軽量なろうリーダー

婚約者は本物を見極められなかった

作者: もちまる

本文

6年前のある出来事が私達の関係を変えた。

辺境伯家の長女である私と公爵家の長男であるルーク様との婚約は、お互いが6歳の時に結ばれた。

いわゆる政略結婚というものだが、それでも順調に関係を築いていた。

しかし6年前、私達が10歳になった頃にルーク様が不治の病に侵されてしまった。

治療法が確立されていない病に打つ手がなく、お見舞いに行く度に身体が弱っていくルーク様を見るのは心苦しかった。

奇跡が起きてルーク様が元気になってくれたら……。毎日そう願い続けた私の願いが叶ったのは、ルーク様が倒れて1ヶ月が経った頃。

ルーク様が奇跡的に回復されたとの知らせを受けて駆けつけると、すっかり元気を取り戻されたルーク様が興奮気味に"奇跡"について語し出した。

『美しい妖精が現れて病気を治してくれたんだ!!私のためにあんなに美しい妖精が力を貸してくださったなんて……』

シルバーグリーンの髪に蜂蜜を溶かしたような瞳、ツンと尖った耳に虹色に輝く羽。

熱に侵されているのではと疑ってしまうほど顔を赤らめ妖精の事を話すルーク様。

『なぜ私を助けてくれたのか尋ねたが、綺麗に微笑まれて流されて、そのまま消えてしまった。

ベッドで倒れていた私の前に現れた時に何かおっしゃっていたんだけど、最初の部分が上手く聞き取れなかったのが悔やまれるよ』

『何と言われたのですか?』

悔しそうな表情を浮かべたルーク様はようやく私と目を合わせると、高揚した顔で答えた。

『……に感謝なさい』

※※※

そして現在。

妖精の奇跡ですっかり健康を取り戻したルーク様と私は、16歳になった今も相変わらず婚約者として交流を続けている。

6年前は変わらなかった背も、今ではルーク様の方がずっと高くなった。

あの日以来、ルーク様は自分を助けてくれた妖精に心を寄せているようで、私と過ごしていてもどこか上の空になる事がある。特に今のように外で会っている時。

自然を見ると妖精と結びつくのか、先程から風に揺れる木々や花々を見ながらぼんやりされている。

ただその様子を見て嫉妬をするというわけではない。むしろ、妖精を大切に思い続けているのだ、とどこか微笑ましい気持ちで見ていた。

「すっかり夏らしくなりましたでしょう」

「……え?ああ、そうだね。さすがはバーデンブルク辺境伯家の庭園だ」

「ありがとうございます。庭師のジョンが喜びますわ」

当たり障りのない会話。

取り繕った笑顔。

周囲に控えている使用人達は、そんな私達の様子を静かに見守っていた。

「そうだ、今日は来週の夜会のためのドレスとアクセサリーを用意してきたんだ」

「まあ、ありがとうございます」

まず従者が見せてくれたのはきらきらと輝く細かな装飾が施された濃いブルーのドレス。

「美しいドレスですわね」

「気に入った?」

「ええ、とても」

「よかった。こっちも気に入ってもらえるといいんだけど」

そう言って差し出されたのはアメジストのネックレスとイヤリング。

私に合わせた贈り物から、ルーク様が私との関係を大切にしてくれていることは伝わってくる……対外的には。

「綺麗ですわね。ありがとうございます。夜会で着けさせていただきますわね」

「ああ。私の婚約者としてアイリスには相応しいものを身につけてもらいたいからね」

「……ありがとうございます」

ルーク様の言葉に滲む無意識の優越感。

『対等な関係を築いていこう』

9歳の頃大人のようなすまし顔でそう言ったルーク様は、あの日妖精に助けられて以来少しずつ変わっていった。

命を失う病からの生還。

人智を超えた存在に助けられた奇跡。

妖精が答えなかった"なぜ"という問いに自分なりの答えを出したのだろう。

"自分が特別な存在だから助けられたのだ"と。

そう導き出したのは決してルーク様だけではない。公爵家の長男が治療法がない病気にかかり、奇跡的に妖精に助けられたという話を知らない者は社交界にはいない。

周りから掛けられ続けた"ルーク様だから助けられたのだ"という褒め言葉が、今のルーク様の自尊心を作り上げる一部となっているのは間違いないだろう。

その結果、ルーク様の態度から"自分はお前とは違う"という優越感が事あるごとに伝わってくるようになった。

それでも婚約者を目に見えて蔑ろにすることはない。この政略結婚の重要性をルーク様自身も理解しているからだろう。

間もなくそれが揺るがされる事態が起きることなど何も感じさせないような、晴れ渡った青空を見上げながらティーカップを口に近づける。

フルーツティーに映り込んだ顔に苦笑しながら、すっかり温くなってしまったフルーツティーを喉に流した。

※※※

1週間後、ブルック子爵家主催の夜会。

「とても似合っているね。綺麗だ」

「ありがとうございます。ルーク様も素敵ですわ」

いつものように心内が読めない笑顔で会話を交わしながら、ルーク様のエスコートで会場に足を踏み入れる。

主催者のブルック子爵夫妻へ挨拶に向かう。

「ご招待いただきありがとうございます。招待状にもありましたが、本日は重要な発表を行われるとか」

ルーク様の言葉に、ブルック子爵が意味あり気な表情を浮かべる。

「ええ、お楽しみに」

挨拶を終えるとルーク様と共に他の招待客達の元へ向かう。

見知った顔を見つけ歓談を楽しんでいるとブルック子爵が注目を集めた。

