軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

*閑話・忘れられない面影③

***

十八才になり、国に戻ったヴィンセントが目にしたのは、荒廃した王政だった。

王と共に国をまとめるべき王太子ジェロームは、もはや王宮の執務室にすら姿を見せず、聖女ユイとともに離宮で贅沢を尽くしているという。

父の統治が続いているものの、かつての王宮の威厳はなく、宮廷の者たちはそれぞれが保身に走り、貴族たちは派閥争いに明け暮れていた。

瘴気の問題は一向に解決しておらず、地方領主からの陳情はたまる一方だ。

「……腐っているな」

ヴィンセントは、愕然としながらも冷静に状況を見極めた。

このままでは、王国は緩やかに滅ぶ。

――マリエッタが大切にしていた国は、こんなにも脆く、壊れてしまったのか。

その現実を突きつけられた瞬間、ヴィンセントの中に燃え上がったのは怒りでも悲しみでもなく、ただひたすらに強い決意だった。

幼いころ、ヴィンセントに庭園でハーブの知識を教えてくれた人。夜会でダンスをするという幼い子供のわがままを受け入れてくれた彼女。

その人が今はもういないのなら、せめて彼女が愛したこの国を守ることが、自分にできる唯一の償いなのだと、ヴィンセントは思った。

「この国を、立て直さなくてはならない」

だが、そのためには――父王を廃し、王太子ジェロームではなく自らが王位を継ぐしかない。

そう決意したとき、宮廷の貴族たちは激しく揺れた。

「王位を継ぐなど、あまりに早計ではありませんか!」

「陛下はまだご存命なのですぞ!」

「王太子としての実績を積まぬまま即位など……」

反対の声は多かった。とりわけ、古くから王家に仕えてきた者たちは、未だに父王に忠誠を誓っていた。

だが、同時に多くの者たちが期待を抱いていたことも事実で。

「今の王と王太子では、この国は立ち行かぬ……」

「ヴィンセント殿下ならば、立て直せるやもしれぬ」

「ヴィンセント殿下が即位されるなら、我々も協力いたしましょう」

――王が弱ければ、国は傾く。

貴族たちは、己の生き残りのためにヴィンセントを推す者と、旧体制にしがみつく者とで二分された。

そんな中、ヴィンセントの背中を押したのは、シオドリックの言葉だった。

「ヴィンセント殿下。私は、あなたこそがこの国を背負うべきだと信じております」

シオドリックの父であるマクナイト侯爵は長年国の忠臣であったが、王政の腐敗を目の当たりにし、すでに心を離していたらしい。

兄のように育ったシオドリックが共に立ってくれることに、ヴィンセントは心強さを感じた。

「貴族派の反発もあるでしょう。しかし、国を守るために、決断なさるべき時です」

「……分かっている」

ヴィンセントは目を閉じ、そして決意した。

――父王を王位から退ける。

かつての優しさも、甘さも捨て、王としてこの国を導くのだと。

ヴィンセントが決起を宣言すると、王宮は嵐のように揺れた。

即座に王宮の重臣たちを集め、ジェロームの王位継承権を剥奪することを宣言する。当然、反発する者も多かった。ジェローム派の貴族たちは激しく抵抗したが、すでに彼らの王太子は表舞台に立つことすらできなくなっている。

「ヴィンセント殿下に王位はふさわしくない──!」

「では逆に聞きますが、ジェローム殿下は王太子としての責務を果たせるのですか? ユイ様は王太子妃の器であると?」

「ぐっ、それは……しかしながら……」

「……」

その一言で、彼を支持していた貴族たちの口はつぐまされた。

王太子の任を解かれたジェロームと聖女ユイは、南部の離宮へと移されることが決定した。

南部は瘴気の発生が顕著な地域がある。そこに彼らを送ることに決めたのは、ヴィンセントなりの裁きだった。

きっと王城にいる頃とは正反対の、苦しい暮らしになるだろう。

王宮での彼らの振る舞いはあまりにも軽率であり、すでに人々の信頼を取り戻すことは不可能だったのだ。

「……兄上」

移送する前、ジェロームと話す機会があった。あんなに大きな存在に見えた兄は、どうしてだかとても小さく見える。

「ヴィンセント……! ユイは悪くないんだ。ユイは。悪いのはマリエッタだ。マリエッタの存在のせいだ。ユイが何をしても比べられて馬鹿にされるのは、マリエッタのせいだ」

ユイを庇い続けた男の目に、もはや王太子としての光はなく、ただ空虚な闇だけが広がっていた。

彼はただ、ひたすらにユイを守ることしかできず、その先の未来すら見ていない。

(こんなに小さな男に、なにを怯えていたのだろう)

かつて威厳に満ちていた兄は、もうそこにはいなかった。

ただ、聖女ユイの手を握りしめ、静かに俯いているだけだ。聖女は聖女でずっと視点が合わず、じっとうつむいているのみ。

「兄上。マリエッタ様は本当に処刑される必要があったのですか? 彼女が毒殺を企てるなどあり得ない。兄上と父が企てたのだと私は思っています。証拠がないので今は裁きませんが」

「なにを!」

ヴィンセントの言葉に、弾かれたように顔を上げたのはユイだ。真っ黒の瞳がただじっとヴィンセントを見て、悲しく揺れていた。

事故のショックで口が利けなくなったと聞いた。それでも、この聖女の存在がマリエッタの未来をねじ曲げたと思えば、同情の余地はない。

「うるさいうるさいうるさい!!! ヴィンセントのくせに私に意見するな!」

ジェロームが人が変わったように暴れだし、ヴィンセントに殴りかかろうとする。

その動きよりも速く、ヴィンセントは彼の背後に回って腕をひねり上げた。

それから魔法を使って拘束すると、ジェロームは静かになった。

「──兄上を馬車へ」

ヴィンセントは孤独な隣国で鍛錬にも励んだ。そのおかげで潜在的だったらしい魔力が開花し、父をしのぐほどの力があることが分かった。

でも、全てが遅かった。

彼女が死んでからでは、何の意味もない。

(それでも、彼女のために生きなければ)

──今はまず国を立て直すことが最優先だ。こんな国でも、マリエッタが愛した国なのだ。

彼女がお茶会の時に語ってくれた教育制度や労働環境についての話を、ヴィンセントなりに政策にもまとめている。

そして、それからの数年、ヴィンセントはがむしゃらに働いた。

王位を継承したものの、貴族たちの反発は根強く、国の基盤はしばらく不安定なままだった。

宰相補佐となり側近となったシオドリックの助けを借りながら、王政改革に尽力し、時には敵対する貴族を粛清し、時には妥協し、民のために政策を練り直し、夜を徹して執務にあたる。

貴族会議の場で彼に反対意見を述べた者は数知れず、彼の若さを軽んじる者も少なくなかった。それでも、ヴィンセントは一歩も引かず、ただひたすらに進み続けた。

ヴィンセントは決して優しい王ではなかった。

それでも、民のために動いた。

それこそが、マリエッタが目指した国であり、彼女が果たせなかった夢なのだと、ヴィンセントは信じていた。

彼女が築こうとした未来を、自分が引き継ぐ。

その思いだけが、ヴィンセントを突き動かしていた。