作品タイトル不明
160話:元気を出しなさい
数日後の深夜。
日本から仕入れてきた食料や肥料、業務用製氷機やガソリンなどを荷馬車に満載し、一行はナルソン邸に戻ってきた。
コルツは両親と一緒に、市街の宿屋に宿泊している。
ナルソンの屋敷で暮らすことを一良は提案したのだが、さすがに恐れ多いと両親が遠慮したため、近いうちに屋敷の傍の集合住宅の部屋を借り上げることになっていた。
広場に到着した一良たちが馬車から降りたところで、ナルソンが皆を出迎えに出てきた。
「カズラ殿、長旅お疲れ様でした。村の様子はどうでしたかな?」
「皆元気そうで、何も問題はなかったですよ。ナルソンさんのほうは?」
「こちらも大丈夫です。仕事にも何とか一区切りつけることができました。ただ、アロンドの行方はまだ……」
その言葉に、一良の表情が陰る。
「そうですか……彼の行っていた業務はどうなってます?」
「今のところ支障は出ておりません。アロンドに付いていた従者や助手たちはほぼ全員残っておりますので、そのまま業務を引き継がせました。ノールの分は、私から別の者に引き継ぎを行ったので、大きな影響はないかと」
「そっか……とりあえずは、何とかなりそうでよかったです。彼の抜けた穴はかなり大きいと思っていたので」
「はい。事実、アロンドに頼っていた部分は非常に大きいので、細かいところでは手が回りきっておりません。アロンドは取引相手との個人的な交流を非常に重視しておりましたので、そこをどう上手く引き継がせるかが難しいですな。しかしまあ、なるようになるでしょう。心配はいりません」
はっは、と笑うナルソンに、一良も少し表情を緩める。
ナルソンなりに、一良を気遣っているのだ。
「お風呂は沸いてますかね?」
「はい、いつでも入れるように支度させてあります」
「そしたら、皆さんからお先にどうぞ。俺はその後で入るんで」
「あっ、私は後でいいですよ! カズラさんが先に入ってください!」
黙って話を聞いていたバレッタが、慌てたように言う。
「いや、俺はちょっとナルソンさんと話したいことがあるんで。気にしないで入っちゃってください」
「私も後でいいや。ちょっと疲れちゃったから、一休みしてから入るよ。エイラ、お先にどうぞ」
「えっ、よろしいのですか?」
「うん。1杯ひっかけてから、ゆっくり入るから」
くいっとコップをあおる仕草をするリーゼ。
バレッタ、ジルコニア、エイラが先に入り、残りの3人はその後でということになりそうだ。
ちなみに、ナルソン邸の風呂場は全部で3つある。
本来ならば、使用人はかけ湯が出来る程度の設備の風呂場を使うことになっているのだが、マリーとエイラは特別にジルコニアから許可が下りており、皆と同じ浴槽付きの風呂場を使っていた。
「こらこら、仕草がおやじ臭いぞ」
「おやじ臭くて結構ですよーだ」
リーゼは手をひらひらさせながら、屋敷へと入っていく。
一良たちも荷下ろしを使用人たちに任せ、後に続くのだった。
ナルソンとともに執務室へ移動した一良は、再び広場へ駆け足で戻ると、大きなダンボール箱を抱えて戻ってきた。
フタ部分のガムテープを剥がし、中から革と鉄でできた物体を取り出した。
日本で立ち寄った乗馬クラブに無理を言って購入してきた、『 鐙(あぶみ) (鞍付き)』である。
鐙とは、馬の腹の左右に吊り下げる足場のことだ。
「カズラ殿、それは?」
「鐙という道具です。ラタに装着して使うもので、馬上でも足の踏ん張りが利くようにするためのものです」
「馬上で……ああ! なるほど!」
すぐに意味を理解したナルソンが、声を上げて頷く。
従来、馬上で身体を安定させるためには、両足でラタの腹を挟み込むように締め付けて体を固定する必要があった。
これにはかなりの訓練が必要なため、この世界の騎兵は幼い頃から騎乗訓練を受ける貴族たちのみである。
当然ながら騎兵の数は少なく、簡単に補充することもできないため、非常に貴重な存在だ。
「これがあれば、ラタに乗っていても足場があるような状態で戦うことができるので、騎兵の戦闘能力は大幅に向上します。それに、従来よりも大幅に少ない訓練期間で騎兵を量産することも出来るようになります」
一良の説明に、ナルソンが心底感心したように頷く。
こういった道具の発想自体、まだこの世界にはないものなのだ。
地球のヨーロッパ地方においても、鐙が登場したのは7世紀頃になってからである。
「なるほど、なるほど。それでは、これは最優先で生産させるようにいたします。市民からも正規兵扱いでいくらか登用して、市民騎兵として早急に数を揃えましょう」
「それがいいですね。それと、砦への視察にはそろそろ出かけられそうですか?」
「はい。短期間であれば私もイステリアを離れられますので、一緒に参りましょう」
「武器や兵器の生産は、すべて砦で行うようにしますか?」
