軽量なろうリーダー

最愛のお嬢様を殺した、あの公爵令嬢へ復讐を

作者: まえばる蒔乃

本文

「許せクレメンティア。君と婚約破棄をする」

「私に何か至らぬところがございましたでしょうか、でしたら」

「違う。君は完璧なんだ。完璧すぎて愛せない。僕は真実の愛を見つけた」

絵に描いたような婚約破棄の現場で、私は王太子にしなだれかかる。

長く降ろした波打つ赤毛と、化粧の濃い唇で微笑む笑顔。

どこか幼げな表情、指先から仕草までも、刺激が強すぎるほど女の蠱惑に満ちている。

「ごめんなさい、私が公爵令嬢の 完(・) 璧(・) な(・) 計(・) 画(・) を崩してしまって」

「何を言う。僕が君を選んだんだ。君は何も悪くない」

王太子は私の腰を引き寄せる。

現場に集まった令嬢たちは皆、正体を現した怪物を見るような表情だ。

クレメンティアは蒼白だった。

――そう。その顔が見たかった。

気づいているだろうか。いつの間にか、取り巻きの令嬢たちが消えていることに。

周りにいる令嬢たちはみな、影でクレメンティアへの復讐を待ち望んでいた令嬢たちばかりだということに。

お前の完璧すぎる公爵令嬢の化けの皮も、これでおしまいだ。

声を大にして言ってやりたかった。

私は貴方に母親と、大切なアリスお嬢様を殺された。大切な全てを壊された。

お前に復讐するそのためだけに、愚鈍な王太子を籠絡してやったのだと。

◇◇◇

自分はテルミエズ侯爵の、妾の子だった。

妾の子とはいえテルミエズ侯爵夫人と妾だった母の関係は良好。陳腐なほどに、男が思い描く理想の愛人と本妻の関係が、そこには確かにあったのだと思う。侯爵は侯爵夫人を溺愛していて、愛する妻が親友と親しくする姿は、夫のテルミエズ侯爵の心を和ませたのだろう。

アリス8歳、こちらは6歳。

初めて会った時から、アリス・テルミエズお嬢様に心を奪われた。

「はじめまして、あなたとっても可愛いわ。わたしの妹?」

まっすぐな金髪に雪のように白い肌、青い瞳のアリスお嬢様。

緊張して言葉を失っていると、母が背中を叩く。我に返って、頷いた。

「……はい、いもうと、です。アリスおじょうさま」

「嬉しいわ。あなたは一生わたしのそばにいてね、約束よ」

「はい」

頷いた瞬間、私のリリアナとしての人生が始まったように思う。

この人のために一生傍にいたいと思った。

私はアリスとは異母姉妹かつ、お嬢様と従者という関係で育つことを決めた。

「いい? リリアナ。私はテルミエズ侯爵家の娘。立派な淑女になるの。だからあなたも、私のそばにいるなら淑女になってね」

「はい。淑女になります。そして私はアリス様を守ります。ずっと傍にいます」

「うれしいわ。ずっとよ」

彼女のハグは嬉しくて、お下げにつけて貰ったお揃いの赤いリボンは宝物になった。

すこしずつがさつな言動を改めて、おてんばと言われないように努め、私はアリスのそばに仕えた。

アリスは優しくてしっかりもので、令嬢としての務めを果たそうとする立派な少女だった。

大変な家柄を背負って苦労して生きて、その対価としてお嬢様というきらきらとした立場を持つ彼女を、私は尊敬し、憧れ、敬愛した。

私はお嬢様の傍にいるためにメイドとしての務めを教えられた。スカートでの綺麗な足さばき、お辞儀の仕方、身分の見極め方など。また同時に騎士顔負けの特訓をして、お嬢様を守れる従者であろうと励んだ。

