軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

23.不興と崩れ sideマリー

sideマリー

陰鬱な空気が室内に満ちていく。

私は窓辺に立ち尽くし、冷えた指先を組んだ。

窓の向こうに広がるのは、どこまでも灰色の雲が垂れ込める、鈍色の空。

その曇天を見上げながら、心の中に渦巻く疑念と焦りを必死に押し殺していた。

なぜ──。

なぜ、男爵家が代々築き上げてきたアルヴェリオ商会が、砂の城のようにもろくも崩れかけているのか。

金も人脈も、長い年月をかけ、重ねてきた商会が、呆気ないほど脆く。

恐れていたことが、今まさに現実のものとなりつつある。しかも、あまりにも静かに、確実に。

「……コンラッド様の不興を買った件が、予想以上の速さで広まりました。新規の契約はことごとく断られ、旧来の取引先も……次々に手を引いております」

報告したのは、私に長年仕えてくれている忠実な使用人だった。

声は落ち着いていたが、その表情には隠しきれない焦燥がにじんでいる。

私はそっと視線を落とし、唇を噛みしめた。

やはり、予想以上に事態は深刻だった。これほどまでに、影響が大きいとは──。

「……コンラッド様には、謝罪を受け取ってもらえたのかしら?」

絞り出すように問うた私の声は、部屋の重苦しい空気に沈み込むように落ちた。

使用人は一瞬言葉を選ぶように沈黙した後、静かに首を横に振った。

「……門前払いだったと聞いております。アルベルト様も早々に引き下がったそうです。おそらく、これまで他人に頭を下げた経験がないのでしょう」

その言葉に、眉をひそめてふっと冷笑がこぼれた。

なるほど、彼らしい。

プライドだけは天より高く、肝心なときには何一つ役に立たない。

まともな交渉の一つもできず、全てを投げ出すとは──。滑稽を通り越して、哀れですらある。

「……さらに、ラフィーユ伯爵様のご機嫌も損ねたようで」

静かに続けられた言葉に、私は思わず顔をしかめた。

ラフィーユ伯爵の招待状まで手に入れたのに──。

あの話がうまく運べば、いくつかの上流貴族と接点を持てるはずだった。少なくとも、私はそう読んでいたのに。

「……どうして伯爵の不興を買ったの?」

問いかける声には、我知らず苛立ちがにじんでいた。

「それが……。『慈善活動など無駄だ』と、はっきり口にされたとか」

使用人から、唖然とするほど大きなため息が漏れた。

「ラフィーユ伯爵に、そんな暴言を!?」

信じがたい。

あの伯爵が慈善事業に情熱を注いでいるのは、平民の私ですら知っている。それどころか、伯爵の活動に賛同することで、商人たちは名誉を得、同時に人脈も築いてきたのだ。

慈善活動が金にならない?

それは私とてそう思う。

なぜ自分の能力を、時間を、金を、何も持たない者のために使わなくてはいけないのか。

けれど、だからといって言っていい言葉と、言ってはならない言葉の区別もつかないとは。

「……知っている。そう思っていたわ。最悪ね。確認もせずに送り出した私の落ち度でもある」

肩を落とし、再び視線を曇天へ向けた。

その空の色が、まるで今の私たちの未来を暗示しているかのようで、胸の奥が冷たくなる。

「……はぁ」

長い息を吐き出すと、ほんのわずかに肺が軽くなる。

けれど、私の胸に重くのしかかる不安は、まだ何一つとして消えてはいなかった。

「……本人は、今どうしているの?」

「支配人の指示を受け、各方面へ手紙を出したり、在庫の処理について話し合ったりしているようですが……打開策は見つかっていません。何でも、最近はそれすらそっちのけで絵を描いているとか」

「絵? なぜ、急に絵を?」

目を伏せ、小さく息を吐く。

「最近話題のマティアスをご存じですか? なんでも、子爵家の嫡男でありながら今人気が急上昇している画家です。その話を聞き、自分も絵が得意だった。最低でも金貨200枚の絵を描いて見せると意気込んで……」

マティアス・ロート。クロエが見つけたという画家ね。玄関にあった絵がマティアスの物で、鑑定をしてもらったら金貨1000枚にもなったわ。きっとまだ値は上がる。

クロエの見る目がいいのか売り出し方が上手いのか。

どちらもね、きっと。

一方でアルは……自分が描くという斜め上を行く行動。ああ、頭が痛い。面倒なことになった。

「……分かったわ。明日、これからについて話をしてみるわ」

冷え切った頭の奥に、わずかな計算が浮かぶ。

今のままでは、彼どころかアルヴェリオ商会ごと沈むのは時間の問題だ。それを阻止するためには、多少の手荒な手も厭わない。

私は美しさを武器に、父のバルト商会を拡大してきた。

いずれアルの商会を取り込み、さらなる利を得るつもりだった。そこは父にも任せてもらっている。貴族につながりと人脈さえあれば、さらに商会を大きくできる。

だが、取り込む前に、ここまで無様に崩壊し始めるとは、想像もしていなかった。

口元に指を添え、ゆっくりと考える。

「少しくらいは、商会に関わっているかと思ったのに……とんだ誤算だったわ」

贈られてた高価な品々を思い出し、冷笑する。

上手く言った取引の話をし、惜しみなく与えてくれた。結局、ただ母親に金をせびることしかしていなかったというわけね。

自分で稼いだわけでもないくせに、虚勢を張るためだけに金を使うとは。

アルヴェリオ商会に新たに送り込んだ者の話では、商会の金も自分の物のように使っているらしい。

商会をつぶすわけにはいかないから、商会の金は使わずアル個人の名義でよそから借金をし、それを渡すように指示をしている。これ以上商会の利用価値を下げられないわ。

「……それほど、商才は期待していなかったとはいえ、こんな短期間で、これほどの状態にするなど」

使用人もため息をつく。想定の範囲外。ここまでの損害は計算に入れていなかった。

「……そうね。こうなったら、やっぱり爵位を取り戻させないと共倒れになるわ」

淡々とした声音の中に、冷酷な決意が滲む。

アルとは、結婚する気などない。私の結婚は、商売の道具に過ぎず、最も有益な形で活用しなければならない。チャンスは何度もないのだから。有意義に使わないと。

高位貴族ほど、貴族の商会としか取引をしない。貴族の人脈を得るには、アルの爵位を利用して取引を持ちかけるしかない。

契約さえ結べば、後はアルなどいなくても構わない——そう思っていたのに。

共倒れは、避けないと。

その時、使用人が少し声を潜めながら囁いた。

「……そのことですが、以前頼まれておりました人物が見つかりました」

その言葉を聞き、わずかに目を細める。

「アルの母親とクロエの声にそっくりな者が?」

使用人は頷き、少し微笑んだ。

「はい。どちらも劇団員で、演技もお手のものです」

それは、ついているわ。満足げに唇を吊り上げた。

「もう、話はついているのかしら?」

「ええ、もちろんでございます」

使用人の返答は変わらぬ丁寧さを保っていたが、その声音には確かな自信が宿っている。予定よりも早く準備が整ったのは、朗報と言えるだろう。

そっと息を吐き、視線を窓の外へと向けた。遠くに広がる庭の緑が、陽の光を浴びて輝いてきた。――しかし、心の奥には晴れない霧がかかっていた。

「アルには……全ての準備が整ってから、伝えましょう」

「それがよろしいかと」

使用人の声音は穏やかだった。私は小さく微笑み、静かに椅子に腰を下ろした。