軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十八話 どうしてこんなにも感情が揺さぶられるのでしょうか

まだ目覚めのない朝がくる。

おじいちゃんによると解毒の効果はあって体は復調しているようだ。でもまだジルベルト隊長は目覚めない。締め切ったカーテンの隙間から差し込む陽射しにアンジェリーナは目を細めた。

解毒剤を届けたアンジェリーナは王への報告を済ませたおじいちゃんと入れ違いに客室へと戻ってきた。そしてそれ以降、外に出ることは許されていない。たとえ許されたとしても外に出る気にはならなかっただろうけれど。

どうして目覚めないのだろう。実のところ薬は偽物だったのか。

日増しに思い悩む時間が増えていく。

アンジェリーナは細く開けたカーテンの隙間から中庭にある魔の巣窟を見下ろした。湧く魔獣や魔物の数は落ち着いているけれど、アンジェリーナの揺れやすい心を映すように強弱を繰り返している。

魔除けの力が弱まっているのだろうな。同じ弱まるでも、おばあさまのときとは違う。迷いがアンジェリーナの心を弱くしていた。

このまま居座っていていいのか。

すべてを失う覚悟で出ていくことに決めたじゃないか。

それなのにこの状況はすがりつくようで未練がましい、でも私は……。

ちょうどそのとき、視線の先で魔狼が生まれた。見張りはどうやら新人のようで剣を持つ手が震えている。恐怖で身動きが取れないらしい。先輩格の兵士が魔法を放つけれど、それをうまく避けた魔狼は哀れなる生贄に牙をむいて食いつこうとした。

「燃えろ」

詠唱の省略、でも威力は十分。食いつこうとする体勢のまま魔狼は灰となって崩れ落ちた。隊員の視線がこちらに向く前にカーテンを閉める。

今は相手が誰でも、どんな顔をして会えばいいかわからないのよ。

セントレア王国のときのように責める色合いの視線を向けられたらと思うと、誰とも向き合う気持ちになれなかった。だからこうしてカーテンを閉め切ったまま魔獣の強さによって援護したり、酷い怪我はその場で刻戻しの魔法を使って治したりする。

それでもジルベルト隊長の代わりには程遠い。火が消えたような対魔獣特務部隊本部の静けさがアンジェリーナの精神を徐々に蝕んでいた。

そして目覚めのないままに一週間が過ぎたところで、アンジェリーナの部屋にノックの音が響いた。

ようやく目覚めたのか!

アンジェリーナは期待に胸を躍らせて扉を開けた。だが扉の先にいたのはおじいちゃんではなくフェレス副隊長だった。彼はほんの少し目を細めたあと、苦笑いを浮かべる。

「そんなあからさまに落胆されるとこちらも申し訳ない気持ちになりますね」

「すみません、失礼しました」

「いいのです、気持ちはわかります」

部屋の外で控えていた兵士に合図を送ると、フェレス副隊長は扉を開け放った。そしてソファーに座るようアンジェリーナをうながす。そしてぎこちなく座ったアンジェリーナの向かいの席に彼も腰を下ろした。

開け放った扉からカートを押して入室した侍女が、芳しい紅茶を入れた茶器をフェレス副隊長とアンジェリーナの前に置く。そしてアンジェリーナは顔をあげることなくただ静かに侍女が退出するのを待った。

やがてカートが遠ざかる音がしてアンジェリーナは顔をあげた。どこか悲しそうな顔をしたフェレス副隊長と視線が合う。

「一週間ぶりですね、少し痩せましたか。侍女からあまり食事をとっていないと聞いています」

「大丈夫です、元気ですよ。決して病気とかではありませんので安心なさってください」

アンジェリーナはいつものように明るく笑ってみせた。でもこの人はとても感情の機微に聡い。

「無理しないでください。誰だってこんな状況は精神に堪えるものだ」

「そうでしょうか……」

「隊員達から聞きました。隊長や私の代わりにあなたは魔の巣窟を管理してくれていたようですね。弱い魔獣はそのまま隊員達に狩らせて、手のかかる強力な魔獣や魔物は自ら排除してくれた。ひどい怪我を負った隊員には刻戻しの魔法で完治までさせてくれたそうですね。皆が感謝していましたよ」

