軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

139話:油断大敵

数日後の朝。

一良はアロンドに呼び出され、屋敷の応接室にやってきていた。

彼はいつもどおりの爽やかな笑顔で一良を迎え、深々と腰を折った。

「カズラ様、おはようございます。朝早くから申し訳ございません」

「いえいえ、全然大丈夫ですよ。アロンドさんこそ、かなり早起きだったんじゃないですか?」

「朝が早いのには慣れておりますので。それに、なるべく早くカズラ様に報告しなければと気がはやってしまって」

あの後一良はアロンドを呼び出し、呪術師組合との交渉を彼に一任した。

前回同様、アロンドの希望でこの場には彼と一良の2人しかいない。

どういうわけか、アロンドは何をするにしてもまず最初に一良に話を通すことを重視しているようだった。

「無理させちゃってすみません……ん? 何かいい香りがしますね。香木ですか?」

席に着くと、何やらほのかに甘い香りがすることに一良は気が付いた。

ふんわりとした、やさしい上品な香りだ。

「いえ、ここに来る前に花で満たした風呂に入ってきたので、その香りでしょう。香油(香料を溶かし込んだ油)も少し付けていますが」

「へえ、花のお風呂に香油ですか。お洒落な趣味ですね」

「香りが好きで、時折入っているんです。かなり手間がかかるので、いつもというわけにはいきませんが」

実のところ、アロンドが香油を付けたり花風呂に入ったりしているのは、酒の臭いを誤魔化すためだ。

彼は今朝まで呪術師組合の幹部連中と夜通し酒盛りをしており、まだ完全には酒が抜け切っていない。

当然ながら一睡もしておらず、寝不足と飲みすぎで頭が痛くて仕方がない。

他の仕事が立て込んでいるために一良への報告を後回しにすることができず、酒臭さを隠すために大急ぎで花風呂に入って香油まで塗り、化粧で顔色を誤魔化して報告にやってきたのだった。

「薬草の売却額は従来のものより3割ほど下がりましたが、薬の代金は数量が増すごとに段階的に値引きさせることになりました。かなり安く纏めることができたかと思いますが、いかがでしょうか」

差し出された契約書(未サイン)に目を落とし、一良は思わず「うおっ」と声を漏らした。

「これ、安すぎじゃないですか? 最初に納品してもらう分量でも、普通に買うより3割くらい値引きされてません?」

「薬の全体価格を下げるという前提条件をカズラ様が取り付けてくださいましたので。それに、薬は一度の取引量がとても少ないものですので、今回のような大口取引となるなら妥当な金額かと思いますが」

「そうなんですか……それにしても、どういったところを突いて値引きさせるんです?」

「目立ったところでは継続取引による割引と単品価格の端数切捨てですかね。そこからさらに、大口取引によって伝票費用や運送費用も安く上がっているはずだと言って値引きしてもらいました」

「なるほどねえ……」

一良は感心しながら契約書に目を走らせる。

組合側に買い取ってもらう薬草は一定期間ごとに少しずつ増やすことになっており、それに準じて買い取り価格も下がっていく契約になっていた。

それと合わせて、組合に売ってもらう薬の価格も安くなっている。

「しかし、よくこうもあっさり彼らが大幅な値下げに応じましたね。もっと揉めるかと思ったんですけど」

「一晩かけてじっくり交渉したら、何とか分かってもらえました。組合本部の幹部連中を全員相手にしての交渉だったので、少々骨が折れましたが」

「全員相手に一晩中交渉ですか……。とても私には真似できないですよ」

「まあ、やり方次第ですよ。相手の性格によってさじ加減は変えなければなりません」

その台詞に、再び一良は感心して頷く。

薬草園を案内してくれた幹部組員だけでもなかなかの曲者に思えたが、そういった連中もアロンドに任せておけば問題ないようだと結論付けた。

「アロンドさんにお願いして正解でした。今後の取引も任せられたらと思うんですけど、引き受けてもらえませんか?」

「お任せください。必ずやご期待に沿う成果をあげてみせます」

「ありがとうございます。何だか毎回頼りっぱなしで、大変な仕事ばかり押し付けてしまってすみません」

恐縮したように言う一良に、アロンドは「いやいや」と胸の前で手を振る。

「これくらいお安い御用です。他にも何かあるようでしたら、ご相談いただければと」

「え、いいんですか? じゃあ、もうすぐ始まる鉄という新しい金属を用いた道具の生産についてなんですが……」

これ幸いと、一良はまもなく始まる鉄器の大量生産に伴う各方面への折衝を彼に任せることにした。

鉄という金属の説明から始まり、現在の採掘状況や今後の生産見通しを詳しく話して聞かせる。

バルベールがおそらくすでに鉄器を保有しているという話も合わせて説明した。

アロンドは表情を引き締め、時折質問を挟みながらその話を聞いていた。

「間もなく我が国でも量産体制が確立するのですか。その新型の炉なら、かなりの生産量になりますね」

「ええ。といっても、まだイステール領の中でだけですけどね。鉄の影響は絶大なものになるはずなので、各産業に用いられている青銅器を可能な限り早く鉄器に置き換えたいんです」

