作品タイトル不明
195話:夢うつつ
「カズラ様、カズラ様」
「ん……」
身体を揺すられる感覚に、一良は目を開けた。
真っ暗な視界の中に、柱が交わった天井がぼんやりと見える。
「こんばんは。起きられますか?」
声のする方に、顔を向ける。
誰かが地面に膝をつき、こちらを見ていた。
誰だかを確認しようと、じっと目を凝らす。
「……あなたは……確か」
いつぞやか、森の中で出会った長い黒髪の女性がそこにいた。
以前会った時と同じ、旅人のような服装をしている。
「約束を、果たしに来ました」
「約束……ですか?」
「はい。参りましょう」
「ど、どこへです?」
「ここからは、少し離れた場所です。さあ、起きてください」
「起きてって言われても……」
そう言いながら、両脇を見る。
リーゼとバレッタが、それぞれ一良の腕を両手で抱いて眠っていた。
女性がリーゼの肩を引き、あおむけにさせた。
そっと、一良の腕から手を放させる。
起きる気配はない。
「そちらは、ご自分でお願いします」
言われるがまま、バレッタの肩に手を当て、そっと押してあおむけにさせる。
「ん……」
小さく声を漏らすバレッタに、一良が動きを止める。
「大丈夫です。そのまま、そっと放させてください」
何でこんなことをしているんだろう、とぼんやり考えながら、バレッタの手を放させる。
何とか、起こさずに済んだようだ。
「では、参りましょうか。付いてきてください」
静かに天幕を出ていく女性を追うため、一良は起き上がって靴を履いた。
天幕を出ると、女性が待っていた。
その隣に、巨大な白い獣がいた。
「……えっ?」
昼間見た、巨躯のウリボウだ。
どことなく見た目が違う気がするが、気のせいだろうか。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのですが、こうするしかなくて」
ぽんぽんと、女性がウリボウの頭を叩く。
ウリボウは、ふん、と鼻を鳴らし、身体を伏せる。
そこに、女性が跨った。
「……お前は自分で走れ。重いだろうが」
ウリボウが不快そうな声で、女性に文句を言う。
くぐもった、低い男の声だ。
「これでも一応、怪我人ですよ? 労わってくれないんですか?」
「……勝手にしろ」
不満げなウリボウに、女性がくすくすと笑う。
「さあ、こちらへ」
「の、乗るんですか?」
「大丈夫ですよ。噛みついたりしませんから。さあ」
女性が伸ばす手を取り、一良もウリボウに跨った。
女性が前、一良が後ろだ。
「つかまっていろ」
ウリボウは言うやいなや、野営地の中を走り出した。
揺れが酷く、油断したら放り出されそうだ。
一良は必死に女性の腰にしがみつきながら、先ほど感じたウリボウの違和感の正体に気付いた。
このウリボウ、少し毛が短いのだ。
昼間見た時は、もっとふさふさしていたはずだ。
「あ、あの!」
「はい?」
「野営地に置いてあった毛って、もしかしてあなたたちのですか!?」
「ええ。そこまでしなくてもって言ったんですけど、切るってきかなくて」
女性が言うと、ウリボウが少し振り返った。
「こいつは切らなかったがな。自分で手伝うと言い出しておいて、毛を切る程度のことを嫌がるとは。まったく、半端なやつだ」
「髪は女の命ですからね」
「この国が消え去ってしまったら、そんなことを言っているどころではないのだぞ」
「私一人の毛で、どうこうなる問題でもないですよ」
「まったく……口が達者なやつだ」
そのままウリボウは走り続け、見覚えのある場所にやってきた。
昼間、戦闘があった場所だ。
死体は放置されたままで、そこらじゅうに転がっている。
明日以降、何十人か市民兵を置いていき、近場の村や街の人間を集めさせて処理に当たることになっている。
死体の数が多すぎるため、処理にはかなりの時間がかかるだろう。
味方の死体は明朝に回収して皆の前で火葬し、後で遺族の下に遺骨を届ける予定だ。
「ど、どうしてこんなところに……」
一良はウリボウの背から降りて、顔をしかめた。
辺りには死臭が漂っていて、油断すれば吐いてしまいそうだ。
バレッタとリーゼのおかげで気が紛れていたというのに、またぶり返してしまった。
「申し訳ございません。ですが、約束ですので」
「さっきも言ってましたが、約束って何のことですか?」
「最後の時は、私が迎えに来ると言ったと思いますが」
そう言われ、1年近く前に森の中であった出来事を思い起こした。
確かに、彼女とそんな話をした記憶はあった。
あの時、彼女はまるで、自分が軍の使用人であるかのように振舞っていた。
