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田舎貴族と笑われましたが、たしかに実家はこの国の王城ほどしかありません。

作者: ぽんぽこ狸

本文

マリーナは急遽、レクラム王国を出て、アルドリット王国にお嫁に行くことになった。

マリーナ自身は自分の人生を侍女として仕事をして、このまま嫁になど行かずに仕事一筋で生きていくものだと思っていた。

しかしやむを得ない事情があった。やるべきことはわかっているが、あまり結婚については詳しくないし現実味もない。

そんな中でも、マリーナを出迎えた書類上の婚約者のヨルダンその家族、であるスタイルズ伯爵家の人間がどういう感情を持っていて、この結婚がどんなものなのかはすぐに察することができた。

「田舎者にはもったいないぐらいの上等なドレスじゃないか」

ヨルダンはマリーナと出会って開口一番そう言った。

「もっとみすぼらしい女が来ると思ってた」

それからそう続けた。急ぎ決まった結婚なのでろくに話をする間もなく、歓迎パーティーが開かれる。

親類たちに紹介をされて、品定めされるような視線を一身に浴びながら愛想よく振る舞い、ヨルダンについて回る。

ある程度の顔見せが終わって、本格的にパーティーが始まるとヨルダンは一番よいソファーを陣取る。

するとそのそばにはヨルダンを慕う友人が所狭しと彼のそばに集まった。

「改めて、今日は俺のために集まってくれてありがとう。彼女がレクラム王国ブレイディ辺境伯家のマリーナだ」

「……初めまして皆様、わた――」

「我々、王都に住まいを持ち地位を持つ中央貴族とは違って、辺境に住まいを構えて細々と農作でもしながら暮らしているのがうかがえる貧相な女だろ」

ヨルダンはからりとした爽やかな笑みを見せて、マリーナの手を指さし、まずはなじった。

「見ろこの手を、とても貴族の女とは思えない指先だ。そうなるとやっぱり俺は思ってしまう。これはレクラムからの侵略に近しい結婚なんだ」

「まぁ」

「あら、そうなんですの?」

「侵略?」

指摘されて、集まっている令嬢たちの指先を見たが、たしかにきれいだ。

しかしマリーナだってさして彼らと変わらない生活を送っている。

その上で指先が荒れているのは普通に侍女として勤めており、レクラムの方が冬が厳しく時期的なものもあってそう思われたのかもしれない。

それにしても、侵略とはいささか話が飛躍しすぎだろう。

「我が国は魔力も豊富で災害も少なく安定した神に愛された土地柄だ。一方レクラムは山脈の向こうの廃れた土地。神のご加護だってあんな僻地には届かないだろうよ」

「ふむ」

「なるほど」

「たしかに、そうですね」

「それなのにここ最近王命にて、複数の政略結婚が行われている。これはきっと王を丸め込み我がアルドリットの恵みの恩恵を受けようと、侵略を進めているに違いない」

そうしてヨルダンは、周りの若年の貴族たちに教えるように得意げに言葉を紡ぐ。

「廃れて恵みのない土地から這い出てきて、我々の利益をかすめ取ろうとしているんだ。あちらの国ではきっと我がアルドリットにやってくるための若い貴族が長蛇の列をなしているんだ」

「やだ、少し恐ろしいですね」

「そうだな」

「そう考えるとぞっとする。たしかにレクラムの人間は魔力が少しばかりアルドリットよりも勝っているが、それ以上のことなど何もない。ただの利益の横取りをもくろむ浅ましい屑どもめ」

ヨルダンは演説を続けて、まるでマリーナの指先を見ただけでレクラムのすべてを判断し決めつける。

「そんな浅ましく欲望に忠実な人間の生活水準なんてたかがしれてるな。なぁ、あんな山脈の向こうにあるレクラムの廃れた土地のさらに辺境住まいの君はどうやって生きてきたんだ?」

