軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

01.

四月下旬。冷たい雨が、容赦なくアスファルトを叩きつけている。

泥の跳ねる音がバシャバシャと耳障りに響く中、【 昼神(ひるがみ) 聖華(せいか) 】はマンションのエントランス前で立ち尽くしていた。

排気ガスと混ざり合った雨特有の生ぬるい匂いが、鼻腔を突く。

金髪の毛先からはポタポタと水滴が落ち、制服のブラウスは肌にべったりと張り付いている。

肌寒い風が吹き抜けるたび、ぶるっと肩が震え、彼女は両腕で身を抱きしめた。

雨の冷たさと鼻を突くアスファルトの匂いが、彼女の心細さをさらに煽ってくる。

「なにやってるの、あたし」

自嘲気味な呟きは、雨音に掻き消された。

スクールバッグの底まで探ったが、あるはずの鍵は見つからない。

派手な見た目に反して、家事は完璧にこなせる自負があったが、こういうドジなところがある自分にガックリと項垂れてしまう。

『 昼神(ひるがみ) さんって、誰でもヤらせてくれるってまじ?』

学校では、そんな根も葉もない噂を立てられている。

本当は手すら繋いだこともない純情ギャルなのに、派手な武装のせいで誤解され続けてきた。

『昼神さんさぁ。あんたあたしの男にちょっかいかけるのやめてくんない? うざいんだけど』

放課後、クラスメイトから謂れのない罵倒を受けたばかりなのだ。

聖華としては、新学期、心機一転して新しい人間関係を構築しようと頑張ったつもりだった。

だが、この派手な見た目と心無い噂が、聖華の高校生活を台無しにしていく。

男からは体を求められ、女子からは反感を買う。

(もう、やだなぁ……)

色々と辛い目に遭ったうえに、鍵をなくすという致命的なミス。

それは聖華の我慢の許容量を、完全に超えてしまっていた。

絶望感に襲われ、膝から崩れ落ちそうになったその時だった。

ザッ、と雨水を弾きながらアスファルトを踏む足音が近づいてくる。

聖華の頭上に、雨を遮る影が落ちた。

バサッという傘を開く音とともに、ビニール傘越しにぼんやりと街灯の光が滲む。

そこには、見覚えのある男子生徒が立っていた。

隣の席の、【 阿智(あち) 奉太郎(ほうたろう) 】だった。

「確かあんたはうちのクラスの……」

「君、何してるの、こんなとこで」

彼は世の中のすべてに達観したような、凪いだ瞳で聖華を見下ろしている。

冷たい雨音の中、彼の声だけが妙に澄んで耳に届いた。

「あはは、鍵無くしちゃってさ……」

「だからってお前……はあ」

奉太郎は短くため息をついた。

濡れた子犬を見るような、呆れと微かな気遣いが混じった視線だった。

「とりあえず中入れよ」

「え?」

「風呂とか貸してやる」

淡々と言い放つ奉太郎の顔には、微塵の下心も見当たらなかった。

親の都合に振り回され、世間に期待することをやめた彼特有の、感情の読めない表情だ。

「い、いいって……くしゅん」

「風邪ひかれると寝覚めが悪い」

「別にそんなの気にしなくても……あ」

有無を言わさぬその態度に気圧され、聖華は大人しく彼の後ろについていくしかなかった。

ガチャリと重たい金属音が鳴り、奉太郎の部屋のドアが開く。

中は殺風景で、男の一人暮らし特有の、少し埃っぽいような無機質な匂いがした。

玄関先に靴を脱ぐと、奉太郎はすぐに洗面所からバスタオルを無造作に放り投げてきた。

「管理会社に電話してやる」

「あ、あんがと……」

柔軟剤の効いたふわふわのタオルの感触に包まれながら、聖華が濡れた髪を拭いている間、奉太郎はスマホを耳に当てた。

ピポパ、と無機質な電子音が響き、事務的なやり取りが数分続く。

やがて彼は通話を切った。

「すぐ来てくれるってさ」

「そ、そうなんだ。ごめんね、迷惑かけちゃって」

「別に」

そっけない返事とともに、彼がジャージの上下を差し出してきた。

大きめのサイズで、ほのかなフローラルの香りが鼻をくすぐる。

あまりにも手回しが良すぎるというか、下心なく世話を焼いてくれる姿勢に、聖華の心の中で疑問が膨らんでいった。

濡れた制服から彼のジャージに着替えるため、脱衣所に入る。

鏡に映る自分は雨でメイクも落ちかけ、ひどく情けない顔をしていた。

服を着替えてリビングに戻ると、奉太郎はすでにやかんでお湯を沸かし、マグカップを二つ用意していた。

コトッ、と陶器の鳴る音とともに、温かいココアがテーブルに置かれる。

湯気から立ち上る甘い香りが、冷え切った身体にじんわりと染み込んでいくようだった。

一口すすると、火傷しそうなほどの熱さと濃厚な甘さが、冷え切った胃の腑を満たしていく。

「ねえ、なんで。優しくするの? ……もしかして、あんたもあたしとやりたいから?」

マグカップを両手で包み込みながら、震える声で尋ねる。

学校中であんな噂が流れているのだ。男の部屋に上がり込んだとなれば、当然そういう展開を期待されると思っていた。

だが、奉太郎の反応は予想を遥かに裏切るものだった。

「何を言ってんの君?」

「だ、だって……」

「そんなの初対面のやつに言う方が頭おかしいだろ」

あまりにも真っ当すぎる正論だった。

そこには噂への偏見も、ギャルという見た目に対する先入観も一切ない。

ただ目の前で雨に濡れて困っていた人間を、当たり前のように助けただけである。

その事実が腑に落ちた瞬間、聖華の頭の中が真っ白になった。

ぽかんと口を開けたまま、瞬きを繰り返す。

そして次の瞬間、堪えきれない笑いが込み上げてきた。

「あははははっ、そうだよねっ」

お腹を抱えて笑い出す聖華を見て、奉太郎は目を瞬かせている。

今まで自分を縛り付けていた悪意のある噂や、男たちの嫌らしい視線が、彼のたった一言でどうでもよくなってしまった。

こんなにもあっさりと、自分のことを普通に見てくれる人がいたなんて。

「おう」

「ありがと、阿智くん」

「なんで俺の名前を」

ふいに名前を呼ばれ、奉太郎が少しだけ驚いたように目を見開く。

彼にとっては、ただの隣に住む見知らぬ女子生徒だったのかもしれない。

「クラスメイト」

「ああ……」

納得したように頷く奉太郎を見て、聖華はクスッと笑みをこぼした。

達観しているくせに、どこか抜けている彼がひどく可愛く見えてくる。

「どういたしまして、昼神さん」

「せいかでいいよ」

「あ、そ。昼神さん」

しかし、奉太郎はあっさりと受け流し、マグカップに口をつける。

少しだけ前のめりになって距離を詰めようとしたが、その素っ気ない態度すらも、今の聖華にとっては心地よいものだった。

聖華は頬を緩ませて、とびきりの笑顔を浮かべる。

見えない尻尾をパタパタと振るように、もっと彼に近づきたいという衝動が抑えきれなかった。

胸の奥で、トクンと甘い音が鳴る。

この瞬間、昼神聖華は阿智奉太郎に完全に恋に落ちてしまった。

親の都合で世間を諦めてしまった少年と、愛が重すぎる家庭的ギャルの関係は、この冷たい雨の夜から始まることになる。