「かしこまりました。情勢を鑑みるに、可及的速やかに他領にも技術を伝える必要があるかと思いますが、いかがいたしますか?」

「内容が内容なだけに、どこまで教えるかナルソンさんと話し合っているところなんです。ナルソンさんは他領に鉄の加工方法は教えるにしても、新型炉に関しては秘匿したいと言ってましたね」

その話に、アロンドは深く頷いた。

「私もそう思います。新型炉での生産量がそれほどにまで凄まじいのなら、その技術的価値は途方もないものです。将来のことも考えて秘匿すべきです」

「ということは、他領にはこちらで製造した鉄器を提供するというかたちがいいってことですか?」

「もちろんそれも行いたいですが、精製した鉄も大量に他領に提供して、加工はあちらに任せるというのはいかがでしょう。私は鍛冶についてはあまり詳しくないのですが、従来の炉では鉄はまったく精製することはできないのですか?」

「いえ、今まで使っていた炉でもやり方次第で精製できますよ。新型炉に比べて100分の1くらいの生産量ですけど」

「なら、そのやり方も一緒に教えてしまったほうが他領からの不満も回避できていいかと思います。他領はともかくとして王都から反感を持たれると、他国との折衝や貿易で不都合が生じますので」

「ふむ、そういうものですか。では、その方針でナルソンさんに提案してみます。アロンドさんに意見をもらったとも伝えておきますね」

「ありがとうございます。それと、私からも1つご相談があるのですが」

「ええ、いいですよ。何でも言ってください」

一良が答えると、アロンドは少し身体を前のめりにした。

「バレッタ嬢を、私の助手に付けていただけないでしょうか」

「え、バレッタさんをですか?」

「はい。新しい道具の開発に関わるとなると、それを扱う職人を取りまとめる彼女の手助けが是非とも欲しいのです。私だけではどうしても不安が残るもので……彼女に右腕となって欲しいのです」