それからからかうように、ヨルダンはマリーナへ問いかける。

「木の実をとって暮らしていたんじゃないか? もしくは生きるために狩りをしてきたとか?」

「野蛮ですわ」

「そんな、考えられない……」

「何にせよ、俺はこんな女を愛することなんかできないな。まったく国王陛下はなにを考えていらっしゃるのか」

そうしてヨルダンは訳知り顔で、困った人だと言うように憂鬱そうな顔をした。

それに周りの貴族は異を唱えることはない。

ヨルダンをはじめとして、スタイルズ伯爵家は王城の事務官として勤めていて、古くから王族に信頼されていると言う歴史を持つ。

この場にいる誰よりも説得力のある言葉だったのだ。

「そんな貧しい人間が俺たちの家格に会わせてドレスを着せて、持参金を持たせて送り出すだけでもブレイディ辺境伯家が潰れかねないんじゃないのか? それではあまりにも、不憫であるし同時に滑稽だな」

「……では、ヨルダン様。あなたはこれ以上、レクラムと交流を持ち、そちらの国の人物と関わりを持つことは反対である、とそう意思表示なさるということですか」

マリーナは考えながら彼に一つ問いかけた。

ヨルダンは少し怪訝そうな顔をしたが、すぐに馬鹿にするような笑みを取り戻し言う。

「その通りだな。今だって、どう国王陛下の顔を立てつつ、レクラムの野蛮人と離れて暮らすかを考えてるところだ」

「……」

「こんな異国人が我が国にあふれかえって我が物顔で闊歩してみろ、俺は怒りで卒倒してしまうな」

そう言って彼はゲラゲラと笑っていて、周りの貴族たちも合わせるように笑みを浮かべる。

その様子をマリーナは静かに見つめたのだった。

レクラムへの非難が盛り上がり、周りにいた貴族たちもこぞって非難の言葉を投げかけるようになった頃。

静かにそばに寄ってきた男性が盛り上がっているヨルダンたちに声をかけた。

「スタイルズ君」

その声はぴしゃりとしていて、たしなめるようなニュアンスをはらんでいて教師みたいだった。

呼ばれたヨルダンはもちろん、マリーナも自然と男性の方へと視線を向ける。するとヨルダンは明らかにげっと嫌そうな顔をした。

「フィ、フィールディング殿。あい、いらしてたんで」

「ああ、もちろん。招待してくれたのは君のほうだ。それに遠く隣国からいらしたと言う婚約者殿のことも気になっていたんだ……」

「……」

「それで声をかけに来てみれば」

フィールディングと呼ばれた男性のことをマリーナは嫁に来る前に頭に入れた資料を思い出して、フィールディング侯爵家の跡取りであるアイロスという男性だとはじき出す。

たしか、王城の事務官として入ったばかりのヨルダンと違って、彼の上司に当たる出世の早い有望株だったはずだ。

眉間に寄ったしわのせいで、マリーナよりも随分年上の男性に見えるが実のところまだ三十代にもなっていないという話だ。

「随分とレクラム王国を知ったふうに言うが、君は一度でもあちらの国に行ったことがあるのか?」

「い、いや」

「それに、もちろん目の前の状況も大切なことだが、少しは国全体で起こっていることに目を向けるべきだと何度言ったらわかるんだ」

「……」

「たしかに君の家系からすれば些細なことだろう、古くからある血筋で、不自由が少ない。それを自分たちが優秀で他が間抜けだから不都合が起こっていると考えるのはいささか問題がある」

アイロスは腕を組んで、「君たちも」とヨルダンの周りでレクラムを非難していた貴族たちに目線を向ける。

アイロスの声は呼ばれただけで叱られるとすぐに察せられるような声でそれぞれ皆バツが悪そうな顔になった。

「高位の者が言うことには問答無用で頷きたくなるときもあるだろう。しかしそれが必ずしも正しいと言うわけではない。今も長旅をしてやってきた女性をよってたかってなじること。そんなことは正しい行いではない」

