作品タイトル不明
379話:奥手
半日ほど船の上で過ごし、日暮れになってようやくフライシアが見えてきた。
途中、川沿いにはいくつも村があったのだが、フライス領に入ってからは活気のある村ばかりだった。
こちらが手を振れば振り返してくれて、皆で大声を上げながらはしゃいでしまった。
外にいるのはバレッタとシルベストリアだけで、他の皆は客室でくつろいでいる。
2人がいるのは船首だ。
船側では数人の男たちが、棒で川底を突いて速度を落としている。
「もう着いたんだ。船で移動すると早いなぁ」
船べりにもたれて果実酒を飲みながら、シルベストリアがバレッタに上機嫌で言う。
「シルベストリア様は、フライシアに来たことはあるんですか?」
「んーん。今回が初めて。お小遣いまでもらっちゃって、ほんと役得だよね」
いひひ、と楽しそうに笑うシルベストリア。
彼女は護衛だが帯剣はしておらず、腰の後ろに見えないように短剣を挿しているだけだ。
フライス領も街なかに剣を持ち込むのは禁止されているからというのもあるが、万が一の事態があっても短剣があれば十分だという判断からである。
「でさ、カズラ様と、ちゅーくらいしたんでしょ? 白状しなよ」
「で、ですから、まだそんなのは一度もしてないですって」
もう何度目かも数えるのを止めてしまった問いかけに、バレッタがため息交じりに答える。
何度話題を変えても同じ質問をしてくるので、正直疲れてしまった。
「別に隠さなくったっていいじゃん。恥ずかしがらないでさ」
「隠してないですって……はあ」
「むー。ほんっとうに、何にもないわけ?」
「ないですよ……」
「……あ、あのさ。カズラ様って、リーゼ様とくっついちゃってたりしないよね? 実はこっそり……とか」
「それはないです」
即答するバレッタに、シルベストリアが「おっ」とにやける。
「言い切るんだ。確信があるわけ?」
「はい。カズラさん、私とずっと一緒にいてくれるって、言ってくれましたし」
「あ、そうなの? ならもう、告白されたも同然じゃん。なーんだ」
シルベストリアが、ほっとした顔になる。
「時間の問題ってわけね。この旅行中に、進展あるかもじゃん?」
「そ、それは……どうなのかな」
「でもさ、カズラ様って奥手っぽいし、バレッタから押さないとダメだよ」
「う、うう……そんなこと言われても」
「私が上手いこと、2人きりになれるようにしてあげるからさ! 頑張ろうよ!」
「うー……はい」
すると、港に到着したことを知らせる鐘が、船尾から鳴り響いた。
「バレッタ! はい、荷物!」
鐘が鳴るとほぼ同時にリーゼが客室から出てきて、バレッタに歩み寄ってきた。
大きなズダ袋を3つ背負っているのだが、まったく重そうにしていない。
袋を2つ、バレッタとシルベストリアに渡す。
「あっ、すみません。持ってきていただいて」
「いいって。何の話をしてたの?」
「えっと……フライシアはどんなところだろうって」
バレッタがシルベストリアに目配せする。
「ですです! 美味しいものがいっぱいあるって聞いているんで、すごく楽しみで!」
「だよねー。果物が特に美味しいって評判だよ。まあ、イステリアにもたくさん入ってきてるから、食べたことあると思うけどさ」
「フライス領産のものは何でも美味しいですもんね。でも、採れたてのものを食べられるはずですから、すごく楽しみです」
そうしていると、一良たちがぞろぞろと客室から出てきた。
「おっ、あれがフライシアの港か。活気があるなぁ」
一良が港を眺め、嬉しそうな声を上げる。
陸にはたくさんの商店が並び、軒先には魚の干物が吊るされていた。
夕暮れ時というのに買い物客が大勢おり、どの店も繁盛しているようだ。
船が橋げた脇に停まり、タラップがかけられた。
一良を先頭に、ぞろぞろと陸に上がる。
すると、1人の老兵が4人の兵士を伴って一良に歩み寄った。
見るからに優しそうな老人だ。