「皆様、本日は我がブルック子爵家の夜会にようこそお越しくださいました。今日の良き日に皆様に発表させていただくことがございます」

ブルック子爵夫人に伴われ1人の女性が現れた。

その女性はシルバーグリーンの髪、金色の瞳、淡いグリーンのドレスを身に纏っており、手招きされてブルック子爵の隣に立った。

そういえば先日、ブルック子爵夫妻が養子をとったようだという話を友人がお茶会で話していたな……と思い出していると、ルーク様がぽつりと呟いた。

「彼女だ……あの時の……」

ルーク様の知り合いなのだろうか。

まるで彼女を知っているかのような言葉に首を傾げていると、ブルック子爵が嬉しそうに彼女の紹介を始める。

「先日養子に迎えました、エラです。まだまだ貴族としての振る舞いも拙いのですが」

彼女の名前は"エラ・ブルック"。修道院で育てられた孤児だったそうだ。

「一目見た時にエラに特別なものを感じまして」

「養子に迎えるならぜひ彼女をと思いましたの」

ブルック子爵夫妻からそう言われた彼女が一歩前に出てくる。

「初めまして、私……」

挨拶を始めたと思った次の瞬間、彼女の目がこちらを、正確にはルーク様を捉えた。彼女は驚いたように目を見開いたかと思うと、「うっ」と短い声を出し頭を押さえる。

「エラ、どうしたんだ?!」

ざわつく会場。

すると頭から手を下ろしたエラ様がルーク様を見つめながら耳を疑う発言をした。

「もしかしてルークなの?あの幼かった子がこんなに立派になったのね。あの時あなたの病気を治してあげてよかったわ」

彼女は何を言っているのだろうか。

これではまるで彼女がルーク様を助けた妖精のようではないか。

彼女の突然の奇行に言葉を失っていると、私の隣にいたルーク様が一歩前に出た。ルーク様の腕にかけていた私の手が行き場を失う。

「やはり…あなたはあの時私の病を治してくださった妖精なのですか?」

「ええ、そうよ」

これは一体何の茶番なのだろうか。

目の前で繰り広げられる茶番劇に完全に引いていると、ルーク様が顔を輝かせた。

「やはり!!しかしなぜそのようなお姿に?耳も人間のようですし、背中の羽も……それに修道院で育てられたとおっしゃっていましたが」

「私もたった今思い出したんだけど、あなたを助けるのに全ての力を注いだ私は妖精の姿を失ったの」

彼女が語るところによると、力を使い果たし大人の姿から子供の姿になると同時に人間の姿になり、記憶を失っていたという。

「あなたを見て全て思い出したの。立派になってとっても嬉しいわ」

「そんな、私のせいで人間になってしまわれたのですか……」

「気にしないでいいわ。あなたを助けられてよかったもの」

公爵令息を助けて妖精の力を失ったと自称する女性の登場に会場はさらにざわつき出す。

「まさか妖精だったとは…どうりで不思議な雰囲気を纏っているわけだ」

「他の子とは明らかに違いましたものね」

「でも今はもう人間よ。だからこれからも2人の子供として接して欲しいわ」

この突拍子もない茶番劇に戸惑うどころか感動しているかのような会場の異様な雰囲気に戸惑っていると、どこからともなく拍手が聞こえてきた。

次第に会場が拍手の音で満たされると、彼女は恥ずかしそうに拙いカーテシーを披露した。

この空気の中、どうやって彼女を偽物だと伝えればいいのだろうか。

本物の功績を奪う彼女には怒りすら湧く。

そしてこのあり得ない状況を受け入れている者達にも。

だがこの状況で私1人が異を唱えても掻き消されてしまうだろう。それどころか"妖精を偽物だと愚弄した"と攻め立てられかねない。

視線をルーク様に向けると、ルーク様は感動したような面持ちで彼女を見つめていた。

頭を抱えたくなる。

妖精に助けられたルーク様が、彼女をあの時の妖精だと認めるような発言をしてしまった。果たして私の言葉は彼に届くのだろうか。

本物と同じ、いや似ているのは髪色と瞳の色だけ。顔立ちも言動も似て非なるものなのに……。

6年前の詳細な記憶など、ルーク様にとっては曖昧なものになってしまっているのかもしれない。

それか、妖精から人間になったことで顔立ちも変わったとでも思っているのだろうか。

だがなんとかして勘違いだとわかってもらわなければならない。そうでないと……。

「積もる話もあるだろう。2人で話をしたらどうだろうか。いかがですか?ルーク卿」

婚約者がいるルーク卿に娘と2人で話をさせようなどと、とんでもない申し出だ。

婚約者である私を伴って出席している舞踏会で、私を差し置いて他の女性と2人で……など、怒ってもいいくらい無礼極まりない発言だ。

ルーク様が彼女の演技を信じているとしても、今の彼女は人間。婚約者がいる貴族令息が婚約者ではない令嬢と2人で話すなどあり得ない。

ここでルーク様が断ればまだ私の声が届く望みはある。ルーク様さえ冷静な判断ができれば……。

「ええ、ぜひ!!私もずっとお聞きしたかったことがありますから」

嬉しそうに顔を輝かせるエラ様。

満足気なブルック子爵夫妻。

ああ、これはだめだわ。

もう一度あの妖精に会いたいとずっと望んでらしたものね……だからこそ違和感に気付かないんだわ。認知バイアスというものね。

招待客達も完全に"感動的な悲劇"に酔っているわね。ルーク様を助けた妖精との再会、しかし妖精はルーク様を助けて力を使い果たし人間になっていただなんて、さぞかし心を打つのでしょうね。

