軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第86話 アイゴケロスのメガドレイン

増え続ける水を見ながらアリエスは困ったように顔をしかめていた。

いくら殴っても焼いても、消し去ってもマナから再び水に戻ってしまうのでは手のうちようがない。

魔神族の死とは形を保てなくなってマナへと戻る事のはずである。

そして魔法の終了も同様に形を保てなくなりマナへ還元される事だが、それは決して消えているわけではない。

物質からマナへと変わっているだけであり、構成していたマナそのものは決して減る事なくその場に残っているのだ。

そして今のメルクリウスは文字通り殺しても死なない化物と化しており、身体の全てを破壊してマナへ戻してもそのマナから復活してしまう。

そしてマナそのものを消去する手段などアリエスにはなく、つまりは詰みであった。

負ける事はまずない。それだけの圧倒的な差が存在している。

だがアリエスではメルクリウスを倒し切る事もまた不可能に近かった。

これを倒しきれるのはアリエスの知る限りでは三人。

まず一人は主であるルファス・マファール。

彼女ならばメルクリウスになる前のマナを全て集めて黄金の林檎に変える事で再生を阻む事が出来る。

一人はアイゴケロス。彼もまたメルクリウスへと変わる前のマナを全て使って自身の幻像を造り出し――つまりは先にマナを使ってしまう事でメルクリウスの再生を阻めるだろう。

