軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七章38 『八年越しの褒美』

――『アベルムカつく』。

そのスローガンこそが、『極彩色』ヨルナ・ミシグレの攻略法とスバルは考えた。

なにせ、これまでもたびたび謀反を繰り返したとされ、あの人格者であるズィクルにまで破滅願望の持ち主との烙印を押された人物なのだ。

彼女との接見を求めるにあたり、スバルが推し出した方針が『現ヴォラキア皇帝に反旗を翻すべく、相応の権力者が内々に話をしたがっている』というものだった。

スバルたち三人は、その権力者の親書を携えて紅瑠璃城を訪れたという設定である。

正直なところ、嘘は一つもついていない。

『現ヴォラキア皇帝』とは、アベルを追い出し、その名前と立場を掠め取った相手に他ならない。内々に話をしたがっている『相応の権力者』も、本来ならば玉座に座っている立場の本物の皇帝なのだから、こちらの言に偽りなしだ。

あくまで、スバルたちの目的はアベルからの手紙を受け取らせること。そのために必要ならば、嘘八百でも八千でも並べ立てようというものだ。

『これが、ナツミ・シュバルツの計略というものですわ――!!』

と、その神算鬼謀ぶりにアルやミディアムの喝采を浴びたものだった。

しかし――、

「――閣下への反乱分子、だと?」

ヨルナに語った方便が暴露され、広間の空気が冷え込んでいく。

冷気と錯覚するほどの敵意をみなぎらせるのは、先ほどからこの場で最も熱くなっている人物、ヴィンセントの護衛であるカフマ・イルルクスだ。

彼の視線の険しさに、この場からの穏便な撤退が不可能になったことをスバルは悟る。

――策士策に溺れると、この言葉をこれほど実感したことはない。

「でも、間の悪さと情報共有不足は、どちらもアベルのせいではありませんの……?」

「その口を閉じていろ。――ヨルナ一将」

不条理な苦境に追い込まれ、アベルを呪うスバルをカフマが黙らせる。そのまま、彼は険しい視線を前方のヨルナへ突き刺すと、

「貴公はわかっていて、閣下とこのものらを同席させたのか?」

「――――」

「答えていただきたい!」

声を張り上げるカフマ、彼の怒りは緊張を強めるスバルたちではなく、このバッティングする状況を作り出したヨルナへと向いている。

それは責任の所在がヨルナにあるから、ではない。

もっと単純な話、スバルたちを脅威とみなしていないことの表れだろう。

実際、勇んで立ち上がったカフマから伝わってくる闘気は、グァラルの都市庁舎で遭遇したアラキアと同質の、強者としての脅威をスバルに味わわせた。

少なくとも、彼が皇帝の随行を命じられるほどの実力者であることに疑いはない。

そんな彼からすれば、スバルは当然ながら、アルやミディアムすらも警戒に値しないと判断されるのは仕方のないことかもしれなかった。

「当事者なのに蚊帳の外、ってか? いいんだか悪ぃんだか……」

アルの小さなぼやきに同感ながら、スバルたちを余所に緊迫のやり取りは続く。カフマに問い詰められるヨルナは煙管に口を付け、紫煙を吐き出した。

そして、鮮やかな髪飾りを揺らしながら「はて」と首を傾げる。

「わかっていて、とはどういう意味でござりんす?」

「白々しいことを……! 閣下に幾度も進言した通り、やはり貴公は危険だ」

「わかり切ったことを言いなんすなぁ。わっちの重ねた狼藉の数々……まさか、主さんはご存知のうござりんしたか?」

「――ッ」

挑発としか思えないヨルナの態度に、カフマの額に青筋が浮かんだ。

妙な話だが、やり取りを見る限りではスバルの意見もカフマ寄りだ。正直、スバル目線でもヨルナの性格は最悪だった。

前評判からある程度の覚悟はしていたつもりだったが、その予想を上回る悪質さだ。

ただ、単に反乱分子であるスバルたちを、たまたま足を運んでいたヴィンセントたちに差し出そうという目論見でもないらしい。

