軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

357話:懐かしい匂い

その日の夜。

22時近くになって、一良は日本の屋敷へと戻ってきた。

あれから宮崎と本を選び、カフェでお茶をしながら資料を見て内容を詰め、焼き肉屋で夕食を食べた。

夕食の後、宮崎に「居酒屋にでも行きませんか?」と誘われたのだが、さすがにもう遅いからと断って帰ってきたのだ。

庭に車を停め、リアカーに荷物を積み込んだ。

屋敷に入り、石畳の通路に繋がる敷居をまたぐ。

えっちらおっちらと、リアカーを引いて真っ暗な雑木林を村へと向かう。

「残りは明日の朝でいいか。何だかんだで、今日も疲れ――」

「ばあ!」

「ぎゃあああ!」

突然目の前に逆さまの女の顔が現れ、一良は悲鳴を上げて腰を抜かした。

ガタガタと震えながら頭上を見ると、木の枝に足をかけて逆さまになっているティタニアと目が合った。

「なっ、何をしてるんですかっ!?」

「ごめんなさい、驚かすつもりはなかったのですが」

「『ばあ!』とか叫んでおいて、何言ってんだあんた!?」

ティタニアは軽やかに地面に着地し、満足そうな顔をしている。

一良は尻もちをついたままだ。

「まったくもう……いてて、腰を打っちゃった」

「あっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」

「ダメです。リアカーはティタニアさんが引いてください」

「はい……」

ティタニアは取っ手を掴んでリアカーを除けると、一良の手を取った。

「よっと……おぶっ!」

ぐいと手を引かれた拍子に、一良は勢い余ってティタニアの胸に倒れ込むように顔をうずめてしまった。

「あら」

「すす、すみません!」

「ん? ……うーん?」

慌てて離れようとした一良の頭をティタニアは抱き締め、くんくん、と匂いを嗅ぎ始めた。

一良は彼女の胸に顔をうずめたままだ。

「ちょちょ、ちょっと! ねえ!?」

「あ、ごめんなさい」

ティタニアが手を放すと、一良は慌てて彼女から離れた。

「こんな森の中ですけど、私でよければお相手しましょうか?」

「だから、わざとじゃないんですって!」

「はいはい。ふふ」

ティタニアは楽しそうに笑うと、身をかがめてリアカーの持ち手の内側に入った。

リアカーを引く彼女に並んで、一良も歩き始める。

「ずっと俺を待ってたんですか?」

「ついさっき、来たばかりですよ。今日はもう帰ってこないのかなと思ったのですが、気になってしまって」

「あっちで夕食を食べてたら遅くなっちゃって。皆はもう、寝てますか?」

「はい。皆さん、ぐっすりです。ところで……」

ティタニアが足を止め、一良を見る。

「もう一度、カズラ様の匂いを嗅がせていただいてもよろしいでしょうか?」

「え? 匂い?」

きょとんとする一良の首筋に、ティタニアが顔を寄せる。

くんくん、と鼻を鳴らして再び匂いを嗅ぐ。

「うーん……子供の頃に、カズラ様と似た匂いを嗅いだことがある気がするんですよね」

「子供の頃って、1000年以上前ってことですか?」

「はい。私が子供の頃に崖から落ちて死にかけていたところを、人に助けられたという話は覚えていますか?」

「ああ、そんなこと言ってましたね。『人に助けてもらったらしい』って話してましたね」

「ええ。その時に、カズラ様と似たような匂いを嗅いだ気がするんです。さっき、ふとそう感じて」

うーん、とティタニアが考える。

「気のせいかもしれませんけどね。何しろ昔すぎて、匂いの記憶が曖昧で」

「ふーん……あれ? 助けてもらった『らしい』って、ティタニアさんは覚えてないんですか?」

「はい。私はかなり幼かったので、ほとんど覚えていませんね」

「ということは、その話は誰かから聞いた話ですか?」

「私の母から聞きました。大怪我をした私を母はどうすることもできなくて、人里に助けを求めに行こうとした時に彼らを見つけて声をかけたそうで。でも、彼らには言葉が通じず、身振り手振りでどうにか察してもらって、連れてきたって言っていました」