「ようこそおいでくださいました。私、フライス家近衛兵長のグインと申します。あなた様が、カズラ様でよろしいでしょうか?」
「はい、私がカズラです。出迎え、ありがとうございます」
「恐縮です。ナルソン様より話は伺っております。フライス家の屋敷にご案内いたします」
グインにうながされ、停められている馬車へと向かう。
馬車は2台あり、イステリアでも見られる懸架式の新型馬車だ。
客室の付いているものではなく、屋根だけが付いている一般的なものである。
「おっ、いいですねぇ。これなら、街を眺めながら乗ってられる」
「はい。ヘイシェル様が、この馬車のほうがいいだろうとおっしゃられまして」
「なるほど。それじゃあ……」
「私、カズラと一緒に乗る!」
リーゼはそう言うと、一良の手を引いて先頭の馬車へと向かった。
バレッタも慌てて後を追い、彼を挟むかたちで3人が乗り込む。
「セレット、私と一緒にカズラ様たちの後ろに乗るよ。アイザックとハベルは、ジルコニア様たちをお願い」
シルベストリアがセレットとともに、さっさと馬車に乗る。
ジルコニアは少し不満そうに、「ずるいなぁ」、とぼやきながらエイラたちと一緒に後ろの馬車に乗った。
皆が乗ったことを確認し、グインが一良たちの馬車に乗る。
馬車は座席が4列あり、荷物は兵士たちにお願いして後部座席に載せてもらった。
馬車がゆっくりと走り出す。
「へえ、フライシアは、あんまり背の高い建物はないんですね」
一良が街並みを眺めながら言うと、グインは「ええ」と頷いた。
2階建ての建物はたくさんあるが、3階、4階といったものは1つも見られない。
屋根の色はオレンジ色に統一されていて、ずらりと並ぶそれらはとても美しく見えた。
「そういう方針でして。3階以上の建物を建ててしまうと、隣接地が日当たりが悪くなってしまうので」
「なるほど、確かにそうですね。でも、居住地不足にはならないんですか?」
「人口増加を見越して、先手先手で街を拡張しているので大丈夫です。不便な地区ができないように、拡張する際は補助金を出して商業施設を斡旋し、その周囲に住宅地を設置しております」
彼の説明に、バレッタとリーゼが「おー」、と感心した声を上げる。
「先手を打って街を作ってしまうなんて、すごいですね!」
「フライス領はお金があるんですね」
「軍事費を極力抑えていますので。それもこれも、他領と王都の軍をアテにできればこそです」
街の説明を受けながら、屋敷へと向けて馬車が進む。
内政がかなり上手くいっているおかげで失業率は非常に低く、犯罪率もかなり低いらしい。
稀に街から離れた場所に野盗が現れることもあるが、犯罪率が低い分、軍はそれらの対応に全力を挙げることができるので、他領に比べて野盗にとってはリスクの高い地域であるらしい。
ちなみに、屋根の色がオレンジ色なのは、単に見た目が美しいのと、塗料に使う粘土、魚油、動物油、豆油が余るほどに採れるからだそうだ。
「むう。イステール領みたいに法律と軍備で治安を守るのが一番だと思ってたけど、その話を聞くとフライス領のほうが上手くやってますね……」
「いえいえ、先ほどもお話ししたとおり、他領と王都の協力があればこそですので」
イステール領などのおかげで、いかにフライス領が助かっているかをグインは切々と語る。
彼はかなりの地位にいる軍人のはずなのだが、話していると近所のおじさんと雑談をしているような気に一良はなってしまう。
フライシアの街はとても活気があり、道にはたくさんの人が行き交っていた。
戦争が終結したこともあり、とても和やかな雰囲気だ。
「明日からは、街を観光すると伺っていますが?」
「ええ。ナルソンさんからいくつか名所を聞いていて、そこを見に行こうかと」
一良がメモ書きを取り出し、グインに手渡す。
彼はメモを見ながらふむふむと頷くと、どの順番で回るのが効率的なのかを教えてくれた。
そうして、一行はしばらく馬車に揺られたのだった。