軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【番外編:後編】聖バレンタインの祝日

2月14日。

ここ、カイゼル王国には古くから伝わる『聖バレンタインの祝日』という風習がある。

その起源は諸説あるが、現代においては『女性が親愛なる男性へ、チョコレートや贈り物と共に想いを伝える日』として定着していた。

だが近年、市場調査の結果、新たなトレンドが生まれつつある。

――『自分へのご褒美チョコ』。

通称『自分チョコ』だ。

日頃の労働を労うため、自分自身のために最高級のチョコレートを用意する文化。

私はこの合理的な文化を強く支持している。

だが、まずは業務だ。

前夜の2月13日、深夜26時。

王宮の厨房の片隅で、私は鍋と睨み合っていた。

「温度、50度。テンパリング開始。攪拌速度、毎分60回転を維持」

周囲には誰もいない。

私の手元にあるのは精密に測れる天秤と電卓、そして成分分析表だ。

本来なら『義理』として、既製品を大量購入してばら撒くのが時間対効果では最適解。

だが、一つだけイレギュラーな案件が起きた。

――カイル・ディルクハウゼン。

私の幼馴染であり、実家に帰省した時、私に『近衛騎士団長になって、君の隣に立っても恥ずかしくない男になった時……改めて迎えに行く』と宣言した、彼だ。

その彼が、先日王都にやって来ては、厳しい入隊テストをクリアし、無事に騎士団に入隊を果たしたのだ。

あの真っ直ぐすぎる言葉が、私の計算を狂わせる事態となった。

市販品では軽すぎる。

高級ブランド品では重すぎる。

その結果、私が導き出した結論は、コスト削減と栄養管理を名目にした、 手作り(DIY) による機能性食品の開発だった。

「では、原価計算です。カカオマスはガレリア帝国のシルヴィア様からの輸入ルートで仕入れ値を3割削減。ナッツ類は実家からの支援物資……要するにタダ。ドライフルーツは市場の規格外を安価で確保」

電卓を高速で叩く。

算出された数字は市販品の五分の一以下。

「よし、これなら『安く済んだから作った』という経済的合理性が成立する。論理的だ。実に私らしい」

私はそう自分に言い聞かせながら、艶やかに乳化したチョコレートを型へと流し込む。

形状は市販品にありがちなハート型などという非合理なものではない。

携帯性に優れ、一口で必要なカロリーを摂取できる無骨なバータイプ。

「……あとは最終品質チェックですね」

スプーンに残ったチョコレートを舐める。

カカオの香ばしさに、フルーツの爽やかな酸味。

温度管理を徹底したおかげで、舌触りは最高になめらかだ。

……うむ。スペック上の数値は全てクリアしている。

カイル君は昔から甘いものに目がない。

きっと喜ぶだろう。

「へへ……何をニヤけているのです、私は……」

私は自分の頬をパシパシと叩いた。

これは業務の一環だ。

優秀な騎士という人的資源への福利厚生費としての先行投資。

そう強く自分に言い聞かせると、私はラッピング作業という名の防湿・防油シートによる完全真空密封に取り掛かった。

翌、2月14日。

王宮は朝から甘い匂いと浮き足立った空気に包まれている。

だが、王太子執務室だけは、戦場のような緊張感が漂っていた。

「やはり来るか」

「はい、間違いなく来ます」

アレクセイ殿下が頭を抱え、私が淡々と殿下の紅茶を淹れる。

その直後、予感は扉の破砕音と共に現実となった。

「あなた! ハッピー・バレンタインですわ!」

暴風の如く現れたイザベラ様。

今日のイザベラ様のドレスは、まさに愛を体現したかのような深紅のドレス。さらに扇子ではなく、一冊のボロボロの書物――『下町の恋人たち ~貧しくても愛がある~』を手にしていた。

「今年は『体験』ですわ! ですから、あなたは今日の執務はお休みですの! 私と二人っきりで城下町へ出て、『お忍び庶民デート』をしますわよ!」

「なんだと……?」

殿下は思考を停止させている。

おそらくは、お忍びでデート?

