軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七十一話 無自覚の善意

家族を見送ってから数日後。

王宮は、どこか寂しげな空気に包まれている。

「ようやく、平和が訪れたか……」

王太子執務室。

殿下が山積みだった書類の決済を終え、窓の外の秋空を見上げて呟く。

その横顔は長年の戦……もとい、イザベラ様の相手から、一時的に解放された兵士のように穏やかだ。

「センチネル大佐の件も、外交ルートを通じて正式に抗議文を送付しました。連邦側も『部下の独断専行』として処理するでしょうから、当面の間は表立った干渉はないはずです」

私は電卓を叩きながら報告する。

闘技大会の収益は予想以上。

施設の修繕費を差し引いても大幅な黒字。

お父さんのため、そして家族孝行のためにと大金を使ったが、今回のボーナス査定で取り返せるはずだ。

このまま何事もなく、平穏に季節が深まればいい――そう願っていたが、私の経験則が警鐘を鳴らす。

「リリアナよ、お前も感じているか? この嵐の前の気圧の変化を」

「はい、殿下。私の『予知アンテナ』が警戒レベル4を発令しています」

私たちが顔を見合わせた、その時だった。

バンッ! 予感は確信へと変わる。

執務室のマホガニー柄の鉄扉が、悲鳴と共に開け放たれた。

「リリアナ! 愛しのあなた! 収穫の秋! スポーツの秋! そして、私の秋ですわ!」

現れたのは、これまた見たこともない装いのイザベラ様だ。

今日のイザベラ様のドレスは、赤と緑のタータンチェック柄のジャケットに、動きやすそうな膝丈のバルーンスカート。アーガイル柄のハイソックスに、頭にはポンポンがついたニット帽。

全体的に『お洒落な探検家』と『迷子の貴族』を足して2で割ったような、奇抜だが妙に似合っている『スポーティ・エレガンスドレス』だ。

さらに、またしても、なぜかゴルフバッグや大きなパラソルを持つ、背後に控える取り巻き軍団。

けれど最大の問題は、イザベラ様が右手に握りしめている『凶器』にある。

先端が鉄塊でできた、身の丈ほどもある長い棒。

「イザベラ、それは何だ? 新しい断罪道具か?」

「ち、違いますわ! これは『クラブ』というものですの! 今、大陸の紳士淑女の間で流行の兆しを見せている、高貴なるスポーツ、ゴルフ道具ですわ!」

イザベラ様が、ビュンッと風切り音を立てて、鉄の棒を振り回す。

天井のシャンデリアが揺れると同時に、すかさず取り巻き軍団が一斉にさえずる。

「さすがは、イザベラ様! ドライバーを振るうお姿も優雅ですわ!」(取り巻きB・C・D)

「ニット帽のポンポンが王冠よりも高貴に輝いて見えます!」(取り巻きE・F・G)

「ナイススイングですの!」(取り巻きH・I・J・K)

私は思う、室内で振らないでほしいと。

「ゴルフですか?」

「そうよ! 私としたことがスポーツの秋と言っていながら、先日の闘技大会では観戦するばかりで、少しも汗を流していなかったもの! これでは『文武両道』たる次期王太子妃の資質が疑われるわ! そこで私、民の間での流行を視察しつつ、閃いたのよ!」

ここでイザベラ様に闘技場で「私は冷や汗を流していました」なんて言ってしまうと、それはそれで面倒くさくなりそうなので、ここは内緒にしておく。

イザベラ様が瞳を輝かせ、私の机にドンッと、一枚の大きな地図を広げる。

「これからは広大な自然の中で、白球を優雅に打ち飛ばすゴルフこそが、次期王太子妃の花嫁修行に相応しいと感じたのよ!」

「相変わらず論理の飛躍が凄まじいですが、なぜ、ゴルフという球技が花嫁修行になるのですか?」

「決まっているわよ、リリアナ! 狙った獲物(穴)を逃さない集中力! 風を読み、地形を制する支配力! そして何より、緑の絨毯を歩く優雅な姿! これぞ、国母に必要なスキルセットというものよ!」