そして最後の一人はパルテノス。

彼女の秘技である『ヴィンデミ・アトリックス』ならばマナそのものを消去してしまえる。

つまりは再生の元から断つ事が可能だ。

だがこの三人の誰もこの場にはいない。

……いや、訂正しよう。三人ではなく四人だ。

アリエスはチラリ、と遠くにいるウィルゴを見た。

彼女ならば……パルテノスの後継である彼女ならばあの怪物をも消し去る事が出来る。

しかしそれは彼女に危険な橋を渡らせるという事だ。

アリエスとしては、そんな何一つメリットのない戦いをするよりもこの国を捨てて撤退するべきだと思うのだが、それはウィルゴが納得しないと思い知ったばかりだ。

となると、やはり彼女を主軸にしつつ何とか自分がサポートするしかないだろう。

奇しくも、ルファスの下した命令通りに彼女の補佐に徹する形になってしまいそうだ。

「ヴィンデミ・アトリックス!」

そのような事を考えているとアリエスの横を光の波動が通過し、メルクリウスへ直撃する。

命中した部分のマナが完全に消失し、ウィルゴが翼を羽ばたかせてアリエスの横へと並んだ。

「避難誘導はもういいの?」

「うん。何とか王都までは誘導したから、後はカイネコさんが何とかしてくれると思う」

どうやらウィルゴはあくまでやる気らしい。

見た目通りに随分お人よしだな、と思いながら、しかしアリエスは決して彼女を悪く思いはしなかった。

実力が足りないながらも、それでも出来る事を必死にやろうとする姿には好感が持てる。

何とか強くなろうと必死に足掻いていた昔の自分の姿が重なり、何だか妙に嬉しくなった。

「わかった。じゃあ僕が攻撃を防ぐからウィルゴは何とかマナを消せるだけ消してみて。

全部消せなくても被害はかなり減ると思うから」

「うん、やってみる!」

ウィルゴのサポートに回る事を決めたアリエスが掌から炎を発し、大きく両手を広げる。

そして掌を付き出す事で両手を合わせ、そこから収束させた炎を一気に解き放った。

直後、熱風が掌を中心に吹き荒れ、アリエスの髪をなびかせる。

衝撃で彼の立っている地面が抉れ、掌から放たれた炎の激流がメルクリウスを蒸発させていく。

そこに合わせるようにウィルゴがマナの消去を放ち、更にメルクリウスの身体を削り取った。

しかし増殖する速度が思ったよりも早い。

メルクリウスは今や山よりも巨大な水の塊であり、そして王都へ向けて着実にその魔手を伸ばしていた。

「こ、このままじゃドラウプニルが!」

「落ち着いてウィルゴ。あいつを構成してるマナだって無限じゃない。

消し続ければ、それだけ王都の被害も減るはずだ」

慌てて王都へ向かおうとするウィルゴを止め、飛んで来た水の触手に火炎を放って蒸発させる。

レヴィアの時といい、どうも相性のよくない敵とばかりぶつかるなあ、などと少し嘆きたくなった。

何でこう、毎回水属性ばかりと戦う羽目になるのだろうか。

ともかく、確実に効いているのだけは確かだ。

ならば後は王都が飲まれるのが早いか、それともウィルゴが敵を完全に消すのが早いかの差でしかない。

まあ……王都は多分大丈夫だろうという確信にも似た安心があるから、こうも余裕でいられるわけだが。

とりあえずこの場は、ウィルゴを守るのが最優先だ。

そう考え、アリエスはこの場で『全力』を出す事を決意した。

*

「何か騒がしいですね」

『射手』の捜索を王都で続けていたものの何一つ成果を得られなかったディーナが顔をあげ、山の方向を見る。

それに合わせてアイゴケロスも山を見ると、丁度雪崩の如く大量の水が接近しているのが目に映った。

どうやらウィルゴ達が向かった山の方で何かトラブルが起こったらしい。

水はこのままだと王都に直撃するコースであり、必然的に自分達も巻き込まれる事となってしまう。

しかし水魔法ならばディーナの最も得意とする分野だ。

彼女はクイ、と指を動かす事で迫りつつあった水を全て巻き上げ、一箇所へと集めてしまう。

更にエクスゲートを発動。

固めた水を全て呑み込み、移動先を別世界に指定して、移動の最中に中断。

そうする事によりどこへも行けなくなった水の塊は次元の狭間に放逐された。

こうなればもう自力で脱する事は決して出来ない。永遠にミズガルズと『もう一つの世界』の間を漂う事になるのだ。

エクスゲートを悪用する事で成立するこの『亜空間封印』の術は同じエクスゲートの使い手であっても、術の性質を完全に理解していない限り完成しない。

恐らくはあの賢王だろうと同じ事は出来ないだろう。

つまり、ある意味ではディーナの固有技能とも呼べる奥義だ。

「ふん!」

アイゴケロスが手から黒い波動を放つ事で水を霧散させる。

だが消えてマナへ戻ったはずの水は再び再生し、何事もなかったかのように進んだ。

それを見てアイゴケロスは一目で理解する。あれは消してもマナからすぐに再生してしまう特異な水だと。

通常魔法は形を保て無くなればマナへ戻り、そこで完結する。

だがあの魔法はどういうわけか、マナに戻しても再び水という形へ逆行するように出来ているようだ。

正直ありえない事象だとは思う。

まるで術者が近くにいて、消えるたびに魔法を再発動しているようだ。

だがマナから戻るならば話は早い。

要は、そのマナを先に使ってしまえばいいのだ。

アイゴケロスはそう判断するや、周囲のマナを使い己の幻像を生成。

ルーナと戦ったとき以上の巨大な悪魔の幻影を生み出し、その姿はみるみるうちに巨大化していった。

十メートルを超え、二十を超え三十を超え、遂に悪魔は天にも届くサイズとなってその禍々しい姿をドラウプニルに降臨させる。

空は暗く染まり、雲は黒く、雷光が響き渡る。

その様はまさに魔王の顕現。平和なドラウプニルに破滅を齎すべく地獄より魔の王が現われたかのようだ。

「ばっ、化物だあー!?」

「お、お助けー!?」

当然のように獣人達はパニックを起こし、我先にと逃げ出してしまう。

その豆粒のような哀れな獣人達を見下ろし、アイゴケロスは聞く者の精神すらも軋ませる声で高笑いをあげた。

「ふははははは! 愚かなる獣人達よ、恐れるがいい、逃げ惑うがいい!