皇帝に反逆者を献上するという場面にしては、空気が張り詰めすぎている。

何より――、

「――相変わらず、反吐の出る悪趣味よな」

と、ヨルナの趣向を切って捨てる、ヴィンセントの一声が放たれたのだ。

そのヴィンセントの冷たい言葉に、ヨルナは形のいい眉をわずかに上げて、

「あや、閣下のお気には召さのうござりんしたか?」

「たわけ。一方的に過ぎれば、それは兎に犬を狩らせるのと同じこと。ただの残虐を遊興とするほど、余も帝国に飽いてはいない」

淡々と、しかし確かな威圧の込められたヴィンセントの発言。

それを涼やかに受け止めながら、ヨルナは結った髪の隙間で狐の耳を震わせる。それが如何なる感情の発露なのか、スバルには窺い知れない。

だが、窺い知れないのはヴィンセントの心中も同じだ。

「――――」

面と向かい、反乱分子と突き合わされて、その心中に吹き荒れる嵐は如何に。

その内心を理解するのは、眼前の相手が偽物の皇帝とわかっている以上、本物の心中を想像する以上に難しい。

追い落としたからには、偽物もアベルを悪しく思っているのだろうが――、

「それを表に出すほど、間抜けなはずがありませんもの……」

「――貴様」

「――っ!」

息を呑むスバルを、ヴィンセントの黒瞳が真っ直ぐに射抜く。

途端、目を逸らすことも禁じられ、スバルは準備不測のままに大敵と見つめ合った。

どう誂えたのか、本物と瓜二つの作り物の顔。

真贋どちらも共通して、その鋭い黒瞳がこちらの全てを見透かそうとしてくる。それがどうにも、スバルの胸中をむず痒くして――、

「何か、余に言いたいことがあるなら言ってみるがいい」

「……腹の立つ目ですわね」

「な……!?」

「あ! いえ、違います! 違いますわよ! 今のは思わず勢いで!」

最高にタイミング悪く、偽皇帝の問いかけと憤懣の漏洩が重なった。

真正面からの皇帝への罵倒に、完全に予想外の顔でカフマが絶句する。その様子に慌ててスバルが手を振ると、当のヴィンセントは片目をつむって押し黙った。

驚いてはいるが、同時にスバルを値踏みするような眼差しだ。

バドハイム密林や、シュドラクの集落、それにグァラルの都市庁舎でも、本物のアベルがスバルに向けた視線――それと、同質のもので。

「ええと、とにかく、わたくしたちは……」

背後、アルとミディアムも固唾を呑んで状況を見ている。

スバルの衝撃的な暴言に、二人も相当のプレッシャーを味わっているはずだ。広間の空気は冷え切り張り詰め、追加の失言一個で粉々に砕け散るだろう。

そもそも、置かれた状況があまりにも苦しい。

ヨルナはもちろん、カフマもスバルたちが太刀打ちできる相手とは思えない。

ならばこの場は、ヨルナに上げた意見は撤回し、反乱分子などととんでもないと頭を下げ、場を白けさせてでも退散するのが得策ではないか。

そう割り切り、スバルは愛想笑いを浮かべようと口角を緩めて――、

――じっと、スバルを眺めているヨルナの視線に気付いた。

「――――」

煙管に口を付けながら、ヨルナは無言でスバルの動向を見ている。

それは無関心とも、そうでないともつかない非常に曖昧な眼差しだ。立ち上る紫煙のように不確かなそれは、掴み取らんとしても消えゆく幻のようなもの。

それを頼りにしようだなんて、心底馬鹿げたことだと思う。

だが、スバルはここが分水嶺だと直感した。

あの、スバルたちから興味を失う寸前の眼差しは、一度手放したものを再び取ろうと考えるほど酔狂ではない。ここで捨てた意見は二度と掬えない。

つまり、ヨルナ・ミシグレの協力は二度と得られなくなるということで。

それは、頼りない勝利への道を闇に閉ざすことと同義だった。

故に――、

「――心して答えよ。余に、何を告げるのかを」

「それは――」

ヴィンセントの問いかけに、一拍というには長すぎる時間をかけ、顔を上げる。