言っていることは無茶苦茶だが、妙な説得力があるのがイザベラ様の恐ろしいところだ。

けれど、私の懸念するところはそこではない。

ゴルフには広大な土地が必要だ。

王都のどこにそのような場所があるというのか。

「さあ、二人共! 今すぐ行くわよ!」

「行くって、どこへ行くのだ?」

「あら、あなた。ご心配には及びませんわ! すでに最高のコースを用意してありますの!」

「待て、すでに用意しているだと……? まさか王宮の庭園を掘り返したのではないだろうな?」

殿下が青ざめる。

歴史ある庭園が、穴だらけにされる悪夢が脳裏をよぎったのだろう。

「心外ですわ! 私が自然を壊すような野暮な真似をするはずがありませんわ! むしろ自然との共生、そして農村への貢献こそが、今回のテーマですのよ!」

「農村への貢献ですか?」

イザベラ様の言葉に、私は首をかしげる。

ゴルフと農業、水と油のように混ざり合わない要素だろう。

けれど、イザベラ様の自信満々な笑顔に押し切られて、結局、私たちは強引に馬車に乗せられた。

連れてこられた場所を見て、私と殿下は息を呑んだ。

「おい、イザベラ。ここはまさか……」

「素晴らしいでしょう? 見渡す限りの黄金の大地! 王都の胃袋を支える『南東地区大農園』ですわ!」

そこは収穫を間近に控えた広大な小麦畑。

秋風に揺れる稲穂が地平線まで続き、黄金色の波を描いている。

王国の食料自給率の要であり、民の食を支える生産現場だ。

「イザベラ様、ここは農地ですよ? まさかゴルフ場にするために、この小麦畑を潰すと言うおつもりですか?」

「そんなはずないでしょう! この小麦は民の命そのものよ!」

私が抗議すると、イザベラ様は「なんて失礼なの!」と心外そうに憤慨し、「むう……」と頬を膨らませると、得意げに一本のドライバーを空に掲げた。

「リリアナ、貴女は農民たちの悩みをご存じかしら? 収穫前のこの時期、彼らを悩ませる最大の敵を!」

「敵ですか? 台風や、日照り、あるいは害獣などの鳥でしょうか?」

「さすが、リリアナ! 正解よ! 特に『カラス』だわ! せっかく実った小麦をついばむ憎き黒い影! 農民たちは一日中、鍋を叩いて追い払っているそうよ。なんて非効率で過酷な労働なのかしら!」

イザベラ様は畑の真ん中に立てられた粗末なカカシを指差した。

「あのようなボロボロの人形では、カラスも笑ってしまうわ。そこで私、閃いたのよ!」

「まさか……」

嫌な予感が背筋を走る。

イザベラ様はティーグラウンドに見立てた農道の端に立ち、足元に白球をセットした。

「このドライバーの轟音と空を切り裂く白球! これこそが最強の『威嚇射撃』になるのよ! そう、私が優雅にゴルフを楽しむだけで、害鳥は恐れおののいて逃げ出し、農民たちは大助かり! これぞ、『一石二鳥』ならぬ、『一打千羽』の慈愛だわ!」

