軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

28 真実

「ここが……あのヴェルナーテ宮殿……?」

外の門のところで騎士たちを待機させ、ヴィンセントとマリーは古びた門を開ける。

朽ちかけた石造りの建物は、枯れたツタに覆われ、まるで時の流れに取り残されたように静まり返っていた。

ひび割れた柱や崩れかけた階段が、かつての優雅さをかろうじて物語っていたが、今はその面影すら薄れつつある。

「……思った以上にひどいな」

「はい」

ヴィンセントも眉をひそめている。

マリーの浄化が終わっているからか、瘴気の気配はない。ひとまずそのことにホッと胸をなで下ろしながら、枯れたアーチをくぐってエントランスを目指す。

「ヴィンセント陛下は、ここには来られなかったのですか?」

「……ああ。報告を受けていただけだ。必要最低限の使用人と神官を交替で配置していた」

「みなさんは、ご無事でしょうか」

マリーの言葉に、ヴィンセントは応えない。

あれだけひどい瘴気が蔓延した中にいては、きっと体調を崩す者も出ているはず。

それでもこの場所にジェロームとユイを生かしていたのは、やはりヴィンセントもマリーと同じことを考えているからではないだろうか。

「……決断をしなければならない時機に、来ていた」

それだけぽつりとこぼすと、ヴィンセントは到着したエントランスでその扉に手をかざした。

重厚な扉がひとりでに開くと、内部もまた荒れ果てていた。

宮殿の中に足を踏み入れたマリーとヴィンセントは、荒れ果てた廊下を進んでいく。かつては華やかだったであろう絨毯は埃と湿気にまみれ、壁にかかっていたであろう絵画はすでに朽ち、額縁だけが虚しく残っている。

「こ、これはヴィンセント陛下!」

震える声とともに、一人の老いた使用人が現れた。彼は長年の苦労が刻まれた顔をしており、瘴気の影響か、その歩みはどこかおぼつかない。

「兄と元聖女のもとに案内してくれないか」

「……はい、こちらへ。ご案内いたします」

使用人の言葉にマリーは小さく息を呑む。ヴィンセントはそんな彼女の肩にそっと手を添えた。

「大丈夫だ、マリー」

「ええ。ありがとうございます」

その言葉にマリーは小さく頷き、意を決して歩を進める。

廊下を抜け、重厚な扉の前にたどり着いた。

使用人は戸惑いながらも扉を開き、中へと二人を招き入れる。

「ジェローム殿下がたは……この奥に」

扉の向こうに広がるのは、以前の華やかさを失った、薄暗い部屋。

(……っ、あれが、ジェローム殿下……?)

マリーの視線の先、部屋の奥には年齢以上に老け込んだジェロームが、ぼんやりとした目で壁を見つめていた。かつての威厳は消え去り、やつれた体はただの老人のようだ。

──そして、その奥の寝台には、あの頃の姿で眠るユイの姿があった。

「……では、おふたりの浄化と治癒をいたします」

マリーはそっと二人に近づき、ユイの顔を覗き込む。穏やかな寝顔は、まるで過去のまま時を止めてしまったかのようだった。

そして、マリーには分かった。同じ聖女だからだろうか。

(ユイの身体には……星の光が巡っているわ)