2人の再会と妖精が記憶を取り戻す瞬間に立ち会えたとなれば興奮もするでしょう。それが本当ならね。

それでも疑いの目を向けている聡明な方が少しはいるのが救いね。さて、どう正していこうかしら。

彼女を偽物だと証明する方法に頭に巡らせていると、やっと私の事を思い出したのかルーク様がこちらを振り返った。

「すまないアイリス。彼女に、改めてお礼を伝えたいんだ。埋め合わせはまた後日必ずするから、彼女と話す時間が欲しい」

それが本当だったのなら私も快く頷いたでしょうけれどね。

今後の事を考えるためにも少し突いてみましょうか。

「ぜひそうなさってください。ですがそれなら私もご一緒させていただきたいですわ。ルーク様を助けてくださった方は私にとっても恩がありますもの」

「あなたのためにしたことじゃないから気にしないで!!私がルークを助けたくてしたことだもの。それにせっかくなら2人で話したいから、あなたは遠慮してくれる?」

子爵家の令嬢が辺境伯家の私に何という物言い。

本物の妖精と似ても似つかぬ彼女の言動に違和感を抱いてくれれば……そう願いながらルーク様に目を向けると、彼は眩しいものを見るように彼女を見つめていた。

「承知いたしました。それでは私は先に失礼させていただきますわ。私がいては気を遣わせてしまうでしょう」

「アイリス、ありがとう」

ここしばらく見ていない"心からの笑顔"ね。

今日だけは許しましょう。

あなたがとんでもなく察しが悪いことはわかっているもの。

そんなあなたが突然恩ある妖精と再会したという状況に舞い上がってしまって、冷静な判断が出来なくなってしまうのは理解できるわ。

それにこの後2人での会話の中で彼女がボロを出して、ルーク様が違和感を覚えてくれる可能性もあるでしょう。

でももしそうでなかったら……。

「じゃあルーク、エスコートしてくれる?」

「ええ、喜んで」

和気藹々としている彼らに背を向けると、私は1人静かに会場を後にした。

※※※

しばらく王都に滞在する予定だった私は、父の妹であるタウンシェード侯爵夫人のいる屋敷へ戻った。

私の帰宅を聞きつけた叔母様が驚いた様子で駆け付ける。

「おかえりなさいアイリス。随分早かったわね。何かあったの?ルーク卿は?」

「茶番劇に巻き込まれて撤退して参りました」

「茶番劇?」

「はい。ルーク様は今頃ブルック子爵家の養子になられたエラ様と2人きりで交流を深めていらっしゃいます」

「……一体どういうことなの?詳しく聞かせてちょうだい」

叔母様に連れられ居間に移動すると、叔母様の夫であるタウンシェード侯爵も部屋に入ってきた。

「何があったか詳しく話してくれ。場合によっては抗議をしなければならない」

「わかりました」

今後起きる最悪の展開も考慮し、できるだけ正確にあの場で起きたことを話した。

2人はすぐに違和感を覚えたようだ。

「出来すぎているな」

「出来すぎているわね」

2人の言葉に頷く。

「ブルック子爵はかなりの野心家だ。ルーク卿を助けた妖精と同じ配色を持つ女性を養子にしたのはただの偶然ではないだろう」

私も同意見だ。

だからこそ挨拶の時に意味あり気な表情をしていた理由もわかる。ルーク様が妖精に特別な感情を抱いているのは社交界で知らない者はいないのだから。

「誰もおかしいと声を上げなかったの?」

「はい。あの場にいたほとんどの方が異様な空気に飲まれていました。

猜疑的に見ている方もいましたが、ルーク様が彼女を"あの時の妖精だ"と認める発言をされたため私と同様あの場で異を唱えることはおやめになったのだと思います」

叔母様は顔を顰めながら頷いた。

「それにしても辺境伯令嬢に対する態度ではないわね。仮に本当に元妖精だったとしても今は人間なのよ?人間の、しかも貴族になったのなら貴族らしく振る舞わなければならないでしょうに。

爵位の何たるかもわかっていないのではなくて?」

「ああ、養子になった以上エラ嬢も貴族の一員だ。公の場で発表をしたのであればそれなりの振る舞いが求められて当然だ。元平民、元孤児という背景は無礼な振る舞いをしていい免罪符にはならない」

「元妖精なら許される態度ということ?でも仮にそうであったとしても人間として生きていくのよね?そうであれば、元妖精とあってもブルック子爵夫妻は咎めなければならないでしょうに」

叔母様達の言う通りだ。

仮に彼女が本当に元妖精だったとしても貴族社会で生きる以上最低限の振る舞いは学ばなければならない。

ただそもそも彼女は偽物なのだけれどね。

「そうしなかったのは彼女を元妖精だと印象付けるためなのかもしれませんね。元妖精なら爵位関係なく天真爛漫に振る舞うものだと言われてしまえば、なんとなく納得してしまうものなのでしょう。

