軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

プロローグ 処刑された侯爵令嬢

侯爵令嬢マリエッタ・ハフィントンは、かつて王宮で誰もが憧れる存在だった。

金糸のような髪は陽光を浴びるたびに柔らかくきらめき、その青い瞳は澄んだ湖のように深く清らか。

高く通った鼻梁と形の整った唇は、まるで絵画から抜け出したかのように整っている。一目で誰もが美しいと認める容姿を持っていた。

だが、その美貌の背後には、かすかな陰りが漂う。

それは彼女の持つ生来の優雅さと誇り高さを覆い隠すほどではなかったが、どこか疲れを感じさせるものだった。

「……これが侯爵家の娘の所作か? 恥を知れ、マリエッタ」

「申し訳ありません、お父様」

家庭での厳しい教育と冷たい両親のもとで育った彼女は、努力することを宿命づけられ、完璧であることを求められてきたのだ。

マリエッタは侯爵家の令嬢として期待されながらも、冷たい家庭環境に苦しんでいた。

厳格な父アルベルトは、マリエッタの言動に対して常に厳しい目を向け、些細な失敗も容赦なく叱責した。

「お前の一挙一動は注目されている。私に恥をかかせるな。いいな?」

「はい。気を付けます」

「全く。カミラは何をしているんだ」

些細なこと――たとえば、グラスを持つ指の位置やわずかな食器の音。ほとんど完ぺきに見える中でも侯爵は眉をひそめた。

父は執事や使用人たちが見守る中で彼女を罵り、厳しい視線でさらなる完璧さを求める。

父の視線が母のカミラに向く。

カミラはそれを受けて、鋭い視線をマリエッタに向けた。どうしてそんなことも出来ないのかと、責めるような目で。

罵倒される訳ではない。ただただ冷たい視線を向けられることが、マリエッタにとっては苦しかった。

幼い頃からマリエッタが話しかけても、母は目を合わせず、ため息交じりに返答することが多い。

時には返事すらないこともあり、空気のように扱われることが日常だった。

どうしてそんなこともわからないの?

そう暗に言われているようで。

「あなたのために厳しくしているのよ。期待に応えなければ、誰もあなたを認めないのだから」

「……はい、お母様」

時折告げられる母の言葉は一見正論に聞こえたが、その裏には突き放すような冷たさがあった。

幼い頃から、マリエッタはどうすれば家族に認められるのかを模索し続けてきた。

刺繍、ピアノ、舞踏、礼儀作法――どの分野でも他の令嬢に劣らないよう努力した。

だが、どれだけ頑張っても「これが当然」という一言で片付けられ、褒められることは一度もなかった。

そんな孤独な日々の中で、第一王子ジェロームの存在は、マリエッタにとって唯一の希望だった。

「マリエッタ。君のような素晴らしい人と出会えたことを幸運に思うよ」

顔合わせの日、ジェロームは甘やかに微笑んでそう言った。

「ジェローム様。わたくしも、国のために尽力いたしますわ」

「頼もしいね。一緒の目線で国をよくしていこう」

「……はい!」

マリエッタの頬が紅色に染まる。

ほどなくして、第一王子ジェロームとの婚約が発表された。マリエッタが十四歳になった時のことだ。

全てを兼ねそろえたマリエッタが選ばれたことに異議を唱える者は誰もおらず、彼女の未来は、祝福されるべきものと誰もが信じて疑わなかっただろう。

ジェロームからかけられた温かな言葉は、優しさに飢えていたマリエッタの心を癒やす。

(この御方のために、尽くしたい)