偽皇帝の目が細められ、その傍らのカフマも注意をスバルに向けた。背後ではアルとミディアムの緊張が膨らみ、ヨルナが口に含んだ紫煙を肺に留める。

それらの変化を視界の端に、スバルはヴィンセントを見据え、言った。

「ヨルナ様の仰る通りです。わたくしたちは、あなたへ宣戦布告いたしますわ」

そう、引いてはならない局面、譲ってはならない駒に縋り付くように。

グァラルで帰りを待ってくれているレムが、この場にいないアベルが、後ろで身構えるアルとミディアムが、スバルに判断を委ねてくれた。

その意味と重さを、ナツキ・スバルが勘違いし、投げ出さないために――。

「――――」

真っ向から敵対を告げられ、ヴィンセントの黒瞳がわずかに揺れる。

が、それが喜怒哀楽のどれに該当する感情なのか、スバルの洞察力では読み取れない。ただ、自分の口にした言葉の熱に、急速に舌が渇いていくのを味わう。

当然だろう。広大な国土を誇るヴォラキア帝国の皇帝、その実権を失ったアベルと違い、目の前の偽皇帝はそれを確かに矛として握った相手なのだから。

現に、ヴィンセントが小さく手を上げて制止していなければ、先の暴言を聞いたカフマが爆発し、スバルの命は四散していたことだろう。

だが、そうはならなかった。ヴィンセントが、そうさせなかった。

「くふ……」

そのスバルとヴィンセントの対峙を上座から見下ろし、ヨルナが微かに喉を鳴らす。

含み笑いに口の端から煙が漏れて、肩を震わせる彼女は実に愉快そうだ。命懸けのスバルの宣告に、少なくとも退屈紛れの効果はあったらしい。

「何を笑う、ヨルナ・ミシグレ」

「まずは、お客人がその口先を引っ込めなかったことでござりんしょう。加えてこのお三方、もしかしたら閣下の身を危うくするやもと……どうなさりんす?」

「喰えぬ女よ。余に従わぬことを信条とする貴様も、余の意はわかっていよう」

挑発的なヨルナの流し目に、ヴィンセントは表情を変えずに応じる。

そのまま、彼は改めてその黒瞳に敵意を告げたスバルを映して、

「ここは剣狼の国だ。この首を狙う気概があってこそ、真に帝国民と言えよう」

「……ずいぶんと、お優しいことですわね」

「ふん」

鼻を鳴らし、スバルの皮肉をヴィンセントは一笑に付した。

その対応も含めて、ヴィンセントの振る舞いは本物の完全なトレースだ。仮にこの場にアベルがいても、寸分違わず同じ対応をしただろうとそう思える。

いっそ、スバルたちといるアベルの方が偽皇帝の可能性を疑いたくなるぐらいだ。

その場合、完全にスバルたちが八方塞がりになるので勘弁してもらいたいが。

「だが、貴様らに易々とくれてやれるほど、余の首の価値は安くない」

「――。では、わたくしたちをどうされるおつもりですの?」

「それが問題だな」

激発寸前のカフマを制し、皇帝に真っ向から叛意を示したスバルたちを認める発言。しかし続く言葉を引き取れば、敵対者に向ける冷たい眼差しに変化はない。

気概を買われても、危害を加えんとする輩に手心を加える理由はないだろう。

じりじりと、スバルとヴィンセントの黒瞳が交錯し、部屋の空気が焼け焦げる。

「あぁ、わっちも罪な女でありんす。こうして、男たちがわっちの身代欲しさに奪い合う姿を見せられると、何とも滾ってきなしんす」

「他人事のように……第一、あちらは女性の方が多い。男たちとは的外れだ」

「くふ」

スバルとヴィンセントの睨み合いに、ひどく場違いな感想を漏らしたヨルナ。彼女は苛立ったカフマの指摘に嘲るように喉を鳴らす。

その反応に、カフマはますます怒りを募らせた顔になり、

「閣下! 自分にお命じください! あのものたちを……」

「――カフマよぉ、お前さん、あれじゃぜ。さっきからちょいちょいうるさすぎんじゃろ」

膠着状態に痺れを切らし、カフマはヴィンセントへの直訴を試みる。だが、その言葉を遮ったのはヴィンセントでもヨルナでもなく、別の人物だ。