「……」

「……」

「……」

「貴族ならばもっと広い視点をもて、起こっている出来事への対処や考えを深めるべきだ。そのようなことではいつか、自分が割を食うことになる。言っている意味がわかるか?」

「あ、でも、俺の祝いの席ですしフィールディング殿もそのあたりで」

周りの貴族にまで説教の手を広めたアイロスに、なんとかその場を収めようとヨルダンはぎこちない笑みを浮かべて彼に声をかけた。

その言葉にアイロスは、大きく一歩を踏み出してぐっと視線を鋭くしていった。

「違う、君と”その隣の美しい女性”の祝いの席ではないか。それにふさわしい振る舞いを欠いた人間が、なぜ祝いの席を理由に説教を逃れられると思う」

「え……あ、いや……」

「常々、君には思うところがあったんだ。しかし君もまだ若く私も完璧ではない――」

そうして今度はアイロスの説教の独壇場になって、周りの貴族たちは縮み上がった。

場はすっかり盛り上がりを失って、アイロスはマリーナに雰囲気を壊して申し訳ないと謝って去って行った。

そこでマリーナは、どうやらアルドリットもすべての人間がヨルダンと同じ考えではないのだと少しほっとしたのであった。

翌日午前中のうちから結婚式についての話し合いが行われていた。

午後過ぎには、マリーナの荷物とともに様々なものが到着する予定なので、それまでに決めてしまおうという算段だ。

その結婚の話し合いの間にも、歓迎会の日までにマリーナが間に合ったのはいいものの、こうして翌日に荷物の受け入れをする手間が増えたのはブレイディ辺境伯家が段取りになれていない田舎貴族だからだ。

そんなふうになじられながら、到着したことがすぐに見えるように敷地の入り口が窓から見える部屋で話し合いを進める。

「結婚式なんてただやるだけやれば良い。どうせ約束の日付も守れないような無能どもの嫁一家だ」

「その通り、あちらの国の人々は我々のような高貴な血筋とはまるで違う。同格に扱う必要などないんだ」

昨日に引き続きマリーナをないがしろにするヨルダンに、同調するようにスタイルズ伯爵もそう口にした。

昨日ああしてアイロスに怒られたとしても、ヨルダンがまったく考えを変えないのは家族の影響もあるのだろう。

そうして式や披露パーティーの予定は最低限のもので適当に決められていく。

その過程にマリーナはあまり興味がなかったので、しばらく窓の外を眺めていた。

すると遠くの方からまっすぐとこちらに向かってくる無骨な馬車の集団が見えた。

少し早いタイミングだが、もうかまわないだろうとマリーナは思って、ヨルダンとスタイルズ伯爵の会話に意識を戻す。

「どうせ領地と言っても、切り開けていない未開の土地ばかりで、小さな村がポツポツある場所をそう呼んでいるんだろ?」

「だろうな、どう考えても神の加護はあちらの国までとどかない、祖母や祖父から聞いた話では不毛の地に近しいということだ」

「はははっ、それでも貴族を名乗ればこちらに嫁に来て、素晴らしい暮らしができるんだから、やってくるのも頷ける」

彼らはすでに結婚式の話し合いは終えて、またレクラム王国がいかに自分たちよりも劣るかという話をしていて、マリーナは思案しながらそれを見つめる。

「この女の屋敷なんて見るに堪えないだろうな」

「まぁ、たしかにこの掃除のしやすそうな屋敷に比べれば、見るには堪えないでしょう」

マリーナが口を開くと、彼らは少し怪訝そうにマリーナのことを見やった。

「わたくしの実家は……田舎も田舎、レクラム王国の王城に比べて恥ずかしいぐらい古めかしくてこのアルドリット王国の王城ほどしかない、小さな要塞ですから、たしかに見るに堪えない」