侯爵や侯爵夫人、母は「アリスに付き合わせて悪いわね」と見守ってくれた。

時々、お客様が褒めながら私に婚約者をあてがおうとすることもあった。

けれど私は縁談を断っていただいた。美貌の令息も、よりよい貴族家の職もいらない。

リリアナというメイドは、お嬢様の傍にいることが全てだった。

◇◇◇

アリスが13歳で貴族学校に行った途端、人生が大きく変わった。

一学年上の先輩だったクレメンティア公爵令嬢が牛耳る学園で、同級生の14歳の王太子殿下に見初められ、婚約者候補に名を連ねることになったのだ。

「愛している、これまで社交に殆どでていなかったんだって? 僕以外に摘み取られまいと慎んでくれていたのだね、愛しい薔薇よ」

王太子殿下はぞっこんだった。

アリスにいつも夢のような言葉を囁き、贈り物も手紙もたくさん送った。

「よく分からないのだけど、これが……愛されるってことなのかしら」

「そうだと思います。私にはちっとも理解できませんが」

「もう! 殿下のお話になると、あなた少し冷たくなくて?」

「ふふ、嫉妬ですよ」

本心を冗談めかして口にして、私は微笑んだ。

王太子が大げさなのは気になったけど、二人は幸せそうで、王家からも正式な婚約者候補にするという連絡が入った。

アリスが余所の男のものになってしまう。

私は胸が痛くなったけれど祝福した。

それからは大変だった。

テルミエズ侯爵家は、王太子妃候補を輩出するほどまでの家柄ではなかった。

侯爵家は準備に大変なことになった。

ある日。

お父様――テルミエズ侯爵は私を呼び出し、酷く申し訳なさそうに言った。

「すまない。アリスが婚約者候補となるからにはお前を傍に置けなくなった」

引き際が来たのだと、もうすぐ12歳になる私は悟った。

テルミエズ侯爵の顔は申し訳なさと、愛情が満ちていた。

妾の母にも私にも、愛情をしっかりと注いでくれた人だ。

その優しい父が困っている。この人には幸せになってほしいと思い、私は頭を下げた。

「引き際はわきまえております。この年まで置いていただいたことがめったにないことです」

「すまない。……お前の人生を、我が侯爵家のために狂わせてしまって。本来なら」

「本来ならも何もありません。私はアリスお嬢様の異母妹で、メイド。それだけです」

私は念押しをした末に、荷物をまとめた。

思い出のものを全て置いていこうと思ったけれど、アリスとお揃いに結んでいたリボンだけは捨てられなかった。

邪魔になるお下げ髪ごと断髪していこうとすら思ったけれど、いじましくも私は帽子におさげを押し込む。私はやはり、アリスのメイドだった時代を捨てきれない。

妾の母と侯爵夫人ともハグで別れを告げた。

「私たちはずっと仲良く過ごすから、安心して」

「大丈夫です。それは疑ってませんよ、二人とも」

ためらいがちに、侯爵夫人は尋ねた。

「アリスに会わなくていいの? 最後に」

「……いいんです。アリスお嬢様にはメイドのリリアナとして、記憶していてほしいから」

未練を笑顔で振り払い、私はそのまま屋敷を後にした。

「アリスお嬢様。…………お幸せに」

――テルミエズ侯爵の紹介で、私は商会で働き始めた。

基本的な礼儀作法と読み書きの学、さらには貴婦人の交友関係や隠れた購買傾向に精通している事を買われたのだ。とはいえ、最初は雑用と力仕事からだ。

名を変え、姿を変え、ゼロから鍛え直される生活は大変だったがありがたかった。

もう二度とメイド服を纏って、アリスの後ろを着いていく日々はないのだから。

仕事に疲れたときは、髪に結んだリボンを握ってアリスを思う。

リリアナの頭を撫でてくれた、ふっくらと柔らかな優しい手。

青い美しい瞳に、太陽の光をあつめたような淡い金髪。白昼夢のような人だった。

――自分の人生にとっては、二度と会えない白昼夢だ。

たとえ会えたとしてもそれは大人になってからで、お互いに立派になってからだ。

そう思って新しい人生に打ち込んでいた私は、本当に本当に、愚かだった。

