軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十一話 静かなる事務戦争

「シュパッ、シュパッ、シュパパパパッ」

王宮の大会議室に、乾いた紙の擦れる音が響き渡っていた。

中央の長机を挟んで対峙しているのは、私と帝国の宰相補佐官、シルヴィア・ル・ベル。

私たちの間には、書類が山のように積み上げられている。

互いに相手国へ突きつけた『要求書』と『データ資料』、合計2万2千ページ。

これを明朝の首脳会談までに読み込み、精査し、反論の不備を見つけ出さなければならない。

「……貴国提出資料の124ページ目、3行目。貴国の提示した『関税撤廃による経済効果予測』ですが、計算式に誤りがありますわ」

シルヴィアが顔も上げずに指摘した。

彼女の手は止まることなく、次のページをめくる。

「前年度の物価上昇率が考慮されていません。再計算した結果、利益は貴国の試算より15%減少します」

「ご指摘感謝します。ですが、帝国提出資料の890ページ目をご覧ください」

私は電卓を高速で叩きつつ、即座に切り返す。

「帝国の輸出主要品目である『魔石』の品質データに 改竄(かいざん) の痕跡が見られます。過去5年の成分分析表と、先月の納入品サンプルの数値が乖離しています。これを元に計算すれば、こちらの輸入リスクは20%跳ね上がりますが?」

