軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第158話 ディーナのひみつのちから

ディーナが里に戻った時、既にそこは滅びの道を辿っていた。

人間であった母はもう寿命でこの世を去り、父もまた骨と皮のような変わり果てた姿となっている。

いや、父だけではない。ディーナが生まれ育ったその里は最早、死を待つだけの監獄と化していた。

「…………」

心は、動かないはずだった。

見ても動じないと思っていた。何故なら自分は女神の化身で、偶々この里で生まれただけで別に彼等に対し何の感情も抱いていないのだから。

なのに何故だろう。何故自分はこんなにも動揺しているのだろう。

まるで背中に氷の塊でも入れられたように背筋が冷え、足が震えるのだろう。

今までだってずっと、こんな光景は何度も見て来た。存在が強大過ぎるが故に自ら手を下しこそしなかったが、月龍に命じて何度も何度もこんな光景は作り上げて来た。人口が増えすぎた時はあえて数を減らした事もあったし、一つの種族を完全に滅ぼした事だってある。

――本当に?

本当にそれは自分がやったものか?

それは女神がやった事で、自分は……本当は、こんな景色すら今まで一度も見た事がないのではないか?

「……おお、ディーナ……よく帰ってきてくれた」

無意識のうちに父の寝ているベッドの近くまで来てしまっていたのだろう。

里を出て百年は経つというのに一目で己の娘の姿に気付いた父は骨のような手を彼女へと伸ばした。

思わずその手を握り、力の無さに唖然とする。

人はいつか死ぬ。死んでこの世からいなくなる。それは長寿のエルフであっても例外ではない。

そんな事は最初から知っていたはずなのに、まるで今初めて知ったような驚愕と恐怖がディーナの中にはあった。

自分というアバターがこの世に出る為の通路くらいにしか思っていなかった母の死が、その番程度にしか認識していなかった父の弱った姿が、何故こんなにも心を打ちのめす。

どうしてこんなにも、二人が自分へ向けて来た笑顔が今更になって思い出される。

自分は女神の化身のはずだ。ならばたかが一人や二人の生き死にに一々心など動くはずがない。

ディーナは今までずっと、疑う事なく女神=自分であると考えていた。

だが今、初めてその方程式が崩れつつあった。女神と自分との間に横たわる壁の存在を感じずにはいられなかった。

何故なら……本体である女神が今、自分と同じ痛みを感じているとはどうしても思えないからだ。

きっと女神はこの父の顔も、名前すらも覚えていなくて……覚える気すらなくて……きっとこのまま父が死んでしまっても、『アバターの父だったエルフが死んだ』くらいにしか思わないだろうから。

「お、父さん……」

父だなんて思わなかった。地上を這う人類のうちのその他大勢くらいにしか思っていなかった。

だが本当にそうだったのだろうか?

向けられる笑顔を。両親からの愛を。本当は居心地よく感じていたのではなかったか?

そこにある温かみを確かに受け取ってはいなかったか? 幸福を感じはしなかったか?

自分は女神だからという思いと自尊心で、それらを無理矢理封じ込めて見ないようにしていただけではなかったのか?

分からない。自分が分からない。

だって自分は女神の地上での分身体で、女神の依り代のはずで……。

もしそうではないとしたら、では自分は一体誰なのだ?

ディーナの脳裏に浮かぶのは、女神を模しただけの不出来な人形であった。

その手足には糸が絡まり、遥かな高みから女神本人がこの人形を操って遊んでいる。そんな姿を想像してしまう。

胸の痛みを抑えるように強く服の上から手を押し当てる。

すると、そこには何か固い感触があり、取り出してみればそれはルファスに押し付けられたエリクサー入りの瓶であった。

どんな病であろうと治し、寿命すらも伸ばす禁忌の薬。女神に唾吐くような代物で、後で叩き割ろうとすら思っていた物だ。

だが今は、何故かそれを壊す気にはなれずにいた。

使うでもなく、捨てるでもなく、自分が何をしたいのかすら分からずに棒立ちするディーナだったが、彼女の優れた聴覚は機敏に何かを感じ取り、ディーナの顔色が変わった。

何かが来る……巨大で、そして危険な何かが、この里に。

地を揺らすような音が響き、木々がへし折れる。

慌てて家から飛び出したディーナが見たのは、家屋を薙ぎ倒しながらこちらへと接近する――巨大な黒い蠍の化物であった。

(毒の女王……エンペラーバーサクスコーピオン……っ!?)