妖精を実際に見たことがある人の方が圧倒的に少ない以上、想像するしかありませんから」

一般的な妖精のイメージといえば神秘的な姿だろう。

人間とは明らかに一線を画す美しく気高い存在。

「そのようなイメージから、あの場では"元妖精なら貴族らしからぬ振る舞いをしても仕方ないのかもしれない"と許容されているように感じました」

叔母様が不機嫌そうに顔を歪める。

「とてつもなく嫌な予感がするのは私だけかしら?」

「いいえ、叔母様。私もです」

「私もだ」

ただし事態は叔母様達の考えている以上に深刻だ。

叔母様達の嫌な予感は"妖精から人間になったエラ嬢に責任を取ると言ってルーク卿と私の婚約が解消あるいは破棄される"といったものだろう。

しかしそれだけでは終わらないのだ。何とかルーク様に彼女が偽物だとわかってもらいたいのだが……果たしてそれをするだけの価値が今のルーク様にはあるのだろうか。

ここ数年のルーク様からの私を見下したような態度や先程の私を蔑ろにして当然といった態度を思い出し、複雑な気持ちになる。

「あなたとルーク卿の婚約は王家主導で結ばれたものでしょう?まさかとは思うけど……」

「……ルーク様を信じたいところですが、ここ数年のご様子を考えると否定はできませんね」

「今日の事を反省して謝罪に駆け付けるようならまだ見込みはある。そうだな……明日中に何の連絡もなければ少し今後について考えておいた方が良さそうだ」

侯爵の言葉に頷きながら、恐らく明日は何の連絡も来ないだろうなと予感めいたものを感じていた。

※※※

その予感は当たった。

ルーク様からは夜会の翌日どころか、2日、3日経っても何の連絡も来なかった。

それならばとこちらから手紙を送ったが、簡単な謝罪の他に『今は忙しくて会いに行けない』とだけ書かれた手紙が送られてきた。

「どうやら今日もデートでお忙しいみたいですよ」

「そう、やっぱりね。ありがとうフィーナ」

王都滞在にあたり、辺境伯家から連れて来た侍女のフィーナの言葉に何度目かわからない溜め息を吐く。

「あなたも教えてくれてありがとう」

情報提供者である鳥達にお礼の胡桃を渡すと、嬉しそうに口に咥えて窓から飛び去っていった。

「重要な話をしたいという申し出を断られた以上、現状で私が彼のために出来ることはもうないわね。話をする機会すらもらえないとは思わなかったわ」

私がそう溢すと、フィーナが注いでくれた紅茶に口をつける。

婚約者になって10年。

私達の婚約は辺境伯家と王家の結びつきを強くするために結ばれた。ルーク様の母君は現国王の妹なのだ。

ルーク様が妖精に助けられてから6年、政略結婚を遂行するためにルーク様の態度から滲み出る私への優越感にも耐えてきた。

しかし夜会での最悪な対応を皮切りに、私への対応が輪をかけて悪化している。

自ら謝罪するでもなく、婚約者同士の交流を蔑ろにし、別の女性と逢瀬を重ねているルーク様。

夜会の件も含めた私への対応に侯爵家からルーク様のご実家コーンフォール公爵家に抗議もしたが、反応は思わしくなかった。公爵家もルーク様の行動を容認しているということだ。

恐らく近々大きな動きがあるだろう。その時が"解放"の時だ。

そんな事を考えながら美しく飾り付けられたミニタルトを味わっていた2日後、予想通り大きな動きがあった。

※※※

2日後。

嬉しそうに木の実を啄ばむ鳥達。やがて思い思いの木の実を口に咥えて彼らが去るのを見送ると、フィーナと顔を見合わせる。