――身分が釣り合わない婚約者候補なんて、あまりに不安定な立場なのに。

3年後。

私はもうすぐ14歳になる頃だった。

駅前で配られていた新聞で、私はクレメンティア公爵令嬢と王太子の婚約を知った。

「嘘……どうして……」

そして同じ新聞の裏のページ、ごくごく小さな訃報欄で、アリスの死を知った。

病没。密葬にて××××墓地にて眠る。享年、16歳。

◇◇◇

久しぶりに侯爵家に戻ると、別人のようにやつれた侯爵に出迎えられた。

使用人もほとんどいない。父のような存在の男の哀れな姿に、ガツンと頭を殴られた感覚がした。

「お前は顔つきが変わったな。……立派になったよ」

「侯爵夫人は? そして……母は」

侯爵の顔が曇るのに、すべてを悟った。

寝たきりの侯爵夫人はうわごとで母の名を呼び、宙に手をさまよわせていた。

あんなに明るくて元気だった人が、まるで老婆のようで。

「あら、あら……あなた、戻ってきてくれたのね!」

侯爵夫人は私を見て、満面の笑顔で母の名を呼んだ。

ずっと愛していた親友の名を呼び、彼女はぼろぼろと泣いた。

抱き寄せると、彼女はがりがりの頬をこちらの胸に押し付けた。

「……ああよかった。あなたが警察に連れて行かれたときは驚いたけれど……そうよね、あなたが悪い事をしているわけがないもの……もうずっと離れないで……」

薬を飲んだ侯爵夫人は眠った。

侯爵は、愛おしそうに夫人の額に口づけた。その二人の様子だけはかつての幸せな日々と同じ姿で、目の奥がつんと痛くなった。

「お前ももうここに来るな。……お前だけでも、幸せに別の人生を歩んでくれ」

返事をせず一礼し、私は王都警察に向かった。

手続きを踏んで戻された母の遺骨を抱いて帰り、部屋の中で声を上げて泣いた。

◇◇

私は身分もないただの若い使い走りの商人で、ただただ無力だった。

けれど体力と執念と広くなった顔で、必死に探りを入れた。

リリアナが去った後のテルミエズ侯爵家に何があったのか。

――王太子の婚約者、クレメンティア・ユールシャクザ公爵令嬢。

王太子に先立って、今年卒業した才媛だ。

ユールシャクザ公爵、大臣の娘にして母の家柄は王家の庶家。

学生時代から既に大規模サロンを主宰し、幅広い世代の貴族夫人に顔が広い。

貴族学園を首席卒業し、自ら商会を興して自ら莫大な資産を生み出している。

どこに出しても恥ずかしくない、立派な公爵令嬢。

しかしその実態は、屍の上で有能さを見せるがごときグロテスクなものだった。

――商人界隈では調べてみると、意外と有名な話だった。

クレメンティア・ユールシャクザ公爵令嬢は学生時代、取り巻きを使って次々と他のサロンを弾圧し、己が主宰する最大勢力サロンを築き上げた。

成績だってペテンだ。

家柄が準王家なので、成績はある程度優秀であればそれで首席になれる。

王族と被らないように入学するのが肝心だ。

――そう、彼女は王太子と同い年だが、あえて一学年早めたのだ。

クレメンティアはサロンで令嬢たちに「素敵な投資の機会」を持ちかけた。

最初に投資した令嬢には高額な配当金が入り、それを見た他の令嬢たちも安心して参加する。

「みんなでお金を出し合って、その資金で新作ドレスや化粧品、宝石などを仕入れては高値で販売する商会を作りましょう」と誘われたら――高位貴族の令嬢に言われたら、断れない。

でも実は最初の配当金は、後から入ってきた令嬢たちのお金から支払われていた。

新しい投資者が増え続けないと成り立たない仕組みで、知らない令嬢たちは競うように財産を投資していき、令嬢たちは親に言えない借金を負うようになっていった。

クレメンティア公爵令嬢は、彼女たちに優しく提案した。

「売るものはあるでしょう。体? 違いますわ。貴方にとって痛くもないものです」

クレメンティアは慈善事業という名目で孤児院から子供たちを集め、僻地の工場で働かせた。その工場では化粧品やドレス、宝飾品が作られていた。さらにその場所は、自分の派閥の貴族たちが厄介払いしたい妾の子や、政治的に邪魔な人々の追放先としても利用された。

