軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

14 瘴気

「彼女が聖女として活動した期間はごくわずかだ。……そうか、君はまだ生まれていないから、彼女が召喚されたことを知らないかもしれないな」

知っている、とは言えず、唇を引き結んだマリーはただ静かに頷く。

マリエッタが──マリーが知らない話が聞けるかもしれない。

「聖女は女神アルトリアの信託により選ばれる。君がもつ【星の光】がそうだ。いつどこに聖女が現れるか、それは誰にもわからない。だが、彼女は違った」

マリーはヴィンセントをじっと見つめる。

知りたかったことを聞ける期待と、あの日のことを思い出してキリキリと痛む胸と。どちらの思いも抱えてここにいる。

「当時、最初の瘴気による被害が国の南西部で発生した。しかし、聖女が現れる兆しはない。そんな折、古い文献に記された【星の巫女】の召喚儀式が、神官たちによって発掘された」

そうだ、あの頃。王城はバタバタとしていて、ジェロームも王も疲れた顔をしていた。マリエッタにはできることがなく、いつもどおりに妃教育に邁進するしかなかったわけだが。

もしかしたら、彼らもその対策に苦慮していたのかもしれない。

「この儀式は一度きりしか行えず、成功率も不明だったが、国を救う最後の手段として試されることになった。そうして、王家と神殿が総力を挙げて異世界から聖女を召喚したのだ」

ラディアント王国に召喚された、異国の少女・ユイ。

まばゆい光を放つその少女を、皆が護っていた。そんな国の威信をかけてのことであれば、彼女が大切にされるのは当然だ。だが、ヴィンセントの説明に疑問が残る。

「聖女と呼ばれていたのであれば、その……その御方にも聖女のお力はあったのですよね?」

あの石版が光り輝くのを、マリエッタも見た。マリーの力が本当に聖女のものなのであれば、石版が反応したユイの力もまた、聖女の力だろう。

それなのに何故、彼女が聖女の役目を果たさなかったと言い切るのだろう。

(だって、ユイはずっと殿下や他の方々と一緒にいたんだもの。聖女の役目についてだって知っているはずで……)

思い出すのは苦い記憶だ。

ユイがもつ異世界の知識を絶賛するジェロームと照れながらはにかむユイ。庭園を散策する二人の姿を、ただ見つめるだけだった日々。

「……そうだな、確かに力はあったのだろう。だがそれも、すぐに失われてしまったが」

「えっ?」

ヴィンセントの言葉に首をかしげた時、馬車がゆっくりと止まった。

「……到着したようだな」

どうやら、目的地に着いたらしい。一番聞きたいところで、ヴィンセントは話をやめて扉を開け、馬車から降りていった。

馬車の扉が開いた瞬間、先程よりもさらに冷えた空気が入ってきて、マリーは思わず身をすくめた。

「陛下! この先が瘴気の影響を受けている場所です。馬車や馬は置いていった方が良いかと思われます」

同行している騎士のひとりが、ヴィンセントの前に立ち、険しい山道を見渡しながら言った。

(すごく、いやな感じだわ)

