作品タイトル不明
211話:2人だけの秘密
「先日はすまなかったな。礼を言わせてくれ」
ウリボウが人が走る程度の速度でトコトコと足を動かしながら、一良に話しかける。
前回と違い、揺れはほとんど感じられない。
「先日? 何かありましたっけ?」
「菓子を馳走になった。あと、こいつに薬も貰った」
「ああ、あれですか。気に入りましたか?」
「うむ、美味かったぞ。実に美味かった」
感慨深げにウリボウが言う。
女性が再び、くすくすと笑った。
「ふふ、彼ったら、食べながら『美味い、美味い』って何度も言ってたんですよ」
「そうだったんですね。なら、明日また、どっさり買ってきますね」
一良が言うと、後ろの方で尻尾がぶんぶんと激しく振られる音がした。
喜んでいるらしい。
「すまんな。恩に着る」
「いやいや、こっちも助けてもらいましたし、その程度ならいくらでも。薬はどうでした? 効きましたか?」
「ああ、驚くほどよく効いたぞ。なあ?」
「ええ。傷跡一つ残らず、綺麗になってしまいました」
ほら、と女性が片手で服の裾を捲り、左足の太ももを見せた。
とても綺麗な、というより、セクシーなその姿に一良は目を奪われてしまう。
「そ、そこを怪我してたんですね。綺麗に治ってよかったです」
「あら? もしかして、私にご興味がおありですか?」
女性が少し振り返り、意地悪そうに微笑む。
「えっ!? い、いえ! その、すみません」
「何なら、お薬のお礼に、一度お相手しましょうか?」
「ええっ!?」
「こらこら、からかうんじゃない。失礼だろうが」
「ごめんなさい、面白くってつい。ふふ」
やれやれ、とウリボウがため息をつく。
獣でもため息をつくのだな、と場違いな感想を一良は持った。
「砦で世話になっている者たちについてだが」
「ああ、彼らは元気ですよ。何匹か……あの、『匹』って呼び方は失礼でしょうか?」
「別に構わんよ。バカにしているわけでもあるまい」
「あ、はい。何匹かは傷が酷くて助かりませんでしたが、他の皆は順調に回復しています。元気になったら、森に返すっていう話になっているんですが」
「うむ。あいつらにも、傷が癒えたら戻ってくるように伝えてある」
「そうだったんですね。今は口輪をして首に縄を巻いているんですが、外しちゃっても大丈夫ですかね?」
「間違っても世話をしている人間を食ったりはせん。外してやってくれ」
「分かりました。伝えておきますね」
そんな話をしながら村の中を進み、リーゼたちが作ってくれた墓の前にやってきた。
ウリボウから降り、2人して墓の前に立つ。
「では、始めましょう。彼女をここへ」
「うむ」
ウリボウが一声、長い遠吠えをした。
すると、雑木林の奥から小さな光の玉がふわふわと近寄ってきた。
光の玉は墓の前まで来ると、くるくるとその周囲を回りだした。
「ひ、人魂ですか?」
「うむ。……そうか。300年以上、ずっと待っていたのだな。朽ち果てもせず、よく留まっていられたものだ」
ウリボウが女性に顔を向ける。
彼女はにっこりと微笑み、頷いた。
墓の中からもう1つ、小さな光の玉が浮き上がる。
2つの光の玉は互いに触れるか触れないかの距離で数秒浮いていたかと思うと、ふっと消えた。
「終わりました。これからは、ずっと一緒です」
「えっと……このお墓の人は俺のご先祖様だと思うんですけど、今来た人は誰ですか?」
「彼女は、彼の恋人です」
「こ、恋人?」
「はい。村を去ったきり、戻らなくなった彼をずっとここで待っていたようです。300年もの間、諦めずに、ずっと1人で」
それを聞き、一良は以前、街で聞いた昔話を思い出した。
年越しの宴が行われているさなか、バレッタと2人で街に出かけた時のことだ。
たまたま通りかかった場所で、吟遊詩人がグレイシオールについての『真実のお話』の弾き語りをしていたのだ。
その内容と今の状況とが、繋がったように感じていた。
「男性のほうも、ずっと彼女のことを恋焦がれていたようです。2人とも、カズラ様にお礼を言っていましたよ。『ありがとう』って」
「そうなんですか。俺も、彼らとお話できればよかったんですけど」
「うーん……それは少し難しいですね。私たちと同じような存在になれば別ですけど」
「同じような存在……あの、前にも聞きましたけど、あなたたちは何者なんですか? 神様か何かなんですか?」
「何者か、ですか……うーん」
一良が聞くと、女性がウリボウを見た。
どう答えようか困っている、といった表情だ。