「……」

「……」

「城下町もこの町と同じぐらいの規模かもしれませんね。レクラム王都はとても華やかですから恥ずかしい限りですよ。あなた方の言葉を否定はしません。事実ですから」

マリーナは言うだけ言って、後は黙った。

ヨルダンとスタイルズ伯爵はお互いに顔を見合わせて、それから笑えない冗談を言われたみたいな顔をしてぎこちなく笑った。

「なんだ、突然。つまらない強がりしやがって」

「レクラム王都が我がアルドリット王都に勝てるはずがない。さらに廃れた土地の田舎貴族の屋敷が、我が国の王城と張り合う大きさなんて、そんなはずが――」

彼らは自分たちが信じてきた知識を元に否定しようと口を開いた。

けれども、話し合いをしていた部屋の中に、屋敷を守っている兵士が慌ただしく飛び込んでくる。

「お話中、大変申し訳ありませんっ! ですがっ、ですが! 見知らぬ兵団ととても手に負えない量の馬車がすぐそこまで。か、家紋はブレイディ辺境伯家のものと一致していますっ!!」

兵士は一息で事情を話し、先ほどのマリーナの言葉もあって、まさかとそろってヨルダンとスタイルズ伯爵は窓の外を見た。

ずらりと並んでいる兵士たちは、このスタイルズ伯爵家のコンパクトな屋敷の前にぞろぞろと整列し、その後ろには大きく黒い馬車が何台も連なっている。

「っな、なんだこれ」

「ブレイディ辺境伯家……の?」

「兵団は父がよこしたものです。もちろん国王陛下にはきちんと許可を取っています。わたくしの私物として、身の回りの警護をできるだけの人員を送っていただきました」

「……」

「……」

「馬車も、すべてわたくしの嫁入り道具と持参金ですね。ただ、この屋敷にソレを保管する場所があるかどうかは……わかりませんが」

彼らは言葉を失って、唖然として窓の外を見つめていた、その様子に兵士が「いかがいたしましょう!?」とヒステリックな声で問いかけた。

兵士の声からは恐怖がにじんでいて、それにヨルダンは驚いて、きっと睨みつけて言った。

「だっ、黙れ! どうするもなにもっどう、どうするんだ父上!」

そしてヨルダンは混乱し、スタイルズ伯爵に、はやり兵士と同じようにヒステリックに問いかけた。

突然の出来事に焦り、感情を誰かにぶつけたかったのだろう。

しかしそれはスタイルズ伯爵だって同じだ「何かの間違いじゃないのか!」と叫んで最終的に兵士を怒鳴りつけた。

「あれが、ブレイディ辺境伯家からの荷物だと? レクラム王国のたかが田舎貴族の嫁入りの規模だと?? 間違いだ、間違いに決まってる!」

「はっはは、そうだよな。父上、そうに決まってる」

「では目の前に広がる光景を何だと説明をつけるつもりですか」

「……」

「……」

現実逃避に走って、そうだと盛り上がろうとした二人に、マリーナは静かに問いかけた。

すると二人は黙り込んで、それからヨルダンは落ち着こうと紅茶に手を伸ばして、指を滑らせてつるりとティーカップを落とす。

「あっ……」とか細い声を漏らして、震える手をそのまま小さく握った。

マリーナは彼ら二人と途端に目が会わなくなって、足を組んでしばらく彼らのことを見つめていた。

そうしてやっと口を開いたかと思えば、スタイルズ伯爵は少し振り返ってソファーの背もたれに手を置いて兵士に言った。

「と、とりあえず、貴重なものはこの屋敷に、ほかは別荘の方に――」

「あら、その必要はありませんよ。わたくしは、スタイルズ伯爵家への嫁入りをすでに考えていません。そもそもこうして兵団をここに呼んだことがその意思の表明です」

「え」

「は」

マリーナが、手を組んで彼らを見据え口を開くと、きょとんとした様子で二人は声をあげる。

「一応これは、話しても問題ないことだとロータル国王陛下より許可をいただいていますので、お話ししますね」

「な、なんのことだ?」

「それより、結婚を考えていないってどういうことだよ!」

「ともかく話を聞いてください」

威嚇するように怒鳴ったヨルダンに、マリーナはとても冷たい声で返し、ヨルダンはその気迫に黙って話を聞いた。

「そもそも、直近でのレクラム王国からアルドリットへの嫁入り婿入りが増えた件ですが、王家の間で内々にわたくしの主であるレベッカ第一王女殿下の嫁入りが決まっているからです」