「あ……」

と、声のした方に目を向けて、思わずスバルの口から吐息が漏れる。

そのぐらい、その声の主はスバルの意識の外側にいて、声を発したこと自体に驚かされてしまったのだ。

それは、ヴィンセントの護衛として連れていた三者の一人――カフマとは別の、板張りの床にどっかりと胡坐を掻いた小柄な人影だった。

「閣下が考えりゃ、大抵のことはワシらが考えるよりうまくまとまるんじゃぜ? じゃってのに、ワシらがぴいぴい言っとったらガチで邪魔じゃろ、ホントの話」

そう言ったのは、白く染まった髪と眉を長く伸ばした、皺だらけの老人だ。

話す口調にも内容にも、面倒臭がる雰囲気を丹念に練り込んだ老人。見ればずいぶんとインパクトのある風体で、何故今まで視界に入らなかったのかがわからない。

――否、視界には入っていた。ただ、意識に入っていなかっただけだ。

おそらくは、本当の意味で気配を消していたと、そういうことなのだろう。

そう指摘してくる老人に対し、カフマは「しかし」と振り返り、

「閣下の煩いを取り除くのも忠臣の務めでしょう、オルバルト翁!」

「自分で忠臣とか言い出すと、勝手な真似して粛清される奴の前段階っぽく聞こえてこんか? ワシ、嫌じゃぜ、前途ある若者の首とか抉んの」

「ぐ……っ」

ゆるゆると首を横に振り、老人――オルバルトと呼ばれた人物が耳の穴をほじる。その仕草に如何なるプレッシャーを感じたのか、カフマが頬を強張らせた。

しかし、頬を強張らせたのはカフマだけではない。彼が口にした名前を聞いたスバルも、同じように頬を強張らせていた。

「オルバルト、翁……」

「お? ワシじゃけど、知っとる? そこそこ有名人じゃし」

「……ええ、有名人のご自覚があるのでしたら、きっと」

唇が震え、紡いだ名前に当のオルバルトが反応する。

スバルの驚いた様子を見て、なおもその反応なら間違いない。オルバルトの名前を聞いたのはグァラルの都市庁舎、次いで魔都へ向かう旅の途中だ。

ここから先、スバルたちが帝国を攻略する上で、どうしても避けては通れない『九神将』。その一人がヨルナであり、そして――、

「『悪辣翁』オルバルト・ダンクルケン……!」

「その呼び名、ワシあんまし好きじゃねえのよな。『悪辣翁』とかひどすぎんじゃろ。そんな性悪ジジイに見えっかよ、ワシ。まぁ、直接聞かれたら見えるなんて言えんか。言えんわな、かかかっか!」

口を大きく開けて、歳の割には綺麗に生え揃った白い歯を見せて老人が笑う。

だが、とてもスバルは笑う気になれない。――ヨルナを味方に付ける目的で、偽皇帝であるヴィンセントと遭遇した挙句、彼はオルバルトを連れていた。

これはつまり、現時点でオルバルトもあちらの手勢ということになるではないか。

「アラキアとチシャ、それにオルバルト……」

すでに敵方に取られていると思しき『九神将』であり、なおかつ序列が高いとされるものたちばかりの狙い撃ちにスバルは頭を抱えたくなる。

問題は先々のことばかりではなく、目の前の状況も加速度的に悪くなることだ。

カフマだけでも手に負えないところに、『九神将』のオルバルトまで加わった。

ここまでの悪条件、揃えようと思って揃えられるものでは――、

「――そこの爺さん、オレのこと覚えてたりする?」

「あんじゃって?」

額に浮いた汗が頬を伝い、顎先から滴り落ちる。

そんな緊迫がみなぎる中で、不意打ち気味にオルバルトの眉を上げさせ声。それが誰であろう、スバルの後ろから手を伸ばしたアルだった。

身を乗り出すアル、彼の行動にスバルは目を剥いて「アル?」と驚く。

「急に何を……今、一挙手一投足が問われる状況ですわよ?」

「その状況でまだ女言葉続けてるナツミちゃんも大概だが、オレだって考えなしに飛び出したわけじゃねぇ。いや、考えあったわけじゃねぇが……なぁ、爺さん! オレだよ、オレオレ!」

