軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二幕 宝飾の国、芸術の国、そしてもう一つの国の姿は

音を立てて、風が吹き抜ける。

建物に視線を向けているアレスティオは、せわしなく動き回る白衣の人々の姿を指した。

「転送装置には、まだ改良の余地が残されていてな。どうしても魔道具にはできない繊細な調整が必要で、そこはあそこにいる研究者達が分担している。将来的にはすべてを自動化できるのが理想なんだが……って、アンジェリーナ?」

気持ちよく話していたアレスティオは、隣からアンジェリーナの気配が消えたような気がして横を向いた。すると想像のとおりに彼女の姿はなく、代わりに何かを捕らえそこねた格好で固まるジルベルトがいた。

「どうした、ジル。アンジェリーナは?」

「すまない、逃げられた」

「へ?」

「はじめて見る転送装置に興味津々らしい」

苦い顔をしたジルベルトの指す先にアンジェリーナの背中がある。

アレスティオは、みるみるうちに小さくなっていく背中を視線で追って、思わず声を上げた。

「もうあんなところにいる。アンジェリーナは逃げ足が速いなー!」

「そうなんだ。しかも段々腕を上げていて、捕まえようとするとうまくタイミングをはずされる」

「元がつくとはいえ、対魔獣特務部隊隊長から逃げるとは将来有望じゃないか。どうだ、嫌がらないならアンジェリーナに護身術でも教えてみたら。彼女が自分で自分の身を守れるようになれば、ジルも安心できるだろう」

アレスティオは笑いながら肩を叩く。

するとジルベルトの眉間に深くしわが寄った。

「基本的な動きは一応教えてある。ただ、使えるというレベルには程遠くて」

「どういうことだ?」

「とっさに手や足を出すとき、右と左がわからなくなるんだ。『どっちでしたっけ』と聞かれる」

「それは……、たしかにだめだ。確認している間にやられてしまう」

「魔除けの力のせいで万能にも思えるが、アンジュは人間だ。神ではないし、当然のようにできないことや力の及ばないことだってある。なのにそうは思ってくれない人間がいることのほうが今は心配だな」

そうつぶやいて、ジルベルトは深々と息を吐く。苦笑いを浮かべたアレスティオは、ふと真面目な顔をした。真剣な眼差しでジルベルトと視線を合わせる。

「ひとつ聞いてもいいか?」

「どうした、改まって。珍しいな」

「そこまで大切にしておきながら、どうしてアンジェリーナと婚約していない? ジルはそういう線引きをきっちりする男と思っていた」

「それはもちろん大切だからだ」

迷うことなく、きっぱりとジルベルトは言い切った。

意図が読めなくてアレスティオは首をかしげる。

「なぜだ。大切な存在だから、婚約でも国の権力でも使えるものは全部使って守るのだろう?」

「審議の場で聞いた。アンジュは亡国セントレアで国主導の望まない婚約を結ばされていたそうだ」

ジルベルトの表情がほんの少し暗くなる。

亡国セントレアがアンジェリーナと伯爵子息の婚約を結ばせた目的は、聖女を国に縛りつけるため。平民という彼女の弱い立場を国は利用したのだ。

「心に負った傷の深さは本人にしかわからない。いくら保護が目的であっても、傷の癒えていないアンジュに次の婚約を求めるのは酷ではないかと思った」

「たしかに、そんな経験をしたアンジェリーナに婚約してくれとは言いにくいか」

アレスティオが難しい顔をする。

しかも婚姻に契約が絡むような貴族令嬢とは違って、平民であるアンジェリーナは本来なら婚約を結ぶ必要はなかった。

アンジェリーナの背中を視線で追いながら、ジルベルトは目元をゆるませる。

「縛られるもののない今のアンジュは自由で、幸せそうだ。国外追放になって行動が制限されることも多いのに、本人が望んでもいない婚約で縛るのはかわいそうだ」

「それもそうか」

アレスティオはジルベルトの横顔を見て、ふっと口角を上げた。

今のジルベルトもまた、アンジェリーナに負けないくらい幸せそうに見える。

「正直なところ、いまさら婚約なんてという気がしないでもないがな」

そうつぶやいたアレスティオの視線が離れた場所を歩くジャミルの背に向いた。その視線を追ったジルベルトは警戒するように目を細める。

「ただなぁ、今のままではああいうのがわんさか湧く」

「それが問題なんだ。アンジュが無能でも、役立たずでもないということが認知されるのは喜ばしいことなのだが、同時に面倒な横槍が増えている。悪意があるものはつぶしているが、うっとうしいことに変わりはない」

ジルベルトはあきらかに不機嫌という顔をする。

セザイア帝国やスワラティ竜王国での功績を伝え聞いた人々は、アンジェリーナの実力を知って使えると思ったらしい。あわよくば今のうちに取り込もうと、さまざまな恩恵をちらつかせて接触を試みる者が次々と湧いてくる。

