軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第997話 黒い靄の正体

他の四人の搬送を護衛兵に依頼したエルメス。

すぐさま床に倒れているイグニスの治療に取り掛かった。

エルメスはまずイグニスの口の近くに手を当てて、弱めながらも息をしていることを確認した。

それから先程のイヴリン達の治療と同じく、浄化魔法、解毒魔法、上級回復魔法の三種ワンセットを唱える。

目に見える黒ずみこそないが、イヴリン達と同じく主教座聖堂の中で倒れていた以上、イグニスも邪気に浸蝕されていてもおかしくはないからだ。

その後エルメスは、上級回復魔法のみを連続で唱え続けた。

内臓損傷や打撲などのダメージなら、回復魔法での治療が十分に可能だからだ。

途中、他の護衛兵に頼んでおいたアークエーテルが手元に届き、早速アークエーテルを飲みながらの治療が続けられた。

キュアヒールをかける回数が、五回、十回、十五回……と増えていく。

キュアヒールとは上級回復魔法であり、普通の怪我なら一回、骨折などの重傷でも三回もかければ完治して目を覚ますものだ。

だが、血反吐を吐いて倒れていたイグニスが起きる様子は全くない。エルメスは内心で焦り始める。

エルメスはこのラグナ神殿に仕えるようになってから、怪我人や病人を何度も治療してきた。しかし、一人の治療に対して十回以上ものキュアヒールをかけたのは、これが初めてのことだ。

どんな重病人でも、瀕死の重傷でも、腕や足が千切れた状態の人でさえキュアヒール八回あたりで完治した。

それが、今回のイグニスにはキュアヒールを五回かけても、十回かけても一向に快癒しない。

エルメスが内心で焦るのも当然の事態だった。

しかし、だからといって治療の手を止める訳にはいかない。

イグニスが息をして生きている以上、回復魔法をかけ続けて救助することこそがラグナ教司祭であるエルメスの使命。

諦めることなく、ひたすらキュアヒールをかけ続けた。

そうして十五回を越えた辺りから、状況が好転し始めた。

それまで紙のように真っ白だったイグニスの肌に、少しづつ血色が戻ってきた。顔の表情も、最初に発見した時よりも和らいできているように見える。

そのことに気を良くしたエルメスは、二本目のアークエーテルを飲みながらキュアヒールを連続してかけていく。

その結果、二十五回目にしてようやく人心地がついた。

イグニスの意識はまだ戻っていなかったが、顔色や呼吸は普通に寝ている状態にまで回復した。

ここまでくれば、もう大丈夫だろう―――かなり回復したイグニスを見て、エルメスは近くで捜索していた護衛兵に声をかけた。

「すみません、この子を医務室に連れていって寝かせてあげてください」

「分かりました」

護衛兵にイグニスを託したエルメスが、その場でほっと一息をつく。

するとそこに、エルメスの手が空くのを待っていたかのように、他の門番が近づいてきて声をかけた。

「エルメス司祭、お疲れのところを申し訳ありませんが……ちょっとこちらに来ていただけますか?」

「ン?……何か見つかりましたか?」

「はい。実際に見ていただいた方が早いかと……」

「分かりました、行きましょう」

申し訳なさそうな声で話しかけてきた門番に、エルメスは快く同行に応じる。

エルメスが門番に案内されたのは、水晶の壇の奥にある内陣。その内陣の更に奥にある祭壇部だった。

祭壇部の床を見たエルメスの顔色が、瞬時に変わった。

「……これは……」

エルメスが祭壇部の床で見たものは、白銀色に輝く折れた剣だった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