舞い上がって、彼の婚約者としてふさわしい令嬢であろうと一層努力した。

王子の婚約者になることを切望され続けていたマリエッタを、やはり両親はいたわることは無かった。

選ばれて当然だと、告げられただけ。

むしろ妃教育も相まって、マリエッタに対する厳しさは増したようにも思える。

夜会に出席するたび、マリエッタの存在は常に注目を集めた。

豪華なドレスを纏った姿は、まるで妖精のように輝いて見えた。

特にジェロームが隣にいる間は、彼が彼女の魅力を引き立てる存在であり、逆もまた然りだった。

「ご覧、マリエッタ。みんなが美しい君を見ているよ」

「ジェローム様……そんな、恥ずかしいですわ」

「かわいい人だね」

ジェロームはいつも優しく、マリエッタが欲しい言葉をくれた。

ふたりは仲睦まじく見えたし、実際にそうだったのだ。

少なくともマリエッタは、職務に邁進するジェロームのことを支えようと心から努力したし、愛していた。

そしてジェロームも、そんなマリエッタのことを好ましく思っていた──はずだった。

マリエッタの世界は、聖女召喚の儀式の日を境に一変する。

教会の地下の一室で執り行われた聖女召喚の儀式に、マリエッタも同席していた。

聖女しか祓うことの出来ない瘴気と呼ばれるものの発生報告が増え、今世には聖女が誕生していない。

そんな理由から、異世界から聖女を召喚することになったらしい。

眩い光が落ち着き、部屋の中央に描かれた魔法陣の上には、ひとりの見知らぬ女の子がいた。

「陛下、ジェローム殿下。聖女召喚成功です!」

「ああ……確かに、見た事のない服を着ているね」

「良くやった」

黒髪黒目の少女――異世界から召喚されたという聖女ユイが現れたとき、王宮中が歓喜に沸いた。ジェロームも例外ではなく。

「はじめまして、聖女殿」

彼はユイの手を取ると、まるで宝石を見つめるような眼差しで彼女を見つめている。

聖女は怯えていたように見えたが、ジェロームの笑顔に少しホッとしたようだった。

そして、ジェロームの態度はその日を境に変わり始める。

マリエッタの美しさは変わらずとも、ジェロームの視線が彼女に向けられることはなくなり、その視線はいつもユイに向けられていた。

「……マリエッタ、聖女様に失礼のないようにね」

ある夜会で、ジェロームが窘めるようにマリエッタに告げた言葉だ。

「……はい、心得ております」

「気を付けるんだ。聖女はこの国のために在るんだからね」

それは注意ではなく、どこか突き放すような響きを帯びていた。

マリエッタがジェロームの隣に座ることが次第に減り始めた頃、聖女ユイが頻繁に王宮に招かれていると耳にすることが増えた。

ある日、妃教育のために城を訪れていたマリエッタは、王宮の庭園を散策するジェロームとユイの姿を見つけた。

彼女は儀式の場だけでなく、日常の食卓や庭園での散策にもジェロームと同行するようになっていたのだ。

「ユイ、君の考え方は実に興味深い。異国の風習や知識をもっと聞かせてほしい」

ジェロームはユイに微笑みかけながら、親しげな声で話しかけていた。

その瞳には、かつてマリエッタに向けられていた温かさが宿っている。マリエッタはそれを見て胸が軋むのを感じたが、表情には出さなかった。

ユイもまた、王子の興味に応えるように静かに微笑む。

「ありがとうございます、ジェローム様。でも、私が知っていることなど取るに足りません。この国には素晴らしい文化と歴史があるのですから」

謙虚ながらもどこか自信に満ちたその言葉に、ジェロームは深く頷いた。

「いや、君の話はいつも新鮮だ。この国に新しい風を吹き込む存在は、まさに君のような人だろう」

すっかり二人の世界で、近くの渡り廊下の陰にいるマリエッタのことなど微塵も気がついていない。

かつては自分がジェロームの関心を引こうと必死になり、共に未来を語り合ったことを思い出す。しかし、今ではその役目をユイに奪われてしまったのだ。

そのまた別の日。

マリエッタは庭園の木陰で、ジェロームとユイが二人きりで語り合っているのを見かけてしまった。

彼はまるでユイの一挙一動を心に刻みつけるかのように見つめていた。

「君がこの世界に来てくれたことは、きっと神の導きだ。僕はそう信じている」

そう言って、彼はユイの手をそっと握り締めた。ユイは驚いたような顔を見せたが、やがて控えめに笑みを浮かべ、その手を握り返している。

「ジェローム様がそうおっしゃってくださるなら、私は精一杯この役目を果たします」

マリエッタはその場から立ち去ることもできず、木陰でじっと足を止めた。

視界がぼやけ、涙が頬を伝う。マリエッタはこのとき初めて、自分の婚約者が取り戻せないほど遠くへ行ってしまったことを悟った。

この日を境に周囲の視線も冷たくなる。

特にジェロームの近侍たちは、聖女を慕うあまり、マリエッタの存在を疎ましく思うようになった。

「……侯爵令嬢も所詮、聖女様の足元にも及ばないのだな」

「ユイ様は可憐で守ってあげたくなるよなあ」

「ジェローム様のお気持ちもわかる。聖女様がいらっしゃれば国も安泰だろう」

そんな陰口が聞こえてきたこともあった。

それでもマリエッタは耐えた。次第に冷たくなるジェロームを見て、心が痛むことはあっても、侯爵家の娘としての誇りが彼女を支えていた。

だが、その誇りも、踏みにじられる。

「マリエッタ、お前がユイを陥れようとしたことは、許されない!」

ジェロームがそう告げたのは、夜会で起きたとある事件のすぐあとだった。

マリエッタには身に覚えのないことだったが、聖女を慕う者たちはその噂を信じて疑わなかった。マリエッタの釈明の声は誰の耳にも届くことはなかった。

ジェロームがいつの間にか聖女を「ユイ」と愛おしげに呼んでいることも、もはや些末なことだ。

「婚約を破棄する。そして、お前にはその罪に見合う罰を受けてもらう」

「殿下、わたくしは誓ってユイ様には何もしておりません……!」

「見苦しいぞ、マリエッタ!」

「っ!」

その言葉を放つ元婚約者を、マリエッタは光を失った瞳で見つめた。

ほどなく冷たい地下牢に閉じ込められ、誰も来ないこの場所で最後の裁きを待つ日々。

かつての華やかな生活は跡形もなく消え去り、孤独と絶望だけが彼女を包み込む。

「何か言い残すことはないか」

処刑人の淡々とした口調に、マリエッタはゆっくりと首を振る。

何を言っても、彼らには届かないと分かっていたから。

まぶたを閉じ、この世界を見ることをやめた。

雷鳴がとどろき、雨が石畳に打ち付ける。ずぶ濡れになって地面に張り付くマリエッタを、城内の安全なところからジェロームたちが見ているのだろうか。

耳をつんざくような轟音を響かせて雷が落ちる。

それと同時に、十六歳のマリエッタの人生はあっけなく終わりを迎えた。

『次の人生では、ただ静かに暮らしたい』

そう願いながら。