「いえ、武器製造の主体はイステリアで行い、砦には若干の生産設備と交換用の部品を大量に保管する方向で考えております。スペース的な問題もありますし、生産よりも修理や補修が主な作業になると思われますので」
ナルソンが棚から砦の図面を引っ張り出し、机の上に広げる。
砦はバルベール側の丘の頂上から、イステール領側に丘を下りきったところまでを取り囲む長い防壁を備えた巨大なものだ。
『国境沿いの砦』や『英雄の丘要塞』などと呼ばれており、今のところ正式な名前は付いていないらしい。
「ふむふむ……砦内で水車は使えますか?」
「丘の南側を下った場所の一部に川を引き込んでおりますので、そこでなら使うことができます。用水確保のためにこしらえたものなので、あまり大きなものではありませんが」
「んー、そうですか。動力水車を置いて製材機か製粉機を使えればと思ったのですが、厳しいですかね」
「砦内の農地用にすでに揚水水車を1台設置しておりますが、まだ数台なら置けるかと。砦の周囲にも広大な農地が広がっておりますので、製粉機を置くのがよいと思います」
「そしたら、製粉機の動力は水車の代わりにラタを使いますか。製材機には大型の動力水車を用いるってことで」
「それはいい案ですな。今年は麦の収穫高がかなりのものになる見込みですので、製粉機が導入されれば農作業に従事している市民たちも喜ぶでしょうな」
砦方面にも日本産の堆肥は送られており、散布作業の監督はハベルが引き続き行っている。
元々、丘がある一帯は土地がかなり痩せており、面積に対する収穫量はとてもではないが満足のいくものではなかった。
日本産の堆肥のおかげで状況は劇的に好転しており、今ではイステリア周囲の穀倉地帯と同等の収穫高を見込めるようになっていた。
穀倉地帯のほうが土地が肥えていたのは、毎年起こる洪水のおかげで山の土に含まれる栄養が水や泥と一緒に穀倉地帯一帯に流れ込んでいたからだろう。
グリセア村付近の洪水地帯も、開墾すればそれなりの収穫を見込めるはずだ。
「収穫が済んだら、いくらか作業者にも麦を配ってあげてくださいね。頑張った分が跳ね返ってくると分かれば、今後も一生懸命頑張ってくれるはずですから」
「ええ、心得ております。出し惜しみせず、大盤振る舞いするといたしましょう」
「そうしてあげてください。家計に余裕が出た分、街でお金を使って経済を回してくれるでしょうし」
そんな具合でまったりと話を進めていると、コンコン、と扉がノックされた。
髪を濡らしたバレッタが顔を覗かせ、ぺこりと頭を下げる。
「カズラさん、お風呂空きました。お湯の入れ替えもすぐに済むみたいです」
「分かりました。じゃあ、俺はお風呂行ってきますね。出たら、今日はそのまま休みます」
「かしこまりました。おやすみなさいませ」
執務室を出て、2人並んで静まり返った廊下を進む。
歩きながら、一良はぐっと背伸びをした。
「はー、疲れた。やっぱり、馬車の移動は身体に堪えますね……そういえば、バレッタさんって乗り物酔いしないんですね」
「は、はい……私、そういうのには強いみたいです」
「いいですねぇ。俺もあれくらいなら酔わないんですけど、もう少し揺れるとダメですね。マリーさんなんてかなり乗り物酔いするみたいで、前にグリセア村に行く時に2人で馬車に乗った時も――」
つらつらと一良が話していると、バレッタがちらちらと見てきていることに気が付いた。
「ん? どうしました?」
「あ……え、えっと……」
足を止めて一良がバレッタを見ると、バレッタは少し目を泳がせた。
そして、意を決したように一良を見上げた。
「カズラさん、大丈夫です!」
「え?」
「私が、アロンド様の分も頑張ります! だから、大丈夫です!」
必死な様子でそう訴えるバレッタを、一良はきょとんとした顔で見つめた。
しかしすぐに、今の言葉が精一杯自分のことを気遣ってのものだと気づき、ふっと表情を緩める。
「ありがとうございます。俺、そんなに元気ないように見えました?」
「……はい。何だか、無理して元気を見せているみたいに見えて……」
バレッタが小さく答え、少しうつむく。
一良は自分の頭をぽりぽりとかいた。
一カ月以上前にリーゼに同じようなことを言われてから、一良は自分なりに気を取り直して前向きにやってきたつもりだった。
だがそれでも、信頼していた者に裏切られたというショックが抜けていなかったようだ。
リーゼ同様、バレッタも一良の微妙な変化に気づいていたのだろう。
「はあ、やっぱダメだな、俺。注意してたつもりなんですけど……気を遣わしちゃいましたね」
「だ、ダメなんてことないです! その……もっと私を、頼って欲しいです。一人で我慢なんて、しないでください……」
少し泣きそうな表情で、バレッタが一良を見上げる。
一良は数秒考えた後、口を開いた。
「……じゃあ、一つだけお願いが」
「は、はい! 何でも言ってください!」
「ぎゅって、してもらえませんか?」
「……え!?」
「ダメですか?」
「だ、ダメじゃないです!」