――クレメンティアの最大の目的は、王太子の婚約者になることだった。

王太子は最初、純粋な愛情でアリスを選んでいた。

アリスは国王夫妻にも気に入られ、妃になるための教育も一生懸命こなした。

テルミエズ侯爵家も全財産を注ぎ込み教育費を捻出した。

王家から熱心に指名された以上、断ることも失敗することもできなかったから。

なにより、娘の幸せを願ったから。

だが、そんな平和な二人をクレメンティアは狙った。

悪辣令嬢にとって、アリスを陥れるなど児戯だっただろう。

クレメンティアは堂々と「公爵令嬢」の立場から王太子に近づいた。

同時にアリスを追い落とすため、様々な手を打った。

仕込んだ取り巻きたちを使って悪い噂を広め、アリス名義の怪しい借金を作りまくった。

テルミエズ侯爵家に暴漢を送り込んで荒らし回らせた。

しまいには暴漢騒ぎの罪をあろうことか、妾だった私の母に着せた。

母は逮捕後、謎の服毒死を遂げた。それは自殺として処理された。

――母の服毒死のお陰で、リリアナの存在は警察に追及はされなかった。

母は最後まで、我が子である私を守ってくれたのだ。

親友を失ったテルミエズ侯爵夫人は深い悲しみで精神を病み、それもまたアリスの評判を落とすことになった。

王太子は次第にクレメンティアの華やかな業績に心を奪われ、スキャンダルの続くアリスを気にもかけなくなっていた。

終わりは、呆気なく訪れた。

「婚約者を愛など浮ついたもので選ぶはずがない。わきまえろアリス。王太子として私はクレメンティア公爵令嬢を選ぶ」

そうして王太子は過去の愛情も何もかも投げ捨て、アリスを見放した。

正式な婚約破棄すらなく、ただの婚約者候補のままで終わった。

アリス・テルミエズ侯爵令嬢の完敗だった。

「復讐いたします、私のアリスお嬢様の代わりに」

◇◇◇

貴族学園に入るのは簡単だった。

アリスの死から1年、商人として過ごした日々で得た人脈を使い、養女として入学を果たした。

私を気に入ってくれ、また同情してくれた好事家の貴族が推薦してくれたのだ。

私は一人、鏡の前でアリスの制服を纏った。

アリスと別れた頃から一度も切っていない長いみつあみを解き、長い巻き毛を靡かせ、アリスの着ていた制服を纏った。

まめに制服を作り直していたようで、14歳の私でも制服を纏うことができた。

姿見の中、母によく似た甘い顔をした美貌が鋭い顔をして見返してくる。

今は亡き母が、アリスのためにやりなさいと、背中を押してくれている気がした。

「今年、やるしかない」

――クレメンティア公爵令嬢は卒業し、妃教育で王太子殿下と離れて過ごしている。

17歳になった王太子は最上級生として学園に残っていた。

私にも王太子にも遺された時間は僅かだ。

高等部からの入学でも、私はすんなりと貴族学園に馴染めた。

元々貴族令嬢としてのマナーも家柄も全部頭にたたき込んでいたし、社会でリアルの貴族達に揉まれてきた私は、貴族令息令嬢の学生さんをあしらうなどたやすかった。

幸いにも、リリアナを覚えている人は誰も居なかった。

数年の時間で背も伸びたし、アリスの化粧品で顔も随分変えているから。

鏡に映る私は母と生き写しだった。ウインクと化粧でしなを作れば、男子生徒達は皆遊び相手として私に興味を示して口笛を吹き、私は無遠慮に近づいて、彼らのコミュニティのマスコットのように振る舞った。

そして私は男子生徒と、一部の見目麗しい下位貴族の令嬢だけが参加する集まりに呼ばれた。いやらしいことはしないものの、まるで水商売の接待だ。学生時代からおかしい真似事をするものだと、内心失笑した。

