作品タイトル不明
第695話 絵に描いたような箒
その日もユグドラツィは、いつものようにのんびりとした時間を過ごしていた。
どこまでも果てしなく広がる蒼穹は晴れ渡り、真夏の暑い日差しが燦々と降り注ぐ。
枝には木陰の涼を求めてか、大小様々な鳥や小動物が留まっている。
『火の女王に炎の女王、一日のうちにいっぺんに二人もの属性の女王と会うなんて……忙しそうですねぇ』
『あの、見た目が亀にそっくりの守護神―――ガンヅェラ、でしたか? とても大きそう……私より背丈が高いのかしら?』
『まぁまぁ、炎の洞窟にも守護神が誕生するとは、何と目出度いことでしょう!……でも、如何に鳥であっても、さすがに朱雀を私の枝に留まらせてあげるのは無理よねぇ……そんなことしたら私の頭が燃えちゃうわ』
ライト達が今日出かけているのは、プロステスという大きな人里の街。
そこで起きている様々な出来事や景色を、ユグドラツィは分体を通して眺めながら感心したり喜んだりしている。
まるで我が事のように、喜怒哀楽様々な感情を表す彼女のその様は、とても表情豊かだ。
『というか、あのマグマ浴とか火溜まりとか怖い……樹木の私には危険過ぎて、近づくだけでも絶対無理無理無理無理ィィィィ……』
『ホント、ライト達がマグマに飛び込む瞬間は焦ったわ……一瞬だけ、分体が燃えちゃう!とか思っちゃったもの……』
『結果として、そんなことにならなくて良かったけど……あれはやはり、属性の女王の加護のおかげよね? 属性の女王って、すごい強力な存在なのねぇ』
『でも…………分体越しに見る火や炎は、素晴らしく美しいものでしたねぇ。やはり私も来世は人族か妖精になって、いつか皆といっしょに世界中を旅して回りたいわ』
樹木であるユグドラツィにとって、火や炎は天敵だ。
ユグドラツィほどの大木ともなれば、多少の火でどうこうなるものでもないが、それでもやはり怖いものは怖い。
五行思想で言えば、木は火を生み出す元。火にとっては木は大好物?だが、燃焼のエネルギー源とされる方の木からすればたまったものではない。火が燃え盛れば燃え盛るほど、木の方は燃やし尽くされて消えていくのだから。
故にユグドラツィにとっての火とは、本能レベルで忌避しなければならない不倶戴天の敵。それはマグマや炎そのものだけでなく、属性の女王である火の女王や炎の女王も忌避対象に含まれる。
しかし、分体を通して見る彼女達はとても魅惑的で美しく、見る者の心を捉えて離さない。そしてそれは、ユグドラツィも例外ではなかった。
彼女達そのものはもちろんのこと、女王を取り巻くマグマや炎の揺らめくような煌めき、太陽のように眩い輝き―――それらは森と空しか知らないユグドラツィの心を、瞬時に奪うに足る威力を持っていた。
ライト達の炎の洞窟やエリトナ山へのお出かけが無事完了し、場面はプロステス領主邸への移動やアレクシスとの会話などに移る。
今日もライト達の冒険は、何事もなく無事に完遂したようだ。
ずっと夢中になって分体越しの景色を見ていたユグドラツィも、背伸びをするようにして上を見る。
空は茜色に染まりつつあり、夕暮れ時になろうとしていた。
背伸びの勢いでユグドラツィの枝葉はワサワサと揺れ動き、そこに一陣の風が吹く。その風は真夏の昼の熱気を多分に含んでいて、かなり蒸し暑い。
『…………?』
蒸し暑い風を浴びたユグドラツィの動きが、ピタリ、と止まる。
ただの蒸し暑い風ならば昨日も一昨日も浴びたし、何なら千年近くに渡って夏が来る度に嫌と言うほど味わってきた。
だが、先程吹いた風は何かが違う。何がどう違うのかは、簡単に言葉では言い表せない。
しかし、風を浴びたユグドラツィの幹や枝葉は、いつもとは違う得体の知れない何かを感じ取っていた。
『………………』
身の内に沸き起こる、得も言われぬ底知れない不気味な何か。
その何かの正体を探るべく、ユグドラツィは周囲の空気を読み取り沈黙する。
ふと再び空を見上げると、先程よりも夕暮れが進み宵闇になろうとしている。
その空を見たユグドラツィの脳裏には『逢魔が時』という言葉が過ぎる。
逢魔が時―――それは、昼と夜が入れ替わる狭間の僅かな時間。
別の字で『 大禍時(おおまがとき) 』とも呼ばれるように、魔物に遭遇したり、大きな災禍に遭うとされる魔の時。
夜の闇が迫りくる中、ユグドラツィの近くにも禍々しい何かが這いずり寄ろうとしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ユグドラツィの分体入りのバングルから異変を感じ取った、ラウルとマキシ。
早急に支度を整えて、転移門でカタポレンの家に二人で移動した。
そしてすぐに家の外に出て、森の中の様子や気配を探る。
「…………」
「……ラウル、あっちの方角から嫌な気配を感じる」
「お前もそう感じるか」
「うん。これって、ツィちゃんのいる方向だよね?」
「ああ……この家の東側の向こうにはツィちゃんがいる」
異変が起きている方角を探るべく、カタポレンの家の周囲をぐるっと一周回ったラウルとマキシ。
先にマキシが指し示した方向を指差すと、ラウルもそれに同意する。
そしてその方角はやはり、ユグドラツィがある方向を指していた。
「ツィちゃんのところに急ぐぞ。……もうすっかり夜だが、八咫烏状態でも目はちゃんと見えてるか?」
「大丈夫!僕本来の魔力を取り戻してからは、夜でも昼と同じくらいに周囲を見通せるようになったから!」
「そうか、なら良かった。……行くぞ」
「うん!!」
ラウルが一瞬マキシの視界の心配をするも、マキシは元気よく平気だと答える。
