軽量なろうリーダー

必要がなかったので

作者: 唯乃

本文

シャンデリアの輝きが、煌々とフロアを照らしていた。

王立学院の卒業パーティー。華やかな音楽が止まり、静寂が会場を支配している。

「アデライド・フォン・ブラウエル。貴様との婚約を破棄する!」

第二王子、カイルの声がフロアに響き渡った。彼の傍らには、可憐な花のような令嬢、ソフィアが肩を震わせながら身を寄せている。

「ソフィアに対する度重なる嫌がらせ、執務の妨害、そして数々の不敬……。貴様の罪は、この場にいる者たちの証言で既に明らかだ。何か言い残すことはあるか?」

カイル王子の背後には、証人たちが「正義」を確信した顔で控えていた。周囲の貴族たちも、冷ややかな視線をアデライドに向ける。これまでに流布されていた「アデライドの悪行」の数々が、今この場で公式なものとして確定しようとしていた。

アデライドは、淡い青のドレスの裾を乱すこともなく、ただ静かに立っていた。

彼女の瞳は、凪いだ海のように平穏だった。

「……承知いたしました」

一言、それだけだった。

声に震えはなく、恨みも悲しみも、焦りすらも混じっていない。

「カイル殿下、ならびにソフィア様。婚約破棄のご意向、謹んでお受けいたします。これ以上、私がこの場に留まるのは不調法かと存じますので、失礼させていただきます」

深々と、完璧なまでの礼。

アデライドはそのまま背を向け、出口へと歩き出した。

誰もが、彼女が泣き崩れるか、あるいは狂ったように反論を叫ぶのを期待していた。だが、彼女は何も言わず、何もせず、ただ「去る」という選択をした。

その背中に向かって、ソフィアが勝利を確信したような、優越感に満ちた声をかけた。

「……アデライド様、あんなに酷いことをなさったのに、最後まで謝罪もいただけないのですね。でも、私は許しますわ。殿下さえ、信じてくだされば」

「あぁ、ソフィア。お前はあんな性悪女でさえ許そうというのか。何て慈悲深い」

カイル王子がソフィアの腰に手を回し、これ見よがしに身を寄せる。

しかし、アデライドは立ち止まることさえせず、ホールを後にした。

アデライドが社交界から姿を消して数日。

ソフィアは、かつてないほど饒舌だった。

彼女を囲む令嬢や文官候補の生徒たちに、彼女は「いかにアデライドが恐ろしかったか」を、事細かに語り続けていた。

「あの日、図書室の裏でアデライド様に呼び出されましたの。十人もの使用人に囲まれて、私の教科書をすべて破り捨てられたのですわ。その時、アデライド様は『私に逆らうなら命はない』と……」

ソフィアが涙ぐむと、周囲からは同情の声が上がる。

しかし、その中のひとりが、ふと小首を傾げた。

「……ソフィア様、その事件は三週間前のことでしょうか?」

「ええ、そうですわ」

「その時期のアデライド様は、王室からの依頼で隣国の外交文書を整理するため、一週間ほど登校されていなかった気がするのですが……」

ソフィアの頬がわずかに引きつった。

「そ、それは……! あ、そうです、正確には二週間前でしたわ。私の記憶違いです。でも、破られた教科書はカイル殿下もご覧になっていますもの!」

その言葉を受けて、周りの令嬢たちがざわめき始める。

「二週間前?」

「あれ、でも、二週間前って、まだ教科書配布前では…」

「…日付の間違いくらい、誰でも」

「ショックで記憶が少し歪んでいるだけではないでしょうか?」

ソフィアは焦っていた。

アデライドが何も反論せずに消えたせいで、自分の言葉だけが「証拠」としての全責任を負わされている。彼女を完璧に悪人に仕立て上げなければ、自分の「被害者」という立場が揺らいでしまう。

翌日、ソフィアはさらなる補強証拠を提出した。

「アデライド様が昨年度の会計報告を書き換えているのを、事務官のバド君が見たと言っています。そして、その証拠の書庫への入退室記録ですわ」

カイル王子の前で示されたその書類。

それを見た一人の文官候補生が、眉をひそめた。

「……アデライド様は、会計事務のお手伝いもされていたので、書庫への入室記録があるのは当たり前なのですが…」

「…っ、ですが、事務官のバド君が、アデライド様の不正を、確かに見たと言ってます!」

ソフィアの声が少しずつ高くなっていく。

「証拠」を増やせば増やすほど、その整合性を保つための「言い訳」が必要になった。

そして、そのことが更にソフィアの焦りを加速させていく。

一週間が経つ頃には、ソフィアの主張する被害の総数は三十を超えていた。だが、それらを時系列に並べると、アデライドは一日に三カ所で同時に悪事を働かなければならない計算になっていた。