「直談判ね。想定内とはいえ呆れるしかないわ」

鳥達からの情報によると、今日ルーク様はコーンフォール公爵夫妻と共に陛下に私との婚約解消を願い出たという。

さすがに今回の婚約が陛下が望んだものとあって、辺境伯家に話をする前にお伺いを立てなければと考えるくらいの理性は残っていたようだ。

「でもこれでアイリス様に非がないことが伝わったでしょう」

「そうね。あとは待つだけね」

「本当に大変ですね」

「陛下主導の政略結婚ですもの。簡単にはいかないものなのよ」

こちらが差し出した手を振り払ったのはルーク様自身だ。その結果何が起きるのか、その身を以て受け止めてもらうしかない。

そしてその日の夜、一通の手紙が届けられた。

今後の自分の人生を左右する大事な手紙だ。一字一句読み漏らさないように慎重に読み進める。

やがて全て読み終えると、その様子を静かに見守ってくれていた叔母様達に笑顔を向けた。

その1週間後、私は久しぶりにルーク様と顔を合わせることになる。

※※※

1週間後。

私は父と共に王宮に呼び出されていた。

謁見の間に入ると、すでに本日の主役達が勢揃いしていた。

私への優越感を隠す気もない自称元妖精と寄り添う婚約者。

私達の後ろを見て一瞬だけ訝しげな顔を浮かべたかと思うと、こちらを馬鹿にしたような表情になった彼らの両親。

ちなみに私の母は辺境の地で父の留守を任されているためこの場にはいない。共にいるのは隣に立つ父と、後ろに控える侍女のフィーナだけだ。

私達が謁見の間に入って間もなく陛下が宰相と共に現れた。

臣下の礼を執りお声掛けを受けて顔を上げると、陛下は険しい表情を浮かべていた。

「コーンフォール公爵家からの申し出について言い渡す」

場が一気に張り詰める。

期待と不安が入り混じったような空気の中、陛下の厳格な声が謁見の間に響き渡る。

「婚約解消は認めん、ルーク・コーンフォール有責での婚約破棄とする。コーンフォール公爵家並びにブルック子爵家は辺境伯家に婚約破棄に伴う賠償金を支払うように」

「お兄様どういうことですの?!ルーク有責での婚約破棄だなんて!!」

案の定騒ぎ出した公爵夫人の言葉を制したのは陛下の後ろに控えていた宰相だった。

彼が最近若くして宰相となった優秀な方だということは、我が領地にも噂として届いている。

「コーンフォール公爵夫人、口をお慎みください。

ご子息は陛下が取り纏められた婚約を蔑ろにされました。それを容認し、尚且つご子息と共に何の落ち度もないアイリス嬢との婚約解消を願い出た貴女達にも相応の処罰が下されることになるとご承知ください」

陛下が宰相の言葉に頷く。

「婚約破棄が妥当な愚行をしておいて"婚約解消"などと厚かましいことを言いおって……」

陛下から発される威圧感。

それを向けられていない私まで身が竦む。

だがそんな中でも空気を読まない者が1人。

「待ってこんなのおかしいわ!!私達は何も悪くないでしょう?私達が惹かれ合ったのは必然……きゃあ!!」

「エラ!!」

怖いわ……あまりにも愚かすぎて。

この場でそんな物言いをすればどうなるかなんて、火を見るより明らかでしょうに。

「彼女をお許しください陛下!!先日申し上げました通り、彼女は元々妖精だったのです!!まだその感覚が抜けず、それゆえこのような言動をとってしまっただけなのです!!」

