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好きな子ほどいじめたい? そんな婚約者不要です、成人したら国外逃亡しますね

作者: 冬月子@書籍化決定!悪役令嬢のダイエット革命5/1発売

本文

地味で目立たない男爵令嬢アデル。

容姿も平凡で、赤毛の橙色の目。背丈は小柄で、お世辞にもスタイルは良いとは言えない。取り柄といえば――幼い頃から没頭してきた錬金術だけ。

そんな彼女には婚約者がいた。同じ男爵家の次男であるレオンハルトだ。

家同士は親しく、いわゆる幼なじみという関係だった。容姿端麗で、背は高く肩幅もがっしりとしている。剣の腕は一流。すでに王立騎士団から声がかかるほどの逸材で、周囲の評価はすこぶる高かった。

「あんなにも完璧なレオンハルト様が婚約者だなんて、アデルは本当に幸せね」

誰もが羨む婚約だと、口を揃えて言った。容姿も才覚も申し分ない、そんな彼と結ばれる未来は、令嬢にとってこの上ない幸福だと。

ーーだが、アデルにとっては最悪な婚約だった。

たとえば――アデルもレオンハルトも通う、貴族の子息子女が学ぶ王立学園でのことだ。

廊下ですれ違えば、わざと周囲に聞こえるような大声で呼び止められる。

「アデル、登校してたのか。気づかなかったぜ」

「……おはよう」

内心むっとしながらも、アデルはそれを押し殺し、かろうじて挨拶を返した。

「おー、はよ。今日も地味だな。背景に溶け込む才能だけは一流だ」

次の瞬間、廊下にどっと笑いが広がった。

「ちゃんといるわよ……」

思わず零れた言葉は、あまりにも小さく、すぐに笑い声にかき消された。

「ははっ、聞こえねえって。小さいのは身長だけじゃなくて声もかー? もうちょい頑張れよ」

軽く肩をすくめるレオンハルトに、取り巻きが調子を合わせる。

「やめとけよ、泣かせたら面倒だろ」

「そうそう、婚約者なんだしな」

止めているふりのその声さえ、どこか楽しげで。

こんなふうにアデルは、学園でことあるごとに嘲笑の的にされていた。

言い返すこともできず、ただその場を立ち去るしかない。くすくす、ひそひそ。遠慮のない視線に晒されて、頬っぺたはじんじんと熱を帯びて、痛みさえ覚えるほどだった。

授業中でも、レオンハルトの態度は相変わらずだった。

それは、アデルの唯一の拠り所とも言える錬金術の時間でさえ、例外ではない。

教室の最前列。教師が手にしたフラスコで、薬液の反応を生徒たちに披露していた時の事だ。

その繊細な変化を見つめながら、アデルは息をひそめるように迷っていた。このまま黙っていれば、波風は立たない。――けれど。

(うーん、先生のやり方よりも……きっと)

彼女は勇気を出して、声を上げた。

「あ、あの……! その反応は、温度を下げるより……触媒を変えたほうが、安定すると思います」

声はか細く、それでも確かに、教室の空気を揺らした。その、次の瞬間。

レオンハルトは待っていたかのように口の端を吊り上げた。

「へえ、そんな理屈があるのか? 聞いたことねえけどなあ。さすがアデル先生だ」

わざとらしく言いながら、彼はぱちぱちと大げさに手を打つ。それを合図に、周囲から笑いが広がった。

誰も、止めない。教師でさえ、ただ曖昧に視線を逸らすだけだった。胸が、ぎゅっと縮む。何かを言い返す勇気はもう何処にもなく、アデルは俯くしかなかった。

舞踏会でも同じだ。学園の生徒たちを集めた舞踏会が開かれ、アデルは婚約者のレオンハルトと共に参加していた。

けれど、最初の一曲だけは形式通りに踊ったものの……。曲が終わるや否や、彼はアデルをその場に残し、別の令嬢と踊り始めた。

「あんな地味な婚約者とずっと付き合ってられねえよ」

酒気を帯びた声で、わざと聞こえる距離で零される愚痴。

「可哀そうにね」と同情めいた声に、アデルは溜息をつくしかない。

「本当はさ、アデルと結婚なんて御免だけど……幼なじみだし、親同士が決めたことだしな。断れねえんだよ」

軽く笑いながら放たれたその言葉が、アデルの心臓をえぐった。

レオンハルトに無碍に扱われる度に、アデルの精神は擦り切れていく。

彼女が「意地悪な事ばかり言うのはやめてほしい」と何度言っても、レオンハルトはへらへらと笑うだけ。

「冗談だろ? 本気にすんなよ」

そんな婚約者に耐えられなくなって、勇気を振り絞って両親へ訴えた。けれど返ってきたのは、困ったような、それでいてどこか微笑ましげな表情だった。

「好きな子ほどいじめたくなるのは、男の子の性分だよ」

「そうそう、だから許してあげなさい」

――は?

