軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十四幕 三人目の容疑者は、魅惑的な声

『嘆きの魔唱姫』は悲しい恋のお話だった。

セイレーンは船乗りと出会い、恋に落ちる。初めての恋、だがこの船乗りは自分の兄弟を船ごと沈めた魔物を討伐するために探していた。

その魔物とは、実はセイレーン自身のことだった。漁師に縄張りを荒らされて、怒りに駆られたことが原因だ。しかも船乗りには恋人がいて、兄弟の敵を討つことができたら結婚すると誓いを立てたという。

好きになる前なら引き返せた、でももう引き返せない。

自分の恋か、相手の幸せか……そんなお話である。

独特の言い回しで難しいところもあったけれど、特にセイレーン役の声と演技がすばらしく、あっという間にアンジェリーナはお話の世界に引き込まれた。

「……大丈夫か?」

「すみません、感情移入して思わず」

ハンカチを差し出すジルベルトに、こう答えたときのアンジェリーナは完全に鼻声で。ハンカチで涙を拭いながら、女性店員が化粧をしてくれたときに「ラグイアーナオペラを鑑賞するときは水に強い化粧品でないとだめなのです!」と力説していた理由がよくわかった。

背後で扉を小さく叩く音がする。

ジルベルトが扉を開けると支配人が姿を現して、その背後から主役のセイレーン役を務めていた女性がきらびやかな舞台衣装を身につけたまま姿を現した。

「ご挨拶にまいりました。ここにいるのが歌姫、セイレーンにございます」

「本日はお越しいただきありがとうございました」

目元を隠すように仮面をつけた女性が深く一礼して顔を上げた。役柄を務めたときの雰囲気とは違って、かわいらしい雰囲気の女性だ。

歌姫と視線が合ったアンジェリーナは思わず眉を下げた。

「申し訳ありません、せっかく来ていただいたのにこんな状態で」

「ふふ、大成功のようですわね。役者としてはむしろ光栄ですわ」

彼女はアンジェリーナの泣き腫らした目元を見て、口元をほころばせる。

「お嬢様の紫水晶の瞳は、涙でぬれると宝石のように美しいですわ。ああ、そういえば。黒髪に紫水晶の瞳は色味が噂で聞く魔除けの聖女様と同じ。とても珍しいとお聞きしていたのですけれど、もしかして……」

歌姫はアンジェリーナの髪と瞳の色に視線を止める。

どうやら魔除けの聖女の噂はここにも届いていたらしい。

良い噂だといいけれど……、そう願いながらアンジェリーナは精一杯微笑んだ。

「私が魔除けの聖女本人です、国は滅んだので元はつきますけれど」

「まあ、あなたが……、お会いできて光栄ですわ」

歌姫の口調は、温かい人柄を現すようでまったく嫌味を感じさせなかった。仮面越しでもわかるくらい、彼女はうれしそうに口元をほころばせる。

アンジェリーナは思わずため息をついた。

美しいだけではない。彼女の声は魔法のように雰囲気を変える。

今はおだやかなのに、セイレーンを演じる姿はアンジェリーナでも思わず背筋が凍るような冷酷で残忍な魔物そのもので。自在に姿を変える魅惑的な声に思わず引き込まれた。

歌姫と視線を合わせて、アンジェリーナは首をかしげる。

「そういえば、あなたはセイレーンと呼ばれていると聞きました。なぜ、そのような呼び名をつけたのでしょう?」

「さすが聖女と呼ばれる力をもつ方です。セイレーンは魔物の呼び名ですもの、気になりますわよね?」

歌姫は一瞬目を見開いて、小さな笑い声を立てた。

顔の上半分が仮面で隠されているせいか、表情の変化がわかりにくい。そのせいで何を考えているのかわからないところがあった。

蠱惑的な笑みを浮かべ、指先を添えた歌姫の口元がくっきりと弧を描いた。

「お嬢様はセイレーンの伝説はご存じですか?」

「はい」

「海と接するこの国は、船を沈めてしまうセイレーンを憎んでいます。ですが一方で、彼女達の類まれなる歌声を愛してもいるのです。憎しみと同じくらいの情熱で愛される。私はそんな唯一無二の歌姫になりたいと思いましたの」