「……」

「ただカーテンが固く閉じられていて、元気な顔を見せてくれない。それだけが気がかりだと言っていました」

不覚にも泣きそうになる。ジルベルト隊長も、フェレス副隊長も。この国の人はどうしてこんなにも優しいのだろう。私は無能で役立たずかもしれないのに、それでも信頼して任せてくれる。闇の奥でもがいていると、必ず手を差し伸べてくれるのだ。

「私にできることは、それしかないのです」

もしここにヘレナがいたら、ジルベルト隊長は目覚めているかもしれない。彼女は性格に難があったけれど、癒しの魔法に対する適性がとても高かった。適性が高いということは、治せる症状の幅が広いということ。

うらやましい、今の私はこんなにも無力だ。

「……どうして私が魔除けの聖女だったのでしょうか?」

思わずこぼれ落ちた言葉を拾って、フェレス副隊長は動きを止める。そしてほんの少し首をかしげると、やがて深く息を吐いた。

「アンジュだけが特別だというわけではないと思いますよ。誰しもが何かしら優れた力を持ち、人よりも劣る力を与えられて生まれてくる。ただそれを選ぶことができないというのは、誰も同じなのです。あなたが誰かの力をうらやむように、誰かもまたあなたの力をうらやましいと思っている。一緒なのです、魔除けの聖女であってもそうではなかったとしても。力及ばないときというのは誰にでも存在するものなのですよ」

「……」

「これだけはわかってほしい。責められるべきはあなたではない」

どうしてここまで的確にアンジェリーナの悩みを言い当てるのか。瞬きをして、思わず苦笑いを浮かべる。

「前から思っていたのですけれど、フェレス副隊長は人の心が読めるのではありませんか?」

「ええ、読めますよ」

カチンと固まったアンジェリーナの顔を見て、フェレス副隊長は軽やかに笑った。

「嘘です、そんな魔法はありませんよ。ただ前から言っているように、あなたは意外と顔に出やすいのです」

「あまり表情が変わらないので昔はよく気持ち悪いと言われていたのですけれど」

「ああ、そうそう。セントレア王国のことは気にしないでいいですよ。もう国は潰しましたし。各国の地図から消えるのもまもなくのことでしょうね」

「はい?」

言葉を反芻してアンジェリーナは指折り数えた。ちょっと前まではまだ国らしきものが存在していたよね。そもそもアンジェリーナがセントレア王国を出てから数えても、ざっと二ヶ月くらいしか経っていない。

「早すぎません?」

「きっと遅かれ早かれだったのです。引き金を引いたのは我々でも、民や神官、貴族や王までもが国を守ろうとしなかった。だから滅ぶのは当然のことだったのでしょう」

国を守ろうとしなかったから。誰よりも国の守りを優先したはずのセントレア王でさえフェレス副隊長の目にはそう映った。あの人、人の話聞かなそうだからなー。自分本位に突っ走って自滅したって不思議じゃない。

「一応区切りがついたので、あなたにも話しておきましょう」

そしてセントレア王国とセントレア王がどのように処分されたのかを教えてくれた。領土は三分割され隣接する三国に領民ごと吸収、貴族は爵位剥奪、神殿は分解され神官は一部を除き放逐。

「そして聖女は、あなたも含めて全員この国で保護します」

領土や領民という宝は他国に、聖女という人材をリゾルド=ロバルディア王国が。そういう落としどころか。国の判断にアンジェリーナがどうこう言う権利はない。ただ無言のまま曖昧に微笑むだけだ。

「すみません、あなたにはつらい状況だとは思うのですが」

「どうしてそう思うのです?」

「セントレア王国が一丸となってあなたを虐げていたのです。そこに聖女が含まれていないわけがありません」

神官長の部屋からアンジェリーナの聖女解任要求書が見つかったという。そこにはグイド神官の名とともに、神殿に所属するほとんどの聖女の名が記されていた。まあ、そうだろうなー。いなくても困らないのだから、神官から求められたら深く考えもせずに署名するだろう。