その下卑たサロンになんと王太子がいた。

私はさりげなく近くに座って、彼の会話を盗み聞きする。

どうやらクレメンティア公爵令嬢が完璧過ぎて、その婚約者としてストレスを感じているらしい。だから「頭の軽い身分も低い、後腐れの無い女で癒やされたい」と、この場に来ているということだ。

私は空調の風下から風上へ、そっと王太子の近くを通り抜けた。

振り返ると、王太子と目が合った気がした。

私は恥じらいながら、アリスの仕草をまねて会釈をして、すっと廊下へと向かう。

案の定、王太子は追いかけて手首を捕まえてきた。

「ねえ君。その香水、どこで流行っているんだい?」

「……お好きですか?」

私は考え得る限り最大、アリスに似た仕草で彼を見つめた。

瞳に映る私は、あまりに完璧な美少女だった。王太子ははっきりと私に見とれていた。

「どこかで嗅いだ気がして」

「ふふ、そう言って本当は、私と二人きりになりたかったのではないですか?」

「そんな、」

私は意図的に、距離を詰めて顔を覗く。

「冗談です。……クレメンティア・ユールシャクザ公爵令嬢に、怒られちゃいますよ?」

「彼女の話はするな」

露骨にムッとする王太子。私はくすくす、と可憐に笑う。

「そうですね。楽しむために、こちらにいらっしゃったんですものね」

袖を取り、私は流し目で先を促す。

「私のような相手ならば、恐れ多い王太子殿下のことを誰に話すこともありません。来年はいらっしゃらないんですし……今だけ、一緒にお話しましょう? 先輩」

「……そうだな」

そうして縁を繋いだあとは、笑ってしまうほどあっけなかった。

若い男を落とす方法は、だいたいわかる。あとは個人の好みに合わせて微調整するだけだ。

惚れっぽく、思いつきで行動し、状況に流されやすい愚かな王太子。

――アリスのような、無垢で隙のある、優しい娘を演じればいいのだ。

クレメンティアでは与えられない、少女らしい無垢な魅力。誘惑をひとさじくわえればイチコロだ。

「君は一生懸命でけなげで愛らしい。クレメンティアはちょっと息が詰まるんだ」

「そんなこと言わないでさしあげてください。公爵令嬢は王太子殿下をお慕いされているのですから」

「ううん、クレメンティアは僕の事は好きじゃないと思う。僕の王太子としての身分が好きなんだ」

「そんな……! 二人が幸せになれるように、私お祈りしますね。ちょっと嫉妬しちゃうけど」

「なんて可愛いんだ、リリアナ」

彼は私を抱きしめる。

抱きしめられながら思う――その腕で、私のアリスを抱きしめたのか。アリスに触れたのか。

お前が覚えていなくとも、この制服と、私が覚えているからな。

私は演じた。

二人っきりのときは、親しく無垢な後輩として。

そして普段の学園生活ではあえて、私は男子生徒たちとも親しく振る舞った。

遠くから観察してくる王太子の眼差しが、嫉妬を帯びたものに変わっていくのがおかしかった。

当然男漁りをするように見える、私は令嬢たちから酷く嫌われた。

しかし善良な良い子はいるもので、そっと注意をしてくれる優しい子にも巡り合った。