それが汝等に最も相応しき姿だ! ファーハハハハハ!」

それにしてもこの山羊、ノリノリである。

仕方ないね、だってこいつ悪魔だもの。

人が怯える姿とか大好物だもの。

「……あの、アイゴケロス様。今回の敵はドラウプニルじゃありませんよ?」

「む。そうであったか」

「そうですよ」

ディーナにたしなめられ、巨大な悪魔はポリポリと頭を掻いた。

そして本来の目的を思い出し、遠くを見る。

そこではウィルゴとアリエスが戦っており、割と手こずっているようだ。

だらしのない奴等め、と思いながらもアイゴケロスは彼等の援護をする事を決めて移動を開始した。

本体は未だ老紳士のままなのだが、もはやそれは巨大な幻影に包まれてしまい外からは見る事が出来ない。

傍から見れば、天を衝くほどの巨大な悪魔が山へ前進しているようにしか見えないだろう。

少なくとも、離れた位置にいた瀬衣はそう感じてしまった。

「な、なんだあれは……!?」

「あ、あれは……間違いありません! あのおぞましい姿、まさしく覇道十二星、『山羊』のアイゴケロス! 十二の星の中で最も邪悪で、善と正義を憎む者です!」

「善と正義を……ま、まさか!」

「ええ……恐らくは。きっと彼にとってウィルゴさんの輝きは何よりも目障りなもののはず……。

憎き天使を始末するためにこの場に出現したとしか考えられません!」

クルスのとんでもない勘違い発言に瀬衣が顔色を青くした。

脳裏に浮かぶのはあの黒翼の覇王の姿。

なるほど、主が化物ならば部下もまた化物。

あのラスボスとしか思えない巨大悪魔もルファスの部下と言われれば納得出来る。

そして白く輝く翼のウィルゴへとアイゴケロスが近付く様は、天使を殺すべく大悪魔がやってきたようにしか見えない。

実際は全くの逆で、山羊さんと乙女さんは仲間同士なのだが、一体誰がそれを初見で信じるというのだ。

そして更に混沌は加速し、山の方向から炎が吹き上がったかと思うや否や、そこにアイゴケロスにも劣らぬ巨大な怪物が姿を現した。

「メエエ゛エ゛ェ゛ェ゛ェ゛ェエエエエエェ!!」

虹色に輝く炎を纏った巨大な羊。

それこそまさに覇道十二星が一角、『牡羊座』のアリエス!

その姿を知るガンツが顔を真っ青にし、指先を震わせた。

そして思う。最悪だ、と。

後ろには『山羊』。前には『牡羊』。

白い翼の天使は完全に前後を塞がれてしまった形になる。

誰がどう見てもわかる、詰み。

実際は山羊さんと同じく羊さんもウィルゴのお友達なのだが、初見でそれを理解しろというのは無茶振りすぎるだろう。

「! おい瀬衣、どこに行く気だ!?」

「決まってるだろう、ウィルゴさんを助けに行く!」

「馬鹿言うな! お前に一体何が出来るってんだ!」

駆け出そうとした瀬衣の手首をガンツが掴んで制止する。

メルクリウスだけならばまだしも、もう状況は完全に変わってしまった。

覇道十二星の恐ろしさは彼自身が、かつてアリエスを近くで見たからよく知っている。

あれは人智を超えた化物の中の化物だ。

戦うだとか勝てるだとか負けるだとか、そんな次元の話ではない。

まず戦闘そのものが成立するはずもない歩く大災害。それが十二星なのだ。

しかもそれが二体! どう考えても戦っていい相手ではない。

「いいか、勇気と無謀を履き違えるな。勝てない相手に無策で突撃するのはただの無謀だ。

お前は今は未熟だが、いつか必ず俺達なんか比べ者にもならねえ強さになる。

それまで、あんな化物とは関わろうとするな。今は堪えるんだ」

「……っ!」

瀬衣が己の無力に歯噛みする。

ウィルゴを見殺しにする事など絶対に出来ない。

だが現実問題、自分に出来る事がないという事もまた理解出来てしまう。

何故自分はこんなにも弱い。何故こんなにも頭が悪い。

女の子一人救うだけの力もなく、この状況を打開する策も思い浮かばない。

そうして少年が悔しさに拳を震わせていると更に状況は悪化し、今度は巨大な蠍の怪物が天を衝いて顕現した。

続けて森の中から巨大な蟹の怪物が姿を現し、バーニアを吹かしながらミズガルズ最強のゴーレムである『天秤』のリーブラが飛翔してきた。

かくしてここに『牡羊』、『山羊』、『蠍』、『蟹』、『天秤』の五星が揃い、しかし次の瞬間彼等は揃って地面に頭を垂れた。

一体何があったのだろうか?

そう思い瀬衣が目を凝らすと、巨大な怪物達の前に真紅のローブの誰かが立っているのがかろうじて見えた。

あの怪物達を従えるなど、一体――?

そう考えていると一際強い風が吹き、顔を隠していたローブがめくれる。

そして見たのは、毛先にかけて黄金から朱へ変色している金髪の女性。

間違いない。一度見ただけだが忘れるものか。

「……ルファス・マファール……」

そう、人智を超えた化物を従える者がいるとすれば、それは更に人智を超えた化物以外に有り得ない。

瀬衣は戦慄に唇を戦慄かせ、ドラウプニルは絶望に染まる。

そしてクルスは「世界の終わりだ」と呟いて失神した。