王国で、いや世界で一番目立つ女と? なんて思っているに違いない。

我に返った殿下が、少し顔をほころばせながらも、否定する。

「待て、俺は王太子だ。護衛なしで城下町を歩けるわけないだろう。それに今日は予算会議もあるのだ」

「リリアナ、殿下のスケジュールはどうなっているの?」

「ご安心ください、イザベラ様。すでに殿下のスケジュールは、昨晩のうちに明日に回しました。予算会議の資料も、私が昨夜の内に承認印を押しておきました」

私が涼しい顔で殿下に親指を立てる。

殿下は「俺を売ったな!?」と言ってきたが、本当は嬉しいのだろう。

そして、私は内心思う。

(ふっふっふ。これで一人になれます)

今日という日を平穏無事に過ごすには、台風というイザベラ様を進路変更させ、王宮の外へ逸らすのが最善手だからだ。

イザベラ様は「庶民になりきるのですから、完璧な変装が必要ですわ!」と意気込んでいる。

「行ってらっしゃいませ、殿下。息抜きも『王族の務め』です」

私は殿下の背中を強く押し、二人を執務室から 追い(送り) 出した。

時刻は15時。

殿下が出掛けた後、王宮内は静寂に包まれていた。

私はこの好機を逃さず、各部署への義理チョコ(賄賂)の配布に回る。

「フォレスト局長、主要省庁への搬入準備は完了しております」

「ご苦労様です。それでは行きましょうか」

私が声をかけたのは、王立労働基準監督局の制服に身を包んだ部下だ。

彼は私の指示に従い、『慰問品』と書かれた段ボールの山を載せた台車を押して追従してくる。

私たちは王宮の中枢エリアにある『五大苦労人官庁』を巡る。

まずは王国の財布を握る財務省だ。

「財務大臣マギステル・フォン・フィスカル閣下、いつも予算委員会でのご高配に感謝いたします。これはほんの 賄賂(気持ち) です。来期もイザベラ様の『必要経費(破壊弁済費)』の計上を、何卒よろしくお願いいたします」

