作品タイトル不明
347話:おめでとうございます
その日の昼過ぎ。
バーラルの宿屋で爆睡していた一良は、優しく肩を揺すられて目を開いた。
「んあ……」
「カズラ様、おはようございます」
侍女服姿のマリーが、寝ぼけ顔の一良ににっこりと微笑む。
「ああ、マリーさん。おはようございます……ふあぁ」
「お疲れのところ、申し訳ございません。ゲルドン様から、急ぎの知らせが来ております」
「ゲルドンさんが? いったい、何の知らせです?」
「それが、今日の夕方からアロンド兄さんの婚儀があるので、よければ参列していただけないかとのことで」
「へえ、そりゃあおめでたい……ええ!?」
一良が驚いてベッドから飛び起きる。
「ど、どういうことです!? 相手は誰なんですか!?」
「ウズナ様です。アロンド兄さんはゲルドン様の部族の首長になるとのことで、本日の婚儀の際に、そのことについても部族民に通知するとのことですよ」
「なんとまあ……あれ? でも、確かアロンドさんは……」
以前、リーゼから聞かされた、アロンドが元老院議員たちの前でウズナを殺そうとしていたという話を一良は思い出した。
目的のために殺そうとしていた相手と結婚の約束をしていたのかと、一良は顔をしかめる。
「どういたしましたか?」
きょとんとした顔で小首を傾げるマリー。
その件については彼女には何も話していないのだが、あえて言う必要もない。
どういういきさつなのかさっぱり分からないが、アロンドが族長の娘と結婚すれば、アルカディアと部族たちの繋がりは強固になるはずだ。
まさか、そこまで見越してアロンドは予備の策を用意していたのかと、一良は内心舌を巻いた。
「あ、いや、いきなりで驚いちゃって。でもまあ、おめでたいことですね」
「はい、私もびっくりしました。でも、大切な結婚式の前に、私があんなことをしてしまって……あうう」
マリーが頭を抱える。
アロンドは今朝方、マリーに平手打ちを食らって左上の奥歯が根元から抜けたうえに顎が外れてしまった。
アイザックが顎を嵌めてくれたのはいいのだが、歯が抜けるほどの力で引っ叩かれたアロンドの頬は腫れ上がっているはずだ。
部族の者たちは知らないことなので、本人を目にしたらぎょっとするだろう。
「まあ、あれは仕方がないですよ。今までのことを、平手打ち一発だけで許してあげたんですから。逆に感謝してもらわないと」
「うう、手加減したつもりだったのに、あんなことになるなんて……本気で叩かなくて、本当によかったです」
「うん。まず確実に首の骨が折れて即死すると思うから、今後は力加減には十分注意してくださいね」
「はい……」
そうして、マリーに手伝ってもらい、一良は着替えを始めた。
彼女は心のつかえがすべて取れたからか、一良が着替えをしている間、ずっとあれこれしゃべっていた。
着替えを済ませ、マリーと一緒に食堂へと向かう。
宿は貸切状態で、泊まっているのは一良たちだけだ。
宿の運営も臨時的にアルカディアの人間が行っている。
「それにしても、結婚とは驚きましたね。アロンドさん、何も言ってなかったですよね?」
「はい。今朝、あんなことになってしまったので、言いそびれてしまったのかと思います」
「ああ、なるほど。ナルソンさんたちは、もう知ってるんですか?」
「いえ、アイザック様が伝えに来て私が承ったのですが、皆様おやすみ中でしたので。昼食の前に、カズラ様から皆様にお伝えしていただけると」
「分かりました。ナルソンさんたち、きっと仰天しますね」
食堂に着き、中へと入る。
すでにナルソン、ジルコニア、バレッタ、リーゼ、ルグロが席に着いていた。
皆、かなり眠そうな顔をしている。
昼食のメニューは、お粥、カボチャのスープ、カリカリに焼いたベーコン、スクランブルエッグだ。
「よう。おはようさん」
「おはよう、ルグロ。皆さんも、おはようございます」
おはようございます、と皆が返す。
「ん? もしかしてアロンドさんも一緒に昼食をとるんですか?」
席が2つ空いているのを見て、一良がナルソンに尋ねる。
「ええ。今朝はあんなことになってしまったので、アロンドから部族側の話をあまり聞けませんでしたので。もうすぐ、エイラが連れてくるかと思います」
「それはちょうどよかった。さっきマリーさんから聞いたんですけど、アロンドさん、ウズナさんと今日の夕方に結婚するらしいんですよ。ゲルドンさんから引き継いで、部族の族長になるらしいです」
「「「えっ!?」」」
ナルソンたちが目を丸くする。
「け、結婚? アロンドがですか?」
「ずいぶんと急な話ですな……」
目を白黒させているジルコニアとナルソンに、一良が笑う。
「はは、ですよね。きっと、今朝言おうとしてたんだとは思いますよ。気絶しちゃって言えなかったみたいですけど」
「うう、申し訳ございません……」
マリーが肩を落とす。
「えっと、アロンドが部族の人と結婚するってことは、アルカディアの貴族と部族の族長に血縁ができるってことだよね? すごくない?」
「同盟の結びつきを強くするには、これ以上の方法はありませんよね……」
リーゼとバレッタが感心した顔で言う。