その力が彼女を瘴気から守り、眠らせることでほとんどの機能を停止させて、生命を維持しているようだ。

女神の加護のないジェロームは、代償としてその生命力を奪われているのかもしれない。

マリーは静かに両手を組み、神聖な光を宿した。ヴィンセントが黙って見守る中、彼女はゆっくりと浄化の力を解放する。

黄金の光が静かに広がり、宮殿を包み込む。瘴気が薄れ、澱んだ空気が清められていく。そしてその瞬間、ユイの指がかすかに動いた。

「……」

白っぽかった頬に朱が差す。

ユイのまぶたが震え、やがてゆっくりと開かれた。虚ろな瞳が焦点を結び、光を見た途端、涙があふれた。

「……ぁ……」

弱々しい声が漏れ、彼女はゆっくりと目を開ける。そして、視界に映るマリーを見て、息を呑んだ。

「マ……マリエッタさま……?」

震える声でそう呟いたユイは、瞳を見開いたまま、涙をぽろぽろとこぼし始めた。

「違います。私は……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」

ユイは声を震わせながら、布団の上で身を起こそうとするが、衰弱した体ではうまくいかない。

その姿を見たマリーは、そっと彼女の肩に手を添えた。

「どうか、落ち着いてください」

だが、ユイは嗚咽を漏らしながら、過去の罪を告白し始めた。

「わ、わたし……知らなかったの……! ジェローム様の婚約者になって浮かれていて、でも……ある日……酔っ払って……あの日のことを話して……!」

ユイの顔がくしゃりと苦悩に歪む。幼さの残るそのしゃべり方は、以前のままだ。

マリーがちらりとヴィンセントの方を見ると、彼は戸惑った顔をしてはいたが、ゆっくりと頷いてくれた。

意識が混濁し、マリーのことをマリエッタだと思い込んだユイは「ごめんなさい」を繰り返している。

「……ユイ、あなたは何を知ったの?」

できるだけ、優しく。

全てを聞き取るために、マリーは殊更柔らかく言葉を紡いだ。

「あれは……マリエッタ様が毒を盛ったんじゃなかった……っ! 最初から……全部、ジェローム様が仕組んだことだったの……っ!」

マリーの心臓が大きく跳ねる。ユイは、震える手をぎゅっと胸元に押し当てながら、声を絞り出した。

「わたしは……それを聞いてしまって……何も知らなかったふりをし続けることができなくなった……」

長い間押し殺していたのであろう罪悪感と後悔が、一気に溢れ出す。

「でも……わたしは何もできなかった……! マリエッタ様が冤罪で処刑されたことを知りながら、それを告発する勇気もなく……それどころか、ただ自分を誤魔化して生きることしかできなかった……!」

ユイの嗚咽は、静かな部屋に響き渡る。彼女の告白を聞いたマリーは、静かに唇を引き結び、ヴィンセントは鋭い瞳で沈黙を守っていた。

マリエッタを死に至らしめたこと、信頼していた王子が犯人で、そのために自分に毒を盛ったこと。

ただの十六歳の異世界の少女に背負わせるには重いことだ。

それで彼女は心を病んでしまったのだろう。

「……本当に……本当に……ごめんなさい……マリエッタ様……!」

ユイは絞り出すようにそう言うと、糸が切れたようにベッドに崩れ落ちた。

胸は上下している。これまで最低限の生命力で維持していた身体がいうことを聞かなくなったのだろう。

もっと消耗しているのか、ジェロームの方は深く眠ってしまって目を覚ましもしない。

(……なんだか、呆気なかった)

マリーはその場に膝をついたまま、呆然と虚空を見つめていた。

どうやってユイからあの事件のことを聞き取ろうかとずっと考えていた。ユイが口を噤むことだって充分に考えられたからだ。

それでも彼女は、姿形の似たマリーを完全にマリエッタだと見間違えるほどに狼狽し、取り憑かれたようにして罪を告白した。

浄化と治癒をせず、意識がほとんどないまま眠るようにしていたほうが、もしかしたらずっと楽かも知れなかっただろうに。

そんなマリーのもとへ、ヴィンセントが静かに歩み寄ってきた。そっと膝を折り、彼女の視線に合わせるように顔を近づける。

「……マリー」

優しく名前を呼ばれ、マリーはゆっくりと顔を上げた。

目の前のヴィンセントは、強い意志を宿したまま、それでいてどこかやるせなげな表情を浮かべている。

「……彼女の今の発言は全て魔道具で記録している。瘴気の浄化も済んでいるため、ふたりは重要参考人として城に移送し裁くつもりだ。そして君の──マリエッタの名誉も完全に回復させる」

その顔を見た途端、張り詰めていた何かがぷつりと切れた。

「ヴィンセント……へいか……っ」

震える声でそう呟くと、彼の胸元に顔を埋めるように飛び込んだ。

すすり泣きはすぐに嗚咽へと変わり、抑えきれなくなった涙がとめどなく溢れ出す。ヴィンセントは何も言わず、ただしっかりと抱きとめてくれた。

「マリエッタは……あんなに努力して、あんなに苦しんだのに……っ!」

「君の努力は、僕もいつもそばで見ていた」

「ひどいわ……! 処刑だなんて、そんなことしなくたって、良かったのに!」

「……ああ、どうかしている」

「うっ……ふわ~~ん!」

マリーは幼子のように声を上げて泣いた。

マリエッタの不遇の人生のことを思って。

「すまない、マリー。すまない、マリエッタ……」

ヴィンセントは何度もそう謝罪の言葉を述べて、マリーをぎゅうと抱きしめた。

その腕は強く、まるで今度こそ決して離さないという誓いのようだった。