「そうですわ、陛下!!彼女はルークを助けてくれた妖精なのですよ?!ルークのために身を人間にまで堕として……それなのにこのような扱いあまりにも失礼なのではなくて?!」

騎士達に取り押さえられている彼女を必死に庇う彼らに、陛下は呆れたように声を出す。

「愚かだ愚かだと常々思ってはいたが、ここまでとはな……それのどこが元妖精なのだ」

"それ"ことエラ・ブルックは、自らを取り押さえる騎士から逃れようと大声を出しながら暴れている。

「突然の事に取り乱されているのです!この髪色と瞳をご覧ください!!私を助けてくれた妖精と全く同じなのです!!あの時の記憶も取り戻されて……」

「本当に同じか?6年前に1度、それも一瞬見ただけの其方の記憶は誠に正しいのか?」

「……っ間違いございません!!この6年、ずっと彼女を想い続けておりましたから、間違えるはずがありません」

間違えているのだけれどね。

それも取り返しのつかない大きな間違いを、ね。

「そうか、まあこれ以上はやめておこう。真偽がわかったところでもはや結論は変わらん。

アイリス嬢、何か彼らに言いたい事があれば何なりとこの場で申せ」

「陛下、お心遣い心から感謝申し上げます。それではお言葉に甘えさせていただきたく存じます」

小さく頷かれた陛下に感謝し、元婚約者に言葉をかける。

「ルーク様、残念ですわ。貴方は最後まで真実に気が付かず、真実を見ようともなさりませんでした

6年間、貴方は何度も本物とお会いになっていましたのに」

「……?何を言って……」

顔を顰めた彼らの前に、私の後ろに控えていた"彼女"が進み出る。

「元は6年前に死ぬはずだった命……6年長らえただけでも感謝なさい、アイリスに」

そう言った侍女のフィーナが何かを小さく呟いた次の瞬間、ルーク様の身体が眩く光り出した。

「なんだっ、なんなんだこれは?!」

「ルーク!!」

叫び声を上げるルーク様の身体から漏れ出た光がフィーナの身体に入っていく。

すると彼女の髪はブロンドからシルバーグリーンに、瞳はブラウンから蜂蜜を溶かしたような色に変わった。

次に耳が人間の耳から妖精らしい尖った耳に変わり……やがてルーク様の身体から光が出なくなると彼女の背中に虹色に輝く羽が現れた。

信じられない光景に誰もが口を開けて驚愕する中、ふわりと舞い上がった彼女が私の前に舞い降りた。

「フィーナ様、長きに渡り尊いお力をお貸しくださり心から感謝申し上げます」

「いいのよ、アイリス。言ったでしょう?人間の6年など私達妖精にとってはほんの刹那のこと。6年間人間として過ごせて楽しかったわ」

あの時の姿に戻った彼女を感慨深く見つめていると、コーンフォール公爵夫人の怒りの声が響いた。

「どういうことなの?あなた、嘘をついていたの?!」

怒りを向けられたエラ様は、私達を見て完全に固まってしまっている。

夫人がさらに問い詰めようと口を開きかけた時、唸り声と共にルーク様が倒れ込んだ。

「ルーク?!どうしたのルーク!!しっかりしてちょうだい!!」

「大丈夫かっ?!一体どうしたんだ」

公爵夫妻の言葉に彼女が反応する。

「あらわかるはずよ?言ったでしょう?あの時に」

「あの時……?」

「ええ、"病を抑えてあげる"って」

フィーナ様は森に棲む妖精。妖精にはそれぞれ得意な事と不得意な事があり、"癒し"はフィーナ様の専門外なのだ。

だからこそ病を治すことはできなかった。その代わり、フィーナ様の力をルーク様の身体に注ぐことで病を抑え込んでくれていたのだ。

「私の得意なことではなかったから、多くの力を注ぐしかなかったの。そのために"人間のような姿"になったのだけれどね」

「……つまりどういうことなの?」

理解ができないのかしたくないのか、戸惑っている夫人。

「力を取り戻されたということはルークの病を抑えていた力がなくなったということだ……つまりルークは病が再発したということなのではないか?」

「なんですって?!」

公爵の言葉は正しい。

病を抑えていた力が解放されフィーナ様の元に戻った以上、病が再び勢いを取り戻してしまったのだ。

「そんなっ……でも貴女様がルークを助けてくださったのは、ルークを気に入ってくださったからなのでしょう?!それならルークのためにもう一度お力を……」

「勘違いも甚だしい……私はアイリスの願いだから叶えただけよ。アイリスを蔑ろにした者を二度も助けるつもりはないわ」