やれやれ、とウリボウが口を開く。
「ただの獣だ。長生きしているというだけで、貴君と大して変わらんよ」
「え、長生きって、どれくらい生きてるんです?」
「1000年は生きているだろうな。曖昧ですまない」
「ええ……もはや獣の域を逸脱しているような……魂を送り出したり人と話したりできてますし、ただの獣って表現はさすがにどうかと」
「ならば、人間たちが『精霊』と呼んでいるものに近い存在だろう。昔はもっと、彼らとも関っていたのだがな」
達観したような口調で、ウリボウが言う。
「彼らが今のように利己的になる前は、我々と人間たちは近しい存在だったのだ。今はかろうじてつながってはいるが、それももう途切れることになるだろう」
「途切れる? どういうことです?」
「昔はこうして、互いに言葉を交わすことができたのだ。意識に霧をかけなくとも、語り合うことができた」
「今では、そうして話せる人もほとんどいなくなってしまいましたね。あの男の子のような人も、稀にはいますが」
とても残念そうに、女性が言う。
「これも、時代の流れなのでしょうね……さて、そろそろ帰ることにしましょう」
女性はそう言って、村の方を見る。
ウリボウもそちらに顔を向け、ぴくりと耳を動かした。
「……ほう、大した意思の強さだな。自力で意識を手繰り寄せたか」
「私たちの力が、通じなくなってきているだけなのかもしれませんよ」
「なるほど、確かにそうかもしれん」
ウリボウが腰を上げる。
「早く行ってあげてくださいね。風邪をひいてしまっては大変です。では」
一良が瞬きすると同時に、女性の姿が黒いウリボウへと一瞬で変わった。
そうして2匹揃って、暗い雑木林の中へと走り去っていった。
「おお、すげえ……風邪をひくって、誰がだろ?」
一良は小首を傾げながら、屋敷へと戻るのだった。
屋敷が見えるところまで一良が来ると、戸口を出たところに誰かが倒れ込んでいる影が見えた。
片肘と片手を地面につき、何とか起き上がろうとしているようだ。
一良が慌てて駆け寄り、抱き起す。
「バレッタさん! 大丈夫ですか!?」
バレッタは朦朧とした様子で、顔を上げた。
一良の姿を認め、薄く微笑む。
「カズラさん……よかった、戻ってきてくれて……」
「どうしたんです? なんでこんなところで……」
バレッタが自分の頭をさする。
ぼやけていた意識をはっきりさせ、深く息を吐いた。
体の自由が、あまり利かない様子だ。
「実は、ずっと起きていたんです。きっと今夜は、カズラさんの言っていた女性が来るはずだと思って」
「そうだったんですか。……あれ? でも、眠ってるってあの人は言っていたような」
「はい……起きていたつもりなんですが……なんだか、朦朧としてしまって。体も上手く動かなくて」
「ふむ……あの人、何か催眠術みたいなものが使えるのかもしれないですね」
前回女性が砦にやって来た時も、警備の兵士が立ったまま眠ってしまっているのを一良は目にしていた。
人目を避けるため、一良に会いに来る際はそうしているのかもしれない。
何とも不思議な力の持ち主だ。
「カズラさん」
バレッタが一良に、縋るような目を向ける。
「はい?」
「急にいなくなったり、しないでくださいね」
「いなくなりませんよ。絶対に」
一良が即答する。
バレッタは暗い顔で、少しうつむいた。
「はい……ごめんなさい。どうしても心配になってしまって」
どうすれば彼女を安心させてあげることができるのだろうかと、一良は唸る。
人目を忍んで自分だけに会いに来たということは、彼らにはそうしたい理由があるのだろう。
他の人間に直接関わることを、極力避けているようにも感じられる。
確か以前にも、そのようなことを言っていたような記憶があった。
「うーん……そうですよね、夜中に1人でこっそり出ていくのを繰り返してたら、不安にもなりますよね」
「……そう……ですね。どこか、カズラさんが遠い存在になってしまうような気がして」
「なら、次にこんなふうに彼らに会う時は、バレッタさんも起こしますよ。起きなかったら、俺がおぶって連れて行きますから」
「えっ」
バレッタが『そんなことをして大丈夫なのか』、といった顔で一良を見る。
「平気平気。ダメだと言われても押し切りますから。それに、彼らの弱みも握りましたし」
「弱み……ですか?」
きょとんとした顔で、バレッタが小首を傾げる。
「ええ。この前会った時に、彼らにはお菓子をプレゼントしたんです。それがものすごく気に入ったみたいなんで、それを盾に押し切ります」