「クレメンティア・ユールシャクザ公爵令嬢に目をつけられてしまったら、どうなるか……」

「どうなるの?」

「…………怖いことになるわ」

「工場に連れて行かれたり? 借金を作らされて、手駒にされたり?」

「……! なぜ、それを知っているの?」

「やはりそうなのね」

私に注意してくれた令嬢は、実は姉が投資被害者の一人だった。

私は彼女を通じて、クレメンティア公爵令嬢の素行についてさらに調べあげ、また彼女に恨みがある令嬢たちをまとめていった。

彼女たちは私がクレメンティア公爵令嬢に一泡吹かせるつもりだと知ると、匿名なら、できる範囲なら、と精力的に協力してくれた。

ある日、一人の令嬢が呟いた。

「……アリス先輩も……生きていれば今頃」

「えっ!? アリス侯爵令嬢を知っているの?」

「はい。……とても優しくて、尊敬してました。だから……」

期待していなかったアリスの情報も入り、私は打ち震えるような激情を覚えた。

アリスのことを悪く言わない人もいたのだ。そして、アリスはここで確かに生きていたのだ。

仲間の協力を利用しながら、私は常に王太子との逢瀬をロマンティックに演出した。

王太子は半年を待たず、寮内の専用室で私を抱きしめて言った。

「運命の恋って、こういうことを言うんだね。……君と婚約したい」

うっとりとした顔で、彼は私を抱きしめた。

そして汚いものを見るかのように、机の上を睨んだ。

「クレメンティアは図に乗りすぎていた。……まさかこんな不祥事を隠していたなんて」

机の上には私が集めたクレメンティアの悪行三昧の報告書が積み上がっていた。

全て証言者と証文を整えた、そのまま裁判所に出せる正式なものだ。

もちろん愚鈍な王太子にもわかるように、醜悪さを強調して一枚にまとめた紙も作った。

「よくぞクレメンティアの裏側を暴いてくれた。危うく、僕も彼女の尻に敷かれる王太子人生を送るところだった。彼女との婚約はもうまっぴらごめんだ。両親に言うよ、君を婚約者にしたいってね」

「ならば急いで婚約破棄を宣言して。書類も用意して。……クレメンティア・ユールシャクザ公爵令嬢はきっと許さないわ。念には念を入れて、しっかり婚約破棄の準備をしなければ」

「君に言われずとも分かっている。彼女とは婚約をしてしまっているから少し面倒だが……」

――婚約以前の令嬢なら、捨てるのも簡単なのにね?

「リリアナ? 怖い顔をしているよ?」

「なんでもないわ。さあ、急いで準備をしましょう」

「もしかして……震えているのかい?」

「ええ……怖くて」

――あまりにも簡単に籠絡できた、貴様のオツムのできが怖くてね?

怒りと達成感、むなしさ。

全てがどろどろに溶けた感情は、何だろうか。

私はただ、微笑んで王太子の頭を撫でた。殴りつけて、そのまま殺してやりたい気持ちを抑えて。

◇◇◇

そして。

全ての手続きを終え、私は王太子にしなだれかかり婚約破棄の現場に立っている。

婚約破棄の理由を、『完璧すぎて愛せない。僕は真実の愛を見つけた』なんて言い方にしてもらったのも私の提案だ。

――真実の愛! 笑わせる! アリスは、お前のその薄っぺらな愛のために死んだんだ!