「おお、フォレスト補佐官。いつも悪いね。……しかし、あの『壁の修繕費』という項目はどうにかならんかね? 会計監査で説明がつかんよ」

「では『王宮の通気性改善工事』と名目を変えましょう」

「なるほど、通気性か! いやいやいつも助かるよ。承認しておこう」

まずは最重要攻略対象である財務省を抑えた。

ここの機嫌を損ねると、私の胃の平穏が保てない。

続いて向かったのは、外務省の長官室だ。

「外務大臣ミニステル・フォン・レールム閣下、先日は隣国大使の接待、お疲れ様でした。これは脳の糖分補給用です」

「おお、リリアナ君か。いやあ、イザベラ様が大使に向かって『貴国のファッションは3年遅れていますわ!』と言い放った時は、戦争になるかと思ったよ……」

「『あれは我が国の最新のジョークです』と公式声明を出しておきました。事後処理に感謝いたします」

イザベラ様の暴言を、ウィットに富んだジョークに変換してくれる彼らは王国の生命線だ。

そして王宮の営繕を司る工務省。

「工務大臣アルキ・フォン・ファーベル閣下、例の『執務室の扉』の在庫状況はいかがですか?」

「ああ、フォレスト局長。チョコの差し入れ感謝するよ。……扉なら、もう『鉄製』に変えておいた。木製では、イザベラ様の突入に耐えられないからな」

「賢明なご判断です。特別予算枠から修繕費を割り増しておきます」

「それは助かる! 本当にいつもご苦労様だよ」

金(財務)、外交(外務)、物理(工務)。

だが、根回しはこれで終わりではない。

私はさらに奥の区画へと足を進める。

四つ目は、王宮内の人事と福利厚生を統括する総務省だ。

「総務大臣キュラ・フォン・メンティス閣下、職員の『心のケア』、いつもありがとうございます。これは最高級の胃薬……ではなく、チョコレートです」

「リリアナ君、待っていたよ! 昨日も侍女たちが『イザベラ様の要求(猛特訓)についていけない』と集団辞職しかけてね……」

「承知しております。離職防止のため、危険手当の増額と、王宮内に『ふれあい動物広場』を作る稟議を通しておきました」

「おお、癒やし! 君は女神か! これで私の胃に穴が開かずに済むよ」

人的資源の摩耗を防ぐのも私の仕事。

まあ、いつか猫を飼った時のための根回しでもあるが、それは誰にも秘密なのだ。

そして最後、五つ目は法の番人、法務省である。

「法務大臣レックス・フォン・ユース閣下、先日の『廊下封鎖』の件ですが」

「ああ、リリアナ君か。あれは『封鎖』ではない。『未来の国母による、巻物型の愛のレッドカーペットの敷設実験』だ。通行妨害には当たらない」

「全長10メートルに及ぶ『婚約誓約書』でしたが、問題はなかったということですね?」

「そうだな。消防法としても『可燃性の高い情熱』ではあったが、紙自体は床の保護材として処理した。つまずいて転んだ職員もいたが、あれは『愛の重さに足を取られた』という事故扱いにしてある」

「素晴らしい法的解釈です。判例集の改訂費用は、こちらで持たせていただきます」

「それは助かる。イザベラ様が動くたびに、六法全書が書き換わっていくからな。これからも頼むよ、リリアナ君。君だけが頼りだ」

こうして、金、外交、物理、人、法。

王宮の重要インフラへの根回しを完璧にこなす。

時間を稼ぎ、心の準備を整え、ついに台車の上の在庫(配給先)が尽きた。

「リリアナ局長、全官庁への配布が完了いたしました」

「ありがとうございます。貴方は執務室へ戻り、待機していてください」

「はっ! ……それで、あの、局長は?」

部下が不思議そうに首を傾げる。

私は眼鏡の位置を直し、少しだけ視線を逸らした。

「私は最終エリアの視察に行ってきます」

部下を帰し、私は一人、王宮の裏手へと足を向ける。

そこは政治も根回しも関係ない、最も重要な場所――騎士団の演習場だ。

冬の低い日差しが差し込む、王宮騎士団演習場。

一人になった私は、物陰からその光景を観察する。

そこには他の騎士たちが休憩を取る中、一人黙々と木剣を振るう青年の姿があった。

「998、999……1000!!」

カイル君だ。

彼は身体から湯気が立つほどの熱気を纏い、自身の限界に挑むように剣を振り続けている。

あの時よりも背中は一回り大きく、たくましく見えた。

彼をあそこまで駆り立てているのは、間違いなく私との約束だろう。

「非効率ですね。あんなに汗をかいては脱水症状のリスクが高まるだけです」

私は小さく呟き、補佐官の仮面を被り直すと、彼の背後へ音もなく近付いていく。

「カイル騎士、オーバーワークは労働基準法違反ですよ」

「うわっ!? すみません! ……って、リリアナ? こんなところで会うなんて驚いたよ……」

カイル君が木剣を取り落としそうになりながら振り返る。

私だと気付くと表情を輝かせたが、すぐに慌ててタオルで体を拭い始めた。

「驚いたのは私の方です。もう騎士団に入隊していたとは思いませんでしたから」

私は極めて冷静に事実だけを述べる。

「入隊おめでとうございます、カイル騎士」

「……あ、ああ。ありがとう。それで俺に……いや、私に用件が?」

カイル君は背筋を伸ばし、騎士としての口調を作ろうとする。

公私を分けようとするその姿勢は立派だが、視線が私に固定されたままで、明らかに挙動不審だ。

「業務のついでです。殿下たちが不在で少し時間が空きましたので」

私は努めて事務的に振る舞いながら、ポケットから銀色の包みを取り出す。

「はい、これ。配給品です」

「え……?」

「カカオとナッツを凝縮した高栄養価バーです。市販品よりコストパフォーマンスが良いので、自作しました。貴官のような無駄にカロリーを消費する現場職には必要かと思いまして」

