軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三話 断罪、そして新たな職場へ

「ほう……」

アレクセイ殿下の反応は、私の、そして会場全員の予想を裏切るものだった。

彼はソフィアの肩を抱くことも、私を怒鳴りつけることもせず、ただ私が掲げている書類に、鋭い視線を釘付けにしていたのだ。

「貸してみろ」

「えっ? あ、はい」

殿下は私からファイルを奪うように手に取ると、猛烈な勢いで読み始めた。

ソフィアが「あの、殿下……?」と、不安げな声を上げるが、完全に無視されている。

「……見事だ」

静寂の中、殿下の低い声が響いた。

「情報の精度、裏取りの確実性。そして何より、このレイアウト。要点が太字で強調され、関連資料へのインデックスも完璧だ。特にこの『横領資金のフローチャート』は実に分かりやすい。一目で金の流れが把握できるな」

殿下の瞳がキラキラと……いや、ギラギラと輝いていた。

それは運命の相手を見つけた時の眼差しではなく、有能な『成果物』を見つけた時の経営者の目だ。

「この報告書を作成したのは誰だ?」

「えっ?」

イザベラ様が間の抜けた声を出す。

殿下は、「バンッ」と書類を閉じ、イザベラ様を通り越し、その背後に控えていた私を直視した。

そして周囲には聞こえないよう、声を潜めて問いかけた。

「そこの地味な女、お前か?」

……おや? 雲行きが怪しくなってきた。

私のシナリオでは、ここで殿下が、「ぐぬぬ、反論できん!」と悔しがり、イザベラ様が勝利宣言をして終わるはずだったのだが。

私は冷や汗を隠し、ポーカーフェイスを維持したまま答える。

「……はい。イザベラ様の指示の下、僭越ながら私が作成・編集いたしました。リリアナ・フォレストと申します」

あくまで責任者は、イザベラ様というスタンスを崩さない。

しかし、殿下は鼻で笑った。

「イザベラ如きに、これだけの論理構成ができるわけがない。指示があったとしても、実務を行い、このレベルまで仕上げたのは、お前だな?」

殿下が一歩、私に近づく。

その圧力が強すぎて、私は思わず後ずさる。

確信を得た殿下は、くるりと踵を返すと、今度は会場全体に響き渡る冷徹な声で告げる。

「おい、ソフィア」

「は、はいっ! 殿下、やっぱり信じてくださるのですね……!」

ソフィアが希望に満ちた顔を上げる。

しかし殿下は、彼女を見もせずに言い放つ。

「衛兵、この女を連れて行け。容疑は国家反逆罪、及び詐欺罪だ。証拠はこの書類に全て揃っている。もはや尋問の必要すらないレベルでな」

「えっ? 嘘……い、いやあああ! 殿下あああ!」

殿下の指パッチン一つで、待機していた衛兵たちが雪崩れ込み、ソフィアを取り押さえた。

あまりの手際の良さに、会場中がドン引きしている。

ズルズルと引きずられていく聖女の絶叫が遠ざかると、再び静寂が訪れた。

その時、会場のあちこちから、ひそひそとした囁き声が漏れ聞こえてきた。

「……おい、聞いたか? あの完璧な証拠資料」

「ああ。イザベラ嬢は、あえて『無能な悪役令嬢』を演じ、聖女を油断させていたに違いない」

「なんて恐ろしい策士なんだ……」

「我々はとんでもない誤解をしていたようだな」

……違う。断じて違う。

あれは演技ではなく、正真正銘の天然だ。

だが、私の心のツッコミは誰にも届かず、ポカンとしているイザベラ様を見る周囲の目は、畏敬の念を含んだものへと変わっていった。

(さっきの殿下との会話が聞こえてないから、とんでもない勘違いが生まれてる……!?)