「これが瘴気……こんなに濃いのですね」

よく目をこらせば、瘴気は目に見える形で漂い、紫がかった霞のように低地から立ち昇っている。

マリーはそれを見た瞬間、全身に寒気を感じた。肌にじわりとまとわりつくような不快感と、生命を削ぐような威圧感。その場にいるだけで息苦しさを覚える。

「マリー様。大丈夫ですか? ここから少し歩くようです」

護衛騎士のデイモンが隣に立ち、心配そうな顔を向けてくる。あんなものが人間にまとわりついてしまえば、きっと正気ではいられないことだろう。

「大丈夫です。早く向かいましょう」

マリーは決意を決めて、デイモンをまっすぐに見た。魔力耐性の高い少数精鋭の騎士と国王本人、それからマリーとデイモン。

こんな少人数で対峙するのも不思議だが、瘴気については大人数でかかっても無意味らしい。

最初に発見した住人たちがなんとかしようとして、ことごとく病に倒れたこともあるとシオドリックが教えてくれた。

「無理はするな。倒れられてはこちらが困る。では、向かうぞ」

「「はい!」」

ヴィンセントの冷静な声が響き、それに騎士たちが追従する。

隊列を組み、マリーは真ん中より少し後ろのところを歩くことになった。ヴィンセントは瘴気を恐れる様子もなく、一行の先頭で進んでいく。

その広い背中に成長と安心感を覚えたものの、すぐに任務の重大さを思い出して身を引き締めた。

到着した場所は、山間の広場だった。

(なんてことなの。瘴気に触れると、朽ちてしまうのね)

かつては住民が集う場所だったのだろう。しかし今は瘴気の影響で荒れ果て、草木は枯れ、土は黒ずんでいた。

朽ちた木々の間に倒れた石像が転がっており、その悲惨さがこの地の苦境を物語っている。

「ここが中心部か。聖女殿、始めてくれ」

周囲を窺うヴィンセントが、マリーの方を見る。

マリーもしっかりと頷いて、瘴気に集中した。

深呼吸をして目を閉じる。聖女の力を解き放つ準備をするために、心の中で強い祈りを捧げる。

(瘴気よ、消えて。この地に暮らす人々に、安寧を──!)

ざわり、と。周囲の空気が変わったことがマリーにも分かった。

マリーの周囲に淡い光が漂い始め、それが次第に強さを増していくと、瘴気を切り裂くように風が吹き始める。

空気が清められてゆくからか、呼吸も楽になっている。

「……アストリア様。どうか、穢れを浄化してください」

マリーの声が静かに響き渡ると、光はさらに強く輝いた。

その瞬間、瘴気が音もなく消え去り、枯れた草木が少しずつ緑を取り戻していく。

「これは……!」

「なんという清浄な……」

周囲にいた一行はその光景に息を呑む。あんなに荒れ果てていた大地が、草木が。確かに蘇ってゆく。

息苦しいほどだった空気も、いつのまにか清涼さを取り戻し、太陽の光が差すと、宝石を散りばめたかのようにきらきらと輝く。

しばらく集中した後、マリーは額に汗を浮かべながらゆっくりと目を開けた。

「これで……終わり、ですか?」

ものすごい疲労感で、どうなっているのかよくわからない。

ただ分かるのは、花壇を復元したときや、ヴィンセントを治癒したときとはちがう、力の消費量だ。

身体の中から、なにかがごっそりと吸い取られるようなそんな感覚に襲われながらも、なんとか足を踏ん張って、引きずられることがないようにと腹に力を入れた。

「ああ。この一帯にかかっていた靄は全て消えたように思える」

ヴィンセントが近づき、短く言葉を漏らした。その声には、いつもの冷たさの中に微かな驚きと称賛が混じっていた。

「瘴気が完全に浄化された……あなたの力は本物だ」

「ふふ、陛下にそう言っていただけるなんて光栄です」

マリーは疲れを隠すように微笑みながらも、ヴィンセントの表情に一瞬だけ優しさが垣間見えたのを見逃さなかった。やっぱりヴィンセントは優しい人だもの。

聖女という存在を嫌いながら、それでも聖女であるマリーを尊重しようとしてくれている。

「マリー様、ありがとうございました!」

「この先の湖は本当に美しい場所だったのですが、瘴気が発生してからは誰も近づけなくなっておりまして……感謝いたします!」

騎士たちがマリーに駆け寄り、謝辞を述べる。どうやらこの辺りのことをよく知っている人たちもいるようだ。

出発するときにはマリーの力について半信半疑のようだった彼らも、今はマリーに笑顔を見せてくれていることがとてもうれしい。

「よかったです」

マリーは、そこでようやく深い息を吐いた。

「マリー様! 大丈夫ですか? 休んだ方がいいのでは」

マリーの元に駆け寄ってきたのはデイモンだった。少しふらついたところを見つけられていたのか、心配そうに声をかけてくる。

ここまで長距離の移動だったこと、任務が成功するか実はずっと気が張っていたこと、それから瘴気に初めて触れたこと。

(そうね……いま、とっても眠たいわ)