アデルの頭の奥で、何かがぷつりと音を立てて切れた。

(好きなら、優しくすればいいでしょう!?

どうして傷つけられる側が理解を示してあげて、なおかつ耐えなければならないの? 笑ってゆるしてあげるだなんて、そんなの無理!

それが“愛情”だというのなら、あまりにも一方的すぎる!)

そもそも、レオンハルトは本当に自分を好いているのだろうか。

優しさの欠片も見せない彼の態度を思い返すほどに、その疑問は大きくなった。

けれど。

どれだけ抗議しても、婚約は白紙にならない。家同士の約束は重く、未成年の娘に決定権はなかった。

「レオンハルトと結婚するくらいなら、一生独身の方がマシよ……! でも、このままじゃ本当に結婚させられる……」

机に突っ伏しながら、アデルは必死に考える。

娘は親の管理下にある存在。だから自身の意思で婚約を破棄するのは難しい。

けれど成人すれば、戸籍を抜ける権利が生まれる。

(――それまで、逃げ切ればいいのでは?)

ひとつのアイデアが、稲妻のように閃いた。

得意の錬金術。

それは彼女が唯一、自力で掴み取った力だった。その腕を武器に、国外の錬金術研究機関へ留学すればいい。名目は研鑽のため。けれど本当の目的は、結婚を先延ばしにするための時間稼ぎのために。

こうしてアデルは、自分の未来を守るために動き出した。

そして、がむしゃらに勉強をして、留学の推薦を勝ち取ったのだ。

***

レオンハルトは、アデルの留学を快く思ってはいなかった。

国外へ数年。

しかも錬金術の研究だなどと聞こえはいいが、要するに自分の手の届かない場所へ行くということだ。

面白いはずがない。

だが、アデルがわざわざ頭を下げて願い出てきたので、仕方ないから許してやった。

「お願いします。留学を許してください」

そこまで言うのなら、と彼は恩着せがましく頷いたのだ。

帰国後に結婚する、という約束も取りつけた。最終的に自分のもとへ戻るのなら、今は目をつぶってやってもいい。

アデルが結局は自分との結婚を望んでいることを、彼は疑いもしなかった。周りの人間もアデルは恥ずかしがってるだけだと言っていた。彼自身、自分が優良物件だという自覚もあった。望めばいくらでも縁談は舞い込む立場だ。

今は少し反抗的でも、必ず最後には自分のもとへ戻ってくる、と信じていた。

「まあ、家庭に入るまでの自由くらいは許してやろう」

理解のある婚約者を演じる自分に、どこか満足していた。

度量の広い男だ、と。

ーーそう思っていたのに。

約束の年になっても、アデルは帰ってこなかった。

代わりに届いたのは、あまりにも簡潔な知らせ。

成人と同時に籍を抜いたこと。

祖国には戻らないこと。

理由は、ただひとつ。

“愛する人を見つけたので。”