フィーナ様の言葉を受け、公爵夫人の目が私を向く。

私に願わせようとでもしているのだろう。

だがそうはいかない。

「アイリスの願いでもそれは聞かないわよ」

「……っ!!」

「自分の大切な者を大切にしてくれた者に好意を抱く、そうでない者を嫌悪する……人間にもわかるでしょう?」

6年前、病に倒れた婚約者のために祈り続ける私の前に現れた美しい妖精は"恩返し"だと言って彼の病を抑えてくれた。

『私の大切な友達をいつも助けてくれてありがとう』

私が時折森で怪我をした動物を屋敷に連れ帰り、手当して元気になったら森に帰していたことに対する恩返しなのだという。

婚約者の病を抑えて戻ってきたフィーナ様は、私の目の前で姿を変えた。

『ここまで力を使うとは予想外だったわ』

どう見ても人間の女性の姿になってしまったフィーナ様。

妖精の力が使えなくなった一番の弊害は、姿を隠すことが出来なくなってしまったことだった。

『そのお姿では森に帰っても目立ってしまうと思います!フィーナ様のように美しい女性が森に1人でいるとなると、どのような危険な目に遭うかわかりません……』

『まあ、褒めてくれてありがとう。そうね……せっかく人間のような姿になったのだもの。人間として貴女の側であの子を見定めることにするわ』

『ルーク様のことでしょうか?見定めるとは一体……』

『あの子はあと1週間の命だった……私の力でその運命を捻じ曲げた以上、それが正しかったか見極めなければならないわ』

『……!あと1週間……見極める基準とは、何なのでしょうか?』

『簡単よ、アイリス。貴女を大切にし続けることよ』

私の側で彼を見定めるために侍女として過ごすとお決めになったフィーナ様とは『恐れ多すぎます!!』『楽しそうだからやらせて!!』とかなりの押し問答があったのだが、結局フィーナ様のお望み通りに落ち着くことになった。

「そういう事だったのか」

隣で1人納得したように溢すお父様。

6年前に私が彼女を"命の恩人"と紹介してから今日に至るまで、何か違和感を抱いていたのかもしれない。

「我が娘の為に尊いお力をお貸し下さり誠にありがとうございました。そしてこれまでの数々のご無礼、心からお詫び申し上げます」

「私がやりたくてやったことよ。

それに時が来るまでアイリスの側で人間として生きると決めた以上、そう扱われるのは当然のことでしょう」

そう言って私に微笑んだフィーナ様の言葉が一番刺さったのは、先程から床に組み伏せられたままの状態になっているエラ様だろう。

かたや元妖精を理由に傍若無人な言動を繰り返した"偽物"。

かたや人間として生きるために与えられた役割に相応しく振る舞っていた"本物"。

"本物"との格の違いに、己の言動を存分に恥じて欲しいものだ。

そういえば、と陛下に視線を向ければ何と声を掛けるか慎重に言葉を探されているご様子だった。

それを汲み取ったのか、フィーナ様が陛下に振り向き声を掛けた。

「もう二度と現れるつもりはないわ。アイリスを傷付けない限りはね」

陛下は目を大きく見開いた後、ゆっくりと頷かれた。

「アイリス、また会いに行くわ」

「お待ちしております。特別な日々をありがとうございました、フィーナ様」

満足そうに微笑まれたフィーナ様は眩い光に包まれてこの場から姿を消した。

その場には夢を見た後のような非現実感が残り、暫く声を発する者はいなかった。

やがて静寂を切り裂く叫び声が上がる。

現実なのだと実感が湧いてきた者達の後悔の叫びが、幾重にも重なり謁見の間に響き渡るのだった。

※※※

後日談として。

この度の"婚約破棄"については宰相の発言通り、その処罰は本人達だけに留まらず公爵家と子爵家にまで及んだ。

王命による婚約を蔑ろにした両家はそれぞれ一段階の降爵となった。

コーンフォール侯爵家、ブルック男爵家となった両家からは速やかに賠償金が支払われ、婚約破棄にまつわる清算が済んだ。

ルーク様とエラ様のその後についてだが、まずはエラ様について。

彼女はブルック男爵から養子縁組を解消され、元の修道院へと戻された。

妖精を偽った理由は予想通りのもので、公爵家と縁続きになりたいと考えていた子爵…改め男爵が計画したものだった。

修道院を訪れた際に瞳の色が蜂蜜のような色で"シルバー"の髪を持つエラ様…改めエラさんを目にして髪を染めさせることを思いついたのだそうだ。話を聞いたエラさんも、貴族になって公爵令息と結婚出来ると聞いて即諾したらしい。

