軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二章29 『ナツキ・スバルのリスタート』

――そこにあったのは『無』だけだった。

ぼんやりと、その意識は何気なくあたりを見回す。見回す、という表現はこの場合は適切ではない。

その意識には目が存在しない。それどころか手も、足も、体のどの部分も存在していない。ただそこに、実体のない意識という不確かなものだけが浮かんでいる状態なのだ。

なにもわからないまま、伝わらないまま、それはあたりを見回す。

暗い、その上でなにもない部屋だ。天井と壁の境目もわからず、部屋の広さにあたりをつけることもできない漆黒に包まれた世界。

ふと、その常闇の世界に意味が生まれた。

意識にとって正面にあたる位置、そこにふいに生まれた人影がある。

細い、そしてやはり漆黒にその身を覆われた不明確な輪郭。特に上半身から上には靄がかかり、意識の認識を強く阻害する。

人影の出現に、意識は初めての感覚を得た。

そしてその感覚が冷めやらぬ間に、影がゆったりと動き、意識に対してなにか伝えるように働きかけてくる。

わからない。なにも伝わらない。

それでも、なぜかその人影から意識をそらすことはできず――。

『――まだ、会えない』

そんなかすかな囁き声を残し、世界はふいに消失した。

※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

目を覚ました瞬間、スバルが強く思ったのは『丈夫な体に生んでくれてありがとう、父さん母さん』ということだった。

崖の上から身投げして、頭から地面に垂直落下だ。頸椎が衝撃でもげかけたことに疑いはないのだが、そんな状態に陥ったスバルに永遠の安息が即座に訪れる――なんてことはなく、

「まさか即死できなくてちょっと意識あるとか……ついてねぇとか言う次元じゃねぇぞ」

転落死した角付きの死骸のすぐ横で、動けないまま激痛に苛まれた死への秒読み時間。

おそらくそう長くもたずに命を落としたのだと推測できるが、それでも体感時間は数時間にでも感じるほどの体験だ。

仮にスバルの安否を確認しにベアトリスが降りてきて、息のあるスバルを回復してしまったらと思うと目も当てられない。

「もう、自分から死ぬなんざ絶対にごめんだ。死んでもやらねぇ」

あの瞬間に至るまでも、自分の自問自答を思い出すと文字通りに死にたくなる。

あれほど格好つけておいて、その内心があのビビりようだ。とてもではないが決断、などと言い切ることはできない。

だが――、

「戻って、きたぜ……」

手を伸ばし、拳を握りしめ、スバルは己の居場所を確かめる。

柔らかな寝台。整えられたシーツ。赤茶けた作務衣のような格好も懐かしく、そして――、

「姉様、姉様。お客様ったらまだ寝ぼけていらっしゃるみたいです」

「レム、レム。お客様ったらだいぶ若くからボケてるみたいだわ」

双子の少女が手を取り合い、寝台の前でスバルを二対の瞳で見つめていた。

聞き慣れた声に見慣れた仕草。かつて四度繰り返され、そして今回が五度目となる強烈な挨拶。

言いたいことは山ほどあった。口にしたい思いは胸を衝くほど存在する。なのに、そのいずれもが喉をつっかえたように出てこない。

健在なレムの姿を見て、相変わらず無礼なラムの態度を見て、二人がスバルに対して当たり前のように接しているのを感じて、どうしようもない感情が込み上げてくる。

「お客様、お客様、どうされましたか? 具合が悪いのですか?」

「お客様、お客様、どうかしたの? 持病の発作でも起こした?」

二人の顔を見た直後、黙り込んで胸を押さえるスバルに双子は困惑。左右に別れて寝台に歩み寄ると、蹲るスバルをいたわるように手を伸ばしてくる。

と、そんな二人の接近にスバルは、

「がばちょ」

「え」

「あ」

効果音を口にしながら、思い切り双子を抱え込んで抱きしめていた。

青髪を右に、桃髪を左に、小柄な体は腕一本ずつで十分に回る。正面、頭を突き合わせる形になった双子の間に顔を入れ、二人の髪の毛の感触を頬に堪能しながら、

「あー、帰ってきたー帰ってきたよ、俺。ようやくこうしてこの場所に、この気持ちのまんまで。た・だ・い・ま!」

そのままぐりぐりと乱暴に二人の頭に顔をこすりつけて、それから背中を叩いて二人を解放。

スバルの突然の抱擁に動揺を隠し切れない二人だったが、すぐに正気を取り戻すと飛び跳ねるようにベッドから離れ、

「姉様、姉様、お客様に慰み者にされましたわ」

「レム、レム、お客様の獣欲の対象にされたわ」

「はっ、それは違うぜ。悪いが二人とも、俺のストライクゾーンからはやや微妙にそれとなく残念ながら外れてっからな。覚えておきな。俺は年下属性あんまない! そして女の子はロングだよ、ロング!」