「……き、聞いてないぞ。そんな話、私は」

「言わずとも、察することができる状況だったはずではないですか? この国は土地の魔力が強く強い魔獣が出現する、それに比べて貴族たちの魔力は代を重ねるごとに衰えていく」

「……」

「土地を持たない安定した仕事のある貴族にとってはどうでも良いことかもしれませんが、国全体としてすでに崩壊が始まっていると言ってもおかしくありません」

マリーナは背筋を正して、二人に語りかけた。

「ここに来るまでの間にいくつかの領地を通りましたが、魔力が足りず、平民が犠牲になっている村々が多くありました。そんな状況も鑑みて、魔力が多いレクラム王国の姫の輿入れが予定されている。何の違和感もない話です」

「……そんな」

「その慣らしとして、レベッカ王女殿下の家臣がこちらへと先んじて結婚という理由でやってくるのも当然の流れです。レベッカ王女殿下はまだ幼く可憐でいらっしゃる。そんな方に万が一にも何かあってはいけませんから」

マリーナの目的は最初からそれ一つだった。そのためにこうして急遽こちらの王家が指名した人物との縁を結ぶことになった。

王命での結婚とはそういうことである。

そしてこの結婚は大切な主を迎え入れる準備のためであり、それはこういった明らかに害意を向ける可能性のある人間をあぶり出して排除すると言う業務も含まれる。

本来、彼らに何の問題もなければ、こんなふうにレクラム王国の国力を誇示するようなことはしなかった。

しかし、ヨルダンやスタイルズ伯爵やその周りの人間はあまりに無知であり、盲目だ。

王女殿下が来る前にやはり見極めるためにやってきて良かった。そのために、荷物は遅れているということにしておいて正解だっただろう。

「昨日の発言、あなた方の考えについて短い時間ながら精査させていただきました。結果は、レベッカ王女殿下を迎え入れる王城の事務官としてふさわしくない。国王陛下には昨日のうちにそう進言をしておきました。当然、結婚の話もなかったことになります」

「っ、は、ま、待て待て待てっ、待ってくれ! 待ってくれ! あんな、そんなほんの少しっ、気が、気が緩んでいただけなんだっ! 知っていれば、わかっていれば、あんなことはっ言わなかったっ!」

「そ、そうだ。ヨルダンの言うとおり、け、今朝の言葉だって本音じゃないただ……か、勘違いを━━━━」

脂汗を飛ばしながら必死になって弁明しようとする彼らにマリーナはきっぱりとした声で返す。

「だとしても、それらの事情を加味してあげたいと思うほどの情があなた方にはありません。むしろ意欲的にあなた方の破滅を望むぐらい。わたくしはそう思っても問題ないような辱めを受けましたので」

「っ、…………」

「では、時間もありませんので。下手なあがきはしないことですね。すでに国王陛下は信頼を裏切ったあなた方への措置を考えています。それを念頭に置いた行動をお願いいたします」

ここでマリーナを捕まえてどうにかしようとしても無駄であると伝えるために言いながら立ち上がった。

スタイルズ伯爵はそんなマリーナを目で追いながらも、顔はどんどんと血の気が引いていく。

「父上! どうするんだ! どうしたらいいんだ!」

叫ぶヨルダンに答えることもなく、唇をかみしめて土気色の顔のまま酷い汗を流してマリーナは難なく自身の兵士たちと合流することができたのだった。

スタイルズ伯爵家の話はすぐに広まり、スタイルズ伯爵はすぐに王宮の上級事務官の役職から下ろされ、もちろんヨルダンも職場を追われることになった。

パーティーの席であれだけのことを口にしたうえで、その後のマリーナの実家が送ってきた大量の兵士や馬車の騒動があり、それらの流れを多くの人が目撃していた。

スタイルズ伯爵家の人間はあまりにも傲慢でそして、様々な注意力のない人間という認識が広がり多くの人から縁を切られ、普通の貴族らしい生活を送ることすらままならないらしい。