「お、お菓子ですか。なんだか、かわいいですね」
くすっとバレッタが笑う。
「ええ、だから大丈夫です。次からは一緒に行きましょう」
「はい……あの、あのかたたちと何があったのか教えてもらえませんか?」
「ええ、もちろんです。家の中だと皆を起こしちゃいそうだし、どこで話しましょうか」
「お風呂場はどうですか? 私、泥だらけになっちゃったんで、洗いながら教えてもらえると」
バレッタは地面でもがいたせいか、手足や寝間着が砂埃で酷く汚れていた。
少し払った程度では、落ちそうにもない。
寝間着はイステリアの店で自分で選んだもので、淡い水色のワンピースタイプのものだ。
「うわ、本当ですね。お湯を沸かさないと」
「はい。私、水を汲んできますね」
バレッタがふらつきながら、一良から離れようとする。
「いや、俺がやります。バレッタさんはお風呂場で待っていてください」
「……はい。じゃあ、お願いします」
「うん、行きましょう。俺に掴まってください」
一良はバレッタを支えながら、風呂のある小屋へと向かう。
引き戸を引いて中に入り、吊るされているオイルランタンに火を灯した。
柔らかいオレンジ色の灯りが、小屋の中をぼんやりと照らしだす。
「大丈夫ですか? 気分は悪くないですか?」
「はい、眠気がすごかっただけなので。今はもう大丈夫です」
「よかった。着替えとタオル、取ってきますね。バレッタさんの部屋にありますか?
「それなら、そこの棚に両方とも入ってるので大丈夫ですよ」
バレッタが小屋の隅を見る。
手作りの小さな棚に、衣服やタオルが置かれているのが見えた。
着替えは、村で彼女が使っていた時の物だ。
もう長いこと、袖を通していない。
「あ、本当だ。なら平気ですね。少し待っててくださいね」
一良は水を汲みに、小屋の外へ出て行った。
バレッタはそれを見送り、棚へと向かった。
「お、重い……バレッタさん、これ1人でやってたのか。次からは手伝おう」
水桶で水路の水を汲み、リアカーに載せる。
水桶は4つしかないので、風呂の湯を沸かすとなると何度も往復しなければならない。
今は少し沸かせばいいので、この4杯で十分だろう。
リアカーを引き、風呂小屋の前に停めて中に入る。
「お待たせしました……おお、懐かしい服装だ」
以前村で過ごしていた時の姿のバレッタが、ちょこんと椅子に座って待っていた。
寝巻用のものなので、ズボンを穿かないタイプのワンピースである。
「えへへ、先に着替えちゃいました」
バレッタが自分の膝に目を落とす。
「本当、懐かしいです。たった1年しか経っていないのに……すごく昔に感じます」
「そうですねぇ……いろんなことがありすぎて、目が回るような1年間でしたね」
一良が風呂釜に水をあけ、傍にあったライターで薪に火を点ける。
湯が湧いたら風呂釜の底部についている排水穴の栓を抜き、お湯を取り出せばいいだろう。
この分なら、すぐに沸きそうだ。
「えっと、彼らと話していたことについて、ですよね」
「あ、はい。お願いします」
一良は女性やウリボウたちと話した内容を、かいつまんでバレッタに説明する。
バレッタは黙って、話を聞いていた。
「――と、こんな感じです。俺にはよく分からなかったんですけど、ご先祖様たちは成仏できたみたいです。本当にご先祖様なのかまでは、分かりませんでしたけど」
「……あの、その2人は恋人同士だったんですよね?」
「ええ、そう言ってましたね。300年経っても、互いに恋焦がれてたみたいです。魂だけになってしまったけど、また逢えて本当に良かった」
「……」
「どうかしましたか?」
何やら考え込んでいるバレッタに、一良が小首を傾げる。
あの雑木林を抜ける条件は、一良が異性として好きになった相手なのではないかという憶測をバレッタは立てていた。
一良の父親が何も教えない理由は、出会う異性を選別するような目で見るようになることを避けるため。
自然に出会う人々の中で自然に伴侶を見つけて欲しいという親心と考えれば、ありえない話でもない気がする。
また、こちらの世界についても何も教えなかったのは、父親は一度も来たことがない、もしくはこことは違う別の世界へ行ったことがあるのではと考えた。
それならば、屋敷に敷いてあった鉄板は、何かしらの重量物をその世界へ運ぶために彼が設置したものだという説明もつく。
しかし、話を聞く限り、雑木林を抜ける条件の推測は間違っていたようだ。
ではどうすれば、とバレッタは再び振り出しに戻って考える。