「……あら」

シルヴィアが小さく眉をひそめた。

美しい顔立ちが、わずかに歪む。

「やるわね、王国の猿にしては」

「そちらこそ、片眼鏡が曇っていますよ、鉄女さん」

現在時刻、午前3時。

開始から12時間が経過していたが、私たちはお互いに一歩も譲らず、お花摘み休憩以外は席も立っていなかった。

アレクセイ殿下と皇帝陛下は、別室で優雅にワインを飲みながら『部下の性能自慢』をしているらしいが、 現場(戦場) は地獄である。

シルヴィアという女。殿下の言う通り、恐ろしいほどのスペックの持ち主だ。

彼女の脳内には帝国の法令全集と、過去100年分の判例がインプットされているらしい。私が提示した条文の穴を、わずか数秒で見抜いてくる。

だが、私にも負けられない理由がある。この戦いに勝てば、温泉地の権利書が手に入るのだから。

「リリアナ・フォレストと言いましたか」

ふと、シルヴィアが手を止めた。

彼女は疲れを見せない涼しい顔で、ポットのコーヒーをカップに注いだ。

「なぜ、そこまで働くの? 貴国の給与水準は帝国の7割程度。その労働量に見合っていないわ」

――来た。

雑談の皮を被った腹の探り合いだ。

答えは一つ。こちらが損をしない最小限の情報だけを返す。

「お金のためです」

「お金? そう。それなら帝国へ移住しない? 倍の給料を保証するわよ」

倍の給料。確かに魅力的だ。

父は早くに戦で亡くなり、母は病弱で金に困っている。弟たちの学費もある。家を立て直すため、移住するか、出稼ぎに行くのか、過去に何度も試算した。

だが、私は国を離れるわけにはいかなかった。

手元の電卓は止めないまま、事務的に答える。

「移住コストとリスクを試算しましたが、採算が合いませんでした。それに、私は家族を置いていくつもりはありません」

「なるほど。合理的な判断ね」

シルヴィアもまた、表情を変えずにペンを走らせている。

「ゆえに、この国で稼ぐしかないのです。私は今日の残業代で、家族の明日を買っている。必要な金額に届くまでは、悪魔に魂を売ってでも働きます」

「……家族のため、か。では、全てを片付けたその先は? 貴女自身の『明日』はどうするつもりなの?」

不意を突かれた。

損得勘定だけの鉄女だと思っていた相手から、個人的な問いを投げかけられるとは。

敵に語るべきことではない。だが、彼女は私情は持ち出さないタイプ。

私のささやかな夢くらいなら、話してもいいか。

「……引退後は、南の島で猫と日当たりの良い家で昼寝をして暮らすのが夢です」

「猫と昼寝ですか……」

シルヴィアの瞳が、一瞬だけ揺らいだ。

彼女は遠い目をして呟く。

「いい夢ね。私は引退など許されていないもの。皇帝陛下は、私が死んだらこの脳を魔導培養液に漬けて、永久に計算機として使うつもりだと仰っていたわ」

「そ、それはブラック企業を通り越して……(もはやホラーの領域)」

不覚にも同情してしまった。

この人もまた、被害者なのかもしれない。

だが、仕事は仕事だ。

「弱音を吐くには早いですよ、シルヴィア様。あと5千ページ残っています」

「ふん、誰が弱音など。貴女こそ、目元のクマが酷くてよ。コンシーラーを貸してあげましょうか?」

「結構です。私の化粧ポーチには徹夜明け専用の『肌色復活ポーション』が入っていますから」

私たちはニヤリと笑い合い、再び書類の山へと突撃した。

奇妙な連帯感、あるいは戦友意識のようなものが芽生え始めていた。

翌朝。午前9時。

首脳会談の会場となる『白亜の間』。

アレクセイ殿下とディミトリ皇帝が対座し、その背後に、私とシルヴィアが控えている。

二人とも化粧は完璧。徹夜の疲労など微塵も感じさせない『鉄壁の能面』を張り付けている。

「さて、事務方による事前協議の結果はどうなったのだ?」

皇帝が問いかけると、シルヴィアが一歩前に進み出る。

「ご報告いたします。両国の主張を精査した結果、通商条約の改定における最大の問題点は、『王都南部を通る街道の拡張工事』にあると結論付けました」

彼女は巨大な地図を広げる。

「帝国の大型馬車を通すためには、街道の拡張が必須です。しかし、そのルート上には貴国の『聖なる森』が存在します。我が方の試算では森を切り拓いて直線ルートを作れば、輸送コストは30%削減可能。経済合理性の観点から、森の伐採を提案いたします」

完璧な論理だ。数字上、反論の余地はない。

アレクセイ殿下が私を見た。

私は小さく頷いて反論を開始する。

「異議あり。その森は我が国の建国神話に登場する精霊の住処とされており、国民の信仰対象です。伐採を強行すれば暴動が起きるリスクがあり、治安維持コストが輸送コストの削減分を上回ります」

「それは感情論よ」

シルヴィアが冷たく切り捨てた。

「信仰や感情は数値化できませんわ。国家間の条約において優先すべきは、明確な『利益』のみ。暴動が起きるなら、我が帝国の軍隊が鎮圧に協力してもよろしくてよ」

「……正気ですか?」

私が声を震わせると、シルヴィアは無機質な瞳で私を見据えた。

「もちろん正気ですわ。それに、これは貴国にとっても悪い話ではありません。試算によれば、この物流網の完成で、貴国のGDPは8%向上します。貧困層への食料配給も潤沢になる。……古い木を守って『今の民』を飢えさせるのが、貴国の正義なのですか?」

「うっ……」

ぐうの音も出ない。彼女は『正論』という名の鋭利な刃物で、こちらの倫理的な急所を的確に突いてくる。貧困対策は我が国の急務なのだから。

玉座に座るディミトリ皇帝が、愉悦に満ちた笑みを浮かべてグラスを揺らした。

「クク……どうだ、アレクセイ。我が国の『理性』は優秀だろう? 感情や伝統などという不確定要素に頼るから、国家経営が傾くのだ」

殿下が悔しげに唇を噛み、拳を握りしめる。

「……だが、他国の軍靴を聖域に踏み入れさせるわけにはいかない。それは主権の放棄に等しい」

「では、交渉決裂ですわね。この豊かな支援策も、全て白紙に戻させていただきます」

シルヴィアが冷淡にファイルを閉じようとする。

部屋の空気が凍り付き、殿下も私も返す言葉を失った。

……これが帝国のやり方だ。

『効率』と『武力』で全てを解決しようとする。

だが、こちらの文化や宗教観を無視した開発は、長期的には必ず破綻する。それをどうやって、この数字しか信じない皇帝と補佐官に理解させるか。

私の手持ちのカード(論理データ)はすでに出し尽くした。

論理対論理では国力に勝る帝国側が有利。

このままでは押し切られる、そう思った時だった。

会場の扉が「バーン!」と、音を立てて開かれた。

衛兵の制止が背後で空しく響く。

「お待ちなさい!!」

甲高い声と共に乱入してきたのは、目も眩むような極彩色の羽根を、これでもかと散らした孔雀ドレスのイザベラ様だった。