使って、絶対に死んでしまうのだとしても、またこの絶望の十秒の先の、十一秒目からに辿り着いて、一生懸命考える。

――みんななら、どうするんだろう。

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。

その瞬間、スバルは耳を塞いで目を閉じて、口を開けて爆発を耐え忍ぶ。爆音と衝撃が全身を叩いて、耐えられない尻餅をついてしまう。

すぐに、「うあう!」と叫んだ小さな体が飛びついてくる。それを受け止めて、安心させるみたいに抱き返して、そうしている間も考える。

――みんななら、どうするんだろう。

「――――」

スバルは、小さくなってしまった。

手足も縮んでしまったし、頭の中身も、きっと幼稚になってしまっている。

元のスバルだったら、もっと色んなことができたし、思いついたかもしれない。でも、元のスバルはここにはいない。どうにかする方法も、思いつかない。

だったら、この問題はナツキ・スバルには解決できないのだ。

だから――、

「みんななら……」

これまで、色んな問題と出くわして、たくさんの失敗を重ねて、でも、みんなで乗り越えてここまでやってきた。

今、スバルは一人だ。知っている人は、ほとんど誰もいない帝国にいる。

でも、ちゃんとスバルの中に、みんなからもらったものがある。

「みんななら……」

どうするだろう。

オットーなら、ガーフィールなら、ロズワールなら、フレデリカなら、ペトラなら、クリンドなら、アンネローゼなら、メィリィなら、パックなら、ラムなら、ベアトリスなら、エミリアなら、みんなだったら、どうするだろう。

「みんななら……」

どうするだろう。

ユリウスなら、アナスタシアなら、襟ドナなら、リカードなら、ミミなら、へータローなら、ティビーなら、ラインハルトなら、フェルトなら、ロム爺なら、トンチンカンなら、アルなら、プリシラなら、ヴィルヘルムなら、フェリスなら、クルシュなら、リリアナなら、シャウラなら、みんなだったら、どうするだろう。

「すごい強くて」

オルバルトと戦えるようなみんなは、後ろで応援しててほしい。

あのオルバルトの悪知恵とか、とんでもない小技とか、そういうのもどうとでもできそうな人たちは、今回は出番がない。ごめん。ありがとう。大好きだ。

「魔法が使えて」

ヨルナを手伝えるようなみんなも、今のスバルだと真似できないかもしれない。

優しいヨルナの負担にならないようにしたい。でも、治癒魔法もこの場だとちょっと出番がないかもしれなかった。ごめん。ありがとう。大好きなんだ。

「だったら……」

諦めの悪い、最後の最後まで頑張れる、そんなみんなの真似はどうだ。

あるもの全部使って、絶望の十秒間の先を、十一秒から先を、もっともっと先まで頑張れるような、そんなみんなの、真似ならどうだ。

「かような乱行、許しんせん」

煙管が振るわれて、スバルたちに迫っていた手裏剣が甲高い音で弾かれる。

そのまま、オルバルトの左右の瓦がめくれ上がり、怪老を押し潰そうと挟み込む。

「――――」

その、ヨルナとオルバルトの戦いを見ながら、一生懸命考える。

何回も、何回も死んだじゃないか。何回も、この光景を見たじゃないか。思い出すのも辛くなる、痛みを今も覚えてるじゃないか。

考えただけで、身が竦む。心が縮こまって、魂が怯え出す。

まるで、ナツキ・スバルって存在そのものが凍えているみたいに。だけど――、

「うあう」

握った手から伝わる熱が、スバルを凍死させてくれない。

凍死しないでいられるから、みんなのことも、ちゃんと思い出せるから。

ヨルナとオルバルト、二人の戦いに割り込むことはできない。

ヨルナを勝たせたくても、オルバルトに狙われるスバルたちが邪魔してしまう。戦いは始まってしまっているから、どっちかが勝たなくちゃ話は進まない。

たぶん、いつもオルバルトが勝って、スバルたちが死んで終わっている。

じゃあ、スバルたちが生き残れたら、それでいいのか。

それもたぶん、すごーく間違ってる。そうじゃなくて、ヨルナも無事じゃなきゃダメ。もっといい方法があるはずです。考えんのをやめんじゃァねェぜ。馬鹿ね。ここで諦めるなんて冗談じゃないねーぇ。必ず、大丈夫ですわよ。みんながついてるもんっ。もお痛いのも辛いのも嫌でしょお? 戦いには決着が付き物、必然。割って入る隙間があるはずですわね。それを見つけ出すかしら。それが、勝利の鍵なのよ。