「彼女達のほとんどが積極的に嫌がらせをしてきたわけではないのです。ですが会いたいとも思わないのですよ」

正直なところ、顔を見るのもただただめんどくさい。

「どんな対応をしてくるかによりますが、場合によってはやり返していいですか?」

「いいですよ。それに全員が聖女である必要はないと思っていますから」

いい顔でフェレス副隊長は笑った。セントレア王国の神殿が認めた聖なる力というのは非常に幅が広い。国にとって有益な力もあれば、別に聖女でなくてもいいよねという力もけっこう含まれていた。

それをふるいにかけて、選別する。その中にアンジェリーナというふるいが含まれたとしても別にいいよね。

どちらにしても、この国に長居することはないのだから。

「最後に、私の処遇はどうなるのかお聞きしても?」

「……保留ですね。これ以上は私の口からはいえません」

ジルベルト隊長が目覚めるまでは決められないということか。

「隊長の状況はいかがですか?」

「先ほど治癒の魔法をかけてきました。体調は良くなっているはずなので本当に目覚めないだけなのです」

ちなみに調薬の聖女ユリアンネを問い詰めたが、あれは間違いなく本物の解毒剤だと答えたそうだ。対となるもので間違いないと頑なに証言した。自分の命と推しとの未来かかっているのだもの、それは必死になるわよね。

「ただし、個人の体質によって効きやすい者と効果が出にくい者がいるそうです。もし彼女の言葉が本当なら隊長はそちら側なのかもしれませんね」

たしかに彼女の解毒剤は個人によって効果にバラツキがあった。そこが課題なのだと言っていたが、改良できなかったらしい。

「ただ隊長の場合は毒によってずいぶんと体力を削られています。その状況で目覚めないのは非常に危うい。最悪の場合も想定しなければなりません」

フェレス副隊長の言葉に覚悟のようなものを感じてアンジェリーナは息を呑んだ。アンジェリーナのせいでまた大切なものが失われてしまう。

「会いたいですか?」

「会いたいです」

おばあさまのときと同じように何もできないけれど、せめてそばにいたい。それだけが無力なアンジェリーナにできる唯一のことだから。

フェレス副隊長と一緒に客室を出て、ジルベルト隊長のいる部屋へと向かう。ひとつ深呼吸をして扉を開けた。思っていたよりもやつれてはいなかったけれど、線が細く肌の色が一段と白くなっている。フェレス副隊長にうながされて椅子に座ると、両手で彼の手を握り、祈るように額に当てた。

「……どうして隊長がこんな目に。私は覚悟していましたよ」

審議の場にセントレア王国の使者が同席すると聞いた時点で仕掛けてくることはわかっていた。それがもしかしたら命懸けになるかもしれないということも。

「助けてもらった身で、こんなことをいうのは間違っています。わかってはいるけれど、どうしても願わずにはいられないのです」

強く手を握りしめてアンジェリーナは声を震わせた。

「死ぬのはあなたではなく、私のはずだった」

「ダメだ、アンジェリーナ!」

何を願うか予想したらしいフェレス副隊長が止めた、そのときだ。

「……それは困る」

かすれた、小さな声だった。でもすぐそばにいたアンジェリーナの耳にははっきりと届いた。

「あ、たいちょう……ジルベルト隊長!」

「目覚めたときに自分が無事で、君がいないほうが悲しい」

ハッとして顔をあげるとまぶたが開いて優しい灰色の瞳と視線が合った。

未だに信じられなくて、無言のまま耐えるように瞳を伏せる。安堵と焦燥、喜びと興奮、あらゆる感情が一気に押し寄せてくる。

「遅いですよ、ずっと目が覚めるのを待ってたのです!」

ああもう、どうして。もっと違うことが言いたかったの。生きていてよかったと、助けてもらったお礼と感謝の気持ちを笑顔で伝える。

そうすれば、最後まできれいな思い出のままでいられたのに。

本当はひとりになるのかと思うと苦しくて、また置いていかれるのだと思うとこわかった。かろうじて保ってきた最後の一線を易々と乗り越えて、未知なる感情が次々とあふれ出す。

