軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第710話 思い出の一品

その日から、ラウルはユグドラツィ周辺の倒木除去作業をしながら、その合間にツェリザークの雪や氷を解かした水を与えるようになった。

水にはその時々でアークエーテルやエクスポーションを混ぜて、ユグドラツィの根元にゆっくりとかけていく。

ライトがよくユグドラツィにしてやっていた『ブレンド水』である。

「ほら、ツィちゃんの好きなツェリザークの雪の水だぞ。美味しいか?」

「午後にはまた雪のままのシャーベットを出すから、俺といっしょにおやつを食べような」

穏やかな声でユグドラツィに話しかけるラウル。

その声は限りなく優しく、希望に満ちている。

何故ならば、様々な配合のブレンド水をかけることで、ユグドラツィの傷だらけの幹や枝が少しづつ綺麗になっていくような気がしたからだ。

そしてそれは決してラウルの気のせいでもなければ、楽観的かつ希望的観測による欲目でもない。

事件から二日後の昼に、ユグドラツィの上部に新しい芽が吹いたのだ。

「…………ッ!!」

根元だけでなく、上部の方からもブレンド水をかけてやっていたラウル。

それは真夏のプールや水浴び、シャワーや水遊びのようなつもりで極太の幹の天辺からブレンド水をかけていた時に見つけた新芽。

まだあちこちに大小数多の傷が残るユグドラツィ。その中にあって、柔らかな緑色の瑞々しい緑葉が芽吹いていたのだ。

新たな芽を見つけた時、ラウルは思わず息を呑んだ。

ラウルの小指の爪ほどの小さな芽だが、その生命の息吹の力強さはラウルに計り知れない衝撃を与えていた。

感無量のラウルが、ユグドラツィに向かって声をかける。

「ツィちゃん…………」

幹の天辺に胡座で座り込み、俯いたままそれ以上言葉が出てこないラウル。

新芽が出たということは、ユグドラツィの生命は完全に失われていなかったことの証。

感極まったラウルの瞳から、キラリと光る雫が零れ落ちる。

雫はラウルの頬を伝い、顎からぱたり、ぱたりと落ちてはユグドラツィの幹に滲み込んでいく。

「……よし。これからもっと、もっともっと美味しい水をじゃんじゃんあげるからな。たくさん飲んで、たくさん芽を出して、もっと元気になってくれよな、ツィちゃん」

ラウルは新芽の周りの枝をそっと撫でた。

それまで全く目に見えなかったユグドラツィの生死。新芽という生命の証を目の当たりにすることで、希望は消えることなくラウルの中でより強く燃え盛る。

ラウルは涙を拭い、己の頬をパン、パン!と軽く二回叩いて気合いを入れる。

そして再び倒木除去の作業をしながら、それまで以上に精力的に後片付けを進めていった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ラウルがユグドラツィの新芽を発見してから、さらに三日後のこと。

その日は昼からライトとレオニスもユグドラツィの見舞いに来ていた。

「「……おおおおお……」」

二人はユグドラツィを見上げながら、感嘆の声を上げる。

ライト達の目の前には、緑葉溢れるユグドラツィの姿があった。

艶やかな美しい緑の葉が隙間なく生い茂り、ぱっと見では襲撃事件前のユグドラツィの姿に戻ったように見える。

いや、それどころか事件以前の平和な頃よりも背が高くなり、隆盛を増しているようにさえ思える。

それくらい、ユグドラツィの樹体は回復していた。

「ラウル、すごいね!」

「たった数日でここまで蘇るとは……さすがは千年近く生きてきた神樹だけのことはある」

「それだけじゃないよ、ラウルが一生懸命ツィちゃんの看病をしたからだよ!」

「……ああ、きっとそうだな」

ライトとレオニスが、ユグドラツィの回復を心から喜んでいる。

特にライトはラウルの献身的な看病のおかげだ、と興奮気味に讃えていた。

そんな二人に、ラウルが小さく笑いながら語る。

「いや、これは俺だけの力じゃない。ご主人様達のおかげでもある」

「やっぱ アレ(・・) が結構効いた?」

「おう、そりゃもうすげー効き目だったぞ!」

ライトが言うアレとは、エリクシル。別名【神の恩寵】とも呼ばれる幻の神薬である。

襲撃事件翌日に、ライトがレオニスとピースとともにユグドラツィのもとを訪ねた時。ユグドラツィにたくさんの美味しい水をあげよう、と提案したのはライトだった。

そしてその帰り際に、こっそりとレオニスに頼んでラウルにエリクシルの瓶をそのまま渡したのだ。

ちなみに何故こっそり渡したかと言うと、その場にはピースもいたためである。

ピースはライト達がエリクシルを所持しているということを知らない。また、今わざわざそれを明かす必要もないし、むしろ明かしたら入手の経緯やら何やら一から説明していかなければならない。

