作品タイトル不明
第九話 さあ、かつての豊かな海を取り戻しましょう
甘味にほんのり塩味、苦味ちょっと多め。
シーサーペントは甘党だった。
それがわかって、二日後。実験結果を披露するには最高の晴天です!
場所はファハド先生に教えてもらった観測拠点のひとつ。使っていた高台の拠点では狭くて今日の作業にはむかないということで広さのあるこの場所を舞台に選んだ。
「おはようございます、ラシムール公爵子息!」
「ですからジャミルと名前呼びで差し支えありませんよ」
「あははは、冗談がお上手ですねー。お断りします!」
不敬罪免除バンザイ。遠慮なくお断りできるのは助かる。すると離れた場所から大勢の護衛を連れた人物が歩いてくる。姿を見て、アンジェリーナは一瞬目を丸くした。
「サフィーム・セザイア皇太子殿下」
ジルベルト様と揃って深々と礼の姿勢をとった。
彼は軽く手を振って人々の姿勢を戻すと、アンジェリーナに視線を向ける。
「準備はできたと聞いてね、結果を見に来た」
「ご期待に添えるよう全力を尽くします」
「そういえばジャミルとずいぶん仲良くなったようだね。最近の彼はアンジェリーナ嬢の話ばかりだ」
「サフィーム様、余計なことを言わないでいただけますか」
咎める口調は苦々しいけれどラシムール公爵子息の顔つきは変わらない。
アンジェリーナは半目で彼を軽くにらんだ。
私の話といえば、きっと図太いとか、ふてぶてしいとか、そんなところだろう。
面白そうに口角を上げて皇太子殿下は穏やかな海を見つめた。
「事前に手順を聞いてはいたけれど、今ひとつ信じきれないところがあってね」
「そうでしょうねー、今は見ればわかりますとしか言えません」
アンジェリーナは真面目な顔でそう答えた。
人は目に見えるものしか信じない。裏を返せば、見れば相手が誰でも信用するものだ。
「では早速見せてもらおう」
「承知しました。ラシムール公爵子息、準備はよろしいですか?」
「ええ、業者は待機しています。兵士も配置していますよ」
「では始めましょうかー」
のんびりと笑って、アンジェリーナは紫のローブを身にまとった。
陽光に背中のド派手な刺繍が輝く。サフィームは目を見張って、横に並ぶジャミルの耳元にそっとささやいた。
「布、糸、刺繍の技術もすべてが一級品だ。さすが聖女の国、セントレア王国の聖女筆頭だっただけある」
「そうですね、私も初めて見たときは驚きました」
ローブに使われているのはすでに世から失われた貴重なものばかり。あれは相当の値打ちがあるだろう。密やかに会話を交わす彼らを横目にジルベルトはアンジェリーナの隣に並んだ。
「防御陣を張らなくていいのか?」
「ええ、ジルベルト様と一緒に森のめぼしいところに常設型の魔除けの結界を置いてきたでしょう。蜘蛛程度ならそれでこと足ります。それとは別で血の匂いに寄せられる魔獣や魔物はいますから兵士の皆様に適宜排除していただくようにラシムール公爵子息にお願いしました。皇太子殿下の御前ですもの、皆様張り切って訓練の成果を発揮してくださることでしょう」
擬似的に魔獣の大移動を経験させたということは皇太子殿下も聞き及んでいるはず。訓練とはいえ兵士を動かすのだ、彼が知らない訳はない。この場で訓練の結果を十分に活かすことができれば、指導したジルベルト様の評価もさらに上がるだろう。皇太子殿下の御前ということで緊張する兵士達を横目にアンジェリーナはほくそ笑んだ。
ジルベルト様の腕前を知らしめる良い機会だもの、有効活用しないとねー!