祭壇部の床に落ちている白銀色の剣を見たエルメスは、咄嗟に真上を見上げる。

祭壇部の上部には、聖遺物【深淵の魂喰い】が祀られているはずだ。

だが、真上を見上げたエルメスの目には、いつも見慣れた赤黒い大剣はなかった。

エルメスはそのまま周囲をキョロキョロと見回したが、どこを見てもあの赤黒い大剣は見当たらない。

その事実は、必然的にエルメスの中で一つの答えを導き出していた。

「これは……聖遺物の【深淵の魂喰い】が消えて、その代わりに伝説の【晶瑩玲瓏】が現れた……ということ、ですかね……」

口に手を当てながら考え込むエルメス。

実際それは正解なのだが、この状況を見ただけではエルメス一人で断言することはできない。

そんな思惑を汲み取るように、門番が改めてエルメスに声をかけた。

「大教皇様にこちらにお越しいただくよう、お伝えしてきますか?」

「……そうですね。これは私一人では手に余りますし、大教皇様にも見ていただく必要があるでしょう」

「では、今すぐ大教皇様を呼んでまいります」

「よろしくお願いします」

エルメスの許可を受けて、門番が早速大教皇を呼びに向かった。

その間、この場を誰も荒らさないようにエルメスが見張りをしつつ、内心で推察を重ねる。

『あの剣は神代の時代、それこそ天地開闢の瞬間からこの世界に在った』

『光あるところに影が生まれるように、天と地、光と闇は常に対で存在し、お互い切っても切れない間柄』

『そしてそれ以外にもうひとつ、忘れちゃいけない究極の対極事象がある』

『それは―――生と死』

これは、かつてライト達が【深淵の魂喰い】が何であるかを調査した時に、若手パーティー『龍虎双星』の一員であるネヴァンが語ったラグナ教で言い伝えられているという話。

当然エルメスもこの話を知っている。

そしてこの言い伝えには続きがある。

『光は生の象徴であり、闇は死を象徴する。あの剣は、光と闇そのもの』

『その時代時代で姿を変えて、生と死の狭間を行き来してきた剣』

『時には光の聖剣として増えすぎた闇を屠り、時には闇を救う魔剣として生ある者を喰らう』

『今神殿にあるのは、魔剣としての姿。生ある者の魂を喰らう、とても恐ろしい魔剣』

『だから、決して外には出さぬようにラグナ教で聖遺物として扱い厳重に保管している』

というものだ。

これが【深淵の魂喰い】の由来であり、ラグナ教に仕える者はもちろんのこと敬虔な信者達にも知られている、夙に有名な話である。

その言い伝えの主役である【深淵の魂喰い】が消えた。

その代わりに、見たことのない白銀色の剣が折れた状態で見つかった。

聖遺物のもう一つの顔である【晶瑩玲瓏】は、今まで誰も見たことがない。その姿形はラグナ教で一切伝わっていないし、そもそもラグナ教がこの聖遺物を祀り始めた時から【深淵の魂喰い】だったのだ。

この白銀色の剣が【晶瑩玲瓏】であるとは、一介の司祭に過ぎないエルメスには断言できない。

しかし、大教皇であるエンディがこの白銀色の剣を見れば、何かしらの手がかりを得られるかもしれない―――エルメスはそう考えていた。

エルメスは大教皇とともにこの場を検証すべく、呼びに行った門番が大教皇を連れてくるのを待っていた。

だが、門番が主教座聖堂を出ていってから、五分経っても十分経っても戻ってこない。

エルメスが大教皇の到着を待つ間、主教座聖堂の外では別の騒動が起きていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

時は少し遡り、エルメス達が主教座聖堂の中に突入していった直後のこと。

エルメス達が入口で遭遇した黒い靄―――廃都の魔城の四帝【武帝】の残滓は空中を浮遊していた。

(……くそ……このままでは消滅してしまう……どこかで力を溜めなければ……)

【武帝】の残滓は、朧げな意識ながらも懸命に思考を巡らせる。

今の【武帝】は、先程の破壊神イグニスとの決戦で、長い間依代として潜んでいた【深淵の魂喰い】を失っただけでなく、殆どの力を使い果たしていた。

文字通り残滓であり、このまま何もせずにいたら力尽きて消滅してしまう。まさに存亡の機に瀕していた。

もっとも、ここで消滅するのは【深淵の魂喰い】の中に巣食っていた分体だけで、どこかに潜んでいる本体にはほぼ影響はないのだが。

それでもやはり、【武帝】としてはこのまま消滅する訳にはいかない。

人里の動向に対する監視の目を失うのは手痛いし、再び別の分体を潜ませるのも厄介で手間がかかる。

何より破壊神イグニスに敗北を喫したまま消滅するのは、廃都の魔城の四帝の一角である【武帝】のプライドが許さなかった。

【武帝】の残滓は何としても生き残るべく、ラグナ教神殿の中で黒い霧のまま彷徨き回る。

一番最初に遭遇したエルメスや護衛兵達。彼らの身体に数秒まとわりついてみたが、思うように取り憑くことができない。

これは、彼らが敬虔なラグナ教信徒であり、聖なる力を行使することができる者達だからであった。

先程までの【武帝】ならば、そうした者達でもひと捻りで呑み込むことができただろう。

だが、今の【武帝】は破壊神イグニスとの戦闘でボロボロになっていた。存亡の機を迎えるまでに弱体化した黒い靄状態では、エルメス達の健全な身体を乗っ取るには到底至れなかったのである。