「勝利の、鍵」

誰の? もちろん、戦っている人の。

じゃあ、戦っているのって、ヨルナとオルバルトと、どっちの――。

「違う」

「う?」

「違う違う違う違う、違う――!」

首をひねったルイの前で、スバルは声を大にして叫んだ。

違う、間違っていた。みんなが大好きだ。だから――、

「勝つのは――」

またしても、赤い光と痛みが目の前に広がって、そして――。

「聞いた話じゃと、お前さんとこの街の連中はずいぶん頑丈らしいが……それ、うちの里の連中より頑丈だったりすんのかよぅ」

「――下郎っ!」

また、同じ声が聞こえた。

それが聞こえた瞬間、スバルは耳を塞いで目を閉じて、口を開けて蹲る。直後、爆音と衝撃波が全身を打ち据えるが、今度は尻餅をつかない。

パッと両手を離して、顔を上げた。そこに――、

「うあう!」

スバルを心配して、不安げな顔をしたルイが飛び込んでくる。

そのルイを正面から抱きとめて、スバルはその場に立ち上がった。そして、

「ありがとな」

「う?」

目を丸くするルイにそう言って、スバルは彼女の頭越しに正面を見る。

全身が焼かれ、骨が剥き出しになり、内臓がグシャグシャになる痛みは、今も引きずっている。気を抜いたら叫び声を上げて、泣き喚いて、転げ回りそうだ。

だけど――、

「しのいで終わりと思っちゃ――」

言いながら、オルバルトが両袖から抜いた手裏剣を投じようとしている。

そのオルバルトの目と、スバルの目が正面からぶつかった。

子どもだろうと容赦なく、その命を奪うために手加減しない『悪辣翁』の目と、何度も無力感を味わって、今も泣きそうなのを必死で堪える子どもの涙目が。

だが、その涙目に何を見たのか、オルバルトの黄色い瞳が一転、光を強めた。

ただの、ヨルナの気を引くための道具としてスバルを狙うのではない。

ナツキ・スバルを殺すために、『悪辣翁』の手から手裏剣が放たれる――。

遊びのない手裏剣が飛んでくる。

スバルの目では捉えられない脅威、それが迫ってくるのを肌で感じながら、スバルは真っ直ぐ、持ち上げた指を正面――オルバルトに突き付けた。

みんななら、どうするだろう。

一生懸命、みんなの気持ちになって考えて、そして、思った。

みんななら、何回も死んで、無力感に打ちのめされて、どうしようもなくなったスバルを、きっとどんなボロボロになっていても、信じてくれるから。

痛くて辛くて怖くて、泣いて喚いておしっこも漏らして、それでもみっともなく、無様に死んでしまうスバルを、信じてくれるから。

みんなが大好きだ。

この、紅瑠璃城のてっぺん、何回も死んで、絶望の十秒間と、その先の十一秒と、もっと先へと辿り着くための勝負、それに勝つのは――、

――勝つのはいつだって、お師様ッス!