イザベラ様は「私って、やっぱり天才だわ!」と陶酔している。

なるほど、動機は100%の善意だ。

イザベラ様は自分を動く高性能カカシだと思っているのだ。

農民の苦労を減らし、自分はスポーツを楽しむ。

理論上は完璧に見える。

ただ、ボールの着弾点さえ考えなければの話だが。

「民よ、安心なさい! このイザベラ・フォン・ローゼンバーグが来たからには、小麦一粒たりとも鳥には渡しませんわ!」

イザベラ様の高らかな声と共に、豪快なスイングが炸裂する。

背後に控える取り巻き軍団が、その光景を見て、一斉に「イザベラ様、ナイッショッ!」と、さえずる。

カキィンと、小麦畑に金属音が響き渡り、近くにいた数羽のカラスが驚いてバサバサと飛び立っていく。

「あなた、今の見ました!? 効果てきめんですわよ!」

「……イザベラ、確かにカラスは逃げたが、ボールの行方を見たか?」

殿下が静かに震える指で差す。

イザベラ様が放った白球は、美しい放物線を描き、そのまま黄金色の小麦畑のど真ん中へ着弾した。

鈍い音と共に数本の麦の穂がへし折れ、宙を舞い、白球は麦の海に沈んだ。

「あら? ラフに入ってしまいましたわね。まあ、多少の犠牲はやむを得ませんわ。鳥に食べられるよりはマシでしょう?」

「一理あるようで、全くありません」

私は頭とお腹を同時に抱えた。

確かに鳥は逃げるかもしれないが、あの剛速球が直撃すれば、もちろん麦は折れる。

それに何より、そんな行為を黙って見ている農家の方たちではないだろう。

「こらぁぁぁッ! また、貴族様か!!」

「俺たちの畑で何しやがる!?」

案の定、畑の向こうから鍬や鎌を持った農民たちが、鬼の形相で走ってくるのが見える。

当然だ。収穫前の大切な時期に、金属音を響かせて硬球を撃ち込まれれば、誰だって怒るに決まっている。

だが、イザベラ様は何を勘違いしたのか、頬を赤らめながら喜んでいる。

「あら? 農民たちが駆け寄って来ましたわ! きっと私の『害鳥駆除ショット』に感動して、お礼を言いに来たのですわ!」

イザベラ様が満面の笑みで手を振る。

ポジティブすぎる。

あの殺気立った形相が『感謝』に見える色眼鏡を、私も一度はかけてみたいものだ。

けれど事態は、イザベラ様一人の暴走では済まされなかった。

「……おい、あれ見ろよ! イザベラ様が何かやっているぞ!」

「なんと優雅な! あれが王都の最新トレンドのスポーツか!?」

街道を通っていた他の貴族たちが、イザベラ様の姿を見つけて馬車を止めていく。

イザベラ様は王都のファッションリーダー。

彼女がやることなら、それは正義であり、流行になるのだ。

「私もやってみようではないか! 使用人、クラブを持て!」

「わたくしもですわ! 自然の中で遊ぶなんて素敵! それに『民のため』になるのですって?」

次々と貴族たちが農道の端に並び、我先にとボールを打ち込み始める。

彼らに悪意はない。むしろ、私たちは『良いことをしている』『流行に乗っている』という高揚感に包まれているに違いない。

イザベラ様一人なら『カカシ』で済んだかもしれない。

だが、数十人が一斉に打ち込めば、それは爆撃になるのだ。

カキン! カキン!

あちこちで金属音が響き、白い弾丸が麦畑へ吸い込まれていく。

バキバキと麦が折れる音が悲鳴のようにこだまする。

「や、やめろ! 麦が! 俺たちの麦がぁぁぁ!?」

「やめてくれぇ! そこは一番実りが良い場所なんだぁぁぁ!」

農民たちの悲鳴が、金属音と共にかき消されていく。

貴族たちは笑いながら「ナイスショット!」「カラスが逃げたぞ!」と喜び合っている。

その足元で農民たちが膝をつき、絶望していることに気付きもせずに。

無自覚な善意と、圧倒的な無知。

それが集団となった時、これほどまでに残酷な暴力となるのか。

「……殿下、これは不味いです」

「ああ、分かっている……」

殿下がサングラスを外し、青ざめた顔で呟く。

「これは単なる麦の被害では済まない。収穫量が減ればパンの価格が上がる。そうなれば……」

「暴動が起きます」

私の脳内電卓が、損害賠償額と食料価格高騰の予測値を弾き出す。

そして当のイザベラ様は気付いていない。

自らが振るった愛の鞭が、王国の根幹を揺るがす災害の引き金を引いてしまったことに。

秋晴れの空の下、美しい麦畑に響く快音と、農民たちの怒号。

王都を揺るがす『ゴルフ騒動』の幕が上がった。