濃い潮の香りがしてアンジェリーナは視線が海に引きつけられる。くっきりと水平線が見えて、導かれるようにセザイア帝国の晴れ渡る空を見上げた。
ずっと海ばかり見てきたけれど、見上げた空の色も海を映したかのような鮮烈な青だ。
この青もおばあさまにも見せてあげたかったな。
それとも空の上で、もう見飽きたーなんて贅沢なことを言っているのかしら。
ひっそりと笑ってアンジェリーナはランタンに魔力を流した。
滞りなく結界が展開したことを確認してジルベルトは彼女の横顔を見つめる。
相変わらず何かを企んでいるような、油断ならない表情だ。
でもこの自信に満ちた横顔こそが、ジルベルトにとって一番守りたいもの。
「アンジェリーナ」
「はい」
「遠慮はいらない、思う存分見せつけてやれ」
「はい!」
ジルベルト様と並び立つにふさわしい実績を我が手中へ。
アンジェリーナは光り輝く水面を見つめた。
乞い願うように祈りを捧げて内側を黒く塗り替える。体に馴染んだ今ならこの体勢でなくても塗り替えることができるけれど、そこは慎重に。
一片の欠けもなく真っ黒に塗り替えて伏せた瞼を上げるとジルベルト様は無言で軽く顎を引いた。
大丈夫、瞳の色は紫だ。
いつかの会話をなぞるように微笑みながら彼は指先を目尻に伸ばした。
アンジェリーナは頬を染めて小さく笑うと視線を海に向ける。
「それではいきますよー!」
離れた場所で待機するラシムール公爵子息に合図を送ってからアンジェリーナは配合した魔力を放出する。
それと同時に魔法を放った。
水の罠、アンジェリーナは捕まえた獲物を天に高々と掲げる。
水に閉じ込められているのは、大海蛇とも呼ばれるにふさわしい胴と尾の長い魚。鋭く尖った歯に、全てを呑み込むような大きな口。そして魔性に狂わされた真っ赤な目。
シーサーペント、しかもいきなり全長二十メートルを超える大物だ。
伝説でも船を沈没させたとされるだけあって気性が荒いのは間違いないらしい。激しく抵抗するように身をくねらせてシーサーペントは水の檻の中で暴れ回る。狂気に取り憑かれたようなその姿が人々の恐怖をさらに煽った。
「な、なんて大きさだ!」
「あんな生き物が海の下を泳いでいたなんて!」
いまさらなんだけれどねー。
青ざめた人々の姿を横目にアンジェリーナはそのまま所定の場所に水の塊を下ろした。警戒するように剣をかまえた兵士達の前で勢いよく水球が弾ける。ドサリという大きな音を立ててシーサーペントの巨体が地面に落ちた。
さあ、どれだけ激しく抵抗されるのか。
だが勢いよく落ちたシーサーペントは長々と横たわるだけでピクリとも動かない。
すでに息絶えている、そのことにようやく気がついた兵士達は背筋に薄ら寒いものを感じて振り向いた。
これほど強大な敵を、どうやって。
彼らの視線の先には紫水晶色の瞳を陽光に煌めかせたアンジェリーナがいる。
不敵な微笑み、一際強く吹いた波風に紫のローブが舞った。
「魔のつくものを滅するか、それとも退けるか。それは力を与えた神の望むままです。それが魔除けの力というもの。ここにいる私はあくまでも双方を仲介する者に過ぎません。増え過ぎたシーサーペントが人々を苦しめるのを神は良しとしなかった。その神意が救いとなって、このような奇跡が起きたのでしょう」
アンジェリーナが醸し出す空気は、かつて聖女と呼ばれた女性にふさわしく神聖で威厳に満ちていた。
さすが元聖女とアンジェリーナの言葉に人々は感じ入ったように頭を垂れる。静謐な空気が流れる中、ジルベルトはアンジェリーナに近づいて耳元でささやいた。
「六十五点。神意と誤魔化しているが、笑いを堪えたせいで語尾と肩が震えている」
「辛口ですね、しかも誤魔化しだなんて。九割本当ですよ!」
「それなら残り一割は?」
「絡みつく蔦草の 冥契(めいけい) 、つまり毒です」
古より蔦草とは毒の隠語とされる。魔除けの力は魔のつくものにとって毒に近い。アンジェリーナは、それを濃くしたものを意図して甘い魔力に混ぜた。
「人の世でも言うではありませんか、よく効く毒ほど甘いと。暴れるほどに毒は巡る、そういうものです」
「……毒か」
「ああ、心配には及びませんよ」
ジルベルトの固い表情に、意図を察したアンジェリーナは柔らかな笑みを浮かべる。
「魔除けの力は人を傷つけない。ですから触れても食べても毒が人体に影響を与えることはありません。我々の使う魔法は人を傷つけるものではないことをすでにご存知でしょう?」
「だからだ。聞けば聞くほど我々に使い勝手が良すぎて、そっちのほうが心配になる」
本当に誤魔化されてくれない人だとアンジェリーナは小さく笑った。
侮られることなく、程よく身の安全を確保するには、手を出すと危険が伴うと知らしめるほうが都合がいい。罪人という扱いもそう、神の僕であり聖女であったという過去もそのために利用する。
けれど彼のように騙されてくれない人がもう一人いた。
お望みどおり、聖女らしく振る舞ってあげたわ。どうかしら?