その一文に、レオンハルトは愕然とした。

「は、はあ!? どうしてだ? アデルも俺のことが好きなんじゃないのか――くそ、嘘だろ!」

紙を握る手に、無意識に力がこもる。

脳裏に浮かぶのは、あの日の彼女だ。「いい加減、意地悪なことばかりを言うのを止めて!」と、頬を真っ赤にして抗議していた姿。

……まさか、あれは本気で嫌がっていたのか。なんだかんだ構ってもらえて喜んでいるのだと、勝手に思い込んでいただけなんて、今更になって気が付く。

レオンハルトは、アデルのことを本気で疎ましいと思ったことなど、一度もなかった。

地味だなんて、そんなふうに感じたこともない。

むしろ、彼の目には彼女は誰よりも愛らしく映っていた。

ただ、顔を真っ赤にして怒る、その姿が可愛くて。むきになって言い返してくるのが面白かった。

だから、つい。ほんの少しからかっただけのつもりだったのに――。

一方、アデルの両親もまた、その報せを前にして言葉を失っていた。娘は本心からこの結婚を望んでいなかったのだと、ようやく理解したのだ。

「嘘……もう二度と帰ってくるつもりはないって」

書簡を握りしめた母の指が、かすかに震える。父は何度も同じ一文を読み返し、やがて力なく椅子に腰を落とした。

あのとき真剣に耳を傾けていれば。「好きだから仕方ない」などと軽く流さなければ。

「こんなことで、たった一人の娘を失うなんて……」

けれど、後悔してももう遅い。

彼らの声は届かない、遠い海の向こうにアデルはいた。

***

留学を終えたアデルは、祖国へは戻らなかった。

帰国の船が静かに汽笛を鳴らすのを背に、アデルはその乗船口には向かわず、代わりに選んだのは、さらに遠い異国へ向かう便だった。

――彼と、一緒に。

錬金術の研究に没頭する日々は、想像していた以上に充実していた。

薬品の匂いが染みついた研究棟。夜更けまで灯りの落ちない実験室。同級生たちと理論を戦わせ、失敗に肩を落とし、成功に歓声を上げた。

何より――あの意地の悪いレオンハルトはいない。だからこそ、アデルは心から、大好きな錬金術に打ち込むことができた。

彼――カイセルも、その輪の中にいた。

研究棟にこもる学生たちの一人。白衣の袖を几帳面にまくり、真面目に薬品を量る姿が印象的だった。

カイセルは、もの静かな人だった。

声を荒らげることもなければ、誰かを笑い者にすることもない。

アデルの拙い理論にも、決して途中で遮らず、最後まで耳を傾ける。

実験が成功すれば、自分のことのように目を細めて喜んでくれる。失敗して肩を落とせば、余計な慰めの言葉はかけず、ただ隣に座る。

そして、落ち着いた頃合いを見計らって、次の式を一緒に組み立て直してくれるのだ。

少なからず、彼からは好意を感じていた。大切にされているのだと、確かに思えた。

好きだから意地悪をする――そんな幼稚なことは、一度たりともなかった。

彼はいつだって、「アデル」という一人の人間として向き合ってくれた。

その当たり前が、胸に刺さるほど嬉しかった。

優しく扱われることが、こんなにも安心するものだとは知らなかった。

やがて、留学期間の終わりが近づいていた。

祖国へ戻れば、待っているのは望まない結婚。

アデルに、戻るつもりはなかった。

ある日の夕暮れ、赤く染まる研究棟の前で、アデルは意を決して彼を呼び止めた。

「カイセル!」

振り向いた彼の瞳をまっすぐ見つめる。

鼓動がうるさい。けれど、躊躇ったりしない。

「わたし、あなたのことが……好きっ! わたしと結婚してくれない!?」

勢いのまま放った言葉に、カイセルは目を丸くした。

頬がみるみる赤くなる。

「ほ、本当に? 私も……アデルが好きだよ」

一歩近づき、ぎこちなく、それでも真剣な声音で続ける。

「私から、言わせてほしい……私と結婚してくれ。一緒に故郷へ帰ってくれないか」

そして、留学を終えた日。

すでに成人を迎えていたアデルは、ひそかに籍を抜くための書類を祖国へ送った。あわせて、レオンハルトと両親へも、もう帰らない旨を記した手紙を書いた。

それからカイセルと共に、彼の故郷へと渡った。留学先よりさらに遠く、海を越えた地へ。

元婚約者にも、両親にも、二度と会うことのない場所へ。

ほどなくして、アデルはカイセルと結婚し、妻となった。

彼の実家である首都にある店を受け継ぎ、並んで炉の前に立つ日々が始まる。

火の揺らめきに照らされながら、薬品の香りに包まれて。

失敗に顔を見合わせて笑い、成功すれば子どものように喜び合う。

(本当に、クソな婚約者と結婚しなくて良かったー!)

胸の奥に、遅れて込み上げてくる安堵と解放。

それはもう、誰にも踏みにじられることのない幸せだった。

そうしてふたりは――

愛してやまない錬金術と共に、穏やかで幸福な日々を紡いでいった。