『せっかく貴族になれたのにまたこんな生活しないといけないの?!』

束の間の貴族としての生活を思い出しては修道院で叫ぶ日々を送っているのだという。残念ながら彼女に反省をする日は来ないのかもしれない。

次にルーク様について。

謁見の間での出来事から3週間経つ今 、6年前のあの日に残り1週間で死を迎えるはずだったというルーク様はどうなっているのかというと、実はまだ生きている。

というのも、この6年の間にルーク様の患っている病の治療薬が開発されていたのだ。

しかし、ルーク様は既に重症化していたため、酷い後遺症が残った。四肢の麻痺や呼吸筋の麻痺、嚥下障害が残ったため、これからどれ程生きることができるのかはわからない。

ただ、6年前になかった治療薬のおかげで少しでも命を繋ぐことが出来たのだと考えれば、あの時の私の願いとフィーナ様のご献身は無意味ではなかったとも言えるのかもしれない。

なお、当然エラさんとルーク様が結ばれることはなかった。

さて、婚約破棄になり16歳で婚約者がいなくなってしまった私について。

元々王家と辺境伯家の結びつき強化のために結ばれた婚約だったため、通常であれば王家の縁者との新たな婚約が結ばれるといったところだろう。実際、謁見の間に呼び出される前に、その様な旨が書かれた手紙を陛下から受け取っている。

『……まさか彼奴がこのような愚か者に成長するとは想定外であった。近日中に彼奴有責での婚約破棄を成立させた上で、アイリス嬢が望めば新しい縁談を用意しよう』

陛下はルーク様の直談判前から事態を把握されており、私が何とかルーク様の勘違いを正そうと、取れる行動は取っていたこともご理解いただいていたようだ。

陛下はルーク様を見定めようとされていたのかもしれない。

もしあの夜会の後、私と話す機会を取ってくれていたら……。

もし彼女と過ごすうちに偽物だと気が付けていれば……。

「それにしても、私あの時ちゃんと伝えたのに。

"アイリスに感謝なさい"と。どうしたらこのような事態になるのかしら」

「わかりませんわ。

私が私の名を出して訂正するのも恩着せがましいと思いまして、特に訂正をしませんでしたから」

言っても信じてもらえなかったでしょうしね。

「貴女らしいわね。アイリスに感謝して大切にしていればもっと歳を重ねることが出来たのに、愚かなことをしたわね」

「叶えて下さったのはフィーナ様ですから、私は感謝されなくても良かったのです。

ですがフィーナ様の偽物に感謝して恩を尽くそうとしていたのは許せませんでした。全く似ておりませんでしたもの」

「私貴女のそういうところが気に入っているの」

「恐れ入ります」

美しく微笑みながら私が淹れたフルーツティーを飲まれる所作まで、なんと美しいことか。

どこをどうすればあのような者と間違うことができるのか……。

「そういえば、縁談は断ったのですって?」

「はい、陛下にもそれで良いとおっしゃっていただきましたので」

婚約破棄成立後、陛下から改めて意思を確認された際に丁重にお断りさせていただいた。

婚約者はもちろん探していくつもりだ。貴族として家の利になる結婚をするのは当然の責務ともいえる。

しかし、今回の事で誰を選んでも祝福するというお言葉を陛下からいただけたため、今度は家の利を考慮しつつ私自身がこの人だ、と思える方と……そう考えている。

「新しい婚約者にいつ会わせてもらえるのかしら」

「いつになるかわかりませんが、その際は是非ご紹介させてください」

「あら、私の聞いている話では既にいるそうじゃない?」

「……!!」

本当にこの方に隠し事はできないのね。

私よりも私をご存知だったりして……。

「いえ、まだ交流を始めたばかりですので、これからどうなるかは何とも」

「ふふ、貴女のそんな顔を見られるなんて嬉しいわ」

この1年後、若くして宰相となられたウィリアム・グラント侯爵とトントン拍子に話が進み、驚くようなスピードで新たに婚約を結ぶことになるのだが……そんなことこの時の私は知る由もない。

初めての恋に戸惑う私の様子を見て楽しそうにされているフィーナ様。

顔の火照りを残暑のせいだと言い訳をしながら、冷たいフルーツティーで喉を潤すのだった。