「ほらみろ。やっぱ、あいつすげえじゃねえか。アルカディアのために命を賭けたっていうのは、本心だったってことだよ」
ルグロが満足そうに、うんうん、と頷く。
「上手く終戦できたら、最初からこうすることになってたってことだろ? リーゼ殿たちも、これからはあんまりあいつのこと嫌わないでやってくれよ。自分の人生を全部捧げて、国に尽くしてくれたんだからさ」
「う……そうですね。でも、あの件がなぁ……」
「完全に綱渡りだったってことですもんね。リーゼ様が交渉の場にいなかったら、結婚どころかウズナさんを殺すつもりだったんですから」
「あ? 何だそれ? 何の話だ?」
事情を何も知らないルグロが、困惑顔になる。
ナルソンとジルコニアには一良が話していたのだが、彼には伝えていなかったのだ。
「えっとね。アロンドさんがリスティルさんとバーラルに来た時の話なんだけど――」
一良が席に着き、一部始終を説明する。
ルグロは黙って聞いていたが、すべて聞き終わるとあからさまに顔をしかめた。
「おいおい、いくらなんでもそりゃひでえな。ウズナさん、完全に恋する乙女の顔つきだったぞ。そんな相手を手にかける気だったのかよ」
「うん。国のためには仕方がないって思ってたみたい。酷いことにならなくてよかったよ」
「はー。国への忠誠が強すぎるってのも、何だか怖えな……そういえば、ゲルドンさんたち、今朝俺たちに婚儀のこと言えばよかったのにな。忘れてたのかな」
「ルグロが帰る帰るって騒いだから、言うタイミングを逃しちゃったんじゃない?」
「ああ、そっか。悪いことしちまったな……でも、言ってくれれば、式に出ずに帰るなんて言わなかったのに」
そうしていると、エイラがアロンドを連れて部屋に入って来た。
アロンドは左頬が腫れているが、顎は大丈夫そうだ。
彼は一良たちの顔を見るなり、深々と腰を折った。
「皆様、おはようございます」
「おはようございます! それと、おめでとうございます!」
「おめでとさん!」
一良とルグロがパチパチと拍手しながら言うと、皆が口々に「おめでとう」と祝いの言葉を投げかけた。
アロンドは顔を上げ、きょとんとした顔になる。
「え? あの?」
「結婚だなんて、びっくりしたわよ。そういうのは、先に言ってくれない?」
ジルコニアが言うと、アロンドは怪訝な顔になった。
「結婚……ですか?」
「ウズナと結婚するんでしょ? 今日の夕方に」
「え、えっと、誰が、ですか?」
「誰がって、あなたしかいないでしょ」
「ええ!?」
目玉をひん剥いて仰天するアロンドに、皆がきょとんとした顔になる。
「どどど、どういうことですかっ!? どうして私が彼女と結婚することになっているんですか!?」
「どういうことも何も、元からそういう話になってたんじゃないの? カズラさんが言ってたわよ」
「カズラ様! どういうことなのですか!?」
「ええ……」
青天の霹靂といった様子のアロンドに、一良が困り顔になる。
「さっき、部族の人から連絡があったってマリーさんから聞いたんですけど」
「マリー! どういうことだ!?」
「あ、アイザック様から、部族の人から連絡があったと言伝をいただきました。本日の夕方から、婚儀を執り行うので皆様に出席をお願いしたいと」
「なん……だと……」
アロンドは白い顔でふらつき、隣にいるエイラにぶつかりそうになる。
だが、エイラはとっさに身をかわしてしまい、アロンドはその場に転倒した。
ゴン、と床に後頭部をぶつけた音が響く。
「あっ! も、申し訳ございません!」
エイラが慌てて、アロンドを抱え起こす。
「うう……どうして、どうしてこんなことに……」
半泣きになっているアロンドに、一良たちは顔を見合わせる。
どうやら、彼は結婚についてまったく知らなかったようだ。
「……えーと。こういう場合、どうすればいいんだろ」
「どうすればって、結婚するしかねえだろ」
ルグロが一良に答え、アロンドに目を向けた。
「アロンド。女をその気にさせたんだから、責任を取るのが筋だぞ。ウズナさん、お前にベタ惚れなんだろ?」
「い、いえ、そんなことは……」
「お前、ゲルドンさんに取り入るために、ウズナさんをたらし込んだんだろ。ことが済んだから『はい、さよなら』なんて、クソ外道の所業だぞ」
「地獄に落ちるわよ」
「責任は取らないとダメだって」
「ウズナさんがかわいそうです……」
ジルコニア、リーゼ、バレッタが追い打ちをかける。
アロンドは、「うっ」、と顔を引き攣らせた。
やれやれと、一良が彼に顔を向ける。
「アロンドさんは、ウズナさんが嫌いなんですか?」
「い、いえ。嫌いだなんてことは……」
「それはよかった。彼女、アロンドさんのことをとても大切に想っているように俺は感じました。部族側にいた時は、アロンドさんも思わせぶりな態度を取っていたんでしょう?」
「……はい。そういう策でしたので」
「じゃあ、死ぬまでその策は続けてください。でも、本心から彼女を一生愛してあげてください。仮面夫婦なんて許しません」
「ええ……」
「返事は?」
「……はい」
一良に言われてしまっては逆らうことなどできるはずもなく、アロンドはうなだれるように頷いた。