歌姫の声を聞きながら、アンジェリーナは迷っていた。

セイレーンと呼ばせたのは、偶然だった。華やかな世界を夢見ていただけで、考え方はアンジェリーナの知る人型の魔のつくものとは違う気がする。

それでももう少し、話を聞いてみようか。

アンジェリーナが口を開きかけたときだった。特別室の扉が開いて、青ざめた従業員が駆け込んでくる。何事かといぶかしむ支配人に耳打ちをした。

「……セイレーンが!」

こぼれ落ちたような支配人の声に、アンジェリーナも思わず声を上げた。

「セイレーンですか?」

「も、申し訳ありません。つい、うろたえてしまって。どうやら劇場の近くで見かけた者がいたそうです。当劇場へお越しいただくお客様には舟を使っていただいておりますので、運行に支障がでます。安全の確認ができましたらお声がけいたしますので、こちらでしばらくお待ちください」

アンジェリーナはジルベルトと視線を合わせる。支配人に声を掛けようとしたところで、アンジェリーナの耳が歌姫のつぶやく声を偶然拾った。

「まあ、あの子ったら。また逃げ出したのね。いけない子だわ」

「え?」

アンジェリーナの背が、ぞくりと震える。

温もりの欠片もない、冷ややかな声だった。

ハッとしてアンジェリーナが振り向いたときには、すでに歌姫はこちらに背を向けている。

……気のせいだろうか。

隣に立つジルベルトがアンジェリーナの顔をのぞき込んだ。

「どうした、アンジュ?」

呆然とするアンジェリーナの前で、静かに扉が閉まった。

ーーーーー

劇場から外に出ると、日は落ちて、周囲は真っ暗だ。

アンジェリーナは支配人の案内で舟に乗り込んだ。船着場につくと、周囲に人だかりができている。

「この人だかりはセイレーンが現れたからでしょうか?」

「そのようだな」

ふとアンジェリーナの視線が、暗がりの先にジャミルの姿を見つける。荷を背負っておらず、誰かと一緒にいるようだった。

声を掛けようかと悩んだところで、ジャミルの手から何かが相手に手渡されたのが見えた。紫色のものが街灯に照らされて、一瞬キラリと光る。街灯が灯り、周囲が明るく照らされてジャミルの相手の顔が見えた。

第一王女、エリティアの背後に立っていた側近の男性によく似ている。

アンジェリーナは思わず声を上げた。

「あれっ?」

「どうした?」

「あ、いえ。人だかりの中にジャミル様を見かけたような気がしたのですが……」

「ジャミルが、どこにいる?」

人波からアンジェリーナをかばいつつ、ジルベルトがアンジェリーナの視線を追った。けれど彼が振り向いたとき、アンジェリーナの指す先にはすでに二人の姿はなかった。暗がりの先を見つめていたジルベルトの声が一段低くなる。