――エンペラーバーサクスコーピオン。数多く存在する蠍系モンスターの中でも最強とされる災害級の魔物だ。

その体内にはこの世のありとあらゆる毒素を内包し、その気になれば僅か数日で惑星全土を毒で覆い、死の惑星にする事すら可能だと言われている超危険指定種だ。

歴史上、この手の怪物は実は何度か出現している。その役割は増えすぎた生物の間引き。

生態系を崩壊させかねない程に繁栄し、バランスを崩すと女神が判断したならば、そこにこいつは現れる。

そしてその生物が抗体を持たない毒素をその場で作り上げ、疫病を流行らせて絶滅へと追いやる……いわば生きた疫病そのものだ。

その戦闘レベルは900。獅子王や竜王といった世界の抑止力達にこそ及ばないが、それでも危険極まりない怪物である事は疑うまでもなく、こうした災害級魔物の出現はイコールで何らかの生物の滅亡、あるいは衰退を意味する。今も人類を襲い続け、人々を恐怖の底に沈めている手の打ちようのない災厄。

この里を襲った流行り病の正体はこいつだったのだ。

(何故……? エルフは確かに近年増えつつはあるけど、まだこれが動く時期じゃない。

何でこれが、この里に)

蠍の女王と睨み合いながら、ディーナは必死に頭を働かせる。

エルフは女神のお気に入りの種の一つだ。そして数も決して多くない。

これがわざわざ来る理由はないはずで、むしろ今は勢い付きすぎた人類の相手をしなくてはならないはずだ。なのに、何故?

(まさ、か……)

思い当たる節は、一つだけあった。

それは他でもない自分の存在だ。

女神のアバターである自分はこれから、女神の名を名乗って人々の前に姿を現す事もあるだろう。

むしろルファスという存在を排除するにあたって、最も有効なのが女神の名の下にルファスを悪と宣言して人々を扇動する事だ。

だがその時に、女神を名乗っていた者が人の胎から産まれたという事実があっては人々に疑われてしまうかもしれない。女神の名を騙る偽物と思われてしまうかもしれない。

ならば最も簡単な手は一つ。それを知る者がこの世からいなくなればいい。

記憶の操作で十分だろうとディーナは考えている。だがこの蠍を動かした者は不十分と考えて万全を期した。

そう、本来同一人物だったはずのアバターと本体との間に、明確な考えの差がこの時表れてしまったのだ。

毒の女王が口を開き、それと同時にほぼ反射にも等しい速度でディーナが動いた。

「っ! “時”よ!」

ディーナが素早く固有スキルを発動し、毒の女王を“時”の牢獄へと閉じ込めた。

固有スキル『イェド・ポステリオル』。対象の時間を切り離して遅延させ、動きそのものを鈍らせる時間制御スキルであり、神の代行者だからこそ行使出来る絶対的にして反則的な能力だ。

更にこの能力は時間経過と共に効果を増し、最終的には時間停止を通り越してマイナスへと至り、対象の時間そのものを過去へと逆行させて『 生まれる前に戻す(初期化) 』する事すら出来る。

また、ディーナはこの逆の効果を持つ時間加速のスキルも所有しており、その二つに共通するのは『防げない』という特性だ。

彼女の固有スキルはその立場上、ありとあらゆるスキルに優先される『絶対優先権』を持つ。

人々は知らない事だが、スキルには優先順位というものがあるのだ。

例えば絶対命中と絶対回避が衝突した場合、より優先度の高いスキルが優先されて成功する。

そしてその位階は五段階に分けられ、より高位の術ほど優先度は高い。

だがディーナや龍といった神の代行者が行使する固有スキルの優先度は――『六』。

つまり無条件で成功し、絶対に相殺も無効化もされない。

使用すれば最後、絶対に成立してしまうのだ。この絶対優先スキルとはいわば、神の代行者である事の証のようなものである。

毒の女王の動きが目に見えて鈍り、愚鈍になる。

だがその口からは既に毒の霧が発射されており、それはゆっくりと……だが確実に時の牢獄の外へと向かっている。

(まずい……まずいまずいまずい!)