通ることは不可能であるという考えは、ハナから持っていない。
絶対に、通ることのできる何らかの手段があるはずだ。
でなければ自分も、300年越しに再会した2人のようになってしまうかもしれない。
いつまでも戻らない愛しい人を、たった1人で待ち続けるというのはどれほどつらかっただろうか。
もし自分が同じような身になったとしたらと考えると、心が締め付けられるような想いがした。
そんなことは、自分は絶対に嫌だ。
「バレッタさん?」
「あ、いえ……そうでしたか。300年も、ずっと……」
「それにしても、コルツ君が特別な力の持ち主だったってのは驚きましたね。イステリアに置いてけぼりにしちゃってるけど、大丈夫かな……」
「カズラさんも、彼らと……精霊様たちとはお話しできるんですよね。コルツ君と同じように」
「そうみたいですね。でも、半分眠ってるとも言われたんですよね。バレッタさんも、何度か話したことがあるんですよね?」
「はい。山で炭焼きをしている時に、夢の中で1度。あと、ジルコニア様をお助けした時には、起きている状態で普通にお話しできました」
「ということは、バレッタさんもコルツ君みたいな素質があるのかもしれないですね。俺よりあるんじゃないですか?」
「そうなのかな……うーん」
バレッタとしては、素質があるからといって、別に嬉しくは感じない。
何かの間違いで彼ら側に引き込まれでもしたら、それこそ大変だ。
一良も一緒にいてくれるのなら、話は別なのだが。
「お、沸いたみたいですね」
一良が風呂釜の栓を抜き、水桶に湯を入れる。
少し熱いくらいの、ちょうどいい湯加減だ。
「バレッタさん、足を出して」
「えっ? あの、自分でできますから」
「ダメです。俺がやりますから」
「ええ……」
困ったような恥ずかしがっているような顔のバレッタに、一良が思わず噴き出す。
「な、何で笑うんですかっ」
「くくっ、すみません。前に逆の立ち位置で、同じようなことがあったなって思ったら、つい」
「あ……」
その時のことを思い出し、バレッタが少し驚いたような顔になる。
そしてすぐ、嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
「さあ、足を」
「はい……」
湯につけたタオルで、一良がバレッタの足を拭く。
バレッタはじっと、その様子を見つめる。
「はい、綺麗になりました。あとは肘と手ですかね」
一良がバレッタの正面に膝立ちになり、袖を捲って肘を拭く。
「……あの、カズラさん」
「ん? 何です?」
「もし、私がカズラさんのいた世界に……日本に行ける方法があるとしたら、どうします?」
「そりゃあ、迷わずやりますよ。あちこち連れて行ってあげたいですし。きっと楽しいだろうなぁ」
それを聞き、バレッタが嬉しそうに微笑む。
「でも、そんな方法あるんですかね? 手をつないでも、俺が抱えててもダメみたいだし」
「たぶん、あるはずですよ。きっと、通れるはずです」
「えっ? 何か気付いたことでもあるんですか?」
一良が驚いた顔をバレッタに向ける。
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど……そんな予感がするだけです」
「予感ですか。バレッタさんがそんなふうに言うの、珍しいですね。いつもはこう、論理立てて物事を話すのに」
「ふふ、そうですね。でも、そんな気がするんです」
「もし通れるようになったら、あちこち遊びに行きましょうね。いろんなところに連れて行ってあげますから……はい、綺麗になりました」
「ありがとうございます……あ」
その時、外から根切り鳥が羽根をばたつかせる音が聞こえてきた。
窓から見える空も、ぼんやりと明るくなってきている。
「ありゃ、夜が明けちゃいましたね。そんなに時間が経ってたのか」
「そうですね。朝ごはんの準備をしないと」
「俺も手伝います。2人でやりましょう」
立ち上がる一良の手を、バレッタが掴む。
「ん? どうしました?」
「あの……今日のことは、私たちだけの秘密にしませんか?」
バレッタが一良の表情を窺うように、そんなことを言う。
一良はその言葉の意味をすぐに察し、笑顔で頷いた。
そういった繋がりを、彼女は欲しているのだろう。
2人だけで共有できる何かを、彼女は求めているのだ。
「分かりました。誰にも話しませんから」
「えへへ。ありがとうございます」
そうして2人で手を取り、小屋を出るのだった。