「そんなオレオレ詐欺みたいな……」

相手が老人だからといって、詐欺紛いの話術が通用すると考えるのは軽率だろう。実際、そのアルの呼びかけに、オルバルトは「ん~?」と体を傾けて唸った。

「いやぁ、なかなか奇抜な見た目じゃぜ、お前さん。ワシもジジイとはいえ、そんな見た目の奴がいたらなかなか忘れっちまわねえじゃろ。ワシとお前さん、本気で知り合い?」

「知り合いってほどじゃねぇかもしれねぇし、前会ったときは被り物はしてなかった。けど、腕はなかったし、ちょっと話もしたぜ」

「ワシと話した腕なしの……?」

「ああ、そうそう。――アラキア嬢ちゃんも、一緒だった」

わずかに声を低くして、アルが口にしたのはオルバルトと同じ『九神将』にして、スバルたちを散々掻き回してくれた恐るべき少女、アラキアの名前だった。

全く、スバルには思い当たる余地もないアルの言葉、しかし、それを聞いた途端にオルバルトが眉をピンとさせ、「おおっ!」と声を弾ませた。

「お前、あれかよ! アラキと一緒に島取り返した奴か! 言われてみりゃ、風体も似てるっちゃ似てるわな。かかかっか、まだ生きてたとはなぁ!」

「おお、生きてた生きてた。何とか星が巡ってくれてよ」

「で、何の因果か、閣下の敵に回るかよ。こりゃ、あんときにもっと閣下の評判よくなるように話し込んどくべきじゃったかもじゃぜ。ワシ、失敗失敗」

高笑いするオルバルトと、気安い調子で言葉を交わしているアル。

二人の間の関係性がわからず、スバルは目を白黒させるしかない。今、事態が好転しているのかいないのか、それさえも判断のつかない状況だ。

「――。オルバルト、貴様の知った顔か」

そんな疑問に終止符を打ってくれそうなのが、割って入ったヴィンセントだった。

腕を組んだ偽皇帝の問いかけに、オルバルトは「おお、そうじゃぜ」と答え、

「二、三年前の、閣下が即位したばっかの頃、あちこちでいっぺんに反乱が起こったことがあったじゃろ?」

「オルバルト翁、閣下が即位されたのはもう八年前ですが……」

「あれ? 三年ぐらいじゃなかったっけか。やべえやべえ、ここ十年くらいのこと、ワシにとっちゃ最近って印象じゃから、ついやっちまったんじゃぜ」

「いいから続けよ。八年前、どうした」

いちいち話が横道に逸れるオルバルトを、ヴィンセントが軌道修正する。その修正に従い、オルバルトは「じゃからよ」とアルを指差した。

「そのとき、ギヌンハイブで起こった反乱……それを止めっちまったのが、そこの兜の奴とアラキってわけじゃな」

「ほう」

オルバルトの話を聞いて、ヴィンセントの興味が初めてアルに向いた。

それが好悪、どちらに針が振れたのかはわかりづらいが、即座に無礼討ちには繋がらないような仕事ぶりではあったらしい。

その上で、アルは一歩、スバルと並ぶように前に出ると、

「恐れ多くも皇帝閣下、そこのオルバルトの爺さんはご存知だろうが……実は八年前、オレは閣下のお役に立ったはずで、まだその褒美をもらってねぇ」

「いらんって言ったの、あいつじゃったけどな」

「オルバルト、黙っていろ。――続けるがいい、道化」

「――その褒美を、今日もらいてぇなと」

静かに、広間の空気が凍り付くような音をスバルは錯覚した。

大胆不敵に、自分自身の功績の褒美を八年越しに要求するアル。そのふてぶてしさと、そのアルの行いを知る相手が同席していた巡り合わせ、それは確かに賭けるに値するだけの大勝負ではあった。

スバルの宣戦布告を聞いて、即座の処断を選択しなかった偽皇帝――ヴィンセントには、ヴォラキア皇帝として振る舞う理由と、その覚悟がある。

そして、アベルの言葉が事実なら、彼の信条に『信賞必罰』が含まれる。

ならば――、

「貴様、何を求める。余の首か?」

「くれって言ってもらえるんなら、まさしくオレが大金星って話だが、さすがにそいつは欲しいっていうのも勇気がいるぜ。だもんで……」

言いながら、アルがちらと首だけ振り向き、スバルの方を見た。そこで何を求められているのかを察し、スバルは自分の懐から封筒を抜く。

アベルの書状が入った親書、もとよりこれを届けるのが目的なのだ。

「こちらの親書、これをヨルナ様へお渡しするのがわたくしたちの目的。わたくしの連れの功に報いていただけるなら、どうぞそれをお許しください」

「親書か」

「わたくしたちの……主から、ヨルナ様への恋文です」

主と呼ぶのを躊躇いながら、あとに続く言葉には内心で舌を出す。

恋文と聞いて、上座のヨルナが「くふ」と喉を鳴らして笑った。彼女の興味は引けたらしい。そして、ヴィンセントの反応も悪くはない。

ヴィンセントはその黒瞳を細めると、ほんの数秒だけ思案して、

「八年越しではあるが、剣奴孤島の一件、大儀であった」

「お……」

「欲するならば褒美はやろう。その親書とやら、ヨルナ・ミシグレに渡すがいい」

顎をしゃくり、ヴィンセントがヨルナを示す。

一瞬、ヴィンセントの発した言葉の意図を呑み込むのに時間がかかった。だが、それがアルの賭けの勝利を意味すると気付くと、スバルたちは顔を見合わせる。

伸るか反るかの大勝負、打って出たアルの判断は正しかったと――、

「――ただし」

「う?」

声を上げて喜び合う寸前、指を一つ立てたヴィンセントが一声を発する。

振り向いたスバルたちに、偽皇帝はその黒瞳を色濃い闇に閉ざしながら、

「余が許すのは親書を渡すことだ。意味はわかるな?」

と、そう噛み含めるように言った。

それを受け、スバルは目を見張ると、すぐに奥歯を噛んで振り返る。スバルの視線が向かうのは、にやにやと状況を眺めているヨルナだ。

彼女に親書を渡し、その返事をもらうのがスバルたちの目標だが。

「仮に親書をお渡しした場合、ヨルナ様のお返事はいついただけますでしょう?」

「そうでござりんすなぁ……」

スバルに問われ、ヨルナはしばし視線を虚空に迷わせる。

それから彼女は煙管を逆さにし、傍付きの禿が用意した壺に灰を落として、

「わっちも女……恋文をもらってすぐ、逸るように封を開ける姿なんて見られたくのうござりんす。でありんすから……お客人方が、わっちの城を出られてから、ゆっくりと目を通して、返事をしたためとうござりんす」