「どんな様子だった?」

「顧客でしょうか、どなたかと一緒にいたようです。ただ……」

「なんだ?」

「相手が第一王女殿下の背後に控えていた男性に似ていたような気がします。ですがそんなわけはないですよね……すみません、別の誰かと見間違えたかもしれません」

あっという間の出来事、しかも暗がりのことでアンジェリーナもはっきりと言い切る自信はなかった。

けれどアンジェリーナは気づかなかった。

ジルベルトの視線が一瞬鋭くなったことに。ジルベルトは探るように目を細めると、アンジェリーナの背を軽くなでた。

「わかった、後でそれとなくジャミルに聞いておくよ」

「勘違いかもしれません。そのときはごめんなさい!」

「大丈夫。困ったことがないか、確認するだけだから安心していい」

落ち着かせるように優しく笑って、ジルベルトは再びアンジェリーナの手を握ると船着場から停車場へと歩き出す。

到着したものの、停車場はいつになく混雑しているようだった。

馬車を待つ人々の長い列ができているので、仕方なく少し離れた場所にある待合室で座って待つことにした。

アンジェリーナとジルベルトが奥のほうにある薄い板で仕切られた席に座ると、後から女性二人が待合室にやってきて、仕切りの向こう側に座った。

話に夢中の二人は、どうやら先客がいることには気がついていないらしい。

椅子に座ると、またすぐに話しはじめる。すると意図せず彼女達の会話が、仕切り越しにもれ聞こえてきた。

「またセイレーンが出たそうね、こわいわ」

「そういえば『嘆きの魔唱姫』が公開されるようになってからではないかしら。セイレーンがこの国に姿を現すようになったのは」

「では、まさか歌姫セイレーンが魅惑的な歌声で仲間を呼び寄せたとでも?」

「さすがに、そこまでは。ですがここだけの話、歌姫は異色の経歴をお持ちの方でしょう。あの方ならラグイアーナ王国に恨みを持っていてもおかしくはないと思いません?」

「歌姫の本名はヘレネ・スペリオーロ様。スペリオーロ伯爵家が破産したために、才能を買われて歌姫となった悲劇の伯爵令嬢」

「そうそう、それが謳い文句でしたものね!」

「伯爵家は騙されたことを国に訴えたけれど『だまされたほうが悪い』と訴えを一蹴されたとか」

「たしかにだまされるほうが悪いですが、どうも噂では第二王子殿下が紹介した商人らしいですわよ」

「まあ、王子が紹介した相手なら信じてしまいますわよね!」

話を聞きながらアンジェリーナは固まった。

気配を悟られないよう、静かにジルベルトと顔を見合わせる。

仕切りの向こう側で二人の話はまだまだ続く。

「そういえばヘレネ様は例の公爵令嬢と仲が良かったのではなかったかしら?」

「ああ、午前の部の悪役令嬢のお話に出てくるイグレーテ・エンデ元公爵令嬢よね」

「第二王子殿下の婚約者でありながら、有責で婚約破棄された人。なんでも第二王子殿下の恩情で修道院に引き取ってもらえるはずだったのに拒んだそうよ。結果として貴族籍をはく奪されたとか。平民になった彼女をエンデ公爵は公爵領にある別邸に幽閉しているらしいわ」

ここで、もう一人の女性は声をひそめた。

「公式には、そうなっているけれど。実は第二王子殿下とイグレーテ様の婚約について、とんでもない話を立ち聞きしたのよ。聞きたい?」

「もちろん!」

気をつけているつもりらしいが、話すほうも聞くほうも興奮した様子だった。少しずつ、少しずつ二人の話し声が大きくなっていく。

アンジェリーナは絶対に気づかれたくなくて、息を殺すように両手を口に当てた。ジルベルトは聞き逃さないよう仕切り板に寄りかかりつつ、身動き一つせずに気配を消している。

「第一王子殿下に婚約者がいたのを知っている?」

「ええ、たしか他国の王女様だったわね。第一王子殿下とは美男美女で相思相愛と評判だったけれど」

「いろいろあって、第二王子殿下が王位を継ぐことが濃厚になったでしょう? だから国王様や側近は第一王子殿下の婚約者をそのまま第二王子殿下の婚約者に変更しようとしたらしいの。ところが王女様が拒んだのですって。『長年、婚約者として支えてきたイグレーテ・エンデ公爵令嬢を、簡単に切り捨てるような相手には嫁ぎたくない』と国を経由して伝えたらしいわ。王女殿下の本音としては、性格も考え方も似ている第一王子殿下のほうに嫁ぎたかったのではないかしら?」

続けて女性の冷ややかな声が聞こえる。

「でも王や側近にすれば他国の後ろ盾はほしいでしょう? だから公爵令嬢側に 問(・) 題(・) が(・) あ(・) る(・) と(・) い(・) う(・) こ(・) と(・) にして退場してもらうことにした」

話を聞いていたほうの女性が息を呑む音がした。

黙っていられなかったようで、あわてて口を開く。

「では、 有(・) 責(・) で(・) イグレーテ様が婚約を破棄されたのは」

「表向き、第二王子側の過失にならないようにでしょうね。容姿、教養、身分も揃って完璧と評されたイグレーテ様が『婚約者に不適格』なんてありえないでしょう」

「婚約破棄を実話として歌劇に仕立てたのは……情報操作の一環ということ?」

「おそらくね。自分達が伝えるよりも、歌劇にして人伝に聞くほうが信ぴょう性が増すでしょう。しかも実話と公表できる時点で公爵家も納得しているということになる。だったら遠慮はいらないわ」