一方、マリーナはスタイルズ伯爵家のその後をつぶさに追えるほど暇ではなく、いったんは王城に身を寄せ、ロータル国王陛下からの謝罪を受けすぐに新しい相手が決まった。

話をもらったのはフィールディング侯爵家という土地持ちの貴族であり、あのとき説教をしていたアイロスとの結婚だった。

兵士たちは領地の方と王都の屋敷で二分し、つつがなく結婚の段取りが進みマリーナは嫁に入った。

それからも忙しく、同じくアルドリットへ来ている貴族たちと協力しながらレベッカの居場所を整えていった。

アイロスとは結婚したからと言ってさして深い仲になると言うことはなかった。

「マリーナさん、お疲れ様。顔を見たのはしばらくぶりだ」

ふと、アイロスと帰宅した時間がかぶり、エントランスで出くわした。

彼は出会ったときとまったく変わらず、眉間にしわを寄せて教師のようにマリーナのことを呼んだ。

「はい。お疲れ様でございます。アイロス様」

それにマリーナも丁寧に返す。仕事終わりで疲弊している気持ちはあったが、それよりも彼に対する観察の方が大切だ。

結婚したとしても未だに手放しで信用していいのか、マリーナ自身も決めかねているところがあり、マリーナは人の本性を見抜くことが得意というわけではない。

警戒するに越したことはないからと、常に気を張っていた。

「……随分と仕事に精を出しているようだが、休息はきちんととっているのか」

「一応……問題なく取っていますよ。ただ今が一番、大切な時期なのです。ここで気を緩ませては今後自分が後悔すると思いますので」

アイロスは眉をひそめて怪訝な表情をする。

特に彼はこんな表情ばかりで、実のところなにを考えているのかよくわからない。

結婚したとしても簡単に心まで理解できるわけでもなく、マリーナは彼と話をしている時、親戚の壮年の男性か、家庭教師と話をしているような気分だった。

「それはどうだろう。私は一番大事な時期とは、当人のレベッカ王女殿下がやってきたそのときだと考える。君と同じ立場になったことのない人間が口出しするのはうっとうしいことかもしれないが、そのときに君が余力のない状態では不測の事態への対応が間に合わない場合もある」