そして、なぜか私を値踏みするように見つめる、俺様王子。

殿下はファイルを小脇に抱え直すと、私の目の前まで歩み寄り、ニヤリと笑った。

そして、周囲には聞こえないよう声を潜めて、切り出した。

「リリアナと言ったな」

「は、はい……」

「単刀直入に言う。俺の下で働け」

「……はい? 殿下、今なんと仰いましたか?」

私は自分の耳を疑った。

周囲の貴族たちも、まるで時が止まったかのように固まっている。

あの氷の俺様王子と恐れられるアレクセイ殿下が、たかが男爵令嬢、それも悪役令嬢の金魚のフンである私をスカウトしている?

端から見れば、殿下が私を叱責しているように見えているかもしれないが、内容は真逆だ。

「聞こえなかったのか? 『採用だ』と言ったんだ」

殿下は不愉快そうに眉を寄せた。

「俺は今、補佐官を探している。現在の側近どもは無能でな。俺の思考速度についてこれず、たかが隣国の関税率の推移グラフを作るのに3日もかける。だが、お前なら3時間でやれるだろう?」

「はあ……まあ、資料さえ揃っていれば2時間で可能です」

つい職業病で正直に答えてしまった。

殿下は、逃げ場のない獲物を見る捕食者のような笑みを浮かべた。

「ほう……2時間か。悪くない」

殿下が私に手を伸ばそうとしたその時、ようやく再起動したイザベラ様が叫ぶ。

「こ、困ります、殿下! リリアナは私のものですわ! 私の大切な腰巾着で、私の自慢の太鼓持ちなんです!」

殿下は、イザベラ様を冷ややかな目で見下ろした。

「『私のもの』か……おい、イザベラ。お前はこの功労者をどう評価している? ただの『便利な侍女』扱いではないのか?」

「そ、それは……リリアナにはちゃんと奨学金の支援をしておりますわ!」

「奨学金? それだけか?」

殿下は呆れたように鼻で笑った。

「安い、安すぎる。このレベルの情報収集能力と事務処理能力を持つ人材を、 端金(はしたがね) で飼い殺しにするとは。これだから無能な経営者は困る」

グサリ、とイザベラ様の心に矢が刺さる音が聞こえた気がした。

殿下は私に向き直り、長い指を3本立てた。

「リリアナ、王宮事務官としての正式採用だ。給与は現在の3倍。さらに年2回のボーナス支給。王都の一等地に官舎を用意しよう。当然、家賃は王宮持ちだ」

給与3倍。年2回ボーナス。家賃無料。

カシャン、カシャン、チーン!

私の脳内にある巨大なレジスターが、凄まじい勢いで計算を弾き出した。

男爵家の借金完済まで、あと3年かかる予定だった。だが、この条件なら1年で終わる。

雨漏りする実家の屋根どころか、老朽化した外壁のリフォームまで可能だ。

何より、『王宮事務官』という肩書きは、将来、私が引退して年金生活を送る際の強力な後ろ盾となる。

私は眼鏡の位置を直し、ゆっくりとイザベラ様に振り返った。

「……お嬢様」

「リ、リリアナ? ま、まさか行かないわよね? 私たち、ずっと一緒よね?」

イザベラ様が縋るような目で見つめてくる。

「わ、私の使い飽きた香水をあげるわ! あと、ドレスのお古も!」

「結構です……」

どうやらイザベラ様は、私の需要を理解していないようだ。とはいえ、彼女には恩がある。拾ってもらった恩義も、少しだけある。彼女の単純で扱いやすい性格も嫌いではない。

しかしだ。私はプロだ。プロはより高い報酬と、より自分を高く評価してくれるクライアントを選ぶ権利がある。

私は深く、深く頭を下げた。それも、今までで一番美しい角度で。

「イザベラ様、今まで大変お世話になりました」

「えっ!?」

「本日付けで退職させていただきます。業務の引継ぎ資料につきましては、後日郵送にて送付いたします。なお、これまでの経費精算書も同封しますので、期日までにお振込みをお願い申し上げます」

「リ、リリアナァァァーッ!?」

イザベラ様の絶叫が、シャンデリアにこだました。

こうして、私は悪役令嬢の取り巻きというポジションを卒業し、王宮という名の新たな戦場へと足を踏み入れたのである。