「ねえ、ソフィア様の話、色々と噛み合ってないと思わない?」

中庭で、令嬢たちがひそひそと囁き合っていた。

ソフィアの語る物語は、聞くたびに脚色が増え、登場人物が変わっていた。

この間、アデライドが一切何も言わず、沈黙を守り続けていることが、逆に不気味なほどの説得力を持ち始めていた。

そんな中でも、カイル王子は頑なにソフィアを信じていた。

「彼女は繊細なのだ。記憶が多少前後することもある」と。

そして、その日がやってきた。

ソフィアの「勝利」を盤石にするための、最終確認の場。

カイル王子の執務室には、学院の教授陣、数名の高位貴族、そして記録を司る文官たちが集まっていた。

ソフィアは、アデライドがいかに自らを虐め倒し、更には組織的に執務を妨害したかを、自慢げに説明し始めた。

「……そして、こちらがアデライド様が独断で進めようとしていた不正な契約書の控えです。私が偶然、彼女の机の引き出しから見つけたものですわ」

突き出された紙束。

それを受け取ったのは、数十年間にわたり王宮の公文書を管理してきた老文官だった。

老文官は眼鏡をずらし、じっくりと紙面を見つめた。

そして、冷徹な声で言った。

「……ソフィア様。この契約書の印、ブラウエル家の『家印』ではありませんね」

「えっ? あ、それは……彼女が偽造した印を使ったのだと思います!」

「では、こちらの透かしはどう説明されますか? この紙は、先月王立製紙場から出荷されたばかりの新型です。しかし、あなたが主張するアデライド様の『不正』は、三年前から行われていたとのこと。時を遡って紙を入手したとおっしゃるのか?」

「それは……! あ、おそらく、記録の写しを後から作ったのでしょう! あ、いえ、そうではなく、えーと、そう! 本物は彼女が破棄したから、私が再現するために……!」

「再現、ですか? 先ほど説明では『これが実物だ』と仰っていましたな」

室内が凍りつく。

ソフィアは顔を真っ赤にし、カイル王子の袖を掴んだ。

「殿下! 私、私はただ、皆様に分かりやすく説明しようと思って、少しだけ、証拠を補強しただけなんです! 事実なんです、彼女が悪女なのは事実なんです!」

「……補強?」

カイル王子の顔から血の気が引いていく。

「補強」という言葉は、「捏造」と同義だ。

「つまり、この証拠の一部は、あなたがご自身で用意された……ということですか?」

文官の問いに、ソフィアはさらに墓穴を掘った。

「そ、そうです! あの日、アデライド様がいじめを働いたのは事実ですから、それを証明するために、似たような状況を再現した書類を作っただけで……。あ、でも、あの日の証言をしてくれた生徒たちだって、私が少しだけ記憶を整理してあげたら、みんな協力してくれて……」

もう、修復不可能だった。

ソフィアが口を開くたびに、これまで彼女が積み上げてきた「証拠」が、音を立てて崩れていく。

証人たちの証言が不自然に一致していた理由。

書類の不備。

ありえない時系列。

そのすべてが、ソフィアという一人の少女の「創作」という一本の糸で繋がってしまった。

カイル王子は、呆然と椅子に座り込んだ。

自分が婚約破棄を突きつけた相手は、この綻びだらけの嘘に一度も反論せず、ただ静かに受け入れて去った。

その理由が、今さらながら彼の脳裏をよぎった。

ソフィアの言葉を信じる者は、誰もいなくなった。

彼女が廊下を歩けば、人々はさっと道を開け、視線を逸らす。それは「悪女への畏怖」ではなく、「虚言癖のある者への憐れみ」だった。

彼女はその後、さらに被害妄想を悪化させ、カイル王子や例の件の老文官も口撃の対象としていたが、もはや誰一人として彼女の言葉を信じる者はいなかった。

最終的には病気療養という名目で領地に引きこもり、社交界から事実上追放された。

カイル王子もまた、自らの「見る目のなさ」を露呈した形となり、王位継承順位に大きな影を落とした。 彼を擁護する声は消え、側近たちも蜘蛛の子を散らすように去っていった。

数ヶ月後。

ブラウエル家の離宮で、庭園の緑を眺めながら茶を嗜むアデライドのもとを、かつての学友の一人が訪ねてきた。

「アデライド、あんなに酷い言いがかりをつけられて……どうして何も言わなかったの? あなたが一度でも『嘘だ』と言えば、この騒動はあんなに長引かなかったはずなのに」

アデライドは、ティーカップをそっとテーブルに置いた。

その仕草は、卒業パーティーの夜と変わらず、優雅で隙がなかった。

「……必要がなかったので」