軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第57話 名も無き巫女

ライトは思わず己の目を疑った。

だが、何度目をこすってみても、かつてゲーム内で散々世話になった転職神殿の、名も無き巫女がそこにいる。

腰くらいまである真っ直ぐな白銀の髪に若草色の瞳、頭には三つ編みのように編み込まれた模様の細い金属製の冠、淡緑色のすらりとした神官服に若苗色の肩掛。

彼女の種族はゲーム内で特に言及されたことはないが、少し尖った耳がエルフを思わせる。

思わず辺りをぐるりと見回してみると、レオニスが先程ライトに怒られて打ちひしがれた姿勢から微動だにしない。

そして全く動かないのはレオニスだけでなく、周囲の木々の葉擦れの音や鳥の羽ばたき、囀りの声、神殿一帯の全ての動きと音が完全に消え失せていた。

それはまるで、名も無き巫女とライト以外の全てのものの時間が停止したかのようだ。

深夜のカタポレンの森の静けさすらもはるかに凌駕する、音という音が一切消え失せた完全なる静寂。

突然のことにライトが戸惑いを隠せない中、突然声をかけられた。

『転職なさいますか?』

「…………!!」

ライトの目の前で静かに佇む名も無きエルフ風の巫女は、穏やかな笑みを浮かべながらライトに向かって問いかける。

いや、その問いは意思ある者のそれではなく、ゲームシステム内のNPCとしての決まりきった行動だ。そこに、巫女個人としての意思や自我など一切ない。

だが、今までスマホの中の字幕でしか見たことのないその語りかけは、何とも落ち着きがあってとても心地の良い、まさに鈴を転がすような得も言われぬ美しい声だった。

そして、よく見ると巫女の姿がとても薄い。

巫女の向こうの景色が透けて見えるほど淡く、まるでホログラムのようなその姿は今にも消えてしまいそうな儚さだ。

だが、どんな状況であれ、自分がよく見知ったキャラクターが動き、語りかけてくることにライトは内心打ち震えていた。

クレアと初対面した時と同じく、感動再来である。

「……はい、転職します!」

元気よくライトが返事をすると、巫女は転職のデメリットとメリットを簡単に説明する。

『転職すると、レベルが1にリセットされます。所持金、装備品、アイテム、スキル、職業習熟度はそのまま持ち越されますので、ご安心ください』

『どの職業に転職なさいますか?』

ゲーム内でも散々見た、職業転生のシステム説明が何とも懐かしい。

そして、ライトは最初から決めていた職業を巫女に伝える。

「【斥候】でお願いします」

『分かりました』

【斥候】は、ライトもとい橘 光時代にブレイブクライムオンラインでサブキャラの新規登録時など、新しいキャラクターでゲーム開始する時に必ず一番最初に選んでいた職業だ。

もしこの生まれ変わった世界でも、職業システムを発見することができたら―――その時は、いつも通り【斥候】から始めよう。ライトは前々から、そう心に決めていた。

巫女が了承し、目を閉じて両手を組み合わせ両膝を折り跪き、祭壇に向かって敬虔な祈りを静かに捧げる。

すると、巫女とライトの足元の床が淡く光り出し、徐々に強さを増していく。

ライトは己の身体の奥底から、今まで感じたことのない強い力の奔流を感じた。己の中に何かを刻み込まれているような、そんな感覚が湧き上がる。

その力はあまりにも強く―――だが、強大な力の中にも仄かな温かさと得も言われぬ心地良さがあり、ライトはその大きなうねりの流れに身を任せる。

しばらくそうしていると、光は徐々に収まり消えていった。

『転職は無事完了いたしました』

巫女が転職の完了を宣言した。

これでライトは晴れて【斥候】になれた、はずだ。

まだ自分自身のステータスが確認できないので、現状では職業チェックすらできないのだが。

それでもライトには、自分が念願の職業【斥候】に就けたという確信があった。

「ありがとうございます」

ライトは巫女に一礼する。

定型句しか言わないNPCではあるが、それでも職業に就けた嬉しさに礼を言いたくなったのだ。

「これで俺もようやく……勇者候補生になれた、のかな」

一見何も変わっていない己の手を見つめ、拳を軽く握る。

『勇者候補生』、それはブレイブクライムオンラインのストーリー上の設定である。

数多のモンスターが蔓延る世界、人々は勇者を求めている。だが、どれほど待ち望んでも、勇者は現れない―――

一人でも多くの強者を生み出すために、世界各国の首脳陣で構成された国際組織『円卓の騎士』は『勇者育成計画』を立案、始動させた。

ゲームユーザーは皆勇者候補生であり、世界を救う勇者となるために様々な試練や困難を仲間とともに乗り越え、最強の勇者を目指していく―――

これが、ブレイブクライムオンラインの世界観および冒険ストーリーの設定なのだ。

もともと冒険ストーリーとは、ゲームを盛り上げるためのコンテンツのひとつであり、架空の世界の御伽噺に過ぎなかったのだが。

だが、その架空の世界が今目の前にあり、そこに暮らし、生きている。

それを考えた時、ライトはいつも不思議な気分になる。

そんなライトが何気なく呟いた言葉に、名も無き巫女が僅かに表情を変え反応した。

そして、己が手を見つめ感慨に耽るライトに言葉をかける。

『勇者様のご武運を、心よりお祈りしております』

その言葉に、ライトは思わずガバッ、と顔を上げた。

ゲームの中で、名も無き巫女からそんな台詞をかけられたことなど、ただの一度もなかったからだ。

転職が無事完了したからか、もともと薄く透けて見えていた巫女の姿は更に薄くなっていた。

だが、徐々に消えゆくその最中でも、彼女の顔には安堵の表情とともにうっすらと涙が滲んでいるのが分かる。

ライトが言葉を失っている間に、名も無き巫女の姿は完全に消え、それまで完全に停止していた周囲の時間が再び動き出した。

木々のざわめきや風の音、鳥の囀る声がライトの耳に入ってくる。

レオニスも項垂れながら

「すまんかった、次こそはきちんとするから許してくれ……」

と謝っている。

一気に世界が動き出し、音と色を取り戻したようだ。

ライトは慌ててレオニスのもとに駆け寄り、

「レオ兄ちゃん、もういいよ、大丈夫だから顔を上げて?」

とフォローに入る。

こうして、ライトの念願の転職は人知れず無事完了したのだった。