「……うーん」

「どうでしょう。ご承知いただけると大変助かるのですが」

困り顔で唸っている一良に、アロンドはなおも詰め寄る。

普通に考えれば、アロンドの言い分には筋が通っている。

しかも、彼には今まで散々相談に乗ってもらったり、山のような仕事を押し付けてしまっている。

それを考えれば、断るという選択はありえないだろう。

しかし、だからといって、一良はここで首を縦に振るわけにはいかなかった。

「……すみません。彼女にはこちらからお願いして手伝ってもらっているので、私が勝手に判断するわけにはいかないんです。別の職人さんじゃダメですか?」

一良が答えると、アロンドは少し驚いたような表情になった。

「そうだったのですか。ですが、私も何としても彼女にお願いしたいんです。なにせ、大工と鍛冶の両分野を一辺にカバーできる人材は彼女以外に思い当たらないものでして」

「そう言われても……」

「では、カズラ様から彼女に今の話を提案してはくださいませんか? それで彼女が了承してくれれば、問題はないのですよね?」

「……まあ、そういうことになりますね」

「それでは、是非とも話をつけてはいただけないでしょうか。彼女は今屋敷にいるのですか?」

「い、いますけど」

「では、大変申し訳ないのですが、今確認を取ってはいただけないでしょうか。それで了承をいただけるなら、今後の予定に彼女を組み込んでしまいたいので」

畳み掛けるように話を押してくるアロンドに、カズラはたじろいだ。

上手く話をかわそうにも、ここまで突っ込まれてはそれもできない。

「……分かりました」

無下に断ることもできず、一良は渋々頷いた。

「ただいま」

「あ、おかえりー!」

「カズラさん、おかえりなさい。お疲れ様でした」

一良が自室に戻ると、リーゼがバレッタに手の傷痕に薬を塗ってもらっているところだった。

リーゼの手の傷は4日ほどで完治したのだが、深く切ってしまった部分の傷痕が白く残ってしまっていた。

そこで、もしかしたらこのまま薬を塗り続ければ綺麗になるかもと、ダメもとで薬を塗り続けているのだ。

「傷痕はどんな具合だ?」

「だいぶ良くなったよ。ほとんど消えちゃった」

リーゼはそう言い、両手を開いて一良に向けた。

深かった傷の痕は数箇所まだ薄っすらと残っているが、4日前に比べれば驚くほど綺麗になっている。

「おお、本当だ。こんなに綺麗に治るものなんだな」

「治るものなんだなって、カズラが持ってきた薬じゃない」

リーゼはよほど嬉しいのか、先ほどからニコニコ顔だ。

普段は気にした素振りは見せなかったのだが、本心では気になっていたのだろう。

「カズラさんは頭の傷はどうですか? まだ痛みます?」

「いや、もう痛みはないですよ。そういえば、そろそろ抜糸の時期か……」

指で頭の傷を触ってみると、縫い目の感触がはっきりと伝わってきた。

自分では見えないのでよく分からないが、部分ハゲになっているように感じられた。

「今やっちゃいますか?」

「うん、お願いします」

バレッタは手早くリーゼの手に絆創膏を貼ると、救急箱から小さなハサミとピンセットを取り出した。

それを見て、リーゼが自身の膝をぽんぽんと叩いた。

「ねね、ここ使う?」

「使わない」

「遠慮しなくてもいいのに」

「しとらんわ」

「え、えっと、後ろ失礼しますね」

流し目を送っているリーゼを気にしつつ、バレッタが一良の後ろに回った時。

部屋の扉がノックされ、エイラが入ってきた。

「リーゼ様、グラント・レーデル様がおいでになられました。来賓室でお待ちいただいております」

「ん、分かった。カズラ、ちょっと行ってくるね」

「おう。頑張ってな」

「バレッタ、カズラに襲われそうになったら大声出すんだよ?」

「人をケダモノみたいに言うな」

リーゼが部屋を出て行くと、バレッタは一良の頭に手を添えて髪を掻き分けた。

「リーゼ様、最近幸せそうですね」

「え、そう?」

ピンセットで結び目を引っ張りながら、ハサミの先で糸を切る。

「はい。村から戻ってきてからずっと。それに、いつもカズラさんの傍にいます」

「そ、そうですかね?」

「そうですよ」

少し怒ったような口調に一良が振り向こうとすると、頭をがしっと押さえつけられた。

「まだ終わってませんよ」

「は、はい」

ピンセットで糸をつまみ、ゆっくりと引き抜く。

「はい、抜けました。薬も塗っておきますね」

「あ、あの、バレッタさん?」

テーブルにハサミとピンセットを置くバレッタの横顔を見て、一良が遠慮がちに声をかける。

「なんですか?」

「もしかして、怒ってます?」

「怒ってますよ」

バレッタはそう言いながら、再び一良の後ろに回りこむ。

「カズラさん酷いです。傍にいさせてくれるって言ったのに」

「え?」

再び一良が振り向こうとすると、バレッタに頭を抱き締められた。

後頭部に軟らかい感触を受け、そのまま動きを止める。

「私、嫌です。お断りしておいてください」

「断る? ……あ、監視カメラか」

監視カメラは来賓質と応接室に設置されており、電源は挿しっぱなしである。

モニターはこの部屋に置いてあるので、バレッタとリーゼは応接室での話をここで聞いていたのだろう。

「私も、もっとカズラさんと一緒にいたいです」

バレッタはぽつりと言い、一良の頭に頬を寄せた。

「リーゼ様ばっかり、ずるいです」

彼女の息遣いが、一良の頭に直接触れる。

とくん、とくん、という心臓の音が、少しだけ早まっているように感じられた。

「何をやってるのかなあ?」

「うおおっ!?」

「んびっ!?」

突然響いた声に、一良はびくっと身体を跳ね上げた。

同時に、その頭がバレッタの鼻を直撃した。

「おまっ、何してんだよ! 面会はどうしたんだよ!」

「中庭でやってますけどー?」

鼻から上だけを窓枠から覗かせて、リーゼが部屋を覗き込んでいた。

今日は風もなく日差しも暖かだったので、窓を開け放っていたのだ。

「いや、相手の人は!?」

「向こうのベンチで待っててもらってますねー。何か嫌な予感がしたから見に来たら案の定だったんですねー」

「別に何もしてないからさっさと戻れ」

「えー」

「えー、じゃないだろ。相手を放っておいたら失礼だぞ」

「んー、分かった。カズラも早くアロンドのところ戻った方がいいよ。あと、バレッタ鼻血出してるよ」

「えっ!? あ、バレッタさん大丈夫ですか!?」

「らいじょぶじゃらいれふ……」

「じゃーねー」

蹲るバレッタとタオルを取りに走る一良を放置し、リーゼは面会に戻っていった。