「アンジュ⁉︎」

焦ったような誰かの声がしてアンジェリーナは自分が泣いていることに気がついた。おばあさまを亡くしてからずっと貯めていた負の感情が一気に吹き出したみたいだ。一度感情があふれてしまうとどうしても止められなくなって、結局そのまま声をあげて子供みたいに泣き続けた。

「まずい、カオスだ……」

フェレス副隊長はあわてて誰かを呼びに行き、何事かと飛び込んできたおじいちゃんは呆れたような顔で泣き続けるアンジェリーナを部屋の端に追いやった。それからじっくりとジルベルト隊長の診察を始める。

「目覚めたばかりにしてはずいぶんと意識がはっきりしているようだな」

「少し前から目は覚めていた。でもなんだかまだ気だるくて寝たふりをしていたんだ」

かすれた声が途切れ途切れに聞こえる。内容はよく聞き取れないところもあるけれど、この声が生きている証だ。そう思うとどうしても涙が止まらなかった。

「部屋に戻ります」

これから心配した人々がお見舞いに殺到するだろうし、私が居座っても邪魔なだけだ。それにほっとした気持ちと気まずさが混ざり合って、どうにも落ち着かない。微妙に顔を伏せて表情を隠すと扉を開けて廊下に飛び出した。ついてきてくれた侍女にお礼を言って、まっすぐに客室を目指す。そして部屋に飛び込むと頭からシーツをかぶった。

やってしまった。

私をかばって怪我をした人にひどいことを言ったものだ。彼は悪くないのに、あんな責めるような態度をとるなんて。いまさらだけど申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「常に冷静でいようって思っていたのに」

泣いたせいで顔も心もぐちゃぐちゃだ。

うまくいかないことばかりだとアンジェリーナは深々と息を吐いた。

そして一方ジルベルトは診察が終わると、再び眠りについていた。繰り返される規則正しい呼吸。とりあえず峠は越えたとおじいちゃん――――王家専属の医師であるデザナント侯爵はほっと息を吐いた。

「フェレス様が部屋に飛び込んできたときは何ごとかと思いましたが、一安心ですな」

「本当にね。父もきっとよろこぶだろう」

フェレスも安堵したように深く息を吐いた。

「それにしてもまあ……なんともにぎやかなお嬢さんだ」

デザナント侯爵の視線が扉に向いた。誰のことだか名前を聞かずともすぐにわかる。驚きをにじませた侯爵の言葉にフェレスは苦笑いを浮かべた。彼の脳裏には臆することなく審議に臨むアンジェリーナの姿が浮かんでいる。あまりにも堂々とふてぶてしいものだから、彼女が泣くなんてまったく想像がつかなかったな。

「……」

「おや、なんだか面白くなさそうな顔をしているような」

「気のせいではないですか?」

感情を読ませないようにフェレスは笑顔を貼りつけた。悲しみも、怒りも。アンジュの感情を揺さぶるのが自分ではない。そのことがどうにも面白くなかった。デザナント侯爵は軽く口角をあげる。

「もう少し感情をあらわにしてみてはどうでしょう?」

「……」

「ときには万の言葉を紡ぐよりも相手に伝わるものがある」

年寄りのおせっかいですが、そう笑いながら侯爵は部屋を出ていった。できればとっくにやっている。フェレスはほんの少しだけ眉をさげた。

そういえばアンジェリーナもずいぶんと感情表現が豊かになったものだ。病人に声を荒げるなんて、出会ったころの彼女からは思いもよらない 失(・) 態(・) だ。でもあれだけ騒げば間違いなく本音だとわかる。どこか取り繕うような自分への態度とは違う時点で、彼女の答えは出ているような気がした。ジルベルトもそう、それが決して悪い変化ではないと思うだけに余計腹立たしい。

誰のせいとは言いたくないけれど。

どこか幸せそうに寝息を立てるジルベルトを見ていると、どうにも面白くなかった。

せめて一度くらいはあたふたさせてみせたいものだ。

元気になったら容赦しない。フェレスはひっそりと口角をあげた。