「言葉って……ティタニアさんのお母さんもウリボウですよね? 言葉なんて、元から人には通じないんじゃないですか?」

「大昔は会話ができましたよ。獣の姿の私が子供たちと話すのと同じように、大人の人間とも話せました。話すことのできない人もいましたけどね」

「ああ! そういえば、オルマシオールさんがそんな話をしてましたね」

以前、グリセア村の雑木林の入口で、一良のご先祖様(仮)の魂を、ティタニアとオルマシオールが彼の恋人の魂と引き合わせて天に送ったことがあった。

その時オルマシオールが、「昔はこうして、互いに言葉を交わすことができた」と言っていた。

「あの時、天に送ってもらった骸骨の人って、俺の匂いと同じだったんですよね?」

「はい。かなり似ていました。おそらく、同じ血筋のかただと思います」

「ということは、ティタニアさんが子供の頃に助けてもらった人も、俺のご先祖様かもしれないですね」

「ええ。といっても、記憶がかなり曖昧ですが」

「その人たち以外には、ティタニアさんは俺と似た匂いの人には今まで会いませんでした?」

「だいたいはこの辺りにいましたが、それらしい人は見ませんでしたね」

「そっか……うーん」

日本の屋敷の床に敷かれていた鉄板の目的が分からず、一良が頭を捻る。

匂いで判別がつく彼女なら、両親ではなく一良の親戚がこちらにやって来ていれば気付いていたかもと思ったが、アテが外れた。

母親が年齢に対して異常に若い理由も分からないし、何が何やらさっぱりだ。

「あの、どうかなさいましたか?」

「うーん……実はですね」

その後、村へと戻りながら、一良はティタニアに屋敷のことや両親のことをすべて話して聞かせた。

どういうことか分からないかと聞いてもみたのだが、当然のごとく「さっぱり分かりません」、と答えられてしまった。

2人は話しながら数分歩き、バレッタの家の前に戻ってきた。

村人たちは寝静まっているようで、灯りが点いている家は皆無だ。

リアカーからティタニアへのお土産を下ろし、皆を起こさないようにと、そっと戸を開けて中に入る。

すると、真っ暗ななかでノートパソコンの画面を見ているバレッタがいた。

居間にいるのは彼女とラース、エイラ、マリーだ。

ラースは壁にもたれて、腕組みをして眠っている。

エイラとマリーは、部屋の隅に布団を敷いて眠っていた。

「カズラさん、おかえりなさい。ティタニア様も一緒だったんですね」

皆を起こさないように、バレッタが小声で言う。

「ただいまです。そんな暗いなかでパソコンなんて、目が悪くなりますよ?」

「あはは。でも、火を点けたままだと皆さんが眠りにくいですし」

バレッタが立ち上がり、一良たちに歩み寄って荷物を受け取る。

「他の皆は?」

「部屋で寝ていますよ。どの部屋もいっぱいになっちゃったんで、私たちは居間で寝ることにしました」

「カズラ様、ちゅるる! ちゅるるください!」

「はいはい。バレッタさん、出してあげてください」

「ふふ、はい」

バレッタが袋からちゅるるの大袋を取り出し、ティタニアに渡す。

彼女は居間に上がって勢いよく袋を開けると、ちゅるるを何本も取り出してちゅーちゅーと吸い始めた。

「んー! 美味しいです!」

「慌てなくていいですから、ゆっくり食べてください。山ほどありますから」

「カズラさん、お風呂はどうします?」

「ネットカフェでシャワー浴びてきたんで、大丈夫です。皆、寝てると思ってたんで」

「分かりました。それじゃ、お布団敷きますね」

隅に置かれていた布団を、バレッタが敷く。

「パソコンで何をしてたんですか?」

「写真を見てたんです。イステリアを発つ前に、ハベルさんのカメラからデータを落としておいたので」

「へえ、どれどれ」

一良がノートパソコンの画面を見ると、一良とバレッタが調理場で皿洗いをしている後姿が映っていた。

2人とも楽しげな表情で、何やら話している場面だ。

いつ撮られたものなのか、一良にはさっぱり分からない。

「へえ、ハベルさん、こんな写真まで撮ってたのか……おっ、侍女さんたちと警備兵さんたちの写真もある」

「お屋敷で働いてるすべての人の写真がありますよ」

「そりゃすごい。うお、2000枚超えてる」

「別のフォルダに、戦闘とかモノづくりしてる職人さんの画像もありますよ」

布団を敷き終えたバレッタが、水筒からハーブティーをコップに淹れ、一良の隣に座った。

「カズラさんは、日本で何を買ってきたんですか?」

「薬とか化粧品とかですね。王都でご婦人がたに配ろうと思って」

写真を1枚ずつ眺めながら、一良が答える。

「ラースさんとお風呂に入った時に、シャンプーとかを女性にあげたら大喜びするだろうって言われて。重鎮の奥さんたちにあげてみようかなと思って」

「あ、なるほど。偉い人たちの奥さんにあげれば、きっと旦那さんに『しっかりやれ』って発破をかけてくれますね」

「ええ。なので、たくさん買ってきちゃいました」

「でも、お買い物だけなのに、ずいぶんと時間がかかりましたね?」

「カーネリアンさんに話す時に使う政治の仕組みの資料について、宮崎さんに相談してたら遅くなっちゃって。丸一日、付き合ってもらっちゃいましたよ」

宮崎と聞いて、バレッタの表情が少し強張る。

「そ、そうですか……お昼ご飯とお夕飯も、宮崎さんと食べたんですか?」

「うん。昼はバイキングレストランで夜は――」

「カズラ様、その『政治の仕組みの資料』は、本などですか?」

ちゅるるを吸いながら、ティタニアが口を挟む。

「あ、はい。宮崎さんにいくつか渡してあって、自分で読む用にも買ってきました」

「なら、資料はバレッタさんに読んでもらったほうがいいのでは? 彼女なら、きっと良い案を出してくれそうですし」

「そう、それは俺も思ってたんです。バレッタさん、ちょっと時間がかかるかもなんですけど、一緒に政治の勉強してもらえませんか?」

「は、はい! 喜んで!」

バレッタが勢い込んで頷く。

「じゃあ、王都に行ったら夜に勉強会しましょう。夜更かしできるように、エナジードリンクも買ってきたんです」

「任せてください! 夜更かしは慣れてます!」

途端に元気になったバレッタを、ティタニアはちゅるるを吸いつつ、「ふふふ」と微笑んで見つめる。

――フィーちゃんの言うとおり、こいつらに支配されるってのなら悪くなさそうだ。俺たちは幸運なのかもな。

薄く片目を開けて一良たちの様子を窺っていたラースがそんなことを考えていると、ふと視線を感じた。

じゅるるる、と音を立ててちゅるるを吸っているティタニアが、にこりとラースに微笑んだ。

まさか人の姿に化けることができるとは驚いたが、神なら何でもありなのだろうと納得している。

ラースは、ふっと口元に笑みを浮かべると、先ほどから感じ続けていた眠気に身をゆだねたのだった。