作品タイトル不明
23.
ぐつぐつ、と。
卓上のカセットコンロに乗せられた鉄鍋から、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが立ち上っている。
甘辛い特製の割下と、見事なサシが入った和牛の脂が溶け合い、部屋中に濃厚な香りを充満させていた。
「はふはふっ。おいちーっ!」
聖華は黄金色に輝く溶き卵をたっぷりと絡ませた大きなお肉を口に運び、目をキラキラと輝かせながら頬張った。
熱々の肉の旨味が口いっぱいに広がり、思わず頬がとろけそうになる。
「あちっ。本当だな、これは美味い」
向かいの席では、いつもは無表情な奉太郎も少し目を丸くしてすき焼きを味わっている。
彼が美味しそうにご飯を食べてくれている姿を見るだけで、聖華の胸の奥はぽかぽかと温かくなった。
大好きな人と向かい合って囲む食卓の温かさに、聖華はだらしない笑顔を浮かべる。
見えない尻尾をちぎれんばかりにパタパタと振り回し、弾むような声で告げた。
「お肉も最高だけどさ。やっぱり、阿智くんと一緒に食べてるからかなー、えへへへ」
ポロリと。
完全に油断しきった無防備な状態から、隠しきれない本音が口を突いて出た。
その直後、聖華は自分の発言の重大さに遅れて気づき、ピタリと箸を止めた。
(ぎゃーっ! あたし、なんて大胆発言をっ!?)
一瞬にして顔面から火が出るほどの熱を帯び、耳の裏まで真っ赤に染め上げる。
五十三万IQの頭脳がけたたましく警報を鳴らし、脳内で凄まじい勢いの自己反省会が始まった。
(てゆーか、今のって冷静に考えたら、もうほぼ告白じゃんっ!? 阿智くんがいないと美味しくないって言ってるようなもんじゃんっ!)
一人で勝手に限界を突破し、頭を抱えて大きくのけぞる。
見えない犬の耳がペタンと伏せられ、今すぐテーブルの下に潜り込んで隠れてしまいたい衝動に駆られた。
(違うのっ! 告るのはもっとムードがある、ロマンチックな雰囲気のいいところでって決めてたのにっ)
(いや、そもそも告ってもフラれちゃうかもだしっ。うぎゃーっ! あたしのバカバカバカッ! すき焼きの鍋にダイブして記憶を消し去りたいっ!)
頭の中でぐるぐると最悪のシミュレーションが駆け巡る。
顔を真っ赤にしてフリーズし、百面相を繰り広げる聖華を見て、奉太郎が不思議そうに小首を傾げた。
「どうしたの?」
「ふぇ……?」
聖華が間の抜けた声を漏らす。
恐る恐る奉太郎の顔を盗み見ると、彼の凪いだ瞳には、聖華の大胆な発言に対する照れや動揺は一切浮かんでいなかった。
ただ純粋に、急に頭を抱え始めた隣人を不審に思い、首を傾げているだけである。
彼の箸は止まることなく、鍋の中でいい具合に味が染み込んだ焼き豆腐を摘み上げ、ふーふーと息を吹きかけて冷ましていた。
(むぅっ! 全然気にしてないっ! というか、完全にスルーされてるっ!)
せっかくの好意の匂わせを完全にスルーされ、聖華は不満げにぷくっと頬を膨らませた。
フラれなかったことに安堵する反面、女の子としての魅力を全く意識されていない事実に、ガックリと項垂れる。
(それはそれで、すごく嫌だなぁっ。はぁ……)
盛大な空回りに一人で疲れ果て、聖華はこれ見よがしに深くため息を吐き出した。
すると、そんな聖華の姿を見ていた奉太郎が、フッと口元を緩めた。
「昼神さん、面白いね」
「え?」
唐突な言葉に、聖華はきょとんと目を瞬かせた。
奉太郎は手元の取り皿に視線を落としたまま、どこか穏やかな、熱を帯びた声で言葉を続ける。
「君と一緒にいると、楽しいよ」
それは、いつも感情の起伏が薄い彼なりの、誤魔化しのない最大の好意の表れだった。
飾らない真っ直ぐな言葉が、聖華の心臓のど真ん中を射抜く。
予想外の角度からの不意打ちを食らい、純情ギャルの心臓はドクンと大きく跳ね上がった。
真っ赤になった顔を隠すことも忘れ、聖華はただ、目の前で微かに微笑む大好きな彼を見つめて固まることしかできなかった。
静かな部屋の中に、鍋のぐつぐつと煮える音と、聖華の早鐘のように打ち鳴らされる心音だけが、どこまでも甘く響き渡っていくのだった。