「……」

「まだ幼い姫なのだろう。君が疲弊していれば敏感に感じ取るかもしれない、そのあたりはどう考える?」

「……その通りですね、おっしゃるとおりです」

アイロスの言葉は大体いつだって正しい。

たしかに少し無理をしている自覚はあった。しかしこの場にいる以上、誰に頼る当てもない。

認めはするが改善する方法も待たないのだ。

「……」

「……」

「私は君にとって信用に足る人物ではないか?」

二人の間に沈黙が走るとアイロスは、マリーナの感情を読み取って問いかけてきた。

「いいえ、信用はしております」

それにマリーナは嘘で答えた。

その様子にアイロスの眉間はまた深くなり、彼は正しく嘘を見抜いたらしかった。

当たり前だ、マリーナには隠すつもりがなかった。ただ角を立てずにまだ信用し切れていないことを伝える方法がそれ以外思いつかなかった。

そうして警戒されているとアイロスが知り、日々注意を払ってできる限り問題の種になるような言動を控えてくれたらそれでいい。

マリーナのキャパはすでに限界寸前なのでこれ以上家庭内の問題など対処できないのだ。だから、アイロスに問題を起こさせたくない。

そういう算段を持ってアイロスと接した。

アイロスはマリーナの言葉にしばらく黙り、それから信用されていないことに傷つくでも怒るでもなくポツポツと話し始めた。

「……接していてわかるとおり、私は……なんだ、なにと言えば良いのかわからないが、誰とでも心を通わせるような、そのなんと言えばいいのか」

アイロスはマリーナが想像していたのと違う返答をし始めた。

「なにか……私は何というか、無理をしている若い女性に柔軟に言葉をかえ休ませる方法も、信頼されるための時には嘘も言うような会話術も持っていない」

「……」

「つまるところ、私は硬いとよく言われる。様々な面からして柔軟性に欠ける、今日も出会い頭にどうしてか、君を叱りつけるような口調でしか声をかけられない」

「……はい?」

「本当はなにか気さくな話題から初めて、無理はしないでほしいと伝えたかったが、正論が先に出て、君を案じる言葉が後から思いついた」

今日の彼はなんだか以前と違って少しほころびがあるように見えた。

大体完璧にぴしりとしていて、人に厳しい分、自分にも厳しいそんな人だが、今日はそのほころびからはほんの少しの優しさが垣間見える。

本当はずっとそうして心の中では思い悩んでいたかのように見える。

「だから先ほど言ったことは……訂正させてくれ。信頼してくれなくてもかまわない。ただ疲れた顔をしているから早く部屋で休みなさい。なにか私にできることがあれば気軽に使ってくれてかまわない。こちらは元からこの土地の出身だ。君よりも効率よくこなせることもある」

「……」

「そうして少しづつでも君と信頼関係を築いていきたい。せっかく縁を結んだんだ、ただ厳しく小言を言うばかりではなく助けになりたい」

そうは言いつつも、表情は先ほどよりも険しくなっていて、信用させたいと思っている人の表情には見えなかった。

しかしそれが逆になんとも不器用で、アイロスの言葉の信憑性を強く感じられる。

「ぶしつけながら、心配している。不要かもしれないが、君を案じている。一人の女性として、妻として」

「……」

「君にとってはうっとうしい感情かもしれないが……」

そうしてアイロスは険しい表情でマリーナを見つめた。

その瞳にマリーナは「そう、ですね」とつぶやくように言った。

そして言ってから間違えたと思う。しかしなんだか驚いて、呆然としてしまってつい言ってしまったのだ。

「いいえ、そうではなく。うっとうしくは……なく」

「ああ」

「申し訳ありません。こちらに来て、そのなんと言いますか、はじめの出来事があのようなことでしたから、気が張ってしまって、常に戦っていると言うか休まらず」

「ああ、辛い思いをしただろう」

「辛いというか、油断は命取りだと…………思えば、あなたは一貫してわたくしを手助けして導こうとしてくださっていた。けれど、素直に受け取ることができず」

「当たり前だ。君は成人した女性とはいえ若く、単に他国に嫁に来ると言うだけでも不安が大きいはずだ、その上大役を背負い、神経をすり減らしている、無理もない」

一度、本音を吐き出すと、思ってもみなかった言葉が少しずつほどけて口から出ていった。

そして欲しかった肯定を彼がしてくれると、その言葉はとても素直にマリーナの中に入ってきて、たしかに一人で気負いすぎていたのかもしれないと思う。

「少し、時間があるなら今夜、話をしよう。マリーナさん。すぐに休めと言った私が言うのもおかしいが、そうすることで変わることもあると思う。私は今まで自分の不器用さにかまけて理解してもらうことに二の足を踏んでいた」

「……私も、あなたを警戒するばかりでその努力をしていませんでした」

マリーナもそう言うと、彼はなんと言うべきか迷って、口角を一生懸命に上げて笑みを浮かべる。

とても不器用な笑い方だった。

「心から夫婦だと言えるようになるために私も努力をしたい。付き合ってくれると嬉しい」

「はい」

そうして二人は、よく話をするようになった。

うまくいかないことは助言をもらって、無理をしているとたしなめられる。

正論を言われるのは変わりがなく教師と生徒みたいな関係性ではあったが、二人はたしかに夫婦になった。

大変なことに変わりはなかったが、マリーナは笑顔で主を迎えて、つつがなく、この国の新しい時代を迎えることができたのだった。