話は途切れることなく、女性はそこからさらに言葉を重ねる。

「しかもイグレーテ様は今、アルメタニアの森付近に住んでいるらしいの」

「でも、あそこは魔物が増えているでしょう。そんな危険な場所に、公爵令嬢が?」

「そう。でね、最近森で行方不明になっている人達がいるでしょう? あの人達の中には第二王子殿下の取り巻きが含まれているみたいなのよ」

「えっ、そうなの⁉︎」

「第二王子殿下に頼まれて森に入ったそうで、それが次々と行方不明になった。もっとも疑わしいのはイグレーテ様だけど、醜聞だし、表沙汰にもできない」

すると女性の震える声がした。

「ではこのセイレーン騒動の主犯はイグレーテ様ということ?」

「もしくは国をうらむ歌姫か……まさかね。オペラではないのだから、人間がセイレーンになって人を襲うなんてそんな非現実的なこと起きるわけがないわ」

不安そうな声を最後に、仕切りの向こう側に沈黙が落ちる。

思わずため息こぼれそうになって、アンジェリーナは強く口元を押さえた。

彼女達の話が本当なら、ラグイアーナ王国はずいぶんと女性達の恨みを買っているようだ。セイレーンでなくても国を憎んで当然だった。

そこから話題は切り替わって、女性同士の他愛のない会話は続く。やがて彼女達が椅子から立ち上がるような音がした。

「馬車を待つ列が短くなったわ、そろそろ並びましょうか」

「ええ。ああそうだわ、今度食事でも一緒にいかが? もっとすごい話があるのよ」

「まあ、それはぜひ聞きたいわね!」

忍び笑いが聞こえて、女性達が待合室を出ていく。

足音がしなくなったところでアンジェリーナは口を覆っていた手を外した。顔を上げたジルベルトが仕切りの向こう側に人がいないことを確認して、若干青ざめた顔で深々と息を吐く。

「一応裏は取らせてもらうが、たぶん大当たりだろう。女性の噂話ほど、有益でおそろしいものはないな」

「正直なところ、あれよりも『もっとすごい話』というのが気になりますが。まずはジルの意見をどうぞ!」

「おおよそ言いたいことは同じだと思う、だからアンジュから先にどうぞ」

譲られたアンジェリーナは、ためらいなく思ったことを口にする。

「セイレーン騒動の元凶って、もしかしたら第二王子殿下ではありません?」

「たしかに、今の話を聞いてしまうと無関係ではない気がする。というか、行方不明者に取り巻きがいたことは聞いてないぞ。あいつ、自分に都合が悪いからと大事なところなのに端折ったな!」

ジルベルトはあきれた顔で天を仰いだ。

思えば公館でテオドーロがセイレーンに異常なほどおびえていたこと、そして『エンデ公爵家の所領』という言葉に強く反応した理由もこれなら理解ができる。

身に覚えがありすぎて、次は自分が襲われると怯えていたのだろうか。

アンジェリーナはジルベルトと視線を合わせた。

「ジルは二人のうちどちらかが『セイレーン』だと思います?」

「そうだな、もしくは二人が手を組んで『セイレーン騒動を演出した』ということもあり得る。魔のつくものを感知できるアンジュが二人を違うと判断したなら、その可能性が高い」

「演出ですか。先ほどのご令嬢の話では友人だったようですし、国にうらみを晴らすという目的では結託できそうですものね」

そこでアンジェリーナは眉を下げた。

「こうなってくると、第一王女殿下は無関係ということでしょうか。少なくとも第二王子殿下の敵ではない」

「だが調べたところによると二人の仲は悪いそうだ」

「えっ、そうなのですか⁉︎」

「第一王子が不在の今、第二王子が脱落すれば王女が婿を取って王位を継ぐ可能性が高くなる。しかもくり返し『願えば叶う』のだから、ゆくゆくは周囲を巻き込んで王子にとって変わる気なのかもしれない」

「泥沼じゃないですか……」

「どの王家にも、少なからず継承問題はあるんだよ」

身に覚えのあるジルベルトは苦笑いを浮かべる。

アンジェリーナは首をかしげた。

「この次は、何を調べましょうかね?」

「一つは、まだ会ったことのない公爵令嬢に会いに行くことだ。彼女に会ってみたら何かがわかるかもしれない。それからテオドーロにも事情を聞かないといけないな……正直に話してくれるかはわからんが。さあ、我々も帰ろう」

ジルベルトに促されてアンジェリーナは椅子から立ち上がった。馬車を待つ人の列が、先ほどよりもさらに短くなっている。さほど待つこともなく馬車に乗り込んだアンジェリーナは暗い夜道を揺られながら、客車の窓から流れる運河を見つめた。

暗い水底を想像して、ずっと考えていたことを口にする。

「運河と、今日の劇場と。セイレーンが姿を現すとき、そこには歌がありました。もしかすると人間が歌声でセイレーンを操っている可能性もあるかもしれませんね」

夜も深まり、酷使し続けてアンジェリーナの脳はすでに限界を迎えている。

何が正解かわからない、思い悩んだ末にアンジェリーナは真顔で横を向いた。何事かといぶかしむジルベルトと視線を合わせる。

「いっそのこと、第二王子殿下を狩ってしまったほうがスッキリ解決しますね!」

「いきなり物騒なことを声を弾ませて言うんじゃない、びっくりするから……まあ、気持ちはわかるが」