鳥類は夜目が効かない種類が多いとされるが、そこは神格が高いとされる八咫烏のこと。霊鳥と呼ばれるだけあって、昼夜ともに視力的な問題は一切ないようだ。
マキシは人化の術を解き、本来の姿である八咫烏に戻る。
燕尾服ジャケットその他一式を装備したラウルが、ふわりと飛び森の木々の上まで浮かび上がる。
ラウルとマキシ、二人ともに夜のカタポレンの森を音速の如き猛スピードで飛行していった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ラウル達がカタポレンの家からユグドラツィのいる方向に飛んでいってから、二時間ばかりが経過した頃。
レオニスがラグナロッツァの屋敷からカタポレンの家に移動してきた。
移動先であるライトの部屋から、すぐに家の外に出るレオニス。
家の外の東側には、ライトとピースがいた。
「ピース、ライト、すまん、待たせたな」
「ううん、ぼく達もさっきここに着いたばかりだから大丈夫だよ」
「……で、どうだ、ピース。何か感じるか?」
「………………」
レオニスの問いかけに、ピースは険しい顔で東側の空をじっと眺めている。
そして徐にとある方向を指差しながら口を開いた。
「……あっちの方角から、ものすごく嫌な気配がする」
「……お前もか」
「あの方角って……ツィちゃんがいるよね……」
ピースの横にいたライトも、ピースと同じ方角を眺めながら不安そうな顔をしている。どうやらライトもピースと同じ気配を感じ取っているようだ。
そう、ライトも基礎魔力がアホほど高いせいか、嫌な気配や異質なものの存在を感知するのが得意なのだ。
「レオ兄ちゃん、ぼくもツィちゃんのところに行きたい」
「…………分かった。多分ラウルとマキシもツィちゃんのところにいるだろうから、いっしょに行くか」
「そうなの?……そういえば、ラウルと合流するって言ってたのにラウル達いないね」
「ああ、先に寄ったラグナロッツァの屋敷には誰もいなかった。あの二人がこんな夜中に外をほっつき歩く訳がないからな、おそらくはラウル達もカタポレンの森の異変に気づいたんだろう」
「………………」
レオニスの話に、ライトはふと思い立つことがあり、アイギス特製マントの襟元に手をやった。
「…………やっぱり」
「ライト、どうした?」
「ツィちゃんのタイピンからも、あの方角から来る嫌な気配が混ざってる」
「…………!?!?!?」
ライトの話に、今度はレオニスがびっくりしながら深紅のロングジャケットの襟元に手をやる。
レオニスのロングジャケットの襟元には、ライトの襟元にあるタイピンと同じくユグドラツィの分体入りのカフスボタンが着けられている。
そしてそのカフスボタンからは、ライトが言うように得体の知れない嫌な気配が微かに漏れていた。
「……そうか、ラウル達もツィちゃんのアクセを通して何かを感知したのか!」
「多分ね。ぼく達のは服の上に着けてるからすぐには分からなかったけど……ほら、ラウルとマキシ君のアクセは腕輪だから」
「ああ、なるほど……腕輪は肌に直接触れているから、俺達よりすぐに気づけたってことか!」
「うん、そういうことだと思うよ」
ライトの冷静な分析に、レオニスも目から鱗が落ちたかのように納得している。
「とりあえず俺は、空から飛んでツィちゃんのところに行く。ライトとピースは二人で走ってきてくれ。ピースはこのカタポレンの森の中にいても、しばらくは大丈夫だよな?」
「うん!一週間も二週間も滞在するのはさすがに無理だけど、一日二日くらいなら多分大丈夫だよ!」
「そうか、そしたら一応これを渡しとくから……体調を見ながら使ってくれ」
「ありがとう!」
レオニスはピースと会話をしながら、空間魔法陣を開いてガサゴソと何かを探している。
そうして出してきた品は、周辺の魔力を吸い取るペンダントや腕輪など数個の魔導具。それは、カタポレンの森の魔力への耐力が少ない者を守るための緊急措置アイテムである。
「ま、魔術師ギルドの総本部マスターを務めるお前のことだから、大丈夫だとは思うが……すまんが、様子見しながら自分の判断で使ってくれ。向こうに着いたら、おそらくお前らのことまで気を回すことはできんと思うから」
「大丈夫大丈夫!ライっちのことは小生に 任(まッか) せてー!」
「頼んだぞ。じゃ、俺は先に行くからな」
レオニスはピースに魔力対策アイテムを渡すと、その後すぐにバビュン!と勢いよく空を飛んでいった。
ライトとピースは単体で空を飛べないので、普通に地上を走ってユグドラツィのもとに向かうことになる。
ユグドラツィのことを全く知らないピースが、ライトにいくつかの質問をしてきた。
「ライっちは、異変の渦中のツィちゃん?のところ、居場所は分かるんだよね?」
「うん。夜に家の外に出たことはないけど、今日は月明かりもすごく明るくて視界も良好だから分かるよ」
「そこに辿り着くまで、何分くらいかかるのん?」
「昼間に全力疾走で走って十分くらい、かな?」
「じゃあ、魔物除けの呪符は一枚で足りるね」
ライトと会話をしながら魔力対策のペンダントを身に着け、さらに空間魔法陣を開いて魔物除けの呪符を一枚取り出したピース。
その呪符を即効で真ん中から破り、使用開始した。
そして続けざまに、空間魔法陣から一本の 箒(ほうき) を取り出した。
箒を取り出しながら「ジャジャーン!」と高らかな声で高く掲げるピースのその様に、どこからともなく謎の音『♪テッテケテッテ、テーテーテー♪』が流れてきたような気がするが。多分気のせいだろう。キニシナイ!