そのことに焦りを感じた【武帝】の残滓。

途中ですれ違う、慌てふためき逃げ惑う信者や観光客にもその魔の手を伸ばす。

だが、どれも思うように力を搾取できない。少しだけ力を奪えた感覚はあるものの、皆黒い霧に驚きすぐに逃げてしまう。

今の残滓状態では、健康体の人間に対して瞬時に深く付け入ることはできないのだ。

さらに焦った【武帝】の残滓は、手当り次第とばかりに薬草園の薬草に覆い被さった。

すると、どういう訳か人族を襲うよりも多くの力を得られた気がする。これは、薬草が持つ有効成分を力として取り込んだ故の微量回復か。

しかし、薬草園の薬草だけでは到底物足りない。実際のところ、薬草はすぐに黒ずんで枯れてしまった。

【武帝】が残滓状態から立ち直るには、もっともっと力を取り込む必要がある。【武帝】の残滓は、さらなる獲物を求めて花壇や木にまとわりついた。

その結果、【武帝】の残滓はだんだんと力を蓄えていった。

動き回る人族を襲うよりも、動くことのできない植物から力を奪っていく方が効率が良いことを覚えたのだ。

そうして靄の黒さはどんどん増していった。

ある程度力を蓄えてきたところで、【武帝】の残滓は再び人族を襲ってみることにした。

しかしその頃にはラグナ教信徒や一般観光客はとっくに避難しており、周囲に人の姿はなかった。黒い靄となった【武帝】は、しばしそこら辺を彷徨い漂う。

するとその時、ちょうど都合良く二人の人族が向こうから現れた。

その人族はラグナ教の護衛兵の格好をしていて、二人とも剣を構えている。おそらくは黒い靄である自分を撃退するために出てきたのだろう。

(クックック……ちょうどいい、此奴らで試してみるか)

【武帝】の残滓は内心でほくそ笑むと、護衛兵のルカとニコに向かって襲いかかっていった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「うわッ!」

「こいつめ……!」

黒い靄を食い止めるために出てきたルカとニコだったが、【武帝】の残滓に手も足も出ない。気体状態の【武帝】の残滓に向かって剣で斬りつけたところで、ダメージは殆ど与えられなかった。

いや、これがもし彼らが【神聖騎士】などの高位のジョブ持ちだったり、あるいは所持している剣が聖剣とかの聖属性の付与なりあれば、もっと違う結果を出せただろう。

だが、ルカとニコはそこまでの強い力を持っていなかった。

(此奴らには、我を倒す力はないな。……よし、その生命、我の復活の礎として捧げてもらおうか)

(………………ッ!?)

(何故だ、何故此奴らの生命を奪えないのだ!?)

【武帝】の残滓は、残酷な意思を持ってルカとニコに襲いかかった。

だが【武帝】の残滓が彼ら二人の生命全てを奪うことはできなかった。

それは、ルカとニコが黒い靄に立ち向かう直前に、総主教ホロから授けられた祈り『神への御加護』のおかげであった。

しかしそれは『生命を瞬時に奪い取りきれない』というだけで、完全にノーダメージという訳にはいかなかった。

黒い靄に覆われたルカは「うッ……!」という呻き声を上げながらよろめきながらも剣を振るい靄を霧散させる。

(くそっ……こいつは聖なる力に守られていて厄介だ……)

ルカに追い払われた格好の【武帝】の残滓。

すぐに考えを切り替えて、今度はニコに狙いを定めて襲いかかった。

だが、ニコもルカ同様に少しふらついただけで、屈することなく剣を振り回して【武帝】の残滓を蹴散らした。

どちらも予想外だった不振の結果に、黒い靄はその場から逃げるように立ち去った。

今の【武帝】の残滓には、一つの獲物にゆっくりと時間をかけている暇はない。

普段ならばじっくりと味わうように嬲るところだが、今の弱体化した【武帝】にそんな余裕はないのだ。

厄介な獲物は獲物ではない、とばかりに場所を移動し始めた【武帝】の残滓。

ルカとニコは、邪悪な黒い靄を追いかけるべく足を前に出したが、その途端に膝から崩れ落ちてしまった。

黒い靄に瞬時に生命を奪われなかったとはいえ、身体がふらつく程度には生気を吸われていた。

「くッ……!」

「総主教様が……大教皇様が、危ないというのに……!」

剣を地面に突き立てながら、必死に立ち上がろうとするルカとニコ。

だが、どんなに彼らの気が逸ろうとも、肝心の身体が動いてくれない。強い目眩が起きていて、身体が言うことを聞いてくれないのだ。

思うように身体を動かせないことに、ルカもニコも強い苛立ちに苛まれる。

そんな状態で無理をしたせいか、しばらくしてルカもニコもその場に倒れ伏してしまう。

(総主教様……最後までお守りしきれず……申し訳ございません……)

ルカとニコは苦悶の表情を浮かべながら、無念のうちに気絶してしまった。