作品タイトル不明
第七十五話 読者の秋
王太子執務室。
窓の外ではプラタナスの葉が舞い、室内には淹れたての紅茶の香りが漂っている。
平和だ。このまま永遠にこの穏やかな時間が続けばいいと心から思う。
だが、そんな私のささやかな願いは、いつもの轟音と共に粉砕された。
バンッ! 以前より重厚になったマホガニー柄の鉄扉が、悲鳴を上げて開け放たれる。
「リリアナ! あなた! 今、下町で『恋愛小説』が空前の大ブームですわ!」
紅葉の嵐と共に現れたイザベラ様。
今日のイザベラ様の装いは、芸術の秋を体現した『錦秋の文学乙女ドレス』。
紅葉と黄金のグラデーション生地には、無数の「 詩(ポエム) 」が金糸で刺繍されており、スカートの裾は羊皮紙で作られたフリルが幾重にも重なっている。
「……イザベラよ、扉は静かに開けろと何百回言えば分かるのだ。それから開ける前にノックをしろともな」
「あなた! そんな些末なことより『愛』ですわ!」
イザベラ様は私の執務机に歩み寄ると、ドサッと分厚い書類の束を置いた。
「あなた、扉のノックよりもこちらをご覧になって! これが私の魂の叫び! 処女作『薔薇色視線の先にある絶対王政の美学』よ!」
「タイトルからして不穏だな」
殿下がこめかみを揉みながら、遠い目をする。
私は恐る恐る小説の原稿用紙の山を手に取る。
重い、腕が沈むほどに重い。
「イザベラ様の処女作ということは、まさか……」
「もちろん、私が書いた小説よ! 今、王都大図書館で『第一回・王都恋愛文学大賞』の公募が行われているのよ! 庶民が読む恋愛小説を読んだけれど、どれもこれも『愛』が軽すぎるわ! 真の愛とは、もっと重く、深く、逃れられないものよ!」
イザベラ様が両手を広げ、自分の世界に入っている姿を脇目にして、私はパラリと原稿をめくる。
そこには微に入り細に入り描写された『ある高貴な男性(どう見ても殿下)』への賛美と、彼を影から見守る(ストーキングする)主人公の独白が、延々と書き連ねられていた。
私は冒頭を読み上げる。
『ああ、彼が吐き出す二酸化炭素さえも、私にとっては薔薇の香水。彼が踏んだ石畳になりたい。彼が見つめた壁になりたい。その視線を独占できるなら、私は無機物にさえなれる――』
「……あの、イザベラ様。これは小説というより、前衛的な『怪文書』ではないでしょうか?」
「なんですって!? リリアナ、貴方まだ分かってないわ! これこそが純愛なのよ! この圧倒的な熱量で、民衆に本物の貴族の愛を教育して差し上げるのよ!」
イザベラ様は自信満々に胸を張る。
どうやら彼女の中では、熱量=文字数=愛の大きさという等式が成立しているらしい。
見たところ、ざっと1000万字はある。
「殿下、どうされますか? これを世に出すと王室の品位、あるいは防犯意識が問われますが」
「放っておけ。どうせ予選で落ちるだろう。そんなことより、俺はこの新人作家が書いた『宵闇の黒猫』の新作を読むのに忙しいのだ」
殿下がこっそりと引き出しから出したのは、最近話題の文庫本。
タイトルは『中間管理職令嬢の憂鬱』。
上司と部下の板挟みになりながらも、淡い恋心を育むリアリティあふれる描写が、殿下の疲れた心に刺さっているらしい。
「殿下、それを書いたのは実は私なんです」なんて絶対に言えない。
私は殿下にも高評価をもらえたことで、心の中でガッツポーズをしつつ、イザベラ様の暴走に付き合うべく立ち上がることになった。
◇
数日後。王都大図書館・中央ホール。
『恋愛文学大賞』の最終選考会、及び候補作の展示会場は、文学を愛する民たちでごった返していた。
高い天井まで届く書架。インクと紙の匂い。
そんな静寂な空間に場違いな声が響き渡る。
「まさに清流の如く流れる、五・七・五ですわ!」(太鼓持ちB・C・D)
「長い話など言葉の贅肉に過ぎません!」(太鼓持ちE・F・G)
「短さこそが正義ですの!」(太鼓持ちH・I・J・K)
聞き覚えのある掛け声と共に現れたのは、青いハッピに『筆』の文字を染め抜いた、太鼓持ち軍団だ。
そしてその中央、優雅に扇子風の太鼓のバチを広げているのは、カトレア様だ。
「おーほっほっ! ごきげんよう、イザベラ。そのような羊皮紙の束を持って、殴り込みにでもきたのかしら?」
カトレア様の今日のドレスは、白地に墨を流したような水墨画柄のシルク生地を、着物風に仕立てた『侘び寂び激流ドレス』。
さらに帯には 硯(すずり) が埋め込まれ、トレードマークの帽子には、無数の筆が扇状に広がっている。
「まさか、カトレアまで応募していたなんて思わなかったわ!」
「ふっふん。もちろんよ! けれど貴女のような呪詛のような超長文ではないわよ! 私が極めたのは東方の極小詩『 川柳(センリュウ) 』! そして『 俳句(ハイク) 』よ!」
カトレア様がパチンと指を鳴らすと、背後にいたエステナが巻物を広げる。
溺れるような達筆な文字で書かれているのは、たった三行の言葉。
『愛の川 溺れて沈んで 藻屑かな』
「短すぎるわ!」
「あら? イザベラ、貴方には分からないようね。これぞ『引き算の美学』よ! 万言を費やすよりも、たった十七音に情念を込める。読み手の想像力に全てを委ねる高度な知的遊戯だわ!」
カトレア様がドヤ顔で言い放つと、イザベラ様が鼻で笑う。
「ふふん、貧相だこと。紙とインクをケチったのかしら? 愛とは溢れ出るものよ! 書き尽くしても書ききれないパッションこそが至高と知りなさい!」
「おーほっほっ! 貴女のそれは『愛』ではなく『圧』ですわ! 読むだけで胃もたれして逆流しそうだわ!」
「何ですって!?」
バチバチと火花が散る。
長文ポエムのイザベラ様 vs 激流川柳のカトレア様。
極端すぎる二つの才能が、図書館の静寂を脅かしている。
「ふふん、まあ見てなさい、カトレア。私の作品がどれほど民の心を掴むかをね!」
「イザベラ! 貴女こそ、私の十七音が民の魂を震わせるのを見てなさい!」
二人はそれぞれの展示ブースへと散っていく。
取り残された私は、ふと隣にいたエステナと目が合う。
エステナは無表情に眼鏡の位置を直しながら、小脇に一冊の本を抱えている。
その背表紙には、『論理的恋愛工学のすゝめ 著:データ卿』とあった。
(あの文体、理路整然としすぎて逆に萌えると評判の『データ卿』……まさか、エステナ?)
エステナもまた、私の鞄から覗く原稿用紙の端――『宵闇の黒猫』の次回作に視線を留め、一瞬だけ眉をピクリと動かした。
「リリアナ様、貴女とはいつかゆっくり『文学論』を戦わせる必要がありそうですね」
「はい、エステナ様。好敵手は意外と近くにいるものですね」
私たちは無言で眼鏡の位置を直し、レンズの奥でバチリと火花を散らすと、それぞれの仕える『主君』の元へと踵を返した。