ほんの少し考えこんで、アレスティオはジルベルトと視線を合わせた。

「だったらいっそのこと、アンジェリーナに状況を説明して『婚約したい』と言ってみたらどうだ? 本人が承諾すれば一気に解決だ」

「それが最善なのだが」

ジルベルトは言葉を切って、深々と息を吐いた。

今の状況を説明すれば、きっとアンジェリーナなら理解してくれるだろう。けれどジルベルトにすれば、彼女は聞き分けが良すぎるところもあって。

「婚約を強制する意図はないと、アンジュにうまく伝わるだろうか」

聞き分けが良すぎて、不平や不満も黙って呑み込んでしまいそうだ。

だからジルベルトは、その先に続く一歩が踏み出せないでいる。珍しく迷いをにじませた友人の横顔にアレスティオは苦笑いを浮かべた。

「迷う気持ちはわかるが、心配し過ぎじゃないか? ジルはアンジェリーナの意見を尊重しているだろう。亡国セントレアの形ばかりの婚約者だった男とは違う存在だということを一番わかっているのは彼女自身だ」

「それは、そうなのだが」

「ジルの思うままに、一人の女性として婚約したいと言ってみたらどうだ。そのうえでアンジェリーナが婚約を嫌がるなら別の手を考えればいい、違うか?」

ジルベルトに歩調を合わせながら、アレスティオは慎重に言葉を選ぶ。

「婚約という盾がなくても、今までジルは精一杯彼女を守ってきたはずだ。だからもっと自信を持っていいんだよ」

励ますように笑ってそうつぶやくとアレスティオは口を閉じる。ほんの少し沈黙があって、覚悟を決めたようにジルベルトは顔を上げる。

「そうだな、今後のことも含めて一度相談してみよう」

迷いが晴れたようなジルベルトの顔を見て、アレスティオはニヤリと笑った。

「次の行先としてラグイアーナ王国というのも最適じゃないか。もしうまく婚約までこぎつけたら、必要なものがあるだろう」

遠くからアンジェリーナがジルベルトを呼ぶ声が聞こえる。

ジルベルトが視線を向けた先には満面に笑顔を浮かべたアンジェリーナがいる。アレスティオは無邪気に跳ねるアンジェリーナの手を指した。

「そう、アンジェリーナに贈る婚約指輪だ!」

ジルベルトはアンジェリーナの揺れる手を見て、ほんの少し目元を赤くする。アレスティオはジルベルトの肩を叩いた。

「リゾルド=ロバルディア王国に限らず、婚約の記念として指輪を贈るのはどの国でも行われることだ。贈り物を渡すことは決して特別なことではないからな!」

これから向かうラグイアーナ王国は宝飾の国。

有名な工房が技を競い、優れた職人の作る一点ものの装飾品は婚約の贈り物として大変人気が高い。

言葉を重ねながらアレスティオは、ジルベルトに顔を寄せた。

「ジルだって、アンジェリーナにどんな指輪が似合うか考えたことはあるだろう?」

「それはまあ……よく考えているけれど」

「なるほど。よく考える、ねぇ」

からかうようなアレスティオの口調に顔を上げると、ジルベルトの隣でアレスティオが邪悪な笑みをうかべている。

……しまった、うっかり白状した。

ジルベルトは動揺を隠すように、そういえばと言葉をつなげた。

「最近スワラティ竜王国でいくつか新しい鉱山が見つかったそうだな。産出される宝石質の石を使った指輪がラグイアーナ王国では評判が良いらしい」

「さすがジル、よく知っているじゃないか……っておやおやー、この感じだと職人や工房の下調べまで済んでいたりして」

心底から楽しそうなアレスティオの顔をジルベルトは軽くにらんだ。アレスティオは軽やかに声を上げて笑う。

「普段はかわいげがないのに。ジルはアンジェリーナがからむと別人だな!」

「悪いか」

「そうか、そうかー。それだけ楽しみにしているということか」

――――アンジェリーナを婚約者と呼ぶことを。

アレスティオがささやくと、ジルベルトの顔がますます赤くなる。いつになく表情豊かな友人の姿にアレスティオは柔らかく目を細めた。

「まあ、ジルにとって婚約者はご褒美みたいなところがあるからなー」

「それは……そうかもしれない」

すると会話がもれて聞こえたのか、先を歩くジャミルが立ち止まった。

「工房とか職人という単語が聞こえましたが何の話です?」

興味津々という顔でジャミルが会話に加わる。

邪魔をされたらたまらない。

とっさにそう思ったジルベルトは探るような視線を受け止めて、軽い口調ではぐらかした。

「なんでもない、こっちの話だ」

「そんなそっけない言い方をしなくても。ああ、もしかしてアンジェリーナへの贈り物ですか? ジルベルトも他人行儀ですね、贈り物をするなら私に頼んでくださればいいのに。安全確実、しかもお友達価格で一級品が手に入りますよ?」