「ルイぃぃぃ――っ!!」

オルバルトを指差して、繋いだ温もりの先にいる少女の名前を高らかに呼んだ。

そして強く強く、ルイの手を握りしめて――瞬間、世界が変わる。

「――なんじゃぁ!?」

手裏剣で殺すはずだった相手が消えて、オルバルトが驚愕の声を上げる。

オルバルトの理解の外側にあり、慎重なシノビが全く気付けない反則技。二度目からは対応してくるこの転移の一回目だけが、オルバルトの裏を掻ける唯一の方法。

そして、ルイの力で転移し、飛んだスバルは――、

「あああああ――っ!!」

「ぬおっ!?」

猛然と、すぐ目の前にあるオルバルトの後頭部にしがみついた。

死に物狂いで小柄な老人にしがみつき、白髪に噛みつく勢いで縋り付く。さしものオルバルトも、予想外の転移の刹那、組み付かれるのには反応できない。

背丈でいえばさして変わらない老人に、小さなスバルは全力で組み付いた。

当然、それをオルバルトは引き剥がそうとし、突然のことに目を見張ったヨルナも駆け寄ってこようとする。

「うお! な、なんじゃなんじゃ! 坊主か!?」

「童! すぐに離れるでありんす! オルバルト翁は……」

オルバルトの腕がスバルの髪を掴み、強引に引き倒そうとする。それを止めたくても、巻き込むのを恐れてヨルナもとっさの手出しが遅れる。

その、両者の反応を余所に、スバルは必死で、組み付いたまま、大声で――、

「――俺の勝ちだ!!」

と、そう叫んだ。

「――なに?」

その瞬間、スバルを引き剥がそうとするオルバルトの手が緩む。ヨルナも、スバルが何を言い出したのかと、そう目を丸くしていた。

そんな大人たちの反応に目もくれず、スバルはオルバルトから離されまいと、そう強く強くしがみついたまま、

「俺の勝ち……俺の勝ちだ! オルバルトさんの負けだ! そうだろ!?」

「だから、何を言っとるんじゃ、お前さんは……」

「一回でいいって、言っただろ!」

「うん?」

振りほどく力が弱まったことで、スバルはようやく顔を上げ、目の前にあるオルバルトの白髪の後頭部に話しかける。興奮と動悸で込み上げてくる涙と鼻水、その両方を啜りながら、スバルは喉をひくつかせ、

「お、追いかけっこ! かくれんぼは、三回見つけろって……でも、追いかけっこなら、一回捕まえたら、いいって……だから」

「――――」

「だから! 俺の勝ちだ! 捕まえた! 勝負は、俺の勝ちだ! オルバルトさんも、ヨルナさんも、俺に負けたんだ! 俺の、勝ちなんだぁ……っ」

自分でも、言っていてめちゃくちゃな理屈だと思った。

そもそも、追いかけっことかくれんぼで、かくれんぼを選んだのはスバルたちだ。それを急に引っ込めて、追いかけっこのルールに変更なんて、ズルだと思う。

でも、ズルだけど、他の方法が思いつかなかった。

それに――、

「先にズルしたのは、オルバルトさんの方だぁ……」

「――――」

「だ、だから、俺の、俺の勝ち、なんだぁ……っ」

ずるずると、溢れ出してくる涙と鼻水が堪えられなくなって、声がガビガビになる。

それでも、スバルはしがみつく腕に力を込めて、このズルい勝利を手放さない。オルバルトを捕まえて、追いかけっこに勝った。勝ったのだ。

「――オルバルト翁、どうするでありんすか?」

不意に、押し黙るオルバルトへと、ヨルナがそう問いかけた。

ちらと見れば、ヨルナは煙管の先端に火を入れ直し、真新しい紫煙をたなびかせる。それを肺に入れる彼女の様子は、戦い始める前と変わらず美しい。

依然、オルバルトの答え次第で、ほとんど縁も所縁もないスバルたちを背後に庇い、戦うことを厭わないだろうことも含めて。

オルバルトの受難は、しかもそれだけではない。

「うあう! あー、うー!」

「痛ぇんじゃぜ」

スバルのしがみつくオルバルトの足を、一緒に飛んだルイが乱暴に踏んだ。丸い瞳を目一杯細めて、ルイがオルバルトを睨みつける。

その、スバルの訴えと、ヨルナの問いと、ルイの睨みを受けて、オルバルトはしばらく黙ったあとで、乱暴に自分の頭を掻いた。

そして――、

「いっぺんけしかけた勝負、途中で投げ捨てらんねえって言ったのはワシじゃがよ。それをまさか、こんな風に悪用されるたぁ思わんかったんじゃぜ」

「――それが、翁の答えでありんすか?」

静かなヨルナの言葉、その目線がオルバルト相手に一段と下がる。

何のことはない。オルバルトがその場に、どっかりと胡坐を掻いたからだ。スバルを背中にしがみつかせたまま、オルバルトは歯を見せて笑い、

「かかかっか! 誰が見ても負けじゃろ。勝ち負けまで関係ねえなんて言い出したら、そりゃもうシノビじゃなく、ケダモノじゃぜ」

言ってから、オルバルトは自分の膝を手で打って、「負けた負けた!」と空を仰いだ。

青い空の下、ゆっくりと修復されていく美しき城の上、一秒、二秒と、絶望の十秒間の先、十一秒から先、その先が静かに、確かに、刻まれていく――。

「俺の、勝ちだぁぁぁ……!」

ぐすぐすと、鼻を啜りながら、泣きじゃくるスバルがなおも訴える。

背中にしがみつくスバルのそれを聞きながら、オルバルトは「かかかっか!」と笑って、

「何べんも言われたら腹立ってくるじゃろ。――うっせぇわ」

と、スバルの額を手でべしっと叩いたのだった。