バレッタは持っていた着替え入りのカゴを床に放り投げるようにして置き、勢いよく一良に抱き着いた。
一良もバレッタの背に手を回し、よしよしとその頭を撫でる。
「……ん、ありがとう。元気出ました」
「は、はい」
バレッタが少しだけ身を離し、上目遣いに一良を見る。
その顔は、耳まで真っ赤だった。
「……うう、やっぱり、何か違う気がします」
「え、そう?」
「絶対に違いますよ、これ……」
「そうかな? 俺はすごく元気出たけど」
「うー……」
心底恥ずかしそうに、目を泳がせながらバレッタが唸る。
そして、再び一良を見上げた。
「そ、そうだ! 一緒にお風呂入りましょう! お背中流しますから!」
「……え!? い、いきなり何言ってるんですか!?」
「げ、元気出るかなって……」
「い、いや、そこまでしてもらわなくても……」
「う……」
よほど思い切った申し出だったのか、一良が断りかけた途端にバレッタの目尻に涙が浮かんだ。
一良は慌てて、こくこくと頷く。
「あ! や、やっぱりお願いしようかな! いや、ぜひお願いします!」
「は、はい! 私、頑張ります!」
バレッタはカゴを拾うと一良の手を掴み、一良の顔を見ないようにしながら速足で風呂場へと向かった。
2人が風呂場に着くと、扉の前にはいつものように、清掃係の若い侍女がタオルを持って控えていた。
侍女はバレッタに手を引かれている一良を見て、えっ、といった顔になった。
「お風呂に入ります!!」
「え、あ、あの、カズラ様が、ですよね?」
鬼気迫る表情で言うバレッタに、侍女がおどおどとした様子で問う。
「2人で入ります! 失礼します!」
「あっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
制止を無視し、バレッタはぐいぐいと一良の腕を引いて脱衣所へと入る。
「あ、あの、カズラ様! そのままお二人で入るのは」
「す、すみません。見なかったことにしてください、お願いしま」
「えっ!?」
先に入ったバレッタの驚いた声に、一良は何事かと自分も脱衣所に足を踏み入れた。
「……どうしてバレッタとカズラが一緒にお風呂に来るんですかねー?」
「な、何やってんだリーゼ……って、酒くさっ!?」
脱衣所の床に、赤い顔をしたリーゼが膝を抱えて座り込んでいた。
裸にタオルを巻いただけの恰好で、タオルから覗く肩や胸元も赤色を帯びていた。
「いつまでたってもカズラが元気にならないから、サービスしてあげようと思って待ってたの」
「ええ……じゃあ、どうしてそんなに酒臭いんだよ……」
「恥ずかしいから強いお酒がぶのみして無理やり酔っぱらってきたに決まってるでしょこのバカ! あなたたちこそ、どうして2人でお風呂に来てるのよ!!」
「いや……バレッタさんが背中流してくれるっていうから」
「うう、いつもこんなのばっかり……」
よよよ、とバレッタは涙目でうなだれている。
リーゼは大げさにため息をつくと、気だるそうに立ち上がった。
「あー、もういいわ。ほら、2人とも脱ぎなさい。3人で入りましょ」
「「えっ!?」」
ぎょっとして声を上げる2人をよそに、リーゼがバレッタの服に手をかける。
完全に目が据わっていた。
「『えっ』、じゃないでしょ。ほら、脱ぎなさいよ」
「ちょ、ちょっと! リーゼ様!」
ぐい、と胸の下まで上着を捲られ、バレッタは慌ててリーゼの手を押さえる。
「カズラを元気にするんでしょ? まさか、服着たまま背中流すつもりだったわけ?」
「え? そ、そうですけど……痛っ!?」
びしっ、とバレッタの頭にリーゼの手刀が炸裂した。
なんでやねん! と一良もバレッタにツッコミを入れかけたのは内緒だ。
「ほら、観念してさっさと脱ぐの! 一良もとっとと脱ぎなさい!」
「ええ……」
「何恥ずかしがってるのよ。男ならこういうのって嬉しい状況なんでしょ?」
「い、いや、こんな展開で全裸になれと言われてもだな」
「あー、なら、これなら文句ないでしょ」
そう言って、リーゼは自分の身体に巻いていたタオルを一気にはぎ取った。
「おわあっ!?」
「きゃあああ! なな何やってるんですかリーゼ様!! カズラさん見ちゃダメです! あっち向いてください!!」
「私が脱いだんだからカズラも脱ぎなさい! バレッタも早く脱ぎなさいよ!」
「ひゃあ! 引っ張らないでください! シャツが裂けちゃいます!」
「ああもう、なら下だけ脱ぐので許してあげるわよ。上を脱ぐのはお風呂場に入ってからでいいから」
「それ妥協案になってないですよね!? ていうか、早くタオル付けてください!!」
「リ、リーゼ落ち着け! 無理強いは良くない! このタオルを付けるんだ!」
「だからカズラさんはこっち見ちゃダメって言ってるじゃないですかあああ!!」
その後も3人はぎゃーぎゃー騒ぎ続け、あまりの騒ぎっぷりに何事かと何人もの侍女と警備兵が風呂場へ駆けつけてしまい、結局3人での入浴はお流れとなってしまった。