女の子らしさは髪に宿る、というのがスバルの持論だ。

よって、女性の髪は長い方がいい。そして銀髪ヒロインこそがスバルにとってのジャスティス。あと、チョイ甘えさせてくれる年上属性が付属されれば言うことなしだ。故に、

「エミリアたんこそ、俺のストライクゾーン直球ど真ん中! 悪いがお前らは芯が外れてるぜ。ナイスボールには変わらんけどね!」

「姉様、姉様。よくわからない発言ですけど侮辱されていますわ」

「レム、レム。頭おかしい台詞だけど貶められている気がするわ」

早口に畳みかけるスバルに双子の対応はやや厳しめだ。

が、そんな二人の態度にスバルはベッドから跳ね起きる。素足のままで床に立ち、その場で鋭く身を回してターン。部屋の中央で振り返り、いまだ寝台の横に立ち尽くす二人に両手の指を突きつけ、

「まあ聞け、ヘイ聞け、リッスンミー。互いに膝枕し合って耳の穴のお掃除してかっぽじった上でお聞きなすって」

押し黙る二人に対して掌を差し出し、開いて閉じての無駄なアクションを入れながら、

「諸事情あってお前らが、まぁ色々と複雑怪奇な背景があんだろうなっていうのはわかる。すっげーわかるが、その上で超言わせてもらう」

こちらを推し量るように、双子はその先を沈黙で促している。

おそらくは、値踏みはすでに今の時点から始まっているのだろうと思う。その視線を意識した上で、彼女らの信頼を勝ち取るために四苦八苦試行錯誤しよう――なんて、器用なことは考えられない。

そもそも、人づきあいなんて超苦手なのだ。

相手の顔色をうかがいつつ、その場その場で適切な対応が取れるなんて上級コミュスキルを持ち合わせていたのなら、ひきこもりになどならなかったし、こっちでももっとうまくやっていただろう。

だから彼女らの視線の鋭さの意味を知りつつも、スバルにできることは大してない。情報のアドバンテージなど知れたものだ。

故に、スバルがこの時点で彼女らに言うのは彼女らへの宣戦布告などではなく、純粋に自分への戒めに過ぎない。

つまり、

「俺はお前らを信じてるから、仲良くやろーぜ」

一回目のときと同様に、ただひたすらに懸命に向かい合おう。

異世界召喚初日のときも、スバルはそう思ったはずなのだ。

どんな未来が待ち受けているのかわかっていたとしても、それを生かし切れるだけの力の持ち合わせがない。ならば、与えられたチャンスを生かすために、目の前の状況を精いっぱい生き足掻くしかないのだと。

スバルの申し出に二人は目を剥き、互いに姉妹の顔に視線を走らせて無言の意思疎通。そのサイレントなやり取りの合間になにが交わされたのかをうかがい知る余地はないが、神妙にその沙汰を待ち構えるほどスバルも大人しい性格ではない。

そも、今回はその大人しさは置き去りにすることに決めたのだから。

「置いてけぼりなんて寂しいぜ、いけず! 世界はもっと広大で開かれてる。だから二人だけの世界に浸りきるのなんかやめて、もっともっと打ち解けようぜ! 誰と? 俺と!」

「姉様、姉様。目覚めたお客様がものすごく面倒くさい相手です」

「レム、レム。ようやく起きたお客様が死ぬほどウザい相手だわ」

「だがお前らはそんなウザ面倒くさい俺にも誠意を尽くさなければいけないのだー! わぉ、久しぶりのこのお客様気分! 束の間だけどいい気分、イェア!」

なんだか鬱屈が溜まっていた分までテンションが爆発している気がする。

いつも以上にくるくると回る口に頼り、スバルの舌がいつにも増して軽い言葉を乱反射。と、

「――もう少し、静かに起きられなかったの?」

届いた声は入口の方角から。

そちらに目を向けると、扉のすぐ側に立つのは銀髪の少女だ。彼女はすでに開いている扉を軽くノックして、美貌の眉を呆れたようにひそめて、

「元気みたいでなによりだけど、病み上がりなんだから騒いじゃだめじゃない」

「心配しなくても、エミリアたんが俺の一番星だよ!」

「なんの話!?」

親指を立ててサムズアップし、歯を光らせて会心の決め顔。

渾身のスバルアクションにエミリアは額に手を当て、

「えーっと……」

言葉を選ぶように視線をさまよわせ、それから、

「とにかく、おはよう。無事でよかった」

安堵したように微笑むエミリア。

その彼女の微笑みに頷きを返し、スバルもまた頬をつり上げ、

「ああ、おはよう。――んじゃま、始めるとしようか」

スバルの発言の意図がわからず、首をひねる女性陣三人。

そんな彼女らに苦笑し、手を振りながらスバルは、

「ロズワール邸一週間――攻略スタートってこと」

誰にでもなくまず自分に、言い聞かせるように断言した。

――さあ、物語を動かそう。

スバルの望む人たちと、スバルの望む朝を見上げるために。

五度目の一日目、ロズワール邸の朝が始まる。