マリーはとても疲れていた。これが聖女の力の反動なのだろう。

すぐにでも瞼を閉じたいけれど、ここでぐにゃりと眠ってしまう訳にもいかない。

「さっきの浄化……身体に負担はないのか?」

「ご心配ありがとうございます。少し疲れましたが、これも聖女の務めですから」

「……そうか」

ヴィンセントは短く返しながら、遠くの景色に目を向けた。その横顔は冷たく見えるが、どこか物思いにふけるようでもあった。

「大丈夫です。馬車に戻ったら少し休みたいと思います」

馬車までは堪えよう。そう決めた。

マリーはこめかみの辺りを人差し指と中指でグッと押す。眠たいときにはこうしてよく眠気覚ましをしていたものだ。ヴィンセントがどこか驚いた顔をして、それから表情をきゅっと引き締める。

「……瘴気の浄化を確認した。迅速に聖女殿を休ませる。帰路につくぞ」

「「はい!」」

ヴィンセントの指揮の下、一行はこの場を引き返すことになった。

もう少し頑張れば終わり。マリーの緊張がふっと緩む。

しかし、その瞬間、

「グオオオオオン!!!!」

突然森の奥から低い唸り声が響いた。

デイモンが即座に剣を抜き、ヴィンセントがマリーの前に立つ。

「魔獣だ!」

「瘴気にやられている個体かもしれない、警戒を怠るな!」

他の騎士も叫び、辺りを警戒する。その獣のものらしいざくざくとした足音は次第に大きくなる。

マリーが身構えた時、瘴気に当てられて狂暴化した大きな狼のような魔獣が、茂みの向こうから飛び出してきた。

「っ!」

魔獣が飛び出してきたのは、ちょうどマリーの真横だ。前方で警戒している騎士たちでは間に合わない。

マリーはその場で動けなくなったが、ヴィンセントは一瞬の躊躇もなく手を前に突き出した。

「退け!」

ヴィンセントの冷徹な声が、空気を切り裂くようだった。

「ギャオオオン……!」

その瞬間、赤い炎が彼の手から生まれ、魔獣を包み込んだ。

圧倒的な熱量と光が辺りを照らし、魔獣の唸り声は消え去る。ヴィンセントの手から放たれた炎が消えると、魔獣だったのものは真っ白な灰になった。そしてあっという間に森のすべてが静寂に包まれる。

「……すごい」

マリーは思わず呟いていた。ヴィンセントがこんなに強い炎の魔法を使えるだなんて、知らなかった。

『魔力はそんなに強くないんです』といって、あの子は恥ずかしそうに笑っていた。

マリエッタも、当時は強い力を持ってはいなかった。地味な土魔法しか使えず、そのことで両親から嘆かれることもあったけれど、努力でなんとかカバーできていたのだ。

「瘴気が浄化されても、すでに完全に穢れてしまったものは元に戻らないのだろう。総員油断するな。次が来る可能性もある」

「はっ!」

ヴィンセントの冷静な言葉に、騎士たちは力強く返す。

彼の言葉にマリーもはっとして、再び気を引き締める。だが、もうそろそろ限界かもしれない。

「聖女殿、大丈夫か。おい、聖女殿──!」

ヴィンセントがマリーを呼ぶ声がどんどん遠くに聞こえる。

(だめ、ものすごく眠い……)

最後にマリーに必死に話しかけるヴィンセントが見えた気がするが、今度こそ本当に限界だ。眠すぎて。マリーは目を閉じ、倒れるようにして眠りについた。