さすがにそれは面倒なので、ピースに知られないようにラウルにこっそりと渡した、という訳である。

ライトからエリクシルを譲り受けたラウルは、早速翌日からツェリザークの雪解け水にエリクシルを一滴垂らしたものを与え始めた。

以前ライトがブレンド水と称して同じものをユグドラツィに与えた時には『あれ程の神気溢れる水は、生まれてこの方出会ったことがない』『紛うことなき神気をまとった『神の水』である』と大絶賛していたからだ。

そして『私の身長が1メートルは伸びた気がします』とも言っていた通り、木製バケツ一杯の雪解け水とエリクシルを一滴垂らしたスペシャルブレンド水は、根元や幹の天辺に 一度(ひとたび) かけるだけで新たな新芽がブワッ!と勢いよく伸びていったのだ。

目に見える大成果に気を良くしたラウルは、その後も懸命にエリクシル入りのスペシャルブレンド水をユグドラツィに与え続けた。

首狩り蟲が何度も何度も繰り返し、しつこく切り裂いたであろう特に大きな傷があるところには、エリクシルを薄めずそのまま一滴垂らしてみたりもした。

するとそこから新たな枝が瞬時にニョキニョキと生えて、ものすごい勢いで新たな太い枝に育っていった。

人族や妖精、さらには体格の良いオーガ族ですら、一滴で意識不明の瀕死の重体や深刻な呪いをも瞬時に治してしまうエリクシル。さすがは『幻の神薬』と呼ばれるだけのことはある。

しかし、神樹となるとそう簡単にはいかない。

如何に【神の恩寵】と呼ばれるエリクシルであっても、全身至るところに深い傷を負った巨大な樹体をたった一滴二滴で完治させるのは不可能だった。

だが、エリクシルの本当の持ち主であるライトからは「エリクシル、全部使い切っちゃってもいいからね!」という許可を受けている。

ピンポン玉くらいの、小さな丸型の小瓶に入ったエリクシル。その液量はまだ十分にあり、並々と入った七色に輝く液体が瓶の外からも見える。

これまでエリクシルを実際に使ったのは三回。

オーガの里襲撃事件の時には、屍鬼化の呪いにかかったラキ本人に二滴と、ライト達濃厚接触者五人に一滴づつの計七滴。

ラグナロッツァ地下下水道でラウルを襲ったポイズンスライム襲撃事件の時に、重症を負ったラウルに一滴。

そして、ユグドラツィへご馳走したブレンド水に一滴。

計九滴を使用しただけだ。

なので、小さな瓶でもまだまだたくさんのエリクシルが残っていた。

そうしてツェリザークの雪解け水や雪玉とともに、エリクシルを惜しみなく注いでいくラウル。

ラウルの献身的な看病のおかげで、ユグドラツィの枝葉は以前にも増して艶やかになり、神気溢れる雄大な姿を取り戻していた。

しかし、何故かラウルの表情はいまいち晴れない。

それもそのはず、日に何度もユグドラツィに呼びかけるラウルの声に、ユグドラツィから未だに返事が返ってこないからだ。

どれほど見た目が元通りになろうと、ユグドラツィの意識が戻らなければ意味を成さない。言葉によって意志疎通ができないうちは、ユグドラツィの心が戻ったとは決して言えないのだ。