あいにく百戦錬磨の商人にその程度の誤魔化しは通用しなかった。

さらっと言い当てたジャミルは麗しい笑みを浮かべる。鞄にしまってあった装飾品の冊子をジルベルトに見せながら、あれこれと説明を添えて商品を勧める。

胡散臭い作った笑顔、途端にジルベルトは冷ややかな声でつぶやいた。

「まったく信用できないな」

「おや、なぜでしょう?」

「うまく誤魔化されて、変な物を売りつけられそうだ」

「失礼ですね、そんなことはしませんよ。私は信用第一の特級商人ですから」

ここぞとばかりにジャミルは笑みを深める。

途端に二人の間に不穏な空気が漂いはじめて、間に挟まったアレスティオは思わず苦笑いを浮かべた。

この期に及んでアンジェリーナにちょっかいをかけるジャミルも諦めが悪いし、ジルベルトもアンジェリーナが絡むと微妙に大人げないところがある。

場の空気を切り替えるように、ジルベルトが顔を上げた。

「アレス、兵士がこちらに気がついたようだ」

「了解」

アレスティオが近くにいる兵士に合図を送った。駆け寄ってきた兵士が、アレスティオの竜の目に気がつく。兵士の顔から一気に血の気が引いた。竜の目は竜騎士の証であり、現在、竜騎士は王族にしかいないからだ。

ただちに責任者が呼ばれて、一言、二言。王の血を引く者の風格を滲ませてアレスティオは言葉を交わす。

さらにジャミルが懐から特級商人である身分証を取り出した。陽光を弾くセザイア金貨の輝きに兵士達には動揺が広がった。

「ジルベルト、ここは私に任せて下さい。こういうときのために特級商人には様々な恩恵があるのです」

「それもそうだな、あとは頼んだ」

「承知しました」

ジャミルは商人の顔でアレスティオの背後に従い、交渉する。さほど時間をかけずにアレスティオがジャミルを連れて戻ってきた。

「許可が出たぞ。一回につき、最大二人までだ。一番は俺とルベル、次はジルとアンジェリーナ。荷物と一緒にジャミルは最後な」

アレスティオは専用の呼び笛を吹いてルベルを呼び戻した。魔法で幼体へと戻ったルベルは、おなかいっぱいという満足そうな顔をして寝袋に潜り込んだ。

「さあ、行くぞ」

迷いのない足取りでアレスティオは転送装置に乗った。驚かないようにと寝袋を軽く揺らしてルベルに話しかける。

「いいか、ルベル。これから魔法を使って他国に移動するんだ。転移するときに、多少の気持ち悪さはあるかもしれないが我慢してくれよ。これから行く先は宝飾の国だからルベルの好きなピカピカした石がいっぱいあるぞ」

袋の中からうれしそうにルベルの鳴く声がした。

それと同時に転送装置が稼働する。

まずは一人と一匹が姿を消した。

「次は我々だ」

「楽しみですねー、ジル。芸術の国ですって。私、歌劇を一度も見たことがないのですよ!」

浮かれた様子のアンジェリーナにジルベルトはため息をついた。

「迷子になりそうな予感しかないな。ほら、ちゃんと手を握って」

「もちろんですよ、もう離さないと決めたのです」

ほんの少し頬を赤らめてアンジェリーナがジルベルトの手を握り返した。途端に握った手を見つめて、目元を赤くしたままジルベルトはつぶやく。

「そういえば転送機に乗るたびにアンジュが目を閉じるのはなんでだ?」

「それはですね……なんでだと思います?」

企む顔でアンジェリーナは笑った。

魔法が行使されて、目を閉じたアンジェリーナと真っ赤な顔で心臓を押さえたジルベルトの姿が消える。

――――

最後に残ったジャミルは苦笑いを浮かべた。

「皆、浮かれていますねぇ」

ジャミルは疲れた肩をほぐすように、丸めた冊子でトントンと叩いた。

ここから先は自分のような商人にとって敵地、気が抜けるのも今のうちだけ。転送装置に乗ったジャミルの唇が歌うように不穏な言葉をつむいだ。

「光があれば闇がある。国にも表と裏の顔があるのも当然のこと。表のラグイアーナ王国は宝飾と芸術の国。そして裏にはもう一つ別の顔が。我々セザイア商人はあの国をこう呼んでいる」

悪徳商人の国――――。

誰ともなくつぶやいて、口元を固く引き結んだジャミルの姿が消えた。