いかに毒の女王自身の動きを止めても、毒の霧が外に出てしまえば手遅れだ。

現在、毒の女王の速度は本来の十万分の一にまで落ちている。殆どの生物は完全に停止する程の時間停止にも等しい時間停滞と言っていい。

だがそれでも僅かずつ動いている。止まらない。

つまり、それだけ本来の散布速度が馬鹿げているという事なのだろう。

時間の流れは遅くなり続けている。毒の女王はもう殆ど動けていない。

だがそれでも、時間が停まるよりも毒霧が外に出てしまう方が速い。

神のアバターであるディーナが持つ固有スキルは七つ。そのどれもが優先度『6』に設定され、あらゆるスキルに先んじる力を持つ。

だがその中に、この事態を解決する能力は……なかった。

(どうすれば? どうすればいい?!)

毒の霧が外に出てしまえば、自分はしばらく耐える事が出来てもこの里の人々が死ぬ。

少なくとも、既に死に体の父は絶対に助からない。

そして毒が散布されてしまった里では蘇生天法をいくら使おうと、蘇生したそばから死ぬだろう。

ディーナは自身が女神の化身であるという自負すら忘れ、必死に事態を打開する方法だけを探していた。

しかし急ぎ、答えばかりを探す頭では簡単な事にすら気付かない。

焦りは焦りを生み、冷静な判断を失わせる。

そうして遂に霧が時間の牢獄の端へと達し――。

「能力は恐ろしく強力だが、使い方がなっておらんな。

なまじ強すぎるスキルなど持つから応用が効かんのだ。こんなのはな、もっと単純な手で片が付く」

横から自信に満ちた声が聞こえ、次に視界の端に握った拳が映った。

声の主は強く踏み込み、渾身の力で拳を振り上げる。

やった事はそれだけであり、だがそれによって引き起された事態は想像を絶する。

ただの拳の一撃が空の果てまで届く竜巻を巻き起こし、毒の霧を全て上空へと吹き飛ばしたのだ。

少し掠っただけの毒の女王も一緒に空を舞い、重量によってかろうじて成層圏の外に出ずに落ちて来た所を狙い撃つようにルファスが拳を握る。

「其方も随分つまらぬ支配を受けているようだな。

まあ、殴れば目が覚めるだろう。加減はするが全力でいくぞ?」

矛盾に満ちた言葉である。加減しているのに全力などと、意味が通じない。

だがそれを成立させる事が出来るのがこの世界であり、スキルだ。

瞬間、ディーナは確かに感じた。

ルファスから感じる存在感が圧倒的に跳ね上がり、レベル限界すらも超えてしまったのを。

本来『観察眼』などの測定スキルは自分より強い者は測れない。

しかしディーナは神のアバター。その条件を無視してルファスのレベルを測定し、4000オーバーという馬鹿げた数字に卒倒しそうになった。

レベルの限界とは破壊規模の壁だ。強すぎる力が世界を壊してしまわないように、インパクトの瞬間にその威力を殺す世界の防衛機構である。

もしもこれがなければ、人が音速を超えただけで広範囲に渡るソニックブームが発生して周囲に多大な被害を齎すだろうし、光を超えれば世界が滅びるだろう。

そしてその壁は一枚ではない。念に念を込め、レベル1000を境に十枚用意されている。

つまりレベル2000、3000と上がる毎に壁が立ち塞がるのだ。

そして今のルファスのレベルは4000以上。限界の壁を既に四枚破ってしまっている。

その状態から放たれる最大ダメージ数値は――9億9999万9999! 約十億のダメージ値を叩き出す事を可能とする。

その状態でスキル『峰打ち』。どんな攻撃をしても必ず相手のHPが1残る手加減専用スキルを発動し、ルファスの全力の拳が毒の女王を殴り飛ばした。

全長100mにも達する巨体が今度こそ成層圏を突き破って宇宙まで吹き飛び、太陽付近にまで急接近してしまう。

だが峰打ちは本人からのダメージでは死ななくとも他から与えられたダメージならば普通に死んでしまう。つまりこのまま太陽に飛び込めば毒の女王の命はなかっただろう。

しかしルファスは既に女王を追い抜いており、太陽の目の前で蹴りを放ってその反動で反転。

(後にルファスは、『流石に太陽熱は効いた』と足の裏が結構熱かった事を酒の席で仲間達に話してドン引きさせた)

再び峰打ち込みで既にHP1の女王を蹴り、今度はミズガルズへと真っ逆さまに降下した。

流星のように地表へと急降下する女王を再び追い越して里の上空にスタンバイ。

落ちて来た女王を片手で受け止め、ゆっくりと着地した。

この一連の出来事にかかった時間……僅か一秒未満。

ディーナは開いた口が塞がらなかった。