そんな中で唐突に、森がどうだとかお迎えがどうだとか言っていたので、わけが分からなかった記憶がある。
「あの時は、大変失礼いたしました。カズラ様の人となりが分からなかったので、どんなかたなのか知りたくて」
「ああ、それで、あんな変な言いかたしてたんですか。はっきり言ってくれればよかったのに」
一良がそう言うと、女性はくすくすと笑った。
「ごめんなさい。私も怖かったんです。直接言ってしまったら、分かっていた未来よりももっと酷いことになってしまうかもと思って」
「分かっていた……って、未来が分かるんですか!?」
驚いた声を上げる一良に、女性が頷く。
「はい、以前までは。カズラ様が現れてからは、何も視えなくなってしまいましたけどね」
「え、それって、大丈夫なんですか?」
「分かりません。でも、あなたと話しているとほっとします。たぶん、大丈夫でしょう」
「た、たぶんって……」
「おい、話してないで、さっさと済ませろ。夜が明けてしまうぞ」
「あ、そうですね。ごめんなさい」
ウリボウに叱られ、女性がそっと目を閉じる。
すると、周囲に横たわる死体のいくつかから、ふわふわと小さな光の玉が湧き出てきた。
すべての死体から出てきているというわけではなく、どうやらイステール領軍の兵士の死体からのみのようだ。
それらは胸の高さほどにまで浮き上がり、ふっと消えた。
「な、なんですかあれ? 何が起こったんです?」
「戦死者たちの魂を、あの世に送り出しました。このままだと、しばらく彷徨うことになってしまうので」
「魂? ……そんなもの、本当にあったんですね」
「え?」
一良の言葉に、女性が小首を傾げる。
ウリボウはつまらなそうに、ふんと鼻を鳴らした。
「いや、魂とかあの世とかが本当にあるのか、今まで疑っていたもので」
「おかしなことを言いますね。魂が無かったら、命も何もあったものではないじゃないですか」
「そ、そういうものなんですか。じゃあ、死んだ後に行く、あの世ってところは――」
「終わったなら帰るぞ。乗れ」
一良の言葉を遮り、ウリボウが口を挟む。
「もう……せっかちですね」
伏せるウリボウの背に、女性が跨る。
「えっ、あの、他の……バルベール兵たちの魂は送ってやらないんですか?」
魂とやらが抜け出た死体はほんのわずかで、大部分の死体はそのままだ。
一良の問いに、女性が頷く。
「はい。私たちが手伝えることはありません」
「そこを何とかなりませんか? 彼らだって、戦いたくて戦ったわけではないでしょうし」
「いえ、そこまでする義理は――」
「やってやれ。そいつらに義理はなくても、この男にはあるだろう」
「……」
ウリボウの言葉に、女性が不満げな顔になる。
「お願いします。やってあげてください」
「……分かりました」
仕方ない、といったように女性が頷く。
すると、周囲の死体から一斉に小さな光の玉が湧き出した。
まるで、たくさんの蛍が宙を飛び交っているような光景だ。
『蛍のなかには、亡くなった人の魂も混じってることがある』という話を子供の頃に祖父から聞いたことがあるが、この光景を見て納得した。
祖父は「嘘じゃないぞ」と笑っていたが、同じような体験があるのだろうか。
今度日本に戻ったら、詳しく話を聞いてみてもいいかもしれない。
そんなことを考えているうちに、光の玉が、すっと消えた。
「行くぞ。さっさと乗れ」
ウリボウに催促され、背に跨る。
風のような速さで、野営地を目指す。
あっという間に、野営地の見えるところに到着した。
距離にして、200メートルほどだろうか。
一良がウリボウの背から降りる。
「お手間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした。いずれまた」
女性が言うやいなや、ウリボウは走り出し、あっという間に闇のなかへと消えていった。
一良は彼女たちが消えていった暗闇を呆然と見つめながら、頬をつねる。
「……これ、夢じゃないよな? 現実だよな?」
頬に痛みが走る。
どうやら、夢ではないらしい。
あんな超常的な現象が、まさか自分の身に起こるとは思っていなかった。
この世界自体、いろいろと常識を超えた現象が起ってはいるが、そのなかでも今回のは段違いなレベルだ。
「あ、しまった。オルマシオール様なのかって、聞くの忘れちゃったな……コルツ君のことも聞き忘れたし、もったいないことしたな」
聞きたいことは山ほどあったのに、ほとんど何も聞かずに終わってしまった。
またいずれ、と言っていたので、また会う機会はあるのかもしれない。
「……まさか、戦いのたびに同じことやるのかな?」
一良は唸りながらも、野営地へと戻って行った。