「ツィちゃん、ぼくの声が聞こえる? ぼくだよ、ライトだよ……」

『…………』

「葉っぱや幹もだいぶ回復して良かったなぁ。……なぁ、ツィちゃん。そろそろ目が覚めてもいい頃なんじゃないか?」

『…………』

ユグドラツィからの返事が全くないことに、やっぱりまだダメか……と落胆するライト。

あの黒い謎の粘液体から魂を守るため、相当深いところまで意識を潜らせて閉じ篭ったようだ。

しかしそうなると、今後どうすればユグドラツィの意識を取り戻せるのか。

身体は各種回復剤やスペシャルブレンド水で元通りにできたが、魂や意識といった精神的方面でどうしたらいいのかが分からない。

ちなみに昨日、ラウルが試しに魔術師ギルド謹製の『気付けの呪符』二枚をユグドラツィの根元に置いてみたらしい。だが、しばらく待ってもうんともすんとも反応がなかったという。

これは以前公国生誕祭で、レオニスがマスターパレンの熱い抱擁で気絶した時に緊急購入したものの残りである。

その話を聞いた時には、正直ライト達も『瀕死の重症を負った者に、果たしてそんなもんを使ってもいいもんなの?』とは思ったのだが。ラウルとしても藁をも縋る思いで使ってみたのだろう。

だがやはり『気付けの呪符』程度では、奥深くに眠るユグドラツィの意識を起こすに足る力はなかったようだ。

「ラウル、ツェリザークの雪や氷はあとどれくらい残ってるの?」

「俺の手持ち分は、昨日の昼前までにほとんどツィちゃんにあげてしまっててな。それで昨日の昼にご主人様が持っている分を全部譲ってもらったんだが、それも今日ご主人様達がここに来る前に全部使い切っちまった」

「そうなの!? そしたら、エリクシルの方はどう? まだ残りはあるの?」

ライトの問いかけに、ラウルは空間魔法陣を開いてエリクシルの小瓶を取り出した。

「この通り、もうかなり使ってしまったが……それでもまだ少し残っている」

「じゃあ、ぼくが持っている雪と氷も全部あげるよ!」

「……いいのか? エリクシルだってほぼ全部もらったようなもんなのに」

「もちろん!だって、ツィちゃんのためだもの!それに、ツェリザークの雪はまた冬になればいくらでも採りにいけるし!」

「……そうだな。そしたらありがたくいただくことにしよう」

「うん!!」

ユグドラツィの大好物であるツェリザークの氷雪。ラウルとレオニスが持っていた分は、既に全部ユグドラツィにあげてしまったという。

今残るはライトがアイテムリュックに入れて所持している分のみ。

もちろんライトは出し惜しみすることなく、ラウルに全部譲るという。

そう、ライトにとってもユグドラツィはカタポレンの森の仲間にして、掛け替えのない親友。大事な親友のためならば、ケチケチしてなどいられない。

例えそれがこの世に一瓶しかないエリクシルであっても、ライトがユグドラツィにできることなら何でもしてあげたかった。

ライトの心意気に感銘を受けたラウル。その厚意をラウルは笑顔でありがたく受け取る。

ライトがアイテムリュックから取り出すツェリザークの雪を、ラウルは早速ユグドラツィの根元に置いたり、木製バケツに入れて溶けた後にエリクシルを一滴混ぜていく。

真夏の暑い日射しが燦々と降り注ぐ中、ツェリザークの雪はみるみるうちに解けていく。

エリクシル入りのスペシャルブレンド水十杯分を、一度幹の天辺に持ち上げていくラウル。太い枝の分かれ目にゆっくりと注いでいく様は、まるで水浴びをしているようで清涼感満点である。

ユグドラツィも水浴びをして気持ち良いのか、風もないのにユグドラツィの枝葉がサワサワと揺れ動く。

それは、かつてユグドラツィが照れたり喜んだりした時に、よくしていた仕草。きっとユグドラツィも喜んでいるに違いない。

皆ユグドラツィの目覚めを期待する気持ちが、次第に高まっていった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

そうしてライトが持っていた分のツェリザークの雪を、全てユグドラツィに与え終えた。エリクシルも最後の一滴まで使い切り、瓶の中に水を少量入れて振ったりして最後の最後まで余すことなくユグドラツィに与えた。