完璧な言い分だ。

カイル君はきょとんとしていたが、包みを受け取り、中身が手作りチョコだと気付くと、優しく目を細める。

「あ、そうか! 今日はバレンタインか!」

「……いえ、それは……あくまで栄養補給です」

「栄養補給? ありがとう、リリアナ。早速いただきます」

カイル君は私の言い訳を微笑ましく聞き流し、チョコレートバーを一口かじる。

カリッと、ナッツが砕ける小気味よい音が響く。

彼はゆっくりと味わい、飲み込むと真剣な眼差しで私を見た。

「力が湧いてくるよ。これなら、もっと強くなれる」

「砂糖によるエネルギー変換効率の問題です」

「違うさ。リリアナ、君がくれたからだ」

カイル君は真っ直ぐに私を見据える。

その瞳は、あの日、夕暮れの樫の木の下で私に向けられたものと同じ熱を持っていた。

「俺はまだ新人騎士だ。団長への道は遠いし、毎日しごかれてばかりだけど……絶対に諦めない。君がここで戦い続けている限り、俺も止まるわけにはいかないからな」

――『君の隣に立っても恥ずかしくない男になった時……改めて迎えに行く』

あの日の誓いが蘇る。

心臓がドクリと跳ねた。

カイル君は本気だ。本気で、あの約束を果たそうとしている。

そのひたむきさが、計算ばかりしている私の胸を突く。

「当たり前です。貴方が近衛騎士団長になれば、私の業務効率も格段に跳ね上がります。早く出世してもらわないと困ります」

「はは……相変わらず厳しいな、リリアナは」

カイル君がポケットをごそごそと探る。

そして、私の手のひらにコロンと何かを乗せた。

「これは何です?」

「配給のお返しだよ。……安物だけど」

それは街の露店で売っているような、包み紙に入った一粒の苺キャンディだった。

「今はこれしか持ってないけど。いつか、もっとすごいものを贈るから待っててくれ」

彼の指先が、一瞬だけ私の手に触れる。

その体温に、私は顔が熱くなるのを自覚した。

これ以上ここにいると、私のポーカーフェイスが崩れてしまいそうだ。

「収支報告、確かに受領しました」

私は苺キャンディを握りしめ、彼に背を向けた。

「では、私は戻ります。殿下たちが帰還されたら、事後処理(報告書の作成)が山積みでしょうから」

「了解。……ありがとう、リリアナ。来年も楽しみにしてるよ」

その言葉に私は一度だけ振り返り、小さく微笑んだ。

「在庫があれば考えておきます……」

夕暮れ時。

王宮の裏門に、ボロボロになった二人が戻ってきた。

「帰ったぞ、リリアナ……」

「最高だったわ! リリアナ!」

殿下はやつれ果て、服は泥だらけ。魂に深い傷を負った敗残兵のような顔をしている。

対照的にイザベラ様は、純白だったエプロンドレスこそ泥まみれだが、その顔は輝いている。

そして何よりイザベラ様の手には、『愛の試練コンテスト優勝』と書かれた、ひしゃげた鐘のトロフィーが握られていた。

「お帰りなさいませ」

私は二人を出迎える。

殿下の疲労困憊した顔と、イザベラ様の満面の笑み。

遠くからは、まだカイル君たちの演習の掛け声が微かに聞こえる。

騒がしくて、手がかかって、どうしようもない日常。

けれど、ポケットの中にあるキャンディの感触を確かめると、不思議と悪くない気分だった。

「さあ、殿下。遊んだ分だけ仕事をしていただきますよ」

「なんだと……」

深夜26時。

ようやく王宮に静寂が訪れる。

山積みだった書類が片付き、静寂が戻った執務室。

私は誰に見られることもなく、引き出しの奥から小さな小箱を取り出す。

「お疲れ様でした、私」

そう言って箱を開ける。

王都でも入手困難な『サロン・ド・リュヌ』のバレンタイン限定の最高級ショコラ。

カイル君に渡したのは、あくまで義理の『栄養機能食品』。そう、義理なのだ。

そして各部署に配ったのは『賄賂』。

そしてこれは、嵐のような一日を完璧に段取りし、乗り切った自分というMVPへの報酬だ。

最高級のチョコを口に放り込む。

「……美味しい。これは必要経費ですね」

口いっぱいに広がる芳醇なカカオの香りと、極上の甘み。

それは確かに王都で一番の贅沢な味だ。

けれど、高級なチョコレートは、あっという間に舌の上で溶けて消えてしまう。

ポケットの中には、カイル君からもらった未来への約束のような苺キャンディ。

『いつか、もっとすごいものを贈る』と誓った、未来への引換券。

最高級の洗練された味とは比べ物にならないほど子供騙しの砂糖菓子だけど、どうしてこのキャンディの方が熱を帯びて感じられるのか。

口の中に残る高級チョコレートよりも、手のひらにある約束された苺キャンディの記憶の方が、私には甘く感じられた。