視線の先ではラシムール公爵子息が明らかに胡散臭いという顔をしている。
唐突に彼の口元が小さく動いた。
嘘だな。
咎めるような視線にアンジェリーナは苦笑いを浮かべた。聖女としての勘というものだろうか、あの孔雀石の色をした瞳には嘘や誤魔化しがきかないような気がする。
真実を見通すとされる彼の目に見抜かれているものは何か。
それはわからないけれど、無駄に騒ぎ立てて仕事の邪魔をしないのは助かる。
「さあ、かつての豊かな海を取り戻しましょう!」
アンジェリーナの鼓舞する声に歓声が混じった。さまざまな生き物が織りなす色鮮やかなセザイアの海を再び。
こうして熱狂とともに前代未聞の魔物狩りが始まった。
そして気がつけば陽は傾き、夕刻。
「これで終了です!」
「全部で十二匹か、とんでもない数が潜んでいたものだ」
「想定よりだいぶ多かったですね」
進捗を見守っていたラシムール公爵子息だけでなく、皇太子殿下の顔色も冴えない。数だけならたいしたことはなさそうだが、全部が体長十メートル越えの大物ばかりだ。しかもそれとは別に変異種も捕まえておいた。
国の上層部は五、六匹くらいと思っていたそうだ。だが蓋を開けてみれば想定外の大きさのものが倍以上いたということになる。
たしかに大食いがこれだけいれば海の生き物が餌となって姿を消すのも当然というもの。アンジェリーナは作業の進捗を確認するジルベルト様を振り向いた。
「どうです、解体作業は終わりそうですか?」
「ああ、なんとか日没には間に合いそうだ。数はそこまで多くはないが、鱗が固いし体が大きいので捌くのが大変だったらしい」
シーサーペントは伝説にしか存在しないはずの希少な種だった。それが採れたのも初めてのことで、解体もまた初めてのこと。解体専門の業者でも、そもそも解体の仕方がわからない。とにかく通常の作業手順を参考に採取できそうな部位をすべて切り分けることになった。
「そういえば採れたシーサーペントの素材はどうするのです?」
「証拠としてセザイア帝国に納品する物以外はすべてリゾルド=ロバルディア王国に送ることにした」
「素材として出回るのも初めてですから、未知の素材に研究者の皆さんが狂喜乱舞しそうですねー!」
「想像以上に喜んでいたなぁ、しかも試作品を思いついたので試せとかなんとか言っていたような」
語尾が中途半端なのは、連絡の途中で興奮した研究者が乱入したかららしい。あまりにもうるさいのでジルベルト様は途中で通信を切ったのだとか。
想像つくわと、アンジェリーナは苦笑いを浮かべた。
リゾルド=ロバルディア王国の人は冷淡そうに見えて暑苦し……訂正します、勤勉な人が多いのです。情熱の向く先が、剣や魔法なのか、研究なのか、それ以外かという方向性の違いだけなのです。
「おもしろそうな話をしていますね」
背後から話に食いついてきたのはラシムール公爵子息だ。利益になりそうな場面では鼻が利くのはさすがです。
「貴国の魔道具や魔法薬は評判が良い。どうでしょうか、試作品の段階で見本を」
「リゾルド=ロバルディア王国に直接交渉をお願いします」
ジルベルト様は被せるようにスパッと言い切った。面倒事になりそうな予感がしてフェレス隊長に丸投げするつもりなのだろう。かわいそうに、こう続けてでは本気で搬送者とか出るのではないかしら?
「胃薬になる素材って蛇でしたっけー? 気付け薬は蜘蛛の毒?」
「そうだ、特に今は上位種の需要が高いらしい」
「了解ですー、後始末のついでに捕まえてきますー」
ごめんなさい、私にはこんなことしかできない。
するとアンジェリーナの言葉を聞いたラシムール公爵子息が首をかしげた。
「アンジェリーナ嬢、後始末とは何ですか。これで終わりではなかったのです?」
「とんでもない、本番はここからですよ」
「これからまだ続きがあるとでも言うのですか?」
眉をひそめたラシムール公爵子息にアンジェリーナは真面目な顔をした。
「最初に申し上げたではありませんか。今回の件、大海蛇を狩るだけで済むような単純なものではありませんと」