まずライトが、期待を込めてユグドラツィに話しかける。

「ツィちゃん、ツェリザークのお水は美味しい?」

『…………』

「暑い夏には最高のデザートだよなぁ!」

『…………』

「「…………」」

枝葉は時折揺れるものの、それでもライト達の語りかけにユグドラツィの返事が返ってくる様子はない。

やっぱり美味しい水を与えるだけじゃダメなのか……ユグドラツィを目覚めさせるような、今までとは全く違う別の方法を新たに考えなければならないのか……

ライトとレオニスがそう考えていた、その時。

ラウルが空間魔法陣を開き、何かを取り出した。

それは、ガラスの器に入れられた一山の雪。

ラウルが持っていた、正真正銘最後のツェリザークの雪だった。

「本当は、ツィちゃんが目覚めた時のお祝いとして、ツィちゃんにご馳走しようと思って雪を一杯だけとっておいたんだが……今更ここでケチっても仕方ないよな」

ラウルは寂しそうな瞳で、己の手のひらの上にあるガラスの器に入った白い雪を見つめる。

「ライト、器を持っててくれるか?」

「う、うん、分かった」

ラウルは器をライトに一旦渡すと、今度は空間魔法陣の中から小さな酒瓶とスプーンを取り出した。

そして酒瓶から一滴だけ中身を垂らし、スプーンで手早く掻き混ぜる。

それは、かつてユグドラツィを酔っ払わせてしまった洋酒入りデザート、クレーム・ド・カシスのシャーベットだった。

「……ほら、ツィちゃんの好きなデザート、クレーム・ド・カシスのシャーベットだぞ。酒は一滴だけな。これ以上入れると、ツィちゃんが酔っ払ってまたご主人様達に叱られるからな」

「……ラウル……」

ライトからガラスの器を受け取ったラウルが、己の定位置の席まで飛び上がり、クレーム・ド・カシスのシャーベットを器から掻き出してユグドラツィの根にかけた。

真夏の蒸し暑い空気の中、シャーベットはあっという間に解けてユグドラツィの根に滲み込んでいく。

春の麗らかな日射しの中、初めて食べた洋酒入りデザート。

千年近く生きてきたユグドラツィでさえ、洋酒入りの水を飲むのは初めてのことだった。

リキュールを数滴垂らしただけのかき氷一杯で、すぐに酔っ払ってふにゃふにゃになったユグドラツィ。その時の呂律の回らない、とても愛らしいユグドラツィの姿がラウルの脳裏に思い浮かぶ。

ラウルとユグドラツィの思い出の 一品(ひとしな) 、クレーム・ド・カシスのシャーベット。洋酒が一滴だけ混ぜられたシャーベットが、根の上でじわじわと解けていく様子をライト達は切ない思いを抱えながら、じっと無言のまま見つめている。

そうしてシャーベットが完全に解けた頃。ユグドラツィの上部の枝葉が、いつになくワッシャワッシャと揺れ動く。

例え以前のように言葉を直接交わせなくても、ツィちゃんが喜んでくれているならいいか―――三人がそう思っていた瞬間。

どこからか声が聞こえてきた。

『……ふにゅ? ……うふふふふ……なーんかぁ、ふわふわするぅー♪』

「「「…………ッ!!」」」

それは、酔っ払ったユグドラツィの声だった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『ンフフフフ♪』

ふにゃふにゃとした、普段は冷静沈着なユグドラツィらしからぬ声。

どことなくウキウキとした気分が、ライト達三人にも伝わってくる。

ユグドラツィの目覚めに感極まったライトが、ユグドラツィのもとに走っていた。

「…………ツィちゃん!起きたんだね!ツィちゃん、ツィちゃん!うわぁぁぁぁん!!」

真っ先にユグドラツィの根に抱きついたライト。

レオニスもライトの横に来て、ユグドラツィの根を優しく撫でる。

「ツィちゃん、目が覚めたのか。……良かったな」

『……ぅにゅ? レオニしゅ、れすか? どうしたのれす? ……って、らいとも、どうしたんれすか?』

ユグドラツィの根元で泣きじゃくるライトや、レオニスの眦にもうっすらと浮かぶ光るものを見て不思議そうにしているユグドラツィ。

だが次の瞬間には、別のところに意識が移る。

『ねぇー、らうるー。らいと達がぁー、なぁーんかぁー、おかしいんれすぅ……』

『……って……らうるまで、どうしたんれすか???』

ユグドラツィのふわふわとした口調の問いかけに、ラウルは言葉が詰まってなかなか返事を返すことができない。

ラウルの黄金色の瞳にもまた、ユグドラツィが目覚めたことを喜ぶ滂沱の涙が止めどなく溢れていた。