「――。城を出たら、読んでいただけるんですのね?」

「わっちもこの魔都の主、侍従もいる前で嘘偽りは言わぬでありんす」

青い瞳に宿った光、それが誠意なのか稚気なのか、彼女を知らないスバルにはおよそ判断のつくことではない。しかし、選べる手立てはもはやない。

例えば、仮にアルの褒美の内容を変更し、この城から無事に離れることと言えば、おそらくはヴィンセントはそれも通してくれただろう。

しかし、その案は先と同じ、ヨルナと手を結ぶ可能性を絶つこととなる。

つまり――、

「アル、ミディアムさん」

覚悟を決め切る前に、スバルは同行する二人の名前を呼んだ。

これから起こることや為すべきことには、二人の協力が必要不可欠。ならば行動を起こす前に、二人の了承を得るのが筋だ。

振り返ったスバル、その視線を向けられ、アルとミディアムはそれぞれ頷くと、

「ま、兄弟に力貸すって言っちまったしな」

「あんちゃんからも頼まれてるからね! ナツミちゃんをよろしくって!」

首をひねったアルと、力強い言葉をくれるミディアム。

二人の答えに勇気をもらい、スバルも二人に頷き返した。

それから、スバルはゆっくりと歩を進め、広間の前方――上座で肘置きに寄りかかり、煙管をふかしているヨルナへと向かった。

その魔性の美貌を間近に、甘い香りの漂う中にスバルは親書を差し出す。

「どうぞ、わたくしたちの主からの親書です」

「ご苦労様でありんした。もっとも、ここからの方が大変でありんすよ」

「ええ、承知しておりますわ」

たおやかな指が親書を受け取り、笑みを含んだ言葉がスバルたちの今後を呪う。

しかし、スバルはその言葉に凛として応じ、振り向いた。

そして――、

「――皇帝陛下、恐れ多くもあなたの玉座、わたくしたちがいただきます」

と、そう真っ向から、先ほど以上に明快な宣戦布告を告げたのだった。

△▼△▼△▼△

瞬間、起こった出来事は劇的だった。

「よくぞ吠えたぞ、不届きものめらが――っ!!」

真っ直ぐ、宣戦布告をした直後、カフマの瞳が見開かれる。

無礼千万、不敬の極みたるスバルの宣言を受け、カフマ・イルルクスは皇帝への忠誠を自らの力を以て証明せんとした。

――結果、両腕を伸ばしたカフマの上着が爆ぜ、無数の茨がスバルへ殺到する。

深緑の色をした茨、それはのたくる蛇のようにスバルへと押し寄せ、圧倒的な質量がその視界を覆い尽くした。逃げ場のない面制圧、一本一本がスバルの腕に匹敵する太さの針を備えた茨の蔦、それは獲物を絞り上げ、命を最後の一滴まで絞り尽くす必殺だ。