「よし、そしたらこれに二人乗りで行こう!」
「それ……箒?」
「そ、箒!魔法使いが空を飛ぶのに使う、ド定番にして鉄板のアイテムっしょ!」
「ふ、二人乗りしても大丈夫なの?」
ピースが謎の音とともに取り出したそれは、如何にも絵に描いたような箒。
絵本やアニメなどで魔法使いが跨って乗る、学校の校庭の掃き掃除の時に使いそうな大きめの箒そのものである。
しかし、アニメや絵本で見る分には問題ないが、実際に箒に乗って飛行するとなると不安しか募らない。
心配そうに尋ねるライトの尤もな疑問に、ピースはあっけらかんと明るく応える。
「ぃゃ、ホントはこれ基本一人乗り用なんだけどね? 小生一人でゆっくり飛んで一時間くらい飛べるヤツなんだ。でも、走って十分くらいで着く距離なら、この箒でも十分保つよ!……多分」
「ええええ、多分ーーー!?」
「てゆかね? 正直な話、この真っ暗な夜の森の中を十分も走り続けるなんて、体力皆無の貧弱魔術師な小生には到底っつか絶対無理ぽだって……」
「あー、それは確かに……」
箒二人乗りの理由を語りながら、ピースは「全くもーぅ、レオちんてば何気に無茶振りするよねぃ」とかぶつくさ呟いている。
そしてその理由を聞いたライトも、深く納得せざるを得ない。
ピースが飛行用魔導具である箒を出してきたのは、何も現場に急いで向かうために時間短縮したいだけが理由ではない。
普段から執務室で主に書類仕事にばかり追われるピースに、夜の森の中を十分間も走り続けることなど到底不可能なのだ。
それはもはや駆けつける云々以前の問題であり、走って一分もしないうちにへばって動けなくなるであろうことはライトにも容易に想像がついた。
兎にも角にも、一刻も早くピースとともにユグドラツィのもとに駆けつけなければならない。
それには、ピースが出してきた箒に賭けるしかなかった。
「分かった、じゃあ二人でこの箒に乗って行こう!……で、ぼくはどう乗ればいいの?」
「縦に二人乗りするよ。小生の後ろに乗って、背中にしっかり捕まってて!」
「分かった!」
ライトはピースの指示に従い、既に箒に跨ったピースの後ろにライトも乗り込む。そしてピースの背後からお腹に向けて両腕を回し、ガッシリとしがみつく。
魔法使いの箒なんて、前世も今世も乗ったことがないライト。どのように乗るのか分からなかったが、要はバイクや自転車の2ケツスタイルでいいようだ。
「ライっち、どっちの方角に向かえばいい?」
「えーとねぇ……あっちに真っ直ぐ行って!」
「分かった!」
ピースがライトにユグドラツィのある方角を尋ね、ライトは家からいつも向かう方角を指差してピースに教える。
進むべき方角を確認したピースは、箒に魔力を通し始めた。ライトとピース、二人を乗せた箒がふわりと宙に浮き始める。
「よーし、先に行ったレオちんを追い越すよー!」
「え!? ちょ、待、ぃゃぃゃ、ピィちゃん? ぼく、箒に乗るの生まれて初めてだから、なるべく安全運転でお願いね?」
「 任(まッか) せてー!全身全霊安全運転でかっ飛ばしていくよーーーッ!」
「ヒッ、ヒエエェェッ!!」
あっという間に周辺の木々より高い位置に飛んだかと思ったら、バビューーーン!!と勢いよくすっ飛んでいく。
その勢いは、先程のレオニスよりも早いほどだ。
ロケットの如き猛烈な勢いで、ライトとピースはユグドラツィのもとに向かっていった。