ここで断罪をしてしまえば、腹黒いクレメンティア・ユールシャクザは咄嗟に対策を講じるかもしれない。

今の彼女には動かれては困る。

私という不相応な下品な身分の女を、屈服させる方法に頭を使って貰わねば。

このパーティ会場を出たところには、すでに警邏騎士が集まっている。

すると。クレメンティアは私をまじまじと見ていた。

「あなた、もしかして……」

私がアリスの傍にいたことを思い出したらしい。

皮肉なものだ。アリスを愛してると言っていた王太子でさえ、アリスの香水も制服もリボンも気付かないのに。一番憎い宿敵だけが、私がアリスを纏った復讐者だと気付いた。

「怖いわ、王太子殿下」

私は王太子の腕に腕を絡ませる。

詰め物を入れた胸を押しつけるようにして、甘く王太子に囁いた。

「早く行きましょう。婚約破棄の書類はもう提出が終わっていますし」

「ああ」

彼女が余計な事を言う前に、私は王太子と共に去った。

クレメンティアの栄光もこれまでだ。

気付いていない、この現場の外に、大量の警邏隊が来ていることに。

これから彼女は色んな罪を問われることになる。

もみ消させやしない。

既にコネクションで、記者達にスクープを送っている。

一週間で海外にも届くだろう。もう、どこに逃げても結婚はできない。

「よかった。……ようやく君は、僕のものだ」

王太子の私室で、私は大きなベッドに押し倒された。

こちらを見下ろす王太子の顔は、下品な欲望にまみれている。

愛を遂げる顔ではない。肉欲にせっつかれた顔だ。わかるよ、その気持ち。

「おやめください、まだ婚約すらしておりませんのに」

「いいじゃないか。もう両親に手紙を出したんだ、あとは既成事実だけだ」

制服に手をかけられる前に、私は思いきり拳で鼻っ柱を殴りつける。

ぼきりと嫌な音を立て、王太子は後ろにカエルのようにひっくり返った。

「触んじゃねえ。これはアリスの制服だ。今日までのサービスはもう終わりだぜ」

「な、な……」

「おっと、しゃべんな」

枕を顔に押しつけ、 俺(・) は制服の襟を解き、髪をまとめる。

拳にシーツを巻き付け、馬乗りになって更に王太子を殴りつけた。

ごぶ、がぶ、と酷いうめき声が聞こえる。死なない程度、だがしっかりと後遺症が残る殴り方を、俺は商人時代にゴロツキから聞いていた。自分が脅される側だったが、良い勉強になった。

「母さんも、アリスも、……侯爵も、さっ……! みんな、もっとっ……苦しんだんだぜ……っ!」

殴り続け、俺は動かなくなった王太子を置いてクロゼットを漁る。

男子の制服を借りて、アリスの制服を丁寧に畳み、鞄に入れて窓から飛び出す。

既にパーティー会場と外は騒然となっていた。

屋根を伝って逃げ、俺は協力者の力を借りて、無事に学園を脱出した。

◇◇◇

俺は商人時代に借りていた貸倉庫に入り、鏡を見る。

そこにはもう、リリアナはいなかった。

「……終わりましたよ、アリスお嬢様」

久しぶりの地声は、予想よりずっと低くなっていた。

ぎりぎりだったと思う。薬を飲んで声を高くするのも限界に近かった。

俺はもうアリスの制服を無理なく着るには、男の体になりすぎていた。

◇◇◇

――俺とアリスが異母姉妹というのは嘘だ。

天涯孤独だった俺の母親は、孕んだところで男に捨てられた。

侯爵夫人は親友の辛い状況を無視できず、夫であるテルミエズ侯爵に頼んで妾という事にしてもらった。

孕んでいた子供(俺) は侯爵の子ではなかったのだ。

本来は異母弟として、侯爵も母もアリスに紹介しようとしていた。

けれど不器用な母に長く伸ばされていた赤毛と、顔立ちの柔らかさで、アリスは俺を妹だと思った。

本来は血の繋がらない男と令嬢が仲良く暮らすなんて不適切がすぎる。

それを異母妹と思い込んでくれるならそれが一番だ。

俺はあの時、アリスによってリリアナになった。

侯爵は余所に子供を作った男ということになってしまったが、鷹揚に受け入れてくれた。

「妾の子がいる、というだけで意外と親戚を黙らせやすいんだ。私も助かるし、家族になってくれ」

本当に尊敬する、懐のでかい、優しい親父だった。

だから婚約者ができて、追い出されたときはすんなり受け入れたのだ。

女装の男がメイドでいるなんて、バレる前に逃げたほうがいい。

そして商会に就職し、俺は男として生きた。

アリスのことは思い出にしようと決めていた。

ただ、いつか立派になって、アリスに似合いのプレゼントを選ぶ王太子の力になりたいと思っていた。

お姫様は王子様の隣で微笑むのが一番だ。下卑た元女装男なんて、忘れてくれ。

――だが、アリスは死んだ。

未練たらしく伸ばしていた髪とリボンを、こんな形で役立てたくなかった。

全ての復讐は終わった。

王太子は『謎の病気』で表舞台から姿を消した。

商人仲間によると、田舎で静養しながら夜な夜な、女装の男娼に殴られる性癖を満たしているらしい。ゲロ吐いていいか。いいよな?