まるでスバルの反応を許さない一撃、それは蛇が鼠を丸呑みするようにあっさりとその体を茨の中へと取り込み――、

「――よく言ったぜ、兄弟」

茨に全身を貫かれ、壮絶な痛みがくるのを覚悟した。

だが、身を硬くしたスバルを襲ったのは痛みではなく、後ろに引き倒されてついた尻餅の衝撃と、スバルの前に出て、茨を青龍刀で受けたアルの言葉だった。

スバルを背後に庇いながら、抜き放った身幅の厚い刃で敵の攻撃を受け流したアル。全てを防ぎ切れたわけではなく、その肩や脇腹にはじくじくと血が滲んでいる。

それでも、この圧倒的な質量からアルはスバルを守り抜いた。

「って、ミディアムさんは!?」

「うーあー! 危なかったーっ! アルちんの言う通りにしなかったら死んでた!」

慌てて振り向いたスバルの真横、双剣を抜いたミディアムが大声で答える。

見れば、彼女は二振りの双剣を上下に構え、四方から迫ってきた茨の一部を斬り飛ばし、あるいは受け止め、踏み付け、防ぎ切っていた。

その確かな技量と、彼女が無事だった事実にスバルは安堵の息をつく。が、安堵するのはまだ早い。なにせ、これはまだ第一波に過ぎず――、

「何とも、大げさな手品でござりんす」

「――っ」

身構えるスバルたちの背後、同じように茨の射程に含まれていただろうヨルナ。彼女は親書を受け取った姿勢のまま、その腕の中に禿を引き寄せ、紫煙を吐く。

彼女の周囲にも茨が迫った形跡があるが、それは狙いすましたように彼女を避け、茨はヨルナの周囲にだけ丸い空間があるかのように不自然にねじれていた。

それがカフマが意図的に曲げたのか、ヨルナが何かしたのか推定不能だが――、

「お騒がせして失礼いたしました。わたくしたちは、お暇させていただきますわ」

「気を付けてお帰りなんし。お三方が城を出損のうござりんしたら……」

「親書は読まれない。心得ています、わ」

重ねて噛み砕かれれば、いくら察しが悪かろうとヨルナの意図もわかる。ヴィンセントが、あえてはっきりとさせた此度の勝負――、

「わたくしたちが城を出るまでの勝負。――アル、ミディアムさん!」

「おうさ!」

「あいあい!」

「右へ!!」

力強い返事があった直後、スバルが大声でそう吠える。

それを聞いて即座に、同行者二人はスバルの判断を理解、三本の刃が振るわれる。

隻腕の青龍刀としなやかな双剣、それが猛然と茨を切り開いて、視界と進路の両方を塞いだ質量を吹き飛ばし、三人の姿が緑の外へと飛び出した。

そのまま板張りの床を踏み、速度と勢いをつける。

「逃がすと思うか!!」

だが、踏み出して一歩、スバルの鼻先を掠めるのは親指ほどの太さの針だ。

茨とは異なるそれは、視界を掠めた一瞬では白い骨片のようにも見えた。それはスバルを牽制したわけではなく、こめかみあたりを貫通するはずだった一撃だ。

とっさに、射出された針の進路にアルが刃を差し入れなければ死んでいた。

「茨に針と、ビックリ人間ですの!?」

「ありゃ『虫籠族』だ! 体の中に入れた虫で攻撃してくんだよ!」

「油女一族じゃあるまいし!」

言っても仕方のない言い合いをしながら、スバルは姿勢を低く、アルとミディアムの援護を受けながら前進する。向かうのは広間の出口――ではない。

そちらへ向かっても、天守閣までの長い道のりを再び戻らなくてはならない。その間、このカフマの攻撃に晒され続けるのはいくら何でも無理だ。

すなわち、スバルたちには大幅なショートカットが必要となる。

故に――、

「ミディアムさん!」

「おいさ!」

「頑張って!!」

「――頑張る!!」

声援を受けた瞬間、誇張抜きにミディアムの全身が弾み、勢いが増した。

彼女は長い髪をなびかせながら、両手に握った双剣を振り回し、複雑怪奇な軌道で押し寄せる茨に対して、それらを猛然と打ち払った。

無論、それにはミディアム自身の技量もある。だがそれに加えて、

「右! 右膝! うなじ! エロい腰!!」

「う! た! どりゃあ!」

血を吐くようなアルの絶叫が、ミディアムに迫る危機の狙いを教える。ミディアムは瞬時にそれに対応し、当たる寸前で茨の棘を防御、捌くのに成功する。

どこまで見えているのか、アラキア相手にも発揮されたアルの生存力の高さ、それは自分だけでなく、自分以外の相手にも発揮されるらしい。

その恩恵に与り、ミディアムが広間の窓へと到達。木製の柵を一振りで破壊し、跳ね上がる長い足が壁を吹き飛ばした。

眼下、地上までゆうに三十メートル以上はある天守の広間が開放され、視界一杯に魔都の青空が広がり、風がスバルたちを乱暴に出迎える。

一か八か、どころの話ではないが――、

「――城の外へ出れば!」

ヨルナは親書に手を付ける。

この条件を呑んだ以上、ヴィンセントたちもそれ以上の手出しは止めるはず。おそらく、たぶん、そういう約束を明文化したわけではなかったかもしれない。

だが、他に信じられるものがない以上、それでいくのが唯一の目――、

「――ナツミちゃん!」

壁をぶち破ったミディアムに呼ばれ、スバルはなりふり構わず全力疾走。

うっかりスカートでこなかったことを感謝する。死因が女装となったら、多くの先人たちの努力に顔向けできない。

土壇場では顔を作ることも忘れ、スバルは床を踏み抜かんばかりに強く蹴った。

そしてミディアムに追いつき、彼女と一緒に壁から外へ――、

「悪ぃんじゃが、一応、ワシも仕事はせんといけねえわけじゃぜ」

「かふ……っ」

瞬間、降って湧いたように出現した老人、それがスバルとミディアムの正面に割り込み、放たれる貫手が二人の胸を真っ向から突いた。

衝撃に打たれ、息が詰まる。『九神将』の一撃をまともに喰らったと、スバルの意識がひび割れ、そのまま全部が砕け散りそうになる。

しかし――、

「ナツミちゃん! 何ともないよ!」

「え!?」

すぐ横で大きな声に呼ばれ、スバルは手放しかけた意識を取り戻す。慌てて自分の胸を見下ろせば、オルバルトの貫手に打たれた被害は見られない。

血も出ていなければ、出血なしで心臓を抜き取られた形跡もなかった。

「いくよー、ナツミちゃん! 舌噛まないで、ね!!」

混乱に目を回すスバルの襟首が、豪快に言い放ったミディアムに掴まれる。彼女はそのまま大股で破った壁を跨ぐと、躊躇なく紅瑠璃城の外へと身を投げ出した。

青空にスバルとミディアムが絡まり合いながら飛び出し、跳躍による上昇感は一瞬で掻き消えて、一秒後には落下の軌道に放り込まれる。

「う、きゃあああ――!」

甲高い悲鳴を上げながら、スバルはミディアムを抱き寄せ、自分の腰をまさぐった。そこで手に馴染んだ感触を引き抜き、中空にありながら武器を――鞭を構える。

何の用意もなく飛び降りただけなら、それは単なる自殺行為でしかない。

勝ち目を多く用意できたわけではなかったが、ヨルナの挑発やヴィンセントへの宣戦布告、加えてカフマとオルバルトの攻防と、賭け事は連続した。

かろうじてその全部を拾ったのだから、最後の最後も拾えると信じるのみ。

「とど、いてぇぇぇ!!」

ミディアムの細い腰を抱きながら、スバルは腕を振るって鞭を放った。その先端が伸びていくのは虚空ではなく、魔都の各所に伸びている梁の一本――都市のあちこちに蜘蛛の巣のように張り巡らされたそれが、紅瑠璃城の外壁にも一本届いている。

そこへ鞭を引っかけ、そのまま城の敷地の外へ出る足掛かりとする。それが、広間の混乱の中で思いつけたスバルのなけなしの最善手だ。

「――っ!」

腕に引っかかる感触があり、スバルは渾身の力で鞭を手首に巻き付ける。これで握力が足らずとも、最悪、手首の骨が砕ける被害で体を支えられると。

あとは――、

「アルは……ぎゃんっ!?」

「悪ぃ!」

鞭がピンと張った瞬間、スバルの背中に猛烈に激突してくるアル。どうやら彼も、スバルたちと同じように城の外へ飛び出せたらしい。

空中で熱烈な合流を果たして、そのままスバルたち三人はしがみついたまま、百五十キロ近い体重をスバルの腕一本に託してぶら下がった。

「ぐがああああ――っ!」

腕と手首、肘と肩、右腕全体の悲鳴を本物の絶叫で肩代わりしながら、スバルたちの体が紅瑠璃城の外、梁の一本を支点に弧を描く。

そのまま、反動が収まるのを待って、一人ずつ鞭をよじ登って梁に戻るのがベスト。そこまでかかる時間と、右腕の壊死を比較しながらスバルは奥歯を噛み――、

「「――あ」」

と、渾身の力を振り絞る瞬間、アルとミディアムの声が重なった。

それが何なのか確かめるより早く、スバルの右腕にかかる負担が消失する。――否、正確には負担が消えたのではなく、鞭をかけた梁がへし折られたのだ。

天守閣の破られた壁から伸びる茨、その猛烈な質量によって。

「う、あああああ――っ!?」

悲鳴が尾を引きながら、スバルたち三人がもつれ合ったまま宙を舞う。梁に鞭をかけた反動そのままに、スバルたちの体は放物線を描いて飛んだ。

天守閣から飛び降りるのに比べればマシでも、それでも二十メートル以上もの高さから叩き落とされれば、肉体的には常人のスバルとアルは助からない。

尾を引く悲鳴を上げながら、どうにか打開策を探し求めるスバル、その脳裏にエミリアとベアトリス、レムの顔が次々と浮かんで――、

「――――」

――猛烈な音を立てながら屋根を突き破り、三人は城下の厩、その干し草の上へともつれ合いながら飛び込んだのだった。