クレメンティアは処刑された。

これまでの功績は全て消され、名前を公開するのも禁止された。

処刑された後、遺体は魔物の無限窟に放り込まれたらしい。

俺は世話になった人たち全員に挨拶し、侯爵家に援助を申し出、彼らを田舎の別荘地で暮らせるようにした。俺は再び商人としての人生を再開した。

がむしゃらに働いた。侯爵家への恩返しもしたかったし、空虚な人生を無理矢理埋めたかった。

◇◇◇

――数年後の未来。

執務室の扉がノックされる。

「社長。事務員希望の女性、ご案内しますね」

「ああ」

入ってきた事務員は履歴書にちらりと目を落とす。

「しかし珍しい経歴ですね。元々修道院で墓守をしていて、還俗して商人に、ねえ」

「修道女なら働き者だし体力もある。面接していいならすぐにでも雇っていいだろ」

「しかし、社長みたいな治安の悪い社長のもとに修道女ですか。しかもえらい美人でしたよ? もしかして天罰を落としにやってきた女神なんかじゃないんですか」

「うるさい、早く案内しろ」

「はい」

入れ違いに、一人の女性が執務室に入る。

応接テーブルに案内しようとして立ち上がり――俺は思わず固まってしまった。

目の前の女性は、美しい女性だった。

元修道女らしい質素なカーディガンとロングスカート姿で、長い金髪を片側に流し、古びたリボンで結んでいる。

深々と頭を下げ、彼女は挨拶した。

「はじめまして。 ア(・) イ(・) リ(・) ス(・) と申します」

「アリス……お嬢様……?」

俺の声を聞いたとたん、彼女の大きな青い瞳からぼろりと大粒の涙が零れる。

「あ、やだ……ごめんなさい、……こんな……」

零れ続ける涙に、彼女はうろたえながらハンカチを取り出す。

俺は内ポケットから、ずっと持ち続けていたリボンを取り出した。

――揃いの赤いリボンだった。

「……ごめんなさい、あなたのお母様を守れなくて」

細い手が、俺の手にそっと重なる。

大人の女性の細い指は、爪も短くて、労働にささくれだっていたけれど、とても美しい手だった。

その薬指には指輪もない。

「私は毒を飲まされて意識を失って、ずっと特別な収容施設にいたの。……まだあの人に狙われていたから、父は死亡届を出していたらしいわ。あなたにも迷惑をかけたくなくて、本当のことは言えなかったと。目覚めるかもわからなかったし」

実際目覚めたのは数年前なのよと、彼女は細い肩をすくめて笑う。

「名乗らないつもりだった。だってあなたはもうリリアナではない、リオネルだから。…貴方の人生を狂わせてしまった私が出てきたら、貴方は困ってしまうと思ったの。だっていくらなんでも、そばにいて貰うために女の子として過ごしてもらったなんて……ひどい話だもの。本当にごめんなさい」

「謝らないでください。俺は幸せだったんです。リリアナとしての人生は」

涙ながらに続けるアリスの言葉によると。

アリスはアイリスと名を変え、修道院でずっと 俺(リリアナ) の母の墓を守っていたという。

自分のせいで死なせてしまったと、アリスはずっと後悔し続けていた。

実の母親とは少しずつ、交流を再開しているという。俺はほっとした。侯爵夫人もきっと元気になってくれただろう。

「新聞であなたの孤児支援の『アリス基金』をみて、いてもたってもいられなくて。私もすっかり変わったから、バレないで会えるかと思ったのだけれど」

「わかるに決まってます。だってあなたは、 私(・) の大切なお嬢様です」

「まだ、そう言ってくれるのね?」

「約束したではないですか」

「……嬉しい」

彼女は微笑んだ。そして俺の頬を、背伸びをして撫でてくれた。

「大きくなったわね、リリアナ。……いいえ、リオネル」

今の俺はアリスよりずっと背が高い。大きくなったわね、なんて言われるような年齢でもない。

けれどその優しい指は、あの日俺を「かわいいわね」と撫でてくれた、愛しい『お嬢様』そのままだった。

「そばにいて。リオネルでもリリアナでも変わらないわ。あなた、離れないと約束したでしょう?」

「そうですね」

俺は頷いた。

「俺はどんな姿になっても、生涯貴方のそばにいます、お嬢様」